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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

息子は、言います。「大人は、子どもをバカにしすぎだ。」

2013-01-05 17:21:38 | 教育振興基本計画

※現役中学教員であり、そして保護者でもあるHさんのパブリックコメントです。ご覧ください。

この基本計画を読んでも、私には、希望は感じられません。

大阪市教育基本計画について
いじめが悪い事だと言うのは、やっている本人は、わかっていると思います。
そして、いじめている自分自身を好きではないでしょう。
どんなにおこられても止めないのは、怒られても止められない心の状態にあるからです。
困った子は、困ってる子だからです。
罰を与えても解決には結びつきません。
学校から排除しても、社会を憎む子を作るだけです。
温かく励まされたり、大人に丁寧にあつかわれてはじめて人に優しくできる心が育つのです。
いじめている子は、その扱いを受けていないという事です。
なので罰を与えても効果はありません。
 
いじめを無くすことと、兼務や、教師の人数のさくげんや、評価システムで先生を縛ることは、
反対の方向のやり方です良い評価のために、しんどい子を持たない先生ばかりだと学校はまわりません。
給料を減らされたり、クビにビクビクしながら働いていて、生き生きと子どもたちの前に立てるでしょうか?
大人が楽しそうに、あたたかい雰囲気でいて、はじめて安心し、楽しく学べるのではないですか?
道徳心は、押しつけられて身につくものではありません。
「きちんと守りなさい」と言ったから守るのではなく、
優しい温かいクラスであれば、怒られなくても、お互いにイヤなことはしません。
100回説教しても、それは教師の自己満足です。
大阪市の道徳研修会に行きましたが、委員会の方のお話は、上から言われたことと、
長々と書かれた文面を、心もなく読まれているだけで、何も伝わってくるものはありませんでした。
頭のいい人が、きれいな責められない書類を作り、それ通りに教師に授業を求めても、
子どもたちには、何の効果もありません。
もっと現場の教師が、生き生きと自分たちの判断で、
目の前の子どもに合った教育ができるよう現場に任せて下さい。
条例でしばりをかければ、かけるほど、良い人材は他府県に流れ、
経験を積んだ良い教師は嫌気がさしてやめていっています。
子どもたちにとって良い教育は、市長一人の経験の中にあったり、学者の頭の中にあるわけではありません。
全ての子どもに接している現場の教師の声の中にあります。
政治家が変わる度に、お金も出さずに現場を混乱させる教育は、やめて下さい。
息子は、言います。「大人は、子どもをバカにしすぎだ。」と、「力や罰やアメで子どもは動くのではない。
心から、そうしたいと思える環境が作られれば、自主的に自分から学ぶものだ。」と。
フィンランドの教育大臣ヘイノネンは言います。学校のために学ぶのではない、人生のために学ぶのだと、
学校では、もっと教える内容を減らして、深く学ぶ必要があると。
答えだけ覚えれば点数が取れ、賢いと言われる教育は、今の人類には、もう必要ありません。
頭だけで学び、金儲けのために仕事をすることも。
奇跡の状態で生まれたこの美しい地球全体を次の世代に残す務めがあると大人は自覚して、
全てのことを決めるべきです。子どもたちは気づいています。
このままいけば未来のないことを。永続可能な社会を作るための教育をして下さい。
 
グローバルで自分の国だけもうかる力をつけるような教育も必要ありません。
それは一時的なことで希望はありません。
現実を大人がしっかり見つめて、子どもたちのために本当に必要なことをするべきです。
もっと心と体を使い、芸術(教科)を大切にする方が、きっと心も満たされ優しい子どもたちが育つでしょう。
テスト教育は、いじめを増やすだけです。
この基本計画を読んでも、私には、希望は感じられません。
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大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対するコメント(2)~転載~

2013-01-05 14:37:24 | 教育振興基本計画

※住友剛さまのブログから、パブコメ第2弾を転載させていただきます。

ブログ「できることを、できる人が、できるかたちで」から転載させていただきます。シリーズ3編の第1弾です。

 http://tsuyokun.blog.ocn.ne.jp/seisyonenkaikan/2013/01/post_7278.html

 

大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対するコメント(2)

昨日に引き続き、大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対して、私が送ったパブリック・コメントを掲載します。昨日も書いたとおり、こちらにはフェイスブックに書いたものを転載しています。誤字脱字の修正などをフェイスブックに載せる際に行ったので、実際に大阪市教委に送ったコメントとは若干、ちがっている部分があります。ただ、基本的な趣旨には違いはないので、大筋で何が問題かはわかっていただけるかな、と思います。
なお、改訂素案そのものについては、下記のページを見てください。

http://www.city.osaka.lg.jp/templates/jorei_boshu/kyoiku/0000194120.html

それにしても、改訂素案、特に第2章を読んでいて思ったのは、「文科省がこの十数年すすめてきた教育施策を大阪であらためてやろうとしてい」、という側面が強いこと。したがって、今の子どもたちの現状を見れば、「もう、こういうモデルはやめたほうがいい」と思われるような案に、いまだにしがみついている感が強いということでもあります。
そして、本気で大阪の培ってきた教育、とりわけ人権教育の伝統が大事だと思うのであれば、今こそ、「こんな改訂素案なんて、いらんわ!」と、声をあげていく必要があると思っています。

<以下、コメントの「その2」です>
第2章「第3 改革に向けた施策の内容」の「1 カリキュラム改革」

(1)まったく無意味な「新たな幼児期カリキュラム」の提案
ここで「新たな幼児期カリキュラムを編成・実施」とあるが、大阪市の「市政改革プラン」では公立幼稚園・保育所の民営化が提案されていたのではなかったか? このカリキュラムが出来上がった頃には、大阪市内には公立幼稚園・保育所は一つもないという想定が市教委にはできているのか? また、私立幼稚園・民間保育園との話し合いはどのようにすすめるつもりなのか? さらに、基本的な生活習慣の形成など、ここに書いてあるような趣旨で、今までだって幼稚園教育要領や保育所保育指針は改訂されてきたのではなかったのか??(内容の是非はひとまず置くとして)。だとすれば、このようなカリキュラム改革の提案そのものが「無意味」である。

(2)まったく無意味な「道徳教育の強化」の提案、むしろ「子どもの権利学習」の徹底の必要性があるのでは?
同様に、「幼児期から義務教育修了までに、基本的な道徳心・規範意識を培います」という提案も、この間の文科省の学習指導要領改訂の流れからすれば、同じようなことをあらためて言い換えて提案しているだけで、まったくもって「無意味」なものである。
いったい、このような提案を平気でできるのは、どのような見識なのか? 改訂素案を検討した人々の意識を問いたい。
むしろ、本気で改訂素案を作った人々に「自由と規範意識や権利と義務を重んじ、自己の判断と責任で道を切り拓き、真理と正義を求め、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性をはぐくみ」たいという気持ちがあるのなら、なぜ「子どもの権利条約」を基盤にして、子どもの権利学習を大阪市内の各学校で進めようという提案ができないのか。それこそ、第2章の「基本的な考え方」で「一人一人の子どもを、個人としての尊厳を重んじ、その意見を尊重する」というのであれば、その前提になる「子どもの権利条約」の学習をすすめなければ、改訂素案自体の論理的な整合性が取れない。

(3)ICT教育も、この案なら「やめたほうがマシ」
情報化社会に対応する教育は、ただ単にタブレット端末等のIT機器やデジタル教科書等を学校に導入して、それを授業などで活用すればいいというものではない。
むしろ、機器の使用の前提となるコミュニケーションのあり方、例えば「自分は誰に何を伝えたいのか?」「誰が自分に何を伝えようとしているのか?」というようなことをじっくりと考え、自分なりに工夫して情報発信をしたり、他者からの情報発信を適切に受け止めたりするようなセンスを磨くことが重要なのではないか。そのためには、あえて「紙と鉛筆」のようなハイテク以前の道具であえて思考をしたり、「車座になってみんなで話し合って、その成果をからだとことばで何かを表現」といったことをすることが大事な時もある。
だから情報化社会に対応する教育も、まずは子どもの状態を見ながら学校現場で創意工夫をすることと、そこで得られた成果を現場教員間で交換しあう余地さえ残しておくことのほうが大事であって、「上から、無理やりIT機器を学校に入れさえすればいい」かのような発想でやっても、あまり意味はないだろう。

(4)「カリキュラムイノベーション」は「なんのため??」
ここで「教育効果が見込まれるカリキュラムの開発・普及」というのであるが、そもそも「何に対する教育効果」なのか??
例えば改訂素案のこの部分では習熟度別授業や言語力、論理的思考力、理科教育などに関するカリキュラム開発が例示されているが、この改訂素案において学校が目指すべきものは、いわゆるテストで計測可能な「学力」を挙げることだけだったのか? それは改訂素案自らが、自らの立てた目標を、具体的なプランのところで矮小化するようなもので、ばかげているとしかいいようがない。
そもそも、改訂素案の「目指すべき目標」には、「自立した個人として自己を確立し、他者とともに次代の社会を担うようになること」とある。その「自立した個人としての自己の確立」という観点と、ここで「カリキュラムの開発」として提案されていることとの間には、何ら論理的な整合性はない。
それこそ、夏休みの短縮や学校に冷房を入れることなど、カリキュラム開発の問題とどうかかわるのか? むしろ、学校外での子どもの豊かな体験活動を育む方が理科教育の前提として重要とか、あるいは、教員の現場を離れての研修こそが理科教育の振興には大事という結論に至った場合、夏休みの短縮はマイナスにしかならないだろう。
この改訂素案が本気で「自立した個人としての自己の確立」ということを考えるのであれば、その観点に沿っての「言語力、論理的思考力」とは何か、それはどのようにすれば養うことができるのか、ということを、学校現場の教職員がさまざまな実践を通して確認していけるような条件整備こそ、この改訂素案がまずは書くべきことではないのか。

(5)「通知表改革」もなんのため??
改訂素案がそれこそ本気で「自立した個人としての自己の確立」ということを考えるのであれば、それと「学力」形成との関係こそまずは論理的に整合性を保つように、学校現場の実践を通してさまざまな検証を行うべきこと。それをふまえた「通知表改革」であればわかるが、はじめにテストのデータの活用ありきのこの提案には、何の意味もない。というか、そのような提案自体が、改訂素案を作った人たち自身が実は「自立した個人としての自己の確立」などどうでもいいと思っていて、ただ「テストで測定される学力の向上」しか考えていないことを物語っていると思われる。そして、このような発想こそ、グローバルな社会では全く通用しない学力を形成してしまうかもしれないという危惧が見られない。

(6)小中学校の「食育」を本気でするつもりなら、学校給食に関する条件整備も本気ですべきである。
それこそ、かつて大阪市内の一部の公立中学校では実施されていた給食をわざわざ「廃止」して、あらためて「弁当デリバリー事業」のようなことを開始したが、その成果はいかがなものだったのか。その検証を大阪市教委としてきちんと行ったのか。また、これから学校選択制を導入して統廃合を進める気なら、給食の実施体制についてはどうするつもりなのか。「市政改革プラン」とこの改訂素案との整合性をどうつくるつもりなのか。

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大阪市教育振興基本計画案で「いじめ」は解決しない

2013-01-05 14:29:52 | 教育振興基本計画

※「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪事務局の松田さん(中学教員)のパブリックコメントをご覧ください。

 

いじめ、問題行動に対する取組について意見を書きます。

                                          

 大阪市教育振興計画(改訂素案)では、「第1編大阪市の教育改革、第2章教育改革の推進、第3改革に向けた施策の内容、5学校サポート改革」の項(P17~P18)で、「いじめ・問題行動に毅然とした対応をとるための制度をつくります」として、以下の取組をあげています。

「いじめについては、すべての学校、すべての教員が『いじめは生命をもおびやかす行為であり、人間として絶対に許されない行為である』という強い認識をもち、他人の心身の痛みがわかるような豊かな心を育てなければなりません。そのために、いじめた側の児童生徒に対する更生プログラムを策定し、①解決に向けた学校内での加害児童生徒への指導とその保護者への協力要請、②警察やこども相談センターなど関係機関と連携した学校内での指導、③出席停止の活用や教育委員会・警察等と連携した学校外(サポートセンター等)での指導、④犯罪が疑われる場合には、保護観察、児童自立支援施設・少年院送致等の処分に向けた、被害届の提出などの法的手続きといった対応を段階的に示し、児童生徒の状況に改善が見られるまで指導・対応に取り組みます。」

また、「第2編今後3年間で取り組む施策、第2章施策の内容、第1子どもの自立に必要な力の育成、2道徳心・社会性の育成」の項では、以下のような取り組みをあげています。

「幼児期から小・中学校を通じた義務教育修了までの期間に、基本的な道徳心・規範意識を培い、例えば、『人に親切にする』、『嘘をつかない』、『法を犯さない(ルールを守る)』、『勉強する』など、社会で生きる上で身に付けておかなければならない普遍的な事柄についても明確化して繰り返し指導します。」「併せて、いじめ・不登校・児童虐待などの課題を抱える子どもを支援するセーフティネットを充実します。」「学校園で認知したいじめについて、解消に向け対応している割合を100%にします。」「また、たとえ軽易な事案であっても毅然とした指導を行うため、加害児童生徒に対する更生プログラムの策定、いじめの調査等を行う第三者専門家チームの派遣、教職員向けのマニュアルの作成を進めます。」

                                          

 このいじめ問題に対する取組の方針は、子どもに対しては、「いじめをしたら、損だ」ということを身にしみさせる、教員に対しては、いじめに対処しないと責任が問われる状況をつくるということです。この方針では、教職員が「いじめ問題」に取り組むのは、自らの責任が問われないためであり、市長を初め、教育行政の「指導」とは、できていないことの責任を問うことだけです。教職員ひとりひとりが、どのようにして『いじめは生命をもおびやかす行為であり、人間として絶対に許されない行為である』という認識を得ていくのかというプロセスは、まったく想定されていません。また、いじめている側の子はなぜそうなっているのかということを真剣に問い直すことも必要ありません。                                           

                                           

 中学校教員としての自分の経験から考えていることを書きます。いじめる側の子は、「困った子」ではなく、「困っている子」です。自分が満たされていない状況に置かれています。それは、自己責任と言えないものがほとんどです。勉強は全く厳しい状況で、家に帰ってもひとり、という生徒が、遊び相手がほしいため友達を強引に遊び相手にさせる。友達にも、クラブ、勉強その他いろいろ都合があるので、遊び相手を確保するには、その子には力しかないのです。その関係は、やがて使い走りをさせる、させられるという関係となり、我慢できなくなった子が反抗して、命令していた子が殴った段階で、教員が何かあったと感じます。このとき、普段から、いじめている側の子の事情も理解した上で、頑張れよという励ましのことばをかけるような関係が教職員とその子の間に築けていれば、暴力をふるうという行為、力で友達を支配する行為がどれだけ駄目なことか、話したとき、聞いてくれます。また、教職員がいじめている側の生徒に一定受け入れられている状況ができている時にしか、いじめられている子は教職員に真実を話してくれません。なぜそんなことをしてしまうのか全く考えようともせず、自分の責任逃れのために、こんなことをするとお前が損をするぞとしかいわない教職員に、だれが本当のことをいうでしょうか。加害者の子は被害者の子に口封じをし、いじめはさらに陰湿化すると思われます。

大阪市教育振興計画(改訂素案)のいじめに対する方針は、今まで積み上げられてきた大阪の教育を壊し、いじめを陰湿化させるもので、反対です。

 

大阪では、野宿の方への襲撃事件が絶えず、昨年10月には、死に至らしめる事件も起きています。その事件を知った、この問題に関わり続けている方の感想を知りました。まず、私たち自身の受け止めが問われているということです。いじめ問題を考えるときに避けて通れない指摘だと思いますので、紹介させてください。                                          

                                           

 いったいいつまでくり返されるのか…。ホームレス問題の授業・教育の取り組みを、求めつづけてきたなかで、またも起こった襲撃事件。ついにまた死者が出てしまった現実。子どもたちの「ホームレス」いじめ・差別は、大人の無知と偏見の映しかがみ、社会の「無関心」という最大の暴力が、子どもたちの「襲撃」をうみつづけている。

 

いったい、どれだけの、いのちが、犠牲になれば、「無関心」は「関心」になるのか。

 

懸命に、路上で生きている、もっとも貧困な状態にあるひとびとが、この豊かな日本の、十代の子どもや若者によって、むしけらのように襲われ、殺されても、親は、学校は、教育は、世間は、まだ、スルーしつづけるのか。

 

いったいどうすれば、ほんきで、考え、本気で、動いていくれるのか。

親も、学校も、教員も、世間も、これが「ホームレス」差別でなければ、他の被差別の問題であれば、他の理由で、生きてる人が、襲われころされたとしたら、もっと真剣に、もっと重大に、もっと深刻に、もっと迅速に、もっともっと他人事ではなく、ほおっておけない問題だとは思わないか。大変なことが起こっていると、思わないか。なんとかしなくてはと思わないか。

 

子どもたちのまえに、大人がまず、「ホームレス」を軽視し、差別している。

 

学校でも、行政でも、ほかの被差別の問題であれば、たとえ、個人的に、興味も関心もなかったとしても、「人道的」に、「教育」に、無視はできない問題として、「取り上げざるをえなかった」のではないか??

 

「ホームレス」差別、だからこそ、「取り上げずにすんで」きたのではないか??

 

石を投げ手を汚すのは子どもたちだけど、石をなげさせてるのは、だれか?

 

変わるべきは、まず、大人。それも、「教育」にかかわる、大人がまず、無知から「知る」ことへ、

無関心から「関心」へ、そして、スルーから、「出会い」へと、変容していくこと。

 

子どもたちに「説教」している場合じゃない。

 

(中略)

 

子どもたちに語りつづけていく。路上でいのちを奪われた、仲間たちの無念とかなしみ。そして、もう二度と、だれも、加害者にも、被害者にも、なってほしくない。苦しみ哀しみのなかで、ねじまげられ、ふるえるいのち。きっとわかりあえる。敵ではない。いのちのぬくりもりをもった「人と人として」、出会ってほしい。

 

子どもたちを、信じたい。仲間たちを、まもりたい。

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「具体的な目標」は、全国学テを基準にした数値目標のオンパレード?!

2013-01-05 11:04:09 | 教育振興基本計画

※大阪市教育振興基本計画案へのパブコメは昨日締め切られました。当ブログで、お寄せになったパブコメを紹介していきたいと思います。

今後、橋下大阪市長は、パブリックコメントは終えた、教育委員会との協議は終えたと、市議会提案してくるものと考えられます。

大阪の教育が、この大阪市教育振興基本計画(素案)通りに行われればどうなるのか、さらに議論を深めていきたいと思います。

 

 

◎「具体的な目標」が、全国学テを基準にした数値目標のオンパレードであることに対する疑問

 

 「素案」の「施策分野ごとの具体的な目標」には、学力だけでなく、運動や体力、PTA活動、家庭での生活、心の問題等、あらゆる項目を数値目標化し、成果を競わせる内容となっています。しかもその数値目標の基準が「全国学力テスト」の結果を3年間でどこまであげるかに特化しています。「全国学テ」という結果の一面を全ての基準に拡大し、その数値に完全に縛られることになります。これでは「全国学力テスト」至上主義、うすっぺらい教育観のあらわれではないでしょうか。なぜ、「全国」との比較なのでしょう?市長は大阪を個性ある独立性のある地域にしようとされているように聞いています。だとしたら、他と数値で競う必要はないのでは? 後でどうにでも操作できる数値など、意味があるとは思えない。

 何より、子どもたち、また指導する先生方の個々の能力は数値で表すようなものではないと思います。競うか競わないかは個人の考え方で、その多様性こそ育むべき能力ではないでしょうか。

数値をもとに国の基準に押し込めては、他の個所で言う「グローバル人材」が育成されるとは思えません。明治期に教育が庶民にまで行きわたるようになったのは、真に個の能力を高めるためだけでなく、「お国」のために働く人間を作るためでもあったと認識しています。その結果、先の大戦まで多くの命が無駄に失われていきました。「個」が、尊重されていなかったからです。

 「数値」は親や教育界を表面的に納得させるツールでしかありません。多様な能力を秘めた子どもにとって、一般化した数値で判断されることは、「暴力」でもあります。いじめや自殺、授業妨害、校内暴力など、現在、教育現場が直面する多くの問題は、大人社会の都合で「管理」対象とされている子どもからの「私」をよく見て!というメッセージだと思います。教師にしても、成果を競わされては、人と人として生徒に向き合うことができるか疑問です。それぞれが個々の能力を高め自分の生き方を確立するのに、国家や行政が決めた競争目標で囲うのは、真に子どもを思う教育ではないと感じます。

 教育目標が、私たち子どもをもつ親に納得できる具体性をもつものになるよう、再考願います。

 

 
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大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対するコメント(1)~転載~

2013-01-05 00:00:19 | 教育振興基本計画

 ※本日、大阪市教育振興基本計画(素案)に対するパブリックコメントは締め切られました。

私たちが、いつもお世話になっている住友剛(京都精華大学人文学部教員)さんもコメントを送られたとのことです。

ブログ「できることを、できる人が、できるかたちで」から転載させていただきます。シリーズ3編の第1弾です。 

http://tsuyokun.blog.ocn.ne.jp/seisyonenkaikan/2013/01/post_50a5.html

 

 

2013/01/04

大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対するコメント(1)

新しい年を迎えました。今年もよろしくお願いします。
さて、今日1月4日(金)締切りの形で、大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対するパブリックコメント募集が行われました。詳しくはこちらを見てください。

http://www.city.osaka.lg.jp/templates/jorei_boshu/kyoiku/0000194120

この改訂素案に対して「何も言わないままじゃいけないだろう」と思ったので、ひとまず第2章についてのみ、思いついたことを今日、書きなぐるような形で書いて、メールで送りました。以下の内容は、その書いた内容をフェイスブックにアップしたものを、こちらにも転載したものです。「その1」から「その2」「その3」まで分けて書いたので、3つにわけて今日から掲載します。今日は「その1」です。なお、実際に送ってしまったあとで誤字脱字などに気づき、文言を訂正したところがあります。実際に送ったコメントとは若干言葉がちがいますが、趣旨はほぼ同じだと思ってください。

○第2章「教育改革の推進」について
(1)子どもの権利条約の視点はどこへ???
「基本となる考え方」に「一人一人の子どもを、個人としての尊厳を重んじ、その意見を尊重する」「自由と規範意識、権利と義務を重んじ」と書く以上は、その前提として、大阪市内の子どもたちすべてに対して、「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」の理念や条約の概要を周知させるべきです。
また、その条約の理念や概要は、子どもだけでなく、保護者や学校の教職員及び学校に関わる他の職種の人たち(スクールカウンセラー・スクールソーシャルワーカー)、さらには教育行政や社会教育・生涯学習関連の仕事に従事する人々にも、周知させるべきです。 ところが、この教育振興基本計画(改訂素案)については、そのような視点が全くといっていいほど見られません。
これでは、「子どもの権利条約」というグローバルな視点に立つ国際条約をふまえた大阪市の教育振興基本計画として、不適切な内容だと言えるでしょう。その点をとっても、この改訂素案をつくった人々の見識を疑います。

(2)「教育振興基本計画」は「子どもの学校教育」だけのものか??
そもそも、今回の基本計画改定の前提になっている「教育行政基本条例」では、家庭教育の振興や社会教育・生涯教育の振興に関する市教委の施策等についても定めています。だとすれば、当然ながらこの「教育振興基本計画(改訂素案)」においても、その「めざすべき目標像」や「基本となる考え方」には、学校教育及び子どもに関することだけでなく、社会教育・生涯学習の領域をふまえた理念を書く必要があるのではないでしょうか。
今の改訂素案の「目指すべき目標像」や「基本となる考え方」では、まるで「教育振興基本計画」は「子どもの学校教育のため」だけのものであり、この素案での社会教育・生涯学習関連施策は「おまけ」のような印象を受けますが、いかがでしょうか。
また、家庭教育の振興も、今の改訂素案では、たとえば学校・家庭・地域の連携など、まるで「学校教育の下請けのため」にやっていくかのような印象を受けます。もちろん、これは教育行政基本条例の趣旨を受けてのことかと思いますが、しかし、そもそも家庭教育の振興というのは、そういう「学校教育の下請け」目的で取り組むものなのでしょうか?? もしも「いい」とおっしゃるのであれば、この改訂素案を作った人々の見識を疑います。
なお、このことに関連して言うならば、そもそもこの基本計画改定の前提になっている諸条件のうち、大阪市の「市政改革プラン」で数多くの公共施設の統廃合、子育て関連施策の縮小などが提案されています。そのことによって、大阪市の社会教育・生涯学習や家庭教育振興関連の施策が大幅に後退するのではないかと私は危惧します。だとすれば、この改訂素案は、教育行政基本条例の趣旨に沿って、その後退に歯止めをかけるものでなければいけないはずです。そこを容認して振興計画を作るというのは、いったい、どういう見識なのか。この改訂素案を作った人々には「もう一度、条例から読み直せ」と言いたいです。こういう「市政改革プラン」を容認するような振興計画では、とてもではないですが、「学校教育の下請け」的な家庭・地域との連携ですら危ういのではないですか。

 

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