yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

味噌蔵・・・1

2007-10-20 02:25:04 | 創作の小部屋
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倉子城物語

      味噌蔵



 倉子城村には真ん中を汐入り川が流れ、その両側に蔵屋敷が林のように並んでいた。普通は二階蔵なのだが、三階蔵もかなりの数であった。この蔵は倉子城の独特の建物で壁と壁の間に食用の味噌を詰め込み耐火蔵としたものである。味噌を入れたことから味噌蔵と村の者は言った。味噌を入れることを誰が考えだしたのかさだかではないが、飢饉天災の折り味噌蔵は壊されて食用になった。また、みんなが麦を持ち寄って貯え救済の蔵を造った。それを義倉と言った。倉子城の蔵の貯蔵高の何石蔵と言うのも、入る量ではなく内壁を乾かすのに炭をどれだけ使ったかで決まった。

 汐入り川は荷物の出し入れのために造られた運河である。児島湾の汐が上がってきて、蔵の石垣を洗ったところから「波倉」と呼ばれ、倉が多いところから「倉舗」とも言われていた。また、村の東の小高い向山にあった砦を「倉子城」と記されている。



 船倉は荷を運ぶ舟の溜り場であった。川人足はその周辺に住んでいた。甚六の長屋もそこにあった。甚六はこの村の者ではなかった。何時の頃からか流れて住み着き、主人持ちではなく、仕事がある時は働くという身だった。その他の空いた時間は賭け将棋ばかりしていた。指した人に聞けば強いのか弱いのか分からないということだった。少し影のある男で、三十を少し過ぎていたが独り身であった。世話をする人がいても耳を貸そうとしなかった。

「なあに、あっしなんか・・・。一人の方が性にあってますから」

 と嗤ってかわした。

 甚六は月の半分近く、四十瀬から松山川を下り五軒屋の渡しから江長に出て連島の角浜へ通った。角浜には女郎屋が数軒あった。

 連島は玉島と同じで、海岸を持たない諸藩が荷の出入りをさせるために造った港があった。人の出入りも荷の出し入れも盛んで、下津井港と角浜は遊興の地があり有名だった。 その地を甚六は訪ねるのだから、誰かに逢わないのが不思議だ。

「甚六には馴染みの女がいる」と言う噂が広がり、連れ合いを貰わないのはその所為だと言われるようになった。そんな噂を聞いても甚六は頬を緩めているだけであった。

 甚六の生活は変わらなかった。いや替えようとしなかったといった方がいいかもしれない。

「なあに、根っからの職人だよ」と仲間は言ったが・・・。

 床屋の嘉平に言わせれば、

「変わってますな、なにか訳ありのお人・・・、元は侍かもしれないな」

 とよく研いだ剃刀で捌くように、甚六についてそのように言った。

 甚六が村全体の溜飲を下げる事件を起こすことになるのだが・・・。


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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・

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作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
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