yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

俺は天使か? (1) 2007/06/01

2007-06-01 01:50:51 | 童話の小部屋
連載中の「砂漠の燈台」「天使の赤褌」を書いている間、「俺は天使か?」を連載させていただきます事をお許し下さい。  

  俺は天使か?       

1

 どうも今日は嫌な予感がする。

 西の空から東の空にかけて、灰色の雲が広がり、今にも雨が降りそうだ。こんな日は、親父の機嫌が特に悪い。四年前に遭った交通事故の後遺症で頭痛がすると言う。おれは背中にしょつているランドセルに入っている、漢字の書き取りテスト三十八点を見せるべきかどうか迷っていた。

「三十八点、バカヤロウ!どうせならゼロ点か百点をとってこい。中途半端が一番よくねえ」

と、大きな声で怒鳴られ、週刊誌を丸めて頭を四五発叩かれるに決まっている。今日のところはこっそりと、机の抽き出しにしまっておこう。それが家庭円満の秘訣だ。何も平穏な家庭に波風を起こすことはない。親父の血圧を上げることもない。おれも殴られずにすむし、お袋も親父に味方しようか、おれを庇おうかうろうろして迷わなくてもすむと言うものだ。俺は恨めしげに空を眺めた。

 おっと、おれの名前は吉川勇太。市立壽小学校六年へ組十八番、出席簿は男でビリだ。なにせ、三月二十九日がおれの生誕の日だからチビでヤセだ。何が困るかと言うと、強い風の日にはよたよたとして前に進めないのだ。何時だったか、強い風の日に押し倒されてホールアウトをくらってしまったのだった。と言うわけだから、むろん、勉強もみんなより遥かに遅れ、勉強も体重と背丈に正比例をしているのだった。遅れたのは生まれが遅いばかりではない。小三の時に遊んでいて車とぶつかり大腿骨を折り、二 カ 月ほど入院したのも原因していると

思っている。折れた足はを釣り上げられ、それを毎日毎日恨めしく眺めて過ごした。あの時に九九の一つも覚えていたらよかったと後悔をしたが、それは寝小便と同じだろう。そんなおれだから、自慢じゃないが授業中に手など上げたことはない。おれが上げても、答えを間違い授業の流れが止まることとを知っている先生は絶対に当てない。勉強もスポーツもなじめない。まして、友情を深めるなんてとても出来ない。その上、顔も親父譲りで上等な作りではないから、クラスはおろか全校のメスガキにもてたためしがない。と言ってしまえばおれの取り柄はなにもないことになる。それでは淋しいので、のんびりしていることを上げておこう(どうか野呂間などと言わないで欲しい)。実はそれには深いわけがあるのだ。おれは、何事にも納得をしないと行動を起こさないだけなのだ。おれはおれが正しいと思ったら、機動戦士ガンダムが来ようが、ミサイルが飛んでこようがテコでも動かない。時として、その頑固さにはほとほとおれ自身も嫌気がさすが・・・。だけど、それよりなにより、おれはクラスではひょうきんものとして人気がある。それもオスガキにではあるが。それらをおれの取り柄としておきたいと思う。

 おれの家は、茶店(サテン)をしている。が、お客が入っているところを余り見たことがない。店はお袋がやっていて、親父が手伝っているわけだけれど、どうもおれには親父が邪魔をしているように思えてしかたがない。百獣が住んでいるようなジャングル頭と、ゴキブリの巣のような鼻髭と顎髭を生やして、終日カウンターに腰を掛け、新聞を読んだり、週刊誌を見ていて、客が入ってくると、団栗と達磨を掛けたり割ったりしたような目でじろりと見据えるのだから、幾らお袋がこぼれるような笑顔を振り蒔き、

「いらっしゃいませ」と明るく声を掛けても、お客は帰ろうと言うものだ。店が暇なので、二人はあくびばかりしている。そのためにおれが学校から帰ると、良いおもちゃが帰って来たとばかり構う。店のテーブルで宿題をさせるのだ。そのおれの姿を見て時間潰しをしていると言うわけだ。だから、おれは帰った時にお客がいますようにと心の中で祈るのだ。客が一人でもいれば、おれはおれの部屋で好きなプラモデルいじりや、マンガや、ファミコンゲームをすることが出来るのだ。

 あんちゃんは、中学二年生でハンドボール部に入っているので帰りが遅いから、おれのような思いをしなくてすむ。あんちゃんが帰る頃は多少店もたて混んでいるからだ。

「勉強をしなくては、好きなことも出来んぞ。今、学んでいることは、例えば家の土台のようなものだ。確りした基礎を造っていなくては、その上にどんな立派な家を建ててもすぐガタがくる。漢字が書けんでも、九九や分数が出来んでも飯は喰えるが、それでは余りにも貧しいではないか、さもしいではないか。人間はパンだけでは生きられないものだ。生きると言うことは、一人では生きられんものだ。楽しみ、悲しみ、笑い泣きをしなくてはならん。そのためには、どういう時に笑い、どういう時に泣くかを知らなくてはならん。それが勉強と言うものだ。だから勉強はしなくていいが多少は必要なのだ」 これが親父の口癖なのだ。そんな時、

「おとん、新人賞は何時取るん。直木賞は、芥川賞は・・・」と、おれは逆襲する。

 親父は目を白黒させ、口をパクパクさせて、おれを恨めしげに睨みつけて黙りこむのだ。

「お父さんは、お父さんなりに一生懸命に勉強しているのだけれど、お父さんより、少し勉強する人がいて・・・。だから、勇太君も勉強しなくてはいけないのよ」

 と、側で聞いていたお袋が、親父への助け舟を出すのだ。その言葉には多少皮肉が込められていたように思う。そんな時、ああこれが夫婦愛ってやつかとおれは思うのだ。

 親父は売れない物書きだと言っている。店の二階の書斎兼寝室には壁一面にやたら難しそうな本が並んでいて、床が下がっている。階段にも雑誌が天井まで積上げてあって上がり下りが不自由なほどである。机の上にはなにも書いていない原稿用紙がドサット置いてあり、その上に太い万年筆が転がっている。屑篭には書き損じの原稿用紙が丸められて捨てられている。まるで書斎の風景は親父の言う売れない物書きのものだ。

 おれ達一家は、年に二回演劇を観る。親父が台本を書き、演出をしたのを観るのだが、正直なところ良いのか悪いのかおれいは分からない。が、お客があくびをしたり、つまらなさそうな顔をしているので、たいしたことはないのだろう。親と子の付き合いもしんどいものだとそんな時つくづく思う。おれは付き合いだから、義理だから、真剣に演劇なんか観ず、小便にかこつけて外に出て遊んだり、自動販売機の缶ジュースを買って飲んだりしている。舞台裏を覗くと、親父が苦虫を潰したような顔をして、舞台の袖から役者の演技を睨み付けるように観ている。

「アホ!バカ!スカタン!マヌケ!教えた通りにやらんかい」と独り言を言い、やたら煙草をふかしている。

「おとん」おれが近よって声を掛けると、

「席に帰って観とれ。・・・あいつら、わいの芝居をわやくちゃにしやがってからに」と口汚く罵り、頭を抱えている。親父は親父なりに悩んでいるのだなあと思い、少し可哀相になり、おれは席にすごすごと引き上げる。「もうやめた。芝居なんかもうこりごりだ。金輪際やるもんか。誰がなんと言ってもやるもんじゃねえ」

と、帰って来て言うけれど、次の年も懲りもせず台本を書き、演出をしている。大人の世界も、親父の言葉も良く分からないけれど、乞食と役者と代議士は三っ日やったら止められぬと言う口癖が、親父を演劇へとかりたてているのだろうか。お袋は親父のそばでにこにこと笑っている。その笑いは半分以上親父の行動を諦めているものであるらしい。出来もしない決断をやっている親父に対して、笑って受けているお袋は本当に大きな袋を持っているのかも知れないと思う。

 そんな家庭で生きているおれだから、他の子供中心の家庭で育っている友達とは少し違う。つまり、おれの意思を尊重すると言う親父の言葉は世間にはよく聞こえるが、言うなれば放任主義なのではなかろうか。面倒臭いと言うことなのではなかろうか。親父はなんでもおれが知りたいと思うことは教えてくれる。一を尋ねると十を教えてくれる。つまり教えたがり屋である。例えば帽子のことを聞くと、話は靴下まで及ぶと言うわけなのである。何時だったか、豊臣秀吉のことを聞いて非度い目にあった。なんと話は司馬遷の史記にまで遡ったのだ。しまったと思ったが後の祭りであった。教科書どうりには教えてくれないのだ。だから親父の教えてくれたことを解答にしたら×だった。豊臣秀吉をスッパ(忍者・スパイ)と書いたのだ。それを親父に言うと、×をつけた先生に解答を訂正しろとねじこんだので、先生は専門書を乱読しなくてはならなくなったらしい。おれはそれで先生からまた白い目で見られる羽目になった。奇人の親父を持つと子供は気苦労が多いいのだ。

「男と女のことで分からないことがあったらどんどん聞け」

 これも親父の口癖である。店にはおなんの裸の写真が載っている雑誌や、ヤラ本のマンガも多いいので、おれに免疫をつくらそうと言う魂胆であるらしく、ここには書けないようなことを平気で口にする。おれが知りたくないのに、おれの頭に叩きこもうとする。だから、大抵の事は知っている。おれは時々不安になる。大人になったらどうなるんだろうかと。

 これくらいでおれがどのような両親に育てられたか、そして、現在がこうなんだと言う判断の材料になったかな。


皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・。

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
恵 香乙さん

山口小夜子さん

環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~
別の角度から環境問題を・・・。
らくちんランプ
K.t1579の雑記帳さん
ちぎれ雲さん

ハッパ文文

2005-07-02 14:58:09 | 童話の小部屋
    童話 

ハッパ 文 文

                          

木 林   森





俺の名前は吉川勇太と言うんだ。市立寿小学校六年へ組十八番、出席簿は男でビリである。おれはよくランドセルが歩いていると言われる。その表現で大方の想像が出来ると思う。

 運動会が終わって暫らく経ったある日のこと、学校から帰ると机の上に一通の手紙が乗っていた。おれは今までに誰からも手紙など貰ったことはなかったし、無論のこと出したことなどなかった。

 その点、親父は手紙を書くことが病気のような人だった。が、おれはその反対で、書くのは字を書くことはおろか、背中を掻くことも退儀な性分だった。なんでもお袋に一目ぼれした親父は一日に何通ものラブレターを書いて送り、心を掴んだと言うことだった。それが昂じて他人の心まで掴もうとつまらん戯作を書いたり、売れない小説を書いたりして遊んでいる。詰まり、茶店をしているお袋の紐になっているということか。その親父のラブレターで、鉄砲風呂が沸いたと言うことが、親父のエネルギーの証明であろう。これは、親父の時代の言い古された苔のついた逸話であって、現代では、その重たさのため郵政省のオートバイがパンクをしたとか、はたまた情熱の吐息でNTTの回線がパンクしたと言う表現に変えなければならないだろうか。 手紙が人間の心にどれほどの動揺を与えるか、何だか息ぐるしくなった。机に手紙が張りついたように感じられた。ひっぺがえすのに大変なエネルギーがいるように思えた。それだけその存在は大きくおれの心に広がりのしかかっていた。表書きに「吉川勇太様」と書かれてあった。その文字は今までおれが生きてきて知っている誰の文字より綺麗で美しく可憐で優しく愛情が魂が込められているように思えた。心が震えおまけに手も震え足も震え、身体中が暖かく顔からは湯気が発っているようだった。不安、焦燥、好奇、それらの未知の感情がおれの小さな心の中でミックスジュースになっていた。

「勇、何をしとるんなら」と、親父の声がしなかったら、おれは金縛りのような状態を続けていなければならなかったであろう。その親父の濁声で我に返ったのだ。

「いいや、何も・・・。なにも」突差に声は出なかった。  

「今の心の動きは、人間にとって健康的で良いことだ。つまり、昂奮すると身体の血管とう血管のに血が俄然駆け巡る、日ごろ行っていない毛細血管にとどきそこに溜った汚れを綺麗にする作用がある。人生において何が大切かと言うと、心のときめきを置いてほかにないと言っても過言ではない・・・」親父がしゃべり出したら、心理学から病理学、朱子学に陽明学、まで発展しそうなのでおれは慌てて言葉を横取りをすることにした。

「手紙が、おれはこんなことは初めてではないよ。学校のおれの下駄箱の中には登校時下校時に一杯にはいっとるんじゃけえ」

「さもありなん。この親にしてこの子、もてない道理はないのだわい。じゃがー嬉しいことを隠し、悲しいくせに笑顔を見せるなんざぁ、それは余程の賢人か、心を偽る小心者か、はたまた余人を騙す詐欺師かや。この愚か人よ、笑え、泣け、心のまんまの色を顔に出し、言葉に変えよ」親父はなんと、外郎{ういろう}売りのセリフを、市川団十郎のように大きく目を剥き、大袈裟な動作まで付けて言った。

「なんか悪いもんでも食うたんか、おとんよ」おれは親父をまじまじ見つめて言った。

 親父の顔は台詞を忘れた役者になった。

「親父、この手紙が読みたいんじゃろう。キリキリ白状致されませ」どうもこの辺が親父に似て乗りやすく、軽薄なところらしい。

「ハハァ、お奉行様の御眼力恐れ入ります。よしなにお裁き下されませ」親父の奴、畳の上に平伏して言った。

 このペースに巻き込まれてとんだ目にあったことを思い出していた。この手で隠していた通信簿を出してしまったことがあったのだ。その時も、なんのことはない、在り来たりの冗談から始まり、それに乗せられて悪る乗りをしたあげくに、催眠術をかけらた状態にされた。その手に乗ってたまるか。今度はこの紅葉のような手に乗せてやると心に誓ったのだった。

 まあ、この親子のやりとりを外の人が見聞きしていたら、精神病院の電話番号を回していただろう。それ程、奇特の親子であった。「ほんなら、読んでもええで」とおれは手紙を取って親父の前に出した。

「それはいかん。憲法違反になる。日本がまだ講和条約を結ぶ前には、GHQによって親書の検閲があった。これは戦時中でも憲兵もやらなかったものだ。考えてみろ、今は、言論の自由、思想の自由、集会結社の自由が保障されている民主主義の法治国家である。幾ら親権を以てしてもそれは出来ることではない。いくら創作の参考にしたいと言う善意のものであっても、それは余りにも出歯亀根性と曲解されても仕方がない行為になる。・・・例えば、床に落ちていてそれを拾った拍子にチラリと読めたと言う偶然があったとしても、それは差し出した人に、受け取った人に対して申し開きの出来ない秘密を持ったことになり、悩みを抱えこんだことになり、この悩みは他人に伝えることによって軽くなると言う質のものであるだけにややこしい。とにかく、何もなかった。おとんがここに現れなかった。机の上におまえへの誰かの手紙があったが、おとんはどんな子なんだろうか、何を書いているんだろうか、それを読んだ時に我が息子はどのような心境になるのだろうか、ひっくり返るのか、返らないのか、これからどうするんだろうか、など一切考えなかったと言うことにしなくてはならん。つまり、その手の好奇心、探究心、詮索心、やっかみ心、嫉妬心・・・」最後には親父も自分が一体何を言っていたのか分からなくなってしまったらしい。まあ、売れない物書きは何にでも興味を持ち題材にしようとするものらしい。いじらしい、可愛いと思えば許せることではないか。そう焦りなさんなと優しく言葉を掛け労ってやりたいくらいだ。

 親父は頭をかきかき悄然として出て行った。まるで土俵際まで押し出していて勇み足で負けた力士のようだった。その背は中年男の哀愁ならね悪臭が漂っていた。

 親父の出現によって、手紙は一つの心の表現をしたためた一枚の紙切れと言うものに変わった。何だか気持ちが軽くなって平常心で開封できた。おっと、裏書には、中山由美とマンガ文字で書いてあったことを伝えておかなければなるまい。

 中山由美と言う子は、六年ほ組の目もとパッチリ、お口ポッチリ、お鼻マンマルって子なのだ。メスガキの中では、おれに手紙を書くと言うほどの才媛とは思えない。つまり、可愛いが、才長たおれには少し幼すぎる。が切角だから、まあ、読むことにしょう。

 中から取り出して広げてみると、花柄を散りばめ浮き立たせた便箋に甘えたような小さなマンガ字でびっしりと埋めていたのだ。おれは、どうもこのてのマンガ文字と言う奴が嫌いだ。なんだか今の軽薄な大人の無人格、没個性を象徴しているようで将来が不安になる。まあ、そんなことはいいか。それには、風呂上がりにおれの鼻をくすぐるお袋の匂いがした。それと、もう一つ懐かしい匂いがかすかにしていたが、その匂いをすぐにはは思い出せなかった。

 謹啓 拝啓 前略

 私、手紙を初めて書くものですから何をどう使っていいのか分かりません。勇太君の好きなものを採ってください。その場合これだと思うものに丸をしてください。

 突然に手紙を差し出します御無礼を平にお許しください。あのね、これは何を隠そう春の大掃除のときに、押し入れから出てきたパパのママへのラブレターの書き出しなの。だってどう書いていいのか本当分にからなかったんだもん。

 チェ!ここまで読んでおれは先を読むのがアホらしくなった。そうだ、あの匂いはおれがまだ一歳の頃にお袋の乳房にぶらさがり、栄養を補給していたときに嗅いだ母乳の匂いだったことを思い出した。とすると、由美の奴はまだ母乳を飲んでいるのだろうか。

 そのとき、おれは、由美のセーラー服の胸の辺りが僅かにこんもりと隆起していたのを思い出した。セーラー服がなんだか窮屈そうに、布地を一杯に緊張させていたのを思い出した。

「十二と言えば、昔なら嫁に行く準備がだんだんと出来ているときでもあった。心も身体も。あの時代には、十四、十五で輿入れをしたものだ。早熟であったのではない。女は初潮があればもう立派な大人とみなしたのだ。大人ならどこの誰に嫁そうが問題ではなかった。が、男は十五で元服をし前髪を落としまげを結った。それで初めて男になったが、経済的基盤がのうては嫁を貰うことも出来なかったのだ。お前は、江戸時代であったなら職もなく、嫁はおろか、猫の子も、犬の子も貰えはしない、部屋住の身なのだ」といつもの親父の長話を思い出していた。

「男はあるものを見たり、聞いたりすればあるものが緊張し、心が激しく揺れるものだ。まあ、それが人間の自然の生理でもあるわけだが、それは、邪欲、陰欲と言って「往生要集」では地獄に落ちることになっている。まあ、なんと言うか、禁欲の進めではなく、風俗の乱れを戒めようとした時の政所が仏教の小乗教の中の戒律をうまく使ったと言うことになる。が、貝原益軒の「養生訓」にもそのようなことも書いてあったと思う。からしてむやみに欲情してはいかんと言うことかな。だが、この人と心に決めた人にだけ、そのエネルギーを残しておけと言う事かな」どうも親父の言葉を引用すると長々となって一体何を言いたいのか、訳が分からなくなるきらいがある。おれ流に翻訳すると、好きな女にだけ欲情しろと親父は言いたいのだろうか。親父はおれを何歳だと思っているのだろうか。おれを将来性風俗評論家にしたいのだろうか。厄介な親父を持つと将来が不安で、現在をどのように生きればいいのか分からなくなるのだ。悪気がないだけに余計に困ったものだ。血が繋がっているだけに、将来のおれを見ているようで情けなくなる。小六のおれの悩みとしては少しどうかと思うのだが。

 そのことは少しおいて、手紙を続けよう。前置きはこれくらいにして、私、中山由美て言うの。たぶん、知っているだろうと思うんだ。六年の中では目立っているから、勉強もオール五だし、スポーツも今まで誰にも負けたことはないし、ピアノは這いだしたときくらいから習っているし、バレーは立ち立ちした頃から先生についたし、英語はバァブ、バァブと言いだした頃から方言のない正統派なイングッシュを、算数は、国語は、理科は、社会は、書道は、美術は、道徳は、全部専門の先生がついていたから。

 だけど、なんだかつまらないの、近頃。これを女の子の思春期て言うのかしら。この前授業中に目を運動場に向けたの、そこには、勇太君の、溌剌として、凛凛しい姿があったの。それは、なんの目的もなくただひたすら走っている、風を切っている。押しのけている。泳いでいる。飛んでいる。そうする事がなんの見返りも尊敬もない行為だというのにきらきらと輝き、額の汗が最後の一滴の水のように思えたのだけれど、なんのおしげもなく地上に返している。その行為を見ていてなんとも快かったの。勇太君とは一体なんなんだろうかと考えたの。

 私には、いつも、これをすれば、こうしなくては、百点は取れない。とか、恥ずかしいとか、情けないとか、悔しいとか、両親に申し訳ないとか、先祖に相済まぬとか、ブッシュに、海部に{前者はうちの猫で、後者は当家の愛犬}顔向けが出来ないとか、色々と気にしながら、気を使いただひたすら好む好まざるに関係なく勉学にいそしみ、道徳と常識を侵さず、破らず、越えずに暮してきました。それは、結果を目的にしてしか生きててこなかったと言うことになり、私の自主的な精神は一辺も存在しなかったと言うことなのでしょうか。そのことがなんだかとても不純なことのように思えだしたの。今までのことが総てなんの意味も持たないことのように感じだしたの。そう考えるとなんだかとても虚しくて、寂しくて、切なくて、やりきれなくて。勇太君の姿が何故あんなに新鮮に映ったか、考えたの。間違っていたら教えてね。それは、家庭に大きな原因があり、人生観、宇宙観、人間観、そして、なんのために生きるのかと言うことが、どのように生きるのが人間であり、人生なのかを教えられているのではないかと思ったのです。言ってみれば、二十まで養育する義務のある両親の考え方の違いではないのかと思ったのです。父は東大を出て、税務署長ですし、母は御茶ノ水を出ていて、兄の通う中学のPTAの会長をしています。この前まで父と母を大変誇りとし、尊敬をしていたのですが、今では、長の付くのが好きな心貧しい人に見えてきました。だってキリスト様は決して税を取り立てる人になってはいけないとおっしゃり、お釈迦様は人の上に立つ人になる資格を心豊かな人で、慈悲溢れる人でなくてはかなわないと説いています。この前、勇太君に逢えたらこの悩みを聞いて欲しいなぁと思い行ったのですが、勇気がなくは入れませんでした。お店の前を行ったり戻ったり何十回としました。英語のワシントン先生が来られる日でしたが、この悩みが心に居座るかぎり勉強なんかどうでもいいと思えたのです。もう諦めて帰ろうかと思っていたところ、お店から類人猿が出てきて、表の駐車場に水道ホースで水をまきだしたのです。御免なさいね、勇太君のお父様だったんですね。髪と髭の中に二つの大きなエスカルゴのようにおいしそうな、優しい輝きを放つ瞳が、あぐらをおかきになったお鼻が、勇太君にそっくりでしたから。そう思っているときに、お父様はお尻から機関銃を撃つた時のような勇ましく激しいおならをなさったのです。私は、あのような大らかなおならを聞くのも、嗅ぐのも始めてでしたから「あらまあ、素敵」と言ってしまったのです。それは、うちではおならなど出るものではないし、人様の前でおならをすることは死に値するほどの恥辱だと教えられています。が、なんということでしょう。あのロックバンドのような心を振るわせる響きは。

 私は、ようやく、勇太君のあの屈託のない笑顔がどこから出てくるのか分かったような気がして家路につきました。陽は暮れかかり、西の空には南洋にしずむ大きな太陽があったのです。そのように見えたのです。 

 ここまで読んで、ウーンとおれは唸ってしまった。最初のところは、まるでねんねが甘えたような事を書いておいて、だんだんと自分のペースに引き込むなんざぁ、味なことをやるではないか。多少の間違いは、この文章の説得力で堪えなくてはなるまい。と言うもの、この手紙を読むのに指先の激しい運動がいった。小六のメスガキの使う語彙より、まるで史記を読んでいるようで、手元に辞書がなかったら決して前に進めないのだった。「人とは話てみろ、犬には吠えてみろ、猫は投げてみろ、そしてそれを判断の材料にしろ」これも親父の口癖である。

 月は東に陽は西に。東西南北緯度経度。読書は人のためならず。苦労は貰ってでもしろ。女は力で男は涙。屁のラッパ。女の面は金次第。パンツは脱いでもズボンは脱ぐな。噂は天下の回りもの。地獄のさたも顔次第。自自惚れ紙一重。雄弁は代議士沈黙も代議士。子はつっかい棒・・・。どうも、寝つきが悪く、うとうととしている間に変な夢を見たらしい。おれは、頭が重く、低血圧のようにしばらく起き上がれなかった。

「勇太君、時間ですよ」と、お袋の蛙の鳴くような声がおれの鼓膜を振るわせた。

「はぁーい」と、答えるのにだいぶ時間がかかった。なんだか夢をまだ見ている感覚だった。

「例えば、雨が降っていたとする、そのときには濡れないように傘が必要だ。傘など必要ではないと濡れるのは勝手だが、それはまあ、日本の野党のようなもので、ただ反対反対と叫ぶだけでは、なんの解決にもならんと言うことだわ。オームには悪いが、議員の代わりに議会に出て貰って反対反対とオーム返しをして貰っていたほうが、餌代が安くつくと言うものだ。反対をするには、しかるべき代案がなくてはいかんと言うものだわ。つまりどうして反対をするのか、がはっきりしていなければならぬと言うことだわ。インテリーの屁のつく理屈ではのうて、主義主張ではのうて、弱者の立場に立った真実の言葉でのうては受け入れられはせぬと言うのもじゃわな。良いことと、悪いこととの判断の基準がのうては賛成も反対も出来はしまい、と言うものじゃわな」味噌汁を啜りながら、髭に吸わせながら親父が何を一体言いたいのか、言った。遠回しにおれにアドバイスをしているのだろうか。朝方、ベットのそばを一頭のマントヒヒが通り過ぎたのをかすかに覚えている。そして、明かりが点き、机を開ける音がし、ガサゴソと捜す音がしていたのだった。親父は手紙を読んだのだ。その答えとして、野党の与党のと言うことをおれに言っているのだ。

「それは、なんのことかよう分からんが、とにかく、いうてみれば、簡単に言えば、真理は一つじゅけえど、その一つを見分けるのには比較対照してみんと分からんと言うことじゃろお。そして、善悪は、それぞれ個人差があって、押し付けてはおえんと言う事じゃろう」おれは、味噌汁を流し込み、パンを頬張り、ハムエッグを突きながら言った。

「まあ、その人その人の、あらゆる状況を考えて判断をすることが正しいのではないかと思うのだが・・・」それ以上は口をパァクパァクさせていた。

「何を訳の分からないことを言っているのですか。お父さんは、大きないびきの波のうねりの間に、謹啓、拝啓、前略、敬具、早々、かしこ、最愛なる、心をまどわす憎い奴。とか、うす気味悪い笑いを浮かべながら寝ごとを言うし。下からは、女の面は金次第、屁のラッパ、女は力で男は涙。とかの、うなされた叫びが聞こえてくるし、一体どなっているの。なにがあつたの、二人ともおつしゃい。私に何か恨みでもあるの。一睡も出来なかったではないですか」お袋が、かなきり虫のようなかなきり声をあげた。

「それは・・・」親父が突然立って言った。「そ・り・ゃ・ああああ・・うう・・いい」おれの喉にエッグが詰まった。

「そうだぜ。何か僕達に内緒で、親父と勇太が食べたものが、悪かったのではないんか」あんちゃんがいじきたないことを言った。

「それは、その、なんだ。つまり、おとんは手紙を書く夢を見ていたのだ」

「僕は、格言の研究をしていたのだよ。宿題なんだ。鬼の明楽はろくでもねえものを宿題したもんじゃ。みんなに迷惑を掛けてからに」おれは、鬼の精にした。このようなときには気楽に悪い役を押し付けることが出来るから便利だ。心が痛まないのがいい。

 おれは急いで残りの食事をかきこんで、ランドセルをかついで飛び出した。

 由美の顔が景色の中に浮かんで、フアフアと揺れていた。そのために、石に躓き転び、どぶ板を踏み外した。何と、由美が見た太陽は南洋のように大きかったらしいが、おれには黄色に見えた。由美が投げた一通の手紙がおれに与えた影響は、今までおれが感じたことのない世界をもたらしてくれたようである。それは小六のおれには少し大きすぎ、背負うことも、抱くことも叶わないもののようであった。それが、おれに寝ごとを言わせたり、太陽を黄色く見せたりしているのではあるまいか。

「吉川!よしかわ、授業中に寝る奴があるか。それもこっそりとなら可愛いが、いびきをかいて寝るとは何事か」鬼の明楽の声がおれの耳もとでした。

「はい。屁のラッパ。女は力で男は涙。女の顔は金次第・・・」急いで立ってそう言った。完全に寝ぼけていた。

「それは私への当付けですか、顔を洗って、運動場二十回」鬼は口を耳まで広げて言った「ただひたすら走っている。風邪を切っている。押しのけている。泳いでいる。飛んでいる。はつらつ、りりしい・・・」由美の書いた手紙の文章が、由美の言葉となって耳の奥に忍び込んできていた。汗が息が大地に落ちていた。

「なんてことはないよ。誰だって何にもわかっちゃいないんだもの。マラソンの選手だって、ただ無心にゴールを目指すだけなのだから。だけど、おれ達には、ゴールなんかないんだ。生きるってことはゴールを目指すことではないんだ。ゴールまでどのように走るかなのだってことなのだ。由美君がいま感じている疑問は、きっと、ゴールへの最初の一歩なんだよ。これから、色々の悩みや、色々な物が立ちはだかるだろうよ。だけど無心、無欲、無無無、それが、どれほどの勇気と忍耐力をもたらしてくれるかも知れないのだ。とにかく、疑問を感じない奴は、どこかに妥協があるよ。妥協をするのは、勉強不足だからこそ織り合うのだよ。若いって事は心が純真なんだから、妥協をして純白の心を汚すことはないんだよ。小六は、いや、おれ達はこれからも、汚れない真っ白な心のままに生きていかなくてはな。おれに手紙を書いただけでも心は少しは晴れたろう。まあ、いいか、」 おれは走りながら由美への返事を書いていた。六年ほ組の教室の窓がきらきらと太陽の明かりを受けて輝いていた。その反射の光が由美の瞳の輝きのようであった。

 この手紙は、中山由美の下駄箱にそぅと

入れておくよ。心を惑わせた憎い奴由美と書いて。





































   


星の光

2005-07-02 14:54:35 | 童話の小部屋
星の光 (「見上げてごらん夜の星を」の劇中の童話)

                     

 木林  森 (吉馴 悠)



 むかし、むかし遠い国に、みなしごのラルという少年が住んでいました。

     ラルのお父さんとお母さんは隣の国との戦争で亡くなったのでした。

     ラルは羊飼いのお爺さんと暮らしていました。

     ラルはお父さん、お母さんがいなくても淋しいと思ったことがありませんでした。

     それは、優しいお爺さんがいたからでした。

     毎日毎日、ラルはお爺さんと羊を追って草の茂る野原に出掛けたのです。

     ある日、ラルが野原に出ると、そこには花がいっぱい咲いていました。

     羊達は喜んでその中を走り回り、食べはじめました。

     「花が可哀相だ」とラルは思いました。

     そのことをお爺さんに言いました。

     「ラルよ、花が美しく咲くのは、蜂や蝶々や鳥に食べられるためなんだよ。そして、羊に食べられふみにじられるために咲いているんだよ」

     とお爺さんは言いました。

     「美しい花はほんのひとときでほろびるものなんだよ。だけど、花はそれで終わることはないんだよ。毎年毎年この季節になれば、また、美しく花を咲かせるんだから、そのことは神様と約束をしているんだから・・・」

     そう、お爺さんに言われて、ラルはそうなんだ毎年毎年花を咲かせるのはそのような神様との約束があるからなのかと思いました。

     ラルはお爺さんの話を思い出しながら、堅いベッドに横になり一日の疲れをとるのでした。

     「トントン、トントン」と戸をたたく音でラルは目をさましました。

     ラルは起き上がり戸をあけると、ひとりの少女が立っていました。

     「どなたですか、道を間違われたのですか」

     とラルはその少女に声をかけました。

     「いいえ、星を見にきたのです。この家は丘の上にあるでしょう、だから、星に手が届くのでないかと思って」少女はやわらかな声で言いました。

     「星を・・・」

     「はい・・・一緒にどうですか」

     「ぼくとですか・・・。こんなに夜遅くでは恐くありませんか」

     「いいえ、星があんなに輝いているのですもの。・・・あなたの、お父さまお母さまもあの星の一つ一つなのですよ」

     「ええ、あの星がお父さんお母さんなのですか」

     「ええ、そうよ」

     「お爺さんは、星は花の精だと言っていましたよ」

     「いいえ、あの星は、戦争でなくなった人の、平和へのともしびなのですわ」

     「平和への燈・・・」

     「そう、辛いとき、悲しいとき、淋しいとき、苦しいとき、じっと見守ってくれているのですわ」

     「それで、君はあの星をどうしようと・・・」

     「ええ、もっと高いところから星を見つめて祈るのですわ、淋しい事もあるけれど、このように元気でいますとみてもらうのですわ」

     「君のお父さんお母さんは・・・」

     「この前の戦争で・・・」

     「ぼくの、お父さんやお母さんも・・・」

     「さあ、ラルもっと上に登って星をさがしましょう」

     ラルはベッドより起き上がろうとしました。

     その時、

     「ラル、行ってはならん」

     お爺さんの大きな声がしました。

     「星は、辛いとき、悲しいとき、淋しいとき、苦しいとき、以外に見るものではないんだょ」

     とお爺さんは続けて言いました。

     「幸せなときには見てはいけないの」

     ラルはお爺さんに問いました。

     「そうじゃ」

     「だったら、この少女は・・・」

     と言って、戸口を見ると少女はいなくなっていました。                               

     「ラル、今日、花が可愛そうじゃと言ったろう、だから、ラルの優しさに花の精が人間となって、ラルに恩返しにきたのじゃろう」

     お爺さんの声は風の音のように消えました。

     次の日、戸口の外にはたくさんの花びらが落ちていました。

     ラルは星を眺めることもなくすくすくと育ちました だけど、少しだけ星を見上げることがありました。