yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

2006/10/31 明日は11月・・・。

2006-10-31 18:41:21 | Yuuの日記


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気持ちのいい秋の日だった・・・。陽射しは柔らかくまろやかな空気が包んでくれる・・・。外に出て水をやったりの花開く姿に頬をゆるめ、野菜達の大きく育つ芽を見張っている・・・と秋の一日心地いい至福を感じる・・・。

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昨日より今日のような日は耳の調子もいいようだ・・・夜になると気圧の関係かおかしくなる・・・のはどうしてか・・・薬は毎日ちゃんと飲んでいるので良くなっているが・・・頭が少しボーとするのは薬の所為か・・・。日課の鼻と喉の洗浄に、耳の治療に耳鼻科へ・・・。少しずつ良くなればありがたいが・・・。「加味帰脾湯」は4日頃から効果が現れると言うことだが・・・個人差が有るのか・・・。効果としては有ると書いてあったが・・・。早く良くなることを願うばかり・・・。耳が響く・・・声が大きく聞こえると言うことは不快な物なのです・・・加齢で起こるとも言うが・・・。歳を重ねると何処か悪いところが、ほころびが出てくるのか・・・。病とな仲良く暮らす知恵を持たなくてはならないのか・・・。

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家人と買い物・・・。今日は野菜を主に買い物を・・・。玉葱、山芋、トマト、ほうれん草、キュウリ、キャベツ、茄子、レタス、ゴボウ・・・安かったので沢山買う・・・。今日のような日はドライブ日和・・・。走っていて窓を開け風を入れながながら・・・頬に風が当たり気持ちいい・・・。

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今の世の中簡単に自殺・・・。本当に責任を取らなくてはいけない人はそんな自覚はなくのうのうと生き、懲戒免職になっても退職金と年金を貰っているが・・・。悪いことをして謝ればすむいのか・・・。償いと言う言葉も死語になっているが・・・。最初から罪の意識がないのだから仕方がないが・・・。
小泉が辞める前にした外遊に8億円も使ったという・・・。今まで言ってた小さな政府は大嘘で人気取りであったのだ・・・。議員宿舎で333億円・・・それも容認している・・・この男は大嘘つきだ・・・。支持率がいいと言うだけで・・・その支持率にもまやかしがあったという噂がしきりだが・・・。国民はここで怒らなくてはならない・・・。平和呆けした国民は自分に火の粉がかからなかったら何もしない・・・。正義も無くなったか・・・。小泉は今回だけで議員を辞めよ・・・。国民の格差を作ったのは小泉なのだ・・・。その自覚は無いことが不幸か・・・。

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皆様お元気で・・・ご自愛を・・・。

2006/10/30 雲一つ無い秋の日

2006-10-30 20:59:11 | Yuuの日記


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過ごしいい秋の日だった・・・。空には雲一つ無い・・・。秋晴れか・・・。年間で一番快適な気候か・・・。花は咲き誇り風は頬に心地いい・・・。こんな日は何をするのも億劫で・・・ただ無為に過ごしたが・・・。読書の秋、体育の秋、芸術の秋と・・・いろいろな名前がついて世間ははやし立てるが・・・中々・・・。直ぐに季節は寒くなって紅葉の季節へ・・・。後一日で11月に入る・・・。時の流れは速い物だ・・・。日本の四季は絶景の地が多い・・・それに親しむことが出来る日本人は仕合わせか・・・。自然の移り変わり故に美しい言葉が生まれ、情緒ある表現がこころを振るわす・・・。そんな自然のありがたい営みが日本人こころに何を残しているのだろうか・・・。今の日本人の心はそれに触れて感動し愛でるこころを忘れたか・・・。

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いじめは昔からあったが今ほど陰湿ではなかった・・・。自殺するほど人間として弱くはなかった・・・。級長がしっかりしていたからだ・・・。あいつだけにはかなわ無いという生徒がいたからだ・・・。いじめは格差の所為もある・・・。いくら勉強しても家柄、親の年収で成功のレールが敷かれた世の中ではそれに外れた子供が荒れるのは仕方がないか・・・。母子家庭で給食費は別に貰っているのにその給食代が払えない生活保護の家庭が有るというのはどういう事か・・・。年収1000万近くの家のことの格差は苛立ちとやけの元になりいじめの根幹になってはいないか・・・。年収の低い家の子はいくら勉強しても成功の道は閉ざされているのだ・・・。いくら勉強しても予備校へ行ける子には叶わないと人生をあきらめてしまはないか・・・。
今、奨学金の危機がささやかれている・・・貰って卒業してもそれを返す人は少ないという・・・。外の国のように返済できないのはどうしてか・・・。アメリカの生徒は奨学金で学校へ行き親に負担を掛けることはない・・・卒業してちゃんと返す、その循環が新しい奨学金の資金になっているというのだが・・・。なぜに奨学金の返済が日本は出来ないのか・・・貰い得、返さないでいいという風習を産んだのは何が原因か・・・。自分さえ良ければそれでいいと言う考えが蔓延っているのか・・・。次の人にと言う考えはないのか・・・。奨学金を貰って勉強してもいい会社へはいることが出来ないので払えないのか・・・。家柄、親の年収、親の会社の知名度のいい家の子が優遇されていて・・・その家の子達は奨学金を貰う必要は無いだろうが・・・。その差別か・・・。

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解放を無くしようとしている人たちが沢山いる・・・だが、5年間で8日しか働かないで全額給料を貰うその人は真面目に差別を憂い無くしようとしている人を誹謗してはいないか・・・。
そもそも、民主教育という国の差別感が有ることがおかしい・・・。子供に聞かれて差別の根幹を正確に応えられる親がいるのか・・・。子供は何も考えていないのだ・・・それなのにそんな教育をするから差別は生まれるのだ・・・。天皇や公家が肉を欲しがりそれを提供した人たちを、血を汚れと考える天皇や公家が差別したことから生まれたのだ・・・。そこには汚れの思想がある・・・。死を忌み嫌う天皇や公家の葬式にその人達を使ったことにも起因しているのだ・・・。天皇家がいた御所のある場所の周囲には未だに残っていると言うが・・・。「橋のない川」の上演で社会党系と共産党系の団体がもみ合い喧嘩になったことがある・・・。政治がそれを利用しているのだ・・・。自民党系という団体もある・・・。今まで差別をしていたというのでなにがしかの金が下りているはずだ・・・。日本にの所在地図があるという事がおかしい・・・。結婚の障害になっていると言うが・・・。美しい日本を命題にする安倍・・・。先ずこのことを解決して・・・。人は人として美しいのだから・・・命に代わりはないのだから・・・。命を大切に出来る国こそ美しいと言えるのではないか・・・。(井沢元彦「日本の歴史」を参考にした)

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今日は気圧の関係か耳の調子が良くないか・・・。耳鼻科へ生き治療・・・漢方の「加味帰脾湯」をのんでいるが、直ぐには良くならないか・・・。

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皆様お元気で・・・ご自愛を・・・。

2006/10/29 秋らしい一日・・・。

2006-10-29 20:44:47 | Yuuの日記


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そんなに照らなかったがいい天気・・・過ごしいい日だった・・・。野菜達や花はのびのびと大きくなり、花は開き蕾を増やそうとしている・・・。自然の生命力とたくましさの偉大さに驚嘆・・・。驚かされる日々だ・・・。今まで生きてきて今更自然の営みを見詰めてこころ楽しくなっているが・・・。土と水と太陽の明かりが育てる造形物・・・植物・・・なんと言うことかと・・・。値文も大きくなった・・・。いつ頃色づくのだろうか・・・。千両万両が実を付けないのはなぜか・・・。食用菊がようやく蕾を付け開く体制に入ったが・・・。水仙が沢山芽を出して大きくなっている・・・。冬に咲く水仙なのだが・・・。観賞用のカポックは屋根まで伸びた・・・。10歳若かったら自然とともに暮らすために田舎に何もかも捨てて引っ越しそこで生活したいと絶対思うだろう・・・。定年退職をして田舎暮らしをする人が増えているがその人達のこころはよくわかる・・・。作物は努力しただけ応えてくれるその達成感は何物にも代えられないだろうから・・・。映画に出たり子供や青年と演劇を作ったり・・・それより良かったか・・・。それはそれでいい人生だったと思いたいが・・・。今からでも遅くないか・・・。まあ、我が家の周囲に夢を作ることにしようか・・・。今からでは体が言うことをきいてくれない・・・。私には私の生きてきた道があると、あったと・・・。

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家人と買い物・・・家人と外へ出るのは買い物くらい・・・。秋刀魚68円、6尾買って冷凍庫へ・・・。秋刀魚は毎日でもいい食べたい・・・。でも今はキャベツダイエット中・・・。少しずついろいろな物を食べなくては・・・。早く痩せるとリバウンドが・・・前より太るらしいから・・・。毎日体重計に乗り計る・・・折れ線グラフを作り、減っていく体重を見るのを楽しみにして・・・。一日100g150g減らすのが理想らしいが・・・。40日で4キロ減らしたのだから理想的か・・・。3ヶ月で10キロ・・・。体が軽くなる・・・4キロ減っても軽くなったのがよくわかるのだ・・・。甘い物を食べなくなった・・・欲しいと思わなくなった・・・夕食後夜食が普通だったが欲しいと思わなくなった・・・。朝食は昼食と兼用でパンと牛乳・・・それから夕食だけ・・・。食べることに楽しみを感じていたのに今では摂生している自分にびっくりとしているが・・・。

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まだまだ、やることが・・・ライフワークを書いてないと言う事もある・・・。公演台本200では少ないか・・・満足のいく物が書けていない・・・。書き書けの作品が残っている・・・。体重を落として体調を整え取り掛かりたい・・・。障害者の家人のためにももう少し生きていてやらねば・・・。苦労を掛けた分だけ返さなくてはと言う気持ち・・・。家人をうらぎったことはない・・・。結婚して40年近くなるが24時間一緒に過ごした・・・私も家人も歳を取ったが・・・老いていく家人を愛おしく眺めているのだ・・・。自分が歳を取って行っていることを忘れているように・・・。家人はグランドゴルフに熱中しているが・・・外に出ることはいいことだと思う・・・生きると言うことはいかに沢山の人と出会ったかと思うから・・・。元気に暮らしていることを感謝している・・・。頬をゆるめて眺めている今日この頃である・・・。

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皆様お元気で・・・ご自愛を

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となり 1

2006-10-28 22:55:05 | 創作の小部屋
逢沢雄吉の幸福な災難



             吉馴  悠



      となり 1



 五月晴れの日。

 空家になって久しかった隣家に、中年の夫婦が引っ越してきた。

 引っ越しセンターの車から荷物を家の中に運び込んでいるらしい人のざわめきが伝わってきていた。それを庭で見ていたんだろうか、育子が書斎の窓を開けて本を読んでいる夫の逢沢に、

「今日のような日を、引っ越し日和と言うのね」

 と声をかけた。

 逢沢は本を机の上に広げて、様子を窺うように椅子を立って窓から顔を覗けた。

「じろじろ見ては失礼よ」

「お前さんだって」

 逢沢は四十七歳、育子は四十四歳の壮年の夫婦であった。結婚して二十年が経っていたが、子供に恵まれなかった。

「おとなりも子供がいないみたい」

 じろじろと見ていないわりには育子は詳しかった。逢沢は育子を笑顔を含んだ目で見た。それは咎めているものではなかった

「だって、荷物がないもの。子供の荷物がないのよ」

 育子は逢沢に言い訳をした。

「気になるんだったら、隣のよしみだ。手伝ってこいよ」

 逢沢はそう言って机に戻り、読みかけの本を手にした。

「そこまで出しゃばりではありません」

 育子の少し甲高い声が聞こえてきたが、庭から消える気配がした。

 陽射しは書斎までとどいて立ち昇る埃を白く浮き立たせていた。その埃は隣から飛んでくるものだろうか、風が書斎の床に沈んでいた埃を舞い上げているのだろうか、逢沢は眼の端で捉えてそう思った。



 逢沢夫妻の住む団地は、十年前に山を削り取り造成され、南向きの陽当たり良い場所にあった。O市とK市のほぼ中間にあって交通の便も良かった。新しい家を建ててここに引っ越して来てもう八年になっていた。逢沢夫妻の家は団地の一番高いところの東端にあった。越して来た当時は西隣に老夫婦がこじんまりとした家を構えて住んでいた。その外の敷地には草が背丈ほども繁っていた。今日のような暖かい日和の日には、老夫婦が庭に出て盆栽の手入れやら、雑草をむしっていた。その風景はこころ暖まるほのぼのとしたもので老後を楽しむ和やかな姿として映り、逢沢をほっとさせてくれるものであった。老夫が病に倒れ、一年間の闘病生活をするうちに庭や家は見る見るうちに荒れすさび、名前も分からぬ草の群れに覆われていった。老婦が付き添い家に帰れなかったからだ。逢沢夫妻も一度見舞ったが、その時はまだベツドに縛り付けられていた。何でも若い頃に痛めた脊髄の骨がずれていて、首から腰までギブスをしていると言う事だった。経済的な理由からか退院してすぐに引っ越していった。挨拶に来たときにどちらに引っ越すのですかと尋ねると東京の息子の所だと言ったのだった。だが、どうもそれは偽りであったようで、逢沢の友人の医者が訪ねてきた時に、老夫婦は市の老人ホームへ入っているのを見たと言った。それから、隣は無人の家になり、雨戸は閉ざされ、壁のペンキは風雨に洗われて色を失い、庭は一階を隠すほどに成長した草に埋もれ侘しい物に変わった。

 景気が悪いのか、この高台に人気がないのか、その後、逢沢の家の並びに家を建てる人はなく、逢沢の家と隣の空き家がぽっんと建っていると言う年月がもう五年も続いていたのだ。

 隣に人の住まない家があると言う事が、どんなに不気味であり、寂しいかをこの五年間味わったのだ。夜になっても、窓には灯りがともらないし、物音一つしないのだ。音は風の音と、風が戸を打つ音であり、小鳥の囀りだけであった。人が造る音や匂いや色がないことがどれほど心の平穏を乱すか知れないことを知らされた。とくに、月の出た夜など、大きく影を横たえた。それは得態の知れない生き物のように思えるのだった。

 数日前に、隣で人の声がしていた。沢山の人達が来て、草を刈って燃やしたり、釘を打つ音がしたり、ペンキを吹くコンプレッサーの音がした。人が住める空間を造っていたのだった。その日から育子は心待ちにしていたらしい。この五年間は仙人のような暮らしをしていたことになるのだ。

 逢沢が遅く帰ると、育子が応接間のステレオのボリュームの音を一杯に上げてベートゥベンを聞きながら震えていることがあった。

「夜は一人にしないで」

 そう言って幼児のようにしがみついてきたものだ。

 逢沢は普通の勤め人ではなかった。家から対面の山の頂上にある女子短大の講師をしていたから、毎日毎日通うこともなかった。講義のある日だけ赴けばよかった。その後の時間は家にいて、専門分野である民話の研究をしていればよかった。一方の育子は童話作家としてこの地方ではある程度名が広まっていた。東京の出版社から十数冊の本を発行していた。が、それほど忙しくはなく、逢沢の研究を手伝っている方が多かった。二人で採話旅行に行ったり、持ち帰った採話のテープを原稿に起こしたり、分類整理をしたりの日々を送っていた。

 逢沢夫妻の生活は、育子が教員を辞めた退職金と僅かの原稿料と印税。逢沢の俸給と民話の原稿料と印税で賄われていたから、慎ましいものであった。逢沢は酒を嗜むでなく、煙草一日に十本ていど煙にした。夫妻は全く金に執着はしていなかった。採話の旅の帰りに洒落たフランス料理の店に立ち寄るのがただ一つの贅沢であった。子供のいない夫妻は自由気侭に暮らし、静かにひそやかに生活していると言える。



「今日から一軒家ではなくなるわ」

 育子が小鼻を広げて言った。育子は家事が一段落したのか、書斎に入ってきていた。そして、テーブルの上のカセットを回しながら原稿用紙に向かおうとしていた。「それだけ煩わしくなるぞ」

 逢沢は喜喜としている育子と気持ちの上では同調しながらも危惧を口にした。

「昨日よりはよくなるわよ。お隣に誰かが住んでいるのだと思うと安心よ」

「いい人達であるといいね」

 逢沢は煙草を吹かしながら言った。

「それだけが心配。でも、さっき御主人らしい人を見掛けたけれど、温和しそうな人に見えたわ。あなたより少し年が上かしらね」

 育子は多弁になっている。隣家の窓に灯りが点くと思うと、それだけでも心が浮き立つのだろう。その気持ちは逢沢にもあることなので良く分かる。

「どうして?」

「あのね、毛がないの」

「どこの」

「なに考えてるの、無論頭よ。つまりね頭が禿げているの。額が広いとも言えるわ」

 育子はそう言って、手を口にあてて笑いを隠した。

「そんな言い方ってないぞ」

「だって、本当なんだもの。今、若白髪と若禿が多いいって本当なのね」

「私のことか」

 逢沢は最近になって白髪が多くなっていた。

「ああ・・・」

 育子は眼白黒させていたが、

「あなたは七分三分で黒の勝ち」

 とおどけてみせた。

 逢沢夫妻はたわいない会話を進めていた。せめて子供でもいたら、話の内容は大幅に代わり、泣いたり笑ったりする声がその中に混じっていただろうが。

「ところで急に思いついたんだが、明日から少し足を伸ばして瀬戸内の西沿岸を歩いてみようかと思っているんだが、お前さんも行くかい?」

 逢沢は隣の一件が落ち着いたのを機に話を持ち出した。

「長くなりそう」

「うん。一週間くらいかな」

「だったら、私は家にいて童話の書き直しをします。これで三度突っ返されているんですからね。なにが何でも今度はうーんと唸らせてやらなくては女じゃないわ」

 育子の言葉にもユーモアが混じっている。隣に人が住んだと言う事で勇気が出たらしい。今までなら、逢沢が家をあけると言うと夜が怖いからと言って同行したものであった。

「それは大変だ。ここで女義を見せなくては・・・。そのほうがいいよ」

 逢沢は少しおどけて言った。心が軽くなっていると逢沢は思う。これも隣の影響かと感謝する気持ちが湧いていた。

「何だかうれしそう。憎らしい」

 育子は逢沢の心を見透かしていた。

「お互い様だろう。たまには別々にいないと存在価値を見失うからね。そして、新鮮さが生まれると言う事もあるしね」

「そんな年ではありせん」

「年寄りだってことか?」

「いいえ」

 育子はきっぱりと否定した。

 そう言えば、二人が結婚してもうすぐ二十年がこようとしていると逢沢は思った。

「せいぜい羽を伸ばしてくると良いわ」

「おいおい、僕は新宿へ行くのではないよ。僕の相手は七十か八十の御老人なんだよ」

「そんなことを心配しているのではありません」

「じゃなにが言いたいのだよ」

「知りません」

「最後はいつもそうなんだから」

「では、私がついていきましょうか」

「そんなに向きになることはないよ」

 子供のいない夫婦は軽い言葉を投げ合って時間を潰し合いながら、なにか足らない寂しさをまぎらわそうとしていた。



 隣のことが明らかになったのは、逢沢が瀬戸内の西沿岸地方の採話を済ませて帰った一週間後であった。

 どんな田舎にも核家族化が定着していて、昔のように炉端で孫に語ることがなくなっていて、昔話、説話、故事、世間話などを忘れている、お年寄りが多かった。お年寄りから孫への口承が今日までそれらを残したと言えるのだ。大家族制度の崩壊は逢沢の仕事をやりにくくさせていた。

 不漁だったと、逢沢は思う。

 採話の相手は、経済的にも恵まれた賢いお年寄りでなくてはならないと言う鉄則があった。逢沢は採話をするときには、まず訪ねた地方の公民館に顔を覗けて、そこで適当な人物を紹介して貰うのだった。今回の採話旅行の収穫は二十話ほどであったが、新しい発見は見られなかった。



 日本に多くの民話が残されていると言う事は、島国であったと言う事、他国間との戦争がなかったと言う事、そして、維新後急速の発展していく日本にあって、口承文芸を残そうとする、豊かな感性の持ち主がいたことであろう。民話と言うのは、昔話、伝説、世話話とに分かれる。民間説話が略されて民話となったと言うのが木下順二の民話の会の主張である。柳田国男らの民俗学者は昔話と言った。柳田は民話と言う言葉に拘泥したのだ。。そして、今では採話の分類として、関分類、柳田分類に分けられるのだ。



 民話の起源は定かではないが、逢沢は弥生時代だと言う説をあげていた。それは稲作が始まったときから色々な出来事を末裔に伝え残そうとして伝承したと考えたからであった。動物民話が最初であり、宗教民話へと流れていったと言うのが逢沢の説であった。つまり、人間の進化の中で、衣食住などが、自然が、口承文芸を多く作り残したと言うのだ。

 採話したものは、柳田国男の収集したものを出る発見はなかったのだった。昔話であれ、民話であれ、逢沢は先達者が伝承して残してくれた口承文芸を掘り起こして未来に伝える語り部でありたいと言う考えであった。そのことによって日本の起源と歴史がどのように流れたかを学んでくれれば良いと思った。そして、豊かであった感性と創造力を感じ取ってくれればいいと考えていた。そこには哲学を超え、思想を超えた幅広い大らかな生き様から生まれいでた真実が内奥していると思っているのだ。それは人間に必要な心の置き方を見る思いがするのだった。



 隣の前を逢沢はテレコと着替えの入ったバックを肩に提げて通った。煮物の匂いが漂ったいた。隣の夕餉は肉ジャガかなと思った。老夫婦が盆栽を置いていた場所には物干場がしつらえられ、大きな真っ赤のトランクスとこれも少し大型の黒いビキニのショーツが干されていた。外になにやらぶら下がっていたが目に入らなかった。逢沢は頬を僅かに緩めたのだった。そして、こう言う風景が欲しかったのだと心の中で呟いた。

 玄関のドアを開けると、育子が転がるようにして出て来て、お帰りなさいとも言わずに「あなたが行った日から大変だったのょ・・・」と眸を充血させて言った。顔の色は少し浅黒く見えた。その日からの昂奮がまだ覚めていないようだった。

「おいおい、一体どうしたと言うのだい」

 逢沢は肩の荷物を三和土の上に置いて言った。

「それがお隣の御夫婦・・・」

「後にしてくれないか、疲れているんだ」

 逢沢は少しうんざりとした気持ちで言って、荷物を提げて廊下を書斎へと歩いた。

「あなた・・・」

 育子は小走りに夫の後を追い、すねたような声を背にぶつけたのだ。そして、夫が相手にしてくれないと分かった育子は、

「もう知りませんからね。どんな事があっても、私は知りませんからね」

 そう言ってすたすたと居間の方へと消えた。

 なにが一体育子にあったのか、と逢沢は思ったが、今は一週間の疲れを癒したかった。なにか事件を持ち込まれて頭が昂ぶって睡眠がとれなくては困ると言う考えもあった。逢沢は風呂に入って汗を流し一刻も早く精神を仮死の状態に置きたかったのだ。言ってみれば、逢沢は一週間の疲れと、採話の不首尾で極めて機嫌が悪く、育子の愚痴を聞く余裕がなかったのであった。

「まるで子供なんだから」

 と逢沢は呟いた。

 育子は夫の態度に大変な不満を感じたが、いつもの通り風呂を沸かし、寝室に床をのべた。言うまい、誰が言ってやるものか。少し向きになっていた。育子も拒否する夫にどうしても知らして置かなければと言う寛大な愛を失っていた。夜になれば分かる。その時に驚いても知らないからと育子は思った。育子のショートカツトの髪は櫛が入っていなかった。

 逢沢は黙々として湯につかり、床に入った。育子のオーデコロンの匂いが鼻をついたが、すぐに眠りの誘いに負けた。そして、大きな鼾をかいて眠りを貪った。

 育子は夫の持ち帰った荷物を整理して、書斎に置くものと、洗濯場へ持って行く物とに分けた。

 育子もこの一週間でかなり疲れていた。夫の留守に童話の書き直しをするつもりであったが、結局一枚も書けなかった。いや、書ける状態ではなかったと言うほうがいい。



 一週間前に、夫を採話旅行に送り出した後、家事を済ませて、書斎でそろそろ原稿に取りかかろうと心構えをしているところへ、隣の夫婦が玄関のベルを鳴らしたのだった。つまり、引っ越しの挨拶であった。この地方には引っ越し蕎麦を配ると言う習慣はなかったから、石鹸とかタオルを名刺と一緒に添えるのだった。

 玄関には、赤ら顔の肌艶のよい割りには、頭髪の薄くなった中年の大きな男と、猫が怒った時に毛を立てたような髪をした唇の分厚い小肥りの女が立っていた。

「あの、この度、お宅の隣に引っ越して来ました中桐と申します」

 男は中桐と名乗って丁寧に頭を下げた。

「どうぞ、末長く宜しくお付き合いくださいませ。これはほんのつまらないものですがご挨拶変わりに、どうかお納め下さいませ」

 石鹸の小函に名刺を乗せて中桐夫人がかすれた声で言い、深々と頭を下げた。

「これはこれは、どうも、御丁寧なご挨拶を頂きまして痛みいります」

 育子も中桐夫人の負けない位深々と頭を下げた。

「あの、うちは賑やかですの、多少のご迷惑をお掛けいたすかも知れませんが、そこのところは、お隣のよしみで広いお心で受け止めてやって頂ければ、有り難いのですが」

 その言葉に応えて育子は、

「今までが静か過ぎましたもの。賑やかな方がよろしうございますわ」と本音を口にしたのだった。

「そのように言って頂ければ有り難いですなあ。世の中には私達の趣味をなかなか理解してくださる方が少なくて」

 中桐は、手を頭にやって掻いたが、すぐにその仕草は止めて口元を緩めた。中桐夫人は満面笑みを浮かべていた。

 夫の持ち帰った着替えを洗濯機に入れて回しながら、育子は思い出していた。中桐の少しテレた様子と、中桐夫人の小鼻の横にある黒子が浮かんでいた。



「おおい、テレビの音をもっと小さくしろ」 逢沢は床の中から、居間にいるであろう育子に叫んだ。寝室と居間は、東西に分かれていた。

「もう、うるさくて眠れやしない」

 逢沢は床の中で幾度も寝返りを打って呟いた。まだ身体には疲れが残っていて、あと少しの睡眠を身体が求めていた。このところ疲れがなかなかとれないのだった。「やかましいぞ。テレビの音を落とせと言っているのが分からないのか」

 なおも逢沢は叫んだ。その声は前のより大きかった。 すっかり目の覚めた逢沢は、居間でお菓子を摘みながらテレビを見ている育子を想像していた。無性に腹が立ってきた。腕時計を見ると午後の七時を少し過ぎているところだった。二時間は眠っただろうか。聞こえてくるのは演歌であった。歌謡番組でも観ているのだろうか。いいや、育子は、童謡唱歌とクラシックしか聞かないはずだ。この一週間の時の流れが趣味を変えるとは信じられない。育子と初めて出会ったのも、公会堂でのオーストリアの管弦楽団を聞きに行った時だった。今でも、原稿を書きながらBGMとしてモーツアルトを流していたほどだから、演歌など観るわけがないと思った。聞こえて来るのは演歌だった。ボリュームを一杯に上げたミュージツクに合わせて、男と女のデュエットが流れてきていた。その音は寝室の天井を振るわせ、壁に飾った逢沢と育子の新婚旅行の写真の入った額を揺らしていた。

「下手くそめ!最近の歌い手はこんなに歌唱力がなくなったのか」と逢沢は舌打ちをした。とうとう育子の奴、更年期で耳が遠くなったのか、もうそんな歳になったのか。

「おおい、もう少し眠らせてくれ」

 逢沢は哀願するように言った。頭を抱え込み布団の中に潜り込んだ。だが、育子からはなんの返事も返らないのだ。音が家の中に充満し、流れて、育子の気配まで消しているようだ。

「くだらんテレビなんか消してしまえ」

 逢沢は布団を蹴って起き上がった。そして、大股で居間へと向かった。

 居間にはテレビも点いていなければ、育子の姿もなかった。やかましい音と外れた歌声だけが、篭もって塊になっているようであった。

「どうしたんだ、一体全体どうなっているんだ」

 逢沢は口の中で言葉を噛み殺しながら、音の波の中を分け入るように進んだ。育子を捜して回った。応接間のステレオだと思った。帰ってきた時に相手をしてやらなかったから嫌がらせをしているのだ。そんな悪戯気なところがまだ育子には残っていた。きっとすねているのだ。応接間には雑音の元も、育子もいなかった。台所にも行ってみたがいなかった。怖がりの育子が夜に一人で外出をする筈はなかった。育子が消えた。この騒々しい騒音だけを残して一体どこえ消えたのだろうか。残っている所と言えば書斎しかなかった。書斎にも十五インチのテレビを置いていたが、まさかそこではあるまい。今まで育子がそこでテレビなど観たことはなかったからだ。テレビを観ながら原稿を書いていることは考えられない。育子は神経質なタイプで少しの音があっても原稿が書けぬのだった。このやかましい音の中では頭が混乱して一文字も書けぬだろう。逢沢はそんな気持ちで書斎を覗いた。

 なんと、育子が知らんふりをして、机に向かい原稿用紙にペンを走らせているではないか。一体何時からこんなに図太い神経と、無頓着さを身に付けたのだろうか。この一週間でなにもかも変わって、浦島太郎になったんだろうか。女は環境に順応するのが早いと言うが、まさか、と逢沢は思った。

「おい、呼んでいるのが分からないのか」

 何度声を掛けても、通じなかった。だんだんと声を大きくしてみても育子の反応はまるでなかった。

「この勝手ずんぽが」と思いながら、逢沢は育子の後ろから前に回った。育子は不思議そうに目を上げて見たが、すぐに表情を崩して顔を上げた。狂ったのだろうかと逢沢は思った。

「おい、一体どうなっているのだ。説明をしろ」

 逢沢は声を荒げて言ったが、尚も育子は分からないと言う仕草をした。両手で耳を覆い、それから、手を顔の前で左右に振った。

「この音がおまえには聞こえないのか」

 育子はにこにこと笑いながら耳から栓を抜いた。

「なんだ、それは」

 逢沢はあっけにとられて問った。

「耳栓よ・・・。ね、分かったでしょう。私がこの一週間どれほど悩んだか、苦しんだか・・・。そのことを言おう・・・」

 育子は夫との顔をまじまじと見詰めながら言った。

「それはどう言うことなんだ。この頭の脳みそをゆるがす音はなんだ」

「お隣よ」

「となり!」

「そうよ」

 育子は平然と言って退けた。この音に対しては一週間の先輩だと言うのだろうか。余裕さえ窺えたのだった。「それでは・・・」

「そう、カラオケ」

「なんて事だ」

 逢沢は耳をふさいでうずくまった。

「だから、あなたが帰った時にそれを言おうとしたら、怒って邪険にしたんだから。聞く耳を持たぬと言う風に」

 育子は立って机の引き出しから、新しい耳栓を取り出して逢沢の前に出した。

「これを私に嵌めろと言うのか」

 逢沢はそれを手に取って言った。

「これを思い付くまでどうしたらいいか、一生懸命に何時間も考えたんだから、思い付いたときには飛び上がったわ。ホームランよ。これは、だけど、シーズンが過ぎているでしょう、だからこれを捜すのにまた一苦労をしたってわけ」

 育子は得意げに一気に喋った。

「バカバカしい、なんてことだ。大の大人がこのようなものを出来るわけがない」

「これしかないのよ、自衛策には」

「これでは家で仕事など出来ないぞ」

「そう、だからこれがいるのよ」

「書くときはいいが、テープを聞くときには、原稿に起こすときには一体どうするのだ」

「そこまでは考えていません。私の考えはこの耳栓のところで精一杯。後はあなたが考えてくださらないと・・・」

 育子はお鉢を逢沢は預けるような言い方をした。

「毎日毎日かい」

「ええ、毎晩毎晩、でも、お隣さんは几帳面な方で、きちっと十一時になると止めるわ。それは、正確なんだから」

「なんてこった。それで文句は言ったんだろうね」

「言ったわ。言ってこれ位になったのよ。前はもっとひどかったんだから。まるで家の中にPA(スピーカー)が置かれたようだったわ。硝子戸はビリビリ震えるし、障子は鳴るし、天井からは埃が舞い降りたわ。なんでも一個百万円もするんですって」

「そんなことで感心している場合か。えらいことになったものだ」

「あのご夫婦、お酒を召し上がって、カラオケで歌うのが好きで、お隣に来るまでに何十回も引っ越しをしたんですって・・・。そう聞けば無碍にも言えないし・・・」

「おいおい、こんな場合に相手に塩を送るなんて考えるのはどうかな。それより、私達の生活はどうなるんだい。今日だけではないんだろう」

 逢沢はうんざりしたと言わんばかりに言った。

「そうです、毎夜です。今日までは。・・・少しは私に同情してくださいまして。あなたが採話旅行にお出になっている毎夜は、お陰様で怖くはなかったですけれど、書き直しの原稿は一枚も上げることは出来ませんでしたわ」

 育子は開き直ったのか少々おどけて言った。


となり 2

2006-10-28 22:54:29 | 創作の小部屋

となり 2

 なんて事だ。これを災難と言わずしてなにを災難と言うのか。これを公害と言わずしてなにを公害と言うのか。この音が毎夜毎夜続けばまさしく騒音公害だ。生存権、生活権の侵害だ。悪いことの後は良いことがあると言うが、逆もまた真なりで、良いことと共に災いが訪れたと逢沢は思った。

「おい、隣はどう言う職種の人だい」

「だんなさまは、市の教育委員会に勤めていらっしゃって・・・」

「それでは、公務員」

「そして、奥様は、大きな病院の会計課長なんですって」

「言ってみれば、頭脳労働者のエリートではないか。そんな階級の人の中にこのような非常識な人がいるなんて・・・」

「これも、高度成長経済の落とし子なのかも知れないわ。エリートだからじゃなくって。ストレスが溜る職場だから」

「いやに、同情的ではないか」

「それは、一週間もこの音と付き合っていると、この音を出している人の心が少しは・・・」

「くだらない、くだらない。これから先、どのように過ごすかだが・・・」

 逢沢は溜め息をついて、腕を組み考える人になった。育子はすっかり妥協をし環境中で順応しているらしかった。女と言う動物は、と逢沢はあきれていた。

 隣の音楽、いや、ただの騒音は夜の十一時になるとぴたっと止んだ。この辺りがインテリのインテリたるゆえんらしい。騒音防止の何たるかを知っていると言うわけである。相手もそこのところは心得ているものだと感心をした。迷惑防止条例に抵触しない範囲であることをちゃんと計算しているのだ。

 音がやむと無人のような静けさがじわじわと取り囲んだ。やかましかっただけに、その静けさは二倍にも三倍にも感じられ、隣が越してくる前より不気味な夜になったのだった。

 次の日、逢沢は大学の帰りに建設会社に寄って書斎の防音工事を依頼した。だが、すぐには取り掛かれないと言う事だった。建築ブームなのだそうだ。だけど、逢沢の家の並びに家を建てて引っ越しをしてくる人はいなかった。やはりこの高台に人気がなかったのだ。日本も経済大国になって国民の懐具合もいいと言うことだったのにである。

 逢沢は学者音痴と言う程ではなかったが、世間の情勢には頓着していなかった。マイペースでわが道を行くと言うのが逢沢の考えだった。その逢沢の目に映るのは、世間の人はあいも変わらぬ傲慢さと、自己顕示欲の強さだった。精神は少しも進歩してはいないように見えた。逢沢の教室に出入りする、学生を見て世相を判断して見ても、服装は確かに個性を現す着こなしになったが、化粧方法の改良が行われたのか一応に綺麗になったが、どうもなじめない美しさであった。どこがどうのと言うのではないが、まるでマネキンを見ているような味けなさを感じてしまうのだった。そして、キャパスに溢れる学生が最近になってとみに多くなったのを感じる。それだけ、裕福になったのだろう。女に学問を身に付けさそうとする良識が深まったと言うのだろうか。だったら、もっと学を問うことに身を入れてもいいではないか。どうもそうでない子が多いように思える。アクセサリーとしての学歴を欲しがっているように思える。英語のレベルは確かに上がったが、母国語の理解がその分さがったと言うことを痛感するのだ。提出されたレポートを読んでいてそれは感じる。まるで小学生の文章なのだ。漢字を知らない、文法は理解していない、句読点、句点は出鱈目なのだ。この國の教育水準は高いと言うが、頭を傾げたくなる。平均点と偏差値が、人間の個性を殺し、伸びる芽を摘んでいるように思える。それは、家庭にあって、勉強ばかりさせて、外でどろんこになって遊ぶこと、手伝いをさせることを疎かにした証拠を見せられるのだ。それがあって初めて、やる気、目的意識、計画性、達成欲、持続力が生まれ、社会において自分の能力を発揮できると言うものだ。これはエゴと言うのもとは違う。豊かな性格形成や円滑な人間関係を造っていく上で絶体に必要な事なのだ。母になる彼女等に話しても通じないのは、その子等の母親が、父親が、見せた後ろ姿を疑問に感じていないのだろう。物欲、食欲、性欲の三大欲望を満足して来た故の過ちなのだと言うことに気づいていないのだ。その欲望を満たすのにはルールがあることを知らないのだ。それらは、民話の中の本音の大らかさ、豊かさとは違う。心を持たない群衆心理と言うのだろうか。つまり、欲望をコントロールする器官が未発達なのだろう。

 要するに、小学校のときから、せつせと塾に通い、中学校では良い高校へ行こうと、平均点を上げ、偏差値に振り回され、進学率の良い高校へ進み、眠る時間を勉強に当てなくてはみんなについて行けず、漸く入った大学ではパチンコ、マージャン、酒、煙草、と遊び呆けていてなにも身に付けてはいない。

 貧弱な、無駄な時間を無意に過ごしている青春を見る思いがする。

 人は国を動かす人間になることも大きな生きがいにはなるだろうが、それは、自己の裁量で選択するものではなかろうか。いや、むしろ、人様の邪魔になっている石を動かす人間になることの方が、意義がありはしまいか。 逢沢は、防音の工事が遅れることで世間の事情を知るのだった。そして、愚痴つても見たくなった。



 隣の騒音は、壁を超え、硝子窓を通り越して聞こえてきていた。

 逢沢は落ち着く間などなかった。何時もいらいらしていた。心が休まらないのだった。まるで他人の家に行き、居場所がないようなそんな感じがしていた。だが、育子は耳に栓を嵌めて平然としていた。その姿がまた癪に触った。女と言う動物はどのような環境の変化にも悉く隷属出来るように造られているらしい。この地球に終末が来ても生き残るのは女と言う動物と、ゴキブリではなかろうかと思った。その点男は駄目である。神経がデリケートで少しの音でも耳について落ち着かずに疲れてしまうのだ。冷静な判断力は女のほうが上なのだろうか。例えば、シェルターの中で生存出来るのは女の方が長く持つだろう。

 騒音のお陰で、逢沢は色々なことを考えるのだ。民話の分類も全く手についていない。採取地、名前、住所、年齢(生年月日)、口承を受けた相手、口承を受けた年、生活状態、頭の良否、紹介者、採取地の模様、気候の状態、同行者、柳田分類か関分類か、と書き込む作業すら出来てはいなかった。焦ったがどうしようもなかった。

「あなた、ものは考えようよ。飛行場の近くの人達はこんなものじゃないのではなくって。ジェツト機の離着陸のときの騒音は。それに、新幹線の近くの人は・・・」 育子は逢沢の苛立つ様子を見兼ねて優しく言った。

「ここは、飛行場の近くでもなければ、新幹線の通る所ではなーい。そんな、物知り顔の慰めなんか結構だ」

 逢沢はヒステリックに叫んだ。

「例えばよ、そんなに怒ることはないではないですか。町の中なんかは壁一枚、ベニヤ板一枚の隣り合わせと言うではありませんか。それに比べたら、ここは天国・・・」

「天国も地獄もなーい。ここは私達の生活ベースであり、プライバシーを保持する、言ってみれば、仕事をしたり、身体を休めたり、精神の安定を計るところなんだ。なにが、壁一枚だ、ベニヤ板一枚だ」

 逢沢は眸をいっぱいに見開き、額に青筋を浮かべて言った。その形相を何処かで見たことがあると育子は思ったが、すぐには脳裏に去来はしなかった。

「だって、あなたの姿を見ているとまるで動物園の檻の中にいる月の輪熊のようなんですもの。篭の中の二十日鼠のようなんだもの」

「やかましい、何時からお前はそんなにお喋りになったのだ。まるで、篭の中の鸚哥インコのように、鵡のように、何度繰り返せば気が済むのだ、同じ事を」

「あなたが一人で被害者ですって顔をしていますから・・・。この私だって・・・」

 育子は声を歯で噛み殺した。そして、逢沢はああこの顔は奈良の東大寺の仁王さんだと思い付いた。

 逢沢は育子の眼尻の皺を見て、次の言葉を呑んだ。何時の間にかこんなに老け込んだのか、と改めて育子を見詰めた。逢沢が白髪を増やすと同時に、育子は皺の数を増しているのだ。瑞瑞しい肉体を奪ったのは年月か、流れるように通り越した日々か、逢沢は感傷的になっていた。



「あら、改築ですの」

 酒で声を涸らしたらしい中桐夫人が育子に声を掛けたらしい。

「ええ、まあ・・・。この家も建てて随分時が過ぎましたから、少しずつ隙間が出来たり、キッチンが今風でなく、トイレだって洋式ではありませんし・・・」

 育子の少しトーンを落とした声が伝わってきていた。「私共がご迷惑をお掛けしているのではありませんか」「ええ、まあ・・・。そんなことはありませんよ。どうぞ余分な気遣いはなさらずに・・・」

 育子は上手にかわした。庭の垣根越しに、育子と中桐夫人が言葉のやりとりをしているらしい。

 逢沢は書斎で本のページをめくっていた。二人の会話は自然に耳に届いた。そのことに腹が立ってきた。

 この見栄っぱりめ!カラオケの音がやかましくて防音工事をしているのだと、皮肉の一つも言えないのか。と逢沢は心の中で叫んだ。

「本当にすいません。病気なんです・・・」

 そうだ病気だ。逢沢は相槌を打ちたい気持ちだった。それにしても、今日の勤めは休みなのかなと気になった。

「うちの人は仮面鬱病なんですの」

「かめんうつびょう」

 育子が鵡返しのように繰り返した。

「ええ、三十七歳の時でしたか、ひどい肩凝りになってそれから不眠症になって頭痛がしだして何時も鉛の兜を被ったようで役所もだんだんと休み勝ちになって、それはそうでしょう。一晩中瞼の裏に蝶が飛んでいては昼に仕事なんか出来っこないでしょう。内科に行けば風邪だと言われ、整形外科に行けば頚の骨がずれているからと牽引をされ、眼科に行けば眼圧が高いと言われ、耳鼻咽喉科に行けば内耳が詰まっていると言われ、脳神経外科へ行けば筋収縮性頭痛だと言われ、胃腸外科に行けば疑胃潰瘍だと言われ、あらゆる治療を致しましたが治りませんでした。そんな夫と暮らしていますと私までその症状にかかりました。もう一家は灯りのない、希望のない人生を歩まなくてはならないと言うときに、わたくしの病院、余り信用が置けないので夫を連れていかなかったのですが、の医院長の息子さんでインターンを終えて帰ってらっして、私の顔を診て、症状を見事当てられたのです。二人は若先生の最初の患者になりましたの。抗鬱剤とトランキライザーを服用するうちに嘘のように良くなりましたの。私も夫も肥えているでしょう。薬の副作用なのです。でも、夜中に息が出来なくなったり、心臓の鼓動が全身を波打たせたり、意識が無くなるのでは、もう死ぬるんではないかと言う不安の毎日でしたから、大変救われました。その若先生が言われるのは、なんでも現代病でストレスが、ストレスにも善玉と悪玉がいるんだそうですが、そのストレスが溜ると、交感神経と副交感神経とのバランスが崩れて色々の臓器に障害と言う形で警告をするのですって・・・」

 中桐夫人はここまで市川団十郎のように、言葉にめりはりを加えて語ったのだけれど、息が切れたらしい。それと、カラオケとどう言う相関関係になるのだろうか。どうのようにしてこのなんの前後左右関係のないものをひっつけるのか、結ぶと言うのか、逢沢は身を乗り出したい気分だった。

「そんなことが・・・それはまた大変でしたわね」

 育子が同情的な言葉を紡いだ。

「若先生が言うのには、その原因になっているストレスを溜めないために、運動とか、没頭出来る趣味を持つ事だと言うのです。それからは運動や、映画や、旅行や、バアー巡りや、そのバアー巡りで漸くカラオケに出会ったのです。二人はもともと演歌が好きでしたから・・・。家にカラオケをしつらえて、あの一聞やかましい音の中にいますと、心がスッカーと晴れ、身体が自然のうちに揉みほぐされますの。カラオケをしだして不安感が全く無くなりました。どうか、その辺りを御理解いただきまして宜しくお願いいたします」

 中桐夫人が頭を深々と下げているのだろう、声が地上に落ちる音がしていた。



 書斎の工事が終わって、幾らか音は小さくなったが、屋根を伝い、壁をくぐり、床を抜けて入り込んでいた。 中桐夫妻の病気は容認できても、音だけは災いの外の何物でもなかった。それならこちらで対抗手段を講じなくてはならないと思った。

 逢沢はなるべく昼の間に仕事をこなすと言う事にした。そして、夜は休養を取ることにしたのだ。だが、どうしてもと言う日には、防音装置を施した書斎に入ることにした。少しずつではあるが隣の音にもなれ、自衛策が功をそうしたのか、逢沢は落ち着きを取り戻していった。

 だが、電話のベルの音だけはどうしても聞き取れなかった。何度も電話を架けても出ないから、心中でもしているのではないかと心配して、育子の母親の房江が訪ねて来たことがあった。

「これでは人間が住むところではありませんよ。こるで製鉄会社の薄板の工場の中に住んでいるようではありませんか。二人の仕事が静かなところがいいと思ってなにも言わなかったけれど、この歳では、ここまでの坂はボストンマラソンで言う心臓破りの丘ですよ。私のことを考えてくれるのなら、この山を下りてくださいな。もっと環境のいい平地がありましょうに。この機に考えてくださいな。お金のことはどうにかしてあげますから。それとも、私の家にいらっしゃいますか」

 育子の母を、逢沢の義母を老後面倒を見ると言うことが、育子との結婚の条件だったのだ。育子は一人子の一人娘だったから。そのことを義母は言ったのだった。

 義母は幸いなことに、八十がこようとしているのに腰も曲がらず元気だあった。今でも婦人会の地区の会長として頑張っていた。大正、昭和をかけて教育者として生きたのであった。

 逢沢は、両親を送ってもう八年になる。

 兄は特攻で戦死をし、弟は東京で交響楽団の指揮をとっていた。逢沢は父親の後を継いで民話の研究に携わったのだった。父親は戦争中軍の関係の仕事をしていた。終戦をしてごろごろとしていた父親の元に、MPのジープが来て父親を連行して行った。C級戦犯と言う汚名を着せられたのだった。後で父親から聞いた話だと人間魚雷を制作するのに参加したと言うことだった。父親は、巣鴨で何年かを過ごし出てきた。帰ってきてからは気が抜けたビールのようになんの味もない人間になっていた。毎日毎日を庭を眺めて過ごしていた。母親は世間の中傷から父親を庇うために何度も引っ越しをした。戦犯と言えばどこも買い物の付けはして暮れなかった。それに、心ないやからが何時までも白い眼を向けた。その度に引っ越しをしなければならなかった。そんな父親が民話に興味を持ち研究を始めたのだった。どのうな契機でそうなったのかは知らないが、そのとき、父親の元気になった姿に涙が出たものたあった。



「おい、近ごろ、少し音が高くなったのではないか」

「ええ・・・」

「私の耳の所為かな」

「そう言えば・・・」

 育子は思い当たることがあるらしく、一瞬驚いたと言う仕草をした。

「どうしたんだ」

「あのね、お隣さん、うちが防音工事をしたことを知ったみたいなのよ」

「どうせ、おまえが言ったのだろう」

 逢沢はうんざりするように言った。

「それがね・・・。あのね、つい先だって、庭で奥さんにばったり出会ったのよ。あちらさんが何時も何時もやかましくてすいませんと、それはそれは丁寧に言い頭を下げるものですから、なんだか、こちらが悪い事でもしているような錯覚を起こして、ついつい・・・」

「おまえさんて奴は・・・」

 逢沢は空いた口がふさがらなかった。

「分かるのよ、私」

 育子は辛そうに言った。花が枯れたような雰囲気だった。その育子を見ると何も言えなくなった。逢沢には育子が何を言いたいのか凡その見当がついていた。

「あの夫婦に子供でもいれば、出来ていれば、あんな病気にもならなかっただろうし・・・」

「病気とは関係ないだろう」

「いいえ、子供が一番のストレス解消になるんですって。そう先生に言われたと、奥さん肩を落としてしみじみ、子供でも居てくれたらね、と言ってたわ」

「それでは、うちはどうなんだ」

「それは、私達は話を集めたり、童話を書いたり・・・。それが、子供のように手が掛かるでしょう・・・。でも、あの夫婦には何もする事がないのですもの」

 育子は理路整然とした答弁をした。

 逢沢は育子の言葉には一理も二理もあると思うが、感情移入をし過ぎていて、工事のことについての軽薄な発言は許せないと思うのだった。それは、こちらの生活権を放棄したに等しいではないか。双方がして、遠慮迷惑と言う事が社会の営みのうえにあってはならないのだ。 だが、隣は迷惑がかからないとカラオケのボリュームを上げたと言う事実は嘗めないことなのだ。

「迫力が違うんだな。音が身体の中に飛び込んで来て血が騒ぎ筋肉が痺れるんだな。この感覚はやったものでなくては分かりっこないと思うがね。酔うんだな。陶酔。中毒になっやうんだよ。それ何とか中毒って奴さ」

 逢沢は同僚で家に何百万も掛けたオーデォマニアの男に聞いたことがあった。

 逢沢と育子は、書斎で耳栓をして机に向かわなくてはならなくなった。育子は自分が蒔いた種だけに何も言わずに黙々と原稿用紙の桝目を埋めていた。

「おい、義母さんの言うように引っ越そうか」

 逢沢は弱音を吐いた。それ程逢沢には応えるものであった。低音が頭の芯にズキンズキンと響いてきた。高くなったと言う気がそうさせていたのかも知れない。

「もう一度、お隣と掛け合いましょうよ。今度はあなたが言ってね」

「それが嫌だから言っているんだ」

 逢沢の声は少し荒っぽかった。

「せっかく住み慣れた家なのに」

 育子は未練げに言った。

「お隣さんも、ストレス解消だとは言え、幾ら治療と言え、毎夜毎夜よく続くものだね」

 逢沢は遂に皮肉が口をついて出た。

「ねえ、辛抱が出来るだけ辛抱しましょうよ。今出て行くと、お隣さんにあてつけた形になるわよ」

「ふふん」

 逢沢はそう言う考えもあるのかと思った。

 七時から十一時までの仕事を昼に回し、十一時まで耳栓をして睡眠をとる。十一時からテープの採話を原稿におこすと言う生活が二箇月ほど続いた。

 育子が身体の変調を訴え始めたのはこの頃であった。「おい、医者に診てもらえよ」

「平気平気」

 育子は逢沢の心配をどこ吹く風と聞き流した。



 逢沢が大学から帰りドアを開けると、里子がきちんと正座をして出迎えた。

「お帰りなさいませ。だんなさま」

 何と三つ指を付いて言ったのだった。

「おいおい、何と言うことをするのだ。明日から出雲地方へ行くのに嵐になるではないか」

「そう、嵐になればいいんだわ」

「何かあったのか」

「あのね、あなた大変よ。あなたはパパになるのよ」

 育子は顔を皺くちゃにして言ったのだ

「なに!パパ!」

 逢沢はホカンとしていた。

 どうも、隣の騒音は意外な影響を与えたようだ。

 大変だ。高齢出産と言う言葉が頭の中でエコーのように響いていた。

    



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2006/10/28 清々しい秋の一日・・・。

2006-10-28 19:28:00 | Yuuの日記


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寒くもなくていい天気・・・。
定年退職をした夫婦が散歩・・・何組も何組もぞろぞろと・・・健康のためやっているのだ・・・。運動不足を解消しているのか・・・。裏にあった田圃が総て宅地化され真新しい住宅団地になっているので知らない顔ばかりだが・・・。いつの間にか100建くらいの団地に・・・。退職金で建ったのか、ローンを組んでいるのか・・・まあ、仕合わせな人たちに違いない・・・。

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40年前に建てた我が家はりホームでもしないと今の生活環境ではなくなったが・・・。何もなかった家人との最初の生活から40年近く経つともう道具や品物が一杯でそれを片づけるのが大変でりホームをあきらめてしまう・・・。20畳と6畳の書斎には本が一杯になっている・・・それをどうするか思案の頬杖であるが・・・。30畳のワンルームは長男が結婚して間仕切りを作り生活の場にしているが・・・。50畳のスタジオには芝居の書き割りと大道具小道具衣装でようやくスタジオ公演が出来る狭さになった・・・。私と家人は6畳二間で細々と少ない空間で暮らしている・・・。20畳と10畳は家人の社交の場・・・。小さな喫茶店と言うところ・・・。歳を取ったので辞めたらと言うと一人でもお客さんが来てくれる以上辞めないという・・・。何もしないでいるよりいいかとそれ以上言わないことにしているが・・・。今ではお客さんから電話がかかって来たら店を開けるそんな状態で有るのだが・・・。駐車場は10台くらい・・・家族の車が5台・・・。5人の家族が一台ずつ持っている勘定か・・・。今では倉敷の水島で一番古い店になっているが・・・。昔からタクシーに乗って一番はやっていない喫茶店へと言えば家人の店へ連れてきてくれるのだが・・・。よく生きてきたと関心感謝しているのだが・・・。

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耳鼻科へ・・・鼻と喉の洗浄・・・。耳の治療・・・。漢方薬が効いてきたのか「加味帰脾湯」が効いてきたのか今日は調子がいい・・・。「耳管開放症」に効くというのは本当か・・・。インターネットの情報のおかげと・・・ありがたいと思う・・・。

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オクラのの花が・・・大きな花弁を開く・・・。一日で終わるはかない物だが綺麗でびっくりさせられる・・・。明日はもう開かずにしぼんで地に落ちるのだ・・・。蕾が後3個、その蕾も定めに沿っていくのか・・・。花は散り生物は滅びる・・・自然の摂理・・・。はかない故に美しいか・・・。40苗ほど買って植えた大小のパンジーは元気に新しい花弁を開きはじめている・・・やがて自然の摂理に・・・。花を開き種になって次の世へ・・・。命を引き継ぐのも自然の采配か・・・。ひととき人の眼を和ませて・・・。人間はどうか・・・。今の人間はなにか忘れていないか・・・。自分のことばかり考えて生きていないか・・・。無形の何かをこの世に残したか・・・。たとえば生きて感じ実感した一言の真実の言葉・・・。それを次の世を生きる人たちに伝えられたら生きた甲斐があったと言うことか・・・。せめて我が子に・・・。

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皆様お元気で・・・ご自愛を・・・。

秋の日は素晴らしい・・・。

2006-10-27 19:46:50 | Yuuの日記


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過ごしいい天気でした・・・。寒くもなく暑くもなく・・・。こんな日は野菜達はすくすくと伸びる・・・。

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気圧の精か耳が響く・・・。今日から漢方薬「加味帰脾湯」を飲み始めました・・・。インターネットで調べたら「耳管開放症」に効果が70パーセント有ると言うことなので・・・。それに目薬を変えてからおかしくなったので、今日目医者にゆき前の物と変えて貰いました・・・。まあ良い日が有れば良くない日も有るだろうが・・・。病と仲良くして気にせずに過ごすしかないか・・・。

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少し歩く・・・銀行への道程・・・。それでも車で行っていたのだから少しは運動が出来たのか・・・。耳鼻科へは車で・・・。自転車で行かなくてはいけないと思うが・・・今日も眼がほちほちし頭が重かったので・・・。

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キャベツダイエットをしだして冷蔵庫、冷凍庫の食品が減らなくなった・・・。よく食べていたものだと思う・・・。買い物も少なくなった・・・。外食もしなくなった・・・。空いた時間を家人と散歩・・・近場を歩き回るか・・・。車で見物へ・・・。

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ぼつぼつ書き物でもはじめようか・・・。ブログで沢山の人が小説を書いているが・・・楽しめばいいと思っている・・・。その中から何人かがプロになるだろうが・・・。新人賞を取るよりブログに素晴らしい小説書く方が出版するのには早道か・・・。雑誌社もブログの小説の書き手に注目をしているのだから・・・。書いておられる人は希望が湧くはず・・・。だが、プロになったら半端な物ではない・・・。才能なんか無いと思い勉強と努力を怠らないようにして書き続けなくてはならない・・・それが中々難しい・・・。私の様にあっさりと辞め、遊びで書き物をするという生き方もあるのだ・・・どうか、ビルの上から飛び降りないでいただきたい・・・。たかが小説なのです・・・。生き方はいろいろと有ります・・・。芥川賞にしても直木賞にしても菊池寛が商売のために作った賞なのだから・・・。そんな賞を貰うより多くの人が読んでくれ感動をしてくれる物の方が価値があると・・・。生きていることが小説を書いていることなのだから・・・。のんびりとゆっとりと書き進めてください・・・。好き勝手に好きなことをして生きて賞や勲章なんか貰おうと思わないこと・・・。心の洗濯になればいいのですから・・・。
皆さん、書いておられる皆さん賞を貰っている人が物書きで食べているのは何万分の一ですから・・・。元作家の遊び人は・・・今ほうれん草や小松菜や春菊を植えて一日を過ごしています・・・。時に台本を書き演出をするくらいで暢気に暮らしていてこの様に思うのです・・・。
夢を捨てないで頑張るのは大切なこと・・・1000冊本を読んで1作書ければいい方でしょうか・・・。ご検討を・・・。

皆様お元気で・・・ご自愛を・・・。

2006/10/26 今日は少し寒い秋の日・・・。

2006-10-26 19:59:14 | Yuuの日記


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今日は寒くてズボンを秋物に替えた・・・。外に出るのには最適なのだが、少し寒気がして散歩はしなかった・・・。

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気圧の関係か今日は今のところ耳の調子はいい・・・。耳の響きは、全開名しぉゃで目薬を変えたからか・・・その頃からおかしくなったので・・・。目薬を前回の物に変える・・・今のところ長波がいい・・・。木曜は耳鼻科が休みで鼻と喉の洗浄はなし・・・。頭が痛いのだ・・・目がちかちかして頭が痛い・・・。パソコンの白い画面を見るとちかちかしてぼやける・・・。頭が痛かったので冷やしたのが悪かったのか・・・。ケーキを買うと入っている保冷袋を冷凍して使っているのだが・・・。あまり冷やすと余計に頭が痛くなることはわかっているのだが、ついついいたいと使ってしまう・・・。困った頭痛餅である・・・。

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家人と買い物・・・。砂糖と卵を・・・。キャベツダイエット中なのであまりり食べないから冷蔵庫、冷凍庫には沢山の品物が蓄えられているが・・・。買うとしたら牛乳とキャベツと豆腐・・・それに野菜くらいか・・・。毎日買い物に行けないので行ったときに沢山買うことにしているので・・・。

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朝起きて見ると玄関に一輪のクリーム色の大きな花が咲いていた・・・知人がくれた物で水をやっていたらどんどん大きくなって胸のあたりまで伸び、今6輪の蕾と一輪咲いていた・・・。花の名前に疎い私には何という花かわからないが・・・。夕方には花弁を閉じようとしていたが・・・。

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高校が予備校化・・・。なんと言うことだ・・・。世界史を勉強してないとは・・・。受験だけの科目を勉強していたという・・・。今の高校生はそんなに頭が悪いのか・・・。全科目勉強して大学へ入れと言いたい・・・。理工科系へ行く生徒が少なくなっているとは・・・。文科をめざしているらしいが・・・日本史もいらないか・・・。まあ、分数も九九も出来なくて大学へ行く生徒が多くいる今の世の中だから驚きもしないが・・・。
日本の教育は末期終末だ・・・。やり直さなくては・・・。

皆さんお元気で・・・ご自愛を・・・。


2006/10/25 曇り空の秋の日・・・。

2006-10-25 18:07:42 | Yuuの日記


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今日は鬱陶しい日だった・・・。時に晴れたが一日中曇り空・・・。
こんな日は頭が重いし鈍痛がする・・・。耳の具合も気候で左右されるのか良かったり悪かったり・・・。今日は左耳が響くが・・・。パソコンで目が疲れるのか・・・涙目だ・・・。

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プランターに植えた花たちはついて花を盛んに開いているが・・・。海に行くのが遅かったので色が偏っていて・・・赤い花が欲しかったと・・・。野菜達はどんどん伸びている・・・。大きくなったら間引かなくては・・・それが面倒・・・。

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最近は一日中パソコンとテレビを見て過ごしている・・・。生活を変えなくてはと反省・・・。目と耳の精にしているのか・・・。何もすることが無く一日終わっているのか・・・。

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何か目標を見つけなくては・・・。何を焦っているのか・・・。とにかくキャベツダイエットしてスリムになって・・・健康になって・・・考えなくてはなせないか・・・。

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皆様お元気で・・・ご自愛を・・・。

2006/10/24 今日は寒い秋の日・・・。

2006-10-24 18:01:00 | Yuuの日記


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昨日より今日は寒かった・・・。これから少しずつ寒い季節になるのか・・・。紅葉の綺麗な風景の到来か・・・。風に散る落ち葉が増えたが・・・。

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家人と買い物・・・寒くなったので白菜を・・・鍋には最適なので・・・。それにしても安かった120円・・・。イオン水を買いに行ったのだが売れ切れ・・・今はイオン水しか飲まない・・・。キャベツもレタスも安かった・・・。100円未満・・・。
キャベツダイエットをしているので買って帰ったが・・・。

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今日は気圧の関係か耳の調子が悪い・・・。昨日は一日中調子は良かったのに・・・。
耳鼻科で鼻と喉の洗浄を・・・。

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今日は秋刀魚を焼いてキャベツを夕餉とするか・・・。

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皆様お元気で・・・ご自愛を・・・。



2006/10/23 少し寒い秋の日・・・。

2006-10-23 19:37:51 | Yuuの日記


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今日は晴れていても風が少し寒い・・・明日はもっと寒くなると言うが・・・。

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気圧の関係か頭が重い鬱陶しい・・・目がしょぼしょぼするし・・・。この気圧は耳にいいようだ・・・。耳鼻科へ鼻と喉の洗浄をしに・・・。耳の治療・・・。内科へ薬をもらいに・・・。

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昨日は外食をしたので体重計に上がると600g増えていたが・・・。これからいい季候になるので車は辞めて自転車か歩くことにする・・・。家人と歩きながら古い家の方の近況を話しながら・・・。家人と結婚しての家人の故郷に家を建て・・・都会から田舎の公害の町へ来て40年になろうとしているが・・・。ぜんそく持ちになってしまって・・・。公害病に・・・。

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歳をと生命保険の高額保証は総て切り捨てられる・・・保険料は倍になる・・・。僅かの年金では払えない金額だ・・・。総て入院保障に切り替えなくてはならない・・・。家人も私と同じ保険に切り替えた・・・。家人がいなくなれば生きていてもしょうがない・・・。二人で健康に注意をしながら生きられるだけ生きるか・・・。なるようになる・・・そんな生き方をしてきたのだから・・・。気遣いながらいたわり合って二人で生きていくしかないか・・・。切り替えて4万円の差が生まれる・・・。何か美味しい物を食べられそうだが・・・。

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皆様お元気で・・・ご自愛を・・・。

2006/10/22 曇り空の秋の日・・・。

2006-10-22 18:26:55 | Yuuの日記


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今日は曇りました・・・。時に陽が射していましたが・・・。

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何もせずに今日もぼんやりと・・・。社会の事で腹が立つことが多いが。、それを書いても詮無いことか・・・。時に頭に来て書きまくるが・・・。何かしなくてはといらだちが・・・。焦りが・・・。でも今は、早く目と耳を治さなくては・・・。憂鬱で鬱陶しくて・・・。

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菜園の野菜達は日に日に大きくなっている・・・。
たばこを買いに行く途中畑で野菜の世話をしている人にあった・・・。今ブロッコリーを植えているという・・・夕日の中なのに・・・。ネギにレタスにキャベツにネギ・・・葉物も沢山植えていたが・・・これからが大変だろうと思いながら・・・。

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キャベツを食べて今日は外食だ・・・。食べ過ぎなければいいが・・・。4キロの減・・・身が軽くなって近場へ行くのは総て歩いているが・・・。健康維持は自分持ちか・・・。

皆様お元気で・・・ご自愛を・・・。

2006/10/21 今日は晴れて秋の日・・・。

2006-10-21 20:45:52 | Yuuの日記


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今日は晴れました・・・。白い雲が楽しそうに遊んでいました・・・。秋の空はなんと澄んでいて清々しいものか・・・。植えたパンジーもついて花を咲かしている・・・。これからどのように咲いて芽を楽しませてくれるか・・・和ませてくれるか・・・。愛おしく眺める事にしようか・・・。

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生命保険が満期・・・。そんな歳に・・・。保証は総て切れて・・・。新しく病気保証の保険にはいる・・・。バブルの終わりに潰れた会社の物なので満期金も半分になっていたが・・・。今まで少ないとはいえ保証をしてくれていたことと、少ないが満期金が貰えるだけでもいいか・・・。ボーナスと思うことにした・・・。家人と北海道にでも行けばなくなる金だが・・・。足腰の立つうちに家人と旅行をと・・・だが家人は足が不自由なので沢山歩くところは駄目だが・・・。

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気圧の関係か鼻も喉も耳も今日は調子がよい・・・。耳鼻科へ行って治療をする・・・。午前中と午後まではいいのだが、夜になると耳が響くのだが・・・。「耳管開放症」は漢方の加味帰脾湯」が効くと言うことで飲もうかどうか思案中・・・。それでも治療前より遙かに良くなっているのだが・・・耳が響くと憂鬱で頭が重くなり思考力が無くなるから困る・・・。

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家人と散歩・・・カメラを撮り撮り花を求めて歩いた・・・。色とりどりに事故を主張する花々達・・・秋桜は何か哀れ・・・もう終わりなのか・・・茎も元気なくしおれ乱れて花も散りかけていて・・・。花がこんなに有ることを今年初めて知った・・・。「秋桜」という作品を書いたがそれ以来か・・・そのときは秋桜の花をよく見に行ったものだが・・・。秋の陽射しの中咲き誇りやがて乱れて散り枯れていく・・・その儚さ哀れが一人の女性の生き方として・・・。有ると多後の少し疲れた心地よさ・・・。生きていると感じつつ・・・。

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皆様お元気で・・・ご自愛を・・・。

2006/10/20 強も曇り空の秋の日

2006-10-20 18:21:42 | Yuuの日記


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一日中どんよりと曇った秋の一日だった・・・。からだの調子が良くなれば一日原稿用紙に3枚書くことにしているが・・・。昔新聞に連載していた時出来たのだから出来るだろうと思っているが・・・。ブログで小説家に負けないような才能のある人が何人かお目にかかる・・・。一文字いくらか貰えるようになると中々書くのが難しくなるのだが・・・。プレッシャーがかかるのか・・・。いい編集者に出会えればいいのだが・・・。作家は才能といい編集者次第だから・・・。いま「幻冬舎」の本がよく売れているらしいが・・・。そこに書けるようになればいいのにね・・・。そうすれば流行作家ですよ・・・。めざす人は頑張ってください・・・。

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私など今はのんびりと好きなことを書いて遊んでいますが・・・。今は台本を書いて演出し上演して青年や子供達と演劇作り・・・人間学と社会勉強中というわけです・・・。

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曇りでカメラを撮ることをあきらめた・・・。明日も天気が悪いらしい・・・。菜園の野菜達や花に水をやらなくていいか・・・。

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家人は今日グランドゴルフの大会・・・。はじめたばかり・・・後から2位だったらしい・・・。人の中に入っていく事が大切・・・頑張って欲しい・・・。

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皆様お元気で・・・ご自愛を

2006/10/19 曇り空の秋の日・・・。

2006-10-19 17:34:06 | Yuuの日記


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今日は晴れないで曇り空が続いた・・・。カメラを持って花や風景をと考えていたが辞めた・・・。

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家人と買い物・・・。ホームセンターへ行って花の苗を40苗買ってくる・・・。玄関のプランターに総て植えるつもりで・・・。蜜柑、キャベツ、茄子、里芋、大根、山芋、キュウリ、林檎、柿、牛肉、ハム、お菓子など・・・。野菜は安かった・・・今は安いのか・・・。今までは沢山買ったが、キャベツダイエット中なので購買意欲はあまりない・・・。キャベツとほんの少しの普通食を食べるだけ・・・。間食なし、夕食後は一切食べない・・・。早く目標に達したい・・・。めざせ10キロ・・・。

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買って帰ったパンジーの苗を植える・・・腰が痛い・・・。これから花を付けてくれるだろうか・・・。
野菜達は逞しい・・・芽がだんだん伸びて・・間引かなくてはいけないのはもうすぐか・・・。

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隣の壁の上にバラが・・・。

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皆様お元気で・・・ご自愛を・・・。