筍が目下、旬。
夫(81歳)が1日おきに筍掘りに行っている。
しかし、掘った筍の始末に困る。
親戚や近所に持って行くが「料理が面倒で・・・」と断られることもある。
筍を掘らずにそのままにしておくとタケノコ山は竹が密集。
そして台風などの際、倒れて道を塞いだり、よその田んぼに倒れ込んだり・・・
大きくなった竹を切り倒すのは大変労力がいる。(経験済み)
なので筍のうちになんとかしたい。
私も何度か筍を掘ってみたが要領が悪く1本掘るのも大変だった。
夫は休憩すること無く20~30本、次々に掘っていく。
でも夫ももう81歳、(今年82になる)
いつまでこうして筍を掘ることができるだろうか?
いつまでこの狭い道を車で来ることができるだろうか?
(道が行き止まりになっていて、バックして方向転換しなければならない)
そういうことを思ったりするようになった。
息子や娘が父親の後を継いでタケノコ山を管理することは期待できそうにない。
もういいや。後は野となれ山となれ。それでいいのだ!
私の思考の流れはいつもこんな具合。
友達が『鮎の甘露煮』とおいしそうなパイナップルを持って来てくれた。
鮎の甘露煮、ご馳走なので夕食に・・・と思ったが、待ちきれずお昼に1匹お味見。
おいしい!!!おいしかった!!!
卵がいっぱい詰まっていて、しかも頭も骨も柔らかく、まるごと全部食べてしまった。
まだ今夜食べる分が残っている。楽しみ♪
先日亡くなられたS先生に「カマツカの甘露煮」を頂いたことがある。
あの日のことが懐かしい。おいしさがよく似ている。
※追記
夕飯時、夫が鮎を食べながら「こんなおいしいのは生まれて初めて」と言った。
これは問題発言では?
料理自慢の妻だったらご機嫌を損ねるだろう。
料理に自信の無い妻(私)は内心ニヤニヤしながら夫の様子を眺めていた。
やはり頭も骨も一つ残さず全部食べた。
娘も「これはおいしい」と言いながら頂いていた。