※ZAZAの一員である山田肇さんの投稿です。
11/30の朝日新聞のオピニオンに、おもしろい記事が出ていました。
『ポピュリズムの正体』と題する、北海道大学准教授の吉田徹さん(75年生まれ)の文です。
ポピュリズムの定義・・・「オックスフォード政治小辞典では『普通の人々の考えを支持すること』。
アメリカでは肯定的に、ヨーロッパでは否定的に使われ、
日本では『大衆迎合』『衆愚政治』という意味で使われています。」
石原は「極右政治家」で、橋下は「ポピュリスト」
「維新の会は、場当たり的で一貫性がないと批判され、それこそがポピュリズムの特徴で、
思想的に極まっている人とは本来、正反対にいるものです。」
「元祖は中曽根康弘・・・国鉄や労働組合といった敵をつくり、国鉄民営化を実現」
「ポピュリズムの源泉は政治不信です。ベースとなっているのは、既存政治の無力と、政治を
批判するだけのメディアや知識人といった『エリート層」への猜疑心です。
そういった人たちが橋下さんを批判すればするほど、彼の『正しさ』が証明される。
自分たちがポピュリズムを育てたのだという自覚を欠いたまま、橋下さんを批判している人が多すぎます。」
「古今東西、ポピュリズムは基本的に一過性のものです。」と書いています。
批判すればするほど、橋下の『正しさ』の証明になる?
では、橋下が何を言っても、ほっとけばよい。そうはならない。ほっとくには、余りにも無茶苦茶や。
批判することが多すぎる。批判しつつ、橋下を育てない。どうすれば、いいか?
私たちのささやかな『抵抗』の中に、その答えを見つけました。
『日の丸』『君が代』反対でも、『入れ墨調査』反対でも、私たちのは単なる「批判」ではなく、抵抗だ!異議申し立てだ!ということです。
吉田徹さんは何も書いていないが、これは、橋下を育てているのではなく、
一番、橋下に打撃を与えていることではないか、
私たちのこの抵抗が、橋下のポピュリズムを倒していく道ではないかと思うのです。
なぜなら、私は、今まで、橋下のやり方に口では文句を言い、批判しつつも、
何ら闘いらしきものをやって来ませんでした。
しかし、昨年6月の「国旗・国歌起立斉唱条例」だけは許せず、
『君が代』を立って歌えという職務命令だけは最後の一線で許せず、
3月の卒業式の『君が代』で、職務命令が出ましたが、静かに、しかし、堂々と座りました。
それで、戒告処分を受け、合格していた再任用も取り消されました。
しかし、自分が子どもたちに言ってきた、
「何が正しくて、何がまちがっているか、しっかり考えて、行動するように」
と言ってきたことばを裏切らなくて、よかったと思いました。
『大造じいさんとがん』(椋鳩十作)に出てくる、残雪を見送る大造じいさんのように、
晴れ晴れとした気持ちでした。
それだけではありません。橋下さんによって、ただ静かに座っただけで、
「犯罪人」のごとく扱われ、怒りは今も怒髪天を突くと言っても過言ではありません。
そして、静かに暮らしていた私を闘う場に引き入れてきました。
だから、橋下さんは、闘おうとする人間を作り出したのです。
ZAZAの7人を、闘いの場に引き出したのです。
ということは、私たちの抵抗は、これは「既存政治の無力と、政治を批判するだけ」の口先の批判ではなく、
身を挺しての、処分されてもひるまない「抵抗」です。
いわば、橋下のポピュリズムは、橋下の「墓堀人」を作り出したのです。
「墓堀人」になってやりましょう。
そして、みなさん、どんどん、橋下の「墓堀人」となって、抵抗の場を作っていきましょう。
ポピュリストの橋下は、「極右政治家」の石原とくっついて、引っ張られていっています。
それが、たとえ、総選挙で、一定の勢力を作り出しても、
抵抗する人と、その場があれば、「一過性」が証明されると思います。
もう一つ、吉田徹さんの文に、おもしろい記述がありました。
「政治リーダーとは、上質な『物語』を語れる人です。」
「物語によって異なる地平にいる人々をつなぎ、新しい次元を開き、外交でも国政でも拡大再生産に持っていく、『構築の政治』を展開できるリーダーです。」
「今の橋下さん的なポピュリズムはブラック企業的で、
働け、さもなくばボーナスが下がるぞと、恐怖心で人々を突き動かそうとしている風にしか見えない。」
橋下が「ブラック企業的」であることは、最低賃金制をなくせと言っていることでも、今や、明らかです。
私は、もちろん、「政治リーダー」ではありませんが、しかし、吉田徹さんが言う「上質な『物語』」が必要で、
今、私たちに求められている大事なことだと思います。
その『物語』の始まりは、明治以来の日本がやった侵略戦争に対する反省です。
不正義の侵略戦争、ここに国はどうあってはならないかが示されており、
その反省と謝罪の先に、正義に立つべき国はどうあるべきかが示されているからです。
自虐史観だと批判し、歴史をねじ曲げることでは、未来は語れません。
日本のやった侵略戦争をしっかり見つめ、それを心から反省し、
その元凶を断罪し、天皇制と『日の丸』『君が代』を覆す中で、
現在から未来へと見えてくる、国のあるべき姿、
人間の進むべき方向を示していく『物語』がつくられるのだと思います。
でも、戦後日本のように、戦争責任をあいまいにしたまま、国と資本と天皇制にからめとられ、
牙をぬかれた中では、屈従の『物語』しか作れません。
おかしいことはおかしいと言い、納得できぬことは抵抗し、闘っていく抵抗の『物語』が必要です。
今までもたくさんの闘いがありました。
しかし、今、3.11福島を経て、新たな未来への『物語』を創らなければ、もう生きていけない時が来ています。
橋下に抵抗する人たちと反原発の闘いをやっている人たちなど、あるいは、朝鮮・中国・アジアの人々など
「異なる地平にいる人々をつなぎ」、未来へつながる新たな『物語』が必要だと思います。
その『物語』のテーマは、「真理と正義」が成り立つ社会をつくっていくということです。
その『物語』の主人公は、口先で批判だけしている人ではなく、もちろん、行動し抵抗する私たちです。