yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

藺草

2006-01-31 21:53:43 | 時代小説 藺草
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藺草



 倉敷は先年まで花茣蓙の産地として有名であった。それが廃れて行ったのは日本で藺草を植えなくなったからである。また、生活様式が変化して畳の部屋が少なくなったのも原因である。風土に適した住居が、その様式が廃れて次の生活空間を求めた國民の変りようである。だが、何百年の文化とは何かを考えさせてくれる変化である。



 干潟に藺草を植え、茣蓙を織るようになったのは何時の頃からか定かではない。

 備中綿と茣蓙が世間に知れ渡ったのは、江戸時代の初め頃からであろう。

 米を作り大坂に送り換金するより嵩は張るがそれらを荷として出す方が儲かったし楽であったろう。以外と自然の脅威によって左右されなかったのも作り手にとっては良かった。松山川が押し流す土砂で一番に干潟になったのは西阿知と中島であった。先に書いた四十瀬の対岸一帯であった。その干潟に何時の頃からか藺草が植えられるようになった。氷の張った田地を割って苗が植えられ、真夏の炎天下で刈り入れる。防腐と艶出しのために藺泥に漬けて乾すと青々とした藺になった。乾かしたあと袴の様な切り株が残っているのを取らなくてはならない、それを袴を取ると云う。それを機に通して織るのだが、西阿知とか備前の早島は茣蓙で有名であった。何処の家も機を織る音が朝早くからした。織り上がった茣蓙は子供たちが松山川の土手に干した。後に日本一の茣蓙の産地になり、絵柄を織り込んだ花茣蓙は世界各地へ輸出されるようになるのだが・・・。それは江戸の始めに干潟になったこの地方の産物であった。



 おせいが、父の棹で松山川を下り西阿知へ嫁いできたのは春まだ浅い頃であった。父は高瀬舟の船頭であった。松山から近在の荷を積み棹を操り四十瀬、五軒屋、古新田、東塚、呼松、塩生、通生、下津井と、荷お下ろしながら川を下る。帰路はそれぞれの船着場で荷を積み肩に食込むともづなをひっぱりながら上る。人の出会いは運命をつくる。それが取り持つ縁であった。

 おせいが十三の時であった。

 おせいが嫁いだ先は、米が五石と藺草を植え、茣蓙を織り裕福とは言えないが五人の生活には困ることはなかった。

一人が三日で一升足らずの米を食べていたから一年に十斗と言うことは二、五俵、詰まり百升で一石と言う計算になる。江戸時代の米の値段は一石一両である。畝俵と言われていた時代一反で十俵と言う計算になると言う事になるが中々その通りにはいっていない。小作と地主なら五五か四六の割りで分けられた。だから五俵四俵ということになる。三反百姓では十五俵、六石あまり、大人三人と子供が一人の生活でやっとであった。江戸時代の二百七十年の平均の米の相場は先にも書いたが一石一両、一両を今の価値に直したらおおよそ二十万円。一年間に一人二十万円の食生活費がかかったということになる。

 豊臣秀吉が検地をして畝、反、丁と新しく定めるとき、歩幅の小さい男を使い三十歩を畝と決め、三百歩を反にして、新しく土地の面積を決めたことは、領地を狭くして、田地を、石高を増やして恩賞の地にしたのだ。

 秀吉の検地では・・・。

 一合枡は一人の一回の食する米の量であった。一升を三日とすると、一ヵ月で三斗、一年で十二斗になるが、およそ一石。一畝で一俵として、四十升を三十坪で割ると一坪当り一升と三合と言う事になる。豊作でこうなるのだから一坪を一升と考えたほうが良いことになる。詰まり一坪が一升、三日の米の食べ量であったのだ。考え方によっては一斗が一ヵ月十升である。大さっぱに言えば一反を二石として何万国の大名としたのである。だから、三万国の大名は一万五千反、四万五千歩と言うことになる。大名にその石高が入ったのではなく農民と五五か六四で分けていたから、実質は一万五千か一万二千石の財政ということになる。六四であれば一万二千人の生活しか出来なかったのである。年貢を高くすると農民は土地を捨てて逃げたから、上げることも出来ず大名は長い年月の内に窮息して行く事になる。その前は三百六十五坪が一人の人間が生活するのに必要であったという事になる。から、秀吉の検地より前の領地は広かったのだ。本来なら三百六十五坪なのだが、それを三百坪を一反という基礎を定めたのだ。土地は狭くなった。秀吉の検地は土地の広さと米の収穫量で枡と坪を決めたということである。米の出来る量で土地の広さを決めていたのを、人がどれだけ食べるかで決めたということだ。尺貫法は枡の生活から生まれた日本独特の物であった。



  中國の尺は日本より今の計算方法を基準にすると十センチ程短かった。つまり一里は五百メートルであり、万里長城は日本の距離の測り方では千二百五十里である。五千キロと言うことになる。

 まとれ・・・。



 夫である千蔵は宮大工をしていた。歳は三十歳に近かった。十一の時に弟子入りして宮大工として一人前になるにはそれだけの歳月がいった。小柄であったが逞しい身体であった。

おせいは恐々と煎餅布団の中で身をちじこませで待った。

 千蔵が入ってきて、

「ええか」と言った。

 おせいは母から言われた通り背を見せてじっとしていた。

「いたい」と初めての時は頬を濡らした。

 おせいは千蔵の腕の中で女になった。女の道がそこから始まったといえる。機を織る音が微かに聞えていた。義母はもう起きて仕事をしている、おせいは周章て千蔵の腕から抜け出して、身仕度をし水を使った。身体がまだ火照っていた。東の空が明けていくのを見ながら、これからの生活を夢見た。

「今日くらいは、ゆっりと休めばいいが・・・」

 義母のかねが優しく言ってくれた。

「教えてください」とおせいはいった。

 かねから藺草織りのことを習うことになる。

 藺の袴を取り方を教えられた。藺を揃えて義母が織る機を手伝った。そして、機の前に座るようになるにはそんなに時がかからなかった。

 千蔵は宮の作事があれば何ヵ月も家を空けたが、それ以外はおせいと機を織り、荷車に茣蓙を積み松山川の土手に乾しに行くのが楽しかった。

 また、このころは・・・よく普請という言葉を建築の時に使うが、江戸時代にはその言葉は開墾造成と言う意味であった。家を建てるというのを作事と言った。余談になるがここに記しておこう。



 おせいは、松山川の流れに手を遊ばせながら、この上流に母がいると思うと苦労を辛いと感じられず幸せだった。それに、千蔵は優しく、義母もいい人だった。義父は千蔵が生まれてすぐ他界したということだった。祖父母がまだ元気だった。後家の踏張りで子を大きく育てただけに、芯の強い働き者であった。

 一日を殆どかねと過ごすのだが、女と過ごすというより男の包容力を持っているかねだからジメーとしたものはなかった。



 おせいを淋しくさせるのは・・・



 千蔵が仕事で何ヵ月も家を空ける時、おせいは一人の褥で身を持て余して眠れないのだった。千蔵の厚い胸が恋しくも思った。

 おせいにとっては人生で一番幸せな時期であった。

 おせいが嫁いで一年目に、千蔵があっけなく疱瘡で逝った。子供は出来なかった。

 おせいは、泣き崩れた。

「これもあんたの運命じゃから・・・」

 とかねがぽっりといった。

「おせい、精舎というのは色のある木花を植えんところじゃ。いろ、女に迷わん・・・と言う戒めじゃそうじゃ・・・。が、人間とは黒い衣を着けている人たちでも、尚それだけ欲心が多いいということかもしれん」

 千蔵の言葉を思い出した。おせい家の庭からは山桜がよく見えていた。

 二人でよく眺めた。

「櫻は陽を見ては咲かん。どうしてじゃろうか・・・。このわしの仕事も、仏様や神様を頂く入れ物を造るが、陽を見ることはねえ・・・。櫻と同じじゃ・・・」

 二人で松山川の土手で茣蓙を乾し、幸せなときを過ごした折りに話してくれたものだった。

 おせいは千蔵の元へ行くまで櫻を梅雨時に二十本づつ植えた。

 春になるとその花びらが庭を覆い始めていた。乾した茣蓙にその花びらが絵模様を描いた。

 ある時春雨が桜花を敲いた。急いで茣蓙を仕舞おうとしたが間にあわなかった。

 茣蓙に鮮やかな絵図が残っていた。それが、花茣蓙として人気を博す事になるのだから世間の事は先が見えない。

 汐入り川へ向けての河幅を広げる運河工事が終わり、その土手に沢山の櫻が植えられた。酒津の櫻の事は大正十二年に東西に岐れていた高梁川(松山川)の東が堤堰された時に植えられたという説もあるが筆者は前者を取りたい。



 今、酒津はひとめ千本櫻の名所として残っている。花茣蓙は消えつつあるが・・・





中橋

2006-01-31 21:52:51 | 時代小説 中橋
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  中橋



 汐入り川は倉敷村をふたつに分けように流れているが、西からの下りが代官所の西門辺りにぶつかり南へと変わり粒江、藤戸へ下り児島湾へとつながれる。石の太鼓橋は何箇所か架かっているが、蛇行する処の中橋には一つの逸話があった。



 床屋の嘉平の話によると・・・。



 慶応、元治の前、文久年間は全国的に大飢饉が続いた。伯翁辺りから若い夫婦が田地を捨てて倉子城へ逃れて来た。栄えた所に来ればなんとか日々の口糊を凌げると考えたのだろう。転がり込んだ農家の納屋で寝起きをしながら、綿摘みの仕事を二人で朝が空ける前から陽が沈み手元が暗くなるまで働いた。男を源太、女をおなかと言った。



 倉子城は松山川が造った干潟に綿を植え、自作農家は資産を貯えていた。土地持ちの商家はより栄え羽振りが良かった。自作農に金を貸し払えなかったら土地を取り上げ小作として抱えた。商家は商いと綿の収入で財をなし大商人へと成長して行った。



「きついが、今が一番幸せじゃのう」と前の小さな流れで身体を拭いた源太が言った。

「お前も汗を流してくればええ」そして、汗の為に髪が額にこびりついているおなかを見て言葉を繋いだ。

「はい。あんたと二人で何もかも捨てて・・・」おなかは俯いて小さく言った。

「後悔をしておるのか・・・」

「後に残したおとっちゃん、おかっちゃんの事が・・・」

「みんなが捕まって・・・蒜山へ逃げたが捕まって津山へ連れていかれ首落とされて・・・山中一揆・・・」

「捕まらんじゃろうか?」

「ここまで来れば、幕府直轄備中倉子城・・・主人の後には下津井屋、児島屋がいるし、大竹左馬太郎代官もおられる。心配はいらん・・・はよう汗を流して此所にこい」

 源太はやさしく言って促した。

 おかなは十四、身体の線は膨らみが取れ流れる艶線を見せ始めていた。肌も桃が白く粉を吹くように瑞々しいものに変わっていた。

 源太はそんなおなかを見ると堪らなく愛惜しく、綿畑の中でも抱き締めたい衝動に駆られるが辛うじて押さえていた。

「ええ」と首肯いて、おなかは川の方へ歩き、着物を腹の辺りにたくし上げ流れの中に屈み込んだ。少しして、上半身を露にして顔から胸を手ぬぐいで拭いた。濡れた手拭いで髪を拭きながら帰ってきた。

 月明かりが備中の静寂を照らしていた。

「もう慣れたか?]

「ええ、何だか変なの、月のものがないの」とおなかは言った。

「ややが・・・」源太は張ってきているおなかの膨らみを触りながら叫んだ。

 そう言えば、おなかの身体が最近富みに女らしくなったと思った。

「ややが・・・」おなかは心配そうに言った。

「どうにかなるよ。二人して頑張れば」

「うん、産んでもいいのね」



 源太とおなかはそんな生活の中でも幸せだった。伯翁の土地の厳しさに比べれば、温暖で食物が美味しかった。それだけでも今まで感じた事のない至福の時を過ごしたと言うことなる。



 源太が倉子城を揺るがす大きな事件に遭遇することになるのだが・・・



 源太はお世話になっている自作農の使いで荷駄に綿を積み買い手の下津井屋へ向かった。下津井屋は汐入り川に架かる前神橋の西袂にあった。大店ではあったが庄屋ではなく、村役もしてなかった。

 その頃、飢饉が続き、幕府は港からの荷の出入を禁ずる津留め令を出して、買い占め売惜しみをなくそうとした政策である。その政策は飢饉の時に幕府が良く使った令であった。が、津留め破りは商人にとって儲け時でもあった。倉子城村からもそれを破り京、大坂、兵庫へ荷を出して儲けていた。その為には村人の噂を聞き流す代官がいつた。時の代官は大竹佐馬太郎であった。村人の直訴に知らん顔を決め込んでいた時代である。

 源太が下津井屋に着いたのは夕暮時であった。荷車から綿を下ろして三階蔵に積み替えているとすっかり陽が落ちてしまった。

「ご苦労だね、夕食の支度をしたから食べて帰ったらどうかな。温かいものを用意したから」と下津井屋吉兵衛は儲けを計算してか愛想を崩して言った。

「もう遅う御座いますから・・・」源太は断った。

「師走の忙しさ、今日くらいはのんびりとしては・・・」吉兵衛は何時もの居丈高をひそめて言った。

 源太は馳走になり、酒も振る舞われて強か酔った。

「今からでは、夜道が・・・少し休んで、明け方に帰れば良い・・・」

 源太が帰りの挨拶をすると吉兵衛が言った。

 源太は下津井屋の好意に甘えることにした。

 どのくらい玄関脇の小部屋で眠っただろうか、人の気配を感じて目が覚めた。

 黒衣裳の二人の男が刀を源太に突き付けていた。

「正義の為やむなしで、天誅を下す」と五尺程のやや太り気味の男が言った。

「逃げてろ、お前はここの者ではあるまい」と浪人風の男が言った。

 そう言って二人は奥へ消えた。

 源太は腰が抜けて動けなかった。

 奥で騒ぎが起こり、手代が玄関に転がり出て来たが浪人風の男が後を追って来て太刀を振るった。手代は小さく呻いて土間に倒れた。

 奥で火の爆ぜる音がしだした。



 源太はどうなったか・・・

 倉子城の朝焼けを焦がすように下津井屋の炎は大きかった。その火は三日三晩燃えた。 その火を中橋の上で見つめるおなかの姿があった。

 焼け跡から丸焦げの源太の亡骸が掘り起こされる前、中橋の袂でおなかは冷たくなっていた。



 源太とおなかは鶴形の墓地に静かに眠っている。

 今でも中橋の袂に小さな石塔があるが立ち止まり目を向ける人はいない。





格子戸

2006-01-31 21:51:00 | 時代小説 格子戸
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      格子戸



 鶴形山には、観竜寺と阿知神社がある。また、北側は墓地となっていて、沢山の石塔が立ち並び、彼岸と盆には香が立ち昇る。

 山を下りると倉子城で一番賑やかな本町へ出る。低い軒の商家が並んでいる。旅篭、小間物屋、提灯屋、研ぎ屋、化粧(けわい)屋、陶器屋、この道筋に来れば何でも揃った。 大店は汐入り川に面して並んでいたが、小商いの商家は裏道の本町通りに集まっていた。村人の出入りが多いのは何でも揃うこの通りであった。



 秋の祭りの頃のことである。



「おみつ、阿知の神様へ御参りしてもいいよ」

 と女将が帳面をつけていた顔を上げて、空雑巾で格子窓を拭いている小働きのみつに声をかけた。

「いいのでしょうか」とみつは心の表情を顔に表して言った。

「素隠居に生剥げが剽軽に舞って賑やかだょ」

 素隠居というのは、ひょつとこに似た面を被りおぶりの内輪を持って煽り、村人に福を授けるというもので、生剥げは天狗のような面を被り荒法師が持っ鳴物の杖で村中を歩き災難を追い払うというものであった。



 みつが、木賃宿「波倉」に小働きとして奉公にあがったのは十二の時だった。それから三年が過ぎていた。

 みつには母がいなかった。尋ねると死んだと父は顔を背けて言った。それから母のことは聞いたことがなかった。

 倉子城から浜の茶屋を通り生坂の峠を越えた西に広がる地がみつの産まれた清音と言う土地であった。

「波倉」の女将はみつの伯母であったから優しさと厳しさで、嗜み躾はとくに喧しかった。ぞんざいな扱いは受けなかった。

 山陽道は岡山から大供、野田、白石、庭瀬、庄、生坂、山手、清音、そこで松山川の渡たり、真備、矢掛、井原と言う道筋で、備前、備中から備後へと入る。街道沿いは人の往来も多かったが、ひとつ入れば青青とした田地が広がっていた。

 みつの父親は百姓をしながら、鍛冶屋も熟していた。それというのも備中は北房の刀鍛冶の血をひいていた。刀工として先祖は名を成した人がいた。

 備前の長船は名のある刀工を世に出して有名だが、備中の北房呰部は國光、國重らの名で業ものが多かった。 吉井川の砂鉄、松山川の砂鉄が名匠を産んだのだろう。



 少し話が前後するが、作兵衛が四十瀬のお鹿に「砂鉄が・・・」と問うが、よい材料がなくては良い物が造れない、その出る場所を尋ねたのであろう。

 よく家を空けたといったが、作兵衛はお鹿に教えられた松山川の支流を歩き回っているうちに、みつの父親國蔵と出会い、清音で軒先を借りたたらを習った。

 みつがおさよの看病をしていた時期である。人の巡り合わせの妙である。



 十五のみつは女の盛になろうとしていた。月のめぐりを太ももに感じたのは十三の時だった。もう子供ではないと、耳は熱くなり、頭がのぼせたようにぼーとしていた中で思った。痩せて骨の見えるからだが少しづつ肉をつけはじめ、滑らかな膨らみ、肌もきめ細かくすべすべした女に変えていった。

「みつも女になった」とその時伯母の女将も喜んでくれた。

「女になったら、滅多に肌を男に見せてはいけませんよ」と付け加えた。

 みつは父から貰った着物を着て、阿知神社への石段を下駄で踏んで上がっていった。

 幟が何十本も建てられ、風にはためいていた。子連れの夫婦が手をひいて燥ぐ、子供達が境内を走り回る、屋台の風車売りの掛け声、車座になって酒を酌み交わしながら豊年を祝う人たち。

 みつは賽銭箱に一文投げて、知っている人の幸せを願った。

 その時、みつは袖を引っ張られた。

「おとうちゃん」

「ようやく御先祖様に申し開きの出来る代物を打つことが出来た」

 國蔵はそう言った。

「これが売れたら、おまえに豪勢な嫁入り支度をしてやれる」

「うちは、まだ嫁にはゆかん」ときっぱりと言った。

「それならそれでええが・・・」

 みつは國蔵と屋台を冷やかして回り、倉子城を見下ろせる場所に立った。

「みつ、この刀を持って、本城新太郎道場へ行き目利きをして貰ってくれんか」

「いいわ。でも、おとうちゃんが持って行けば・・・」「何も言うな、お客がそうして欲しいと言っていると、お父のことはどんな事があっても話してはならん」

 みつは何かの事情があるのだろうと思った。

 國蔵は刀の入った布袋を出した。白鞘に新刀が納められていた。

「ほほ、ふふ、うう・・・」

 本城は懐紙を口に挟み食い入るように見詰めていた。「北房は呰部・・・。よくここまで鍛練なさいましたな、と、お伝えください」

 本城はみつの前に戻して言った。

「拙者が購うのも、腰に差すにも勿体ない。長船、呰部、それをこの業物は超えておる。みつさん・・・これは遠い話です・・・」



 本城はぽっりぽっりと話し始めた。



 秋の獲り入れを終えた頃、山陽道を二人の少年が京を目指し歩いていた。歩幅は軽やかだった。目は希望に満ちていた。

 備中北房呰部の産まれ刀鍛冶の倅達だった。が、殆ど刀を打つ事がなく鍬や鎌を作り、たまに頼まれて鉈や包丁を拵えた。刀工國重以来の伝統の業は泰平の世では必要がなかったのも廃れるもとであったろう。

 京までは同じ想い、先祖に恥じない刀鍛冶になろうが合い言葉であったが、純粋な少年の目に映ったのは綻びかけた散る前のあやうげな世情の波だった。

 戦になる、その予感が斬れればいいだけの刀を造らせた。刀鍛冶は殺す刃を作ることのみに専念していた。

 少年の一人はそれに嫌気がさし江戸へ出た。お玉が池の千葉へ通った。

 もう一人は刀に拘って、辛抱し続けた。

「みつさん、あなたはいい父親を持ったな」と本城は言葉を落とした。

 そして、

「人間とは、縦に生きる事しか出来ぬ者と、横にしか生きられない者がいる。今の歳になってもその何方がいいのかさっぱり分からん。まるで格子戸のようじゃ」

 と呟いた。

「おとっちゃん、おっかさんのことを聞いていい」

 みつは國蔵に本城の話を済ませた後に聞いた。

「おまえも分かる年ごろになったから・・・」



 國蔵が重い言葉を落とし始めた。

「本城と師匠の娘さんとの間に出来た子だ。本城はそんなことは知らないだろう。江戸へ行った後に子供が出来ていることに気づき・・・。その事が師匠に分かれば大変なことになる・・・。わしが、連れて帰った。おまえを産んで暫らくしていなくなった。江戸へ、本城のいる場所へ・・・。その後のことは分からないが・・・」

「みつ、お前はわしの子だ。お前の母をわしは密かにすいとった。お前と三人の生活は幸せじゃつた。本城が千葉の免許皆伝を持って倉子城に道場を開いたとき、わしがお前に残してやれるものは後の世まで値打ちの変わらぬ刀じゃと考えた。

 今までの柵を断ち斬る事の出来る刀、その刀にお前の幸せを託すこと、そう考えて打ったがいいものは出来なかった。

 刀は人斬り包丁じゃが、己れを守る為の物、好いた人を守るために生き長らえる道具、と考えたらこの一振りの刀が打てた。お前の幸せの、お前の母の・・・」

「いい、おとっちゃん・・・」目頭が熱くなりみつは袂で顔を隠した。



 國蔵と名のある刀は、今、倉敷の医者の床の間に飾られてある。



味噌蔵

2006-01-31 21:49:40 | 時代小説 味噌蔵
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味噌蔵



 倉子城村には真ん中を汐入り川が流れ、その両側に蔵屋敷が林のように並んでいた。普通は二階蔵なのだが、三階蔵もかなりの数であった。この蔵は倉子城の独特の建物で壁と壁の間に食用の味噌を詰め込み耐火蔵としたものである。味噌を入れたことから味噌蔵と村の者は言った。味噌を入れることを誰が考えだしたのかさだかではないが、飢饉天災の折り味噌蔵は壊されて食用になった。また、みんなが麦を持ち寄って貯え救済の蔵を造った。それを義倉と言った。倉子城の蔵の貯蔵高の何石蔵と言うのも、入る量ではなく内壁を乾かすのに炭をどれだけ使ったかで決まった。

 汐入り川は荷物の出し入れのために造られた運河である。児島湾の汐が上がってきて、蔵の石垣を洗ったところから「波倉」と呼ばれ、倉が多いところから「倉舗」とも言われていた。また、村の東の小高い向山にあった砦を「倉子城」と記されている。



 船倉は荷を運ぶ舟の溜り場であった。川人足はその周辺に住んでいた。甚六の長屋もそこにあった。甚六はこの村の者ではなかった。何時の頃からか流れて住み着き、主人持ちではなく、仕事がある時は働くという身だった。その他の空いた時間は賭け将棋ばかりしていた。指した人に聞けば強いのか弱いのか分からないということだった。少し影のある男で、三十を少し過ぎていたが独り身であった。世話をする人がいても耳を貸そうとしなかった。

「なあに、あっしなんか・・・。一人の方が性にあってますから」

 と嗤ってかわした。

 甚六は月の半分近く、四十瀬から松山川を下り五軒屋の渡しから江長に出て連島の角浜へ通った。角浜には女郎屋が数軒あった。

 連島は玉島と同じで、海岸を持たない諸藩が荷の出入りをさせるために造った港があった。人の出入りも荷の出し入れも盛んで、下津井港と角浜は遊興の地があり有名だった。 その地を甚六は訪ねるのだから、誰かに逢わないのが不思議だ。

「甚六には馴染みの女がいる」と言う噂が広がり、連れ合いを貰わないのはその所為だと言われるようになった。そんな噂を聞いても甚六は頬を緩めているだけであった。

 甚六の生活は変わらなかった。いや替えようとしなかったといった方がいいかもしれない。

「なあに、根っからの職人だよ」と仲間は言ったが・・・。

 床屋の嘉平に言わせれば、

「変わってますな、なにか訳ありのお人・・・、元は侍かもしれないな」

 とよく研いだ剃刀で捌くように、甚六についてそのように言った。

 甚六が村全体の溜飲を下げる事件を起こすことになるのだが・・・。



 時は文久の三年続きの飢饉の後、幕府が出した津留め令、その令を破って下津井屋、児島屋、浜田屋が裁きを受けたが、代官交替で櫻井久之助が着任すると、倉子城は港ではないから津留め破りなど起ころう筈はないと無罪にした。この裁きをめぐって大きな事件が起きるのだが、それは後の話として・・・。

 つまり、江戸末期、幕府の屋台骨がぐらぐらと、商人が天下を取っていたということを承知しておいて頂き・・・。蛤御門の変の後、幕府は長伐軍を芸州口まで行かせ陣していた頃であった。

 代官櫻井は金と女と将棋が大好きという男であった。 櫻井は長州の動きを探るため、年に何度か安芸へ出向いていた。それ以外は殆ど何もすることがなく、村の旦那衆を集めては将棋の相手をさせ、駒を指先で器用に弄びながら名字帯刀を五十両、永代名字帯刀を五百両と王手飛車を打っていた。

「この度拙者がここの代官になって二年になるのを機に、将棋の達人を決めたいと思うとるがどうであろう」

 と将棋相手の児島屋に言った。

「それは面白う御座いますな」

 と世辞に長けた児島屋が話に乗った。

「面白かろう、村人との親睦になり、埋もれた人材を掘り起こし代官所に抱えたいと考えておる」

 櫻井は強面の顔を崩しながら言った。

「それでは、達人を武士に取り立てということになりますな」

「そうよ」

「それはまた、代官さまの豪胆な計らいですな」

 と言うような訳で、倉子城村将棋大会が決まった。

 腕に自信のある者は誰でも構わない。身分を問わない。一番なった者には金五十両、望めば代官所の抱え武士に取り立てる。と言う高札が村の随所に建てられた。



 将棋は奈良、平安の頃に中国から流れてきた遊びであった。大きさもまちまちで、今の形態になったのは江戸時代である。が、名人、王将などという位はなかった。 江戸時代に、将棋を支配していたのは、大橋、大橋西、伊藤という流派で、幕府の庇護の元、大名、武士、裕福な商人に教えていた。将棋好きは三家の何れかの門下生であった。庶民は見様見真似で覚えた将棋で賭けをしていた。

 中には、家名を賭けての将棋対局、一門の名誉を賭けての三家の対局、色々と将棋で決めることが多かったのだ。大橋、大橋西、伊藤の力は大きかったのだ。

 櫻井は幼い頃より伊藤に学んだ門下生であった。空き地に線を引いて覚えた将棋ではない。商人が商談を兼ての手慰みでもなかったから、櫻井にかなうものはいなかった。

「倉子城には指し手がおらんのう」と櫻井は嘯いた。

 名うての将棋指しが苦もなく駒を投げた。



「おやじ、誰かつえい者はいねえかい?」

 と嘉平に髷を結って貰い乍ら薬問屋の林不一が言った。

「旦那はどうだったんです」

「五十手も保たなかった」

「旦那が相手でもね、そりゃあたいしたもんだ」

 嘉平は感心したように言った。日頃の人を見下す姿勢はなかった。

「あの高くなった鼻をへし折ってくれれば百両出してもいい」

 林は負けたことが悔しいのか、言葉に忌ま忌ましさを乗せて言った。

「船倉に甚六という男がいますが、なかなかの指し手だと睨んでおりますが・・・」

「甚六、あの賭け将棋ばかりしている奴か、あいつは駄目だ」

「知っていなさるんで・・・」

「ああ、甚六に勝った奴が盤の前に座ったが三十手も持たなかった」

「へえ、そうですかい、それじゃああっしにや心当たりはありませんやぁ」

「何でも甚六は金が賭けると滅法強くなる・・・と言うことは聞いたが・・・」

「旦那、甚六は根っからの人足ではありませんな。なにか訳が・・・。将棋好きが名乗り出ないのも妙なものですよ」

 嘉平は桂馬を飛ばした。

「うん、たしかに、どうにかして代官の前に座らせたいな」

 林は王の頭に歩を指したような言い方をした。

「金のためには指すかも知れませんょ」

「うん、金の薬を盛るか」林らしい言葉が出た。

「百両お出しになるんですね」と嘉平は林に詰め寄った。

 林は大きく頷いた。

「決まった。それじゃ、嘉平が段取りをつけてくれるのですな」

「へい、金の中は取りませんが、なんとか甚六を・・・。備中が江戸に虚仮にされたんじゃあ腹の虫が納まりませんからな」

「それじゃあ、頼みましたょ」林は一見好々爺のように見えるが強かな男だった。

「へい」帰って行く林を見送りながら、あのけちがよくもと思った。

 林の話に嘉平が乗ったのは、櫻井の日頃の横柄な態度が気に喰わなかった事と、林から百両出させて鼻をあかしてやりていと言う、両方の気持ちが動いたからだった。

 こうなりゃ、どうしても甚六に代官と勝負をさせなくちゃいけねえ。指せるだけでなく勝たせなくてはならない。嘉平は思案にくれた。

 時が流れて、西陽が土間の上で遊び始めていた。

「甚六には角浜に馴染みの女がいる」誰かの声が嘉平の耳元でしたような気がした。

 それがあった。月の内半分は通っている。あいつにはそれが弱みだ。

 嘉平は走っていた。

 こうなりぁ男の意地だ。何と言おうがやらせてみせる、いや、やらす。

 どこをどう走ったか覚えていないが、連島の角浜に着いていた。

「息が上がって・・・、手先だけじゃあねえ、頭も体も動かせなくては・・・」

 ゼイゼイと息付きながらへたり込んで思った。

「あにさん、大丈夫ですか」と二階から女の声が降ってきた。

「ああ大丈夫なはずだが・・・」と見上げた。

 細面の優しそうな女が心配そうに見下ろしていた。

「心配のついでと言っちゃあなんだが、倉子城からここへ通っている甚六という男の事は知らないかな」

「甚六、じんろく、さあ・・・。ここじゃあ余程の馴染みでも本当の名前なんか言わないからね」

 まったくだと嘉平は思った。

「それじゃあ、三十過ぎの渋いいい男だが・・・」

「甚八さんの事だろうか・・・」

「そいつだ」嘉平は叫んでいた。

「じぁ、かよちゃんのお客だわ」

「すまねえ、あがらせて貰うぜ」舌が縺れた。

「まだ、外はお天道さまが・・・」

「構わねえ、あっしは倉子城で火消しをしている床屋の嘉平、怪しい者ではねえ」

「かよって妓はいつ頃からここにいるのだい」

 女将に嘉平は尋ねた。

「さあ、一年前位かね、浪華から」

 女将は倉子城の嘉平の名を知っていて安心したのかそう言った。

「それで、幾らくらい前借が・・・」

 嘉平の滑らかな備中弁がゆっくりとなった。

「三百・・・あったけれど、その人が少しづつ・・・」「それで今は」きっぱりと言切った。

「今は、百と五十」

 話がぴったりとあうぜと嘉平は思った。この手だ、金の薬を効かすとは林もよく言ったものだぜ。

「そうか、それで、かよって妓は空いているのかい」

 こじんまりとした部屋にはかよの持ち物がある。鏡に白粉、さくら紙などが置いてあり、真ん中に派手な煎餅布団が敷いてあった。

 かよは小柄で肉付きもいい方でなはかった。

「話してくれないかい」

 嘉平は障子越しに見える亀島を眺めながら聞いた。

「・・・」かよは黙って俯いた。

「悪い話じゃないよ、甚六にとっても、あんたにしても」

「甚六?」かよは分からないという風に言った。

「ここでは甚八と名乗っているらしいが」

 それから長い時が流れた。汐が退いて亀島が陸続きになった。

 かよの重い口が少しづつ開かれようとしたいた。

 その時、障子が開いて甚六が入った来た。

「何も言っちゃあいけねえ。あなたを苦界に落としたのはこの私だ。あの時に私が負けていたなら・・・。私が負けていてもお役御免で済んだが、あなたのお父上はそれで済まないと分かっていたのだが・・・」

「それでは、父と将棋を指した相手の、梶田甚九郎さまはあなたでしたか」

「お父上の藩主と私の藩主が馬を賭けて・・・。つまらん、その為に負けて切腹を・・・。あなたはその為に・・・」甚九郎は頬を濡らしていた。

「それでは、あなたは・・・。その責任を感じられて、私の後を追うように・・・。何もかも捨てられたのですか」

 かよは縋るように問っていた。

「飯島香代殿・・・。私は、あれから一生将棋はやるまいと決めたのですが、駒を見るとついつい手が出てしまった。将棋しか能のない私には・・・。勝ったり負けたりしながら賭け将棋をして少しでも香代さんの為に役だてば・・・」

 西の景色を焼きながら沈んでいく・・・。ここにも一人の馬鹿がいると嘉平は首肯き続けた。

「お願いがござる。川人足の甚六として代官と指させて頂きたい」

 甚六はそう言って頭を下げた。

 そうこなくちゃ面白くねえ、と嘉平は頬を崩した。



 代官所の書院で盤を前に甚六は正座して待っていた。 櫻井は傲慢な態度で入ってきた。

 盤を挟んで向き合った。書院の中には倉子城村の役職者が見守っていた。

「先に」と櫻井は手を前に出して大仰に言った。自信の篭もった言葉であった。

「では」と甚六は上手の香車の頭の歩を突いた。

「それはまた異な手で来るの」と飛車の頭の歩を動かした。

 伊藤かな、と甚六は思った、そう言えば香代の父も伊藤流であったなと・・・。

 櫻井はたかが田舎の賭け将棋指しとたがをくくっていたが、二十手辺りからどうも駒の動きがぎくしゃくしだした。櫻井は焦りを顔に出すまいと懸命であった。

「川人足の賭け将棋、川の流れと一緒で逆らわないのが一番で・・・」

 甚六は冗談を飛ばした。

「貴様は、いや、貴殿は・・・」と周章て出した。

「訳ありでこの勝負ぜひ勝たせて貰います」

「何処の藩であった」

「野暮ですょ。ただの人足、歩のようなものでさあ」

「大橋の、大橋西の・・・」

 櫻井は、額に鼻の頭に汗の花を咲かせていた。



 勝負がどうであったか、香代が甚九郎がどうなったかは・・・。



 今、倉敷市芸文館の中に、大山康晴永世名人を顕彰しての大山記念会館がある。





夕凪

2006-01-31 21:47:21 | 時代小説 夕凪
 劇作家の小説・・・不手際はご勘弁を・・・。

 倉子城物語より

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    「倉子城草子」


             吉馴  悠



          序



 「今橋辺りで目と目が合って、中橋渡って二人の仲は、そぞろ歩いて高砂橋へ」

 倉敷を流れる倉敷川に架かる三つの石橋を唄った歌である。

 今や昔、備中で栄えた倉敷を観光として訪れる人は後を絶たない。

 近年、「チボリ公園」の開園でより多くの人が来ている。

 様々な人の心に何かを感じてもらっているのだろうか?

 ここに記すことは倉子城と言う架空の土地の物語である。



 静寂の闇が朝焼けの中に溶け込むと、白い靄のかかった家並みに挟まれた汐入り川が浮かんでくる。常夜灯が小さな灯りを点けている。川面はぼんやりと柳の影を落とし、露の雫がそれを揺らしている。朝露で黒く見える石畳が左右に延びて太鼓橋を繋ぎ、商家の戸口を結んでいる。瓦と瓦とを白い漆喰で貼りつけた滑子壁、江戸職人の精緻な業の格子戸、流れに沿って建てられた蔵屋敷。その下の石垣を洗う波の華。

 倉子城の風情はこんな形容で語られる。



 この倉子城は江戸になって、幕府直轄備中代官所が置かれた。備中の殆どが、北は伯耆、西は笠岡までが含まれていた。初代代官は小堀遠洲である。遠州については後に触れるが、役職と名を二代目に譲り、その後彼は京に上り、多くの庭園を手懸けた。庭園で有名なのは初代の遠洲である。

 時代とともに備中の領内は新見、松山、笠岡となくなって行くのだが、そのぶん倉子城の商家が栄え、松山川の押し流す土砂によって海が中洲になり、干潟になって、そこえ綿を植え年貢税収は変わらなかった。

 平安時代は、瀬戸内海に面した小さな漁村であった。「平家物語」の件の「水島合戦」は、藤戸、倉子城、粒江、水島を戦場にしたものである。

 その中でも、藤戸の浦人と佐々木盛綱のやり取りは、謡曲の出し物になり「佐々木が憎けりゃ笹まで憎い」と言う老婆の哀しみが綴られたものだ。

 松山川が土砂を運んで瀬戸の海に流れこむ、中洲が出来、それが干潟になり、西阿知、中島、四十瀬、笹沖と人が住むようになった。倉子城の海が開墾されてそれらにつながり農地が広がった。

 江戸になって、松山川の枝流れは倉子城へ入り、藤戸から児島湾へと注いだが、船の行き来できる川幅はなく、掘って広げながら運河を造り荷出しの海路とした。松山川の流れと、近在の産物が集積されて、京大坂への商人の村になり栄えることになる。



 この話の数々は史実には残らなかったが、その村の人達の営みの物語である。





          夕凪



 その男が鶴形山の東のどぶ板長屋に住み始めたのはいつの頃だったか。口うるさい長屋の女房達も覚えていない。いつの頃からか住み始め、どんな顔付で、何を生業にして、と問われても、逢っていても一度か二度、応えられないのが当たり前であろう。

 月のない夜にすれ違ったようなもの、聞くほうが野暮であろう。

 男はじっと家にいるというのではなく、よく家を空け、長い時は一ヵ月近く留守をする事もあった。

 男が家にいる時には、小鏨を打つ金槌の微かな音、擦るような響きが聞えていたはずだが、周囲の喧騒に掻き消されたのだろう。



 男の名前が分かったのは・・・。



 おさよが倉子城に来たのは、梅雨もあけようとしていた時期であった。おさよは大坂から海路で備前藩の下津井港に着き、高瀬舟で松山川を遡り四十瀬で降り倉子城へ入ったらしい。女の足ではその方が楽だし、危険も少ない。女の一人旅と言えば、三味線流しか、枕探しのような男顔負けの度胸がなくては出来なかった時代だったから、よくさがの事情があったのであろう。

 倉子城に入ったおさよは、本町に宿を借り、作兵衛を捜し歩いた。

 備中領内は広いが、倉子城村に限って言えば、二日もあれば隈無く歩けた。が、おさよは尋ねながら四日間捜した。それでも、作兵衛を見付ける事は出来なかった。足に食い込む草鞋が何足も変わった。

「倉子城で作兵衛に逢った」

 と言う噂を耳にしたおさよは、それを頼りに脚を運んだのであった。

 おさよは見つからないという落胆と、梅雨明けのこの地方の気候に疲れ切った。

 備中の夕凪は梅雨があける頃から始まる。昼間には海からの心地よい風が流れてくるが、夜になるとぱたっと立ち止まる。蒸し風呂の中にいるような夜が続くのだ。この土地で育った者ですら、

「魚に果物自然の恵み、天災少なく住みよいが、瀬戸の夕凪なけりゃ天国」

 と歌にしたほどの強かな夕凪であった。

 江戸育ちのおさよには耐えられずに体は衰弱して風邪を患った。数日、床に身を横たえたが起き上がる気力もなく、小働きのみつが付ききりで額の手拭を替えたのだが、恢復をしそうになかった。

「長旅とこの季節の所為でしょうな。よく眠って、美味しいものを沢山頂いて、まあ、ゆっくりと今までの疲れを取ると考えればどうでしょうな」

 呼ばれて診た医者の島田方軒が優しく言った。

「はい」とおさよは消え入るような声で頷いた。

 おさよにとって、作兵衛に逢えないという事がその原因であった。今まで張り詰めていた気力が無くなっていたのだ。



「なんだ、あれは心の病だな」

 と島田方軒が、床屋の嘉平に総髪の裾を揃えて貰いながら言った。

「へーえ、先生がそこまで入れ込むとなりますと、大層にいい女ということになりやすかね」と嘉平はからかった。

「そりゃあ、隅田川の水と松山川の水の違い・・・」

「どっちがどうなんでしょうねぇー」

「それにしても、不憫という他ないな。知らぬ土地で病になるとは・・・。おぼこではないが、嫁してまだ日が浅いと診た」

「なんです、脈を診たのではなく体付きを見たのですかい」

 と嘉平は言って頬を緩めた。

「この歳になって何が楽しみかというと、この仕事は何憚る事無く女子の裸が見られるという事だな」と、島田も鼻の下を延ばした。

「有り難いことに、私には娘がおりません」と嘉平は嗤った。

 その後、村に住む人達のことが二人の言葉のやり取りになり暫らく続いた。



 江戸時代、床屋は火消しの役を兼ねていたから、人の出入り、細々とした噂も沢山集まった。嘉平の頭の中には、倉子城村の総ての人の事情が入っていた。誰がどのような暮らしをして、何処に住んでいるということも知っていた。道筋、路地の幅、天水桶の場所、家並みと、生き字引であった。

「はるばるこの倉子城に来て病に・・・」と聞けば放っておく事は出来ない。嘉平は縄文顔の四十を少し過ぎた男であった。備中の人には稀な人情家でもあった。

 話を聞くと、嘉平はじっとしておれず、何度か尋ねて面倒を見た。事情を尋ねたが、訳を言わなかった。

「作兵衛と言う人を尋ねてまいりました」

 おさよは嘉平の親切が本物だということが分かったのか、ぽつりと頬を赤らめて言った。やつれて頬が少し窪んでいた。

「作兵衛!」と返して考えたが、嘉平の記憶にはその名はなかった。

「この半年くらい前から、流れ者がどこかへ住みついたって話は聞かねえかい」

 嘉平は髭をあたりながら船倉の川人足の甚六に聞いた。

 甚六は仕事のない時には賭け将棋をして小遣い銭を稼いでいるという男だ。一年くらい前にどこからか流れつき、居心地がいいのか腰を落ち着けていた。筋の張り方で元は武士であると嘉平はにらんでいた。

「聞かねえょ。あんたが知らねえのに誰も知るめいよ」甚六はそう言って、

「今度の代官は飯より将棋が好きだということだが、本当かい」と問った。

「らしいな、なんでも倉子城村の名うての将棋指しを集めて大会をやるって噂があるんだが、おめいも出てみる気はねえか」

「あっしなんかその資格はねえょ、それに肩の凝ることは御免だからな。・・・ああ、さっきの話だが、この前四十瀬の土手で・・・」

 甚六は思い出したように言った。

「おい、それから・・・」嘉平は急いだ。

「擦れ違った男だが、旅の男ではねぇ、・・・何か匂った・・・」

「それをなんで早くいわねぇんだょ、それで・・・」

「焼けるような・・・鍛冶屋じゃねぇ。この村の人ではねぇ」

「四十瀬か」と、何かを思いだそうとしているのか、少し手を止めた。

 行ってみるか、嘉平は何でもいい糸口が欲しかった。

 おさよのことを思うと、じっとしている自分がいたたまれなかった。



 次の日、嘉平は仕事の合間を縫って、四十瀬へと向かった。

 村の西の外れにある色町を通り抜け、農家が点在し綿畑が続く一本の道を松山川の土手へ向かって行く。以外と道幅は広く、行き来する人の数もまた多い。下津井、玉島、連島から倉子城への道なのだ。嘉平は辺りの景色を眺め乍ら、歩いていた。

 この辺りは少しも変わらねぇ、と、嘉平は呟いた。

「あら、珍しいじゃありせんか」と田地を耕しながら声をかける百姓のかかあ。

「床屋の旦那、今日は何か用で」と荷駄を引く作男。

 道筋には銀杏が天を突く勢いで伸びている。

 遥か向うにこんもりと茂った林が見えた。松山川の土手道の下に高瀬舟の船着き場である、そこが四十瀬。人が集まりぁそれ相応の店が開く。めし屋に、茶店、小間物屋と言う具合に。荷車が通よやぁ鍛冶屋もいる。舟が通うやぁ大工もいる。数は少ないが、小さな村だった。

「この辺りに、半年くらい前から越して来た者がいるかい」

 と、顔馴染みの茶店のお鹿ばあさんに尋ねた。

「あら、嘉平さんいつ見たっていい男だねぇー」とお鹿は世辞を言った。

「お鹿さん、あんたも年はくわねえな」

「なんだい、年寄をかからつてはいけないょ」

「そんなことはいい、聞いてなかったのかい・・・」

「聞いてたよ。なにか訳ありの男のことだろう」

「そうだ、なにか心当たりがあるのかい」

 お鹿が言うには半年くらい前、ふらりと茶店にやって来て、

「この辺りに、砂鉄が出ると聞いたのだが何処か分かるかい」

 と尋ね、

「少しの間、身を置ける場所はないだろうか」と言ったという。

 お鹿は、その男が背負っている哀しみを感じたので、うちを手伝っていた飯盛り女が嫁いだ鶴形の東の早瀬の長屋を世話したと言った。

「それで、ここで作兵衛と逢ったのか・・・。よく此処へは来るのかい」

「あの人が何かしたのかい」

「いや、少し尋ねたいことがあってな」

「今年も銀杏がまた一段と元気がいいな」と続けた。

「ああ、はい」お鹿は嘉平の視線に習った。

 早瀬か、とんだところに落し穴。あそこは分かりにくいと嘉平は思った。

「ここに立ち寄ったら、嘉平が尋ねて来たと言ってくれ」

 と言い残して、その足で倉子城へ引き返した。

「作兵衛の家はどこだい」

 棟割り長屋は通路を挟んで同じ建て方で向かい合い、中央に井戸を置く。入り口は半間の板戸の障子張り、三和土を挟んで台所に板張の仕事場、障子を開ければ四畳半、押し入れ、障子に二尺の濡れ縁と雪隠、突き当たりが隣の板の塀。

 商家の家作は殆どこんな具合に決まっていた。

「作兵衛、そんな人がいたかね」

 と井戸で大根を洗っていた狐のような顔の女が言った。

「居ると聞いて来たんだ」

「そういゃあ、隣の奥に・・・」

 嘉平は聞くか聞かないうちに、ありがとうよ、と言って、走っていた。

 同じ風景だ。入り口を軽く叩いた。返答がない。強く叩いた。

「御免よ」と声をかけて、引いてみた。重い音だが動いた。

「居るのかい、それとも留守かい」と声をかけながら入った。

 すえた匂いが鼻を突いた。

「この分じゃあ、長旅に出ているな、ひょつとしたら帰らえねえかも知れねえ」

 不憫なおさよを思った。

 嘉平は部屋の中をじっくりと見た。

 なにもない、貧相な男一人の部屋だった。仕事場には、二尺ほどに切った木株があった。嘉平は目を凝らして木株を見入り、手で撫ぜてみた。

 金銀の粉が指先に着いた。

「錺(かざり)職人だな」と嘉平は当たりをつけた。

「作兵衛は錺職人かい」とおさよを見舞って問った。

「居所が分かったのですか」おさよは起き上がろうとした。

「無理をすることはないよ。ああ分かった、だが逢えなかった」

「私をそこへ連れていってください」声に張りが出てきていた。

「きっと、作兵衛とやらとの段取りは着けるから安心しな」

 嘉平はそう言って帰ろうとした。そういやあ、店をほったらかしている事に気づいた。「お願いのついでといえば厚釜しゅう御座いますが、これを作兵衛さんに渡してくださいませんか」と言って、包みから簪を取り出して、嘉平へ渡そうとした。

「貴女はもしや、お武家の・・・」

「はい」おさよは俯いた。その細いうなじが嘉平の心を震わせた。それはおさよの定めを表していた。嘉平はもう何も言えなかった。

 おさよは少しづつ語り始めた。

 作兵衛とおさよは江戸の生まれで隅田川の近くの同じ長屋で育った。作兵衛は父が錺職人だったから、その後を継ぐべく手伝いだしたのは七歳の頃からだった。

 おさよは六歳の時から子守をして家を助けた。が、十二の時に奉公に上がり、そこで見初められて子供のいない御家人の養女に迎えられた。

 作兵衛とおさよの定めはそこでくるった。

 作兵衛は父に仕込まれ筋がいいのか腕を研き、江戸でも何人もいない錺職人になった。おさよには、養女先の家に婿養子が迎えられることになったが、おさよはなにも言えない立場だった。

 作兵衛は江戸で評判の錺職人になり、気が向かなかったら仕事をせず、注文を受けても前金だけ貰って納める日は決めなかった。だが、何時になっても構わぬからという注文が絶えなかった。

 作兵衛のところに、おさよの養女宅から婚礼に間に合うようにと簪の注文が入った。

 作兵衛はおさよの婚礼が決まったことを注文で知ることになった。

 その日から作兵衛の姿が江戸から消えた。

 おさよの婚儀の日に簪が届いた。

 おさよは、目にいっぱい涙を浮かべて言った。

「その簪が・・・」

 嘉平は簪を手にとってじっくりと見詰めた。鴛鴦が向かい合い泳いでいる、そんな絵柄が彫り込まれていた。これほどの細工は見たことがなかった。

 こりぁ、百や二百ではない・・・と思った。

「返す必要があるのですかな」

「はい」おさよはきっぱりと言った。

「どうして・・・」

「どうしてもです」病人とは思えない声音であった。

「なにか訳ありなのですな」

 おさよは小さく頭を垂れて、頬に落ちる雫を細い指で引いた。

「私には、この簪を受け取る資格はありません。日本一の錺職人の簪を髪に挿す・・・そんな・・・」

「約束でもしていたのですかな」

「はい」おさよは素直に答えて、

「その約束が守れなかったのです」小さく言った。

「そうかい、おおよその見当はつくが・・・、それで気が晴れるのかな」

「あの人の手で造られたものを一つでも側に置いていたい、でもそれでは・・・」

「苦しまれましたな」

「はい」

 嘉平はどちらの気持ちも分かる。分かるだけに哀しい。

「返したいからここえ」

「出入りの小間物売りの話で、備中は倉子城の辺りで作兵衛さんを見たという・・・」

「それで・・・」

「はい。何も考えずに・・・」

 嘉平は黙り込んだ。悲しみと幸せ、これほど人を愛惜しいと思ったことはなかった。

「お願いできましょうか」

「それでいいのかな、本当に・・・」

 嘉平の声が潤んだ。

「はい」かすれた声がはっきりとしていた。

「それで、これからどうしなさるんで」

「江戸に帰り事情を言って・・・」

「今じゃそれも出来ますまいな」

 陽が落ちる前の西の空が真っ赤に燃えていた。その陽に向かって二羽の鳥が渡っていた。それは、作兵衛が彫った鴛鴦のように見えた。



 嘉平の店に作兵衛が尋ねてきたのはそれから半月ほどしてであった。

「このあしに何か御用で、親方に何度も脚を運んで頂いて・・・。西に行ってやしたもので・・・申し訳ありやせん」

 作兵衛は丁寧に頭を下げ挨拶をした。

 まだ若いが、一つのものを極めた者が持つ風格があった。鋭い鷹のような目の奥に優しい輝きがあった。

「これを返してくれと頼まれたもので・・・」

 嘉平は奥へ入り大切に仕舞ってあったおさよから預かった簪を持って来て、作兵衛の前に出して言った。そして、作兵衛の仕草を見詰めた。

「この代金は頂いてやす」

 きっぱりと言ったが、指先が震えていた。

「この簪を持って来たお人のことは尋ねないのかい」

 嘉平は少し意地悪を言った。

「関係が御座んせん。その人に言っておくんなせい。この簪は、ひと鏨ひと鏨この簪を挿す人の幸せを願って打ちやした。・・・幸せになっておくんなせいと・・・」「おめいさん、本当にそのお人の幸せを考えるなら、職人としてそこまでやてはいけないね・・・」

「ええ!」作兵衛は俯いていた顔をあげた。

「この簪を挿すお人のことを考えたら、この簪には魂を入れちゃあいけなかったのではありますまいか。この簪を挿すお人はどんな思いで挿せばいい・・・。おめいさんは恨みでもあるのかい」

「ああ」何かに気が付いたように作兵衛は声をあげた。「ここはこの私に任せてはくれないかい」

 作兵衛はうな垂れて耐えていた。

「何もかも捨てて、風の頼りでおめいさんが倉子城にいると聞いて訪ねて来たおさよさん。簪を挿そうとしても挿せなかった辛さ、この鴛鴦、もう帰るところなんかありませんからね」



 今、この簪は倉子城のある家の箪笥の中に大切に仕舞われている。





2006/01/31 理解者の本音は・・・。

2006-01-31 21:02:15 | Yuuの日記


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雨が上がり曇った空時に晴れ間を見せていたが少し過ごしやすい気温・・・。

九太郎の鳴き声が少なくなった・・・。サカリが段々遠のいたのか・・・。家人と買い物に出ようとするとそわそわしだとてついて来ようとする・・・寂しがり屋なのか・・・。
夕餉は秋刀魚の塩焼き、鰈の煮物・・・今日は魚ずくし・・・。家人は明日の狐寿司の用意で夢中である・・・。
ヒューザーの小嶋・・・あなたは人の損害まで賠償しろと提訴するのか・・・。この人はおかしい・・・。弁護士は勝算があって進めたのか・・・。印紙を2000万円近く使っていると言うが・・・。顔が段々悪くなっていますよ・・・。ホリエモンと言い小嶋といい、開き直りが得意なのか・・・。
コイズミ窮地に・・・。小嶋、ホリエモン、アメリカ産牛肉輸入疑惑、防衛庁疑惑・・・。予算委員会が進みません・・・。誰かの首を挿げ替えなくては収まりません・・・。性善説ではどうもならなくなったか・・・。
やってくれました東横イン・・・金儲け至上の経営者ならそんなことも言うか・・・。障害者用の駐車場、ルーム・・・場所を取るから変えたいだろう・・・。その本音を語ったことは勇気あると・・・。
まだまだ公共施設に障害者用の駐車場も設備もないところがあるが・・・。雇用は17%を障害者をと・・・。障害者年金を貰っているのだから月給は安くても我慢とは・・・。いろいろと障害者の問題もあるが・・・。学校では普通の生徒並に扱って欲しいと訴え、社会に出ては障害者だからとは・・・。障害者も国の擁護だけではなく考えなくては・・・。障害者の家人と一緒に暮らして37年になるが、甘やかしたことない・・・。一人の人間として、健常者と同等に接してきた・・・。階段は介添えしながらゆっくり時間をかけて上がった、二人三脚で生活したのだ・・・。障害年金を貰っているがそれ以上は国に迷惑を掛けたくない・・・。人並みの生活がしたい、だが不具だからそれは出来ないと辛抱しているが、それ以上の喜びは本人次第である・・・。走れなければほかに喜びを見つける努力をすればいいのだ・・・。幸せや喜び場人それぞれである・・・。何も健常者のそれを真似ることが十全ではないのだ・・・。健常者は健常者で苦労をしているのだから・・・。何もかも国に手伝ってもらっては生きていると言えるだろうか・・・。本人の意思がそこにあるのだろうか・・・。自立への努力はどうか・・・。障害者の近くに一人の支えのボランティアがいればいいのだ・・・。理解者のような顔をして何も知ったかぶりでバィアフリーを訴えることだけが能ではないのだ・・・。一緒にリハビリーをしてくれるそんな人が必要なのだ・・・。理解者面をしている人たちはいざとなると逃げ出す人たちの集団であることが多い・・・。社会福祉を充実させていますと言わんばかりにバィアフリーをしている施設が多いが、年金より自立への支援が欲しい・・・。障害者として隔離するのではなく・・・バイアフリーの問題が起こると言うことは差別感があると言うことである・・・。障害者の家人と慎ましく暮らし思うことは家人を障害者と見ないということだった・・・。
春を待っている家人が居る・・・。

 春を待つ梅桃櫻開く日を
          寒さに耐えて春を待つ

 2006/01/31明日から2月節分か寒さはどうかと案じるが・・・。




2006/01/30 雨の日は・・・。

2006-01-30 17:17:00 | Yuuの日記


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今日は朝から雨しとしとと降っている少し寒いのかなと思える天気か・・・。

昨夜たくさん洗濯物をしてが雨とは・・・。乾かないからどうしょうか・・・エアコンで乾かすかな・・・。
静岡では花が満開20060129-00000415-yom-soci-thum-001.jpgとは・・・。過ごしやすいのは静岡と言うが・・・。
巨人の高橋由伸sp-bb-tp0-060130-0004.jpgが結婚、永すぎた春にならなくて良かった・・・。今年のプロ野球は面白くなるか・・・昨年よりは良くなるのは当然か・・・。堀内いなくなっただけでもいいか・・・。
ホリエモンの悪事が次々と露見しているが・・・。冬に開いた花火か・・・。金の為にはなんでもしたのか・・・。悲しい性であるが・・・。

創作メモ3・・・
頭にあることを、心にあることを書けばいいのです・・・
優しいのは話し言葉で書くことです・・・みんな話すことが出来るのですからそれを書けばいいのです・・・風景描写はそのままでいけます・・・が情景描写のときは少し考えてください・・・人によって赤く見えたり緑に見えたりします・・・それは心理的なものです・・・その心理を風景に重ねると情景描写になるのです・・・たとえば悲しいときにに美しい光景もくすんで見えるかもしれません・・・ここはきっちりと書いてください・・・
情景描写があるとないとでは人間を書く上で違ってきます・・・洞察力の問題です・・・それがないと人間を深く書くことが出来ません・・・文章の光沢が違ってきますので気をつけてください・・・
句読点のない人は心臓が強い人だといわれました・・・
が、それは嘘のようです・・・谷崎の文章は長いのですが、果たして心臓は強かったか・・・妻を交換するくらいですから強かったのでしょう・・・
テーマが文体を生むと書いたと思いますが、じっくりと心の中においていればおのずと文体は出来ます・・・遣ってみてください・・・このようなものが書きたいと心においてじっくり待つのです・・・喉まで書いてくれと言う要求が上がってくると一気に書き上げてください・・・それを書く醗酵と言います・・・自分でもこれが本当に書いたのですかという物が書けている筈です・・・短期間で醗酵させることが出来るのがプロの作家です・・・
最初は短い文章で書いた方が書きやすいでしょう・・・
それが段々長くなるのです・・・書くより馴れろです・・・そして、だから、・・・接続語を上手く使えば文章は長くなりますので研究してください・・・
書いたところを声を出して読んで耳で聞いてください・・・間違いが分かるはずです・・・
私仕事ですが、それを遣らなくて何度も失敗していますから・・・声を出して読んで聞くと文脈の乱れがよく分かる筈です・・・
作家とは詐欺師で大法螺吹きのことです・・・
そういわれてもよければどうぞ作家になってください・・・

作家には書くときに降臨があると言うが・・・。それは他力・・・いい意味の他力か・・・。書いていてこんなことを書いたのかということに気づくことはありませんか・・・。夢中にさせる何かが・・・それを降臨と言うのか・・・。神が書かすのか・・・自らの体から出て行った他力が書かすのか・・・。
一雨で花は鮮やかに蘇りました・・・。

 雨の中汚れが落ちて鮮やかに
            咲く花今日も美しく見え

 2006/01/30今日は雨が降った・・・明日はどうか・・・。



2006/01/29 読書は・・・。

2006-01-29 17:35:11 | Yuuの日記

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晴れ今日は暖かい日猫も喜び庭駆け回りサカリがついて泣き叫ぶ・・・。

私が動くと直ぐにおきる九太郎、散歩をねだるのです・・・。今は九太郎の喧しい鳴き声に馴れたのか・・・よく眠れたが・・・。
今日は焼肉屋さんへ・・・先週は予約が取れずに食べられませんでしたから・・・。夕餉は何も作りません・・・。
買い物・・・豚の塊を・・・。塊を蒸してスライスをし焼くと美味しいと言うが・・・。スライスをしたものを買うよりはこの方が美味しいのだそうだ・・・中華料理の先生が言っていた・・・。このところ料理番組を深夜見ることが多い・・・。
ホリエモン20060119C19BB9017.jpgの取り締まりは日曜なので休みか・・・。ほっとしているのかホリエモンは・・・。そう言えば終戦後直ぐに東大出の人がこのような事件を起こしたのを思い出した・・・。何とか事件・・・金融業「光クラブ」・・・山崎は資金に詰まり青酸カリ自殺アブレ犯罪のはしりとなった・・・。

昔、読んで心に残ったものを・・・。

恋文連城三紀彦の「恋文」螢川・泥の河宮本輝の「螢川・泥の河」光抱く友よ高樹のぶ子の「光抱く友よ」やまあいの煙重兼芳子の「やまあいの煙」雁の寺水上勉の「雁の寺」山本周五郎作品の女性たち「山本周五郎作品の女性たち」さらばモスクワ愚連隊五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」

コレラのものを読んで何を拾ったか・・・。夢とロマンか・・・。もの書きになる為にはみんなより少しの努力と少しの勇気が必要です・・・。夜な夜な頑張ってください・・・。

 鳴く声が夕闇を裂き聞こえ来る
             隣の家の犬が夕餉か

 2006/01/29昼間の温かさは・・・サルになると寒さが忍び寄るか・・・。


小説 高梁川 1

2006-01-29 14:53:39 | 小説 高梁川 連載中
  高梁川(たかはしがわ)


1



 大正十二年、春まだ浅い高梁川を一艘の高瀬舟がくだっていた。
 雪解け水を集めた黄土色の激しい流れだった。
 高梁川は中国山脈に始まり沢山の支流を集めて一つの大きな流れをつくり瀬戸内海にくだる。一年中水量の豊富な川であった。
 高瀬舟は流れに弄ばれるように下っていた。流れの曲がり角で白い飛まつが上がる。それを巧みにかわして滑っていく。
 周囲の山や畑はまだ、草木の芽が弾けた頃で、緑が転々としている程度で春がまだ届いてないことを物語っていた。
「親父、かわろおか」船尾で棹を立てて前方を見つめていた源太が大きな声で言った。
「可愛い娘の花嫁舟、棹は譲るものではねえ」
 船首で巧みな棹捌きを見せている茂市が叫んだ。
 高瀬舟には中央に小さな包みを大事そうに抱え、緊張した表情の菊が座っていた。
 その傍に心配そうに見守る母のシズがいた。 
「何も心配するこたぁねえ、女子が皆通る道じゃ」
 シズは幼い菊に声をかけた。
「うん」と菊は小さく頷いたが、不安そうな表情は消えなかった。
 菊は、父と母、兄の帰りの苦労を思っていた。
 高瀬舟に縄を駆けて川沿いの道で引き、川に入って船を押し石を斯くことを考えれば涙が出るくらい切なくなる。まして、この激流の中なのである。
 菊の縁談を決めたのは父の茂市であった。高瀬舟の船頭をしている茂平は松山で荷を積み川を下る。下りながら船着場で荷を降ろし川下への荷を乗せる。
 菊の一家は松山から山一つ隔てた村で僅かの田地を耕しながら川人足をしていた。
 高瀬舟の船頭をしている茂平は松山で荷を積み川を下る。下りながら船着場で荷を降ろし川下への荷を乗せる。
 菊の一家は松山から山一つ隔てた村で僅かの田地を耕しながら川人足をしていた。農繁期も何もなく、二人は仕事に出る。山地の段々畑を耕すのはシズと菊であった。
 菊は辛いともえらいとも言わなかった。母の言うとおりに何でもした。働き手であった。
 菊が十五の正月に。
「菊、決めてきた」と茂市は言った。ただそれだけだった。赤銅色の顔が酒のためか光って見えた。
 菊は着物の袂を抱え囲炉裏に手を翳して聞いた。ただ黙っていた。
 菊が月のものを見たのは昨年の秋だった。
「菊も女子になったの」と言ってシズは赤飯を炊いてくれた。それがどんな意味を持つものか判断をしかねた。
「ややが産めるということじゃ」
 と、シズは少し頬を緩めて心配そうな娘に付け加えた。
 菊は沢山の出血で頭がボーとしていた。が、母の言葉で少しは呑み込めた。
 菊は女になる準備をしていたのだった。 
 周囲の風景が変わって行く。山がだんだん引いてゆき土手の高さが増していった。流れは少し緩やかになり、川幅はひろくなっていった。時折岩に水だ砕けて白い飛沫が悲鳴とともに起こった。
 菊は流れに手を入れてみた。手に当たった流れが二手に分かれる。
「菊、生きるということはこの水の流れと同じじゃ…。速い流れもあれば緩やかな流れもある、だけど流れるのでは、水は…」
 と、シズは無邪気に遊ぶ娘に言った。
「うん」菊は頷いたが、母の言うことを理解していたわけではなかった。心の中には不安のあまり緊張が走っていた。
 何時間ほど下ったろうか、川幅は広く緩やかな流れになっていた。遠くの山肌に薄い桃色の斑点のような模様が現れた。
「早とちりの山桜、まるで源太のようじゃ」とシズは見て言った。
 山桜が張り付いたように咲いていたのだった。
 大きく蛇行したところで視界が開けた。青空がいっぱいに広がっていた。海が近いのか仄かに潮の匂いがしたように菊には思えた。
「もうすぐじゃ」と茂市が声を上げた。
「酒津の土手が見えてきたぞ」と源太が言う。
 ここから東高梁川と西高梁川に分かれていたが昨年の工事で東高梁川を堰きとめて西高梁川ひとつにしたのだ。東には名残の水路が造られたのだった。
 茂市と源太の船は水路へ入ることが多かった。四十瀬、江長、福田、呼松、塩生。通生、大室、下津井と下るのである。
 酒津を右に回った所で西阿知に船を着けた。
「着いたぞ」
「うちも始めて来た」とシズが立ち上がって言った。
「菊、来てみい、ここがこれからの生活の場所じゃ」
 源太が舟の中でじっとしている菊に声をかけた。
 麦とい草が波打つ田んぼが広がっていた。カタンカタンという機を織る音が聞こえてきていた。
 ここが私の生きる場所、菊はある種の感慨を持って眺めていた。

2

 目が覚めると、隣で寝ているはずの夫の正久はいなかった。身づくろいを済ませて耳を澄ますと、「カタン、カタン」という音が聞こえてきていた。そのほうへ進んでいった。何台かの機織り機で茣蓙を織っていた。義母のせつ、義父の義一、義妹の百合、それに正久が忙しそうに働いていた。
「今日はゆっくりすればええ」
 とせつが声をかけた。
「昨日の今日じゃ、疲れたろうに」
 義一がそういって労った。
「おとうにおかあがそう言うのじゃ、部屋で休んでおれ」
 正久が優しく言った。
 家族だけのささやかな結婚式であった。
 着いた日は父も母も兄も安木の家に泊まり、次の日が結婚式であった。式が終わると菊の家族は高梁へ帰った。流れは少しは緩やかになっていた。が、船を引き、押す苦労は大変だろうと思った。
「うん」と菊は小さく頷いて部屋に帰った。
 窓から沢山の桜の木々が伺えた。そこが人目千本桜の酒津だと後から知った。高梁川の土手にはこんなに早い時だというのに織り上げた茣蓙が干してあった。
 それが風に弄ばれてパタパタと音を立てていた。
 菊はぼんやりと部屋の隅に座った。
 十五の菊は式の後、正久に抱かれて女になった。
「痛い」と声が出た。女が通る道、母の声が耳に響いたのだった。
 この人の妻になったと菊は思った。この人と生きていこう。これが自分の定めなのだと強く思った。
 幼さを残した菊の体は痛々しかったらしく、
「大丈夫か、なれるものじゃ」と優しく正久は言った。
 菊は小さく頷いた。そのとき夫の顔を始めて見た。
 肌は日焼けしていてきりりと締まった体であった。顔は厳ついが目の輝きはやさしい光を放っていた。 菊は夫の胸に飛び込んで眠った。そんな無邪気さがまだ残っていた。子供が甘えるそんな仕草であった。
 酒津の桜が綻んでくる頃、菊は義父母や夫と共に機を織る手伝いが出来だした。
 リャカーに織ったばかりの茣蓙を積んで高梁川の土手に干しに行く。夫が引き、菊が後を押す、干した後風に飛ばされないように石を置いていく。
「菊、見てみい、酒津の桜がもうすぐ開く。今度の休みは花見じゃ」
 正久は煙管を出して一服つけながら言った。
「綺麗じゃ」 菊は仄かに桃色に染まる酒津を眺めながら言った。
「風が強い日には、花びらが庭に飛んできて桃色に染まるぞ」
「うれしい」
「後が大変じゃ、掃除をするのが・・・」
 正久は煙を噴き上げながら言った。
 夫婦水入らずの時は、こんな時だった。
 菊は日々の暮らしの中でここでの生活に馴れていった。
 朝の四時におきて食事の支度を手伝う。食事が出来ている間にも夫と義父は機を織っている。
「ややまだかの」と普段無口な義父の義一が言った。
「まだ、あれはあるんか…」と義母のせつが言った。
 菊は小さく首を振った、そして、頷いた。
 どうして今日に限って聞くのだろうと菊は思った。
「おやじにおかん、心配せんでもええ。兵役はちゃんと済ましてくるけえ」
 正久は箸を口に運びながらいつもの様に明るく言った。
「お前がおらんうちに…菊が寂しかろうと思うてな」
「子供が出来たら、それこそ人手がのうなるぞ」
「心配はいらん、二人でどうにかできるけえ」
「そうじゃ」
 菊は何のことかわからなかった。言葉が頭の上を飛び交っていた。
「いやじゃ、そんなんはいやじゃ」
 正久からもうすぐ兵役で入隊すると聞いて叫んだ。
 菊は裸になって夫の上にのしかかって行った。ややの子種が欲しいそのときほど思ったことがなかった。
「すぐにと言うわけじゃねえ。来年の春じゃ」
「そう言うとも、すぐ来る」
「逢いにくればええ」
「来るなというても行くけえ」
「ああ」  
 正久は裸の菊を抱いて天井を見つめながら言った。腕に力が入った。
 わずかに開いた窓越しに月の明かりが差し込んで菊の裸体を照らしていた。
 細かった肩は肉が付き丸みを持っていた。少女から女になろうとしていた。
 腰にははっきりとした括れが出来て女の色香を漂わせていた。
 床の下で鈴虫が鳴いていた。一匹が二匹の鳴き声になり三匹と広がっていく。
 菊が嫁いで半年を迎えようとしていた。
 高梁川の周囲は紅葉し川面には小さな漣が立っていた。
「ややが欲しい、あんたのややが欲しい」
 菊は汗がまだ引かぬ肌を正久に押し付けていった。
「明日が早いぞ」
「眠らんでも平気じゃ」
 菊の体は大きな波に呑み込まれて行った。若鮎のように菊は跳ねた。
 菊は毎夜毎夜、子供が欲しいものをねだる様に正久に迫った。
 正久が三年間の兵役、その間の寂しさを思えば菊はいてもたってもおられなかったのだ。
「ややのまだか」の義母の言葉が女の菊を芽生えさせたのだった。
 子供がいれば寂しくない、それだけにより菊を積極的にさせていた。
 すすきが揺れ、月が満ち、秋が去ろうとしていた。
 菊が体に異変を感じたのはそんな時だった。
「ややがうまれたかもしれん」
 そう言って正久の手を腹の上に導いた。
「本当か」 
  正久は優しく撫でながら、
「ようやった、ようやった」
 と言い、強く抱きしめた。
「これからはあまりできんようになる」 
 菊は小さく言った。

3


 大正十二年九月一日関東地方に大地震が襲った。出火した火は海となり人家を焼き尽くした。死者行方不明者十四万人、倒壊した家屋は五十七万軒に及んだ。治安を失った混乱の為盗難略奪が横行した。朝鮮人、中国人の暴動が始まるという流言があり撲殺事件が相次いだ。軍部は大杉栄と伊藤野枝を扼殺した。


 そんな事件は備中の片田舎に届いてもさして生活の変化はなかった。
 コスモスは野に咲き乱れ、柿の実は熟し、蜜柑は黄色く色づいていた。稲の取り入れも済み、神社の祭囃子は賑やかに過ぎて行った。
そんな事件は備中の片田舎に届いてもさして生活の変化はなかった。
 コスモスは野に咲き乱れ、柿の実は熟し、蜜柑は黄色く色づいていた。稲の取り入れも済み、神社の祭囃子は賑やかに過ぎて行った。
 菊のお腹は正月が過ぎた頃から段々とせり出した。
「動いた、動いた」
 と菊は言って正久の手をとって触らせる。菊は何もかも脱ぎ捨てて正久に肌を合わせていった。
正久は菊のお腹に手を這わせ壊れ物でも触るように撫でた。
「ここに、ややがおるんか」
「そうじゃ、あんたの子で元気がええ」
 菊は潤んだ目を向けて、肌を正久にぐいぐい押し付けた。
「いいのか、ややがいるのに」
「かまわん、欲しい」
 菊は積極的だった。あと何ヶ月かしたら正久が兵役に出ると思えば気が狂いそうで一時でも肌を合わせていたいと言う気持ちが理性を乗り越えていた。
 寒空に輝く備中の月は障子を越えて二人を照らしていた。
「づーうとこうしていてえ」
「こんなことを外の女にしたらおえん」
 菊は額に零れた前髪を掻き揚げながら言った。

 菊と正久は何時も一緒だった。天気のよい日には荷車に織った茣蓙を積んで高梁川の中洲に干しに行った。成熟した女が男を誘うように流し目をする菊と、冷たい川面に手を浸して子供のように無邪気に遊ぶ菊もいた。
「危ないぞ」
「大丈夫」
 菊は正久の言葉にそう答え幼い顔を綻ばせた。そんな菊を見ていて正久はいじらしさを持った。三年間は長いなと思った。菊が三年間でどのように成長するか、無事に子供の母になれるのかと思った。菊はまだ十五だった。
 菊は子供のように正久の傍を離れなかった。
「桜が咲かんほうがええ」
 菊はよくそのように言った。
「なぜだ」と正久が問うと、
「春が来てしまう」と菊は悲しそうに言った。
「春は嫌いか」
「春が来るとお前さんがいなくなるからいやじゃ」
 菊は春が来ると正久が兵役に出て居なくなる事を嫌がってそのように言っていたのだった。
「来るなと言ったって来るぞ、春は梅に桃に桜を連れてな。慰問に来ればええ、ややを連れてな」

 田圃は氷が張っている、それを割って藺草の苗を植える。畑仕事に慣れているとはいえきつい、菊は重身だから尚辛い、腰が痺れた。手で腰を叩く。
「大丈夫か」
 正久が声をかけた。
「手伝わんでもええと言ったのに」
「お前さんと一緒に居たいんじゃ」
「そんなら、畦で見とればええが」
「いやじゃ、傍にいたい」
 こんな菊を置いていけるだろうかと正久は思った。四月には入隊するのだ。五月には菊は子を生む、やっていけるだろうかと言う心配が浮かんだ。

 酒津の土手に桜が満開だった。その花びらは風に運ばれ菊の家の庭を白く染めていた。
「元気でな、丈夫なややを産むんじゃぞ」
「うん」
 菊は大きく頭を下げた。
「親父やおかんと仲ようしてな」
「うん」
「体には気をつけてな」
「うん」
 菊は何を言っても「うん」としか言わなかった。
 菊は障子を開けて庭を見た。月明かりが庭に散る桜を雪のように見せていた。
 故郷はもう雪が積もっているだろう・・・。おとんやおかんやあんちゃんは元気だろうか、菊は胸が熱くなった。
「大丈夫か」
 正久がそう言いながら菊の背後に立った。
「菊がここ来て酒津の櫻が咲いた・・・」
「一人で見るのは嫌じゃ」
「一人じゃないややと一緒じゃ」
「うん、うち頑張る」
 菊は小さく言ったが、それは何かを決意したような力のある声だった。

 櫻の花びらが風に舞って庭に降る、それはまるで雪に華のようだった。
 正久はみんなに送られて出て行った。
 菊は一人部屋で泣いていた。
「菊は・・・」
 義父の義一が何か言おうとしたが、
「大丈夫じゃ、女は強いから・・・明日になればけろっとして、機をおっとる」
 義母のせつが言葉を取って言った。
「あの子は強い子じゃから・・・」
 菊は次の日、何もなかったように黙々と働いた。それは何かを忘れる為のように見えた。
 菊は暇を見つけては酒津の櫻の木の下へ行った。
 嫁いで正久と酒津に行ったとき、菊の髪に櫻の花びらが降ってきたのを手で払いながら、
「櫻はお日さんに花びらを向けずに咲く・・・わしらも陽を受けられんかもしれんが直向きに生きような」
 と言った正久の言葉を思い出すためだった。

 菊は元気な男の子を生んだ。
「お義父さん、お義母さん、お願いがあります・・・。うちの人が留守の間勉強がしたいんじゃ。今より働きますから許してくだせい」
 菊は正座をしてそう言い頭を畳みに擦りつけた。
「女は勉強せいでもええ」
 せつがはっきりと言った。
「ややはどうするんじゃ」
 義一が優しく言った。
「はい、傍においておきます」
「何を勉強したいんじゃ」
「まだ決めておりませんが、いろんなことを勉強してえ」
「この家での生活に不満があるのか」
 せつが厳しく言った。
「いいえ、うちの人が帰ったらもっと仰山子供を生んで・・・。三年間勉強させてくだせい」
 菊は引き下がらなかった。女学校へ行きたかったが、貧しくて行けなかったのだった。何をというのではなかった。たくさんの本が読みたいと思った。その思いは子供の親になってより以上に増していた。
「一時間でも二時間でもええ、勉強する時間をくだせい」
「ややがおると、女は忙しいぞ」
 せつが根負けして言った。
「やってみい、出来るだけの手助けはしてやる」
 義一はそう言った。
 菊は何時もより早く起き、朝餉の支度をし、機を織り、夕餉の支度をして部屋に帰るという生活を許された。
 子供の名前は義父が付けてくれた。
「亮太、今度の日曜日にはおとうに会いに行くか」
 菊はむずかる亮太を抱いて声をかけた。
 菊は土曜の夜に支度をして、次の日の朝早く山陽本線の上りに乗った。姫路連隊に正久はいたのだった。その日は正久も外出が許され、姫路城の近くの宿に休憩を取った。
「大きゅうなったの、風邪を引かすなよ」
 正久は亮太を見て言った。
「何もなかった、元気だった」
 菊はそう言って正久にむしゃぶりついて行った。菊の体は若鮎のように跳ねた。
 梅雨の晴れ間の優しい陽射しが降り注いでいた。
 菊は無邪気に裸で窓辺に立ち姫路城を眺めていた。屋根瓦がきらきらと陽を跳ね返し輝いていた。
 菊は正久に勉強のことを言った。
「そうか、これからは女にも勉強が必要かも知れんな」
「うち、東京へ行ってみてえ」
 菊は茣蓙の仲買人から浅草の事を聞いたのだった。
「兵役が終わったら行ってみようか」
「ほんと、ほんとね」
 菊ははしゃいで正久の体に被さっていった。菊の顔は幼かったが体は成熟した女に変わろうとしていた。
 
 菊は亮太を背負い朝食の用意をして機を織った。そして、夕方から亮太を遊ばせながら本を読んだ。系統だって読むと言うのではなく手当たり次第に読んだ。正久がいない寂しさを紛らわせるようだった。
 夏の炎天下に藺草を刈る。朝、夜が明ける前に田圃に出るのだ。籠の中に亮太を入れ畦において作業をするのだ。刈り終えた田圃に刈ったばかりの藺草をい泥につけて干した。これは生半可なものではなく大の男がへとへとになった。酒と肴が用意されていた。酒を流し込まなければしんどくて眠られなかったのだった。
 四国から出稼ぎの藺草刈りの人夫が押しかけるのもこの時期だった。
 藺草の緑の田圃が広がっていたが、一枚一枚土色の田圃に戻っていった。藺草の田圃に水を張り稲が植えられるのだ。氷を割って植え炎天下に刈る、大変な作業であった。
 藺草刈りが済むと一段落で、藺草を乾かして機で織ればよかった。織った茣蓙は畳表になったり、上敷きになっりしていた。織り手は茣蓙に対する執着はなくただ作るだけに専心していた。茣蓙の行く末を考える暇はなかった。が、心の底で大切に使ってもらえよと声を掛けるだけだった。
 菊が最初に感じたのは行く末を考えることで心の余裕を持つ事が出来るという事だった。それは本を読むことで作れたものだった。読んだ後の余韻で考えると言うことを知ったのだった。



4

 田地は藺草の緑を刈り取った後に植えた稲は薄緑に変わりとり入れの頃になった。菊は機を任され終日織った。三台の機を操った。義父母と義妹が稲刈りに出た。このときを過ぎると秋の祭りが来ると思えば苦にならなかった。籠の中に亮太を入れてい泥の舞わない庭に出して守をしながら織った。
 秋祭の日には、機をとめて祝うのが普通だった。村が物音を立てずに静まり返っていた。そんな中を祭りの鉦と太鼓が響き、熊野神社への道は賑わっていた。各家の玄関には御神灯が下げられ灯かりが広がり、縁側には競うように沢山の祭り料理に肴や酒が飾られ詣でる人に馳走をするのだった。
 山車が練り男達が鬼の面を被り錫丈の鈴を鳴らし村中の魔を払いながら歩くのだ。子供たちは逃げ回り幼い子は泣き叫ぶのだ。
 神社の境内には何十もの幟が立ち風にはたはたと揺れ、ガス燈を点けた小屋掛けの店と露店が並び、参拝の人たちで賑わっていた。
 菊は亮太を抱いて参った。鈴を鳴らし夫の無事を願った。
 もう里は風花が待っている頃か、菊は山肌の段々畑を耕す母を思った。父は下津井に下り来た時に顔を覗けて亮太を見て直ぐに帰っていくのだった。泊って行くように義父が言っても帰りを急いだのだった。
「春になったら一度、里へ帰らしてもらおう。亮太を見せたい」
 菊はそう思うのだった。
 亮太は風邪を引くことなく健やかに育っていた。菊の部屋の明かりは遅くまで点いていた。毎晩読書に明け暮れた。一人寝は寒くて嫌だった。菊は正久のことを思った。面会に行って早何ヶ月かは過ぎていた。正久は時折手紙をくれみんなに可愛がられるようにと言って来た。
 いつの間にか菊は少女から子供を生み女になっていた。
 菊は近いうちに正久に会いに行こうと思った。

 春節を家族で祝った。餅をつき、ご馳走を拵えて仏壇に供え、神棚の前に置いた。義母に教えてもらって菊も手伝った。
「今年は目出度い年になる。百合の縁談が決まったぞ」
 義一は嬉しそうに言った。
「おめえは何ぼになった」
 せつが百合に聞いた。
「十七じゃ」
 百合は恥ずかしそうに言った。
「あっちは早いほうがええと言うとる・・・。櫻の咲く前に行くのう」
「うちは、どっちでもええ、父さんが決めて」
「決まったら早いほうがええ」
 せつが言って、百合の方を見詰めた。
 百合は顔を上げなかった。
 百合は年下の菊を義姉さん義姉さん慕っていた。
「良かったね」
 菊は短く言った。

 菊は高梁川の土手に織った茣蓙を荷車に乗せて乾しに行くのだ。亮太を背たらい荷車を引くことも菊には苦ではなかった。水江の渡し人が船穂からの人たちを櫓を漕いで渡す、その人を見ていると飽きなかった。その人に父と兄を被せて見ていた。その向こうに母を見ていたのだった。
 土手の上は風が強く通り茣蓙は良く乾いた。
 菊は川沿いにある猫柳が僅かに小さな芽を出しているのを見て頬を綻ばせた。
春が来ていることを実感し心が浮き立つように感じた。茣蓙の上に横になり大の字に寝て空を見上げた。白い雲が立ち止まり菊を見下ろしていた。風の色が見えたように思えた。足元の向こうに水仙が群生し花びらを垂れて風に揺れていた。亮太がお腹をすかしたのか泣き始めた。抱えて胸を肌蹴て乳をやった。
「痛い」
 亮太が噛んだのだ。体全体に快感が走った。それは幸せの印しのように思えた。亮太は現気よく吸った。
 母になったとはいえ菊はまだ十六だった。か細い体に乳房だけは大きくたわわだった。


小説 冬の路 1

2006-01-29 14:51:27 | 小説 冬の路 「今拓く路と空」より 
この小説は 海の華の続編である 冬の華の続編である 春の華の続編である 夏の華の続編である 秋の華の続編である彷徨する省三の青春譚である。
この作品は省三33歳からの軌道です・・・。ご興味が御座いましたら華シリーズもお読み頂けましたらうれしゅう御座います・・・お幸せに・・・。

冬の路 白い路が続く、そこへ思いの雫が・・・。

221 

 
 1

 省三は肩こりと頭痛で夜も眠れない日が続いていた。昼はうとうとし一日ボーとして過ごしていた。食欲もなく何をする気力もなかった。何を見ても感動することはなかった。心が波打たないのだった。
 病院に行っても、脳神経外科では筋収縮性頭痛ですとその治療薬をくれた。整形外科では首をつり、電気を当てた。胃腸外科では胃潰瘍として毎日注射をした。眼科で眼底検査もしたが異常はなかった。何をしても治らなかった。日増しに症状は重くなっているように思えた。
 太陽が灰色に見え、景色がくすんで見えた。
 新聞の連載もやめ、公害闘争も終わり、燃え尽きたのか省三は灯かりを失っていた。ベッドで頭を冷やしながら寝ていた。人に逢うのも億劫で、外に出るのが不安であった。車は乗れなかった。何かすると顔がほてり体が重くなり、心臓が早鐘のように打った。

 煙草を買って車を走らせたところへ衝突してきたのだった。倉敷市の建設課の職員が運転する車だった。市役所に勤める友人、親戚から電話かかり。
「穏便に話し・・・」と見舞いの言葉の後に付け加えた。
 彼らは省三が過激な活動家だったと勘違いをし心配をして言ったのだった。
「何を言っているの、馬鹿にしないで・・・こちらは被害者なのよ」
 育子は今まで見せたことのないような表情で怒ったのだった。
「いいから」
 省三は育子を諌めた。
「だって・・・」
「これくらいで済んだことを感謝しよう」
 省三は他人の事のように言ったのだった。
 車はめちゃくちゃになっていた。
 省三はむち打ち症で六ヶ月間治療に通ったのだった。が、元の体には戻らなかったのだった。こんなことになるのだったら入院をして完全に治るまで治療をするのだったと思ったが、後の祭りだった。

 省三が原因不明の病に臥せっているということを何処で聞いたのか、新興宗教の勧誘が頻繁に来たのだった。
「過去世で人を苦しめています、その人たちの霊が付いてあなたを苦しめているのです。あなたの苦しみは今の医学では治りません。ここは私たちの除霊会に入ってひたすら教義に則ってお勤めをするしかありません。一ヶ月で治して見せます」
「一本松が見えます・・・玄関脇に汲み井戸が見えます・・・何かの庵が・・・七代前のおじいさんがあなたの背に乗っています・・・入り口に盛り塩をして家中塩で清めなくてはなりません。お酒が好きだった人で、毎晩お酒を仏壇にお供えしてください」
「朝晩のお勤めをすればきっと良くなります・・・仏を蔑ろにし過ぎましたね」
「原因があり結果があるのです・・・その原因を取り除かなければ治りません・・・その為には、その悪い業をなくすることなのです。それには毎日二時間の題目が必要です・・・私たちの会に入りみんなと題目を挙げるのです。あなたのような病気の方は何人もいましたが直ぐに良くなり、今では感謝の題目をあげています」
 育子はそのような言葉を毎日のように聞いたらしい。それを省三に伝えにきた。省三は朦朧とした頭で聞いた。

 頭は鉛を乗せたように重く、肩が何もしないのに無性に凝っていた。
 省三は仏教の勉強をしょうとして取り掛かったが、どれだけ頭に入ったか疑問だった。読書に集中できなかったが、神や仏の加護を信じない省三であったが、この時ほど何かに縋りたいと思ったことはなかった。
 店の客の一人が、同じような症状の人を知っているのでその人に相談してみてはどうかと紹介してくれた。
 数日して、タバコ屋の牧ちゃんと焼肉屋の克ちゃんが訪ねてくれたのだった。
 省三の顔を見て、
「一度僕たちと病院に行ってみませんか」
「迎えに来て上げるから」
 と親切に言ってくれた。
 省三は藁をも掴む心境だったので宜しくお願いいたしますと言った。二人は同じように太っていた。彼らは薬の所為だと笑った。少々太っても眠れなかったり頭が痛かったりするよりはましだと言った。病気の割には明るかった。今はいい薬があってそれを呑めば良くなるということだった。病気になる前からなってどのように苦しんだかをとうとうと語った。
 牧ちゃんと克ちゃんは魚屋の手伝いをしている恵ちゃんに惚の字で毎日通っていた。三人は高校の同級生だった。店で刺身を食べたり焼き魚食べたりして、恵ちゃんに売り込んでいたが恵ちゃんは二人を子供のようにあしらっていた。牧ちゃんはタバコ屋の店番をするのではなく、克ちゃんは焼肉屋を妻に任せて、二人は競うように通っていた。落ちない花を落とせると勘違いするところが病気なのかもしれなかった。二人はやたらと煙草を吸い税金を支払っていた。煙草をやめるようには医者は言わなかったと言う事だった。禁煙でストレスが溜まり病状が悪化するより症状の改善が先と考えたのだ。煙草を吸いながらボーとして空を眺める仕種は常人のものではなかった。総てが省三に当て嵌まっていた。
 克ちゃんと一緒に大学病院の心療内科の診察を受けることになった。
 診察室の前の待合は煙草の煙でもうもうとしていた。みんな天井を見ながら煙草を吸い続けていた。
 一人が診察室へ入ると一時間はかかった。
「交通事故が病気の引き金になっているかも知れませんが・・・。この病気は、几帳面で思い込みが激しく完璧主義者で人の噂を気にする人がかかるようですな・・・」と医者は言った。当たっているのかないのか省三には分らなかった。自分を分析したことがなかったからだった。
「それで、病名は」
 省三は恐る恐る聞いた。
「心身症ですな・・・まあ、あなたは軽いほうですから、仮面鬱病というところでしょう・・・この段階で来られてよかった」
 内科診療からカウンセリングが続くのだ。薬を貰って帰る頃は夕方になっていた。
 薬を飲むと頭が晴れていくのが分った。が、それでも不安発作は取れなかった。夜中に不安発作が起き慌てて薬を飲むという生活だった。毎週克ちゃんと通院して薬を貰って帰る日が続いた。
 最初は男が診察室へ入っていたが一ヶ月ほどして夫婦で診察室へ入ると言う仲の良い夫婦もいた。夫婦は目が虚ろで体に生気がなかった。同じように生活をしていたら病気がうつるのかと心配した。
「恵ちゃんは僕らのマドンナなのです」 
 克ちゃんがそう言う時は心身症の患者には見えなくて溌剌としていた。何かに夢中になるそのことがいかに病気治療に役立つかを知る思いだった。
 省三は今まで生きてきて何ににも一生懸命に取り組んだことが、この病気の原因になっているのではないかと思った。ふと、無駄を生きることが必要ではないか、無駄を生きていることが無駄ではないのだと言う考えが浮かんだ。今までは無駄を生きたことを悔やんだが、その無駄が何かを生み出しているように思えた。それは心の余裕なのか、ゆとりのある生き方なのかと思うのだった。
「記事の終わりに野辺に咲く一輪の花を添える・・・」
 支局長の阿東の言葉が思い返された。
 それが記者の冷静な眼なのだと言う事が分った。自分に不足していたのはそのことだったのかと省三は思った。真正面から対峙することだけが生きる総てではなかったのだった。ストリップ劇場の灯かりさんが言った、横の明かりでその人の過去が見えるといった言葉を思い出し、正面だけの見方では駄目だと思った。それを生き方の中に生かさないと仮面うつ病から脱することが出来ないことに気がついた。無意味なことに意義あることもある、それを否定していては何も生まれないのだ。
 省三はカメラを持って、近在の神社やお寺、民家を写して歩いた。明治時代に大洪水があり沢山の人命が失われた。百のお地蔵さんを各所に奉ったということで、そのお地蔵さんを探し写真に撮ろうとした。百体あるというが何処を探しても三体しかなかった。都市計画により整備され道が造られ家が建ってその痕跡はなくなっていた。年寄りに聞いたがその場所に行くと人家の庭になっていたり、川幅の拡張で道になっていたりした。
 悠一と豊太を助手席に乗せゆっくり走った。最初は怖かったがなれるとそれは出来た。
 育子の故郷、悠一と豊太の故郷の勉強をしようとしたのだった。現実からの逃避が今の省三には必要なことのように思えた。
 この地方の史談会に入り郷土史家の話を熱心に聴いた。郷土史家の本も読んだ。貧しかったが食べることになにの不自由なかったこの地は、今コンビナートに呑み込まれ豊になったが過去を忘れ、何かが不在の地に変えていると省三は思った。それは営々と続いてきている仕来りの忘却だった。先祖の墓参りも忘れ、祭りの準備もしなくなっていた。無駄と思えることを切り捨てて生きているのだった。金が入るとかつての精神の主軸を忘れると言うのか、夫婦で海外旅行に現を抜かしていた。何処何処に行ったという会話が挨拶になっていた。野菜を作り米を植えることを疎かにしだした。作るより買った方が安いと言うのがその理由だった。田地は荒れ草ぼうぼうで隣に迷惑を掛けても知らんふりだった。先祖代々住み繋いできた本家普請の家も簡単に壊し新しい豪華に家に建て替えた。自分の快適な生活だけが望みになっていた。
 省三は壊される前に古い家を被写体として捉えて歩いた。
 
2

13

 省三は人生に無駄が必要であることを知った。無駄とは何かを真剣に考えたのだった。
 子供たちは保育園に通っていた。その送り迎えは省三の役目だった。送り届けると延長質の窓が開いて、
「お茶でもどうぞ」と園長が声を掛けて来たものだった。お茶を頂きながらいろいろな話に花を咲かせるのだった。そんな日課であった。
「何か殺風景ですね」
 省三は保育園を見渡して言った。しまったと省三は思った。
「何かいい方法はありませんか」
「壁に、遊具に子供が喜ぶ絵でも描きますか」
 調子よく言ったしまった。
「それはいいわね」
 園長が乗って来た。
 省三は言ったばかりに、武本にその依頼を頼み込まなくてはならなかった。
 武本は銀行の若い男女を十名ほど連れて日曜日に取り掛かった。
 正面の壁に大きな真っ赤な太陽が描かれた。遊具にはいろいろな動物の姿がまるで遊んでいるように描かれた。塀には様々な原色の色使いで円や三角や四角や星が大小描かれた。
 まるで昨日の保育園とは比べようがないほどの華やかさになった。タイヤもいろいろの原色で塗った。滑り台も周囲の色を考えて塗りなおした。
 省三は手伝った。職員も日曜出勤をして筆を握っていた。園長はお茶いれ、弁当の手配をしていた。その顔は不安から満面笑みに変わった。
「明日、子供たちがどんな顔をするだろうか」
 涙を流してそう言ったとき、みんなの疲れは吹き飛んでいた。
 園門の壁には大小の魚が泳いでいた。
 武本は嬉々として描いたのだった。
 酒癖の悪い武本を連れて夜の街へ出かけた。
 手伝ってくれたみんなを連れて省三がよく行ったスナックへ案内した。一軒目無事に済んだが、今度は武本が奢るからと言い出してはしごになった。段々と武本は本性を現しだした。
 銀行員と言う職業がそうさせるのか、その柵から開放されると極端に横柄になり、人を見下す行動に出た。言葉が汚くなり、自分が如何に立派な絵描きかを吹聴し始めた。その絵を認めない社会を恨んだように言い方をした。その性格を知っているのか気の毒そうに省三を見て一人抜け二人抜けと言う具合に帰って行った。最後には二人になった。
「武さん、僕は絵のことはよく分かりませんが、独自のものが、色が、線がいるのではないのでしょうか・・・」
 省三はカウンターの前でハイボールを空けている武本に言った。
「その色に線に・・・哲学がないんや・・・」
 武本は涙を浮かべていた。
 省三は武本が分っていると感じた。が、感性は持って生まれた物か、生活の中で培うものなのか、つまり才能の一つなのかと考えた。武本は苦しんでいたのだった。感性も徳の一つか・・・受け止めたものをどのように感じ表現するかと言うことであると感じているが、そのことで武本は迷っているのだった。出来事に対して充分に受け止めそれを心のフィルターで濾過し、自分の考えで表現する・・・それを感性があるとかないとかと人は言うのだが、それも感性のある人の差によって変わってくるだろうと省三は思った。
「こんなことを言ってはどうかと思いますけど・・・人を感動させようと思ったら自分が感動することの出来る人間にならなくてはと思うのです」
「そんなことはわかっとんのや・・・そんなことはわかっとんのや・・・それが出来へんのや・・・悲しいのや・・・」
 それを言われると後の言葉が出なかった。
 武本は一人よたよたしながら夜の街に消えて行った。それは寂しそうな姿であった。
 省三はいろいろな悩みがいいほうに作用してくれればいいのにと思った。武本の新しい面を発見してむしろ喜んだ。

「子供たちが登園してくると、目の色が変わるの・・・。挨拶も忘れて壁に描かれた象の鼻にほっぺたを擦りに行く子、滑り台に夢中になる子・・・その姿を見せたかったわ・・・。なんだかみんなに活気が出たみたいです」
 園長は笑みを零しながら言った。
「それは良かったですね」
 省三の子達は手を離して園内へ走りこんだ。
 幼稚園の砂場で人生の総てを学んだと言うような言葉があるが、人間に必要なのは確かな環境であることを省三は知った。

 後に省三は教育問題についての戯曲でこのように書いた。

佐武  そうだよ。人生なんて過ぎて見れば夢のようなもの、だけ
 どどんな夢を見るかが問題なんだけれど・・・公子も先生になる
 んだから、子供達の夢を大切に育ててあげて欲しいわね。教える
 のではなく、人間として共に学ぶ、その姿勢が無くては、教育は
 本当に怖いもの。一つ間違えば、一人の人生を駄目にする。
公子  分かっているって、これでも私はお母さんの娘よ、確りお
 母さんの後ろ姿を見せて貰ったから・・・
佐武  だったら良いけど、言っとくけどどこの社会でも四五十人
 を把握出来ない人は、人の上に上がれないのに、教師だけは、最
 初から三十何人の生徒と付き合う、本当に難しいわょ。
公子  分かっているって、少しお母さんくどいわょ。
佐武  くどいくらいで丁度いいのよ。
公子  もう、お母さんたら。
佐武  お母さんは思うんだよ。今、本当に子供達の瞳は輝いてい
 るかってね。教育、その本来の理念がなんだか曖昧になっている
 ようで、まるで、自由とは名ばかりで一つの思想にはめ込もうと
 しているように思えるんだけれど。
公子  お母さん・・・
佐武  子供達の顔に明るさが無いし、瞳に輝きが無いってことに
 ある種の怖さを感じるのだょ。なんだか、いやなよのなかになる
 ような・・・公子、これは、是非守って欲しいの。
 おまえの教え子を戦場にやら無い。
 そして、どんな時でも、子供達にとって教師が最高の教育環境で
 なくてはならないってこと。
公子  分かってるって、お母さん。

 現場の外からはよく分かるが中では中々出来るものではないかもしれない。が、それをしなければならないのが教育の現場なのだ。省三は子の親になって、どのような後姿を見せなくてはならないかを常に考えるようになっていた。
 勉強をして東大に入り国を動かす人間になるより、人様の邪魔になる石を動かす人間になって欲しいと考えていた。
 子供を育てるとき省三は父と母のことを思った。父と母は省三を育てるときに何をしたか・・・それを考えた。信じてくれたのか放任主義であったのだ。 
 省三は人の親になって子供たちをどのように育てるかという問題に直面していた。




2006/01/28 殺人か・・・。

2006-01-28 21:04:39 | Yuuの日記

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晴れ今日は寒さが緩んだなんだか寝苦しい夜だった洗濯物の花が咲いた・・・。

相変わらずサカリの九太郎が家中鳴きまわっていて喧しい・・・。何処にでもシッコをする・・・。匂いが強烈・・・。もう窒息しそうである・・・。が、こやつはいらいらして動き回り私の後をついて回り外に出せとせがむ・・・。発情は食欲を減退させるのか・・・。恋わずらい・・・草津の湯でも治らぬか・・・。
平穏な日々が訪れるのは何時の日か・・・。
ホリエモン2006-01-23T201100Z_01_NOOTR_RTRJONP_1_JAPAN-200633-1-pic0.jpgのライブドア関係の自殺者が、本当は自殺ではないと言う・・・他殺の疑いが出て来たと言うが・・・。誰がどのような理由で・・・。依頼した人が居るのか・・・。自殺をした人はライブドアの総てを知っていたと言うことがその理由か・・・。口封じが・・・。このような事件のときは、自殺者が殺人が起こるのだが・・・。豊田商事のようにカメラの前で殺されなくて良かったか・・・。株の上がり下がりだけで会社の業績に関心がなく勉強もしないマネーゲームの投機家がライブドアに群がったが・・・。最初は儲かり今は大損を・・・。株は平均して損をすることを知っただけでもいい勉強家・・・。大学を卒業して投機家に・・・35年働いて退職金でやってくれ・・・汗水垂らして働いてくれ・・・。損をして政府に面倒を見てもらうと言う考えの人は、自殺をする根性もない人は株をしないで呉れ・・・。儲かっているときは遊興三昧をし損をしたら生活保護を・・・そんな人はみんなの迷惑なので株をやらないで呉れ・・・。テレビの責任は大きいぞ・・・。囃し立てて直ぐに落とす・・・無責任すぎはしないか・・・。

今日の夕餉は・・・特製のお好み焼き・・・。

創作メモ2・・・
書きたいことを書けばいい・・・誰に文句を言われることはないと・・・
そして、懸賞への心得を・・・
最近本を読まなくなっている・・・題名を見ても読む気がしないのだ・・・題名はこれは読んで損はないと訴えてくるものでなくてはならない・・・売文家の題名があの程度なのであるから、自由に書いている人はそれに凝る事はない・・・が、つけていい題だと思うものをつけてください・・・
今は売文家のテーマに必然がないのだ・・・媚びているのだ・・・変なテーマがあると売れないのかもしれない・・・が売れているところを見ると多分人間が書けているのだろう・・・ああ、人間は書き込んでください・・・
悪人が書ければ一人前です・・・
今売れている人の作品は悪人が書けているのでしょう・・・
60過ぎの人を書く場合は戦争体験の引きずりがありますから忘れないで・・・
過去現在未来で登場人物を掘り下げて性格分析をして・・・言葉一つで人格が分かるように・・・
知らぬこと分からぬことは書かないように・・・
50枚書いたらそれを30枚に書き直し削ぐこと・・・
多分書きすぎていますから・・・
書き終わったら1.2ヶ月寝かせて書き直すこと・・・
粗がよく分かりますから・・・
声を出して読んでください・・・それを耳で聞いてください・・・そうすれば文章のつなぎが良いか悪いか分かりますから・・・
それを書き直すのです・・・あわてることはありません、以外と人生は長いのですから・・・
物書きになる早道は・・・
10年間あらゆる書物に親しみ読破してください・・・
そして、ドフトエフスキーを原稿用紙に写してください・・・
ここまで出来ればあなたは作家になっているでしょう・・・
奇人でなくては書く苦しみを喜びに変える事が出来ませんが・・・
それでもよかったら遣ってみてください・・・
阿部公房短編集SFの草分けの阿部公房短編集 72043-9.gif日本沈没(上)72044-7.gif日本沈没(下)
小松左京の「日本沈没」はリメイクされて今年映画で皆様の前へ・・・

春節旧正月を祝おう!春節飲茶セット0127アップ祭10か・・・俗に言う旧正月・・・。そして、節分鬼の面付き 福豆210g入り(~6名様たっぷりサイズ)・・・巻寿司えび・うなぎ玉子焼が大きいです!―元祖上巻寿司を南南東で齧るとか・・・。誰がそんなこと決めたか・・・。

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 このごろは寒さが緩みほかほかと
              今日は一枚明日は一枚

 2006/01/28寒さ綻びいい天気明日も続くかこの天気・・・。


 国風派が増えていると言うが・・・和風を好み精神的にも馴染むと言う・・・。

創作メモ10

2006-01-27 21:48:36 | 創作メモ

2006/01/27
創作メモ10

文学界の同人誌批評をしていた駒田信二205201552_i.jpg私の小説教室 駒田信二の小説作法
が・・・駒田の小説教室からは芥川賞の重兼芳子が出ているが・・・新人賞は多く輩出している・・・。
彼は言う・・・。私の文章心得十章・・・。ここに列記してみよう・・・。
心得1・力むな 2・気をゆるすな 3・常套語を使うな 4・句読点に気を配れ
5・漢語は漢字で書け 6・漢字を使いすぎるな 7・辞書を引け 8・擬音や符号を乱用するな 9・言葉癖に気をつけよ 10・気取るな
このような心得を書いているが・・・。
この初版が昭和56年に・・・。物書きを志すたちはこぞってこれを読んでいたが・・・。物書き予備軍は良く本を読んだものだ・・・。そして、人が寝静まった深夜にせっせと原稿用紙を埋めたが・・・。いい青春だったか・・・。その殆どが生活のために辞めて行った・・・。
物書きになりたいと言う人はこの本を読んでいて損はないと思う・・・。
日ごろ如何に文学的な生活をしているか・・・書くものがないというのはその生活をしていないと言うことなのです・・・。物書きの視点を養って日々その視点で物を見ていれば書く必然はおのずと出てきて書かせてくれるものなのであるが・・・。
小説家が小説作法を書くのは作家として終わったと言う証拠なのである・・・。書く材料がなくなると書きたくなるのが小説作法であるから・・・。
駒田信二は文芸評論家であったが・・・。
わたしも終わったか・・・。さて、さて・・・。私は創作メモを私への戒めとして書いているのだが・・・。ここに来て再度小説作法を読んでみて勉強になったことは書いておきたい・・・。
総て読んではいないが・・・ここに載せて置きます・・・。

小説家への道(2)小説家への道書く人はここで躓く書く人はここで躓く赤川次郎の"イマジネーション"赤川次郎の"イマジネーション"松本清張あらかると阿刀田高が松本清張を解く私のものの見方考え方松本清張と尾崎秀樹が語る・・・。私(わたし)の好きな悪い癖吉村昭が語る小説とは・・・。

読んでゆくと損はないか・・・参考にと思ってここに・・・。

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2006/01/27 九太郎発情す・・・。

2006-01-27 17:40:10 | Yuuの日記

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晴れ今日は朝から喧しい春が来たのか九太郎いい子が居るのか九太郎・・・。

朝からギャアギャアと九太郎が泣き喚いている・・・。発情期なのかシッコが臭いぞ・・・。何処にいるのかお前の相手、届いて欲しいと呼ぶ声は、むなしくガラスに跳ね返り、相手に届かぬもどかしさ、徒労の時間重ねても、お前の相手は居らぬのか・・・。
サカリのときは食欲が減退するらしい・・・。餌をあまり食べなくなった・・・。恋の悩みは人間と一緒か・・・。整形美人と性格ブスに子種をやるでないぞ・・・。後に後悔子が不幸・・・。そんなことを言っては喧しい九太郎をなだめているが・・・。
今日の夕餉は何にしょうか・・・。家人の任して・・・。

文学界の同人誌批評をしていた駒田信二205201552_i.jpg私の小説教室 駒田信二の小説作法
が・・・駒田の小説教室からは芥川賞の重兼芳子が出ているが・・・新人賞は多く輩出している・・・。
彼は言う・・・。私の文章心得十章・・・。ここに列記してみよう・・・。
心得1・力むな 2・気をゆるすな 3・常套語を使うな 4・句読点に気を配れ
5・漢語は漢字で書け 6・漢字を使いすぎるな 7・辞書を引け 8・擬音や符号を乱用するな 9・言葉癖に気をつけよ 10・気取るな
このような心得を書いているが・・・。
この初版が昭和56年に・・・。物書きを志すたちはこぞってこれを読んでいたが・・・。物書き予備軍は良く本を読んだものだ・・・。そして、人が寝静まった深夜にせっせと原稿用紙を埋めたが・・・。いい青春だったか・・・。その殆どが生活のために辞めて行った・・・。
物書きになりたいと言う人はこの本を読んでいて損はないと思う・・・。
日ごろ如何に文学的な生活をしているか・・・書くものがないというのはその生活をしていないと言うことなのです・・・。物書きの視点を養って日々その視点で物を見ていれば書く必然はおのずと出てきて書かせてくれるものなのであるが・・・。
小説家が小説作法を書くのは作家として終わったと言う証拠なのである・・・。書く材料がなくなると書きたくなるのが小説作法であるから・・・。
駒田信二は文芸評論家であったが・・・。
わたしも終わったか・・・。さて、さて・・・。私は創作メモを私への戒めとして書いているのだが・・・。ここに来て再度小説作法を読んでみて勉強になったことは書いておきたい・・・。
総て読んではいないが・・・ここに載せて置きます・・・。

小説家への道(2)小説家への道書く人はここで躓く書く人はここで躓く赤川次郎の"イマジネーション"赤川次郎の"イマジネーション"松本清張あらかると阿刀田高が松本清張を解く私のものの見方考え方松本清張と尾崎秀樹が語る・・・。私(わたし)の好きな悪い癖吉村昭が語る小説とは・・・。

参考になればと思い・・・。
春は何時来るのか・・・。

 ギャギャと盛りのついた泣き声に
              春の訪れ花綻びを

 2006/01/27週末は暖かくなると言う予報信じていいのかその言葉・・・。



2006/01/26 世の中は・・・。

2006-01-26 18:18:49 | Yuuの日記

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晴れたり曇ったりそんな天気ですが寒さをあんまり感じません・・・。

今日は家人と買い物へ・・・。
葉物が安くなっているか・・・。レタス(小ぶり)80円、ほうれん草100円、サニーレタス100円、大根128円、キャベツ198円、トマト3ヶ78円。蜜柑が段々少なくなり皺があるものばかり、もう八朔、夏柑、ルーブル、ポンカン、に変わるのか、林檎も終わりか、果物が少ない・・・。キノコ類が少し高くなりました。鯵3尾289円・・・旬か・・・。鯨赤身刺身用1280円・・・高い・・・。
今日の夕餉は・・・家人の任す・・・。何か美味しいものを作ってくれるだろう・・・。
若い女性に呪文をかけて脅迫し共同生活をしたとして男が逮捕された・・・。この男は世の男の羨望の的か・・・。11人の若い女性と結婚離婚を繰り返し集団生活を・・・5人以上なら独占欲が薄れると言うが・・・。催眠術か洗脳か・・・。洗脳は解けない催眠術・・・。新興宗教か・・・。この男平成のイエスの箱舟か・・・。女性が被害がないといえば・・・それまでか・・・。脅迫罪なら直ぐに解決が付く・・・。ややこしい男と女が・・・。終末か・・・。ホリエモンに比べてどうか・・・。社会に対してそんなに影響ないか・・・。
この日本には金と色が欲望の対象になり人の心を蝕んでいることは確かのようである・・・。それが肥大化しているのである・・・。

創作メモ・・・
なにを書いても構いまません・・・書く本人がこんな読み物が読みたいと言うものでもかまいません・・・私はないものねだりで自分が読みたいものを書いていますが・・・
上手下手は関係ありません・・・それを人様へどうぞと言わないならば・・・文章は人様へ心を伝えるものなのですから伝わればいいのです・・・。
ものを書いてパンを買って食べてる人に文句を言われることはありませんから・・・
自由でいいのです・・・
ペンクラブ・・・ペンで飯を食べている奇人の集団・・・
作家協会・・・創作を書いて家を作った変人の集団・・・
それくらいに考えて書いてください・・・
徒党を組んで何をしているのか・・・盗作禁止の法律相談
、老後の生活相談会、大したことはしていません・・・
物を書けば物書きだけど皆さんとは違いますよと言う会です・・・
ここで懸賞に応募される人のために・・・
原稿は綺麗に書きましょう・・・丁寧にと言うこと、下手は下手なりに・・・
書き出しは特に力を入れましょう・・・90の力はここで使ってください・・・
書く必然を書いてください・・・あなたしか書けないと言う物を・・・
テーマが大切・・・テーマが文体を生んでくれます・・・それまで待っていてください・・・
この3つがあれば何とかなります・・・
そして・・・難しいことを平たく・・・平たいことを深く・・・深いことを軽妙に・・・
これは井上ひさしが言っていたかな・・・
とにかく書いてみて下さい・・・
書かなくては始まりませんから・・・
上手に書こうとか、綺麗に書こうとか・・・それは文章に力が入りすぎますから気をつけて・・・
誰も文句は言えないのです・・・金を払っているのではないのですから・・・
本を買ったらどんどんと作者に言うこと・・・その人に言えない人が、あなたの文章に上手下手と言える筈がありません・・・
感動を共有するものが書けたらいいですね・・・
御健勝を・・・ご健筆を・・・

ミステリの美学    天気の好い日は小説を書こう

寒さが増してます・・・ご注意を・・・。

 寒さ増す雪雲今日も広がりて
            降るや降らずや明日の天気は

 2006/01/26ストーブをつけずに今日もウオームビズ・・・。



創作メモ9  参考にしないで下さい 内緒の話ですから・・・。

2006-01-26 00:31:54 | 創作メモ
2006/01/25
創作メモ9  参考にしないで下さい 内緒の話ですから・・・。

 “は”は親分で”が”が子分・・・主語と述語関係をこのように言うのは井上ひさしだが・・・。親分よりで出しゃばる子分もいてもいいと考えている・・・。文法通りでは果たして上手く表現が出来、書き表せることが出来るだろうか・・・。無味乾燥になりはしまいか・・・。書き伝えたいものが伝わればいいと私は思って書き進めているが・・・。まれにこの方法は成功するのだが・・・偶然と言うことで・・・。余剰の効果は無視をしたところで生まれることが多いいが・・・。名文家は文法通りの文章を書いていないのである・・・。これはやめておいたほうが無難か・・・。さて・・・。
 今回は歴史小説に・・・。
 有名でない人以外には何を書いても知る人はいない・・・。自由に書けるという利点があるが・・・。分らないところは避けて通ることを心掛けた・・・。
 作家で飯を食う一番の分野か・・・。と言うことは書き手があまりいないということ・・・。時代考証、衣装は克明に書く必要はない・・・そんな時代を・・・。と言っても江戸時代の260年間は多少の物価の変動はあっても経済はあまり変わっていないので・・・例えば棟割り長屋の店賃は職人の一日の手間賃であったと言う風に・・・。飢饉のときは変動したらしいが・・・。それ以外のときを書けばいい・・・。江戸時代は将軍や大老によって様々な改革や制度が作られているので避けて通れないところがあるが・・。武家物と町人物とあるが、山本周五郎、柴田錬三郎、山手樹一郎で勉強すれば後はあなたのイマジネーションを膨らませて書いてみてはどうでしょう・・・。歴史文学となると森鴎外は読んでおかれたほうがいいでしょう・・・。後は郷土史家と仲良くし資料を貰い新しい視点から物にすることをお勧めしたい・・・。
時代小説は書き手が少ないだけに一作ものにすれば注文は絶えないだろう・・・。
この手の作品を書く上で、本に囲まれ埃の中での資料調べが大切で埃と友情関係が保たれる方にお勧め・・・。今はインターネット検索でどうにかなるかもしれませんが・・・。西行法師を書いたときは殆どあらゆる方のホームページにお世話になった記憶がある・・・。とにかく書いてみて下さい・・・。先輩諸氏が書いてないところを探すことです・・・。箸をペンに変えて食することは中々難しいが馴れると出来るものらしい・・・。そんな芸当が出来る人にはぜひともとお勧めする・・・。だが、名をなし功を遂げると言う考えは忘却してください・・・。巨は虚に通じますので・・・。

205201552_i.jpg私の小説教室 駒田信二の小説作法
小説の構造小説の構造 小説作法      読んでいて損はないか・・・。