※Tネット(教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク)では、来春早々に、「市民的不服従の権利」について学習会を開催する予定です。T
市民的不服従が社会を変える
「君が代」不起立処分当該の一人として 辻谷博子
公務員は命令に従わなくてはならないか?
条例や命令には従うべきだ、特に公務員であれば!---何度となく、私はそのような声を聞いてきました。
「悪法も法なり」―どれほど不当なことであっても条例や命令、つまり法には従うべきではないかと考える人は少なくはありません。
「和を尊し」とする日本社会では、理由によらずルールは守るべきとの考え方が強く、
その分、ルールに違反したものは制裁を科すべきとの考え方も強いように思います。
何を隠そう、私自身も、条例・職務命令のもと戒告処分を受け、それを不当と人事委員会に不服申立を行うことに、心のどこかで抵抗がありました。
職務命令に背いたのであれば、ある意味処分は当然ではないか、それを不当とするのは潔くないと考える自分がいたのです。
では、なぜ、申立に踏み切ったかと言えば、
一教員として、この命令には従えないという自負があったからです。
これを許せば、教育は政治のもとに跪き、
教員は時の政治家の言う通り、なんでも命令のままに従わなくてはならない、
それは子どもたちを時の政治に差し出すことになってしまう、
それはどう考えたっておかしい、という確信があったからです。
憲法違反の命令には従わなくてよいと堂々と主張することが、処分を受けた者の義務ではないかと考えるようになりました。
不服従は権利!
橋下徹大阪市長は、「君が代」不起立は、ルールの問題、公務員である教員は、民意によって選ばれた政治の決定に従うべきだと断じました。
しかし、そうであるならば、すべての市民は、時の政治つまり為政者に一切抗うことなく絶対服従を強いられることになります。
その後に到来するのは全体主義社会。市民はそこでは表現の自由さえ奪われかねないのではないでしょうか。
労働現場であれ、暮らしの場であれ、市民は国家に対して、時の政治に対して、異議申し立てができるはずです。
市民(ここにはむろん教員・公務員が含まれます)は、自分の良心にしたがって行動する権利を有し、
国家や法は、それを容認してこそ、多様性を実現した寛容のある社会は到来するのではないでしょうか。
それを志向してこそ、大阪の人権教育のなかで、単に差別をするしないの意識の問題ではなく、社会における差別の構造を見抜き、
そういった社会構造を許さない人間の育成を目指した先輩諸氏から受け継いだ教育の責務も果たせるというものです。
そして、改憲が現実味を帯びて語られる今、憲法とは何か、憲法の精神とは何かを、もう一度考え直す機会を得て、
市民的不服従の権利を学び、多くの方々と共有し、実践していきたいと思っています。
来春、Tネットでは「市民的不服従の権利」をテーマとした学習会を開催します。