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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

市民的不服従の権利~学習会補足~

2013-01-15 21:44:08 | Tネット通信(ブログ版)
※昨夜のTネット学習会「市民的不服従の権利--君が代不起立の法的理論--」の多くの方々にご参加いただきありがとうございました。
 
高作正博さんから、 そもそも、「人権」とは何か。そして、権利としてある「市民的不服従」について、
ドゥウオーキンの議論を中心に具体に起こっている様々な事案も交えてお話しいただきました。
 
法は裁判によって変わっていく。
裁判が起こらなければ法は(変わることなく)深刻な状況に陥ってしまう。
おかしいと思えば異議申立をする、良心に従えない命令は拒否する、そして裁判を起こす。
それは、いわば、日本の法に貢献していることになる。
 
(なるほど、まさに、市民的不服従が社会を変える、いや新しい世界を創っていくことにつながると励まされる思いでした。)
 
良心を尊重し合える社会のために
不起立、それをエゴイズムととらえるのではなく、人権の論理として考える。
それぞれ違う互いの良心を尊重する日本社会に
違う良心をもっている社会が寛容である。
 
(なるほど、良心は一つではない。それぞれ異なっているからこそ尊重しあうことが大事。学校で共有したいと思います。)
 
さて、本日フェイスブックで、学習会についての応答がありましたので、ご紹介します。
 
☆FB高作正博さん投稿☆
昨日の学習会にご参加下さいました皆さん、また、主催者の皆さん、本当にありがとうございました。
私自身もいろいろと考えることの多い機会を与えていただきました。
改めて、問題の深刻さと広がりを考えることができました。

そこで、1つ補足です。

「ルールだから従うのが当然だ」「これは人権の問題ではない」
不起立・不斉唱を処分する側のもちだす言い分です。

それでは、次のようなルールを作り、違反したら処分する、というのはどうでしょうか?
...
【ルール】
給食を食べる時は、全ての皿から少しずつ、しかも時計回りに食べなければならない。
【教師の義務】
生徒にそれを指導する義務。
生徒が食べているところの「口元チェック」をする義務
いずれかの義務に違反したら処分

もし、権力者が、この仮定上のルールはバカバカしいもので、しかし、日の丸・君が代は必要なルールだ、と考えるとすれば、日の丸・君が代のルールが重要だと考えていることとなる。
この場合、それを強制する側こそが、特定の価値に依拠していることとなるはずだ。

そこで、次の点が指摘されうる。
日の丸・君が代は思想・良心・価値に関わるため、異なる思想等を押しつけるのは違憲だ、という結論。
そもそも、一律に強制すること自体が違憲、という結論となる。
決して、処分が重すぎることが問題なのではない、ということだ。
 
☆FB:Yさんコメント☆
昨日は有難うございました。
わかりやすい補足も有難うございます。
ルールだから従うんだ、ルールの中身は関係ないんだ、という「価値中立」はまやかしだ、ということですよね。
 
☆FB高作正博さんコメント☆
Yさん、昨日はありがとうございました。
また、コメントをいただき、ありがとうございます。
ご指摘の通り! です。
私の申し上げたかったポイントを汲み取っていただき、感謝申し上げます。
 
☆FB:Tさんコメント☆
昨日のお話をお聞きして感じました。「日の丸・君が代強制」が「歴史」にこだわるまでもなくいけないことだと。
「市民的不服従の権利」というものが!これは現代の若者に対してとても有効な訴え方だと感じました。
 
☆FB:高作正博さんコメント☆
Tさん、コメントありがとうございます。
また、昨日の会へのご出席、誠にありがとうございます!
ご指摘の通り、「日の丸」「君が代」の問題は、必ずしも歴史固有の問題ではないと思います。
何を動機として「不服従」すべきなのかは、本人の内心にのみ由来することです。
アメリカの判例のように、「国旗」敬礼義務に対し、宗教を理由に拒否することも認められます。
また、表現の自由を理由に「国旗」を焼却することも犯罪とはならないとされました。
内心の問題故に、他者から理解されないとダメ、という発想ではないという点が重要かと思います。