yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

藺草・・・1

2007-10-31 00:22:02 | 創作の小部屋
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倉子城物語

藺草



 倉敷は先年まで花茣蓙の産地として有名であった。それが廃れて行ったのは日本で藺草を植えなくなったからである。また、生活様式が変化して畳の部屋が少なくなったのも原因である。風土に適した住居が、その様式が廃れて次の生活空間を求めた國民の変りようである。だが、何百年の文化とは何かを考えさせてくれる変化である。


 干潟に藺草を植え、茣蓙を織るようになったのは何時の頃からか定かではない。

 備中綿と茣蓙が世間に知れ渡ったのは、江戸時代の初め頃からであろう。

 米を作り大坂に送り換金するより嵩は張るがそれらを荷として出す方が儲かったし楽であったろう。以外と自然の脅威によって左右されなかったのも作り手にとっては良かった。松山川が押し流す土砂で一番に干潟になったのは西阿知と中島であった。先に書いた四十瀬の対岸一帯であった。その干潟に何時の頃からか藺草が植えられるようになった。氷の張った田地を割って苗が植えられ、真夏の炎天下で刈り入れる。防腐と艶出しのために藺泥に漬けて乾すと青々とした藺になった。乾かしたあと袴の様な切り株が残っているのを取らなくてはならない、それを袴を取ると云う。それを機に通して織るのだが、西阿知とか備前の早島は茣蓙で有名であった。何処の家も機を織る音が朝早くからした。織り上がった茣蓙は子供たちが松山川の土手に干した。後に日本一の茣蓙の産地になり、絵柄を織り込んだ花茣蓙は世界各地へ輸出されるようになるのだが・・・。それは江戸の始めに干潟になったこの地方の産物であった。


 おせいが、父の棹で松山川を下り西阿知へ嫁いできたのは春まだ浅い頃であった。父は高瀬舟の船頭であった。松山から近在の荷を積み棹を操り四十瀬、五軒屋、古新田、東塚、呼松、塩生、通生、下津井と、荷お下ろしながら川を下る。帰路はそれぞれの船着場で荷を積み肩に食込むともづなをひっぱりながら上る。人の出会いは運命をつくる。それが取り持つ縁であった。

 おせいが十三の時であった。

 おせいが嫁いだ先は、米が五石と藺草を植え、茣蓙を織り裕福とは言えないが五人の生活には困ることはなかったのである。

 一人が三日で一升足らずの米を食べていたから一ヵ月で一斗足らず一年に十斗と少しと言うことは二、五俵、詰まり百升で一石と言う計算になる。江戸時代の米の値段は一石一両である。畝俵と言われていた時代一反で十俵と言う計算になると言う事になるが中々その通りにはいっていない。小作と地主なら五五か四六の割りで分けられた。だから五俵四俵ということになる。三反百姓では十五俵、六石あまり、大人三人と子供が一人の生活でやっとであった。江戸時代の二百七十年の平均の米の相場は先にも書いたが一石一両、一両を今の価値に直したらおおよそ二十万円。一年間に一人二十万円の食生活費がかかったということになる。

 豊臣秀吉が検地をして畝、反、丁と新しく定めるとき、歩幅の小さい男を使い三十歩を畝と決め、三百歩を反にして、新しく土地の面積を決めたことは、領地を狭くして、田地を、石高を増やして恩賞の地にしたのだ。

 秀吉の検地では・・・。

 一合枡は一人の一回の食する米の量であった。一升を三日とすると、一ヵ月で三斗、一年で十二斗になるが、およそ一石。一畝で一俵として、四十升を三十坪で割ると一坪当り一升と三合と言う事になる。豊作でこうなるのだから一坪を一升と考えたほうが良いことになる。詰まり一坪が一升、三日の米の食べ量であったのだ。考え方によっては一斗が一ヵ月十升である。大さっぱに言えば一反を二石として何万石の大名としたのである。だから、三万石の大名は一万五千反、四万五千歩と言うことになる。大名にその石高が入ったのではなく農民と五五か六四で分けていたから、実質は一万五千か一万二千石の財政ということになる。六四であれば一万二千人の生活しか出来なかったのである。年貢を高くすると農民は土地を捨てて逃げたから、上げることも出来ず大名は長い年月の内に窮息して行く事になる。その前は三百六十五坪が一人の人間が生活するのに必要であったという事になる。から、秀吉の検地より前の領地は広かったのだ。本来なら三百六十五坪なのだが、それを三百坪を一反という基礎を定めたのだ。土地は狭くなった。秀吉の検地は土地の広さと米の収穫量で枡と坪を決めたということである。米の出来る量で土地の広さを決めていたのを、人がどれだけ食べるかで決めたということだ。尺貫法は枡の生活から生まれた日本独特の物であった。


 中國の尺は日本より今の計算方法を基準にすると十センチ程短かった。つまり一里は五百メートルであり、万里長城は日本の距離の測り方では千二百五十里である。五千キロと言うことになる。

 まとれ・・・。


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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。

作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
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格子戸・・・4 完

2007-10-30 00:51:42 | 創作の小部屋
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倉子城物語
   格子戸


 國蔵が重い言葉を落とし始めた。

「本城と師匠の娘さんとの間に出来た子だ。本城はそんなことは知らないだろう。江戸へ行った後に子供が出来ていることに気づき・・・。その事が師匠に分かれば大変なことになる・・・。わしが、連れて帰った。おまえを産んで暫らくしていなくなった。江戸へ、本城のいる場所へ・・・。その後のことは分からないが・・・」

「みつ、お前はわしの子だ。お前の母をわしは密かにすいとった。お前と三人の生活は幸せじゃつた。本城が千葉の免許皆伝を持って倉子城に道場を開いたとき、わしがお前に残してやれるものは後の世まで値打ちの変わらぬ刀じゃと考えた。

 今までの柵を断ち斬る事の出来る刀、その刀にお前の幸せを託すこと、そう考えて打ったがいいものは出来なかった。

 刀は人斬り包丁じゃが、己れを守る為の物、好いた人を守るために生き長らえる道具、と考えたらこの一振りの刀が打てた。お前の幸せの、お前の母の・・・」

「いい、おとっちゃん・・・」目頭が熱くなりみつは袂で顔を隠した。


 國蔵と名のある刀は、今、倉敷の医者の床の間に飾られてある。


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格子戸・・・3

2007-10-29 00:19:28 | 創作の小部屋
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倉子城物語
   格子戸


 本城はぽっりぽっりと話し始めた。


 秋の獲り入れを終えた頃、山陽道を二人の少年が京を目指し歩いていた。歩幅は軽やかだった。目は希望に満ちていた。

 備中北房呰部の産まれ刀鍛冶の倅達だった。が、殆ど刀を打つ事がなく鍬や鎌を作り、たまに頼まれて鉈や包丁を拵えた。刀工國重以来の伝統の業は泰平の世では必要がなかったのも廃れるもとであったろう。

 京までは同じ想い、先祖に恥じない刀鍛冶になろうが合い言葉であったが、純粋な少年の目に映ったのは綻びかけた散る前のあやうげな世情の波だった。

 戦になる、その予感が斬れればいいだけの刀を造らせた。刀鍛冶は殺す刃を作ることのみに専念していた。

 少年の一人はそれに嫌気がさし江戸へ出た。お玉が池の千葉へ通った。

 もう一人は刀に拘って、辛抱し続けた。

「みつさん、あなたはいい父親を持ったな」と本城は言葉を落とした。

 そして、

「人間とは、縦に生きる事しか出来ぬ者と、横にしか生きられない者がいる。今の歳になってもその何方がいいのかさっぱり分からん。まるで格子戸のようじゃ」

 と呟いた。

「おとっちゃん、おっかさんのことを聞いていい」

 みつは國蔵に本城の話を済ませた後に聞いた。

「おまえも分かる年ごろになったから・・・」


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格子戸・・・2

2007-10-28 00:17:41 | 創作の小部屋
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倉子城物語
   格子戸


 山陽道は岡山から大供、野田、白石、庭瀬、庄、生坂、山手、清音、そこで松山川の渡たり、真備、矢掛、井原と言う道筋で、備前、備中から備後へと入る。街道沿いは人の往来も多かったが、ひとつ入れば青青とした田地が広がっていた。

 みつの父親は百姓をしながら、鍛冶屋も熟していた。それというのも備中は北房の刀鍛冶の血をひいていた。刀工として先祖は名を成した人がいた。

 備前の長船は名のある刀工を世に出して有名だが、備中の北房呰部は國光、國重らの名で業ものが多かった。 吉井川の砂鉄、松山川の砂鉄が名匠を産んだのだろう。


 少し話が前後するが、作兵衛が四十瀬のお鹿に「砂鉄が・・・」と問うが、よい材料がなくては良い物が造れない、その出る場所を尋ねたのであろう。

 よく家を空けたといったが、作兵衛はお鹿に教えられた松山川の支流を歩き回っているうちに、みつの父親國蔵と出会い、清音で軒先を借りたたらを習った。

 みつがおさよの看病をしていた時期である。人の巡り合わせの妙である。


 十五のみつは女の盛になろうとしていた。月のめぐりを太ももに感じたのは十三の時だった。もう子供ではないと、耳は熱くなり、頭がのぼせたようにぼーとしていた中で思った。痩せて骨の見えるからだが少しづつ肉をつけはじめ、滑らかな膨らみ、肌もきめ細かくなりすべすべした女に変わっていった。

「みつも女になった」とその時伯母の女将も喜んでくれた。

「女になったら、滅多に肌を男に見せてはいけませんよ」と付け加えた。

 みつは父から貰った着物を着て、阿知神社への石段を下駄で踏んで上がっていった。

 幟が何十本も建てられ、風にはためいていた。子連れの夫婦が手をひいて燥ぐ、子供達が境内を走り回る、屋台の風車売りの掛け声、車座になって酒を酌み交わしながら豊年を祝う人たち。

 みつは賽銭箱に一文投げて、知っている人の幸せを願った。

 その時、みつは袖を引っ張られた。

「おとうちゃん」

「ようやく御先祖様に申し開きの出来る代物を打つことが出来た」

 國蔵はそう言った。

「これが売れたら、おまえに豪勢な嫁入り支度をしてやれる」

「うちは、まだ嫁にはゆかん」ときっぱりと言った。

「それならそれでええが・・・」

 みつは國蔵と屋台を冷やかして回り、倉子城を見下ろせる場所に立った。

「みつ、この刀を持って、本城新太郎道場へ行き目利きをして貰ってくれんか」

「いいわ。でも、おとうちゃんが持って行けば・・・」「何も言うな、お客がそうして欲しいと言っていると、お父のことはどんな事があっても話してはならん」

 みつは何かの事情があるのだろうと思った。

 國蔵は刀の入った布袋を出した。白鞘に新刀が納められていた。

「ほほ、ふふ、うう・・・」


 本城は懐紙を口に挟み食い入るように見詰めていた。「北房は呰部・・・。よくここまで鍛練なさいましたな、と、お伝えください」

 本城はみつの前に戻して言った。

「拙者が購うのも、腰に差すにも勿体ない。長船、呰部、それをこの業物は超えておる。みつさん・・・これは遠い話です・・・」


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格子戸・・・1

2007-10-27 00:08:33 | 創作の小部屋

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倉子城物語
   格子戸



 鶴形山には、観竜寺と阿知神社がある。また、北側は墓地となっていて、沢山の石塔が立ち並び、彼岸と盆には香が立ち昇る。

 山を下りると倉子城で一番賑やかな本町へ出る。低い軒の商家が並んでいる。旅篭、小間物屋、提灯屋、研ぎ屋、化粧(けわい)屋、陶器屋、この道筋に来れば何でも揃った。 大店は汐入り川に面して並んでいたが、小商いの商家は裏道の本町通りに集まっていた。村人の出入りが多いのは何でも揃うこの通りであった。


 秋の祭りの頃のことである。


「おみつ、阿知の神様へ御参りしてもいいよ」

 と女将が帳面をつけていた顔を上げて、空雑巾で格子窓を拭いている小働きのみつに声をかけた。

「いいのでしょうか」とみつは心の表情を顔に表して言った。

「素隠居に生剥げが剽軽に舞って賑やかだょ」

 素隠居というのは、ひょつとこに似た面を被りおぶりの内輪を持って煽り、村人に福を授けるというもので、生剥げは天狗のような面を被り荒法師が持っ鳴物の杖で村中を歩き災難を追い払うというものであった。


 みつが、木賃宿「波倉」に小働きとして奉公にあがったのは十二の時だった。それから三年が過ぎていた。

 みつには母がいなかった。尋ねると死んだと父は顔を背けて言った。それから母のことは聞いたことがなかった。

 倉子城から浜の茶屋を通り生坂の峠を越えた西に広がる地がみつの産まれた清音と言う土地であった。

「波倉」の女将はみつの伯母であったから優しさと厳しさで、嗜み躾はとくに喧しかった。ぞんざいな扱いは受けなかった。


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滑子壁

2007-10-26 00:18:07 | 創作の小部屋
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倉子城物語

     滑子壁

 孫六は左官で東中島屋の蔵の壁を押さえた。

 東中島屋は大橋武右衛門の中島屋の分家とし児島屋は大原与平のとなりに建てられた。児島屋に負けないくらいの威容であった。蔵は汐入川に面して六棟建てられていた。
主人は大橋敬之助といい、子供のなかった武右衛門の養子で、先年養女としてもうけたおけいと夫婦とにさせ、東中島屋として分家独立させた。
分家したとき敬之助は二十八と言う説があるがもっと若かったという説を採りたい。おけいは十数才であったろう。
仲睦まじい夫婦だった。仕事熱心で村人の面倒をよく見るから信望も厚かった。剣もなかなかの腕であった。それというのも津山から井汲唯一を招いて習っていたし、播磨の大庄屋大谷家の嫡子として生まれた敬之助こと敬吉は幼いころから剣を習っていた。永代名字帯刀の家に生まれた敬吉はそれが当たり前のように習い、学問も修めた。
播磨の大谷家に生まれた敬吉がどうして倉子城の大橋家へ・・・それは長い話になるがここに書いておかなくてはならないだろう。
大谷家の嫡子として大庄屋の後を継ぐべく大きくなつた敬吉が十六歳のとき
、小作と代官の中で争いが起こりそれを仲裁したばっかりに庄屋見習いを取り上げられ、作州の大庄屋立石家へ身を寄せなくてはならなくなった。立石は母の出所であった。そこで二十二迄過ごした。そして、備中は倉子城の大橋家へ養子として迎えられることになる。人の行く道は奇である。
敬之助とおけいは仲睦まじい夫婦だった。
三人の子をなした。

孫六は嫁をなくしていた。子供をなさずに呆気なく逝った。

今 滑子壁は現存していて倉敷の観光に一役買っている。


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銀杏

2007-10-25 00:11:50 | 創作の小部屋
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倉子城物語

            銀杏



 倉子城から四十瀬へ抜ける街道ぞいから天を突く一本の銀杏が見える。

 春にはぐんぐんと枝をのばし萌黄色の葉を繁らせ鳥の棲みかとして托し、夏には日陰を旅人へひとときの安らぎとして与えた。秋の紅葉を終えると黄金の時雨のように落ちて街道を覆った。冬には何もかも捨てて佇んでいたがその姿は凛としていて風格さえ感じられた。

 樹木のうちでも、ゆうかりと銀杏は特に生命力が強く、木から出る胞子が翔び繁殖するという、動物に近い種の保存の形態だ。

 銀杏の移り変りが四十瀬の茶店からよく見えた。お鹿は毎日その銀杏を見て年を取っていった。松山川も時節で流れを変えるが、お鹿の生き方には変化はなかった。

 お鹿の過去を知る者はいなくなっていたが、お鹿の心のなかには忘れられない事としてある。腰は曲がり、顔に歳の数だけの皺を刻んでいるが、その間人並みに生きて苦労は深い。だが、そんな気配は見せたことがない。底抜けに明るく振る舞い、

「四十瀬の茶店の婆の笑顔はいつもにこにこ晴れの日続き」と渾名されていた。

 もう五十年も前のことだ。

 浪華の薬問屋のいとはんと手代が、好きおうて駈け落ちをした。

 よくある話だが、よくある結末を迎えた。いとはんは連れ戻され、手代は島流しにあった。

 いとはんは庭の銀杏の木ばかり見て過ごした。

 二人が、追っ手に捕まったのは四十瀬の渡しであった。

何時の頃からか一人の女が住み始め、茶店を営んだ。

 今日もお鹿は、銀杏を眺めている。


 今、倉敷市営球場のバックスクリーンの後に大きな銀杏が聳えている。


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味噌蔵・・・5

2007-10-24 00:11:02 | 創作の小部屋
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倉子城物語

      味噌蔵


 代官所の書院で盤を前に甚六は正座して待っていた。 櫻井は傲慢な態度で入ってきた。

 盤を挟んで向き合った。書院の中には倉子城村の役職者が見守っていた。

「先に」と櫻井は手を前に出して大仰に言った。自信の篭もった言葉であった。

「では」と甚六は上手の香車の頭の歩を突いた。

「それはまた異な手で来るの」と飛車の頭の歩を動かした。

 伊藤かな、と甚六は思った、そう言えば香代の父も伊藤流であったなと・・・。

 櫻井はたかが田舎の賭け将棋指しとたがをくくっていたが、二十手辺りからどうも駒の動きがぎくしゃくしだした。櫻井は焦りを顔に出すまいと懸命であった。

「川人足の賭け将棋、川の流れと一緒で逆らわないのが一番で・・・」

 甚六は冗談を飛ばした。

「貴様は、いや、貴殿は・・・」と周章て出した。

「訳ありでこの勝負ぜひ勝たせて貰います」

「何処の藩であった」

「野暮ですょ。ただの人足、歩のようなものでさあ」

「大橋の、大橋西の・・・」

 櫻井は、額に鼻の頭に汗の花を咲かせていた。

 勝負がどうであったか、香代が甚九郎がどうなったかは・・・。


 今、倉敷市芸文館の中に、大山康晴永世名人を顕彰しての大山記念会館がある。


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味噌蔵・・・4

2007-10-23 00:44:28 | 創作の小部屋
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倉子城物語

      味噌蔵


 時が流れて、西陽が土間の上で遊び始めていた。

「甚六には角浜に馴染みの女がいる」誰かの声が嘉平の耳元でしたような気がした。

 それがあった。月の内半分は通っている。あいつにはそれが弱みだ。

 嘉平は走っていた。

 こうなりぁ男の意地だ。何と言おうがやらせてみせる、いや、やらす。

 どこをどう走ったか覚えていないが、連島の角浜に着いていた。

「息が上がって・・・、手先だけじゃあねえ、頭も体も動かせなくては・・・」

 ゼイゼイと息付きながらへたり込んで思った。

「あにさん、大丈夫ですか」と二階から女の声が降ってきた。

「ああ大丈夫なはずだが・・・」と見上げた。

 細面の優しそうな女が心配そうに見下ろしていた。

「心配のついでと言っちゃあなんだが、倉子城からここへ通っている甚六という男の事は知らないかな」

「甚六、じんろく、さあ・・・。ここじゃあ余程の馴染みでも本当の名前なんか言わないからね」

 まったくだと嘉平は思った。

「それじゃあ、三十過ぎの渋いいい男だが・・・」

「甚八さんの事だろうか・・・」

「そいつだ」嘉平は叫んでいた。

「じぁ、かよちゃんのお客だわ」

「すまねえ、あがらせて貰うぜ」舌が縺れた。

「まだ、外はお天道さまが・・・」

「構わねえ、あっしは倉子城で火消しをしている床屋の嘉平、怪しい者ではねえ」

「かよって妓はいつ頃からここにいるのだい」

 女将に嘉平は尋ねた。

「さあ、一年前位かね、浪華から」

 女将は倉子城の嘉平の名を知っていて安心したのかそう言った。

「それで、幾らくらい前借が・・・」

 嘉平の滑らかな備中弁がゆっくりとなった。

「三百・・・あったけれど、その人が少しづつ・・・」「それで今は」きっぱりと言切った。

「今は、百と五十」

 話がぴったりとあうぜと嘉平は思った。この手だ、金の薬を効かすとは林もよく言ったものだぜ。

「そうか、それで、かよって妓は空いているのかい」

 こじんまりとした部屋にはかよの持ち物がある。鏡に白粉、さくら紙などが置いてあり、真ん中に派手な煎餅布団が敷いてあった。

 かよは小柄で肉付きもいい方でなはかった。

「話してくれないかい」

 嘉平は障子越しに見える亀島を眺めながら聞いた。

「・・・」かよは黙って俯いた。

「悪い話じゃないよ、甚六にとっても、あんたにしても」

「甚六?」かよは分からないという風に言った。

「ここでは甚八と名乗っているらしいが」

 それから長い時が流れた。汐が退いて亀島が陸続きになった。

 かよの重い口が少しづつ開かれようとしたいた。

 その時、障子が開いて甚六が入った来た。

「何も言っちゃあいけねえ。あなたを苦界に落としたのはこの私だ。あの時に私が負けていたなら・・・。私が負けていてもお役御免で済んだが、あなたのお父上はそれで済まないと分かっていたのだが・・・」

「それでは、父と将棋を指した相手の、梶田甚九郎さまはあなたでしたか」

「お父上の藩主と私の藩主が馬を賭けて・・・。つまらん、その為に負けて切腹を・・・。あなたはその為に・・・」甚九郎は頬を濡らしていた。

「それでは、あなたは・・・。その責任を感じられて、私の後を追うように・・・。何もかも捨てられたのですか」

 かよは縋るように問っていた。

「飯島香代殿・・・。私は、あれから一生将棋はやるまいと決めたのですが、駒を見るとついつい手が出てしまった。将棋しか能のない私には・・・。勝ったり負けたりしながら賭け将棋をして少しでも香代さんの為に役だてば・・・」

 西の景色を焼きながら沈んでいく・・・。ここにも一人の馬鹿がいると嘉平は首肯き続けた。

「お願いがござる。川人足の甚六として代官と指させて頂きたい」

 甚六はそう言って頭を下げた。

 そうこなくちゃ面白くねえ、と嘉平は頬を崩した。


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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。

作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
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味噌蔵・・・3

2007-10-22 00:16:06 | 創作の小部屋
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倉子城物語

      味噌蔵



 将棋は奈良、平安の頃に中国から流れてきた遊びであった。大きさもまちまちで、今の形態になったのは江戸時代である。が、名人、王将などという位はなかった。 江戸時代に、将棋を支配していたのは、大橋、大橋西、伊藤という流派で、幕府の庇護の元、大名、武士、裕福な商人に教えていた。将棋好きは三家の何れかの門下生であった。庶民は見様見真似で覚えた将棋で賭けをしていた。

 中には、家名を賭けての将棋対局、一門の名誉を賭けての三家の対局、色々と将棋で決めることが多かったのだ。大橋、大橋西、伊藤の力は大きかったのだ。

 櫻井は幼い頃より伊藤に学んだ門下生であった。空き地に線を引いて覚えた将棋ではない。商人が商談を兼ての手慰みでもなかったから、櫻井にかなうものはいなかった。

「倉子城には指し手がおらんのう」と櫻井は嘯いた。

 名うての将棋指しが苦もなく駒を投げた。


「おやじ、誰かつえい者はいねえかい?」

 と嘉平に髷を結って貰い乍ら薬問屋の林不一が言った。

「旦那はどうだったんです」

「五十手も保たなかった」

「旦那が相手でもね、そりゃあたいしたもんだ」

 嘉平は感心したように言った。日頃の人を見下す姿勢はなかった。

「あの高くなった鼻をへし折ってくれれば百両出してもいい」

 林は負けたことが悔しいのか、言葉に忌ま忌ましさを乗せて言った。

「船倉に甚六という男がいますが、なかなかの指し手だと睨んでおりますが・・・」

「甚六、あの賭け将棋ばかりしている奴か、あいつは駄目だ」

「知っていなさるんで・・・」

「ああ、甚六に勝った奴が盤の前に座ったが三十手も持たなかった」

「へえ、そうですかい、それじゃああっしにや心当たりはありませんやぁ」

「何でも甚六は金が賭けると滅法強くなる・・・と言うことは聞いたが・・・」

「旦那、甚六は根っからの人足ではありませんな。なにか訳が・・・。将棋好きが名乗り出ないのも妙なものですよ」

 嘉平は桂馬を飛ばした。

「うん、たしかに、どうにかして代官の前に座らせたいな」

 林は王の頭に歩を指したような言い方をした。

「金のためには指すかも知れませんょ」

「うん、金の薬を盛るか」林らしい言葉が出た。

「百両お出しになるんですね」と嘉平は林に詰め寄った。

 林は大きく頷いた。

「決まった。それじゃ、嘉平が段取りをつけてくれるのですな」

「へい、金の中は取りませんが、なんとか甚六を・・・。備中が江戸に虚仮にされたんじゃあ腹の虫が納まりませんからな」

「それじゃあ、頼みましたょ」林は一見好々爺のように見えるが強かな男だった。

「へい」帰って行く林を見送りながら、あのけちがよくもと思った。

 林の話に嘉平が乗ったのは、櫻井の日頃の横柄な態度が気に喰わなかった事と、林から百両出させて鼻をあかしてやりていと言う、両方の気持ちが動いたからだった。

 こうなりゃ、どうしても甚六に代官と勝負をさせなくちゃいけねえ。指せるだけでなく勝たせなくてはならない。嘉平は思案にくれた。


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味噌蔵・・・2

2007-10-21 00:38:23 | 創作の小部屋
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倉子城物語

      味噌蔵



 時は文久の三年続きの飢饉の後、幕府が出した津留め令、その令を破って下津井屋、児島屋、浜田屋が裁きを受けたが、代官交替で櫻井久之助が着任すると、倉子城は港ではないから津留め破りなど起ころう筈はないと無罪にした。この裁きをめぐって大きな事件が起きるのだが、それは後の話として・・・。

 つまり、江戸末期、幕府の屋台骨がぐらぐらと、商人が天下を取っていたということを承知しておいて頂き・・・。蛤御門の変の後、幕府は長伐軍を芸州口まで行かせ陣していた頃であった。

 代官櫻井は金と女と将棋が大好きという男であった。 櫻井は長州の動きを探るため、年に何度か安芸へ出向いていた。それ以外は殆ど何もすることがなく、村の旦那衆を集めては将棋の相手をさせ、駒を指先で器用に弄びながら名字帯刀を五十両、永代名字帯刀を五百両と王手飛車を打っていた。

「この度拙者がここの代官になって二年になるのを機に、将棋の達人を決めたいと思うとるがどうであろう」

 と将棋相手の児島屋に言った。

「それは面白う御座いますな」

 と世辞に長けた児島屋が話に乗った。

「面白かろう、村人との親睦になり、埋もれた人材を掘り起こし代官所に抱えたいと考えておる」

 櫻井は強面の顔を崩しながら言った。

「それでは、達人を武士に取り立てということになりますな」

「そうよ」

「それはまた、代官さまの豪胆な計らいですな」

 と言うような訳で、倉子城村将棋大会が決まった。

 腕に自信のある者は誰でも構わない。身分を問わない。一番なった者には金五十両、望めば代官所の抱え武士に取り立てる。と言う高札が村の随所に立てられた。


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味噌蔵・・・1

2007-10-20 02:25:04 | 創作の小部屋
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倉子城物語

      味噌蔵



 倉子城村には真ん中を汐入り川が流れ、その両側に蔵屋敷が林のように並んでいた。普通は二階蔵なのだが、三階蔵もかなりの数であった。この蔵は倉子城の独特の建物で壁と壁の間に食用の味噌を詰め込み耐火蔵としたものである。味噌を入れたことから味噌蔵と村の者は言った。味噌を入れることを誰が考えだしたのかさだかではないが、飢饉天災の折り味噌蔵は壊されて食用になった。また、みんなが麦を持ち寄って貯え救済の蔵を造った。それを義倉と言った。倉子城の蔵の貯蔵高の何石蔵と言うのも、入る量ではなく内壁を乾かすのに炭をどれだけ使ったかで決まった。

 汐入り川は荷物の出し入れのために造られた運河である。児島湾の汐が上がってきて、蔵の石垣を洗ったところから「波倉」と呼ばれ、倉が多いところから「倉舗」とも言われていた。また、村の東の小高い向山にあった砦を「倉子城」と記されている。



 船倉は荷を運ぶ舟の溜り場であった。川人足はその周辺に住んでいた。甚六の長屋もそこにあった。甚六はこの村の者ではなかった。何時の頃からか流れて住み着き、主人持ちではなく、仕事がある時は働くという身だった。その他の空いた時間は賭け将棋ばかりしていた。指した人に聞けば強いのか弱いのか分からないということだった。少し影のある男で、三十を少し過ぎていたが独り身であった。世話をする人がいても耳を貸そうとしなかった。

「なあに、あっしなんか・・・。一人の方が性にあってますから」

 と嗤ってかわした。

 甚六は月の半分近く、四十瀬から松山川を下り五軒屋の渡しから江長に出て連島の角浜へ通った。角浜には女郎屋が数軒あった。

 連島は玉島と同じで、海岸を持たない諸藩が荷の出入りをさせるために造った港があった。人の出入りも荷の出し入れも盛んで、下津井港と角浜は遊興の地があり有名だった。 その地を甚六は訪ねるのだから、誰かに逢わないのが不思議だ。

「甚六には馴染みの女がいる」と言う噂が広がり、連れ合いを貰わないのはその所為だと言われるようになった。そんな噂を聞いても甚六は頬を緩めているだけであった。

 甚六の生活は変わらなかった。いや替えようとしなかったといった方がいいかもしれない。

「なあに、根っからの職人だよ」と仲間は言ったが・・・。

 床屋の嘉平に言わせれば、

「変わってますな、なにか訳ありのお人・・・、元は侍かもしれないな」

 とよく研いだ剃刀で捌くように、甚六についてそのように言った。

 甚六が村全体の溜飲を下げる事件を起こすことになるのだが・・・。


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蓮の露・・・6  幕

2007-10-19 00:45:25 | 創作の小部屋
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 良寛ゆかりの倉敷で生誕250年を記念しての公演台本を・・・。

一人芝居
蓮の露「はちすのつゆ」は・・・

6 
   「よくぞ来られた」、手持ち無沙汰の手が囲炉裏端に置かれた薪を焼べられている。
    目と目が合ってしまう。
    「睨めっこしましょ、負けたら・・・」
    負けません。十三年間待ちに待ったのですよ今日の今を・・・
    「貞心さんと言ったかな、あなたはなかなか芯の強いお人じゃな」
    穏やかに言い、
    「ああ、そうじゃ、あなたは、お酒は・・・」
    「はい。頂きます」
    「はっきりしといていいな、それが一番じゃな」目が細く、花びらを閉じるように・・・。笑顔がなんと可愛いいのでしょうか。
    「冬のいほりで一人で過ごすにはお酒が・・・。私は煙草も頂きます、閻王寺の庵主さんが好きだったもので、ついつい・・・」
    女も生身の人間ですょ。男も欲しけりゃ、お酒も、煙草もと言おうとしましたが・・・。          
    「それでは少し頂きながら・・・」
    良寛さまは白い徳利を持ち上げて言う。
    「これから嫁ぐというのなら別じゃが、好きなものは好きなもの。自由にやりなされ」と濁酒をすすめてくれる。
    「美味しい、こんなに美味しいお酒を頂くのは初めて」
    「わたしは、酒のためにめし屋の品書き、商家の看板を書きました」
    そんな他愛無い言葉のやり取りの後、
    「あなたもご苦労をなさったそうですな」優しい声音が心に沁みます。
    「でも、その甲斐があって良寛さまとこうして・・・。縁でしょうか?」
    「さあ、あなたが縁と言うのなら、私にとっても・・・」
    「おほほ、そうで御座いますわね・・・。ここのお内儀さまに私のことは色々と・・・。私は悪い女でございます」
    「悪いと言う人に悪い人はおりませんな」と嗤われて・・・囲炉裏の火から明かり取りの方へお顔を・・・。
    話が弾んで、逢ったら一番最初に聞くことは、それから・・・。此処までの道すがら考えて参りましたのに、すっかり忘れています。
    話が途絶えると、良寛さまはお筆をおとりになり、紙へ走らせます。
    なんと言う達者な文字か、今まで書いたものは見たことが御座いました、書いているところまで見せて頂けるとはなんと言う幸せなことでしょう。
    「あなたもどうかな」今まで手にしておられた筆を私に差し出す。
    「それでは厚釜しくも・・・」と筆をとり思いの丈を文字に変えます。
    「ほほ、小野の道風かな、見事じゃな」、歌を詠まずに字面へと交わします。

     きみにかくあいみることのうれしさも
              まださめやらぬゆめかとぞおもふ

     ゆめのよにかつまどろみてゆめをまた
              かたるもゆめもそれがまにまに

    お筆を返すとすぐに返歌を・・・。
    「ああ、すっかりと忘れ取りました。肌着を、手毬をありがとう」
    なんだか、歌の心をはぐらかされたようです。
    きっと、書いてしまわれて、ああしまったと思われ、消す事が出来なくてお困りのように感じられます。
    はっきりと、私に逢えて嬉しいと、おっしやいませ、と目で迫る。
    「私は、良寛さまの・・・」
    驚いています。私が私の大胆な心に・・・。
    なんと言うことでしょう。
    口下手の肌の色をすぐに赤らませて恥じらう私が、良寛さまの前で平然としておられ、その上、すらすらと、懐いを口にしている。
    これは、私のせいではない。総て良寛さまの広い心に吸い取られているのだと感じる。
    私は生まれてきたことを素直に有り難いと思う。三十年間の過去など良寛さまへの道程・・・今があることを真実嬉しいと感じる。
    「なにかな」と問ってらっしゃる。
    「私が、朝のお勤めで何をお祈念したか知りとうは御座いませんか」
    少しお酒を頂き過ぎたのでしょうか、頬と身体が燃えている。囲炉裏の照り返えの火が余計に大胆な言葉を・・・。
    「さてな、私など・・・」と頭をお掻きになられる。たぶんお勤めなど致されておられないのだと思う。
    「良寛さまのとのよい縁がありますように」
    「なんと言う、私の戒語に愛語を読まれたろうに・・・」
    「はい。良寛さまが書かれたということは、そのような比丘尼がいたからで御座いましょう」
    「これは、また、それは、なければ戒めなどいらぬというのじゃな。そう言うことじゃな」と愛想を崩される。
    「何事も成す儘に、それが御仏の教え、戒語、愛語は若かった頃書いた」
    歌のこと、御仏のこと、書のこと色々と話が尽きませぬ。
    薪を囲炉裏に焼べ、二人で濁酒をニ升空け・・・。
    良寛様はすっかりお酔いになられ、ごろんと横になられる。
    わずかの薪を囲炉裏に重ね、じっと良寛さまの寝顔を見る。
    「人が生きて何を躊躇うことがあろうかな、良いの悪いのは世間が決めることではのうて、自分の責任なのじゃな。総てをお仏はお許しになる。何事も心が決めて始まるのじゃな」
    と仰っておられるように・・・。
    私は、布団を出して良寛さまに掛け、法衣を脱ぎ捨て良寛さまの中へ入る。

    「私は先に行くから後で来られよ。それまで待つとしょう」
    いつか、良寛さまが私に下されたお言葉、その時どんなに嬉しかったことでしょ う。
    この様な懐いを毎日毎日綴っています。

     君や忘る道やかくるるこのごろは
               待てど暮らせど訪れのなき

    良寛さまは目を患いになり、下痢が酷くなったという報せが届いたのは・・・。塩入り峠は雪の下、お側にと逸る懐いを重ねても溶けません。
    良寛さまのお元気なお顔が見たいと気がせくけれど、何も出来ない冬籠もり。
    寒の水を被りのご祈念も、長岡から島崎へは届きませぬか、とお仏に縋り・・・。私の願いが適ったのか・・・。
    能登屋から私を迎えに来て下さり、転がるように良寛さまのお側へ・・・。
    まるで産まれたばかりの赤子のように、涎れを垂らされ、お襁褓をなさって・・・。私は女として子を成したことがありません。子を成すように・・・。良寛さまは私の赤子。涎を拭き、お襁褓を代え、暖かい手拭で身体を拭いてあげる。
    「綺麗になって気持ちがいい」お顔は嗤っていらっしゃるけれど弱いお声で言う。
    「もう心配はいりません、貞心がお側に着いておりますから」
    「有り難いな、有り難いな」手を合わされる。
    そんなお姿はまるで尊い御仏のよう。その手の上から私は両の手が包みます。
    こんなに、まるで骨の上に一枚の薄い肌が・・・。
    「貞心さん、歌も、書も、水仕事も習ってはならん。創るのじゃ、自分のものをな。押掛けの弟子への最後の言葉じゃ」少し微笑んでそう言われる。
    その教えが私への・・・。いいえ、嫌でございます・・・嫌で・・・
    息の細くなられた良寛さまにもっともっと言葉を頂きたくて・・・お声を掛けて頂きたくて・・・
     「貞心さん、この世は総て夢、夢に生き、夢に遊び、
     この良寛、貴方のお陰で好い夢が見られた」
     
        生き死にの界はなれて住む身にも
               避けぬ別れのあるぞかなしい

    と耳元でうたうつらさ・・・それに応えるかのように・・・
    蒲団の上に座ろうと為さり、私が抱き起こして・・・

     散る櫻残る櫻も散る櫻・・・

    囁くように呟かれ、そして穏やかに・・・

    良寛さまは・・・
    この世のお人のあらゆる悩みや苦しみをみんな背負われて・・・
    何もそこまでなさらなくても・・・人の悩みや苦しみは塩入り峠の雪と同じで春が来れば・・・
    いま、この貞心、人の生きるということの尊さが・・・

    良寛さま・・・あなた・・・
    「なぜに、なぜに、死にとうない、死にとうない」と未練な言葉を・・・。
    どうせなら、
    「貞心ょ、一緒に死のうと言うては下さらなかったのです」

               一人、貞心の明かり。

     裏を見せ表を見せてちる紅葉
                               幕

N   良寛は天保二年一月六日、貞心、弟の由之に見守られながら円寂なされた。七十四歳であった。貞心尼は良寛との交歓、交流を、良寛の亡き後四年間で「はちすの露」として書き残した。貞心は明治五年七十五歳で良寛の下へと旅立った。                          

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蓮の露・・・5

2007-10-18 00:25:57 | 創作の小部屋
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 良寛ゆかりの倉敷で生誕250年を記念しての公演台本を・・・。

一人芝居
蓮の露「はちすのつゆ」は・・・


              急

              閻魔堂
              貞心尼一人

貞心  良寛さまのお身体のことは案じておりました。
     悲しみが冬の気配をより感じ取らせます。
     今、良寛さまとの事を「蓮の露(はちすのつゆ))」として・・・。
     書き残すことで、良寛さまを忍びたいという懐いが・・・。
     「良寛禅師と聞えしは出雲崎なる橘氏の太郎の主にておはしけるが・・・」
     「懐う人があります」と良寛さまがまだ、乙子神社の草庵に居られる時に、仕立ての世話をしてくださるお内儀にせがまれ打ち明けたことが御座いました。
     「比丘尼にしておくには勿体ない、いい人でも居られるのでしょうか」との言葉に答えたものでした。
     「そのお方は・・・」
     「はい。良寛さま」
     懐ってもみなかつた素直な懐いが口から飛び出していて、なんと恥ずかしい懐いをしたことか。
    それからは、良寛さまの歌や書を貸してくださるようになり、素直に言ってよかつたと・・・。
    私が初めて良寛さまにお目もじ致しましたのは・・・。
    お礼の文と、歌一首のすぐ後で御座いました。
    身仕度をし草鞋を履く前に、塩入り峠に雪でも積もれば、と言う懐いで御座いました。
    心は急き草鞋を結ぶ手が思うように動きません。ころばるようにとはこの様なさまかと・・・。
    「いつ来られるのかと、良寛さまは楽しみにしておいででしたよ」
    能登屋のお内儀が囃します。
    「さあさ、一先ず喉を潤をいなさって。良寛さまはどこにも行かれませんから」言っておほほと嗤う。
    「少しお痩せになったようですよ」心配の種を播きはやる私を諫めます。
    お内儀は良寛さまのことを言うと顔を真っ赤にする私が面白いのか、話の種にして・・・。
    「さあ、もう息もあがっておりませんわ。ゆっくりと来たと言う風に・・・」
    色々と知恵を授けてくださいまして・・・。まるでご自分がことのように。
    私はお内儀に案内されて・・・。
    「良寛さまにこんなむさ苦しい処ではと・・・新しく普請をと言ったのですが」               
    良寛さまなら夜露が凌げればと言うに決まっています・・・
    「良寛さま、お客さまですょ」
    引き戸を明けて、二人が立つと、
    「今日は、まるで盆と正月のようじゃな」と幼げに嗤っていらつしゃる。その眼のなんと澄んでいらっしゃる事か、吸い込まれそうです。
    「邪魔者は退散退散」無邪気に気を使う。
    なんと言ういい人たちなのでしょうと感心する。
    「さあさ、お上がり、囲炉裏の近くへ」
    私は初めて良寛さまの声を聞いているのに何度も何度も聞いた声のような気がしている。
    「はい」
    「この様に美しい比丘尼を見るのは初めてじゃ。ほんに美しいな」、少しはにかまれる。その動作がまたいじらしいと映る。
    もっともっと「貞心は美しい」と言ってください。もつと・・・。言われれば言われるほど美しく咲きましょう
    。
    良寛さまに私の輝きを魅せなくては・・・。
    私はじっと良寛さまを見る。夜空に瞬く多くの星の中から一つだけ見付けて目を据えて見るように・・・。
    「やっと捕まえた!」と胸の内で言葉を落とし、
    「初めてお目にかかります。長岡は福島閻魔堂の貞心でございます」
    「ああ、この、わたしは、りょうかん、です」
    なんと言う汚れのない面差しか、その剃り落としたような頬に少し赤みが射している。痩せた身体がお労わしい。
    

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蓮の露は・・・4

2007-10-17 02:16:48 | 創作の小部屋
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 良寛ゆかりの倉敷で生誕250年を記念しての公演台本を・・・。

一人芝居
蓮の露「はちすのつゆ」は・・・


    良寛さまは、出雲崎の大庄屋橘屋の跡取り山本栄蔵として産まれ、平らに時が過ぎていれば・・・。山本栄蔵として終わっていたでしょうに・・・。
    人の定めとは悪戯なもの、父親の左門泰雄は商いに向いてなく、五七五に魅せられ惹かれ以南と号を持つ程の歌うたい、だんだんとお日さまが当たらなくなり・・・。以南さまが家を出た後、十七で栄蔵さまが庄屋見習いになられ・・・。
    代官所のお役人と村人の仲を・・・。飢饉が続いて、百姓一揆が・・・。その斬首に立合、お優しい性分の良寛さまはいたたまれなくお腹の物を吐いてしまわれ・・・。その場でひっくり返ったそうで・・・。
    良寛さまは・・・
    何もかも嫌になり、自棄を起こされて、放り出して・・・。
    光照寺へ・・・。この世をお捨てになって・・・。
    そこで四年間の寺男としての務め・・・。
    大忍國仙和尚さまが越後へ・・・。良寛さまは導かれるように玉島は円通寺へと・・・。
    二十二から三十五まで、僧堂での御修業・・・。
    良寛さまのお目に映ったのは仙桂和尚・・・。一日作さざれば一日喰わず、の教えを守られての姿、道元禅師の百条の教え「只管打座(しかんたざ)」の行いのありさまを・・・。仙桂和尚様は真の導者じゃと・・・。
    曹洞宗の教えはと後に書いて御座います。
    十二年間の修養の後にどこのお寺の住職になってもいいとのお許しを受けられて・・・。
    國仙和尚さまが円寂なされるまで、円通寺にて・・・。その後は・・・。
    西行法師さまが辿られた平泉までの道程をとか・・・。五年の放浪の後に・・・。
    故郷の國上山の五合庵にこもられて・・・。
    五合庵には四十から五十八迄の十八年間、そこを終のすみかになさるのかとみんな思われていたら、國上の麓の乙子神社の草庵に移られそこで十二年間・・・。そして、突然に能登屋の木村さまの離れへ・・・。越後、良寛さまの故郷での三十年、寺の住職の口が掛かっても断り、自由気儘に和歌に、書に、子供たちとの遊びに・・・。ほんにのんびりと・・・。

    人がなんと言おうが自然と道連れ手毬歌・・・。
    詩僧とも聖僧とも呼ばれるご身分になられ・・・。
    良寛さまは「僧にあらず、俗にあらず」大愚良寛と名乗られ、破れ法衣を気にするでなく・・・。悠悠自適の一人道を・・・。

       生涯身を立つるに懶く(ものうく)
       騰騰天真に任す
       嚢中三升の米
       炉辺一束の薪(いっそくのたきぎ)
       誰か問はん迷語の跡
       何ぞ知らん名利の塵
       夜雨草庵の裡(うち)
       双脚等間に伸ばす

    良寛さまの歌でございます。
    なんと羨ましいことでしょうか。
    何も望むものはない、総てを自然に任し、貯えとしては三升の米だけでいい、それに囲炉裏に焼べる薪が一束あればいい、みんなが色々と私の事を問うが、名を成すとは塵のようなもので大したことではない、夜の雨を遮ってくれる小さないほりがあればいい、そこで両足を伸ばす事が出来れば何もいらない。

    この詩を何度いいえ数えられない程読み書き記したことでしょうか。

    能登屋の良寛さまをお訪ねして、肌着と手毬を置いて・・・。それに歌一首を。閻魔堂へ帰る途中から急に恥ずかしさに・・・。はしたない、女子の私がと言う後悔が・・・。
    早い秋の夕陽が私の姿を赤く染めていました。まるで懐う人への色のように。

    またもこよしばのいろりをいとはずば
          すすきおばなのつゆをわけわけ

    春の気配に勇気を貰いたいと春を心に蘇らせて・・・。懐いました。
    風の色が本物の春に変わり、梅が桃が、花を付けて落ち、櫻が・・・。
    櫻、まるで私の生き方を・・・。お日様に顔を向けることなく咲き旬を過ぎて散る。
    この私とて、咲いて見詰められ惜しまれて散る、そんな生き方を・・・。
    男の荒々しい力で毟り取って貰いたい・・・・。櫻を見て決心がつきましたがそれを行いに移すには一夏の時の流れが・・・。
    良寛さまを訪ねる勇気も櫻が与えて下されたのかも、もっと華やかにと励まされたのかも。
    閻魔堂から麓を見ていますと、山櫻が・・・。風の悪戯に弄ばれていて・・・。そんな日は、夜の褥は身体の火照りで眠りの中へ引き入れてくれなくて・・・。
    経文を読み続けるのですが、身体の芯が燃えて身を持て余します。
    良寛さまを懐って、歌を書き、水ごりをして忘れようとしている間に朝が・・・なんど、そんな日が過ぎたことでしょう。それは、春の過ごした日々でしたが・・・。夏の残り陽に汗が肌を流れるのを濡れた手拭で拭いていると、まるで・・・なんと言う妄想でしょうか。秋の夜長に春のことを思い起して・・・。夕陽の中に法衣を解き白い肌を赤く染めて、夜空に散る満天の星・・・、それ程の懐いを・・・。
    秋が深くなっても、あの春の夜の夢が、その夢に縋ってもう一度と・・・。

    まだまだ修業が足りません。

    そんなある日、
    良寛さまの・・・。

    手毬と肌着有り難く納受仕り候。折角御出之処、留守に致しお目もじ適わず残念に候。

    つきて見よひふミよいむなやここのとを
            とをとをさめてまたはじまるを

    私がお訪ねして一ヵ月後、良寛さまのお礼の文と、歌一首。
    何回も何回も読んでいると・・・。
    「あそびにおいで」の声が・・・。
    嬉しくて、手毬を取り出して、夢中で突き始めました。
    ♪「ひつと一人じゃ生きられぬ、二つ二人じゃどうじゃろか・・・」

                                暗転


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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・

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1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

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作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
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