グループZAZA

「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

危険水域に入った大阪の教育②~教科書があぶない~

2013-05-31 22:36:07 | 中原教育長下の大阪の教育

きっと多くの方は、高校時代の教科書のことなど覚えておられないかもしれません。しかし、どんな教科書を使うかは教育内容の根幹にかかわる大きな問題です。現在は、各高校や支援学校の教員が、専門知識をもとに選択しています。した。ところが大阪府教育委員会は、現場の教員の意見を無視して教科書を選定できる制度に改悪しようとしています。これは極めて危険なことです。トップダウンで教科書が選定されるなら、政治的介入を招く危険があります。教育は政治に左右されてはなりません。

下記に教科書問題に取り組んでいる伊賀さんからのメールを転載します。

子どもたちに渡すな!あぶない教科書大阪の会の伊賀です。

大阪府教委は、4月の教育委員会議で、大阪府立高校・支援学校の教科書採択制度を改悪し、現場教員の調査研究を無視し、校長が独断で教科書を選定できる制度に改悪しようとしていることが明らかになりました。
詳しい経過は、以下のブログにあります。

http://blog.goo.ne.jp/osakaedu/e/84fa952fd1eff493b8b8b71b5a11bb6d

子どもたちに渡すな!あぶない教科書 大阪の会で、大阪府教委に対して「要望書」を提出しました。様々なところで、府教委に要望や抗議の要請をお願いします。

*************************************

2014年度使用府立学校教科書採択に関する要望書

2013年5月29日
大阪府教育委員会教育長様、教育委員長様

子どもたちに渡すな!あぶない教科書 大阪の会

 貴教育委員会におかれましては、日頃の教育行政に尽力されていることに、敬意を表しています。
 さて、先般5月17日の教育委員会議において「平成26年度使用府立学校教科省図書採択要領」(以下、「採択要領」)及び、「教科省図書選定の手引き」が提案されました。昨年度までの高教科書採択においては、各学校の校長のもとに「教科用図書選定調査委員会」が組織され、各教科ごとに調査研究され、校長に提出された「調査研究の報告」に基づて選定教科書が報告される制度となっていました。そこでは、各教科の教員が教育的専門的視点から「調査研究」をおこなうことが定められ、専科制を前提とする高校教育における教科書選定の手順が適正に定められていました。
 しかし、今回提案された「採択要領」には、「校長は、教科用図書の調査研究を十分に行い選定すること」とあるだけです。「調査研究」について教科用図書選定調査員会と各教科で調査研究することが全く規定されていません。この規定では、校長が「調査研究」にあたり、「教科用図書選定調査委員会」を組織しなくても良いことになり、現場教員の意見を反映しないまま校長の独断、あるいは恣意的「選定」という疑いを持たれる事態が生じかねない制度となっています。そのような事態となった場合、高校段階の教科書は無償制の対象ではなく、保護者の負担で購入するものとなっていますので、選定及び採択の過程が不明瞭かつ不公正であるとして、保護者が購入を拒否、あるいは監査請求をすることも予想されます。そうした状況を避けるためにも、昨年度までの制度を継承すべきです。
 また、教育委員会議において「教科書選定に当たっての基本的留意事項」にある「人権教育の観点」の削除を求める意見が教育委員から出たとも聞いています。ご承知の通りこれまでの大阪の教育には人権尊重の精神が基盤としてあり、教科書選定において削除することなどあってはならないことです。
 以上の点を踏まえ、私たちは、憲法の理念や近隣諸国との友好関係を深める観点から、公正かつ民主的に教科書採択が行われるよう貴教育委員会に以下の点を要望します。さらに、それらについての貴教育委員会の見解を明らかにしていただきたいと思います。ご多忙とは思いますが、回答を6月12日(水)までにお願いします。

【要望事項】

1.「採択要領」に昨年度までと同様に「教科用図書選定調査委員会」と各教科での「調査研究」を明確に位置づけ、現場教員の調査研究を重視して教科書の選定をおこなうこと。


2.教科書の調査研究、選定に当たって、「教科書選定に当たっての基本的留意事項」に規定されている「人権尊重の観点」を重視するように明示すること。
以上

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危険水域に入った大阪の教育① ~歌わせたい教育委員会~

2013-05-31 22:22:19 | 中原教育長下の大阪の教育

昨年の卒業式で、教職員が「君が代」を歌っているかどうか、口元をチェックした和泉高校の中原校長を覚えていらっしゃるでしょうか?彼は橋下現大阪市長の友人であり、今では大阪府教育委員会教育長として橋下教育改革に一翼を担っています。いよいよ大阪の教育は政治による露骨なまでの管理と支配により、危険水域に入ったと言わざるを得ません。

                           

危険水域に入った大阪の教育

「不起立」の次は「不斉唱」

4月16日大阪府教育委員会は、入学式で司会を担当した府立高校の一教諭が「君が代」を歌っていなかったとして「厳重注意」を行ったと公表しました。中原徹新教育長は記者団に対し「職務命令を守る気がなかったと言われても社会通念上、仕方がない。府民をばかにした態度だ」と述べ、9月までに起立と斉唱を確認する客観基準の作成を目指す考えを示したとのことです。

「愛国心」教育

ここには明確かつ隠された意図があります。このニュースを見られた方は、多くの教員が「君が代」を歌い、この「歌っていなかった」教員は特別なのだと思われたのではないでしょうか。そうでなければ、この「歌っていなかった」教員だけが「厳重注意」を受けることはないわけですから。ところが、実際はほとんどの府立高校の教員は歌っていません。入学式や卒業式で「君が代」は歌唱入りのテープが流されるだけで、起立しているにせよ生徒も教員もほとんど歌っていないのです。つまり、大阪府教育委員会は、来春の卒業式に向けて布石を打ったということです。教員が一人残らず起立し斉唱するような形ができれば、たとえそれが虚像であったとしても、次は子どもたちへの強制が始まります。教員の「指導」や子ども間の集団同調傾向によって歌わざるを得なくなるのは明らかです。そうなれば、厳粛な儀式における「君が代」斉唱という全体性を通して個々の生徒の身体と精神には思考停止の「愛国心」が刷り込まれていきます。かつての歴史のように。

対話が失われた後には、

「日の丸」「君が代」問題が顕著になったのは1980代末からでした。昭和天皇が亡くなった1989年1月の始業式、正門には多くの職員の反対を押し切って半旗の日の丸が掲げられました。以来、年々強制は強まっていきましたが、それでも今から考えれば、あの頃の教育委員会にはまだしも対話の余地が残っていました。自由と権利の問題として論議された背景には大阪の人権教育があり、それが歯止めになっていたのです。ところが橋下知事(当時)は「君が代」起立斉唱をルールの問題にすり替え、条例と命令のもと、府立高校の教職員は「立つ」ことを強いられました。そしてそれは、「君が代」問題に限ったことではありませんでした。橋下維新体制は政治主導のトップダウンの教育改革を行うために「君が代」を利用したとも言えます。

教育は権利

教育は、国家のためにあるのではなく、一人ひとりが社会で生きるための権利としてあるはずです。ところが、国家のシンボルである国旗・国歌を学校で強制することを通して逆転が起ころうとしています。ちょうど今、憲法が国家ではなく国民を縛るものに変えられようとしていることと呼応するかのように。大阪の教育は危険水域に突入しました。「君が代」不起立は、それに対するシグナル。それほど今は危ない時代なのです。

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橋下市長は辞職を!5月30日午後2時大阪市議会に傍聴を!

2013-05-29 22:39:41 | 集会案内
橋下市長には、公人としての責任をとってもらう必要があります。5月13日の橋下市長の発言、そしてそれ以降の自己弁護に終始した言動は到底看過することはできません。

読売新聞ネット情報によると、大阪市会、自民・民主系・共産の3会派は橋下市長辞職を含めた決議案の協議に入ったとのことです。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130529-OYT1T00862.htm

市議会議員だけに任せておくことはできません。
明日5月30日午後2時からの大阪市議会本会議(最終日)を傍聴しましょう。
ぜひとも、多くの方々の参加をお願いします。
私たちの民意を示しましょう。

本会議は、だれでも直接傍聴することができます。
傍聴を希望する方は、先着順に受付で傍聴券を受け取り、これに住所と氏名を記入して入場することになっています。傍聴席定員(144席)を超える希望者がある場合には、市役所内でモニター放映を観ることができます。
<var id="yiv2060529899yui-ie-cursor"></var>[傍聴受付場所:市役所P1階傍聴受付]
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PTA総会で

2013-05-27 22:55:10 | 当該から

ZAZAの一員である梅原聡さんは、今春の入学式において「式場内に入ってはならない」という不当な職務命令を受けました。梅原さんは「年休を取り」、入学式当日、学校で何が起こっているのか、そして、ご自分の思いを、入学生や保護者にメッセージとして配布されました。その後、校長はPTA総会でこの件を報告するとのことでしたので、梅原さんも、ことの次第と自分の思いを伝えるメッセージをPTA総会で配布されました。以下は、そのメッセージです。どうかお読みください。

PTA総会で

PTA会員の皆さまへ

 本日の総会で、今春の卒業式・入学式で私が行ったビラの配布に関して、校長より説明がなされるということで、若干の補足と当事者としての見解を記させていただきます。

 私は昨年3月の卒業式で、国歌斉唱時に起立せず、いわゆる「君が代条例」に基づく職務命令に違反したということで、戒告処分を受けました。条例には「伝統と文化を尊重し国と郷土を愛する意識を高揚させるとともに、他国を尊重し国際的社会の平和と発展に寄与する態度を養う…」と記されています。しかし、ご存じのように「日の丸」「君が代」に対しては、歴史的な背景からいろいろな考え方があります。A高校でも朝鮮半島にルーツを持つ方をはじめ、いろいろな気持ちで国旗・国歌に向き合う人たちがおられます。国旗・国歌に対して起立斉唱するというのは絶対にせねばならないことでしょうか。また、国家的な行事でもない式に、国旗・国歌が必要なのでしょうか。「日の丸」「君が代」で国や郷土を愛する心や他国を尊重する心が育つとはとても思えないのです。率直に言うと、私自身は「日の丸」「君が代」に強いこだわりはありません。ただ、日本は「日の丸」「君が代」を拒む人たちの考え方も許す国だと思っています。憲法に保障された思想や良心の自由は、少数の声でもそれを尊重するということです。今こそ、憲法の意味を、手許に引き寄せて考えてみるべきときではないかと思っています。

 そして、今年の卒業式・入学式では、私は卒業生を送り出し・新入生を迎える立場であったにもかかわらず、式場へ入ることを認められませんでした。私が、このようなビラをまいたのは、君が代に対する起立斉唱の命令に反対するためではなく、そのような意見があることを覆い隠そうとする命令が出されたことに納得できないからです。ビラをまく行為に対する校長の指導も、私のような存在を見せないための工作と感じています。不起立で処分されることはある意味しかたがないとも思っています。(処分については人事委員会に不服申し立てをしていますが、その件を学校で追求するつもりはありません)しかし、教育とは、卒業式とは何かということを考えたときに、私を式場から排除せずに卒業生を送り出させてほしいと考えています。昨年の卒業式で私の行動を見た府会議員が式中に祝辞に代えてお詫び発言をし、不愉快なブログを書きました。それに対して多くの卒業生・保護者は私の行動も批判しながら、卒業式の意義を考えない府議の行動を強く非難しています。(「西田薫」「残念な卒業式」で検索するとはじめの部分に卒業生のコメントがみられます) こういうことこそ、教育の現場に求められているのではないかと考えます。学校に様々な考え方が存在し、交流することが、精神的な豊かさを生み出します。「日の丸」「君が代」に賛成できない者を排除してしまうような不寛容さは、その他のことにも波及し学校を息苦しいものにしてしまいます。A高校で一人一人を大切にする教育をぜひ実践していきたいと考えています。どうかご協力をよろしくお願いします。

 私の行為に対してはご批判の意見があることも十分承知しております。けっして、学校を混乱させるつもりはありません。生徒や保護者の皆さんの声に耳をすませて、日々の教育に生かしていきたいと思います。よろしければ、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。  梅原 聡

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5.11集会ZAZAからのアピール(その11)憲法9条と「君が代」不起立

2013-05-26 06:34:01 | 若い人へ

5.11集会ZAZAより11人目にアピールは、私、辻谷博子からです。私たちは人事委員会への不服申立を通して多くの方々と、教育をはじめとして社会で生起する様々なことを考えていきたいと思います。

憲法9条と「君が代」不起立

辻 谷 博 子

 

 「君が代」斉唱時不起立。わずか1分足らず座った、ただそれだけで戒告処分、減給処分、そのうえ「警告書」なるものにはわざわざ3回目の不起立で免職ですよと書かれていた。カウント2回で定年退職、再任用は拒否された。それどころか非常勤講師さえもできなかった。「君が代」不起立の教員は、なにがなんでも学校から追い出し教壇には立たせるまいとする強い意思を感じる。では、一体なぜ?だれが?なんのために?そこまでして学校で「君が代」を絶対的なもの、つまり全員が起立して歌う神聖にして侵さざるべきものにしようとするのだろうか?

 安倍政権のもと、改憲案が現実味を帯びてきた。96条改憲とは、まるで子供だましのような手口だ。ねらいが9条にあることは、戦後政治における自民党の党是であったのだから、だれが考えてわかることだ。自民党改憲草案がそのまま成立することはいくらなんでもないにせよ、9条が危ないのはひしひしと感じる!そうなって初めて見えて来た。「不起立」は、かつて軍国少女であった母から聞いた教育の恐ろしさに起因する、いわば過去からの投影であったが、それはそのまま未来に向けての投射、つまり戦争を二度としない、憲法9条を守る教育であったのだと。

私が憲法9条を習ったのは、たしか小学校6年生のとき。それを語る先生は誇らしげであった。日本は二度と戦争をしないと誓ったのよ、と。「戦争放棄」に象徴される日本国憲法、それは戦争で散々な目にあった日本人が情熱をもってその誕生を喜び、戦後の日本人が大切に育ててきたものではなかったか。

 昨年、某放送局から君が代強制条例について取材を申し込まれたとき、その担当ディレクターはこう言った、「本来ならば、『日の丸』『君が代』の問題は、戦後、日本人一人ひとりが考えて来なければならなかった筈なのに、どうして学校だけにそれが閉じ込められてしまったのか、それを考える番組を作りたい」と。

確かに、戦争が遠のくにつれ「日の丸」「君が代」が戦争に結ぶついた歴史は忘れ去られてきた。私が教員になった頃、ベトナム戦争は日本の戦争責任を明らかにし、学校に「日の丸」「君が代」を持ち込むことなど考えられないことだった。「不起立」どころの話ではなかったのだ。それが式次第に入れられ多くの教職員、生徒は座るしかなかった。そして今、世間が戦争を忘れていくにつれ愛国心教育が再び大きく叫ばれるようになった。

軍隊がなければ国家ではないと考える政治勢力は厳然と存在し続けているのだ。そういう勢力にとって憲法9条改憲はいわば悲願、そして公教育で愛国心を養って初めて成就することを彼らはよく知っている。学校で子どもたちが「君が代」を歌うようになれば9条改憲はたやすい。だからこそ「不起立」なのだ。じゃあ、いつやるの?今でしょ!今が最も危ない時だ。たとえ処分されて再任用が拒否されても「不起立」は戦争をしない教育の証なのだから。

 

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