yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

青春譜

2005-07-03 17:52:36 | 話の小部屋

yuuの青春譜



子供のころ、青春のころを思い出しては少しずつここに記してみたいのです。

楽しかったり、残酷であったり、成長の段階で躓きながら歩んだ日々を・・・。



第二段階

30を過ぎて私の人生行路を大きく変えた。

生きる価値を変えたのである。劇場の文芸部、ルポライター、新聞記者、TV関係の仕事をすべて断ち切って、平凡にも生きる生き方に変えたのである。

それは、妻が結婚前に大きな交通事故にあい、3年間の入院生活をしたということに起因しているのかもしれない。生きるという意味を真剣に考えた結果、金とか名誉に無縁の生き方、それを追い求めない生き方に変えたのである。それまでに脚本賞、小説の賞は頂いていたのであるがそれらをすべて捨てた。

価値観の変革をしたのである。

愛するものと本当に真剣に生きることを大切に考えたのである。

だが、世間はそれれを許すことはなかった。新聞にTVにラジオにたびたび登場することになった。私は好きなことをして生きることに専念したかった。誰がどこように言おうが、私の道を歩んだ。

青年演劇、少年劇に接することで私も大いに勉強になったし、何かを考えてくれれば良いとの思いはそれらの人に通じたと思う。

それでいいと思う。背伸びせずのんびりとゆったりと生きる価値を見つけられたのですから・・・。



オリンピックの野球が負けた。長嶋に金を、なんて考える、そのために税金を使ってアテネに何をしに行ったのか、考え違いをしないで頂きたい。国民のためでなくてはならないのに長嶋のために金を取ってくる、なんと言う輩だろうか、負けてよかったのである。何でも欲しがる長嶋のためになんて動機が不純なのです。長嶋が自分の身銭を切って世の中に何をしたのだろうか。あんなに金を自分のためだけに稼いで何も還元しない男は稀である。そんな男がどうしてもて囃されるのか不思議である。
 男の約束を破った球界の一番手は長嶋なのである。南海は何にも言わずによくやったと思う。
 野球を愛する人たちは少し考えてみてはいかがかしら・・・。



 小町がだんだん形になっていく。小町の姿が見えてきた。顔かたち、瞳の大きさ、鼻の高さ、朱唇、腰に垂れる豊穣な黒髪などがだんだん見えてきた。こうなればこっちのもの90パーセントが出来たようなものです。
 才色兼備の美人であった。が謎が多しぎる。文徳天皇の皇太子惟仁と惟喬太子との確執に、藤原家と紀家の争いに・・・詰まり政変に巻き込まれた形跡が見てきた。
 小野家と文徳帝の中宮紀静子の第一太子惟喬との関係、文徳帝と藤原明子の子惟仁皇太子後の清和天皇、この図形になにやら謎が隠されていそである。
 小野滝雄には二人の女の子があった。姉は仁明天皇の更衣であった。が、妹は姉を大町というので妹を小町とあだ名したとしたら・・・。そして、なぜに六歌仙となったか・・・。政変に巻き込まれ不遇の死・・・。そして歌の神へと立てまつわれたのか・・・。



小町はどうしたら私に靡いてくれるでしょうか。後姿を私に向けてたたずみ知らぬ顔なのです。栗色の畳まで垂れる髪が十二単のあでやかな絵柄の模様に幾つもの筋を作りより鮮明に上着を引き立たせています。襟足の少し日に焼けたような肌は欲情をそそります。
 小町、私の考えている小町は間違っているのでしょうか。それで怒っているのでしょうか。振り返らない小町はまたいとおしくもあります。
 明日また逢いに来ます、どうかそのときは笑顔逢ってくださいね。

 会いたくて後姿の小町をば こえかけみればこだま返らず



小町はだんだんと振り返ってくれていますが、あと少しはっきりと振り返って笑って欲しいですね。
 小町は百夜通いが必要なのでしょうか。焦がれる思いを文に認め付きの満ち引きを三度繰り返しようやく振り返ってくれるのでしょうか。俗説には毒されません、あなたの心を知っていますので。
 あなたは更衣だったのですか・・・。めのとだったのですか・・・。子をなしておられるのでおぼこではなかった筈ですね。
 正義を愛し一途にに生きたそんな人だったのですね。
 またお目にかかります。その時は・・・。

 振り返り笑って欲しい君の顔
            何時来る日かな後幾日か



小町と今日も会えませんでした。
 ぞうしめに文をことづけたのですが返事がありません。後姿が似合う小町ですが時には顔を見せてくださいませんか。
 何とか二三日で書き上げたいと思っています。それまでにどうか振り向いてください。
 琵琶湖の風に当たりながら机上の紙に歌を認めるそんな姿を想像しては心ときめかしています。十二単の前を持ち上げて楚楚と歩む姿はなんと言う美しい出で立ちでしょうか・・・。あこがれます。
 ところで小町はお子さんがおられましたね。ご結婚をされていたのでしょうか。それともててなし子であったのでしょうか。こんなことをきくと気を悪くされますか。
 仁明帝の更衣であったというのは本当ですか。惟喬親王の乳母であったというのは事実ですか。
 そして惟仁皇太子との抗争に巻き込まれたのでしょうか。
 六歌仙とは紀貫之が小町を嘆き神に祭ったのでしょうか。そのほかの六歌仙もそうであったのでしょうか。
 抗争で身を引かれてどこでお暮らしになられていたのでしょうか。小野の庄へ帰ると一族に刃がかかる、出羽にお暮らしであったのですか。それとも誰かに殺められたのですか。



 オリンピックの野球に一言

日本は野球で銅メタルである。面白いことに銅であるとどうだとばかり胸を張って帰ってきた。それを何もしなかった長嶋がなり耐え迎えに出て労をねぎらった。

世の中はこの可笑しさに何も感じないらしい。長嶋に選ばれたから長嶋にに金を取りに行くと嘯いた莫迦どもが平然と銅を胸にぶら下げて帰ってきたのだ。これは戦う前から負けていたのである。日本のためなら分かるが個人の何もしなかった見栄っ張り男のためにというのが可笑しいのである。

長嶋も監督を辞退すべきであった。何も出来ない監督を頂くことが選手に与える影響を考えたらやめるのが当然である。がそこが何でもしたがる欲しがる長嶋の根性、もしかして何かがもらえればと考える汚さである。

迎えにいって選手に握手をして銅メタルを受け取ったらしい。これも何もしなかった長嶋は辞退すべきが謙虚である。

長嶋ジャパン、この名前は大変に抵抗がある、が絶対にかたなかったらだめであったのである。選手村に入らず、ホテル暮らし、料理人も特別したて、こんな待遇があるというのだろうか。

でも負けた、長嶋が負けたのである。その選手を甘やかした長嶋の責任である。辞退しなかったのであるからその責任くらいはは取らなくてはならない。

れがせめて敗軍の将の道である。

そんな考えは長嶋という人間は少しも持っていないことを承知で書いている。

日本の野球界がこれから発展するには長嶋の自縛から一日も早く解き放つことなのである。

彼が日本の野球界に何をしたかを冷静に考えることである。



小町ちの一つ一つの風景は動作は明確になりつつあるのです。
 琵琶湖の畔の風景の中の小町、御所の更衣としての立ち振る舞い、ささやかではあるが幸せな日々、乳母としての小町の姿、京の町を後ろに立ち去っていく後姿、それらがすべて重なって頭の中に広がっていくのです。
 あの時代美しいとは何を定義にしていったのか・・・。
 髪か、顔か、または心か、歌が上手であったことか・・・。
 東山を眺めて何を思ったのだろうか、西に沈む夕日に何を感じたのか、心に何を抱えていたのか、女として幸せであったのか、また人間としての観念は、季節への思いは・・・。



小町は今日も私の前に現れなかった。
 書くことを忘れているのではありません。諦めているのでもありません。
 ただ小町が書いて欲しいと訴えて来ないのです。
 頭の中に小町が現れ書くことを強要してくればいいのですが。小町が喉まで上がってこないのです。

 浮かんでと願いを掛けて思うけど
            小町の姿心の中に



小町への恋の病なのでしょうか・・・。小町の呪いなのでしょうか・・・。決して小町を悪く書こうとか辱めようとか、そんな気持ちはありませんのに・・・。静かに眠っているのに起こすなというのでしょうか・・・。世間に晒さないでというのでしょうか・・・。
 なんだか分かるような気がしますが、美しい人はとかくなんやかやといわれるものなのです。
 小町さん、あなたは本当に美しかったのですか・・・。美しさにも色々とありますが・・・。
 私はあなたを少し浅黒い肌の持ち主で、髪はカラスの濡れ羽色ではなく少し栗色の長い髪だったと思っています。健康な女だったとおもっています。 色の白い女の中で色黒だけれど健康的な美を持っていた。髪は栗色、皆から色々と噂をされたことでしょうね。そんな人であって欲しいと思っています。歌はあまり上手ではありませんが、素直に心を語っておられますね。
 素直な人であったのですね。
 振り向いてください。せめて少しのときでいいのです。それで心が晴れるのですから。

 小町をば心において見渡せば
            いずこの人も色褪せて見え



小町のことを考えました。
 美しいと言われたのは皆とどこか違っていたのではないだろうか・・・。
 人格的にでなく外見的に・・・。
 それと不幸に死が紀貫之に何かを感じ取らせたのではないか・・・。

 今はなき小町を訪ねはるばると
             時をまたいで遠いたてる



小町の後ろ影は創作意欲をそそります。何を見ているのでしょうか。何をしょうとしているのでしょうか。
 声をかけてもいいですか・・・。なんと言えばいいでしょう・・・。
 お名前は・・・。
 あなたの名前はどこを探しても見当たりません。お姉さまの名前は吉子さんということはわかりましたが、あなたの名前は皆目分かりません。
 人はあなたをなんと呼び、どのように接していたのでしょうか。
 どなたと一緒になられ子をなしたのでしょうか・・・。分かりません。
 そして、乳母となって誰に惟喬親王へ乳を授けられたのでしょうか・・・。

 女とは愛する人に思われて
子をなし育て明日をながむる


小町は今日も振り返らず。進展はないのです。
 もっともっと惚れなくては・・・。愛さなくては・・・。
 きっかけが欲しいのです。
 たとえば、小町は蜂蜜を飼っていたというような思い付きが欲しいのです。何か人と違ったことが嘘でもいい頭に浮かんでくればこっちのものなのです。欲しいねそんな思いが・・・。

 人の世の限りの後に何がある
           愛したことの足跡一つ



小町が何か言ってくれると思い待っています。
 平安の初期はこうなのよとか、人の心はこうなのよとか、天災が、人災が、暑いのの寒いの、長い髪はこのように手入れをするのよ、風呂はどのようにしていたとか、トイレはどうだったとか、食事は何を食べていたとか、季節は冬が好きだったとか、十二単は重かったとか、何を足に履いていたとか、色は何が好きだったとか、館はどうだったとか、・・・・。
 何も知らないのです。
 振り向いて教えてください。囁いてください、私の耳に・・・。

 振り返り口を開いて語ってよ
            あれこれ何を心のすべて



小町も早かったのでしょうか・・・。いろいろとあなたの付いては考えています。あなたへの思いは静まりだんだんと醗酵してきています。夏が過ぎ、秋が来て、そろそろとあなたのすべてを明らかにしなくてはいけない時期が来ているようです。 
 愛するという心を貴方に知っていただくために・・・。
 もうすぐ、書き上げますからね。それで同等ということなのですね。

 夏が過ぎ秋が通り過ぎ冬が来る
           そこに広がるおなたの真実



小町さん、そんな人がいましたか・・・。平安の世は過ごしやすかったですか・・・。皆優しくしてくださいましたか・・・。仲良く話が出来ましたか・・・。食事をしながら男の話に時間を忘れましたか・・・。世の中を憂いましたか・・・。
 
 過ぎ去りし思いを浮かべ懐かしみ
            明日の生き方月に問いつつ


何もしなく生きているけれど、ボーとして生きているけれど、頭は小町の書き方を常に頭に置き働いている。
 そんな日々が何日も続いているのです。心の中で小町が醗酵するのを待っているのです。辛い日々ですが、早く書いて失敗をしたくないのです。
 この作品は流れで仕上げるものではないのです。じっくりとこの作品に賭けています。
 小町を裸にするまでは・・・。

 小町殿あなたは今日はどこですか
              私の心空においても



小町さんも何を食べても美味しかったですか・・・。
 季節はどうだったのですか・・・。
 春が、夏が、秋が、冬が、そのそれぞれのときに何をして生きていたのでしょうか・・・。
 何かいいことがありましたか・・・
 煩わしい事がありましたか・・・。
 人を愛したことがおありでしょうか・・・。 
 愛されたことがおありでしょうか・・・。
 身を焦がしたことは・・・。
 思いに夜も眠れなかったことは・・・。
 人知れず泣いたことは・・・。
 人とはなんと悲しいのでしょう・・・。そう思われましたか・・・。
 人とはなんと素晴らしいと・・・。

 小町ゆえ心を告げることさえも
            月に花にとこぼすなみだは



小町さん、琵琶湖の夕焼けは綺麗だったでしょうね。どんな心で見つめられたのでしょうか・・・。
 もうそろそろ書き上げなくてはなりませんね。
 待たしているのですものね。 
 頭の中には出来上がっているのです。
 後は書くだけてすから・・・。
  
 書きかけの小町の姿艶やかで
            目をも張っては心熱くし


小町は何を食べていたのでしょうか・・・。どんな花が好きであったのでしょうか・・・。どんな夢を見たのでしょうか・・・。定めに従ったのでしょうか・・・。あがなったのでしょうか・・・。いい人生であったのでしょうか・・・。
 あなたの姿が見えません。

 振り向かぬ君の微笑み欲しくても
              時来るまでは月待つことも



小町さん、お元気ですか・・・。風邪など惹かれてはいませんか・・・。
 萩の花は綺麗ですか・・・。琵琶湖畔に何が咲き乱れていますか・・・。 風が立って波が寄せていますか・・・。夕日の色は何色ですか・・・。
 やわらかい月の明かりの下を帆を立て琵琶湖を渡る小船が見えますか・・・。
 遠くにかすかに煙が立ち昇りささやかな幸せの夕餉の有様が伺えますか・・・。
 紅く染まった夕日の中を家路へ急ぐ雁たちの渡る姿が見えますか・・・。
 時には出羽の真っ白な大地をしのび心躍らせますか・・・。
 都大路の人ごみの中を歩いたことがありますか・・。

 残り香に心振るわせ立ち尽くす
             風立つ庭に月は遠のく



 小町さん雨に日は何をしていたのでしょうか・・・。
 風の日は何を・・・。
 風邪などひきませんでしたか・・・。
 おなかいっぱいにしょくしておられましたか・・・。
 人の噂をしておられましたか・・・。

 人としてなにを語らんこの夕べ
            頬赤らめて風に当たるか



今日も小町の姿にお目にかかれなかった。 月が隠したのでしょうか・・・。 小町は琵琶湖の畔の館の庭からこの満月を眺めたのでしょうか・・・。  月は湖畔の水面に映っていたのでしょうか・・・。 月見の宴が開かれ煌びやかに着飾った公卿たちが集まりお神酒に酔いしれて歌い踊っていたのでしょうか・・・。 そのとき小町はどこにいたのでしょうか・・・。 すすきに団子を備えて月見の宴を・・・。 小町さん和歌を歌いましたか・・・。 どのような和歌でしょうか・・・。 そのとき、どのような筋模様の十二単を着ていたのでしょうか・・・。 年月にどれほどの宴があったのですか・・・。  月観れば思い出しますあの頃を        水面にあった琵琶湖の月を  秋の月はしみじみ過ごすひと時を・・・。


小町は今日も振り向いてくれない。 呪いをかけたとして殺されたのですか・・・。 三島の「卒塔婆小町」になったのですか・・・。 出羽で生まれどこでなくなったのですか・・・。 乳は良く出たのでしょうね、乳母であったのです・・・。  たらちねの思い深めて思う人            あの懐かしき小野小町を  秋の櫻がもう野原いっぱいに開き誇っています・・・



小町は時の天皇に呪いをかけたのでしょうか・・・。 正義を貫こうとしての行動であったのでしょうか・・・。 「源氏物語」のモデルとなった在原の業平と小町はどのように接していたのでしょうか・・・。 本当は吉子さんなのですか・・・。 それとも吉子さんは小町の姉なのですか・・・。 仁明天皇の更衣であったのでしょうか・・・。 どんな女性であったのですか・・・。 私が想像していることは間違っていますか・・・。 どのように書けば貴方は嬉しいのでしょうか・・・。 出羽に帰られたのですか・・・。生まれ在所へ・・・。 通い婚の男はなんと言う人なのですか・・・。 愛されていましたか・・・。愛していましたか・・・。 どのような出会いがあったのですか・・・。  あの夜の出会いの末に招きいれ             月が隠れて朝焼けを見る  秋の風は本当に怖いもの、月を隠して風強・・・。


そんな中、小町を訪ねて彷徨っています。

 私が小町を明らかにすることが許されるだろうか・・・。

 あまりにも大きな人のように思われるのです。

 世界三大美人、百夜通い、深草の少将、在原の業平、仁明天皇、惟喬親王

 紀貫之、沢山の人が出てくるのです。平安の初期の、「源氏物語」より以前の人の世のことなのです。100年前のことなのです。紫式部は小町を書いていないのです。

 紀貫之がどうして小町を歌聖として六歌仙に推奨したのか・・・。

 そこに謎があるのですか・・・。

 たとえば祟りを恐れたと言うような・・・。

 中流の公卿の娘が更衣として天皇のおそばへ・・・。

 それほど美しかったのですか・・・。

 どのように・・・。

 たとえば・・・。

 夢で耳元に囁いてください・・・。



 夢を見て貴方のことを思うけど

            月が昇れば泡沫の夢




yuuの創作ノート

2005-07-03 17:46:15 | 話の小部屋
吉野のもみじ

創作ノート

  創作ノート

  
「小町六歌仙」を書こうと調べ始めるとだんだんわからなくなっていく。秋田県に始まり全国にその逸話はあるのです。深草だの在原だのと出てくる。美人だった、そうではなかった、さまざまな意見が飛び交っている。今唸り考え込んでいる。

暑い日が続き余計に考えがまとまらないからほんにこの暑さの所為にして…。 

 

 小町がだんだん形になっていく。小町の姿が見えてきた。顔かたち、瞳の大きさ、鼻の高さ、朱唇、腰に垂れる豊穣な黒髪などがだんだん見えてきた。こうなればこっちのもの90パーセントが出来たようなものです。
 才色兼備の美人であった。が謎が多しぎる。文徳天皇の皇太子惟仁と惟喬太子との確執に、藤原家と紀家の争いに・・・詰まり政変に巻き込まれた形跡が見てきた。
 小野家と文徳帝の中宮紀静子の第一太子惟喬との関係、文徳帝と藤原明子の子惟仁皇太子後の清和天皇、この図形になにやら謎が隠されていそである。
 小野滝雄には二人の女の子があった。姉は仁明天皇の更衣であった。が、妹は姉を大町というので妹を小町とあだ名したとしたら・・・。そして、なぜに六歌仙となったか・・・。政変に巻き込まれ不遇の死・・・。そして歌の神へと立てまつわれたのか・・・。




小町はどうしたら私に靡いてくれるでしょうか。後姿を私に向けてたたずみ知らぬ顔なのです。栗色の畳まで垂れる髪が十二単のあでやかな絵柄の模様に幾つもの筋を作りより鮮明に上着を引き立たせています。襟足の少し日に焼けたような肌は欲情をそそります。
 小町、私の考えている小町は間違っているのでしょうか。それで怒っているのでしょうか。振り返らない小町はまたいとおしくもあります。
 明日また逢いに来ます、どうかそのときは笑顔逢ってくださいね。

 会いたくて後姿の小町をば こえかけみればこだま返らず



小町はだんだんと振り返ってくれていますが、あと少しはっきりと振り返って笑って欲しいですね。
 小町は百夜通いが必要なのでしょうか。焦がれる思いを文に認め付きの満ち引きを三度繰り返しようやく振り返ってくれるのでしょうか。俗説には毒されません、あなたの心を知っていますので。
 あなたは更衣だったのですか・・・。めのとだったのですか・・・。子をなしておられるのでおぼこではなかった筈ですね。
 正義を愛し一途にに生きたそんな人だったのですね。
 またお目にかかります。その時は・・・。

 振り返り笑って欲しい君の顔
            何時来る日かな後幾日か



小町と今日も会えませんでした。
 ぞうしめに文をことづけたのですが返事がありません。後姿が似合う小町ですが時には顔を見せてくださいませんか。
 何とか二三日で書き上げたいと思っています。それまでにどうか振り向いてください。
 琵琶湖の風に当たりながら机上の紙に歌を認めるそんな姿を想像しては心ときめかしています。十二単の前を持ち上げて楚楚と歩む姿はなんと言う美しい出で立ちでしょうか・・・。あこがれます。
 ところで小町はお子さんがおられましたね。ご結婚をされていたのでしょうか。それともててなし子であったのでしょうか。こんなことをきくと気を悪くされますか。
 仁明帝の更衣であったというのは本当ですか。惟喬親王の乳母であったというのは事実ですか。
 そして惟仁皇太子との抗争に巻き込まれたのでしょうか。
 六歌仙とは紀貫之が小町を嘆き神に祭ったのでしょうか。そのほかの六歌仙もそうであったのでしょうか。
 抗争で身を引かれてどこでお暮らしになられていたのでしょうか。小野の庄へ帰ると一族に刃がかかる、出羽にお暮らしであったのですか。それとも誰かに殺められたのですか。



小町ちの一つ一つの風景は動作は明確になりつつあるのです。
 琵琶湖の畔の風景の中の小町、御所の更衣としての立ち振る舞い、ささやかではあるが幸せな日々、乳母としての小町の姿、京の町を後ろに立ち去っていく後姿、それらがすべて重なって頭の中に広がっていくのです。
 あの時代美しいとは何を定義にしていったのか・・・。
 髪か、顔か、または心か、歌が上手であったことか・・・。
 東山を眺めて何を思ったのだろうか、西に沈む夕日に何を感じたのか、心に何を抱えていたのか、女として幸せであったのか、また人間としての観念は、季節への思いは・・・。



小町は今日も私の前に現れなかった。
 書くことを忘れているのではありません。諦めているのでもありません。
 ただ小町が書いて欲しいと訴えて来ないのです。
 頭の中に小町が現れ書くことを強要してくればいいのですが。小町が喉まで上がってこないのです。

 浮かんでと願いを掛けて思うけど
            小町の姿心の中に



小町への恋の病なのでしょうか・・・。小町の呪いなのでしょうか・・・。決して小町を悪く書こうとか辱めようとか、そんな気持ちはありませんのに・・・。静かに眠っているのに起こすなというのでしょうか・・・。世間に晒さないでというのでしょうか・・・。
 なんだか分かるような気がしますが、美しい人はとかくなんやかやといわれるものなのです。
 小町さん、あなたは本当に美しかったのですか・・・。美しさにも色々とありますが・・・。
 私はあなたを少し浅黒い肌の持ち主で、髪はカラスの濡れ羽色ではなく少し栗色の長い髪だったと思っています。健康な女だったとおもっています。 色の白い女の中で色黒だけれど健康的な美を持っていた。髪は栗色、皆から色々と噂をされたことでしょうね。そんな人であって欲しいと思っています。歌はあまり上手ではありませんが、素直に心を語っておられますね。
 素直な人であったのですね。
 振り向いてください。せめて少しのときでいいのです。それで心が晴れるのですから。

 小町をば心において見渡せば
            いずこの人も色褪せて見え



小町のことを考えました。
 美しいと言われたのは皆とどこか違っていたのではないだろうか・・・。
 人格的にでなく外見的に・・・。
 それと不幸に死が紀貫之に何かを感じ取らせたのではないか・・・。

 今はなき小町を訪ねはるばると
             時をまたいで遠いたてる



小町の後ろ影は創作意欲をそそります。何を見ているのでしょうか。何をしょうとしているのでしょうか。
 声をかけてもいいですか・・・。なんと言えばいいでしょう・・・。
 お名前は・・・。
 あなたの名前はどこを探しても見当たりません。お姉さまの名前は吉子さんということはわかりましたが、あなたの名前は皆目分かりません。
 人はあなたをなんと呼び、どのように接していたのでしょうか。
 どなたと一緒になられ子をなしたのでしょうか・・・。分かりません。
 そして、乳母となって誰に惟喬親王へ乳を授けられたのでしょうか・・・。

 女とは愛する人に思われて
子をなし育て明日をながむる


小町は今日も振り返らず。進展はないのです。
 もっともっと惚れなくては・・・。愛さなくては・・・。
 きっかけが欲しいのです。
 たとえば、小町は蜂蜜を飼っていたというような思い付きが欲しいのです。何か人と違ったことが嘘でもいい頭に浮かんでくればこっちのものなのです。欲しいねそんな思いが・・・。

 人の世の限りの後に何がある
           愛したことの足跡一つ



小町が何か言ってくれると思い待っています。
 平安の初期はこうなのよとか、人の心はこうなのよとか、天災が、人災が、暑いのの寒いの、長い髪はこのように手入れをするのよ、風呂はどのようにしていたとか、トイレはどうだったとか、食事は何を食べていたとか、季節は冬が好きだったとか、十二単は重かったとか、何を足に履いていたとか、色は何が好きだったとか、館はどうだったとか、・・・・。
 何も知らないのです。
 振り向いて教えてください。囁いてください、私の耳に・・・。

 振り返り口を開いて語ってよ
            あれこれ何を心のすべて



小町も早かったのでしょうか・・・。いろいろとあなたの付いては考えています。あなたへの思いは静まりだんだんと醗酵してきています。夏が過ぎ、秋が来て、そろそろとあなたのすべてを明らかにしなくてはいけない時期が来ているようです。 
 愛するという心を貴方に知っていただくために・・・。
 もうすぐ、書き上げますからね。それで同等ということなのですね。

 夏が過ぎ秋が通り過ぎ冬が来る
           そこに広がるおなたの真実



小町さん、そんな人がいましたか・・・。平安の世は過ごしやすかったですか・・・。皆優しくしてくださいましたか・・・。仲良く話が出来ましたか・・・。食事をしながら男の話に時間を忘れましたか・・・。世の中を憂いましたか・・・。
 
 過ぎ去りし思いを浮かべ懐かしみ
            明日の生き方月に問いつつ


何もしなく生きているけれど、ボーとして生きているけれど、頭は小町の書き方を常に頭に置き働いている。
 そんな日々が何日も続いているのです。心の中で小町が醗酵するのを待っているのです。辛い日々ですが、早く書いて失敗をしたくないのです。
 この作品は流れで仕上げるものではないのです。じっくりとこの作品に賭けています。
 小町を裸にするまでは・・・。

 小町殿あなたは今日はどこですか
              私の心空においても



小町さんも何を食べても美味しかったですか・・・。
 季節はどうだったのですか・・・。
 春が、夏が、秋が、冬が、そのそれぞれのときに何をして生きていたのでしょうか・・・。
 何かいいことがありましたか・・・
 煩わしい事がありましたか・・・。
 人を愛したことがおありでしょうか・・・。 
 愛されたことがおありでしょうか・・・。
 身を焦がしたことは・・・。
 思いに夜も眠れなかったことは・・・。
 人知れず泣いたことは・・・。
 人とはなんと悲しいのでしょう・・・。そう思われましたか・・・。
 人とはなんと素晴らしいと・・・。

 小町ゆえ心を告げることさえも
            月に花にとこぼすなみだは



小町さん、琵琶湖の夕焼けは綺麗だったでしょうね。どんな心で見つめられたのでしょうか・・・。
 もうそろそろ書き上げなくてはなりませんね。
 待たしているのですものね。 
 頭の中には出来上がっているのです。
 後は書くだけてすから・・・。
  
 書きかけの小町の姿艶やかで
            目をも張っては心熱くし


小町は何を食べていたのでしょうか・・・。どんな花が好きであったのでしょうか・・・。どんな夢を見たのでしょうか・・・。定めに従ったのでしょうか・・・。あがなったのでしょうか・・・。いい人生であったのでしょうか・・・。
 あなたの姿が見えません。

 振り向かぬ君の微笑み欲しくても
              時来るまでは月待つことも



小町さん、お元気ですか・・・。風邪など惹かれてはいませんか・・・。
 萩の花は綺麗ですか・・・。琵琶湖畔に何が咲き乱れていますか・・・。 風が立って波が寄せていますか・・・。夕日の色は何色ですか・・・。
 やわらかい月の明かりの下を帆を立て琵琶湖を渡る小船が見えますか・・・。
 遠くにかすかに煙が立ち昇りささやかな幸せの夕餉の有様が伺えますか・・・。
 紅く染まった夕日の中を家路へ急ぐ雁たちの渡る姿が見えますか・・・。
 時には出羽の真っ白な大地をしのび心躍らせますか・・・。
 都大路の人ごみの中を歩いたことがありますか・・。

 残り香に心振るわせ立ち尽くす
             風立つ庭に月は遠のく



 小町さん雨に日は何をしていたのでしょうか・・・。
 風の日は何を・・・。
 風邪などひきませんでしたか・・・。
 おなかいっぱいにしょくしておられましたか・・・。
 人の噂をしておられましたか・・・。

 人としてなにを語らんこの夕べ
            頬赤らめて風に当たるか



今日も小町の姿にお目にかかれなかった。 月が隠したのでしょうか・・・。 小町は琵琶湖の畔の館の庭からこの満月を眺めたのでしょうか・・・。  月は湖畔の水面に映っていたのでしょうか・・・。 月見の宴が開かれ煌びやかに着飾った公卿たちが集まりお神酒に酔いしれて歌い踊っていたのでしょうか・・・。 そのとき小町はどこにいたのでしょうか・・・。 すすきに団子を備えて月見の宴を・・・。 小町さん和歌を歌いましたか・・・。 どのような和歌でしょうか・・・。 そのとき、どのような筋模様の十二単を着ていたのでしょうか・・・。 年月にどれほどの宴があったのですか・・・。  月観れば思い出しますあの頃を        水面にあった琵琶湖の月を  秋の月はしみじみ過ごすひと時を・・・。


小町は今日も振り向いてくれない。 呪いをかけたとして殺されたのですか・・・。 三島の「卒塔婆小町」になったのですか・・・。 出羽で生まれどこでなくなったのですか・・・。 乳は良く出たのでしょうね、乳母であったのです・・・。  たらちねの思い深めて思う人            あの懐かしき小野小町を  秋の櫻がもう野原いっぱいに開き誇っています・・・


小町は時の天皇に呪いをかけたのでしょうか・・・。 正義を貫こうとしての行動であったのでしょうか・・・。 「源氏物語」のモデルとなった在原の業平と小町はどのように接していたのでしょうか・・・。 本当は吉子さんなのですか・・・。 それとも吉子さんは小町の姉なのですか・・・。 仁明天皇の更衣であったのでしょうか・・・。 どんな女性であったのですか・・・。 私が想像していることは間違っていますか・・・。 どのように書けば貴方は嬉しいのでしょうか・・・。 出羽に帰られたのですか・・・。生まれ在所へ・・・。 通い婚の男はなんと言う人なのですか・・・。 愛されていましたか・・・。愛していましたか・・・。 どのような出会いがあったのですか・・・。  あの夜の出会いの末に招きいれ             月が隠れて朝焼けを見る  秋の風は本当に怖いもの、月を隠して風強・・・


。 そんな中、小町を訪ねて彷徨っています。

 私が小町を明らかにすることが許されるだろうか・・・。

 あまりにも大きな人のように思われるのです。

 世界三大美人、百夜通い、深草の少将、在原の業平、仁明天皇、惟喬親王

 紀貫之、沢山の人が出てくるのです。平安の初期の、「源氏物語」より以前の人の世のことなのです。100年前のことなのです。紫式部は小町を書いていないのです。

 紀貫之がどうして小町を歌聖として六歌仙に推奨したのか・・・。

 そこに謎があるのですか・・・。

 たとえば祟りを恐れたと言うような・・・。

 中流の公卿の娘が更衣として天皇のおそばへ・・・。

 それほど美しかったのですか・・・。

 どのように・・・。

 たとえば・・・。

 夢で耳元に囁いてください・・・。



 夢を見て貴方のことを思うけど

            月が昇れば泡沫の夢



そんな日本に生まれて小町は何を考えていたのでしょうか・・・。 女としての生き方ですか・・・。 男を・・・。 恋したことがありますか・・・。 愛した人の腕で泣いたことがありますか・・・。 好いた人に背を向けて十二単を取っていった事が・・・。 月は満ちていましたか・・・。 すすきが風に揺れていましたか・・・。 月にウサギの影が見えましたか・・・。 栗に柿に梨に林檎に味覚は充分でしたか・・・。 空は青く高かったのでしょうね・・・。  青空を見上げて思う君の事            君に似た雲仰ぎ見上げて  秋の季節の心地よさ・・・。 


小町は殺されることで神になりたかったのでしょうか・・・。 千利休が切腹して茶の神になったように・・・。 そんなに歌がうまくなかったのに神、六歌仙に祭り上げられて、どのように思いましたか・・・。 歌は天分のもの、努力が開く道ではありませんが・・・。 貴女の歌はのちに百人一首に加えられたことは驚きであったでしょうね・・・。 そして、世界三大美人の一人として・・・。 笑っておいでですか・・・。何が可笑しくて・・・。栗毛が腰に流れ、肌は健康的に少し地黒、そこがまた貴女の魅力でした・・・。 乳母としての条件は健康で乳が良く出る、ぴったりであったのでしょうね・・・。  秋の日の夕暮れ近し琵琶湖にて             風髪揺らし何を思うか  秋、柿が美味しく腹冷えるなり・・・。


小町の父上はどうしたのでしょうか・・・。 どこでどうなったのですか・・・。 姉上の吉子さんはどうしておられたのですか・・・。 母上の名は、そして・・・。 平城京から平安京へ、その僅か後に小町は生まれて色色と困ったことがおありであったのでしょうね・・・。 天皇の後継者争いに巻き込まれね、その頃呪いをかけるということが良くありましたが、貴女はどうでしたか・・・。 乳を与えた人が天皇になる、これはあなたにとって大変に出世であつたのではありませんか・・・。 惟喬親王は弟に天皇を譲り身を引いて琵琶湖の畔の小野の荘で暮らしのはどのように解釈すればいいのでしょうか・・・。  風の色湖面を渡りながれ来る           貴女の香り乗せて伝えて  秋は台風、今年はなんと・・・。

小町病は何時快癒するのでしょうか・・・。 まともに書くと直るのでしょうか・・・。 どのように書けば・・・。 さてさて・・・。 貴女の笑顔が見たくて書くのです・・・。 あなたを思って書くのです・・・。 あなたの無念をあなたに代わって書くのです・・・。 腰のくびれに沿って流れる栗色の長い髪が当時男になんと思われていたのか・・・。  白肌を至上の美とした当時、少し地黒の健康的な肌を持つ小町はなんと思われていたのでしょうか・・・。 より美しく慕われたのではないのですか・・・。 際立った美しさとして思いを寄せられたのではありませんか・・・。 楊貴妃もクレオパトラも小町も地黒であったのですよね・・・。  健やかに育った君は美しく           お日様向かい溌剌として  秋の夜は何かを思う人の世を・・・


小町さん、もう少し待っていてくださいね。 花見ればそのいわれともなけれども・・・・小町の姿をここに上梓いたします。美しく綺麗な頃のあなたを・・・そんなあなたに会えるでしょうか・・・。 苦しいから怨みつらみを重ねてもこの身が土に返っても生まれ変わって正義の剣一太刀でもと振るいましょう・・・。私が転生したのちは十の力を百にして生まれ変わって見せましょう・・・。紅く染まった黒髪であなたの首を絞めましょう・・・。 小町をこんな女に変えたあなたにきっと返します・・・この恨み・・・  この恨みこの世の無常はてもなく             生まれ変わって月の果てにも  秋の空にたなびく白い雲・・・



来週から小町を書くことにする。 ここからいつも眺めておられました。 夕日が沈む琵琶湖の畔、水面の漣が紅く染まってきらきらと跳ね返しているその波頭を眺めながら何を考えていたのでしょうか・・・。 この館にはお二人のお姫様が住んでおられました。 それはお美しい利発なお二人で御座いました。  漣が映す夕日の有様は          明日に繋がる兆しの明かり  秋がコスモス育てるように・・・


 小町の姿は今日も後姿。 琵琶湖の湖面を眺める後姿・・・。 顔が見えないから美しいと人は言うが・・・。 心根はどうであったのでしょうかね・・・。 声は少し掠れた・・・そう考えています・・・。 良いでしょうか・・・。  声かけて見ても切ない影法師            貴女の姿時雨の中へ  秋の季節の心波立つ・・・


小町は寒さに強かったのでしょうか・・・。 出羽の生まれだからきっと耐えられたのでしょうね・・・。 だが京の底冷えする寒さは大変だったでしょう・・・。 大路は凍り木靴は滑りはしなかったでしょうか・・・。 どのようなものを食していたのですか・・・。 花見や宴、紅葉狩り、馬比べ、などに興じたのでしょうか・・・。 肉は食したのでしょうか・・・。 魚はお食べになられたのでしょうか・・・。 粥は・・・。 どんな花が好きだったのでしょう・・・。 月を仰ぎ見て何を思われたのでしょう・・・。  月仰ぎ風立ちぬれば過ぎ去りし             出羽のことども思いはべらし  秋の日の少しの寒さ身引き締まる・・・。


 何・・・。小野小町を・・・。尋ねてはるばるこの琵琶湖に畔へ・・・。 年をとってな耳も定かでは御座りませぬが・・・。そのように申されたのでございますかな。 ははは、小町はとっくにこの世のお人ではありませんわな・・・。 確かに・・・。この小野の荘の館に住んでいましたが・・・。貴方様は・・・その身なりが申しておられるように高貴なお方なのでしょうね・・・。そのお人がなぜに小町を・・・。 この私は小町殿に使えておった雑仕女で御座いました・・・。 何か話せとの・・・なんでも良いとのお言葉・・・。日月の巡りはなんと早いので御座いましょう・・・。 あれは・・・。  思い出を縁に生きて幾とせぞ            思うはあの日風の色かな  秋の日はつるべ落としに日が隠れ・・・。 


そろそろと小町を書かなくてはなりますまい。 年取った女が語ると言うことで・・・。 それが、小町の雑仕女であるのか、何のゆかりもない小町をよく知る女であるのか、はたまた小町自身であるのか・・・。 書き始めてみなくては作者も皆目分からないのです。と言うことにして欺き書き進めていくのです。 深草少将との約束百夜通いのこと、在原の業平との情交があったのか、はたまた明仁天皇とのことは・・・。乳母としてのあり方は・・・。 惟喬親王は小町にとって一体なんであったのか・・・。 小町は女でなかったのか・・・。世の逸話は一体なんであったのか・・・。  小町をば尋ねて今日も彷徨って             夢見ておうて摑めぬままに  秋の日の夕日は今日も明日を呼び・・・。  


yuuの闘病生活

2005-07-03 14:08:36 | 話の小部屋
一週間の闘病生活

一週間の入院顛末闘病生活

しもさんがなにやら叫んだとき、鼻の下に何か生ぬるい流れが伝うのを感じた。

鏡を見るとそこには血の流れがあった。

止まらなかった。拭けども拭けども流れ落ちてきた。今までの鼻血ではないと思った。すぐに救急病院へ急いだ。応急の処置をとってもらって止まった。

出たり止まったりの一昼夜を過ごした。

翌日かかりつけの病院へ行った。鼻に詰め物をし止血剤を2本点滴したが止まらなかった。木曜日、耳鼻咽喉科はすべて休診、医大への紹介状を持って駆けつけた。全国的に有名な医大であった。

血圧が200を過ぎていた。血を見たのと病院の長い廊下を歩いたせいであった。

「入院をしていただきます」

鼻に60センチものガーゼが詰め込まれた。

「鼻の一番奥で、この鼻はそこが複雑です」入れるのに手間取った医者が言った。

「まあ、1週間をめどに入院してください」

「個室しか開いていませんがいいでしょうね」

「血圧と生活がめちゃめちゃですね、止まらない鼻血はありませんから…」

そこですっかり病人になったいた。

顔が見る見る病人の人相に変わるのを覚えた。血のけが引いていたのだ。

車椅子に始めて乗った。

この分なら2-3日の辛抱だろう。人生の休養にはいいかもしれない。そんな思いはすぐにどこかへ飛んで行ったのだが…。

金だけのことはあるいい個室だと思った。

妻と長男夫婦が心配そうに付き添っていた。

吸血鬼のように口の中は血だらけだった。苦かった。鼻から下りてきていた。ごみ袋が血染めのティシューですぐにいっぱいになる。

横になることは出来ない、血が喉へ流れ込んで窒息しそうであった。

ベッドに座っていた。止血剤の点滴は早く落とされていた。

頭はボーとしていた。血圧は140くらいに下がっていた。喉に血液が垂れ下がつてくる。それを吐き出せないのだ。片方の鼻が詰まる。息が出来なくなっていた。口で懸命に呼吸をする。口の中が乾く。垂れ下がる血液は止血剤でゼリー状になって固まりかかっている。咳が出そうになり、嗚咽がこみ上げてくる。

すすろうとする。詰めているガーゼが喉に垂れ下がってくる。

看護師を呼んだ。口に垂れ下がるガーゼを切ってもらう。

こんなに苦しいのなら鼻血が出ているほうがましか…。

皆がいっせいに帰っていく。心細いと言ったらきりがない。

一人の寂しさと戦いながら苦しさと…。

次男が劇団の人たちと覗いてくれた。

入院に必要なものを沢山かって来てくれた。大きな病院の検査技師の彼女はなれているらしい。

この人たちもやがて自分のねぐらへ帰るのかと思うと…。

枕もとの明かりが部屋全体の明かりだった。

その夜はうとうとしただけで一睡も出来なかった。

看護師に2回ガーゼの垂れ下がりを切ってもらった。

「咳を鼻をかまない様に」

生暖かい流血が喉の奥でしていた。

1日目はこうして過ぎていった。

62歳にしてはじめての入院生活がこうして始まった。



「夜と昼が逆転しているのですって、何をしておられるのですか」

と、問診の女医が言った。

「はい、台本を書いています」

「売れるの」

すぐさま問い返してきた。

「いいえ」

「売れないの」といって周囲の医者と目で語り合い嘲笑していた。

私は吃驚した。そして、こんな病院へ来たことを後悔した。

人間を、職業を金になるならないで判断する人に会ったのは何十年か振りであった。

「子供や青年のために台本を書いて芸文館で公演しているのです」

と付け加えなくてはならなかった。

「芸文館で…」

芸文館と言う言葉に弱かったらしい。言葉のトーンが変わった。

「はい、年に一回ホールでやっています」

「それはたいしたものだわ…」

と態度が変わった。

そのことを劇団の大きな病院の検査技師に言うと

「医者なんてそんなものなんですょ」

とあっさり返された。



夜一睡も出来なかった。喉に血が流れ、痰に血が固まってえへんをすると出た。

血の匂いが口の中に広がりそれを飲み込むとお腹が苦り始めた。血は口の中では苦く鉄のにおいがした。

うとうととしていたときパソコンのチャットの画面が消えなかった。目を瞑るとそこにはパソコンがあった。

頭がボーとしていて、顔全体が火照った。

朝食はおかゆと味噌汁、味も分からなく流し込んだ。テレビを見る元気もなかった。テレビは誰も見ていないのに画像を流していた。

少しずつのどの奥に違和感があり血か流れているのが分かった。

「血が止まったようですから、明日ガーゼを取りましょう」

回診の助教授が言った。

止まっているという実感はなかった。

信じようとした。が流れていた。

横になって眠ろうとしたが、違和感が眠りへといざなってはくれなかった。

氷枕が運んでこられそれを頭にして少し横になった。気持ちがよかったが、

眠れなかった。

その日はなんといらいらしたひが過ぎていった。

見舞い客が何人か来てくれたが、話に集中できなかった。夢の中で何かを言っているようであった。

そして、苦痛の日が過ぎていった。

5時を過ぎた頃、越中地震が起こった。

長男夫婦が来ているときであった。

この夜は私にとっても地震のように揺れる夜になった。

地震はそれは私への予兆であったのか…。

鼻から喉から出血が続き、大変だった。テレビは地震を告げていた。

「たいしたことはありませんよ、洗面器いっぱいなんて、バケツの人もいましたから」

看護師は大げさな私を諭すように簡単に言った。

3時、担当医がガーゼを詰め替えてくれた。

そのさなか意識は朦朧としてこれで終わりかと思った。

頭を下げ足を上げてしばらく休んだ。

額には冷や汗が流れていた。

少しして元気になり、ガーゼを取り替えた。

片方の鼻は時折詰まったが、息が出来るようになっていた。

助かったと思った。

うとうとの時間が30分になり、起きては眠りのときが流れた。

止まったことを認識した。

それは、前のときより確実に自らが認識できるものであった。

「いかがですか」

と看護師の声が美しくすがすがしく聞こえていた。

2目はこうして過ぎて行った。

「流れている感覚があったら呼んでください。遠慮はいりませんからね」

といって看護師はパンツルックの後姿を見せていた。

このとき、すべての看護師が美人で天使に見えたのは目の錯覚であったのだろうか・・・。



何時間か眠られたので今日は快適とは言わないが、気分がいい日であった。

病院食がこれほど待ちどうしいものであることかを痛感した。おかゆと味噌汁それに僅かの惣菜がこれほど美味しいとは思っても見なかった。

人は病院に入院して何が楽しみかと聞かれたらたぶん食事だと答えるだろうことは実感した。それほど食事が楽しみで待ちどうしかった。

美人の看護師がいればなお愉しいであろう事は言うまでもないが…。

それだけ病状が良くなっているのだろうかと思った。人は状態によって何かを要求するものである。病人は食事なのである。

テレビを見ても中越の地震のことばかり、小泉は何をやっているのかと怒りが湧いてくる。自ら先頭に立ち国民の安全を守り与えるのが政治家の務めではないか…。その意識がないのなら即刻辞任すべしといきまいて、血圧が上がった。

中越の政府機関をすべて開放して救助すべきなのである。

日本国の人命への考え方は非常に貧困なのである。口では人の命に代えられないとのたもうているがいざとなったら何も出来ない精神の後退を見る。

そんな世情に腹を立てながらも病状は良くなっていた。鼻がつまらなくなった。

うとうととして眠られるようになった。体力は改善されつつあった。

看護師と恋愛論を論じている自分が信じられなかった。瀕死の状態からこのような戯言がしゃべられる自分にあきれていた。

見舞客との応対もスムースになった。元気になりつつあった。

こうして3日の夜は更けていった。

「何かあったらすぐに呼んでください。何もなかっても呼んでくださってもいいんですよ」

看護師はそういって背を向けて出て行った。真っ白いパンツルックが印象的であった。

何が言いたかったのだろうと興奮して思った。



今日はよく眠れた所為かこころさわやかであった。

人間とは現金な者らしい。調子がいいとすべてが明るく感じるのです。

何かを待っている。

あの、おかゆと味噌汁と僅かな惣菜である。ことに気づく。

お腹がなっている。腹の虫が文句を言っているのです。

綺麗に平らげる。

今日一日の始まりである。

何をしょうかと思案の頬杖である。

回診、順調に回復、鼻血は完全に止まったという。明日にでもガーゼをとってもいいかなという。助かります。呼吸がしやすくなりますから…。

看護師さんと会話のやり取りがスムース4日目の朝は晴れ晴れとした朝を迎えた。鼻づまりはなく順調に呼吸が出来ている。たんの中には血が混じるが、それは鼻腔に残ったものであるという。

人間とは現金な者で、少し良くなるとうろうろとしたがるものらしい。

特に、8時に来る朝食が待ちどうしくて仕方がない。

あの、おかゆと味噌汁と僅かの惣菜が大変なご馳走に思えるのだから不思議でになった。

純白の天使は軽やかに背の羽をゆっくりとはばつかせている。空を飛んでいるのです。

テレビをつけて転寝をしている。

退屈である。

信越地方の地震の様子が終日テレビの画面に流れていた。

この国の宰相に「何とかしろ」と叫んでいた。

こうして4日の夜は更けていった。

見舞いの客との会話がなんとも軽やかになったことは回復の兆しであったのだろうか…。

テレビだけが信越地方の地震の状況を声高に伝えているのが聞こえていた。



早く眠ったからなのか5時に目が覚めてしまった。

これはなんと言っても早い。テレビも番組が始まったばかりである。

鼻のとおりがよくなってよく眠れたのが早起きの元であったろう。

それだけ良くなっているというのか…。

たんの中にはまだ血が残っていた。

それは嘗ての血の残リ遺物だということで心配ないというのであるが、なんだか信じられないものがあった。

不安疑心が病人にはあるらしい。

早く起きすぎて何もすることがないからまた少し眠ることにした。

横になった。うとうとしてまどろんだ。

だがすぐに起きてします。

腹がすいておきるのが分かった。8時が待ちどうしい。

部屋の中をうろうろとしながら過ごした。

循環器の検査をしたのは2日目であった。

血液検査をしたのは3日目であった。

車椅子で血液検査をしに行っていたと耳鼻科のお偉い先生は激怒した。

「鼻血が出ている患者に検査に来いとは何事か」というのである。

周囲の人たちは皆納得していた。

待ちどうしいと思うといても立つてもいられない。何か口に入れるものはないかと探し回った。が、飲み物以外なかった。お茶をのみ、水を口に含み耐えた。

「コンコン」という音がなんと心臓の音に聞こえた。

がつがつと食した。

高級のレストランの味がした。これほど美味しいものを食べたことがない感覚であった。

入院して胃袋が小さくなったのか僅かであるが満腹する。

幸せ、至福を味わった。

鼻の異物感は感じなかった。それだけ良くなっていたのだろうか…。

看護師が検温と血圧測定、脈拍を取りに来た。

「どうですか」

の声は快い響きで耳朶に響いた。

「はい、いいようです」

ころころと弾けるような返事が飛び出していた。

「良かったですね」

「はい、助かりました」

「後で体を拭いてあげますから」

「いいえ、妻以外の人に体を拭いてもらったことがありませんから、自分でやります」

「遠慮はいりませんよ、でも、そこまで言われますと…」

看護師はあっさりと引き下がった。

「いい人を見つけて幸せにね」

と、感謝の気持ちで言った。

「はい、そう願いたいですね」

「何かありましたら、すぐに連絡してください。遠慮はいりませんからね」

まるで天使の声が聞こえたように思った。

その日は一日中ボーとして過ごした。

回診があり車椅子で介護助士に連れられていった。

「止まったようですね、明日にでもガーゼを取りましょうか」

恰幅のいい先生は言った。

夕餉の食事がまた楽しみであった。

入院中餓鬼のように何かに飢えていた。

それは豪華とはいえない病院食にであった。

こうして5日目過ぎていった。



6日は退屈な日であった。

CTスキャンをしに車椅子で看護助士につれられていった。

初めての体験、なんだか怖くなった。何かが発見されたら大変であった。が、何もなかったので助かった。

終日テレビを見て過ごした。

夜に鼻に詰められたガーゼが取り去られた。

久しぶりに両方の鼻で息をした。

「これで鼻血が出なかったら明後日退院できますよ」

「CTに異常は何もありませんでした。単なる鼻の奥が切れての出血ですね」

こうして6日目が過ぎた。

看護師の姿が廊下を舞う白い蝶のように見えた。軽やかに弾んで見えた。それは何事もすべてが使命を全うしているのだという自覚の姿のようであった。

病人と看護師が戦いながら病魔を駆逐するその姿があったと思う。



腹がすいてすぐに目が覚めた。

回復を願って一日を過ごした。

鼻水に驚いて、鼻血と間違うという慌てようであった。

のんびりとしていかったが心がせいでいた。

早く帰りたいそのことばかり考え、鼻血が出ないことを願った。

そんな一日を祈りながら過ごした。

生き物は絶対にころすまいとおもったりした。

感謝の心が生まれ、従順に生きるんだと心に誓った。運命に感謝し、生きる力に感動した。生に対する考えも多少変わった。

何か世の中が変わったように思われた。

テレビは相変わらず中越の地震の模様を流していた。

様々な人生があることを実感していた。

長い一日が少しずつすぎていった。

こうして7日目が過ぎていった。



次の日8日目

入院生活も終わりかなと思う一日が来た。今日で帰られるそう思うと心が軽かった。

一週間の貴重な体験と色色な思いを残して病室を去った。



そんな入院の蹉跌がここにあった。



2004/10/21から2004/10/28までの8日間の顛末である。 ヨシナレ ユウ 記



滑稽座新聞

2005-07-03 05:13:47 | 話の小部屋
滑稽座新聞

智恵と常識のあれこれ

環境保護運動の高まりは所得と知性の関数だと言う見解がある

現代の大量消費時代は人が触れる物総てをゴミと変える

教育は哲学である・教育を変えるのは哲学である (哲学概論は哲学のコーナーで)言霊(ことだま)=使命

心を打つ仏像には慈悲が表現されている・慈とは父の厳しさ、悲とは母の優しさです仏教で言う三千とは、無数と言う意 三千諸仏とはこの世のあらゆる物のに仏が宿っているということ

土に感謝=お地蔵さん 水は=観音さん 火は=不動さん 仏=森羅万象

慈悲の愛=無償の親心

如来=慈=阿弥陀如来、薬師如来=父の厳しさ

菩薩=悲=観音菩薩=母の優しさ  明王=不動明王=命懸けの瞳、我を忘れて子を救ける  天部=仁王、四天王、十二神将=如来、菩薩、明王を守って仏敵と戦う

霊魂観=天翔(かか)り、国翔り、つまり死んで尚生前より強くなり守護すると言う魂

例えば卑弥呼が殺されたのもこの霊魂観に由来していると言われている

バイオエングス=生命倫理学

美は総ての人の物になりたがっている

人間と言うのは時間の使いが上手かどうかで幸せにも不幸にもなる、時間の使い方が上手な人は得をします、時間作るもので与えられるものではない

隠居は非健康的である・やりたい時にやる、休む事は錆びる事だ   エジソン

収穫はたまたま実るもので、一生に一度もないかもしれない     エジソン

人間の全睡眠時間を減らせば能力は増大する

現代の人間は嗜好の為に睡眠をしない。決して人のためとか、能力を増大する目的ではない

データーなしには研究は出来ない、総てデーターでやる、大衆の最大限の幸福が目的天才は1%の霊感と99%の発汗からなる・自分の為に発明するのだ、頭脳の小さい資本家の為ではない 私をつくりあげてくれたのは母だ   エジソン      人類が身に纏った最初の衣料はトナカイの毛皮

旬の意識が薄れたら食物はつまらない                     枕はチップ状の大理石がよい、桧=フィットンチッド、ハーブが精神安定の効果  京都は歳月をかけてコクを出す時間の街、大阪、東京は新しいものが通過する街  京都は漬物の街  水は古代は治療に使った 名水のある所、港、都栄える    家作りの基本は、人生を終える場所として考えよ、子が育ち、結婚式を、披露宴を し、そして葬式の出来る家造りを考えることが必要

病気は死ぬためのビィグチャンスとして捉えよ

産業資本の勃興期には洋を問わず花が流行する、景気を回復させるには花に夢中にすべきなんだ、それが大衆消費に繋がる 例えば、ヨロッパにチューリツプ、日本に万年青(おもと)・・・その栽培が近代の消費社会を育てた      本田道太郎

家は漏らぬ程、食は餓えぬ程にて事足れり・自分が死んだのち、百畳、二百畳の茶となるべし。これ利休の罪なり・・・茶室は四畳半がよし 茶とは自然の理に叶った作法 茶も仏教の「無一物無尽蔵」=何もかも捨てた時に何もかも我が物になるということ 茶の道は真っ直ぐ、自然体の生活の追求・ 利休の懐石は一汁三菜 ・胡麻が利休料理」のキーワード  茶は服のよきように、夏は涼しく、冬は暖かく俎は猫柳が最良、九州では銀杏、山陽では朴(ほお)、山陰東北では柳 木の俎には自然坑菌力がある

炭入れてご飯を炊く、その他昆布、純米酒、味醂、米油、塩を一掴み、鰹節を一欠片鯨油は石油が発見されるまでのランプの油だった 鯨は食用にするのではなく油を取り肉は海に捨てた 「白鯨」と言う小説は油を捕りに行って、白鯨に片足を食われその敵を取ろうとする物語だが、その頃は鯨油は石油より貴重品とされ、鯨船は七つの海を渡ったという 海に国境はない、鯨船の上で日本は物々交換をしていた ジョン万次郎は鯨船の乗組員となり勉強した 日本初の一等航海士であった       犬と車は放し飼いが理想

遣唐使(7世紀)の遺産「索餅(さくべい)」が日本の麺の始まりだった 索餅とは麦縄(むぎなわ) 索とは太い縄と言う意、餅は小麦粉で作られた食品を総称する言葉 油と塩を混ぜて延ばすという現在の麺造りの素となる

「水玉模様と千鳥格子」は不況のシグナル 暗い時代になると懐古趣味になる

脳科学=快、不快を化学的に解明する学問

「自分が意義深い存在である」と言うことを理解してくれる人=自己の精神性をより重視する人の情報を最も強い刺激(快感)として受け取る人が「人らしい人」に近い一度脳に記憶されると「忘れる」事はあっても、「消す」事は出来ない それは脳に傷痕として残るのです

アゼンダ21=「環境と開発に関するリオデイジャネイロ宣言」を具体的にする為の行動計画 1大気保全 2生物多様性の保全 3バイオテクノロジーの環境上健全な管理 4有害学物質の環境上健全な保存 5廃棄物処理 6資金問題

エコー火力発電所=木を燃料にする発電所 co2 の問題で考えられている

エコ・リッチ=アメリカの若者の間で、有機栽培の植物、有機飼料で育てられた動物しか食べないという、健康志向・・・これは嘗てヒッピーが行なっていた

グリーンGNP=経済活動が環境を破壊し、生活の質が低下した場合は、GNPに反映させない 環境を汚した分だけ差し引こうということ

第四世界=第三世界において、政治的迫害や戦争からの避難とは別に、環境から追われて新しく発生した難民

地球益=私益、社益、国益ではなく、地球全体の利益を考えて行動すること

エコステーション=地球に優しい車の為の「燃料補給基地」

エコトピア=環境庁地球温暖化防止のための実験都市

環境ラベル=環境面での優良商品に対して表示するラベル

グリーンエンジン=マーレシァ特産の植物油、パーム油を燃料にした自動車エンジンメタポリリズム文明=循環代謝と言う意、リサイクル型、省エネ型社会を作ろうという意

フエライト=俗に言う永久磁石の親戚、なぜに充電をしないのに電気が作られるのかこれはどうも解明出来ていないことらしい フエライトの化学反応を酷使した地球に優しい環境技術が進んでいる、水道水、水の浄化化に最適であるとか 人間の予知能力もフエライトになんらかの関係があるとか

ジオフロント=地下空間有効活用

老人問題=老後の不安三大要素は 経済・健康・疎外感

最澄天台比叡山 空海真言高野山 法然浄土智恩院 親鸞真宗本願寺 日蓮法華身延山

栄西臨済建仁寺 道元曹洞永平寺 日興正宗大石寺、日本には大きく分けて八つの仏教の宗派がある、ここでは親鸞二派を同一視している

動脈産業(製造業)ー静脈産業(リサイクル業)

商品やゴミの選択肢を誤って自己崩壊的なダメージを蒙る可能性が高いのは、人類と地球環境そのものであり、最終的に責任は市民に降りかかってくる

経済力や社会的地位はパートナーを選ぶ上で、大した意味を持たない 本当に必要なのは精神的な充足なのだ 自立した女性にとっては精神的にフィツトした男性を選ぶべき

マザフィク=母親との精神的な結びつきから離れられない事、マザコンよりも母親の女性性に拘っている事 マザコンの男性以上に、成人した女性に関心を示さない人達夫婦間にはコンスタントに身体を共有している状況がないと、お互い疑り深くなったり、人間としての自由自在さが失われていくし、心身共に干涸びてしまう 高血圧なんかもセックスレスによるストレスが原因だったりする

恋愛というのは、なんとかして彼女の事を知って、自分の事を知って貰う事がスタート、そして、第二のスタートは性的な関係を結んだ時 だが、今の若者は付合い始めがゴール                                  今迄とは違う彼彼女を発見したり、何時もと違う自分を発見し体験することが恋愛 自己の確立しないもの同士の結婚などありえない                ココロジー(行動心理学)

人間が猿から学ばなければならないもの=猿には発情期がない、食物は性を提供してまで獲得する、特に学ばなくてはならないのは、妊娠し出産しても子供が四歳になり独立するまで、幾らセックスをしても妊娠しないと言う仕組み 平和なセックス・アニマルの社会には母系的な原理が強い=ピクミーチンバンジーナミチンパンジー=父系原理が強い

父とは=家族を守るために戦うこと 経済的に維持活動をすること 子供を養育すること人間は今や、ホモ・サピエンス(考える動物)と言う名を、ホモ・ディメンチア(愚劣な動物)変えなくてはならないのか

物みな死で終わる

福祉施設は各地の大学病院とタイアップすべきだ

仏教の精神から言えば、臓器を病んでいる人に提供する事は大慈悲である

平成SAFE SEX の鉄の掟 1セックス・パートナーを特定化せよ 2コンドームを常時持ち歩け 3オーラル・セックスを控えよ 4アナル・セックス厳禁 5ディープ・キスに気おつけよ

自明と言われている事を疑うことが哲学

環境倫理学=自然にも生存権を認め、人間優先主義を否定する・現世代は未来世代の生存に責任がある「世代間倫理」によって、進歩の名のもとに資源を枯渇させるよう行為をチェック・地球全体主義で、近代の個人主義、自由主義を消滅させる可能性を持つ

技術の進歩が人間にとってどういう意味をもち、どんな可能性があるのか=哲学

人間と石ころに優劣なし虚心に読書百遍に徹すれば、難解な書物も必ず読み解く事が出来る

本を友とせょ、その中から、夢とロマンを拾え

何も勉強ばかりして、心の判らね人間になるより、遠回りをしてもいい、東大に入り国を動かす人になるより、人様の邪魔になる石を動かせ

人を怒る前に自分を怒れ

優しさは非常に残酷なものだ・厳しさは大変な勇気を必要とする

人生を何も深刻に生きることもあるまい、素直に正直に生きればいい、後悔しないために

個性を大切にしろ、と言う事は何も我侭に生きろという事ではない

哲学を持っていませんなどと言う戯言を言うな、生きると言う事が哲学をしていることだ

秋茄子は嫁に食わすな、後家に見せるな

環境問題を論じている輩が、ゴルフのハンディを垂れ、料亭で食べ残しをしている 煙草の煙りを嫌がる割りには、排気ガスが気にならない音痴が多い、個人の好みか

ゴミは屑篭へと孫がポスターを描き、祖母は庭のゴミを川に投げ入れている、断絶か人は皆、加害者である事を忘れ、被害者面をしたがる、人の所為にし自己を正当化

馬鹿な男とは=女に持てようと分不相応の車をのる奴 心を研かずに車を研く奴

       優しさだけが売り物の奴 頭も財布も中は空っぽの奴 女に口説かれ

     る奴 好きな女に好きだと言えない奴 女を女神だと思っている奴

       女が総て助べーだと勘違いをしている奴 オッパイに惚れる奴 男と

     女の区別がつかない奴 男と女の区別も出来ない奴 女と友情を育も

   うとする奴 四年間国民の税金を無駄使いした奴 猫に手を借りる奴

 犬に馬鹿にされる奴 ets???・・・???・・・?

あほな女=車で男の値踏みをする奴 SEX特集をせっせと読む奴 子供を産まない

   奴 愛したことのある男の悪口を言う奴 避妊を男に任す奴 前の男と比

 べる奴 エイズキャリァになった途端にSEXをしまくる奴 自分をブス     だと言う奴 化粧代で給料がなくなる奴 人の振り見て安心する奴 友達     の彼を見て理想を下げる奴 友達の彼を見て安心する奴 利口そうに見え     る奴 セクハラだと言って訴える奴 何をされてもセクハラだと気付かな     い奴 トレンディドラマを観て泣く奴笑う奴怒る奴 愛することを忘れた     奴 砂漠のように乾いた奴 酒を飲んで思い出し笑いをする奴 贈り物を     質屋に持っていく奴 ets???・・・???・・・?

ノゾキについて=正当な理由なくて、人の住居、浴場、更衣室、便所その外、人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかに覗き見た者は拘留または科科に処すとあるから、その外にて人とが淫らに裸になっているところを見ても刑法に触れないが、そのような性癖があると、何かの事件の時に引っ張られるから注意が肝要

幼年に大志を抱け 少年よ包茎に悩むな 青年よ行動を起こせ 中年よ妻を恐がるな老年よ学を志せ

PKOは憲法違反である、が、私学助成金も憲法違反である、文部省よ、もうこれ以上馬鹿な大学生の援助することはないのではないか。22才までの勤労青年のあらゆる税金を免除すると言う事が平等で、汗水垂らして稼いだ賃金の一部を税金に取られ、その一部が、阿呆な学生の助成に使われるのだから それも大学生はアルバイトで彼らより遥かにいい金を稼ぎ優雅に暮らしている 就職すると彼らより出世が早いとは何事か 学歴偏重の給与体制を改め 四年間の税金の無駄使いに対してそれに相当する金額を国に払え また、勉強もしなかった事を懺悔して憲法違反者であるというう認識をもて 学卒だと言って威張るな、君等を支えた若者の事を考えろ

ナースの国家資格を取った者に 学卒の資格を与えよ また資格試験が必要だろうか教職を退いた人は、のんびりと余生を過ごし、教育委員会や文化団体の非常勤になるな 教育を履き違え、文化を産んでいないのだから 身を引けよ

何も教育を語るのに、教職課程を卒業してなくてはならないのだろうか、教育とは教え育てるという意味を間違っているゆえか 一般の教育意見に耳を貸せ 教師だけが教育の専門家ではないのだから

子供にとって父と母が最大の教育者である

身のほどを知らずして謙虚さを忘れた人間を莫迦と言う

    唯心 観念=心を中心に人間の生き方を考える  形而上学的=机上論

哲学{唯物   =物を中心に人間の生き方を考える{形而下学的=体験論  法律であって法律でない=売春禁止法・食管法・公職選挙法

平成七・五・三不況=七・五・三病=景気が再浮上までにかかる年月=不動産-七年銀行-五年 証券-三年                           新3K=カタカナ企業・稼動率・金どまり

北方四島返還で国民一人あたり六万円の援助をロシアへ

湾岸戦争の時には国民人のあたり壱万円を

日本の国民性として、素朴と慎みが大きくあらわれていた、現代の傲慢と、エゴでは国際社会からはみ出しそうだ

心の美しさは、容姿の美しさに比例する

絵の善し悪しは、女の善し悪しと同じである・好きか嫌いかでいい、魅力的か?

3トウ=強盗、窃盗、骨董 骨董で儲けようなて考えは盗にも等しいということか

炒飯=古い米ほど美味しく出来る、その秘訣は「ご飯を炊かずに茹でて蒸すこと」

火炎、業火、灯火・・・等画がかれた火の姿に日本人の心をみる 火=猿=母=安産山車の関西、神輿の関東 神輿が関東から消えたのは関東大震災が原因である

ゴミ焼却炉は現在ふた通りある=ストーカ炉と流動床炉・ゴミのカロリーがうんだ 明治大正まではボケはなかった、他の動物もボケはない、ではなぜ現代にあるのか

高級というのは=頭、心、身体、総てに働きかける効果が大きいということ

結婚して一年以内に妊娠する割合65%・二年以内90%・二年たっても命中しない場合「不妊症」と言う

上手に栄養を摂るコツ=一食十色・ご飯から漬物まで、梅干しも入る

日本料理の基本は=一汁三菜・汁物、向付、煮物、焼物 向付とは膾(なます)

武家の作法は=器を膳に置いたまま頭を上げて食べる

町人の作法は=器を持って食べてもいい 武家と町人は自ずと料理が違う

ほどほどで最良とは料理の極意なり 甘いものは甘く、辛いものは辛く

プロとは=五味、五行、五色、五感、五法、この25の組合せが上手くいった時に始めて日本料理は完成する

五味とは=甘い、酸っぱい、苦い、塩辛い、香辛料の辛さ・味のバランス

五色とは=白、黒、黄、赤、緑・五味が揃うという事は見た目も綺麗だし栄養も偏っていない・栄養のバランス

五行とは=火、水、土、木、金・火加減、水加減、土壌、自然のバランス

五感とは=見る、聞く、匂う、触る、味わう

五法とは=切る、煮る、焼く、蒸す、揚げる

「人生は茨の道だけれど、安易な道を歩むな。険しい道を行けば行くほど、人間というものは出来てくるんだ」

「年を取っても、枯れないことです。常に清潔な感じを保とうと言う心がけが大切」「人生はたった一回きりしかない。だから若いうちに有意義だと思う、こうありたいという宿題を一所懸命沢山作りなさい。それで年を取って行く。その宿題を一つずつ解決していく、そのために努力をする。努力し、宿題を解決し尽くしたら、人間の一生って、たったの一回で充分なものだと思えるではないか」

「よく死ぬることはたやすいけれど、よく老いることは並大抵のことじゃない」ジイド 「年を取れば顔にシワ、身体にシワは寄る。しかし魂だけにはシワを寄せるな」

「運鈍根が人生を大成させる」広中平裕 (益田喜頓のインタービューより)

初鮭・初鰹と言うことになったのは=江戸の中期頃から、一番に将軍の台所、ついで幕府の儀式典礼を司る高家の勝手を賑わし、その余りが一般に売り出されるというのが仕来りが・町人の食文化をつくった

天婦羅と名ずけたのは山東京伝

猪の肉は=山鯨、牡丹(冬、黒)  鹿肉=紅葉  馬=櫻

差別とは=ものすべて、個性や性質があるでしょう。それを認識するのが区別です

     それを”それを大きいから偉い”とか、”小さいから卑しい”等と意味な

   く判断したり、位置づけるのが差別です 「橋のない川」 住井すえ

もっとも入りやすくて、入ったら最後、降り落とすことの出来ないやつかいな感情、これが差別です・誰もが裸で生まれ、死ぬと一様に灰になる。その人間に貴賎の別があるわけがない。卑しいのは、差別をするその心ですょ

文化とは、命を大事にすること

”土を愛しみ、水をいたわり、火を敬う”と言う心が、だんだんと、土に愛しまれ

水にいたわられ、火に助けられて、はじめて生き長らえることが出来るのだという事が判って、命の恩恵を受けていることを感じる

童話は、やさしい言葉で深い哲学を表す 素晴らしい文学です

今話題の薬として注目を集めているのは「ロイコプロール」と言う、森永乳業が癌患












大風呂敷の中の小石

2005-07-03 04:58:16 | 話の小部屋
  毎日新聞随筆

毎日新聞随筆「大風呂敷の中の小石」

                                                                             吉馴  悠

~ ぶらりとわが家に転がり込んみ住みついた三太郎という猫が、私と柿本源内という作家を巡り合わせたのだ。実を言うと私は犬猫が好きではなかった。嫌いな原因は、靴も履かず下駄も履いてないと言うことだった。特に猫はどこをほっつき歩いて帰ってくるか分からず、拾い食をしどんな黴菌を腹の中に貯え帰宅するか分からないということもその因であった。出て行き帰ってこなければいいと思っていると、ガラス戸を叩き開けろと命令をする。じっと見ていると玄関で足の裏と汚れた毛をせっせと舐めているではないか。清潔な奴だと感心した。それが居候を許し、心を開き、友情関係を成立させるもとになった。源内先生とどのような関係があるのかと思われるだろうが、三太郎の事を書かなければ源内先生の事は分からないからどうかもう少し我慢しお付き合いを願いたい。だんだんと三太郎に興味が湧いてきた。これも物書きの好奇心、出歯亀根性という奴だ。なかなか面白い。こ奴を主人公にして小説を書いてやろうと考えたのだが、大大作家の夏目漱石が「我輩は猫である」と言う作品をいち早く書いておられる。はたと私の脳細胞は固定した。だがここで後に退くようでは物作りではないと堅くなる体と心を揉みほぐした。恐がることはない。私の故郷の先達、宮武外骨は色々の手段を用いて官憲を欺き、世の喝采を浴び、色々の雑誌を次から次へと出したではないか。三太郎を観察しそれを原稿用紙の上に書き出来上がったのが「三太郎の日記」であった。が「三太郎の日記」とはこれまた恐れおおい題名であることに気付き「三太郎の記紀」。倉敷演劇フエステバルの作品をどう書こうかと思案していた時 三太郎が目の端に映った。私は「三太郎の記紀」を脚色する事にした。紙屑作りの大作家柿本源内の家の居候猫が三太郎であると言う設定だった。また古里の奇人の平賀源内の名を安直に使用した。では、おまえの出所と同じの空海は菊池寛はと言われる方もおられようが、今は勘弁願いたい。源内先生は三太郎との関係の中から生まれたのだ。くどくど書いたがさて、次回から源内先生が、外骨宜しく世間の矛盾を舐め回し舌炎になる事を期待してペンを置くとする。

 どうも世の中には諺を正直に理解してないご仁が多い。世の中が歪んでいるのか、人間の心が邪なのか、そこのところまで詮索する興味はないが。真心を下心と勘繰る輩が多いいのには失望する。その歪み邪は家庭教育にあるのだと言う事が分かっていないのだ。例えば玄関で靴を脱ぐ時に、出口へ靴先を向けて揃えるという躾は家庭教育なのだ。が、お隣の韓国の人に言わせるとそれは躾ではないと言う。何も揃えなくてもいいではないか、躾はもっと他にあろうと言う事らしい。が、それが文化の違いというものだ。帰る時に履きやすいようにとそこまで考える必要などない。せっかちだ、大らかではないと言う事らしい。その言い分に対して分からなくもない。日本人は何事にもけじめを付けたがる癖?がある。それがいいのか悪いのか、皆さんの考えに任せましょう。その延長で、諺の意味を曲解している事も否めないのだが。例えば、これから美味しくなる茄子。茄子など今スーパーヘ行けば年中売っている。旬の秋茄子はなかなか美美である。故に、かくなる諺がうまれたのだ。

「秋茄子は嫁に食わすな」と。嫁が憎くて美味しい茄子を食わすものかと言う姑の意地悪を連想し、勘違いをしてそう思い込んでいるご仁が実に多いことに、がっかりした事がある。そのような考えしかうまれないから、せっかちだ、大らかではないと言われるのだ。実に言いえて的を得ているのだ。が実に悲しい、そのようにしか言葉の意味を理解出来ない民族をさもしいと思う。中にはその諺の真意を理解しておられる方もおられるのだが、そんな方にお会いすると、涙が出る程嬉しくなる。

 何をおまえは茄子のことで御託を並べて物知り顔に説教をするのかと言うお人もおられようが、茄子になぞらえて、そのように開き直る人々に、少しは人間を信用しては如何かと言いたいのだ。

「秋茄子を嫁に食わすな」と言う諺の意味は、早く孫の顔を見たい、孫を抱きたいと願う姑の切なる思いなのだ。秋の茄子にはアルカロイドと言うお腹を冷やす成分が多く含まれていて妊娠しにくいからなのだ。孫が欲しい母なる願いの諺なのだ。そんな人に会うと心が洗われる。胸が熱くなる。

 平和ボケした国民の渇いた心をより干涸びさすような猛暑が続き、あちらこちらと給水制限が行なわれた。蛇口を捻っても水が出ず、人は戸惑い、断水時に使用する為に汲み置きをするポリ馬穴が飛ぶように売れた。

 水は無限ではないと言う事を二十数年前に叫んだことを思い出した。公害についての意識が芽生え、市民運動も盛んであった頃だった。その渦中に私もいた。水島の空は泥を流したようだった。周囲の山は夏の間中見えなかった。オキシダント注意報が出る前には百メートル先の家が見る間に姿が消えた。川から鮒やザリガニがいなくなり、悪臭が鼻を突いた。川を殺したのは中性洗剤、合成洗剤が原因であると言いだした。

 盛んに料理の後の廃油で洗剤を作る運動が広がっていた。水を汚す事は同じだったのだが。その考えのもとには水は無限にあるという考えが見え隠れしていた。その人達が、水は有限であるという考えを持っていたならば、運動自体変わっていたであろう。洗剤の改良と、小量の水で洗える洗濯機をメーカーに求めた事だろう。そして、下水道の完全完備の必要を感じたであろう。私の家では粉石鹸、固形石鹸と酢と塩だけの生活に変えていた。クリニングにも出さず、美容院、にも行くなと家族に伝えた。シャンプの代わりに固形石鹸を、リンスは酢で代用し、歯は塩でと言う具合に使った。ただの石鹸を使うことで解決をするとは思えなかったからだ。家庭廃油と苛化性ソーダーを加熱して石鹸を作っておられた方はそこまでなさっていただろうか。美容院で洗髪をする時にシャンプを使わないでと言ったのだろうか。クリニングに出す時に合成洗剤は使用しないでと言ったのだろうか。水を大切にと考えて運動を始められた方達だからきっと言ったに違いない。市民運動は常に被害者と加害者の関係を露呈するものだ。数年前から忘れられていた石鹸が脚光を浴びだした。児島湖が回復不可能になった事で、また洗剤の良否が起こったのだ。

 渇水のお陰で水の大切さが身にしみて分かり、認識を新たにした。これを期に、水に対しての運動が変わるだろうか。水は人間の命の源であり、無限ではないのだ。

。その頃私達は水より、空に目は向いていた。科学薬品のような匂い、洗濯物に付着する煤煙。工場群の煙突からは五十メートルもの炎が夜空を焦がしていたのだ。その下では新聞が読めたのだ。公害センターの人体に対する影響についての発表は**ppmだから影響はないというものだった。が空には鳥も飛ばず、昆虫も遊んでいなかった。煙の問題に懸命に立ち向かっていたのだ。

 その辺りから、今の渇水が予想できていた。日本に降る雨の量の九十パーセントは海へ流れこみ、僅か十パーセントの水で工業、農業、家庭と使われ、水の有難さなど心の隅にもなかったのだ。



 日本人は蚤が飛ぶのが見えて馬が走っているのが見えないらしい。馬とはご自分の事で、蚤とは他人のことだと置き換えてもいい。また、被害者になりたがる癖がある。肺癌になるから私の前では煙草は吸うな、と禁煙権を言い起てる。その割りには工場の煙突の煙が見えない、ダンプトラックの排気ガスが見えない。そんなご仁に限って、大きな排気量の車を走らしているのだから何をか言わんやである。ご自分だけ煙草の煙を吸わなければいいという考えらしい。愛煙家のマナーにも問題がある。確かに行儀が悪い人も多いいのは否定しない。灰皿のないところで吸ったり、顔を顰めておられる方の前で断りもせず堂々と吸っている。肺癌で死のうがほっといてくれ言わんばかりにである。どちらも食えないご仁であることには違いない。

 煙に巻く話はこの辺にして、被害者と加害者について考えることにしょう。

 市民運動にけちを付けるつもりはないが、こいつがまた曲者である。ボランティアと言う美名に酔ってらっしゃる方が実に多い。日本はボランティアと言う風習がなかった。ボランティアで子供を預かっているのかと思ったら、きちんと保育料を取っていらっしゃる。宗教法人と学校法人を兼ねていらっしゃる。困っている人を救ける、世の為に尽くすという考えがないところにボランティアなどと言う名前を付けるべきではない。 ルアンダの難民キャンプに自衛隊が平和維持軍として派遣されたが、カンボジアの二の舞にならなければいいがと安じている。人を救けるために己れの命のことを考えていては何も出来はしないのだ。ボランティアとは命を張って起こなう善意ある行為なのだ。今の日本人には無理なことだ。だから、PKOの問題一つに国会議員が最も尊重されなければならない憲法を蔑ろにして、喧々ガクガクと都合のいい解釈を試み、国民不在の議論に終始し、拡大解釈をして派遣にこじつけたのだ。ボランティァの延長であってはならない。国際平和を日本も担うのだということを国民に納得させなくてはならない。加害者になっても被害者になってもいけない。人間を愛おしいと思う行為なくして・・・

 勝った敗けたと世間は騒がしくなった。勝ったと喜ろびの酒に酔い、敗けたと自棄酒を飲む。まるで演歌の世界である。

 勝つか敗けるかを人生の目的にしだしたのは、入学試験にある。良い学校に入ることが勝つ事であり、入れなかったら負けなのだ。勝つか敗けるかという区別で人生が決まると考えているらしい。考えて頂きたい。勝つ事だけの生き方が一体何を生むのだろうか。自己主義を生み、自分以外を受け入れないという考えを生む原因を作るものだ。自分さえ良ければ他人はどうなっても良い。それがもとで、干涸びている人間が増えたことか。渇いた心は感動を受け付けないのだ。特に勝ち続けている人達にはゆとりなどないのだ。油断がすぐに敗けに通じるからだ。なんと情けない世の中になったものか。勝った勝ったと浮かれているうちに、敗けた人達が、文学を読み、美術を鑑賞し、音楽に親しみ充実した生き方をしている。どうであろうか、あなたならどちらを選ぶでしょうか。

 オリンピックにしてもアジア大会にしてもどうして金メダルに拘り、面目に拘泥するのか。たしか、我が幼い頃には「参加することに意義がある」という名言があったのだが、その言葉はもう死語になっているのだろうか。国威発揚のためと大時代的な考えが蔓延しているのだろうか。たかが運動会を大きくしただけの遊びじゃないか、気軽にやればいいではないか、と言う考えのお人はおられぬのか。今回のアジア大会に出るために、幼い頃より日がな一日勝つことだけに精を出されたことに対しては、頭が下がるし、可哀相にと同情もする。お国の為、そんな考えは捨てなさいょ。勝負に拘るより、もっと確かな喜びのある生き方があることを知り、それを探してみては如何かな。

 国会議員の皆さんはもどうも、国民の勝った敗けたの後押しに余念がないらしい。国民に闘争心を植え付けておかなれけば、国会で勝っ事だけを考えてる事を理解されないと思っているらしい。

 そう言えば、国会議員の皆さんはいい大学を出られている。いい大学を出て国を動かす人間になるより、人様の邪魔になる石ころを動かす心根が欲しいものだ。



 北の国から紅葉の便りと共に初霜雪の報せも届き、肌を撫でる風の色が変わった。時の移ろいは人間に無関係のようだ。今夏の猛暑だ、断水だのと騒いだ事がまるで嘘のようだ。日本国の総面積の八十%の山地に降る雨量は、大地に沁み込み地下水となり余った水は川の流れを増す。嘗てはだんだん畑がダムの代わりをし、地水となって川を潤したが、山は削り取られゴルフ場とレジャーランドに変わってそれもなくなった。二十%の土地に一億二千万人が犇き喘いぎ、水を無限に使っていたのだ。今年の旱魃で水が有限であると分かり馬穴が店頭から消えた。水と馬穴の有難さが良く分かった。

 風が吹けば桶屋が儲かるの喩、雨が降らなければ桶(馬穴)屋が儲かると変えるべきなのか。

 それにしても、国会で議員さん達は一体何をしているのだろうか。我が身可愛さで議論し、底の抜けた馬穴に何を入れ国民を納得させようとしているのだろうか。消費税率、小選挙区制の区割り、スキャンダル。確か行政改革を国民は求めていたのだが。権力の座を欲しがり信条主義主張を捨ててウロキョロする愚かしさ、何とも貧しい人間を皆さんは選ばれたものだ。議員がこのざまでは、国民は諸外国の良い笑い者になっているのだが。六十年、七十年には、国民が怒りの牽制球(火炎ビン)を投げ、篭城し、権力と戦ったものだったが、今の国民にはそんな怒りも勇気もないらしい。教育によって飼育され裸の王様になった。それは偏に個人主義の悪しき弊害を産み、金持ちの無関心無気力とさらなる権力欲を産んだ。

 権力、権威と言えば、ノーベル賞を受けた大江健三郎氏についても言える。ご苦労さんでしたね。受賞の為に如何に努力されたかは言うまい。だが、文化勲章でボロが出た。両方を辞退していれば拍手喝采であったのだが。文豪らしいけじめか、何とも寒い狭量か。 寒さと言えば、気象庁は暖冬と予測。極寒になると言う専門家もいる。としたら、今から冬眠に備えて脂肪を付けておかなくては。何が起ろうと屁の「かっぱ」と言う方は別。だが、慌てて、馬穴に灯油を蓄め込まないで頂きたい。気象庁の予想が当たりますかな?鳥は高い所に巣を作ったのだが。 何とも痛ましい事件が起こった。いじめによる少年の自殺である。軽々しく書ける問題ではないが、経験から少し触れてみたい。

 生徒を持つ家庭が学校に対してあまりに期待し過ぎているのではないか。何もかも学校に任す勇気がおありなのには感心するが、私にはそんな勇気は持てなかった。 私の愚息が通学していた頃は、校内暴力が盛んであった。友達に殴られ、教師に疎んじられても学校にいる時間に起こった事は一切関与しなかった。学校から帰ったらどんなにいたらぬ親でも子供に対しては責任者である。だからと言うのではないが親の責任で校則に違反するような事もさせた。学校側の干渉は御免こうむった。補導された時のために「一切干渉無用」と書き名前を印した用紙を持たせていた。家庭教育の範疇まで学校教育に入り込んで欲しくなかった。学校と家庭の区別はすべきなのだ。何回か、婦人学級の講師として話させて頂いた時、学校に送りだす前にお子さんの瞳を見ていますかと問うと、全員が俯いた。教育熱心な婦人達ですら薄ら寒い状態であった。瞳を見ればその日の健康状態が分かり、心の有様が見えるものなのだが、そんな余裕はないらしい。各教科の点数ばかりに目が向けられ、瞳の中に有る大切なものに向けられていないということは恐ろしいことだ。点数教育で将来の生活が決まるという貧しい考えが、その根底に見えた。親の言う事が聞けない子供に幾ら教育をつけたとしても、社会に役立つ人間になることは稀であろう。「何をしてもクラスで十番の中にいれば叱られない」と取材先で生徒が言った事が今だに残っている。この考えは学校ばかりでなく家庭でもきっと通用したのだろう。苛めの問題も学校と家庭の教育の問題なのだ。家庭の比重の方が大きい。躾が自立を齎らすのだ。買いたいものが沢山あり楽しい場所が手で招いている。欲しいだろうし遊びたいだろうが、家庭の躾と人間が生きる為に必要な価値観を親が持っていれば誘惑は跳ね退けられる。親の姿を見て子は生きる。被害者の子も加害者の子も。せめて子供にとって教師と両親が最高の教育環境でなくてはならないのだが。子供の瞳は常になにかを語り掛けているのだが。

 今年はどんな鴬の啼き声が世間を飛びかうのだろうか。ふんぞり反っていた人達が、水鳥が餌を啄ばむように何度も頭を下げるのだ。餌とは向こう四年間の議員の席である。能くも出来もしない公約を並べたてられるものだと関心をするが、その手練手管はいかなる役者も顔負けであろう。劇作家の端くれとし議員の出る戯曲を書こうと試みたが書けなかった。人間として書こうとしたから失敗したのかなと反省した。さて、今年は議員になるためにどんな迷台詞が飛び出すか、今から心浮き浮き興味津々として待っている。乞食と役者と議員は三日やったらやめられぬと言うが、役者の事はよく分かるが、議員となると過去の行政手腕と将来のビジョンを熟知してなくては判断がたたぬ。国民のためという言葉は今や打ち上げ花火のようにパァート消え、反対語になった。市長選、県議選、参議院選とあるかないかの衆議院選と選挙の年。今からよく考えて「この人に託す一票後悔票」とならぬようにと思うが、あいも変わらぬ顔ぶれで誰を入れていいのか迷わぬ前から呆れてしまう。「ご馳走と出されてみても箸も出ず」だ。

 この人には出て欲しくない、という人にはマイナス票があればと思う。投票を棄権するという事は当選した人を支持したという解釈も成り立つ。だからマイナス票は必要なのだ。それに重要決議には市民、県民、国民の投票制の導入を実施して頂きたいものだ。委託したとは言えこうもめまぐるしく考えを変えられたら信用などできないからだ。行政改革に期待したが完全に反古にされた。擦った揉んだの末に「小選挙区比例代表」という、イギリス、フランス、が失敗した制度を取り入れる愚かしさにはがっかりした。金が係らぬと言う事は金が係るという事の裏返しなのだ。今、国会がどうなっているか世の国民には分かっているのだろうか。権力分布のややこしさ、名前に党首が誰か余程新聞紙と仲良くしてなくては分からぬ。景気が悪くて青息吐息の国民を尻目に、己れの保身だけしか考えていないという人には立候補を遠慮願いたい。国民が利口なら、選挙が日本だけの問題でなく世界のことだと気づき、有為な人にと考えるのだろうが。侭ならぬ世間。 人がなにかを作るということは生半可のものでは出来ない。まして演劇となると多くの人間が必要で、音響、照明、舞台美術、衣裳、台本、役者が一体にならなくては出来上がらない。三月三日七時から芸文館ホール「良寛」の公演に向けて心を一つにして取り組んでいるが、何度経験しても緊張するものだ。その緊張感が快よさを与えてくれるとなると至上の喜びだ。だんだんとその緊張感が昂り感情の起伏が交錯する、目の色が輝き、頬は紅潮する。動きもきびきびしたものに変わり、台詞もそれにともなって強弱長短が感情を醸しだす。今その渦の中にいてこの文を書いている。

 さて良寛とは一体如何なるご仁であったか、良寛研究家によって様々な説が流布しているが、岡山の玉島円通寺時代の十二年間のことは皆無に等しい。良寛は師の國仙和尚と、仙桂についてすら詩の中で一行で片付けている。劇作家の端くれとしてはほんに都合がいい。創作というのは殆どが嘘八百である。実在の人物ですら、俎の鯉よろしく簡単にペンでさばく。焼くか煮るか、あらいにするか、汁にするか。その料理の腕は作家の技量であるが。良寛を切れない包丁でさばくために多くの本を読んだが、読むほどに良寛像はぼやけた。ただ分かったことは、良寛の生き方がこの世知辛い世の中で出来たらいいだろうなという想いだった。詩僧とも聖僧とも言われ、純粋無垢に自由に生きた。童たちと歌に手鞠は有名だが、僧侶としては落ちこぼれであった。「僧にあらず、俗にあらず」大愚良寛と自ら名乗り、益にも害にもならない生き方をあえて選んだことは、羨望さえ感じた。ブッダは命を等しいと説き、のんびり、ゆったり、いい加減が一番いいと言っているが、宗派を異にしても、今必要なのは生き方として、のんびり、ゆったり、いい加減を再認識しなくてはならないのではなだろうか。良寛の生き方にそれを見たのだ。金が無くてはなにも出来ない、そんな人生にいち早く決別したいが、なかなか良寛の真似は出来ぬ。ならば、今まで通り奇人変人横着者として、良寛を横目で眺めながら生きるしかない。良寛は己が有名になり、褒め讃えられていることに頭を掻いているのでは。 何もなければいいがと案じていると、東京の地下鉄をサリンが襲った。無差別大量殺人である。安全と空気はただだと考えていた都民にとっては青天の霹靂であったろう。松本のサリン事件の時に、サリンという毒物が日本にあり、何処かで使われわしないかと言う協議を持たなかったのだろうか。もたなかったとしたらお粗末である。あらゆる段階を経て、準備万端おこたりなく遂行に及んでいるところを見ると、強かである。余程の訓練を積み計画を検討し、実行に及んでいる。日本国の中枢である霞が関を狙ったとなると政治犯ということになる。だが政治犯なら、犯行声明を出し何らかの要求をしてくるはずであろう。それもないと言う事は、霞が関に恨みがある奴の犯行ということになる。どちらにしても、巻き添えを食らった人達は誠に気の毒である。 そして、このような事件が起きて一番下手な籤を引くのは、国家に対して牽制球を投げていた人達である。曾てGHQが赤狩りをした時のように、国家権力による国民へのファシズム化である。



 「良寛しぐれ」を読んで芸文館に足を運んで下さったご婦人の方達がいた。私は表に出ずに舞台を壊していました。お会いしたかったのですが、申し訳ありませんでした。嬉しくて心で泣きました。 倉敷演劇フェスティバル95’を終えて、確かな手応えを感じました。市民の中に何かが芽生えようとしているという実感です。二十数年前、土倉一馬氏が倉敷演劇研究会を発足させ、その第一回公演の台本を書いた頃は、演劇集団は彼のとこしかなく、演劇不毛の倉敷であったわけです。倉敷で演劇を語るとなると、土倉氏をぬきでは語れないだろう。彼との意見の食違いで、別れて行った多くの人達が別の演劇集団を創った。その頃、私は文芸同人誌を発行しながら頼まれて台本を書いた。彼の踏張りがあったからこそ、倉敷に演劇の芽は枯れる事なく続いたと言って過言ではない。彼の集団が一時期、岡山県の演劇界をリードしたが、今はその脚力は落ちてはいるが営々と続けている彼の情熱には頭が下る。演劇人口の拡大、演劇を市民の中に浸透させた努力は、市民劇場と同等だと思う。