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中橋
汐入り川は倉敷村をふたつに分けように流れているが、西からの下りが代官所の西門辺りにぶつかり南へと変わり粒江、藤戸へ下り児島湾へとつながれる。石の太鼓橋は何箇所か架かっているが、蛇行する処の中橋には一つの逸話があった。
床屋の嘉平の話によると・・・。
慶応、元治の前、文久年間は全国的に大飢饉が続いた。伯翁辺りから若い夫婦が田地を捨てて倉子城へ逃れて来た。栄えた所に来ればなんとか日々の口糊を凌げると考えたのだろう。転がり込んだ農家の納屋で寝起きをしながら、綿摘みの仕事を二人で朝が空ける前から陽が沈み手元が暗くなるまで働いた。男を源太、女をおなかと言った。
倉子城は松山川が造った干潟に綿を植え、自作農家は資産を貯えていた。土地持ちの商家はより栄え羽振りが良かった。自作農に金を貸し払えなかったら土地を取り上げ小作として抱えた。商家は商いと綿の収入で財をなし大商人へと成長して行った。
「きついが、今が一番幸せじゃのう」と前の小さな流れで身体を拭いた源太が言った。
「お前も汗を流してくればええ」そして、汗の為に髪が額にこびりついているおなかを見て言葉を繋いだ。
「はい。あんたと二人で何もかも捨てて・・・」おなかは俯いて小さく言った。
「後悔をしておるのか・・・」
「後に残したおとっちゃん、おかっちゃんの事が・・・」
「みんなが捕まって・・・蒜山へ逃げたが捕まって津山へ連れていかれ首落とされて・・・山中一揆・・・」
「捕まらんじゃろうか?」
「ここまで来れば、幕府直轄備中倉子城・・・主人の後には下津井屋、児島屋がいるし、大竹左馬太郎代官もおられる。心配はいらん・・・はよう汗を流して此所にこい」
源太はやさしく言って促した。
おかなは十四、身体の線は膨らみが取れ流れる艶線を見せ始めていた。肌も桃が白く粉を吹くように瑞々しいものに変わっていた。
源太はそんなおなかを見ると堪らなく愛惜しく、綿畑の中でも抱き締めたい衝動に駆られるが辛うじて押さえていた。
「ええ」と首肯いて、おなかは川の方へ歩き、着物を腹の辺りにたくし上げ流れの中に屈み込んだ。少しして、上半身を露にして顔から胸を手ぬぐいで拭いた。濡れた手拭いで髪を拭きながら帰ってきた。
月明かりが備中の静寂を照らしていた。
「もう慣れたか?]
「ええ、何だか変なの、月のものがないの」とおなかは言った。
「ややが・・・」源太は張ってきているおなかの膨らみを触りながら叫んだ。
そう言えば、おなかの身体が最近富みに女らしくなったと思った。
「ややが・・・」おなかは心配そうに言った。
「どうにかなるよ。二人して頑張れば」
「うん、産んでもいいのね」
源太とおなかはそんな生活の中でも幸せだった。伯翁の土地の厳しさに比べれば、温暖で食物が美味しかった。それだけでも今まで感じた事のない至福の時を過ごしたと言うことなる。
源太が倉子城を揺るがす大きな事件に遭遇することになるのだが・・・
源太はお世話になっている自作農の使いで荷駄に綿を積み買い手の下津井屋へ向かった。下津井屋は汐入り川に架かる前神橋の西袂にあった。大店ではあったが庄屋ではなく、村役もしてなかった。
その頃、飢饉が続き、幕府は港からの荷の出入を禁ずる津留め令を出して、買い占め売惜しみをなくそうとした政策である。その政策は飢饉の時に幕府が良く使った令であった。が、津留め破りは商人にとって儲け時でもあった。倉子城村からもそれを破り京、大坂、兵庫へ荷を出して儲けていた。その為には村人の噂を聞き流す代官がいつた。時の代官は大竹佐馬太郎であった。村人の直訴に知らん顔を決め込んでいた時代である。
源太が下津井屋に着いたのは夕暮時であった。荷車から綿を下ろして三階蔵に積み替えているとすっかり陽が落ちてしまった。
「ご苦労だね、夕食の支度をしたから食べて帰ったらどうかな。温かいものを用意したから」と下津井屋吉兵衛は儲けを計算してか愛想を崩して言った。
「もう遅う御座いますから・・・」源太は断った。
「師走の忙しさ、今日くらいはのんびりとしては・・・」吉兵衛は何時もの居丈高をひそめて言った。
源太は馳走になり、酒も振る舞われて強か酔った。
「今からでは、夜道が・・・少し休んで、明け方に帰れば良い・・・」
源太が帰りの挨拶をすると吉兵衛が言った。
源太は下津井屋の好意に甘えることにした。
どのくらい玄関脇の小部屋で眠っただろうか、人の気配を感じて目が覚めた。
黒衣裳の二人の男が刀を源太に突き付けていた。
「正義の為やむなしで、天誅を下す」と五尺程のやや太り気味の男が言った。
「逃げてろ、お前はここの者ではあるまい」と浪人風の男が言った。
そう言って二人は奥へ消えた。
源太は腰が抜けて動けなかった。
奥で騒ぎが起こり、手代が玄関に転がり出て来たが浪人風の男が後を追って来て太刀を振るった。手代は小さく呻いて土間に倒れた。
奥で火の爆ぜる音がしだした。
源太はどうなったか・・・
倉子城の朝焼けを焦がすように下津井屋の炎は大きかった。その火は三日三晩燃えた。 その火を中橋の上で見つめるおなかの姿があった。
焼け跡から丸焦げの源太の亡骸が掘り起こされる前、中橋の袂でおなかは冷たくなっていた。
源太とおなかは鶴形の墓地に静かに眠っている。
今でも中橋の袂に小さな石塔があるが立ち止まり目を向ける人はいない。