連載中の「砂漠の燈台」「天使の赤褌」を書いている間、「俺は天使か?」を連載させていただきます事をお許し下さい。
俺は天使か?
1
どうも今日は嫌な予感がする。
西の空から東の空にかけて、灰色の雲が広がり、今にも雨が降りそうだ。こんな日は、親父の機嫌が特に悪い。四年前に遭った交通事故の後遺症で頭痛がすると言う。おれは背中にしょつているランドセルに入っている、漢字の書き取りテスト三十八点を見せるべきかどうか迷っていた。
「三十八点、バカヤロウ!どうせならゼロ点か百点をとってこい。中途半端が一番よくねえ」
と、大きな声で怒鳴られ、週刊誌を丸めて頭を四五発叩かれるに決まっている。今日のところはこっそりと、机の抽き出しにしまっておこう。それが家庭円満の秘訣だ。何も平穏な家庭に波風を起こすことはない。親父の血圧を上げることもない。おれも殴られずにすむし、お袋も親父に味方しようか、おれを庇おうかうろうろして迷わなくてもすむと言うものだ。俺は恨めしげに空を眺めた。
おっと、おれの名前は吉川勇太。市立壽小学校六年へ組十八番、出席簿は男でビリだ。なにせ、三月二十九日がおれの生誕の日だからチビでヤセだ。何が困るかと言うと、強い風の日にはよたよたとして前に進めないのだ。何時だったか、強い風の日に押し倒されてホールアウトをくらってしまったのだった。と言うわけだから、むろん、勉強もみんなより遥かに遅れ、勉強も体重と背丈に正比例をしているのだった。遅れたのは生まれが遅いばかりではない。小三の時に遊んでいて車とぶつかり大腿骨を折り、二 カ 月ほど入院したのも原因していると
思っている。折れた足はを釣り上げられ、それを毎日毎日恨めしく眺めて過ごした。あの時に九九の一つも覚えていたらよかったと後悔をしたが、それは寝小便と同じだろう。そんなおれだから、自慢じゃないが授業中に手など上げたことはない。おれが上げても、答えを間違い授業の流れが止まることとを知っている先生は絶対に当てない。勉強もスポーツもなじめない。まして、友情を深めるなんてとても出来ない。その上、顔も親父譲りで上等な作りではないから、クラスはおろか全校のメスガキにもてたためしがない。と言ってしまえばおれの取り柄はなにもないことになる。それでは淋しいので、のんびりしていることを上げておこう(どうか野呂間などと言わないで欲しい)。実はそれには深いわけがあるのだ。おれは、何事にも納得をしないと行動を起こさないだけなのだ。おれはおれが正しいと思ったら、機動戦士ガンダムが来ようが、ミサイルが飛んでこようがテコでも動かない。時として、その頑固さにはほとほとおれ自身も嫌気がさすが・・・。だけど、それよりなにより、おれはクラスではひょうきんものとして人気がある。それもオスガキにではあるが。それらをおれの取り柄としておきたいと思う。
おれの家は、茶店(サテン)をしている。が、お客が入っているところを余り見たことがない。店はお袋がやっていて、親父が手伝っているわけだけれど、どうもおれには親父が邪魔をしているように思えてしかたがない。百獣が住んでいるようなジャングル頭と、ゴキブリの巣のような鼻髭と顎髭を生やして、終日カウンターに腰を掛け、新聞を読んだり、週刊誌を見ていて、客が入ってくると、団栗と達磨を掛けたり割ったりしたような目でじろりと見据えるのだから、幾らお袋がこぼれるような笑顔を振り蒔き、
「いらっしゃいませ」と明るく声を掛けても、お客は帰ろうと言うものだ。店が暇なので、二人はあくびばかりしている。そのためにおれが学校から帰ると、良いおもちゃが帰って来たとばかり構う。店のテーブルで宿題をさせるのだ。そのおれの姿を見て時間潰しをしていると言うわけだ。だから、おれは帰った時にお客がいますようにと心の中で祈るのだ。客が一人でもいれば、おれはおれの部屋で好きなプラモデルいじりや、マンガや、ファミコンゲームをすることが出来るのだ。
あんちゃんは、中学二年生でハンドボール部に入っているので帰りが遅いから、おれのような思いをしなくてすむ。あんちゃんが帰る頃は多少店もたて混んでいるからだ。
「勉強をしなくては、好きなことも出来んぞ。今、学んでいることは、例えば家の土台のようなものだ。確りした基礎を造っていなくては、その上にどんな立派な家を建ててもすぐガタがくる。漢字が書けんでも、九九や分数が出来んでも飯は喰えるが、それでは余りにも貧しいではないか、さもしいではないか。人間はパンだけでは生きられないものだ。生きると言うことは、一人では生きられんものだ。楽しみ、悲しみ、笑い泣きをしなくてはならん。そのためには、どういう時に笑い、どういう時に泣くかを知らなくてはならん。それが勉強と言うものだ。だから勉強はしなくていいが多少は必要なのだ」 これが親父の口癖なのだ。そんな時、
「おとん、新人賞は何時取るん。直木賞は、芥川賞は・・・」と、おれは逆襲する。
親父は目を白黒させ、口をパクパクさせて、おれを恨めしげに睨みつけて黙りこむのだ。
「お父さんは、お父さんなりに一生懸命に勉強しているのだけれど、お父さんより、少し勉強する人がいて・・・。だから、勇太君も勉強しなくてはいけないのよ」
と、側で聞いていたお袋が、親父への助け舟を出すのだ。その言葉には多少皮肉が込められていたように思う。そんな時、ああこれが夫婦愛ってやつかとおれは思うのだ。
親父は売れない物書きだと言っている。店の二階の書斎兼寝室には壁一面にやたら難しそうな本が並んでいて、床が下がっている。階段にも雑誌が天井まで積上げてあって上がり下りが不自由なほどである。机の上にはなにも書いていない原稿用紙がドサット置いてあり、その上に太い万年筆が転がっている。屑篭には書き損じの原稿用紙が丸められて捨てられている。まるで書斎の風景は親父の言う売れない物書きのものだ。
おれ達一家は、年に二回演劇を観る。親父が台本を書き、演出をしたのを観るのだが、正直なところ良いのか悪いのかおれいは分からない。が、お客があくびをしたり、つまらなさそうな顔をしているので、たいしたことはないのだろう。親と子の付き合いもしんどいものだとそんな時つくづく思う。おれは付き合いだから、義理だから、真剣に演劇なんか観ず、小便にかこつけて外に出て遊んだり、自動販売機の缶ジュースを買って飲んだりしている。舞台裏を覗くと、親父が苦虫を潰したような顔をして、舞台の袖から役者の演技を睨み付けるように観ている。
「アホ!バカ!スカタン!マヌケ!教えた通りにやらんかい」と独り言を言い、やたら煙草をふかしている。
「おとん」おれが近よって声を掛けると、
「席に帰って観とれ。・・・あいつら、わいの芝居をわやくちゃにしやがってからに」と口汚く罵り、頭を抱えている。親父は親父なりに悩んでいるのだなあと思い、少し可哀相になり、おれは席にすごすごと引き上げる。「もうやめた。芝居なんかもうこりごりだ。金輪際やるもんか。誰がなんと言ってもやるもんじゃねえ」
と、帰って来て言うけれど、次の年も懲りもせず台本を書き、演出をしている。大人の世界も、親父の言葉も良く分からないけれど、乞食と役者と代議士は三っ日やったら止められぬと言う口癖が、親父を演劇へとかりたてているのだろうか。お袋は親父のそばでにこにこと笑っている。その笑いは半分以上親父の行動を諦めているものであるらしい。出来もしない決断をやっている親父に対して、笑って受けているお袋は本当に大きな袋を持っているのかも知れないと思う。
そんな家庭で生きているおれだから、他の子供中心の家庭で育っている友達とは少し違う。つまり、おれの意思を尊重すると言う親父の言葉は世間にはよく聞こえるが、言うなれば放任主義なのではなかろうか。面倒臭いと言うことなのではなかろうか。親父はなんでもおれが知りたいと思うことは教えてくれる。一を尋ねると十を教えてくれる。つまり教えたがり屋である。例えば帽子のことを聞くと、話は靴下まで及ぶと言うわけなのである。何時だったか、豊臣秀吉のことを聞いて非度い目にあった。なんと話は司馬遷の史記にまで遡ったのだ。しまったと思ったが後の祭りであった。教科書どうりには教えてくれないのだ。だから親父の教えてくれたことを解答にしたら×だった。豊臣秀吉をスッパ(忍者・スパイ)と書いたのだ。それを親父に言うと、×をつけた先生に解答を訂正しろとねじこんだので、先生は専門書を乱読しなくてはならなくなったらしい。おれはそれで先生からまた白い目で見られる羽目になった。奇人の親父を持つと子供は気苦労が多いいのだ。
「男と女のことで分からないことがあったらどんどん聞け」
これも親父の口癖である。店にはおなんの裸の写真が載っている雑誌や、ヤラ本のマンガも多いいので、おれに免疫をつくらそうと言う魂胆であるらしく、ここには書けないようなことを平気で口にする。おれが知りたくないのに、おれの頭に叩きこもうとする。だから、大抵の事は知っている。おれは時々不安になる。大人になったらどうなるんだろうかと。
これくらいでおれがどのような両親に育てられたか、そして、現在がこうなんだと言う判断の材料になったかな。
皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。
恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。
山口小夜著 「ワンダフル ワールド」
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。
作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
恵 香乙さん
山口小夜子さん
環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~
別の角度から環境問題を・・・。
らくちんランプ
K.t1579の雑記帳さん
ちぎれ雲さん
俺は天使か?
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どうも今日は嫌な予感がする。
西の空から東の空にかけて、灰色の雲が広がり、今にも雨が降りそうだ。こんな日は、親父の機嫌が特に悪い。四年前に遭った交通事故の後遺症で頭痛がすると言う。おれは背中にしょつているランドセルに入っている、漢字の書き取りテスト三十八点を見せるべきかどうか迷っていた。
「三十八点、バカヤロウ!どうせならゼロ点か百点をとってこい。中途半端が一番よくねえ」
と、大きな声で怒鳴られ、週刊誌を丸めて頭を四五発叩かれるに決まっている。今日のところはこっそりと、机の抽き出しにしまっておこう。それが家庭円満の秘訣だ。何も平穏な家庭に波風を起こすことはない。親父の血圧を上げることもない。おれも殴られずにすむし、お袋も親父に味方しようか、おれを庇おうかうろうろして迷わなくてもすむと言うものだ。俺は恨めしげに空を眺めた。
おっと、おれの名前は吉川勇太。市立壽小学校六年へ組十八番、出席簿は男でビリだ。なにせ、三月二十九日がおれの生誕の日だからチビでヤセだ。何が困るかと言うと、強い風の日にはよたよたとして前に進めないのだ。何時だったか、強い風の日に押し倒されてホールアウトをくらってしまったのだった。と言うわけだから、むろん、勉強もみんなより遥かに遅れ、勉強も体重と背丈に正比例をしているのだった。遅れたのは生まれが遅いばかりではない。小三の時に遊んでいて車とぶつかり大腿骨を折り、二 カ 月ほど入院したのも原因していると
思っている。折れた足はを釣り上げられ、それを毎日毎日恨めしく眺めて過ごした。あの時に九九の一つも覚えていたらよかったと後悔をしたが、それは寝小便と同じだろう。そんなおれだから、自慢じゃないが授業中に手など上げたことはない。おれが上げても、答えを間違い授業の流れが止まることとを知っている先生は絶対に当てない。勉強もスポーツもなじめない。まして、友情を深めるなんてとても出来ない。その上、顔も親父譲りで上等な作りではないから、クラスはおろか全校のメスガキにもてたためしがない。と言ってしまえばおれの取り柄はなにもないことになる。それでは淋しいので、のんびりしていることを上げておこう(どうか野呂間などと言わないで欲しい)。実はそれには深いわけがあるのだ。おれは、何事にも納得をしないと行動を起こさないだけなのだ。おれはおれが正しいと思ったら、機動戦士ガンダムが来ようが、ミサイルが飛んでこようがテコでも動かない。時として、その頑固さにはほとほとおれ自身も嫌気がさすが・・・。だけど、それよりなにより、おれはクラスではひょうきんものとして人気がある。それもオスガキにではあるが。それらをおれの取り柄としておきたいと思う。
おれの家は、茶店(サテン)をしている。が、お客が入っているところを余り見たことがない。店はお袋がやっていて、親父が手伝っているわけだけれど、どうもおれには親父が邪魔をしているように思えてしかたがない。百獣が住んでいるようなジャングル頭と、ゴキブリの巣のような鼻髭と顎髭を生やして、終日カウンターに腰を掛け、新聞を読んだり、週刊誌を見ていて、客が入ってくると、団栗と達磨を掛けたり割ったりしたような目でじろりと見据えるのだから、幾らお袋がこぼれるような笑顔を振り蒔き、
「いらっしゃいませ」と明るく声を掛けても、お客は帰ろうと言うものだ。店が暇なので、二人はあくびばかりしている。そのためにおれが学校から帰ると、良いおもちゃが帰って来たとばかり構う。店のテーブルで宿題をさせるのだ。そのおれの姿を見て時間潰しをしていると言うわけだ。だから、おれは帰った時にお客がいますようにと心の中で祈るのだ。客が一人でもいれば、おれはおれの部屋で好きなプラモデルいじりや、マンガや、ファミコンゲームをすることが出来るのだ。
あんちゃんは、中学二年生でハンドボール部に入っているので帰りが遅いから、おれのような思いをしなくてすむ。あんちゃんが帰る頃は多少店もたて混んでいるからだ。
「勉強をしなくては、好きなことも出来んぞ。今、学んでいることは、例えば家の土台のようなものだ。確りした基礎を造っていなくては、その上にどんな立派な家を建ててもすぐガタがくる。漢字が書けんでも、九九や分数が出来んでも飯は喰えるが、それでは余りにも貧しいではないか、さもしいではないか。人間はパンだけでは生きられないものだ。生きると言うことは、一人では生きられんものだ。楽しみ、悲しみ、笑い泣きをしなくてはならん。そのためには、どういう時に笑い、どういう時に泣くかを知らなくてはならん。それが勉強と言うものだ。だから勉強はしなくていいが多少は必要なのだ」 これが親父の口癖なのだ。そんな時、
「おとん、新人賞は何時取るん。直木賞は、芥川賞は・・・」と、おれは逆襲する。
親父は目を白黒させ、口をパクパクさせて、おれを恨めしげに睨みつけて黙りこむのだ。
「お父さんは、お父さんなりに一生懸命に勉強しているのだけれど、お父さんより、少し勉強する人がいて・・・。だから、勇太君も勉強しなくてはいけないのよ」
と、側で聞いていたお袋が、親父への助け舟を出すのだ。その言葉には多少皮肉が込められていたように思う。そんな時、ああこれが夫婦愛ってやつかとおれは思うのだ。
親父は売れない物書きだと言っている。店の二階の書斎兼寝室には壁一面にやたら難しそうな本が並んでいて、床が下がっている。階段にも雑誌が天井まで積上げてあって上がり下りが不自由なほどである。机の上にはなにも書いていない原稿用紙がドサット置いてあり、その上に太い万年筆が転がっている。屑篭には書き損じの原稿用紙が丸められて捨てられている。まるで書斎の風景は親父の言う売れない物書きのものだ。
おれ達一家は、年に二回演劇を観る。親父が台本を書き、演出をしたのを観るのだが、正直なところ良いのか悪いのかおれいは分からない。が、お客があくびをしたり、つまらなさそうな顔をしているので、たいしたことはないのだろう。親と子の付き合いもしんどいものだとそんな時つくづく思う。おれは付き合いだから、義理だから、真剣に演劇なんか観ず、小便にかこつけて外に出て遊んだり、自動販売機の缶ジュースを買って飲んだりしている。舞台裏を覗くと、親父が苦虫を潰したような顔をして、舞台の袖から役者の演技を睨み付けるように観ている。
「アホ!バカ!スカタン!マヌケ!教えた通りにやらんかい」と独り言を言い、やたら煙草をふかしている。
「おとん」おれが近よって声を掛けると、
「席に帰って観とれ。・・・あいつら、わいの芝居をわやくちゃにしやがってからに」と口汚く罵り、頭を抱えている。親父は親父なりに悩んでいるのだなあと思い、少し可哀相になり、おれは席にすごすごと引き上げる。「もうやめた。芝居なんかもうこりごりだ。金輪際やるもんか。誰がなんと言ってもやるもんじゃねえ」
と、帰って来て言うけれど、次の年も懲りもせず台本を書き、演出をしている。大人の世界も、親父の言葉も良く分からないけれど、乞食と役者と代議士は三っ日やったら止められぬと言う口癖が、親父を演劇へとかりたてているのだろうか。お袋は親父のそばでにこにこと笑っている。その笑いは半分以上親父の行動を諦めているものであるらしい。出来もしない決断をやっている親父に対して、笑って受けているお袋は本当に大きな袋を持っているのかも知れないと思う。
そんな家庭で生きているおれだから、他の子供中心の家庭で育っている友達とは少し違う。つまり、おれの意思を尊重すると言う親父の言葉は世間にはよく聞こえるが、言うなれば放任主義なのではなかろうか。面倒臭いと言うことなのではなかろうか。親父はなんでもおれが知りたいと思うことは教えてくれる。一を尋ねると十を教えてくれる。つまり教えたがり屋である。例えば帽子のことを聞くと、話は靴下まで及ぶと言うわけなのである。何時だったか、豊臣秀吉のことを聞いて非度い目にあった。なんと話は司馬遷の史記にまで遡ったのだ。しまったと思ったが後の祭りであった。教科書どうりには教えてくれないのだ。だから親父の教えてくれたことを解答にしたら×だった。豊臣秀吉をスッパ(忍者・スパイ)と書いたのだ。それを親父に言うと、×をつけた先生に解答を訂正しろとねじこんだので、先生は専門書を乱読しなくてはならなくなったらしい。おれはそれで先生からまた白い目で見られる羽目になった。奇人の親父を持つと子供は気苦労が多いいのだ。
「男と女のことで分からないことがあったらどんどん聞け」
これも親父の口癖である。店にはおなんの裸の写真が載っている雑誌や、ヤラ本のマンガも多いいので、おれに免疫をつくらそうと言う魂胆であるらしく、ここには書けないようなことを平気で口にする。おれが知りたくないのに、おれの頭に叩きこもうとする。だから、大抵の事は知っている。おれは時々不安になる。大人になったらどうなるんだろうかと。
これくらいでおれがどのような両親に育てられたか、そして、現在がこうなんだと言う判断の材料になったかな。
皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。
![](http://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/?pc=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f2860%2f28602585.jpg%3f_ex%3d128x128&m=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f2860%2f28602585.jpg%3f_ex%3d80x80)
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。
![](http://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/?pc=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f4340%2f43408219.jpg%3f_ex%3d128x128&m=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f4340%2f43408219.jpg%3f_ex%3d80x80)
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。
作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
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