校長の「職命命令」はなかった
戒告処分を取り消した大阪高裁の判決を経て、改めて最初に戻って考える
2019.5.25
井前弘幸(「君が代」不起立戒告処分取り消し共同訴訟 原告)
2015年の提訴から、7名共同で4年間にわたって闘ってきた「君が代」不起立戒告処分取り消し共同訴訟の控訴審判決が、5月23日に言い渡されました。傍聴支援、集会参加、カンパ等物心両面での多くの皆さまからの支援に、改めて感謝いたします。
すでに、直後の第1報、翌日朝の速報、弁護団主任の三輪弁護士のブログへの投稿などでご承知のことと思います。
大阪高裁(第12民事部、石井寛明裁判長)は、校長による「職務命令」がなかったことを事実に基づいて認定し、私(井前)に対する戒告処分を取り消す判決を行いました。これは、1審(内藤裕之裁判長)による事実さえねじ曲げた結論ありきのずさんな判決からは大きな前進です。しかし、共に闘った仲間6名の処分取り消し請求をすべて棄却し、賠償責任については7名全員の請求を棄却しました。そして何より、私たちは、1・2審を通して多くの時間を割いて大阪府「国旗国歌条例」「職員基本条例」そのものの違憲・違法性、同条例の下での教育への不当な政治介入としての教育長通達とそれを根拠とした職務命令の違憲・違法性について証拠と論理を積み上げてきました。しかし、判決はこれらの争点をまともに判断することを避け、これまでの「最高裁判例」の中に押し込めてただ逃げたと私たちは考えています。
府教委は私に対する戒告処分取り消し部分を不服として上告してくるのではないかと思います。しかし、控訴審判決は上記の通りであり、7名全員が原審維持のすべてを不服として、最高裁への上告を決めました。
引き続きのご支援とご協力をお願いいたします。
なぜ、2014年に当該校長は「職務命令」の発出を拒否したか
「大阪維新の会」(当時 橋下徹府知事)は、」2011年6月、「国旗国歌条例」「職員基本条例」を強行し、違反した教職員は処分し3回で免職に追い込むと宣言しました。府教委は、2012年1月の校長・准校長およびに各教職員に宛てた「起立・斉唱」を徹底させる通達は、「大阪維新」の政治圧力によるものに他なりません。そして、同年3月、当時、府立和泉高校(岸和田市)校長で橋下知事の同級生という中原徹氏が卒業式で、教員が歌っているかどうか口の動きを教頭にチェックさせます。橋下知事は、その行為を絶賛し、直後の4月には中原校長を教育長に就任させます。
中原教育長は、「公務に対する府民の信頼を維持する」と題する通知(2012年9月4日付)を出します。そこには、入学式や卒業式での君が代斉唱の際の校長・准校長の職務として、「教職員の起立と斉唱をそれぞれ現認する。目視で教頭や事務長が行う」と明記し、「君が代」を歌っているかどうかの『口元チェック』を命じ、結果を文書で報告するよう全府立学校の校長・准校長に求めました。
すぐに、通知に対する広範な批判の声があがります。私たちも街頭行動や署名の取り組みを開始し、保護者・市民、教職員組合などが行動に立ち上がりました。マスコミからの避難の声が上がります。さらに、中原教育長が教育長の権限を使って「日本軍慰安婦」問題を記述した実教出版の「日本史A」教科書を採択した高校に政治的な圧力をかける行為を行ったことも明らかになります。このことは、府議会でも大きな問題となり、陰山教育委員長も中原教育長を強く批判しました。府民による批判や教育庁罷免要求も高まりました。
このような中、4月4日に私は校長から呼び出されます。4月3日の府立学校校長会で、中原教育長が「2013年度卒業式での不起立が6校6名という少数になったことから,今後は各校校長のガバナンスにおいて実施するように指示した。」校長は、「現認も校長の裁量に任されると受け取った」と説明しました。いわゆる「口元チェック」指示の通知も撤回されました。府民からの批判を受けた教育長がこれまでの強硬な態度を後退させざるを得ない状況に立ち至ったことは間違いありません。校長の認識を支持しました。さらに、校長は来る7日の職員会議では,教育長通達と式場の「内」「外」を明示した役割分担書を配布しないこと、「式場内の職員は起立し斉唱すること。これは職務命令であり,これ違反した場合は,職務上の責任を問われます。」などという命令を今回は行わないつもりであると語りました。そして、校長はその通りに実行します。
「国旗・国歌条例」の真の目的は,「日の丸・君が代」に対して教職員が敬意を表明している姿を生徒に見せることにより、「我が国と郷土を愛する意識」を高揚させることだとしています。教職員が国家・行政による同調圧力になびいたり屈服する姿勢を示すことは,それ自体が,間接的に子どもたちにも同調を迫る行為です。ましてや中原教育長のような政治的で権力を笠に着た強引な強制によって、教育現場を踏みにじっていくやり方に対して、怒りを感じない教職員がいるでしょうか。校長もその思いを共有していたと思います。こんなひどい状況を看過して抵抗そのものがなくなるなら、まだ間接的であった子どもたちへの圧力が、直接的で暴力的な強制へとつながって行くことは明らかだと思えたのです。もちろん校長は、そこまで語りません。しかし、これ以上の政治の暴力には我慢ならないという思いは私たちと共通していたと思っています。
政権のための政治教育、イデオロギー教育に抗して
同じ頃、2014年4月の衆議院文部科学委員会で,自民党の義家弘介議員が、東京都立松が谷高校の「政治・経済」の学期末試験で,安倍首相の靖国参拝を報じた毎日新聞の記事を使って意見や説明などを求める出題をしたことを「イデオロギー教育だ」と批判し,下村文科相(当時)が「こういう教育が現在,行われていること自体、ゆゆしき問題だと思う。適切に対応しないといけないと思う。」と答弁しました。都教委や校長に、そして当該の教員に重大な圧力が加えられました。
同年秋,中原教育長によるパワハラが、一人の教育委員の勇気ある告発によって明らかにされました。第三者委員会(大阪弁護士会)もその事実を認定しました。陰山教育委員長(当時)も府教委事務局員に対する「戦慄すべき」パワハラ、橋下徹大阪市長の率いる「大阪維新の会」の政治目的を達するための職権濫用を批判し,大阪府知事及び府議会による罷免決定を呼びかけるに至りました。結果,大阪維新の会を除くすべての会派による教育長罷免要求決議案が府議会に提出され,中原氏は辞任に追い込まれました。ここに至るまでの数年間に,いったいどれほどの理不尽が強いられてきたでしょうか。それでも、当時の橋下徹大阪市長も松井大阪府知事も、中原徹氏を擁護し続け、パワハラされた職員の方を攻撃していたのです。
また,2016年の参院選後,自民党は党のホームページ(HP)に特設サイトを設け,「政治的に中立ではない」と思う教員の指導や授業があれば,学校・教員名,授業内容などを党に送信するよう呼びかけました。一方では,いわゆる「森友問題」の中で浮上した幼稚園や学校で「教育勅語」を教え込む教育の容認を閣議決定し,「教育勅語」の無効と排除を決定した国会決議を事実上反故にする決定を行いました。
私たちは、黙るわけにはいかないのです。
戒告処分を取り消した大阪高裁の判決を経て、改めて最初に戻って考える
2019.5.25
井前弘幸(「君が代」不起立戒告処分取り消し共同訴訟 原告)
2015年の提訴から、7名共同で4年間にわたって闘ってきた「君が代」不起立戒告処分取り消し共同訴訟の控訴審判決が、5月23日に言い渡されました。傍聴支援、集会参加、カンパ等物心両面での多くの皆さまからの支援に、改めて感謝いたします。
すでに、直後の第1報、翌日朝の速報、弁護団主任の三輪弁護士のブログへの投稿などでご承知のことと思います。
大阪高裁(第12民事部、石井寛明裁判長)は、校長による「職務命令」がなかったことを事実に基づいて認定し、私(井前)に対する戒告処分を取り消す判決を行いました。これは、1審(内藤裕之裁判長)による事実さえねじ曲げた結論ありきのずさんな判決からは大きな前進です。しかし、共に闘った仲間6名の処分取り消し請求をすべて棄却し、賠償責任については7名全員の請求を棄却しました。そして何より、私たちは、1・2審を通して多くの時間を割いて大阪府「国旗国歌条例」「職員基本条例」そのものの違憲・違法性、同条例の下での教育への不当な政治介入としての教育長通達とそれを根拠とした職務命令の違憲・違法性について証拠と論理を積み上げてきました。しかし、判決はこれらの争点をまともに判断することを避け、これまでの「最高裁判例」の中に押し込めてただ逃げたと私たちは考えています。
府教委は私に対する戒告処分取り消し部分を不服として上告してくるのではないかと思います。しかし、控訴審判決は上記の通りであり、7名全員が原審維持のすべてを不服として、最高裁への上告を決めました。
引き続きのご支援とご協力をお願いいたします。
なぜ、2014年に当該校長は「職務命令」の発出を拒否したか
「大阪維新の会」(当時 橋下徹府知事)は、」2011年6月、「国旗国歌条例」「職員基本条例」を強行し、違反した教職員は処分し3回で免職に追い込むと宣言しました。府教委は、2012年1月の校長・准校長およびに各教職員に宛てた「起立・斉唱」を徹底させる通達は、「大阪維新」の政治圧力によるものに他なりません。そして、同年3月、当時、府立和泉高校(岸和田市)校長で橋下知事の同級生という中原徹氏が卒業式で、教員が歌っているかどうか口の動きを教頭にチェックさせます。橋下知事は、その行為を絶賛し、直後の4月には中原校長を教育長に就任させます。
中原教育長は、「公務に対する府民の信頼を維持する」と題する通知(2012年9月4日付)を出します。そこには、入学式や卒業式での君が代斉唱の際の校長・准校長の職務として、「教職員の起立と斉唱をそれぞれ現認する。目視で教頭や事務長が行う」と明記し、「君が代」を歌っているかどうかの『口元チェック』を命じ、結果を文書で報告するよう全府立学校の校長・准校長に求めました。
すぐに、通知に対する広範な批判の声があがります。私たちも街頭行動や署名の取り組みを開始し、保護者・市民、教職員組合などが行動に立ち上がりました。マスコミからの避難の声が上がります。さらに、中原教育長が教育長の権限を使って「日本軍慰安婦」問題を記述した実教出版の「日本史A」教科書を採択した高校に政治的な圧力をかける行為を行ったことも明らかになります。このことは、府議会でも大きな問題となり、陰山教育委員長も中原教育長を強く批判しました。府民による批判や教育庁罷免要求も高まりました。
このような中、4月4日に私は校長から呼び出されます。4月3日の府立学校校長会で、中原教育長が「2013年度卒業式での不起立が6校6名という少数になったことから,今後は各校校長のガバナンスにおいて実施するように指示した。」校長は、「現認も校長の裁量に任されると受け取った」と説明しました。いわゆる「口元チェック」指示の通知も撤回されました。府民からの批判を受けた教育長がこれまでの強硬な態度を後退させざるを得ない状況に立ち至ったことは間違いありません。校長の認識を支持しました。さらに、校長は来る7日の職員会議では,教育長通達と式場の「内」「外」を明示した役割分担書を配布しないこと、「式場内の職員は起立し斉唱すること。これは職務命令であり,これ違反した場合は,職務上の責任を問われます。」などという命令を今回は行わないつもりであると語りました。そして、校長はその通りに実行します。
「国旗・国歌条例」の真の目的は,「日の丸・君が代」に対して教職員が敬意を表明している姿を生徒に見せることにより、「我が国と郷土を愛する意識」を高揚させることだとしています。教職員が国家・行政による同調圧力になびいたり屈服する姿勢を示すことは,それ自体が,間接的に子どもたちにも同調を迫る行為です。ましてや中原教育長のような政治的で権力を笠に着た強引な強制によって、教育現場を踏みにじっていくやり方に対して、怒りを感じない教職員がいるでしょうか。校長もその思いを共有していたと思います。こんなひどい状況を看過して抵抗そのものがなくなるなら、まだ間接的であった子どもたちへの圧力が、直接的で暴力的な強制へとつながって行くことは明らかだと思えたのです。もちろん校長は、そこまで語りません。しかし、これ以上の政治の暴力には我慢ならないという思いは私たちと共通していたと思っています。
政権のための政治教育、イデオロギー教育に抗して
同じ頃、2014年4月の衆議院文部科学委員会で,自民党の義家弘介議員が、東京都立松が谷高校の「政治・経済」の学期末試験で,安倍首相の靖国参拝を報じた毎日新聞の記事を使って意見や説明などを求める出題をしたことを「イデオロギー教育だ」と批判し,下村文科相(当時)が「こういう教育が現在,行われていること自体、ゆゆしき問題だと思う。適切に対応しないといけないと思う。」と答弁しました。都教委や校長に、そして当該の教員に重大な圧力が加えられました。
同年秋,中原教育長によるパワハラが、一人の教育委員の勇気ある告発によって明らかにされました。第三者委員会(大阪弁護士会)もその事実を認定しました。陰山教育委員長(当時)も府教委事務局員に対する「戦慄すべき」パワハラ、橋下徹大阪市長の率いる「大阪維新の会」の政治目的を達するための職権濫用を批判し,大阪府知事及び府議会による罷免決定を呼びかけるに至りました。結果,大阪維新の会を除くすべての会派による教育長罷免要求決議案が府議会に提出され,中原氏は辞任に追い込まれました。ここに至るまでの数年間に,いったいどれほどの理不尽が強いられてきたでしょうか。それでも、当時の橋下徹大阪市長も松井大阪府知事も、中原徹氏を擁護し続け、パワハラされた職員の方を攻撃していたのです。
また,2016年の参院選後,自民党は党のホームページ(HP)に特設サイトを設け,「政治的に中立ではない」と思う教員の指導や授業があれば,学校・教員名,授業内容などを党に送信するよう呼びかけました。一方では,いわゆる「森友問題」の中で浮上した幼稚園や学校で「教育勅語」を教え込む教育の容認を閣議決定し,「教育勅語」の無効と排除を決定した国会決議を事実上反故にする決定を行いました。
私たちは、黙るわけにはいかないのです。