yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

立石孫一郎 破の急の2

2007-06-30 16:05:44 | 創作の小部屋
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立石孫一郎伝
          破の急

 四月五日の夜、朧月が出ていやした。
「山口政庁に、このままこの地で幕兵を待つより、討つて出ることの陳情に行かせてください」坂太郎は、書記の楢崎剛十郎に詰め寄っていやした。孫一郎は腕組をしてじっと冥黙していやした。
 その頃、長州は幕府に対して恭順の意を著し時を稼せいでやした。藩の重役達の意見が整わなくて揉めていやした。が、軍備の増強はその裏で確り出来上がりつつありやした。「時機が早い!」楢崎はしゃくれた顎を横に振り、話にならんとつっぱねやした。
「今、事を起こさなくては百年の後に悔いを残すことになりましょうぞ。我々がここで兵を挙げ、蛤御門の変の汚名を雪がなくては他藩の笑い者となりましょう」坂太郎は納納と説明するように喋りやした。
「否、時機が早い」楢崎は柳に風と聞こうとしやせんでやした。
「そうだ、櫛部何を血迷うたことを・・・」小隊長の有田隆茂も楢崎に同調しやした。原田新介は楊子を口にくわえて笑っていやした。
「京、大坂で勤皇の同士や、長州藩士がどのような目に会っているかご存じですか。新撰組に付け回され、逃げ惑い、斬り殺されているのが現状ですぞ」
「逃げて帰ったのはそこで考え事をしている立石隊長ではありませんか」新介が口を挟そえやした。孫一郎は、頬を少し緩めて頷きやした。
「倉敷川の川縁に根を張る柳が風にしなるように生きたあなたは根っからの商人ですね。、強い・・・、恐ええ・・・」新介はおどけたように肩をそびやかて言いやした。
「あんたは黙っていてください、喧しい」坂太郎の言葉は静かでありやしたが気魄が籠もっておりやした。そして、脇差しの手をかけやした。
「わかつた、わかつたよ。命が惜しいからよ」新介の腕なら幾ら坂太郎が死力を尽くしても相手にはならぬだろうと思っていた孫一郎は、意外にあっさりと引下がった新介を見て、ほっと胸を撫でおろしやした。そして、坂太郎の青く色を変えた顔をみつめやした。
「さあて、どのように見られます」と坂太郎は前に詰めよりやした。その坂太郎の足が僅かに震えておりやした。楢崎は一歩しざりやして、
「それは、だが、今はじっと我慢して、万を期して一気にと高杉・・・」しどろもどろに答えやした。
「高杉先生と藩の重役の考えは一つではありますまい。それを一つにするには行動を起こすしかありません。つまり事実を造ることしかないのです」
「高杉殿は今、重役の方々を説得されておる最中、その労をきさまらは徒労にしようと言うのか」楢崎は孫一郎の方に視線をやり救いを求めやした。おまえの部下ではないかどうにかしろと言っている様でやした。孫一郎はじっと黙り扱くっていやした。
 風が出たのでやしょうか、石城の樹樹を揺らし始めていやした。その音は次第に大地の下から押し上げて来る地鳴りのような音に変わってゆきやした。
 書院内には第二奇兵隊の、分、小隊長数人が楢崎と坂太郎の遣取を口の中を空からにしやして唾を飲み込みながら見守っていやした。
 二人の鑓とりは、だんだんと足の方から膝に腰に腹に胸に首にと上がって来やして、口と目と頭が熱くなつていやした。行き交う言葉の上に卵を乗せれば、忽ち茹卵になる程の熱さでやし、目は和紙を焦がすほどの光を放ち、頭の上に濡れた手拭を乗せればすぐ乾くほどでやした。そんな二人の姿を、隊長である孫一郎は壁に凭れて聞いているのかいないのかといった態度でやした。坂太郎は白眉な表情の中に頬笑みを浮かべやして楢崎を見ていやした。それに、新介がこれも何を考えているのか分からぬ表情で天井を眺めていやした。
「楢崎さん!あなたは知らぬ振りをしていてください。私達が事を起こそうとする原因には、あなたがた藩士の人を見下す姿勢にもあるんです。同じ志を抱いているのに・・・それでは余りにも隊士達が可哀そうです。隊士達は、今か今かと結論が出るのを待っているのです」
「このわしに目をつむれと言うのか。部下が脱送するのを黙って見送れと言うのか」
「そうです」
「きさまは立石に唆され、立石は己の恨みを果たさんが為に、隊士達を利用しょうとしているのがわからんのか。そのために・・・」
「断じてそうではありません。汗をかき血を流して訓練を積んでいるのは志に燃えたこの地の名もない若者と、平和と自由と平等を勝ち取ろうとする全国から集まった同士達です。藩士の方々は遊び呆けて訓練にも出ない、夜な夜な山を下りて酒を食らい女にうつつをぬかしているではありませんか。それに、今日の大事は、小、分隊長は薄々気付いていた筈、それなのに山を下りてここには数人しかおりません。・・・私達は世の中を変えようとして参加したのであって、長州の天下取りのための応援に来たのではありません」
 坂太郎は、ごくりと唾をのみこみやして、
「隊士達も、純粋な気持ちです」と言い放ちやした。
「う・・・う・・・う・・・」楢崎は怒りで頭に血が上り声が出やせんでした。なにか言わなくてはならないと考えやすと、余計に言葉が喉につかえて出てきやせんでやした。
「で・・・き・・・ぬ。後で・・・どの・・ように・・・」
「だから、立石孫一郎がひとりで・・・。書記は何も知らなんだと言う事に」 
 孫一郎はここで楢崎にはじめて口を開きやした。
「出来ぬ、出来る訳がない。第二奇兵隊を預かる軍監がおられぬ留守に・・・」楢崎の顔は焼いた火箸のように変わり、怒りが頭上で炎のように揺れ、言葉には火の粉が含まれておりやした。
「この地は南を守る要の場、そこの兵が脱走したと知ったら芸州口の幕軍が・・・」
「今まで、一日一日が過ぎればめでたいと考えていた幕兵がいざという時どれ程の力が発揮できましょう」坂太郎は、楢崎の先を急ぐ言葉を横からひょいと受けて皮肉を込めて言いやした。
「蛤御門の時はどうであった」
「あれは薩摩と会津、蒔田が相手でした」
 ああではないこうではないと、この問答は一昼夜を費やしやした。が、その問答がまだまだ続くかに見えた矢の先、短い緒を切ったのは楢崎でやした。
「ええい!ああ言えばこう言う、こう言えばああ言い返す。皆の者、乱心の立石、櫛部を捕らえよ」楢崎は絞り出すような声で叫びやした。
 その叫びにぴくりと身を動かせて反応しやしたのは有田で、刀の柄に手をかけ孫一郎に近ずこうといたしやした。その前に素早く坂太郎が立ちはだがりながら、小、分隊長へ鋭い視線をぶつけやした。
「これはおもしれえ。俺も脱走させて貰うぜ。隊則の身分のとひち面倒くせい事に飽き飽きしていたところだったんだ。・・・それにしても櫛部さん、あんたにゃあかなわねえ」新介は身振りを大袈裟にして喋りやした。
「なに!」頭へ抜けるような声で叫びやした。 
「おっと、そう頭に来なさんな。あんたを尊敬してるんでさあ」新介は優しく坂太郎に言葉を投げて、やおら眼線を孫一郎に向けやした。
「それだけでいいのか!」孫一郎は坂太郎に優しく声を発し、そして、楢崎に向かって、「どうやら話が尽きたようです、」と静かに言ってくるりと背を向け外へ出やした。その後を楢崎は頭から湯げを立てながら、大きな身体を揺すって追いやした。今にも腰の大刀に手を掛けん劍幕でやした。篝火の明かりの中に、百数十名の隊士達が蹲っていやしたが、孫一郎が出てきやしたので一斉に立ち上がりやした。
「皆の者、立石を捕らえよ」楢崎が叫びやしたが、その絶叫は夜空に輝く月に向かって吠えるごとく響き渡りやしたが、誰一人として応える者がない空しいものでやした。
「皆の者、よく聞け。立石の扇動に乗ってはならん。立石は私恨の為その方等を利用しょうとしているんたぞ。お前達は高杉先生の意に反した行動を取ろうとしておるのだぞ。逆賊になるのだぞ。それを承知で脱走しょうと言うのか」
 楢崎は熊のようにうろうろと歩きながら大声を張り上げやした。が、隊士達はその声をどこ吹く風と聞き流しやした。日頃から威張りちらかす楢崎を快く思っていなかつたからでやした。
 楢崎は立石と櫛部に不穏の動きがあることを察知して直属の部下を仁王門に配置させていやしたので、その方へ走ろうとしやした。
「櫛部!そこを退け」楢崎の前に、坂太郎が軽い身のこなしで立ちはだかりやした。
「櫛部!今からでも遅くはない考え直せ」
「そのことは・・・。上役のご機嫌ばかり取り部下の苦しみに気付かなかった、あなたの狭量が・・・。そして、藩士の悪事には目を瞶った片手落ち・・・書記の行動にも目の余る事が多過ぎましたからね」坂太郎は笑顔で言いやした。
 その時、新介が有田を担いで出てきやした。
「立石さんよ、この野郎がじたばたするもんで、おとなしくしてもらいましたぜ」
 新介はそう言って、有田を近くの松の木にくくりつけ猿轡を噛ませ、書院の前に立ちやした。中には未だ数名の小、分隊長がおりやしたが、物音一つ立てやせんでやした。
「楢崎さん、見逃してください。この流れはもう止められません」孫一郎は哀しい眸をて言いやした。
「わしを斬れ。斬れるものなら斬ってみろ。わしを斬って進め」楢崎はそう叫びやして、孫一郎の前に両の手を広げて立ちはだかりやした。
「お許しください」坂太郎が飛び込んでいき楢崎の胸を斬っていやした。それから坂太郎はにこにこと笑いながら、その楢崎の首を胴から斬り離し、松の切り株の上に置やした。 その場で、小柄で痩せた十六歳の引頭兵助が孫一郎の淋しさを堪えた横顔をじっと見詰めていやした。兵助はいつも孫一郎について歩く男でやした。今日のような孫一郎を未だ嘗て見た事が無かったと思いやした。本当はこの事に賛成ではないのではないのかと思いやした。兵助は泣いていやした。
「参るぞ!」坂太郎は大きな声で号令を掛けやした。百数十名の隊士達は、
「おーう」と応え一斉に一歩前に出やした。


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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
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立石孫一郎 破の急の1

2007-06-30 00:14:23 | 創作の小部屋
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立石孫一郎伝
        破の急
 1
下津井から帰りやした孫一郎の元え坂太郎が飛んで来やして、
「首尾はいかがでございました」と尋ねやした。
「うん。私に総てを・・・」
「そうでございますか。・・・今のところ、百五十名は隊長と共に行動すると申しております」坂太郎はにんまり笑っていいやした。
「そうか、百五十名がのう」孫一郎は眸を遠くへ投げやした。眼の下には遠くに瀬戸内の海が望め、その海が緑の帯を流したように見え、時たま金糸銀糸のように輝きやした。暖かくなりかけた春の風が、潮の香を孫一郎と坂太郎の立つ石城山の砲台へと運んで来ていやした。耐えて春を待った冬芽が一斉に芽をふき、陽光を浴びて全山が萌えているようでやした。孫一郎は樹の匂いと潮の香を胸一杯に満たしやした。その時、孫一郎の胸の裏に浮かびやしたのは、幼気ない三人の子供の顔であり、慕って尽くしてくれた妻のけいの顔でありやした。事を起こしたしかる後はどうなるであろうという心配が過ぎりやした。もう会えぬかも知れぬ、何を未練な、今生の別れはして来たではないか。孫一郎は悩みが、心配が打ち寄せるのを打ち払うように首を振りやした。
 坂太郎は、孫一郎の肩を落としている後ろ姿に、
「やりましょう。そのように決定されたのなら尚更です。もう隊士達もその気です」と孫一郎の心を揺すぶりやした。
ー時代が代われば、事に成功すればどうにか道は開かれる。否、是非とも開かねばならないのだ。小さな情愛を捨て、大きな望みを勝ち取るためには。時代の流れが必要としているならば、それが世の為人の為ならばー
 孫一郎の心の中にありやす肉親への感情は未練の糸を引いておりやした。
「やるしかないか!」孫一郎は口から言葉が漏れやした。肩幅の広いがっしりとした躰が、何故か小さく見えやした。その後ろで、坂太郎が薄い唇を開けて白い歯を見せていやした。
 それからと言うもの、坂太郎は隊士達に火を付けて回りやした。つかない奴には油を注ぎやした。それは、金品であったり、女であったり、又、脇差しであったりしやした。


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立石孫一郎 破の破の1

2007-06-29 12:17:27 | 創作の小部屋
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立石孫一郎伝         
        破の破

 三カ月ほど前、孫一郎は林孚一、井汲唯一らの招待で、第一回下津井会談に出席しやした。その時、幕府討つべしの論は一置しても具体的な策はでやせんでやした。その頃の孫一郎は積極的ではありやせんでした。
 第二回下津井会談が開かれやしたのは、明けて次の年、慶応二年の春、と言いやしても名だけの春で、小雪のちらつく寒い日でやした。長門屋吉兵衛の地下にありやす秘密の部屋でおこなわれやした。孫一郎は隊をこっそり抜け出しての出席でありやした。
 井汲唯一、林孚一、その他、四五十名が各地より集まりやした。どの顔も酒の入る前から赭ら顔でやした。湯気が立つ程でやした。それだけ皆の心は燃えていたのでやしょうね。一通りの紹介の後、孫一郎は一同の前にすっくと立ち大きな声で喋り始めやした。気魄のこもった腹の底からの声でやした。
「長州は討幕の大事を遂行する中心勢力ではあるが、今、意見は二つに分かれておる。私達、第二奇兵隊はいたずらに芸州広島に陣をひく幕兵と睨みあっておる。これは無策の他の何事でもないと考える。私は隊士を率いて石城を脱走し老中板倉の居城松山を落とす。その前に天領倉敷代官桜井の首を獲取し、山陽道の要塞を焼き払う。私達が兵を挙げけば高杉先生もその後すぐ兵を挙げ東上してくれよう。私は今、討幕中枢の長州第二奇兵隊の書記拳銃隊長である。部下は三百名。その部下が私と行動を共にしてくれることになっておる」
 敬之助を知る者は、孫一郎となって今登場した敬之助の変わりようと自信に満ちた言動に、大きく眼を開き、口もあんぐり開けておりやした。この演説の下書きは坂太郎が、常々口にする言葉の受け売りのようなものでやした。林が細い目をして口元を僅かに歪めておりやした。三輪も鷲鼻に指をやって擦っていやした。
 孫一郎は少し話を大きくして喋りやしたが、それは切ない願望でやした。下津井屋を襲った犯人とされ倉敷から放逐された自分のいたらなさと悔しさと、配下の隊士達の前途への危惧が、その言葉の裏でしっかりとした重しになり、必然の意味を込めさせていやした。
 孫一郎の意見がすんなり通りやして、孫一郎が脱走した隊士達を率いて代官所を襲う。そして、倉敷で軍用金を調達して松山へ向かう。その噂を耳にしたら同士は駆けつける。その合流場所は一休和尚、頼山陽の縁の備中井山宝福寺とす。しかる後、高梁川ぞいを上り松山城下に火を放って城を落とし、そこを根拠地として将軍西下を阻止する。長州軍の東上を待って合流、大坂京へ攻め込む。と言う作戦が決定しやした。時は四月、決行日は孫一郎に一任する。となりやした。
 孫一郎は配下の隊士達に、長州藩士等より先に武功を挙げさせ立場をゆるぎない物にしてやりたいと言う考えでやした。とにかく、倉敷代官所と松山城を落とすしかない。それも己の名利名聞のためではなく、隊士のため、ひいては日本の國民のためと言い聞かせていやした。個人の為でなく國民の為だと、その事に何故か孫一郎は拘泥していやした。定め、何もかも業、業ゆえの災難、それを乗り越えていくことこそ業をなくすることになると考えていやした。幸せとは個人のものではなく全体のものでなくてはならないという考えでやした。
「孫一郎、一刻も早い方がいいですよ。代官はあなたの家族を人質にしょうとしていますょ」林は孫一郎の耳に口をつけ細い声色で言いやした。孫一郎の心を読み、知り尽くした手でやした。
「そういうことになりましたか?」孫一郎は頷きながら言いやした。その顔を見て、林は大きく頷き更に前の言葉に真実味を加えるかのように、 
「あなたの行動が総て代官に筒抜けなのですよ。現に、西大橋の政吉は代官所に引っ張られ無理矢理に警護に務されておりますよ」林の好好爺のような眉毛がピクリと動きやした。
「そうですか」孫一郎の手の中には汗が溢れていやした。やらなくてはならないのか、どうしても。ここまで用意されていれば前に進しかないのかと思いやした。
 早めに家督を正吉に譲り、庵を結んでけいとのんびり暮らすのが永年の夢であったがそれも儘ならないと言うのか、ならばその夢のために佇んではいられない、流れに従うしかない自分を悟りやした。


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立石孫一郎 破の序の1

2007-06-29 00:07:02 | 創作の小部屋
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立石孫一郎伝
         破の序

 敬之助は周防國石城山に本営を置く、第二奇兵隊に入隊が許されやした。入隊と同時に、立石孫一郎と名を改め、過去の己を葬りやした。
 石城山の本営といいやすのは、式部石城神社の社防神護寺にありやした。石城山はお椀を伏せたような山でやした。瀬戸内海へ二里半、周防の前哨基地になっておりやす大島にも近いし、芸州広島に陣を牽き長州の動きを睨んでおりやす長討軍への備えにももつてこいの地の利でやした。この第二奇兵隊を別名南奇兵隊とも呼びやした。立石孫一郎と名前を変えやした敬之助は、その時三十四歳の男の盛り、学問は簡塾で森田節斎に習い、神道無念流の遣い手でやしたし、それに、人を包み込んでしまう優しさを持っておりやしたから、入隊早々分隊長の任命を受けやした。最初、第二奇兵隊は孫一郎にとって棲み良い所でやした。若い隊士達が兄のように慕ってきやした。孫一郎の輩下の者は、百姓、町人、郷士、神主、浪人等で、大半は地元の出身者であり、それ以外は全國から流れ着いた者達でありやした。それらの者達は、真心から國を憂い、これからの日本を真剣に考え変えようとしていやした。その中には歳端もいかない十四五の者が大半でやした。その者達を見るにつけ、孫一郎は倉敷に残してきた子供達の事を思い浮かべ、己の子のように可愛がりやした。「幕府を倒して、朝廷に政権を代わっていただき、國民が皆平等の世の中にしなくてはならない」その孫一郎の言葉は一日も早く倉敷に帰りたいと言う思いと、純粋で一途な隊士達が自由に生きて行ける世の中にしなくてはならないと言う大望と、が一つの線上にありやした。
 第二奇兵隊で暮らす内、孫一郎の心の中に段々と暗雲が青い空を埋めるように拡がって行きやした。それは、長州藩士と隊士達の格差でやした。藩士達は身分を笠に着やして着ぶくれになり、横柄な態度で訓練の指揮をし、また、切り株の上に腰お落として女の話に現を抜かしておりやした。孫一郎はそんな姿を見やすと人間の本性を見たようで悲しくなりやした。
ーこんなことでいいのか、これで本当に幕府が倒せるのだろうか、この分なら、例え戦に勝って長州が天下を取ったとしても、隊士達には陽は当たらないろう。先兵として銃弾の矢面に立たされて死んでゆく名も無い雑兵に過ぎぬのではないだろうか。そうならせないためにはどうすれば良いのだろうかー
 孫一郎は毎晩毎晩、疲れた身体を堅い床の上に横たえやして考え込んでいやした。
「優しさだけでは人は救えませんよ」と言う林孚一の言葉が頭の中に溢れ、悩みの答えとして拡がっていきやした。とにかく戦に勝ち隊士達を世の中に出してやらねばならない。。その時ふと別の風景が浮かんできやした。それは、円通寺で修業をしながら壁に凭れ迷い、子供達と手鞠をして遊ぶ良寛でやした。先の事は分からない、今自分がやらねばならぬ事をせよという言葉が浮かんでいやした。また、黙々と田を耕し飯をつくる仙桂の姿が浮かんでいやした。
 第二奇兵隊は、総督に清水美作、軍監兼参謀に林半七、隊の組織者に臼井小助、書記に楢崎剛十郎、等で組織されていやした。
 入隊して半年で孫一郎は、書記兼銃隊長の任命を受けやした。
「立石隊長、このままここにいて、実戦的洋式訓練ばかりしていていいんでしょうか」
と配下で小隊長をしておりやす青白い顔をしてた、櫛部坂太郎が透き通るような声で言いやした。
「否、そうは思わんが・・・」孫一郎は、本音がチラリと言葉の端に覗こうとしたのを慌てて濁しやしたが後の祭り、夢の中の小便てやつでやした。その姿を坂太郎は見やして、頬を歪め唇を舌で舐めやした。
 孫一郎と坂太郎は、年の差こそありやしたが、馬があうと言うのか前世に係わりがあったのか、良く話やした。坂太郎は、三百名を越える隊士達の中にありやして、孫一郎の右の腕とも左の腕とも頼れる頭の良い小隊長でありやした。歳は数えで二十、馬関近くの神主の伜として生まれ、高杉晋作を慕って入隊したと言う男でやした。
 孫一郎と坂太郎は、古色蒼然としやした蒿茸の仁王門をくぐりながら話ておりやした。周囲には手の入っていない樹樹が伸び放題に枝葉を巡らせ色を染めていやした。地に落ちた枯れ葉が風に弄ばれカラカラと舞っておりやした。二人の吐く息が白く染まっていやした。
「それでは何らかの手を打ちましょう」
「そうだなぁ・・・」孫一郎は小さく言葉を落としやした。その声は風の中へとすぐ溶けこみやした。  
「ここにいて、高杉先生の檄を待つのも芸がありませんし、時間の無駄です。・・・今のままですと隊士達が可哀そうです」坂太郎は細い眸を少し開きやした。その眸がきらりと光りやした。
「まあ・・・もう少し考えてみなくては・・・」孫一郎は迷いの道の中で立ち止まっておりやした。前に出ようとする心と、引き籠もろうとする心が織りなす紋様はかなり乱れておりやした。その孫一郎の心の襞に入るように、
「隊長!今そんなに迷い考えておられる時ではないと思います。正に機は熟しております。隊長を慕う隊士達のためにも、隊長にここで立ち上がって貰わなくてはなりません。高杉先生が生きておられる内は、隊士達にも明るい道が開かれるかも知れませんが、その他の人物では、俺が儂がで御政道どころありません。そうなれば自由で平等の世の中は無理です。頭の幕府と長州が変わるだけです。幕府を倒しても身分はそのまま、先に死んだ者は犬死にとなりましょう」坂太郎は、立て板に水を流すごとく言葉を注ぎながら、孫一郎の表情を窺いやした。そして、            
「我々がこの石城を脱走し、老中板倉の備中松山城を陥落し、城下町に火を放って・・・。そうすれば幕府も長討軍を動かせざせるを得ないでしょう。そうなれば、もう長州は一になって戦うしかありません。高杉先生が奇兵隊を率いて東上するのに合流し、大坂城を攻めるのです。その口火を立石隊長に切っていただきたいのです。隊士達が誰よりも先に武功を挙げれば・・・。隊長を慕って行動を共にしょうとする者は百や二百ではありません」坂太郎は、孫一郎の心を見透かすように案じている急所をチクリと突いて己の意の方向へと誘い込もうといたしやした。
「うーん」孫一郎はますます迷路の中へと迷い込み、考え込みやした。
「松山の前に倉敷代官所を襲撃いたしましょう」
「なに!くらしきを・・・」孫一郎は浮かぬ顔で言葉をながしやした。
「はい。代官桜井を先ずは手始めに血祭りに挙げて、軍用金をあきんどから調達して・」「桜井をのう」
 坂太郎は孫一郎が桜井に遺恨があることを知って言葉を捩子込みやした。倉敷を捨てた筈の孫一郎の心には、妻子への情愛に溢れ逢いたいと言う思いが顔を出して来、桜井を憎いと言う心が募ってきやした。
「それにしても百や二百では少ないのう」
「備前、備中、備後の同士にも声を掛けまして」
「そういう手もあるのか・・・うん」
「その役目は私めが・・・」
「否、私が行こう」孫一郎の心に懸かっていたもやもやが段々と晴れ行くような言葉の響きでやした。坂太郎はその孫一郎の心が変わらぬようにしっかりと楔を打ち込みやした。「隊長、原田新介をご存じですか」
「うん、知っておる。倉敷に流れ着いた元御家人だ。そやつがどうした」
「書記の楢崎さんと・・・。色々と隊長のあらぬ悪口を吹き込んでいるらしゅうございます。倉敷の事どもを。放っておいても構いませんか、何でしたら私めが・・・」坂太郎は腰の刀の柄に手を掛けながら言いやした。
「放っておけ」孫一郎は倉敷で新介と直接の係わり合いはありやせんでやしたが、悪い噂を耳にしたことがありやした。天誅組崩れで、倉敷に逃げて来るまでに押し込みや女を犯すことなどは三度の飯より、酒を飲むより当たり前だったとか。倉敷でも大店を強請って暮らしていたとか。が、妙に人なつこいところがありやして、それほど憎まれてはいなかったと言うことぐらいは耳に入っておりやした。
「新介は、下津井屋を殺ったのは代官で、隊長に罪を着せ、勤皇の仲間を調べ挙げるのが目的であったと嘯いてますよ。それにまんまと乗せられた隊長も莫迦な奴だと・・・」「なんと言う事を。それでは新助が事件になんらかの関係があったということを証言しているのと同じではないか」孫一郎は新助を哀れに思えてきやした。          「馬鹿なことをなにを今更・・・」と小さくつぶやきやした。            「新介は得意になって吹聴しておりやすよ」坂太郎の眸は意味ありげに笑っておりやした。「よし、下津井に行こう。やるべき事が何かを掴むために、とにかく行ってみょう」平静な声で孫一郎は言い、遥か眼下の暮れていく瀬戸の海を眺めながら、様々な人間の生き方を思いやした。


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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。
「ワンダフル ワールド」を改題し「青木学院物語」として文庫本化・・・7月上旬決定!

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立石孫一郎 序の急の1

2007-06-28 12:20:26 | 創作の小部屋
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立石孫一郎伝
         序の急

 下津井は岡山領内でやした。四国から本州への玄関口。それに、北海道、北陸の三国からの北前船が出入りをし、大坂から馬関、平戸への海路の寄港、人の出入りも荷物の出入りも頻繁でやした。まあ言ってみやすと、下津井が領内で一番栄えた港でやした。
 その当時の岡山藩の事を少し喋っておきやしょうか。藩主茂政は水戸斎昭の第九子、先に将軍職を家茂と争い破れた一ッ橋慶喜とは兄弟の仲でやした。水戸勤皇の血筋を汲んでおりやしたから、幕府にも長州にも積極的にはつかぬ、つまり、第三勢力で中立的な立場にいやした。それでやすから、下津井は商人にとっても、勤皇の志士達に取っても願ってもない土地でありやした。
 年が明けて元号も慶応元年に変わりやした。
 その頃、光明天皇の仲介に頼やして、将軍家茂と皇女和の宮との婚姻が相ととのいやして、一応表面上は波も風もない日日に見えやしたが、その内実は京大坂で幕府の殺人集団の新撰組が勤皇を唱える者達に刃の雨を降らしていやした。そんな時期、敬之助は上京したのでやす。
「大橋殿、一人での外出は避けてくださいよ。新撰組の奴らは浪人と見れば無差別に斬りつけてきますから用心してください」
 林孚一の紹介で案内役を買って出ていた丹羽精三が濁り声で言いやした。
「はい、気をつけます」敬之助は小さく頷いて言いやした。
 敬之助は丹羽について大坂を見て歩きやした。大坂も津溜め令が敷かれておりやすから、店先に並ぶ食い物の値はべらぼうに高い。商人なら禁を破ってでも儲けたいだろうなあと下津井屋のことが頭の隅を掠めやした。子供達は痩せて骨と皮になり、ギョロリとした目を虚ろに垂れて町角に立ちつくしておりやした。胃臓の辺りだけが重身の女のように膨れており肩で息をついておりやした。そんな子供達の姿を見るにつけ、倉敷にいる三人の我が子の事を思いやした。
「幕府を討つて倉敷に帰るしか道はないのですよ」と言う林の言葉が、耳の奥で鈴が鳴るように響いていやした。
 町中を大手を振って歩いているのは、新撰組の組員と、色の黒い強毛の薩摩藩士だけでやした。浪人は悉く狙われやした。敬之助は町人髷をしていても、腰に刀をぶちこんでおりやしたから狙われやした。
 難波新地で敬之助が新撰組に襲撃されやしたのは、初春の柔らかな陽差しが、降りそそいやした昼下がりでやした。大坂に来て一カ月、町の地の利にも慣れやして一人で散策に出た時でやした。数人の新撰組の一団と擦れ違った時でやした。先頭を行く上背のある岩のような男と目が合いやした。その男が腰を少し落とした瞬間、敬之助目掛けて刀を抜き横に払いやした。と同時に敬之助は前に走りやしたが、袂が斬られていやした。無論敬之助は、このような劍の遣い手に会ったことがありやせんでやした。が、そこは井汲唯一に劍を習った男でやす。刀の柄に手をかけ身構えやした。殺気を感じやして背中に冷たい汗がどっと溢れやした。二の刀は上段から打ち込まれやした。飛びしざって辛うじて身をかわしやした。その男の劍は、道場の板の上の劍術ではなく、人を殺傷する為だけの劍でやした。言い換えやすと殺人劍てやつですよ。敬之助に刀を抜く隙を与えやせんでやした。ただ逃げるのが精一杯ってやつで、己の劍の未熟をつくづく知らされる思いでやした。このままでは殺されると思いやした。
「万太郎!なにをいつまでもたついておる。もうよい、そんな商人、刀の錆になるだけだぞ、万太郎、刀を引け」
「組長!」
「相手にするな、先を急ぐのだ。小端を相手にして怪我をおうてもつまらん」
 手出しをせず、万太郎と敬之助の斬り合いを眺めていやした組員の中から声が飛んで来やした。敬之助はその声にあわや理性を無くしそうになりやしたが、
「心は常に空なり」という言葉が心の隅を掠め、思いを押さえやした。
「いい目をしておられますな、その無欲な双眸が羨ましいですな」
 側に従っていた若い男がそう言い、
「あなたも帰られたほうがよい。もう大坂をうろつかれないほうがよい。今度会ったらただでは済まされません」と女のような細い澄んだ声で続けやした。そして、口に手をやり小さく咳込みやした。
 立ち去って行きやす新撰組の一団を見送り、
「命を拾った」と敬之助は緊張のあとの緩みが全身を蔽い、どっと疲れが襲いやした。
 その時、敬之助の心の中には、これから生きてゆく目標がはっきりと芽生えやした。
「長州へ行こう、逃げるのではなく、その渦中に身を投じてみよう。拾った命自然の中に託してみよう」
 今まで心の中でもやもやしていた想いがふっ切れたように、真っ黒な雨雲が青空に押し流されて消えていくように心はすっきりとしやした。目は輝き、背筋はぴんとしやした。そう心に決めやすと敬之助の心は身は、もはや長州へ歩んでおりやした。
 幕府は崩れかけた屋台骨を立て直すために國民を犠牲にしょうとしている。長州へ行って微力ながらも討幕の一端を担いたい。と敬之助は思いやした。運命が、流れがそう仕向けるなら従う勇気をもとう。そうすることが倉敷に帰れる一番の近道であるならばと考えやした。
 敬之助は千石船の船底に身体を横たえて色々な思いにかられていやした。大坂での新撰組との出会い、が敬之助の心を定めさせたのでやすから、世の中のことは分かりやせんやあ。敬之助はいつしかうとうととしていやした。でやすが、真から眠りへ入り込めやせんでやした。敬之助は股間に手をやりやしてけいを想いやした。
 敬之助は直島で船を下りやして、倉敷川を上り夜間に家に戻りやした。三人の子供達の顔を見やした。健やかに育ち、快い寝息をたてておりやすその子らの額に手をやり、大きくなれ、母に孝養を尽くせよと心の中で言い別れをしやした。長州へ行けばどうなるか分からぬ、もう二度と子供達には逢えぬかもしれぬ、そんな想いが敬之助にはしていやした。
「だんな様はどうしてやりもしない事をやったと」けいが泪を浮かべて静かに言葉を落としやした。
「言うな。これも私のいたらなさから出たことだ。いつの日か真実が明らかになろう」敬之助はけいに優しく言いやした。
「これからどうなさいます」
「長州へ行こうと思っておる」
「長州へ・・・ですか」
「そうだ。・・・おけい、千之甫は大谷家にやってくれ。正吉にはこの東中島屋の後を。そして、おつるは良い所へ嫁がせてくれ。後のことは頼んだよ」
「はい」けいの声は潤んでおりやした。
 敬之助は久振りにけいを抱きやした。
「あなた・・・」
「うん。家の者を悲しませて何が正義かとも考えるが、これも私の定めかも知れない。許してくれよ、おけい」
「その優しさが・・・」けいは敬之助の胸の中で囁きやした。「どうぞ、後のことは御心配なさらずに」けいは泪を隠すために顔を背けやした。


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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。
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立石孫一郎 序の破の1

2007-06-28 00:05:39 | 創作の小部屋
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立石孫一郎伝
         序の破

 その頃、敬之助は高梁川の河口、水島灘を前にした漁港通生の通生院八幡宮に神主の三輪光郷を頼って身を隠しておりやした。あの日は番頭の知らせで起こされて事件を聞きやした時、、
「可愛そうに、これからの寒空をどのように過ごされるのだろうか」と案じていた敬之助を
「どうか、ここは身を隠してくださいまし、先のこともありますので旦那さま嫌疑がかかることは火を見るよりも明らかなことです。どうか、この場は一端・・・」番頭にそう言われ敬之助はそう言うこともあるやもしぬと、四十瀬より高瀬舟に乗り高梁川を五軒屋、呼松、塩生、通生と下ったのです。三輪光郷はこの辺りでは名の知れた尊皇攘夷派、一端身を隠し、倉敷の様子を見るは道程も手ごろなら噂も届く、敬之助に取っては格好の場所でやしたよ。
 敬之助は三輪に倉敷の様子を見て来て欲しいと頼みやした。夕暮れの迫る頃三輪は林孚一を伴なって帰って来やした。「敬之助」「林さん」敬之助は林の言葉に少ししめっぽい返事を返しやした。
「もう倉敷には帰られますまいよ。代官は血眼になってあなたを捜していますよ。とんだ災難だったね」
 林孚一って男は薬問屋の隠居でありやしたが、名に聞こえた尊皇攘夷のお人でやした。小柄で女のような細い声の持ち主でやしたが、人は見掛けによらぬもの、大胆な行動をする男でやしたよ。敬之助は二十歳も年上の林を実の兄とも父とも慕っておりやした。
「わたしをですか!やはり」と敬之助は穏やかに言いやした。
「敬之助、あなたの優しさが、あなたを苦境に追込みました。優しさだけでは人を幸せには出来ませんよ。もうここに至っては曖昧な立場を捨てて國のため働くことしか残されてはいませんよ」林は穏やかな声で諭すように言いやした。
「國のために、この私一人がどれほどの・・・」敬之助はためらって言葉を濁しやした。それに追い打ちをかけるように林は、
「多くの同志が待っていますよ。今のままでは國民は幕府や大名によって苦しめられるだけです。敬之助、時代は今正に大きく流れを変えようとしているのです、これを機会に・・・」
「私に國のために立てと言われるのですか?」
「井汲先生も・・・」林は誘い水を足しやした。
「先生が・・・」敬之助は頬高の眼光鋭い井汲の顔を思い浮かべやした。そして、
「その流れが私を求めていると・・・」と問やした。
「そうです」林は強く言いやした。
「うーん」敬之助は頭を抱え込みやした。この数日で慌ただしく変化する流れを考えやした。段々と流れの中に巻き込まれ流されて行く己を見つめやした。もう一つの頭の中には、店のこと、妻のけいのこと、そして、子供の千之甫、正吉、お鶴のことが浮かんでいやした。
「ですが、家の者は・・・」と小さく言葉を落としやした。
「家族のことは心配入りません。平左衛門は敬之助を離縁、大橋家とは一切係わり無いと申し出ましたよ。」
「お義父までが・・・」
「それに私達が面倒を見ますよ。代官の好きなようにはさせません。・・・敬之助、帰れぬ古里がなんの役に立ちます。今こそ立つのです」林はゆっくりと言葉を繋ぎやした。
「林さん!」敬之助は不安な瞳を向けやした。
「敬之助、私達も動きますよ。井汲先生のお考えも固まっておられます。この機会に幕府を倒すために働いて欲しいと言うのも先生のお考えです」林はだめを押しやした。
「井汲先生のお考えですか、ほんとうに」
「敬之助、この際、京大坂に出て幕府のやり口、実態を見て来るのも良いと思いますよ。もうあなたのやることは一つしか残されてはいないのですから。・・・幕府を討って倉敷に帰るしか道はないのですから。・・・私が高杉先生に紹介状を書きましょう。長州へ行くのです」林は膝を進めて言いやした。
「長州へ・・・」敬之助は呟くように言いやした。
「そう長州へ・・・。倉敷へ帰るには腐り切った幕府を倒してからでなくてはなりません」そう、三輪が横から口を挟みやした。
 敬之助は、これも天の道、宿命て奴かと腹を決めやした。平穏で幸せであった倉敷での生活、十五年の歳月を想いやした。その暮らしを奪った奴を憎いと思いやした。だがそれが己れにとっての試練なら甘んじて受けるという心もありやした。      
 林が帰った後、敬之助は一人で水島灘に突き出た宮の鼻に立っておりやした。潮の流れも早い、そして、時の流れもまた早い。潮騷の向こうに茜色に燃えて沈んでいく太陽を何時までも眺めておりやした。敬之助はあくまで運命に従い己れを試そうという心を眼に移る光景に重ねて思っていやした。
 敬之助は通生院に六日間隠れていやした。敬之助は密かに真犯人が上がるのを待っていやしたのでやすが、心の中には少しずつ波が岩を削るように諦めの心が広がって行きやした。小鼻の薄い鷲鼻の三輪は、時折倉敷に出向いては流言を松笠を拾うように集めて来やして、囲炉裏に投げ込んでは煙を立たせやした。
「倉敷ではもっぱらあなたと、井汲先生が代官と下津井屋の不正に義憤を感じ天誅を下したとの噂で持ちきりですよ」三輪は早口に言いやした。
「何、井汲先生まで・・・」敬之助の終わりの言葉は消えやした。眉間には深い皺が刻まれておりやした。
「何でも林様や島田先生、本城さんも内々のお取り調べがあったそうでございますよ」
「そうかですか」敬之助は力の無い言葉をぽっりと落としやした。パチパチと囲炉裏の松笠が赤い炎を上げているのを、じっと目を据えて眺めてやした。今までの甘い考えを捨てるように引き締まった顔を三輪に向けやして、
「誰かを倉敷に行かせて、下津井屋を襲ったのは大橋敬之助ただ一人であると、人の集まるところで噂を広めてはくれまいか」と絞り出すような声で言いやした。
「それではあなたがお一人で・・・」
「迷惑は掛けられません。これからの先生の大望の妨げになりますから、ここは私一人で・・・」
「そこまで・・・。分かりました。ではそのように致しましょう」三輪は目を細めて言いやした。
「では頼みましたよ。私はこれから下津井に行きます。そおして、頃を見て京大坂へ 」「それが、その方がよろしゅうございましょう。後の事は、林様と相談いたしまして」
「うん、宜しく頼みますよ」
 敬之助は障子窓の方へ視線を移しやした。潮騷の音が微かに障子紙をゆらしておりやした。敬之助の心も震えておりやした。

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立石孫一郎 序の序の3

2007-06-27 12:56:14 | 創作の小部屋
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立石孫一郎伝
         序の序
3    
 桜井が目を付けやしたのは、敬之助が剣の達人だからと言うだけではありやせんでやした。話は少し後に戻りやすが、先の代官を大竹左馬太郎て申しやす旗本でやしたが、この大竹がなんとも頼りねえ奴でやして、てめえの考えを爪の垢ほども持ち合わせていねえ奴でやして、大小の厠へ行く度にころころと気持ちが変わるって奴でやした。何かあると小便の出方で事を決める、つまりその時の気分気紛れてやつでやすかね。とにかくお天とう様が東から西に沈めばおめでたいと言う奴で、任期を早く済ませて江戸に帰りたい、幕格の命令に背くわけには行かないからと腰掛けの代わりに倉敷代官になった奴。江戸に囲った妾が恋しくて、庭の池にある石の割れ目を見ては深い溜め息ばかりをついていやした。まあ、そんな頼りねえ大竹代官の時でやしたよ。下津井屋が児島屋と浜田屋を後ろ楯に津溜め破りをしやして、荷を兵庫大坂に出して儲けていやしたのは。
 ええ?津溜め破りとは何かと・・・。   
 津溜めとは各地の港から一品たりとも出し入れをしてはならぬと言う幕府のお達しでやして、大飢饉の後よく出やしたよ。買い占め、売り惜しみ、低いところから高いところへ流れる品物の動きを止めるのがその目的でやしたが、その間の抜けた策のために、貧しい國民は物の値打ちが天井知らずの世の中になりやして、買う金もなければ落とす泪もねえ、ただじっと我慢の忍従の生活しかねえ、愚策でやしたよ。下津井屋は荷を倉敷川を下って児島半島の先、小串の港の沖合で大船に積み替え、また、高梁川を下って連島角浜の沖にありやす亀島に大船を待たせて積み込み、兵庫、大坂へ出しておりやした。下津井屋が津溜め破りをしていることは村人の口の端に登り始めやした。夜間に乗じて倉敷川に小舟を着けて荷を積み込むのでやすから分からぬ道理はありやせん。そのことを村人は大竹に訴え出やしたが、
「噂だけではのう、まあ、屁のようなもので捕まえどころがないわのう」と村人を待たせ厠へ行き小便と一緒に流したそうでやす。
 そこで村役をしていた大橋敬之助の所へ相談を持ち掛けたって寸法でさあ。その時敬之助三十三歳、十五年倉敷で商人として真面目に暮らし、剣は相変わらず井汲唯一に習い、森田節斎の簡塾で学問を修めていやしたから、村役としての人望も厚く、村の改革に力を注いでいやした敬之助、不正を嫌う正義心は人一倍ありやした。
「捕まえどころが無いのなら掴むしかないでしょう」と流れ込んでいた浪人を 使い、小串と亀島に行きやして船積みをしている船を押さえやして、船頭をふん縛り、大竹の前にひっぱって行き下津井屋の津溜め破りを訴えやしたよ。そうなりゃ、大竹はもう厠に行って考える暇はありやせんやあ。下津井屋阿部吉左衛門を手錠村預け、寿太郎を入牢、後で糸を引いていた浜田屋、児島屋を謹慎と言う裁きを下さなくてはなりやせんでやした。その折りも折、、大竹に取っては待ちに待った代官交替の知らせが届きやした。それを聞いた浜田屋と児島屋は番頭を大坂に出向かせ、桜井に菓子箱どころか千両箱を差し出して、かくがくしかじか、どうかよしなにおとり計らいの程と願い出やした。桜井は金に目が眩んだのか、倉敷に着任するや、
「倉敷は港ではないから津溜め破りなど出来る道理も無い」と一同を無罪放免にしやした。敬之助は桜井に悲しい視線を投げなやししたが、桜井は知らん顔を決め込みやした。と言いやすのも大坂で小判と一緒に倉敷での尊皇攘夷の動きを耳に吹き込まれ、勤王の志士井汲唯一に剣を習う敬之助を幕府に弓引く一人として見ていやす桜井が、敬之助けの言うことなど聞くはずがありやせんやあ。蛙の面に小便と聞き流し、港では無いとつっぱね続けやした。その時、 敬之助は、
「正義もくそもあるありませんね。貧しい者を苦しめて儲けようとする悪徳商人に肩入れした代官、何が正義の御正道ですか。何時の日にか誠の正義を見せてやることにいたしましょう」と己れに言い聞かすように喋りやしたが、その声は物静かで側で聞いているものの心に重い石を抱かせるようなものであったのでやした。また、敬之助の瞳はあくまで冷静な光を帯びていやした。
 桜井が敬之助に目を付けるのは当たり前、東中島屋に手下の者を走らせやしたが、岡山の直島に商用にて不在との報せに、桜井は歯ぎしりをし奥歯が折れたとか。
 倉敷村では、下津井屋を襲うたのが敬之助だと言う評判で、朝から夕方、夜中までその噂で持ち切りでやしたよ。村人は敬之助がどこかに隠れていやして、先の恨みで代官所を焼き払うとか、児島屋、浜田屋が次々襲われるとかの流言が飛びかう有様でやした。村人は正月を迎える準備どころか、何時火の手が上がるやもしれない恐怖でおちおち眠ることもかないやせんでやしたよ。
 何時もの年なら正月を迎える支度で川沿いの商家の店先は人人の雑踏で賑わい、商いの掛け声で活気付きやすが、商家は大戸を閉ざして次に来るかも知れない不安におののいてておりやしたよ。

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立石孫一郎 序の序の2

2007-06-27 00:16:03 | 創作の小部屋
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立石孫一郎伝
             序の序

 桜井久之助は、山陽道の要である天領備中倉敷代官。先年、蛤御門の変に破れた長州が尊皇攘夷を御旗にしやして討幕のために藩政を建て直し、それに、高杉晋作の組織しやす奇兵隊の増強と、何時兵を挙げて山陽道を東上してくるか分からぬ時勢でやしたから、前の代官と代える時、幕府は人選に人選を重ねて選んだのが桜井久之助、まあ並の男ではありやせんでやした。腹は黒いが、その分だけ若白髪が多かった。頭はよかったが、口は悪かった。目の前を馬が走っているのは見えなかったが、足元の蚤は良く見えた。女には弱かった、小判にも弱かった。刀は斬れたが、悪い噂は斬れなかった、てなお人でやした。 桜井は下津井屋に恨みを持った者の仕業、怨恨として捜索を始めやした。下津井屋は村ではあまり評判の良い店ではありやせんでやした。あくどいやり口で財をなし大店の端に名を連ねておりやしたから、古い商人から妬みをかい、大店からは眉をひそめられておりやした。村人や百姓は鬼か蛇かと嫌っておりやした。米問屋を表看板にしやして、裏では百姓相手に金を貸し、払えなければ土地を取り上げ小作人にする。・・・まあ、それくれえの事は殆どの倉敷の商人がやつておりやしたことで・・・。憎らしい、殺してやりたいくらい恨めしいと思う連中は何人かおりやしたが、そこは百姓、お月さんが顔も出さねえ闇夜もありやしたが、それに倉敷川に蓋はありやせんでやしたが、根っからの臆病者、鎌や鍬を幾ら上手に使っても首を斬り落とすほどの強胆な奴はおりやせんでやしたなあ。でやすが、この村にもなかなかの遣い手はおりやしたよ。薬問屋の隠居の林孚一、東中島屋大橋敬之助、医者の島田方軒、北辰一刀流の指南本城新太郎、江戸から流れて来ておりやした元御家人の原田晋介、てところが棒振りには優れておりやしたな。・・・あの頃は流れ者が多く、何時身の危険に晒されるや分からぬ時世でやしたから、剣術を習うのがやたら流行りやして、算盤の変りに棒を振り回し、酒津の桜の枝が減ったとか。それに倉敷村から二十四名が代官所警護と言う名目で、鉄砲、槍、剣術を習っておりやしたが。たけど、一刀のもとに首を斬れるのは、幼い頃より剣を習い、津山から出稽古に来る井汲唯一に免許皆伝を授かっておりやした、大橋敬之助位でやしょうか。おっといけねえ、忘れるところでやした。桜井久之助と代官所の中にありやす明倫館の剣術指南の祢屋武七郎も滅法腕が立つって噂でやしたなあ。
 桜井が目をつけたのも敬之助でやした。敬之助には下津井屋を殺る恨みがありやしたから。
その前に敬之助の生立ちを手短に・・・。
 敬之助は、播州上月村の大庄屋大谷五左衛門の長男として生まれ、名を敬吉。十六歳で庄屋見習いになり、森家の役人と年貢米いの事で百姓との仲裁に入りどちらの言い分も言い発て、藩主の怒りに触れて見習い役を取り上げられやしたよ。見習い役を取り上げられたとなると大谷家の後を継ぐことは叶いやせんやぁ。そこで、母親の生家でありやす作州二宮村の大庄屋立石正介に引き取られやした。立石家で無駄飯を食らっている間に、津山で神道無念流の道場を開いておりやした井汲唯一と巡り合い門人となり、剣ばかりではなく尊皇攘夷の手ほどき設けやした。だけどでやす、敬之助にとってもっとも心を捉えたものは井汲唯一の良寛ヘの造詣の深さが、後々に敬之助の精神形成に多大なる影響を及ぼしたという点は、敬之助のこれからの行動を納得して頂く上で知っておいて頂きたいのでやす。つまり、人を救うことなしに悟ることはできないという事を教えられやした。
 立石家、元は毛利の碌をはんでおりやした家柄でやして、戦国時代、毛利輝元から武勇の功ありとしやして高五百石の知行安堵の感状と賞与の短刀を授けられておりやして、毛利が右と言えば右と言う家風、京へ上る勤皇の志士に飯は喰わす、宿は貸す、おまけに路銀はくれてやると言う尊皇攘夷派でやした。立石家に一年間居る内に敬吉の真っ白の心は尊皇の色に染まりやした。その後、敬吉は倉敷村の大庄屋中島屋大橋平右衛門の所へ婿養子として迎えられやした。大橋家と立石家、大谷家は横と縦に繋る親類同志、大庄屋同志でもありやした。けいと言う長女と夫婦になり分家、東中島屋大橋敬之助と名乗りやしたのは十八歳の時でやした。文武に秀でていて育ちも良い、中島屋は良い婿を迎えたと、そりゃあ倉敷では羨望の的でやしたよ。だがこのお人、正直の上に大きな馬と鹿を乗せたようなお人で、世間の冷たい風は少しは知っているが人を疑ることを知らぬ、人の難儀を見捨てておけるほどの勇気のあるお人ではありゃせんし・・・てなお人だから・・。 敬之助は中島屋の菩提寺観龍寺へ檀家としての供養も怠る事無くいたしておりやしたが、月に一度は玉島の良寛縁の円通寺へ出向いて座禅を組むという生活を、この十五年間続ておりやしたでやす。

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立石孫一郎 序の序の1

2007-06-26 14:12:39 | 創作の小部屋
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    立石孫一郎伝
         序の序

 へい、忘れられるものではございやせん。確りと憶えておりやすとも。このように薄くなった頭に七分三分の白と黒の髪をのせ、歳と共に皺と染みの数は増しておりやすが、まだまだ耄碌は致してはおりやせんとも。お尋ねのことは、一を訊かれれば十をお応え出来るだけの自信はございやすとも。それだけ大変な事件でありやしたからね。・・前置きはそれくらいにして喋れとの・・・。へい、それではそろそろと・・・。
嘉平は髪を整え髭を当たりながら流ちょうに語り始めた・・・。

 あれは確か、全国津津浦浦を襲った文久の大飢饉の後、元治元年{一八六五年}十二月 十八日、気の早え一番鷄の啼く前でやしたよ。倉敷川に架かる前神橋の西の袂にありやした下津井屋に賊が押し入り、主人の阿部吉左衛門と伜の寿太郎の首を刎ね、放火、巷で言われておりやすところの下津井屋事件が起きやしたのは。
 川を隔てた目と鼻の先の天領倉敷代官所に知らせる者は斬り殺されたものでやすから、店の者は土間に身体を小さくして集まり、肩を寄せ合い震えていたそうで。中の何人かは小便をちびっての連れションをしたとか。賊が引き上げた後、煙が天井を這うのを見て慌てて大戸を開けて逃げ出したそうで。その内の一人が代官所の西門を叩いて火急を報せた時には、もう棟から炎を噴き上げ、師走の寒空を夜明けを通り越して真昼のように明々と照らし、大店が軒を並べる川沿いでは読み書き算盤が出来たとか。それは見事な燃えっぷりでやしたよ。俗に火事と喧嘩は江戸の華と申しやすが、村人の何人かは一升徳利を小脇に抱えて裏山の鶴形山に駆け登り、観竜寺の境内で火事見酒と洒落こむ者もいたくらいでやした。村人の大半は、
「ざまぁみろ、風、かぜ吹け吹けもっと吹け。代官所が燃えるほど強く吹け」と鼻唄も出る有様でやしたよ。代官所と大店に対する村人の思い果たせぬ怒りがそんなところに表れていたのでやしょうかね。日頃の憂を晴らす気持ちでわくわくしながら眺めていたのでやすよ。うまい汁を吸うのは何時も代官と大店、村人は鍋の底に僅かに残った汁を薄めて匂いを嗅ぐ、その程度の生活でやしたから。
 代官桜井久之助が手下の者を従えて駆け付けて来た時には、店の方は焼け落ち、三階蔵にも火の手が回り燃え上がっておりやしたよ。三階蔵と言うのは、この倉敷の商人蔵の独特の物でやして、壁と壁との間に食用の味噌を詰め込んで火事を防ぐために創られた特別の藏の事でやして、味噌を入れるところから味噌蔵とも呼ばれておりやした。その蔵は三日三晩燃え燻り続けやしたよ。
 ええ?火に強いはずの蔵がどうして燃えたかとのお尋ねでやすか。そりゃあ、賊が蔵の錠前を壊し値上がり待ちにしこたま買い込み貯め込んでいた、米、麦、綿、備中和紙などに火を付けたのでやしょうよ。それに蔵の中から何千両もの小判が持ち出されたって噂でやしたょ。
 ええ?火消しがいなかつたかとのたてて続けてのお尋ねでやすか。そりゃあ、おりやしたが、なんせ狭い村のことでやすから、風向きが悪ければ火の雨やつで、手前の家に降りかかる火の粉、と言いやしても、団扇、桐の葉程もある火の塊を屋根の上で箒で払うほうが先、古女房が下で桶に水を張って待っていて、チョイと摘んでは水に付け消し炭にすると言う段取りの良さ。一挙両得、一石二鳥、貧乏人の知恵ってやつで・・・。
 それに火消しの頭の床屋は生憎三日前より風邪のために寝込んでいやして・・・。
 それにしても代官桜井は、燃えさかる下津井屋を橋の東袂でぼんやり灯の入ってねえ行燈のようにつっ立つて眺めておりやしたなあ。両の腕をだらりと下げて柳の下に立っている姿は季節を間違えた屯馬な幽霊のようにも見えやしたよ。目の中には三階蔵の炎が人霊のように映っておりやした。
 焼け跡から首の無い焼死体が二体出て来た時には、流石の代官もサット顔を青くしやしたが、直ぐ赤に戻しやして、眠そうな目をカッと見開きやして、首の探索を手かの者に命じやした。何時壊れるかも知れない燻り続ける三階蔵を気にし、横目で眺めながら焼け跡をひっくり返し掘り起こすのでやすから、手下の者はみんな寄り目になったとか。寄り目で幾ら捜しても首は見つかりやせんでやしたよ。
 吉左衛門と寿太郎の首が見つかりやしのは明けて次の日の昼頃でやしたか。謡曲の舞台もなっておりやす倉敷川を児島湾へ下ること一里、藤戸の盛綱橋の先辺りであったそうでやす。二つの胴の無い首は川底を彷徨し藤戸で漸く。なんでも漁師の投網にかかつたそうで。その漁師と言うのが源平藤戸の合戦のおり、源氏の大将佐々木盛綱に粒江の浅瀬を教え斬り殺された末孫であったとか、なかったとか。

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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。
「ワンダフル ワールド」を改題し「青木学院物語」として文庫本化・・・7月上旬決定!

作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
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冬の彷徨 23

2007-06-26 00:19:56 | 創作の小部屋
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冬の彷徨
  23
「待たしたな、悪かったな」
 桝野は逢沢の前に立って言った。
「早いでわないか」
 逢沢は腕時計を見て言った。約束の七時より十分も早かった。
「今日はなんも事件がなかったからな、、」
 桝野はそう言って逢沢の前の椅子に腰を落とした。
「それは幸運だったと喜ばなくてはならないのだろうか」
 逢沢は少しおどけて言って目で笑った。
「こんなことは稀なことだ、聞屋泣かせの日と言うのだょ、今日のような日を。常にスペースを開けて待っているが、何もない時には埋め草原稿で誤魔化さなくてはならない。事件を起こす奴も愚かなら、それを待つ人間もどうかと思う時があるよ」
「だろうな、それが人間だとも言えるのではないのかな。職業は違っても多かれ少なかれ考える事は変わりゃしないって事だな。人間を愛している事には違いがないのだから」
「おいおい、どうなっているんだ。幼い人間学でもやらかそうて言うのかい」
「いや、ちょいとな、、。桝さんが来るまで少し考え事をしていたもんでな」
「奥方とはうまく行っていないのか」
「いや、そうではないんだ。あの頃皆一列に並んで走りだしたと思っていたんだが、そうではなかったと今頃気がついたんだ」
「沢さん、おまえさんは幸せな人生を送ったのだな。俺や倉さんは人間の悲しい面や汚れた面しか見ていないんだぜ。そう言う人間ばかり見ていると、環境も確かに人間を変えるがそればかりではどうしても解決がつかんことに気が付くのだよ。さっき沢さんが言った通り何かがあることは確かだよ。俺がこんなこと言ってはおかしいかも知れないが、時代の先端を行く聞屋が何を非科学的な事をと笑われるかも知れないが、事実非現実的な事や非科学的な事が歴然と起こっているのだよ」
 桝野は真剣に言った。
「あの頃はみんな一緒だと考えていたのだが、現在のみんなの処遇を考えると、環境とか努力とかでは解決できないのではないかって思うようになったのだ」
 ウエィターが近寄り注文を尋ねた。端正な顔立ちの下にはタキシィドを上手に着込んでいた。
「沢さんはなにも頼んではいないのか」
「ああ、連れが来るまで待つて呉るように言っていたのだ」
「本日のスペシャルメニューでも頂くか」
「私もそれでいいよ」
「ワインを一本冷たく冷やして」
「はいかしこまりました。暫くお待ち願います」
 ウエィターは注文を復唱し、そう言って頭を下げ去った。
 逢沢は桝野の前に茶封筒を置いた。 
「資料だな」
 桝野は封筒を開けて書類を取り出しながらそう言った。そして、書類に目を通し始めた。彼の頭には僅かに白い髪がへばり付いているだけだった。夕日が彼の腰の辺りにあって輝き、彼の顔はモノクロ写真を見ているようだった。桝野と逢沢は練兵場の後に出来た新設大学でも一緒であった。桝野は独文で逢沢は法科であった。
「おいおい、俺が理屈ぽくなるのは分かるが、沢さんがそんなにごちりやだったとはな」桝野はコピーに目を通しながら言った。
「疲れているんだ」と言って首を回した。
「これは、佐竹の秘書が調べたのか」
「ああ、倉さんもそんな意味のことを聞いてきたよ」
「これは、厚辺のものではないか。よく県議の秘書が執れたな」
「そんなに・・・。倉さんは何も言わなかったけど、大変なものなのか」逢沢は土倉のときに感じた疑問を投げ掛けた。
「まあな、警察では出せないものだ。これは極秘なのだが、練馬のセンターには国民の総てが五十項目のファイルをされていると言っていい。厚辺だってそれくらいはファイルをしているだろうさ」
「そのファイルからこれがか・・・」
「まあ、そういうことだ・・ろう。これくらいの資料なら、二、三分で打ち出すだろうね」
「それにファイルされていないとしたら・・・」不安そうに逢沢は言った。
「うん、まだ戸籍と住民票があるって事は・・・。自辺が掴めていないと言うことになるよ。そこから厚辺へ行っているから。それにこれが厚辺から出ているとなると国民健康保険にも国家干渉社会保険、労災保険、国民年金保険、生命保険、火災保険、自動車賠償損害保険、その他諸諸の保険。自辺の県市町村税、自動車税、法人税、事業税、固定資産税。大辺の所得税等、要するに国家機関にはなんの手掛かりもないと言うことだわ」桝野は一息に言った。
「となると全く手掛かりがないって事か」逢沢は肩を落として小さな声で言った。
「そう落胆の色を濃くするなよ。倉さんから連絡があった時から考えていたんだが、そちらの線が駄目ならもう一つの線があることに気付いた・・・」
「やはりこの日本にはおらんのか」
「その線もある。が、もう一つの線があるんだ。それは・・・」
「それは」彼は身を乗り出した。
「そうせっつくなよ。その線と言うのは、今まで挙げた国家の機関に属さないで生活をしている人を捜せばいいと言うことになるのだ」
「そんな人がいるのか」
「いる、言ってみれば外辺の関係だ。これはなかなか国家機関としても把握しにくい。これは例えばと言う話だ」
「治外法権。国際法だよ」
「それに捜索願いの出ていない、行方不明者・・・・」「おいおい、嫌なことを言うなよ」
「沢さんの気持ちは判るが、事実に眼を瞑っては何も見えなくなるよ」
 ウエイターによって料理とワインがテーブルに運ばれてきた。
 目線を窓硝子へと向けた。雨が落ちていて、汚れた風景を洗っていた。

「冬の彷徨」一部をここで終わりとさせていただきます。二部は時を置いて書かせていただきます・・・。ご愛読下さいましてありがとうございました・・・。次作は「立石孫一郎伝」を連載させていただきます・・・江戸の末期倉敷代官所がなぜ元長州藩の浪人に襲撃され炎上したかを・・・。 

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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

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冬の彷徨 22

2007-06-25 13:38:26 | 創作の小部屋
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冬の彷徨
22
「そろそろかかって来ると思っていたよ」
 桝野の野太い声が受話器から聞こえてきた。予め逢沢から電話が架かって来るのが判っていると言うような返事だった。
「どうしたんだ、あっ気に取られて返事も出来ないのか、俺には予知能力が備わっているんだよ。まあそう驚きなさんな倉さんから聞いたのよ倉さんから、それで待っていたと言う訳だ。それで今日にでも社の方に来るかい、それとも何処かで逢おうか。仕事、、仕事なんかありゃしないよ。今も机の上に両足を投げ出して昼寝をしていたんだから」
 桝野は一方的に巻くし立てた。
「それなら話が早い、場所はそちらで決めてくれないか」
「やはり社でない方がいいか、そうだなそれではホテルロイアルのラウンジでどうだ。あそこなら騒がしくなくていい」
「そうだな、じゃそこで、で何時がいいのだ」
「七時だな、少し遅れるかも知れないが待っていてくれないか。近頃の若い者は記事の書き方もしらないから一応目を通さなくてはならんのだよ、それで遅れるかも知れないのだ」
 桝野は愚痴りながら言った。
「いいよ、それじゃ七時に」
 そう言って逢沢は送話器を置いた。彼は腕時計を見た。四時を少し回っていた。これから支度に係れば丁度良いと思った。育子は今日も外へ出て行っていた。カラオケへでも行っているのだろうと思った。ワイシャツを着て薄いベージュの背広を手に持って部屋を出た。彼は例のコーピーと土倉から聞いた情報を箇条書にした書類を茶封筒に入れたのを持っていた。太陽は西に傾いていたがじりじりと照りつけていた。彼は運転免許を持ってはいなかった。だから専らバスか電車、タクシーが彼の足代わりであった。車が無くても不自由だとは思わなかった。それがもう習慣のようになっていたからだった。
 ホテルロイアルに着いたのは六時過ぎだった。エレベーターで最上階のラウンジへ上った。ここは良く商談で使わして貰ったものであった。総硝子で眺望は抜群であった。陽が落ちるとこの汚れた町もネオンやビルの灯りで風景は一変するのだった。彼は窓べりのボックスに腰を落とした。黄昏が段々と大空を覆い暮れなずむのを見るのが彼は好きだった。その時間には少し早かったが、彼は少年時代大きな真っ赤な太陽が沈むのを良く眺めたものであった。それを見ることは今日一日生きていると言う証でもあったからだ。彼は今思う。果たしてあの時以来毎日毎日生きている証を感じて生きてきただろうかと。それが当然の様に生きてきたのではないだろうか。彼は少し感傷的になっていた。本州と四国を結ぶ大橋が架かるほどに日本の経済は大国になったが、その支えの一躍を担った彼にとって感慨深い思いが胸に溢れていたのだ。その事を思うにつけあの忌まわしい大戦によって失った青春をより深く回顧するのだった。それはすなわち山田公子への想いにつながるものだった。何処で生きていてもいい、元気で幸せならばと彼は願っていた。どの様な運命が公公一家を奔浪したことだろうかと思うと、彼は身が細る思いがしていた。幸福に一生をおくる人と、苦労を背負って生きていく人との差別は一体何処からきているのだろうか、と彼は考えた。が、答えを出すことは出来なかった。女性に執っては美醜の差、裕福な家に生まれるか、貧しい家に生まれるかの違いによって、生きていく道が違ってくるだろう。それは一体何処から来るのだろうか、不思議で解決できない問題だった。それを世間では運命と言う言葉で簡単に処理している。運命はそれぞれの人間の罪業で決まると、逢沢は何かの本で読んだことがあった。とするとこれから自分が行おうとしている事は悪業なのか、それとも善業なのか、彼は考えたが結論は出てこなかった。五十八年間の人生を振り返ってみた。平凡過ぎる一生がぼんやりと浮かんできた。だが気が付かない内に人を傷つけて来たかも知れないと思うと彼は考え込まざるを得なかった。それは人間知らず知らずに犯している罪のない罪かも知れないのだが、やはりそれは罪業の一つに違いないのだと彼は思った。その無意識のうちに行っている罪業が次生の出所を決めると言うならば一日一日を万全の注意をして生きて行かなくてはならないと思うのだった。このように考えることは、もう歳かと彼は頬を歪めた。彼は外の風景に目を落とした。そこには灰色の町が広がり、太陽は西に傾き黄昏る前の光を精一杯に投げていた。

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冬の彷徨 21

2007-06-25 01:02:39 | 創作の小部屋
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冬の彷徨
21
 玄関のドアが開く音がして、廊下を足高い音が居間に近ずいていた。育子の酔った足音だった。
「あら、帰ってらつしたの。今日は遅くなるようなことを言って言ってらつしたから、、。ごめんなさい。ご自分でおじやを作って食べたの、外で食べて帰れば良いのに」
 育子はそう言って台所へ向かった。水道の蛇口から水の出る音がし、その流れに直接口を当てて飲んでいるのであろう姿が逢沢には想像出来た。暫くして育子は引き返して来た。
「今日は何の会だったのだ」
 逢沢は優しく声を掛けた。
「カラオケ、私には何の才能もないみたい。だから今はカラオケで唄っているの、これが一番私にあっているみたい」
 育子の顔は酔いの為かいくぶん赤くなっていた。そして少し言葉が不安定だった。
「好きな事をすれば良いさ。だけどアルコールだけは少し慎まなくてはいけないぞ」
 育子は服装は年より若い多少華やかな物だった。
「たまには、あなたも一緒に行きましょうよ。私達と同年配の御夫婦が仲よく来て歌い踊っているんですよ。そんな姿を素面で眺められなくてついつい飲んでしまうのよ」
「羨やましいのか」
「そりゃ、私達ってそんな事なかつたでしょう。あなたは会社が忙しく、私は子育てが忙しくて、、。定年退職をしてこれから第二の青春を謳歌するんだって言っている人が多いいわ。私達、考えてみれば何処にも行った事が無いんですものね」
 育子は逢沢をじっと見つめながら言った。彼はそんなことはなかったと思った。育子を連れて旅行に一度も行っていないことに今更のように思いを馳せるのだった。漸くこれからと言う時大きな仕事が飛び込んできたのだ。育子に取っては不満であろうと彼は思った。二人きりになってこれから老後を楽しく過ごそうと言う育子の夢を粉々にしてしまったのだ。それも名目は同窓の行く経を捜しまとめると言うことで、だがそれは飽くまで名目であって実のところは山田公子を捜し出すと言うことなのだから、公公に係わる青春を取り戻そうと言う事なのだから、育子に心暗い事はないではなかったのだ。だから育子の多少の我もままも許して来たのだった。
「そうだったな、二人で何処へも行ったことが無かったのだったな忙しかったし、、。それだけでは済まされない問題かも知れんな。夫婦なんだから」
 逢沢は育子の少し厚めに化粧を乗せた顔を見ながら言った。
「私は構わないけど、別に構わないけど。極楽とんぼで好きな事をして居るんだから、だけどふとあなたの存在に気付きこれで良いのかなと後悔している時があるのよね。そんな時ふと悲しくなる事があるのよ。私はあなたの存在の影にあって初めて私なのだと思うのよ、この頃」 
 育子は神妙に言った。そして、顔を反らせた。逢沢は育子の頬に一筋の涙が流れていたのを見逃さなかった。
「盆に田舎に帰ってみようと思うんだがおまえさんの都合はどうなんだ。調べ物の都合もあって、それに久しく墓参りもしていないし、一緒にどうだろうかと思って」
 逢沢は自らの老いがその行為を起こさせるのではないと思った。墓参りは飽くまで付随的なことであり、未だ田舎に残る友との情報交換がその主たる目的であったからだ。
「そりゃ、一緒に帰っても良いけど、達行や敬子達が帰ってくるかも知れないわ」
「そのような連絡があったのか」
「たまには帰らなくてはって言っていたから」
「だったらみんな一緒に田舎に帰れば良いんだ。みんなの御先祖様だからな、時には良いのではないか」
「そう言ってみるわ。時には一家総出で墓参りをするのも良いかもしれないわね。そう良いい事よ、芳夫義兄さん達だってきっと喜んでくれるわ。子供は皆町に出て義妹さんと二人暮らしなんだもの、きっと歓迎してくれるわよね。義兄さんに電話を入れてよ、決まったら」
「うん、その時はそうするよ」
 逢沢はそう言って、雪平や茶碗、それに梅干しを入れた皿を盆の上に乗せ持ち上げて台所へとたった。もう何か月も育子を抱いてはいないと彼は思った。今日は抱いてみたいと言う欲望が沸いてきていた。

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冬の彷徨 20

2007-06-24 13:31:27 | 創作の小部屋
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冬の彷徨
20
 逢沢は土倉との話を一応箇条書にした。そして、彼から出た同窓の近況を名前のしたに詳細に書き込んでいった。佐竹の秘書によって調べられて幾月と経っていないのに情報は刻刻と変わりつつあるのだ。
「此のコピーで大方正しいとは思うんやが、裏を取ろうか。どうせろくな仕事はしてへんのやよって、此れをコピーして送ってくれへんか。わいも協力するよって、これもわいらの青春時代に、あの暗い時代に笑顔で接してくれ夢と希望を与えてくれた公ちゃんの為やと思うと、じっとしてられへんがな」
 土倉は別れしなにそう言って協力を申し出てくれたのだった。
 明日にでも桝野に逢ってみようと逢沢は思った。彼は土倉とはまた違った情報を持っているに違いないと思ったからだった。そして、逢沢自身も箕面に出向かなくてはならないだろうと認識をした。それが例え徒労に終わろうとも足を運ぶことが彼に託された道であろうと考えたのだった。また公公の田舎、それは逢沢に取っても生まれ育った故郷なのだが、そこえも訪ねていかなくてはならないだろうと思うのだった。今村への墓参りもしなくてはならない。故郷と言っても今では大きく様変わりしているだろう。兄が跡を取り未だ健在である事が彼に取ってはまだ故郷があると言う実感を沸かせてくれるものであった。その故郷へは十何年と言う御無沙汰であった。
 育子が書斎を訪れることはない。それは、逢沢が極端に書斎に入ることを嫌うからであった。机の上には彼が書いた一通の書紙がそのまま置かれていた。クーラーがカラカラと音を立てて冷たい風を送ってきていた。彼の机の上にはセピア色に変わった写真が貼られているアルバムが開けられていた。名前と写真の顔がなかなか一致しないのだった。この地にいる同窓の顔はおぼろげながら昔と現在が一致するのだがその外はどうしても無理だった。佐竹、土倉、今村、山川、大野、秋田、牧野、日名、杉原、桝野、彼らは逢沢の脳裏に鮮明に浮かんでいた。それぞれの人生が逢沢の前に大きく拡がっていた。それは土倉から聞いたものではあったけれど、現在を思い過去に思いを馳せる事が出来、想像することが出来るのだった。名簿には最初から戦火によって没した人名の上に線が引かれていた。短命の友の影は何だか薄く見えた。
 逢沢は書斎を出て台所に行った。食器棚の上には今年漬けた梅の瓶が置かれてあり、梅は真っ赤な液の中で少しづつ色を染めているようだった。六月の終わりに紫蘇を買って来て綺麗に洗い一枚一枚毟り取って塩で揉み実液の中へ入れたのだった。瓶の底には僅かに塩が堆積しているのが見える。この分だと手頃だと逢沢は思った。昨年の失敗に懲りて今年は塩を少し控えめにいれるように心掛けたのが良かったのだ。梅は実液を排出し更に今度は真っ赤な紫蘇の色と共に吸収し膨張しているのだった。彼はそれを見て満足げに頷いた。暫く彼は自らの行為に浸りながらそれを見ていたが、瓶を一つ下ろし蓋を開けて一番漬かっていそうな鮮やかな紅の梅を取り出して皿に二つ並べた。そして、雪平に米を入れゆっくりと洗い始めたのだった。育子は未だ帰って来ていなかった。会の流れで二次会にでも行っているのだろう。どうせ又酒でも飲んでいるのだろう。
逢沢はそう思い遅い夕食に取りかかる事にしたのだった。「大判」の女将が気をきかせて作ってくれたおじやには箸も付けずに帰ったのだった。女将の心遣いには悪いと思ったが公公の消息が曖昧摸糊としている現在、彼の胃袋はエネルギーを要求はしなかったのだった。
「そうでっか、そらしかたおへんな。そやけど三度の食事はきちんきちんととらなあきまへんえ。少し痩せはったのと違います。奥さん相変わらずカルチャー狂いなんでっか、そら太るよりようおますけど気い付けて呉はらんとあきまへんえ。わて、逢沢はんのファンなんですよって」
 と女将は心配そうにまた恨めしそうに言ったのだった。
 逢沢は雪平をガスレンジに掛けて弱火で煮た。彼はそうして居間へと向かった。坐卓の上には籠に夏の果物が盛られていた。部屋の温度が高い精かぐつたりとしていた。これは育子が買って来て入れたまま食べもせずほったらかして居るのだ。畳も埃ぽかった。最近の育子は家事を一切せず走り回っているのだろう。彼は床の間に視線を投げた。良寛和尚のものと言う山水の掛け軸が掛けられていた。これは彼の父が私有していた物で形見のようなものだった。彼はぼんやりと掛け軸に見入った。墨の濃淡で淡泊な絵が描かれ草書の文字が書かれていた。台所から雪平が煮たっている音が聞こえてきていた。彼は急いで立ち上がって台所へと発った。雪平の蓋を取り掻き混ぜた。ガスレンジの火を止めて、布巾で掴んで持ち上げて下ろした。梅干しを乗せた皿と、おじやの入った雪平を盆に乗せて居間へと引き返したのだった。盆を坐卓の上に置き少しの間その儘にしていた。食べ易いように冷やすためだった。
「日本におらんかも知れん」土倉の言葉が逢沢の耳の奥で繰り返し繰り返し鳴っていた。彼との対話で逢沢は悲観的にならざるを得なかった。彼の言うことは理論的に間違っていなかつたからだった。学校に入るにも、結婚をするにも戸籍謄本は絶対に必要な物だったからだった。そして、住民票の移動がないと言うことは、戦後の食糧難の時代に米穀通帳もなく配給も受けられなかつたと言うことになるのだ。箕面にいた期間がそんなに永くなかっただけに、引っ越し先でどのような生活をしたのだろうか、何処でどのように生きていたのだろうか、逢沢の思いは不安な方向へ絶望の方向へ拡がる一方だった。だが逢沢は一方一類の望みを捨て兼ねていた。何か方法がある筈だと彼は思い気持ちを切り替えようとした。戸籍謄本に何の異常もない限り、公公とその母は生きていることになるのだからと思う事で少しは心が安らぐのだった。
 逢沢は冷めかけたおじやを茶碗に注ぎ梅干しを箸で砕きそれをおがずにして、口に運んだ。紅に染まった梅の肉汁を口の中に入れると酸っぱさがぱっと拡がって爽やかな気分がした。梅の精か今日はいつもと違って食欲があり彼は殆ど食べた。こんな事は珍しいことだった。何時もなら育子が作った食事に箸を付けるだけで殆ど食べなかった。それなのに不思議に食が進んだ。家にいて悶々として色々考えていた毎日と較べ、良いにしろ悪いにしろ公公に対する情報が少しでも入ったことが彼を何らかの形で替えたのかも知れない。事実、佐竹と約束をして直ぐ取り係ろうと思ったが、会社を辞めると言うことがどれほど手間のかかることかを思い知らされたのだった。梅雨の時期に持ち上がった話が引き継ぎやら社則など、そして退職に関する手続きでそれが終わったのは七月の終わりであった。その間気になりながら放って置いたのだった。今日が最初の調査と言って良かった。この後書斎に帰り訪問するリストを作成する積もりでいた。

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冬の彷徨 19

2007-06-24 00:14:31 | 創作の小部屋
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冬の彷徨
19
「いや、そうとばかりは言えんのや、あの頃アメリカへ渡ったおなごも多いのや」
「それはオンリーとしてか」
「そればかりではないんや、日本に見切りをつけて出て行ったおなごも多いねん。新天地を求めてと言う奴や」
「そんな事が出来たのか」
「なにもかも焼けてしもうていたのや。自治省も厚生省も正確な人口が掴めんで、生存者の届け出でだけが頼りだったのやからな、その頃。偽名を名乗っても、本名を名乗っても渡航は出けた筈や、それだけ混乱しとった」
「それで、公公は日本にいないと言うのか」
「その可能性はおおありやと言うとんのや。そやないと本籍地に謄本も抄本も取りにこんと言うことがおかしいやないか」
「それもそうだな。そうなんだな」
 逢沢は土倉の言葉を聞いて肩の力が抜けるのを感じた。晴れていた空に雨雲が段々と覆ってくるのを思った。期待をしていただけに彼の落胆ぶりは大きかった。胃がまたしくしくと痛んできていた。土倉が言う事はいちいち納得の行く事ばかりだった。可能性を否定する材料は彼にはなかった。そのような事があっても決して不思議ではないように思えたからだった。この日本には居ないかも知れないそう言った土倉の言葉が真実味をおびて彼を包んだ。四十年間日本にいれば誰かが逢っていてもいい筈であったが彼女に逢ったと言う消息は彼の耳に入って来なかった。そう考えると土倉の言葉がより強く実感として心の中に拡がって来るのだった。彼は大きく息をつき生気のない眸をテーブルの上の料理に落とした。
「そう落胆する事はあらへん、世界は狭いで。わいは公ちゃんの親父さんがどうしてC級戦犯に問われたのかそれが知りたいのや。それに納骨を何処にしているか調べたいのや」
 逢沢の憔忰した姿を見て土倉が言った。

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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
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環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~
別の角度から環境問題を・・・。
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冬の彷徨 18

2007-06-23 14:42:36 | 創作の小部屋
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冬の彷徨
 18

 逢沢雄吉は佐竹の秘書が作成した名簿を手にし、名前と住所、職業を上から順々に追いながら、五十数年前の彼らを捜し求めた。名前と顔が一つに重ならないのだった。佐竹が県議に初当選した時、それを祝って嘗ての同窓は集まったが、旧制中学、大学が殆どで国民学校時代の友は数えるほどしか居なかった。あれからもう二十年も経っているのだった。逢沢は少し遠回りかも知れないが国民学校の同窓は諦めて、中学時代の同窓を当たることにした。彼らに逢って話すうち国民学校の事が分かるかも知れないと考えたのだった。 土倉節夫は未だ県警にいた。土倉のことだから上司に弁ちゃらの一つも言わず出世が遅れているようだった。佐竹をうまく利用すれば係長でいる事もないだろうと逢沢は思ったが、そこがまた土倉らしいとさえ思えた。中学時代は硬派で鳴らした男であった。柔道部の猛者であったが、軍事教官に睨まれて良く殴られたり、校庭を走らされたりしていた。他の生徒のように巧く立ち回れなかったからだった。逢沢にはそのような記憶しか土倉になかった。ずんぐりとした胴長の身体の上に、団栗のような大きな目と胡坐をかいた鼻が乗った特徴のある顔だった。融通の利かない無骨者、そんな印象しか彼には持つていなかった。だが正義感は非常に持つていたと記憶していた。戦争が終わり新制の高等学校を卒業すると、彼は警察学校に進んだ。まだ、敗戦に寄つて日本国中混乱の最中で世の中は乱れに乱れていた。彼はそれを見るに見兼ねて治安維持の方向へ進んだのだろうと、逢沢はその当時思ったものだった。
 逢沢は土倉のいる県警本部へ電話を入れてみた。土倉のしゃがれた声が送話器を伝って聞こえて来た。逢沢は逢いたいので時間を明けてくれないかと言った。
「なんや、沢さんかいな。なんか事件でも起こしたんかいな。わいにどうせい言うねん」
 土倉は今までに転々と勤務地を変わったのだろう変なアクセントの言葉遣いであった。
「そうではないんだ。聞きたい事があるんだ、時間を少し明けて貰えないだろうか。電話ではちょと、、、」
「判ったは、どうせ早いほうがええねんやろう。わいは何時でもええで、どうせ禄な仕事してへんのやよって。定年前のデカに今更仕事なんかあらへん。コンピューターがなにもかもしよる、テレビの画面見とつたら頭が痛とうなるねん。わいらの時代はもう終わったのや」
 科学捜査が行き渉り、こつこつと足で捜査をする事が段々となくなっている現実を彼は窓際に座って苛立っているのだろう。
「実を言うと一日も早い方が良いんだ、今日でも良いし明日でも良いんだ。詳しいことは逢った時に話す積もりだが、、」
 逢沢は土倉に期待するところが大きかつた。それは、警察と言う情報機構で働く彼に隠された真実が在るように思えたからだった。「そんなに急ぐんやつたら、今日でもかまへんで。場所は沢さんが決めてんかいな、そこに出向くよって」
「倉さんは、甘党だったかな」
「そうや、若い時酒で失敗してそれから止めたんや。そう言えば判るやろ。それがなかつたら、、、」
「判った、それじゃ城下の和食の店「大判」で七時頃待つているから宜しく頼むよ」
「ああ、かまへんでそれで」
 土倉は快諾してくれた。逢沢の心には彼に与えられ拡がるであろう色々の消息が得られることに興奮していた。

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