倉子城物語
格子戸
2
山陽道は岡山から大供、野田、白石、庭瀬、庄、生坂、山手、清音、そこで松山川の渡たり、真備、矢掛、井原と言う道筋で、備前、備中から備後へと入る。街道沿いは人の往来も多かったが、ひとつ入れば青青とした田地が広がっていた。
みつの父親は百姓をしながら、鍛冶屋も熟していた。それというのも備中は北房の刀鍛冶の血をひいていた。刀工として先祖は名を成した人がいた。
備前の長船は名のある刀工を世に出して有名だが、備中の北房呰部は國光、國重らの名で業ものが多かった。 吉井川の砂鉄、松山川の砂鉄が名匠を産んだのだろう。
少し話が前後するが、作兵衛が四十瀬のお鹿に「砂鉄が・・・」と問うが、よい材料がなくては良い物が造れない、その出る場所を尋ねたのであろう。
よく家を空けたといったが、作兵衛はお鹿に教えられた松山川の支流を歩き回っているうちに、みつの父親國蔵と出会い、清音で軒先を借りたたらを習った。
みつがおさよの看病をしていた時期である。人の巡り合わせの妙である。
十五のみつは女の盛になろうとしていた。月のめぐりを太ももに感じたのは十三の時だった。もう子供ではないと、耳は熱くなり、頭がのぼせたようにぼーとしていた中で思った。痩せて骨の見えるからだが少しづつ肉をつけはじめ、滑らかな膨らみ、肌もきめ細かくなりすべすべした女に変わっていった。
「みつも女になった」とその時伯母の女将も喜んでくれた。
「女になったら、滅多に肌を男に見せてはいけませんよ」と付け加えた。
みつは父から貰った着物を着て、阿知神社への石段を下駄で踏んで上がっていった。
幟が何十本も建てられ、風にはためいていた。子連れの夫婦が手をひいて燥ぐ、子供達が境内を走り回る、屋台の風車売りの掛け声、車座になって酒を酌み交わしながら豊年を祝う人たち。
みつは賽銭箱に一文投げて、知っている人の幸せを願った。
その時、みつは袖を引っ張られた。
「おとうちゃん」
「ようやく御先祖様に申し開きの出来る代物を打つことが出来た」
國蔵はそう言った。
「これが売れたら、おまえに豪勢な嫁入り支度をしてやれる」
「うちは、まだ嫁にはゆかん」ときっぱりと言った。
「それならそれでええが・・・」
みつは國蔵と屋台を冷やかして回り、倉子城を見下ろせる場所に立った。
「みつ、この刀を持って、本城新太郎道場へ行き目利きをして貰ってくれんか」
「いいわ。でも、おとうちゃんが持って行けば・・・」「何も言うな、お客がそうして欲しいと言っていると、お父のことはどんな事があっても話してはならん」
みつは何かの事情があるのだろうと思った。
國蔵は刀の入った布袋を出した。白鞘に新刀が納められていた。
「ほほ、ふふ、うう・・・」
本城は懐紙を口に挟み食い入るように見詰めていた。「北房は呰部・・・。よくここまで鍛練なさいましたな、と、お伝えください」
本城はみつの前に戻して言った。
「拙者が購うのも、腰に差すにも勿体ない。長船、呰部、それをこの業物は超えておる。みつさん・・・これは遠い話です・・・」
皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・
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