私は、2012年4月枚方なぎさ高校第9回入学式において「君が代」斉唱時不起立であったことにより戒告処分を受けました。そして、翌年2013年3月同校第7回卒業式では、減給処分を受けました。
条例ができ、職務命令が出、「君が代」斉唱に疑義を持つ教職員は、卒業式から排除されるようになりました。しかし、私はそんなことで卒業式をあきらめたくはありませんでした。以下は、その折に校長に出した顛末書です。お読みいただければ幸いです。
顛 末 書
2013年3月7日
志 水 (辻 谷)博 子
瞬く間に、定年までの最後の1年が過ぎ去りました。
およそ1年前、私にとって最後となる新入生を迎え枚方なぎさ高校第9回入学式に参列しました。国歌斉唱時、私は立ちませんでした。そしてそのことにより戒告処分を受けました。また、再任用を希望していたにもかかわらず、「否」とされました。国歌とりわけ“君が代”の恐ろしさを目の当たりに見た思いがしています。つくづく恐ろしい時代がやって来たと痛感しました。なぜ、立てなかったのか、そのことについては昨年提出しました顛末書ならびに顛末書追加資料に記載した通りです。弁明が認められず、結果、私は昨年4月25日戒告処分を受けました。しかし、決して後悔はしていません。私は、たとえ処分を受けることになっても入学式に参列することができてよかったと思っています。入学式の折、私は私なりに新入生が一堂に会したありさまと向かい合い、残されたあと1年の教員生活をスタートする心の拠り所とすることができました。学校と言う場において、4月とはそういう意味合いを持っているのです。
さて、2013年2月25日、校長は職員会議において昨年通り役割分担表を示し、式場内勤務の教員に、国歌斉唱時に起立し斉唱するように職務命令を発出しました。
私は、「これは異常なことだ。様々な考えを持つ教職員全員に、国歌斉唱時に『立て、歌え』という職務命令を出すなど極めて異常な事態である。次に来るのが、生徒への起立斉唱の強制であることは目に見えている。全教職員が内心はどうあれ起立斉唱すれば、後は、教員の「指導」によって生徒は難なく立ち、歌うだろう。学校でナショナリズムが身体を通して植え込まれていくとき、少数者の存在を許さない極めて危険な時代を生み出すことになる。再び学校が子どもたちを戦争に駆り立てていく時代が目に見えて近づいてきているのではないか」と意見を述べました。
本当に、こんな時代が来るなんて正直今でも信じられない気がしています。
話を戻します。3月1日の枚方なぎさ高校卒業式、(余談ですが、いつから『卒業式』が『卒業証書授与式』になったのでしょう。「卒業式」の果たす役割は、私が府立高校教員として在籍したこの38年間で実に大きく変遷していますが、時間がないゆえ、ここではそのことに触れません)第7期生卒業式において、私は国歌斉唱時に起立をしませんでした。事の顛末をできるだけご理解いただけるようお話したいと思います。
そもそも、私は、枚方なぎさ高校第7期生入学時担任を希望していました。では、なぜ希望通り担任ができなかったか、少し長くなりますが、前任校四條畷で起こったことから、枚方なぎさ高校で起こったことをかいつまんでお話ししたいと思います。
2003年、四條畷高校で100周年記念行事が執り行われました。式次第には「国歌斉唱」が入れられることになりました。当時、私は四條畷高校第57期2年生の担任をしておりました。また、東京都では教員に対し君が代起立斉唱を職務命令でやらせよと言う、いわゆる「10.23通達」が問題となり、学校における国歌国旗の強制は社会問題ともなっていました。人権教育係として私に何ができるだろうと考え、かかわる2年生に対し、憲法で保障されているところの「立つ・立たない、歌う・歌わない」の選択の自由を記載したプリントを配布しました。生徒たちは自らの選択で起立・不起立を選んだようでした。ところが、私はこのことによって、T校長(当時の四條畷高校長)から、呼び出され、強い叱責を受けることとなりました。校長は厳しい口調でえ「これは自分に対する人権侵害である。こんなことをしてもらったのでは、本校で勤めてもらうことはできない」と私を責めました。私も私の思いを述べましたが、残念ながら理解していただけませんでした。校長の言葉に恐怖感を持ち、私はその後大阪教育合同労働組合に加入しました。
2005年春、担任する四條畷高校第57期卒業式を前にしたある日、私は担任するひとりの生徒から相談を受けました。「自分は卒業式予行の折、校長に、国歌斉唱時座ってもよいか質問をしたいと思っている。先生、サポートをしてほしい」と。内容のいかんにかかわらず、意見表明の重要性は国語の授業や人権学習を通して私自身が述べてきたことです。私はふたつ返事で引き受けました。そして、予行当日、彼女の質問になかなか答えない校長に対し、「どうか、彼女の質問に答えてあげてください」と発言しました。他回答を求めた卒業生もおり校長は、すわる自由があると答えました。本番の卒業式において、式は滞りなく進みました。国歌斉唱時には、たしか、担任席では半数の教員が、そして卒業生席では、数ははっきりわかりませんが、かなりの生徒(1~2割ぐらいの生徒でしたでしょうか)が、いわゆる「不起立」(国歌斉唱時に立たないこと)でした。
ところが、年度末思いもよらないことが起こりました。「評価・育成システム」の開示面談において、戸谷校長から、「あなたの能力評価はCとした。理由は、卒業式における君が代のことだ」と告げられました。納得がいかず、評価について苦情申出を行いましたが、結果は、校長評価は妥当である、とのものでした。「不起立」の教員は他にもおりましたが、C評価は四條畷高校で唯一私だけでした。卒業式国歌斉唱について質問した生徒に答えてあげてほしいと発言しただけで極めて低い評価がつけられ、苦情審査においてもその不当性を認めてもらえない。それが“君が代”のなせる業なのでしょうか。私はこのとき職業倫理すら失った教育行政のあり方に、改めて“君が代”の恐ろしさを感じました。
多くの方々からお知恵を拝借し、私は大阪弁護士会に人権救済の申立を行いました。同僚や保護者からも支援をいただきました。なにより嬉しかったのは、C評価は不当なことと声をあげる教え子たちがいたことです。正直、教育行政のあり方に幻滅を感じていたときだけに、応援してくれる教え子たちの存在に私は何よりも励まされました。
2008年秋、大阪弁護士会が大阪府教育委員会と四條畷高校校長に対して、「C評価は、申立人の思想・良心の自由を侵害するものであるから撤回せよ」と勧告を行いました。私は学校内外で、この弁護士会勧告を知らしめました。そして、勧告の実施を大阪府教育委員会と校長に迫りました。ところが、撤回はせず、大阪府教委委員会は当時2年生担任であり、次年度は引き続き3年担任への持ち上がりを希望していたにもかかわらず、突如、私を枚方なぎさ高校に異動の辞令を出しました。勧告を事実上葬り去り、そして3年担任として私が四條畷高校62期卒業式に参列することを阻止するための人事異動だとしか思えませんでした。納得はできませんでした。このような形で人事異動が行われること自体が許せませんでした。人事委員会に不服申立をしたものの俎上にさえあげられませんでした。
2009年4月、私は枚方なぎさ高校に赴任しました。2年目には通例にしたがって担任を希望しました。国語科でも、第7期生の担任として入試業務なども担当することになりました。ところが、任命制人事のもと、当時のO校長は私を人権教育委員長に任命し、またしても、私は担任から外されました。話は戻りますが、赴任したその日にO校長は前任校の四條畷高校楠野校長から私のことは聞いている旨の話がありましたので、担任から外されたとき、すぐわかりました。入学式・卒業式で国歌斉唱時に不起立であることが予想される私を排除したかったのです。“君が代”とは一体何なのでしょうか。卒業式や入学式で国歌斉唱時に「不起立」であることはそんなにいけないことなのでしょうか。
2010年4月、私は人権教育の係として、新入生に人権とは何かについて話をしました。7期生とは、そういった人権学習を通して関わり続けて来ました。また教科担当としては、1年次は7クラス中6クラス「現代文」や「古典」を通してかかわって来ました。2年次は、副担もはずれましたので「基礎国語」2講座だけになり、3年次では、わずか「現代文探求」1講座だけになってしまいました。それでも、定年を前にして3年間かかわって来た枚方なぎさ高校第7期生は私にとって忘れがたい生徒たちです。
昨年4月、入学式国歌斉唱時不起立で戒告処分を受けましたが、到底納得できるものではありませんでした。たとえ条例ができ職務命令が発出されたとは言え、それに従うことは絶対的なことなのでしょうか。その条例や職務命令が違憲・違法の可能性をもったものであったとしても従わなければならないのでしょうか。自らの良心に照らし合わせて
(この場合の「良心」とは道徳的かつ一般的常識的なものではありません。人一人ひとりが生きていくときにこれだけはどうしても譲ることのできないといういわば「背骨」のようなものです)従うことができない場合でも、自分の良心を捨てて、つまり自分の精神を自ら殺してでも従わなければならないものなのでしょうか。
人権教育において、差別を許さない取り組みの中から生まれた「近畿統一応募用紙」の精神を活かす取り組みは、広く大阪の人権教育のなかで行われて来ました。違反質問があったとき、何と答えればいいか多くの高校生は悩みます。質問に答える方が有利ではないだろうかと。それに対して、「自分は被差別出身ではないからと答えることは、差別を許すことにつながっていく。できれば学校から答えなくてよい、と指導されています」答えては、等の指導をします。おかしなことに対して声をあげていくことは難しいけれど、差別や偏見を許せばそれに加担することにひいてはつながっていくことを様々な事例や教材を通して私は話し続けて来ました。それだけを考えても、学校に国歌国旗が強制されることの危険性を母の話や自分自身の高校生時代の体験を通して人一倍認識している私は、国歌斉唱時に内心と切り離して立ち歌うことなど到底できることではありません。それをすれば、私は、私自身の精神を自ら殺すことになります。
では、参列しなければよいのでしょうか。それも私にはとても奇妙なことに思えるのです。予め、国歌斉唱時には起立するとの確認できた教員しか参列できないとすれば、一体卒業式とは何なのでしょうか。つい数年前までは、「お手すきの先生方はできるだけ卒業式に参列し卒業を祝ってやってください」と言われていたのに、今では、厳しい思想検閲を受け、それを突破したものだけが卒業式に参列できるなど、どう考えてもおかしな事態です。
昨年処分を受け、ただいま、人事委員会に不服申立を行っていますが、私はできれば君が代強制の問題をはじめ様々な課題を、生徒と直接日々かかわっているから現場の教職員と話し合いたいと思って来ました。しかし、教員管理が年々徹底していく中では、自由な論議は望めません。まして“君が代”問題で処分を受けたとなると、どうしても「見ざる聞かざる言わざる」という形で他の同僚たちが身を守ろうとするのは仕方がないことだと思います。強制異動や人事査定でどのような報復措置を受けるかわからないような現場の有様です。私はこのことに対しても強い怒りを禁じ得ません。
私は、3年間、いろんな形でかかわってきた第7期生の卒業式に参列したいと考えました。本来なら、校長を説得する必要があったかもしれません。誰かに役割分担を変更してもらう道もあったかもしれません。しかし、役割分担と起立斉唱の職務命令が出ている以上は、私は、できるだけ他の現場の教員に被害が及ばない形で参列したいと考えました。
そして自らの意思で卒業式に参列しました。3年生答辞のなかに「枚方なぎさ高校で過ごした3年間、無駄なことなど一つもなかった」とありました。そう第7期生一人ひとりにいろんな出来事があったと考えます。彼彼女らは、それを糧に生きていくでしょう。この言葉を聞くことができただけでも、たとえ、処分されるようなことになろうとも、私は卒業式に参列できて本当に良かったと思います。
縷々述べて来ましたが、申し述べたいことはまだまだあります。
なぜ、大阪がこのような事態に陥ったのか、“君が代”をそこまでして徹底させようとする狙いは何なのか、今後も考え続けていきたいと思います。
なお、取り急ぎしたためました文章ですので、誤字脱字等ありましてもご容赦をお願いします。