yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

小説 九太郎が行く1

2006-03-26 23:01:26 | 小説 九太郎がいく
九太郎がいく・・・1


 母の乳にしがみ付き温温と育っていたところお嬢さんに籠に入れられ今の主のところへ連れて行かれた。主を見たとき目を丸くして驚いた。頭の髪はもう何年も散髪屋のドアを開けたことがなく、髭は白く頬を覆い、目はトラのように大きく、鼻は小鼻の張った団子鼻、体躯は背丈の割には横に大きく・・・。そんな主と対面して俺は尻尾を立てて臨戦態勢に入った。
「二ヤーンゴロゴロ」と主は猫語で言った。
 発音に少し訛りがあるが良く来たなと言っているらしい。目が穏やかに笑っている。主は何匹か猫を飼った経験があるらし。その猫に訛りがあったのだろうと思った。猫語に堪能であるように見えるが、日本人が英語を喋っているようでたどたどしい。
「二ヤーン」と、俺は小さく鳴き出方を見た。そして、科を作って見上げてやった。これは人間の心揺さぶる動作である。
「ニヤンニヤン」と主が鳴いた。
 今日からお前の飼い主は我輩であると言っている。分かったと言う証拠に尻尾を三回振ってやった。
「オスなの、盛りがついたら大変だわ・・・去勢をしなくては」
 主の隣でおとなしそうにしていたおばさんがきつい言葉を発した。
 俺は腰を引いて飛び掛る体制に入った。
「ニャニャーン」
 主が心配するなと言った。
「二ヤーン二ヤーン」と、俺は鳴いて態勢を解いた。
 出会いはこんな具合だったが・・・。この主の奇行気まぐれにはほとほと手を焼く羽目になるのだが・・・。出会いの縁に戸惑う日々を経験するのだが・・・。
まずはご挨拶で・・・。
「ニヤヤヤン・・・」

九太郎がいく・・・2


 真新しいトイレ、トイレの砂、餌の器、草の鉢、飲み水、が玄関に置かれていた。これは俺のものだと言う証拠に小便をした。
主は先に飼っていた茶子兵衛と三太郎との死別に傷心し猫は二度と飼わないと言っていたのだが、心を入れなおして飼う気になったらしい。どうも一本筋の入っていない性質らしい。悲しんで「茶子兵衛は何処へ」と「三太郎の記紀」と言う小説を書いて哀悼したらしい、そこが主の甘っちょろいヒューマニズムらしい。
 前の飼い主は俺を不憫に思い、劇団の主宰の主に、
「可愛い猫がいます、監督はこの猫の運命を握っています、生かすも殺すも監督次第です」と半分脅迫したらしい。
 情に脆い、女性の言葉に弱い、動物の不幸を見捨てておけぬ主は飼う気になったのだ。元々口では何のかんのと言っているが猫好きの甘ちゃんであるらしい。
 主は早速俺を風呂に入れた。
「ニャー二ヤーン」と、主は鳴いた。今までの世間の垢を綺麗さっぱり落として、我が家の垢にまみれよと言った。この家の仕来りに馴れよと言うことかと思った。
 体中ボディーシャンプをぬられごしごしと洗われた。猫の俺は水も湯も大の苦手であるので暴れてやった。俺は今まで風呂に入ったことがなかったらだ。
「ニヤヤヤンゴロゴロ」と主が俺の頭に一撃喰らわせて鳴いた。
 主はこのような湯を怖がっていてはこれからの生存競争に勝てないぞ、メスの争奪戦には勝つことが出来ないぞと言ったのだった。俺は半分納得した。
 主の家人、詰まりママさんが俺の体を丁寧に拭いてくれた。体から化粧品の臭いが立ち込めていた。
 この家で同居するとなると色々と知らなくてはならないと探索をする事にした。別棟に長男夫婦がいる、別所帯か。主の住いの階段を上がって二階の二十畳には次男が一人住んでいる。が元は主の書斎だったらしく本がぎっしり並べられ詰まれていて使えるところは六畳か。主とママさんは六畳を二間使って生活しているがここも本とテレビが五台で六畳もない程である。
 俺のベッドは主の椅子の下であるらしい。箱の中に座布団が敷いてあった。
 初めての風呂の疲れですっかりと寝入った。
 どれほど寝たのか大きな音がして俺は飛び起きた。
 寝室から雷のような鼾が聞こえてきていた。その寸簡をぬって寝言で「九太郎、そこはトイレではない」と叫んでいた。俺はまんじりともせず一夜を明かさなくてはならなかった。
 次の日は欠伸ばかりしていた。

九太郎が行く・・・3


眠たくて眠たくて主を起こすのをやめた。猫の習性として夜が明けたら同居する人間をなめて起こすというものがあるが・・・。いびきの大きさにびっくりしてそのことを実行する気力も失っていた。
ママさんがおきても主はなかなか起きなかった。主が寝ているときは眠られないのでママさんの後をついて歩くことにした。
「まあ、なんと早く起きるのかしら」
 ママさんはそう言って俺の頭を撫でた。
「二ヤーン」 
俺はかわいい声で鳴いて見せた。
「わかるのね、可愛いこと、餌が欲しいの」
 と言って器いっぱいの餌をくれた。ははーん、腹が減ったらじっと見上げて「二ヤーン」と鳴くだけでいいのだとひとつ勉強になった。
 たらふく食べて横になったが主のいびきは潮が打ち寄せるように続いていた。
 こうなれば少し散歩へ行ってこようとしたが、どこも開いてなかった。どこか開いていないかと探したがどこもない。これは困ったと・・・。窓に体当たりをしてみた。その音にママさんが顔を洗って飛んできた。
「何をしているの」と俺を見た。
「外が見たいのね」
 と言って窓を開けてくれた。出ようとしたら網がかかっていた窓を開けてもらうには体当たりをすれば言いということを覚えた。
 人間は猫の学習本能を知らないらしい。何回か同じことをすれば体が自然に覚えるのだ。猫の額が狭いから脳の働きが悪いように言われているようだが、なかなかである。人間にそう信じさせておくほうが楽に生きられるというものだ。人間が何かを喋るきの顔でおおよそ何がいいたいかの検討はつくのだ。
外をじっと見ていたら、
「よく寝た、今日も一日いい日であればめでたい」
 と主が起きてきた。


九太郎が行く…4


うとうとしていると、
「よく見るとこやつはどことなく品があるではないか…我が家にふさわしい…」
「氏より育ち…大切に育ててあげましょう」
「茶子兵衛も三太郎も自分の分まで可愛がってやってくれと言っているだろう」
「此の九太郎を茶子兵衛と三太郎の生まれ代わりと思って飼いましょう」
「たくさん食べて大きくなって明るく陽気に暮らすと良い…病気はするな自動車と仲良くするな」
「茶子兵衛は自動車に撥ねられて、三太郎は白血病で…」
「のんびりやろう気楽にやろう、東向いても西見ても、何と切ない世の中か、どうせはかない浮世なら、
自由に過ごせ気の向くままに、互いに虱の湧くまでと、仲良くやろう何時までも、よろしく頼むと、手を取り合って…」
 主とママさんがそんな会話をしていたのだった。
 俺は二人を二人を見上げて、
「ニヤンニヤーン」と鳴いてやった。
 そして、あたりの足へ体をぶつけたのだった。
「わかるのか、それは賢い」
 主が俺の頭をなでた。そのとき下半身がもぞもぞして、急いでトイレに行った。感激をするとトイレが近くなるのだということを知った。
 餌の隣に飲み水を用意してくれているが、飲みにくくて風呂桶の水を飲むようにしていた。少し石鹸のにおいがするが俺のにおいと思えばよかった。
 ここは俺の領分とばかり小便をして歩いたが、主にこっぴどく頭を叩かれてそこはするべきでないということを知った。
 ここで云っておくが、賢いとは言え間違っていることはそのように注意をしてくれないとわからないのだ。猫が可愛がりは良くないのだ。躾は心を鬼にしてやっていただきたいものだ。叱られて一つ一つ覚えていくものなのだから…。
 昨夜、主のいびきで眠られなかったが、そのとき主の机の上に詰まれたたくさんの本のなかから一冊つまみ出しぺらぺらとめくってみた。
「猫の飼い方愛仕方」という本だった。この本を読んで俺との友情を深めようとしたのかと思うと涙が浮かんできた。
 人は風貌でその人格を決めては成らない、判断してはならない、人には添ってみろという猫のことわざがあることを思い出したものだ。

九太郎がいく…5
5
俺は主がパソコンをしていないときは主の椅子を自分のものとして使っていた。これは俺のもだという証拠ににおいをしっかりつけた。主のにおいを消そうとしたのだった。
「ニヤヤーン」と主が鳴いて見下ろしていた。九太郎、ちっとそこをどいてくれといっているのだ。俺は主をちらり見て知らん顔を決め込んだ。こんなやり取りは何回かあった。言うことを聞かない俺に業を煮やした主は俺の首玉を掴んでそこに座るのである…。
 主はパソコンを開いてぶつぶつ言い、笑い泣くのである。
 主はいったい何をやっているのかと…。俗に言う遊び人らしい。それでは世間体が悪いで劇団の主宰で座付き作家で演出家ということにしておこう。還暦を迎えて書かなくなったらしい。物書きに定年はないらしいが、定年を自分で決めたのだった。書き物をやめて何をするのかといえば終日ぼんやりとしている。
「今は少し休養して…先のことはゆっくりと考えるか」
 と独り言を言っているのを聞いたことがある。だが、毎日パソコンに向かってなにやら書いているところを見ると書き物は止められないらしい。
 玄関のところには先輩の茶子兵衛さんの写真を飾り言葉が書いてある。無論三太郎さんのも、愛犬の五右衛門さんのものもある。すべて亡くなっていて、哀悼の念を表しているらしい。このように写真を飾り文章を書くのだったら生きているときにもっと可愛がってやればよかったのにと俺は思うのだが…。主なりに可愛がったのだろうが…。俺はそんな言葉は要らない、俺の自由を認めてくれと叫んだ。その写真と言葉は俺が餌を食べる上に飾られてあって、食べるときに自然に目に入るのだった。
主はそのことで何を俺に言わんとしているのだろうか…。

九太郎がいく…6


俺が主のところへ来たのは2005年1月4日であった。人間は正月に浮かれ飲み食いをして自堕落な生活をしていた。が、仕事始めという日であった。
主は俺に九太郎と名づけた。三太郎さんの三倍は生きろという単純な発想らしかった。
あっという間に一週間は過ぎ、相変わらず主の波頭のような鼾に毎夜毎夜悩まされ不眠症が続いていたが、その分昼寝るからたいして困らなかったが…。
主の鼾の嵐のなか、俺は窓から暗闇をじっと凝視して物思いにふけり、瞑想を繰り返していた。
大変なところに来たという思いと、その解決方法を考えていたのだった。暗闇を見つめていると心が安らかになり、頭が冴え冴えとしてきた。闇は心の平安に必要不可欠であると悟った。じっと瞑想していると過去が未来が雪見障子を開け月を見ているように見えたのだった。
これはきっと、昔々、ヒマラヤの頂で人の道をとくために瞑想した人たちと同じではないかと思ったほどだった。その悟りはブッタを生みキリストの根幹を成し、マホメットの教義になったものだが、そこまではいくらなんでも行かなかった。猫の宗教は今も昔もないのだった。
それでも俺は悟ったのだった。人間のなすままには成らないと、人間を為すままにすると…。
つまり人間を従わすために此の瞑想は有意義であるということを感じたのであった。人間はそんな短時間に悟れるものではないというだろうが、無垢のマリアがキリストを生む奇跡に似ていると考えてほしい。
主を従わせるいい方法はないかと…。
何も大層に考えることはない、俺たちの習性を覚えてもらうことなのだと思った。
主は大きな鼾の中で安らかに眠っていた。
空がだんだん白み始めたころ主を起す事にした。
枕元で、「二ヤーン」と鳴いてやった。そんなことでは起きる主ではないことはとっくに承知していた。
頬の辺りを掻いてやった。だが、これもだめだった。
最後の手段で、小便しかなとその体勢に入った。
「そこはトイレではない」
主の雷が落ちた。が、それは寝言であった。
よく見ると主が寝ている頭の上に本がうずたかく積まれているではないか、それを崩して直撃を食らわすことにした。
俺は飛び掛るために体を低くした。

九太郎がいく…7


主は人間ではないのだろうか…。
テレビのニュースを見ていて叫ぶ怒る泣くのだ…。心の赴くままに喜怒哀楽を繰り返すのだ…。
最近の人間は喜怒哀楽に乏しいというが、そうすると主は人間ではないということになる。風貌からして人間より野獣なのであるから。だがそれでは野獣に失礼になるのか…。
心地よく眠っていてその都度起こされるのだ。俺は主のひざに飛び乗り主を哀れを含んだ瞳で見上げてやる。そんな時、主はすまんすまんというような顔で見下しているが…。 本当に言葉どうりなのか疑問である。俺は勝手気ままな人間になりたいと思っていたが、今ではならなくてもいいと思うようになった。人間にもいろいろと大変な事があり、苦労が絶えないらしい。主が叫んで怒るのは人間の貧しい性にたいしてであることが多いらしい。そんな人間を猫の下に置き従わせる方法を瞑想で悟ったのだった、。
餌がなくなったら皿を鳴らし、ウンチをしたら泣いて早く片付けろという風に…。その猫の習慣にならすのにそんなに時間がかからなかった。
「まあ、こんなにたくさんしたの」
 と言ってニコニコとママさんは片付けてくれる。
「わかったわかった…よく食べるものだ」
 と言って笑いながら皿に継ぎ足す主…。
 此の夫婦はどうも優しすぎるように思えるが…。こんな人間と生活していたら俺も軟になるのではないかと思うが…。まあ、此の生活環境に甘えておこう。

九太郎が行く…8

52
雨が降っている日は主に近寄らないようにしている。
雨が降っている日にじゃれてひどい目にあった経験があった。まあ、俺が悪いのだが…。鉢巻をしてパソコンに向かっている主のパソコンに乗ったのだった。 頭を叩かれ首を掴んで投げられたのだった。雨が降らないときはそんなことをする主ではなかったのに…。
「雨が降る日はどうも頭が重くていらいらしてかなわん」
 という言葉を聴いていたのに邪魔をしたのだから自業自得というものなのか…。
 きょうの主もねじり鉢巻でパソコンに向かってなにやらキーボードをたたいている。こんな日はおとなしく転寝を決め込むに限るのだ。
 主は毛三十年も前に交通事故に会い、何年か後に鬱が出て、それ以来欝と道連れの生活をしているらしいのだ。雨の日の前日は頭が痛くなり雨の予報を的中させる事ができるらしい。
 俺は主の背中をじっと見つめて可愛そうにと思うのだ。そして遊んでくれない原因の雨を恨めしく眺めるのだ。
 俺は何もすることがなかったら、主のベッドの上にある書物の中から三太郎さんのことを書いたものを引っ張り出して読むことにしていた。
 
俺は名前を三太郎という。
 父の名も母の名も、産まれた在所も解らない。
 どうか誤解しないで頂きたい。俺は雄猫である。猫にこのような名前を付けた主人を紹介しなくても、大方の検討がつこうと言うものだ。更に付け加えるならば、今、飼っている柴の雄犬の名前を五右衛門と言う。俺の前に飼われていた雌の三毛猫を茶子兵衛と言ったそうだ。
 言っておくが、俺は何も好んでこの家に来たのではない。母親の乳房にぶら下っているところを、無情な前の飼い主によって引き矧がされ、スーパーへ持って行かれたのだった。何でもそのスーパーは、子猫とか小犬を一匹千円とか二千円とかで預かり、飼い主を見付けてくれるという、いらない犬猫センターの様な事をしていた。そのスーパーには英国動物保護団体の愛犬家協会から感謝状が来てもいいのではないだろうか。まあ、とにかく命を大切にしょうと言う事は良い事で上等な話だった。店の入り口には金網の檻が置かれ、その中で飼い主が現われるのを待つ。まるで昭和三十三年三月三十一日売春禁止法が施行される前の、遊廓の格子戸の中で客を惹いた女郎と同じではないか。だが、捨てられることを思えば、なにがしかの金を添えて、誰か奇特な人に引き取られ可愛がって貰えと言う母親のような温情なのだと感謝しなくてはならないのだろうか。無情と言う表現を使ったことを誤りだと訂正しなくてはならないだろうか。
 俺は前を行く人達に、
「拾い得、貰い得、飼得、鼠はみんなやっつけます。アンカの代わりになります。お年寄りの退屈紛れになります。お子さんの玩具にもなります」
 と猫なで声で遣手婆のように喋りまくり、売り込むのだった。が、悲しいかな人間には猫語は通用しなかった。
 人間の子供という奴は、どうしてか動物好きが多い。目も呉れない奴もいるが、大方は「可愛い」と言って近寄ってくる。
 俺はなるべく子供には媚を売らないことにしている。子供の我儘を聞き飼うような親を信用してはいないからだ。実に子供は飽きっぽい。そして、気分気紛で残酷だ。
「飼ってもいいでしょう」
 一応は子供は親に声をかけるが、
「駄目です」
 と言うのが実に百パーセントである。その度に俺はホットする。
「この前は、世話をするからと言うから貰って上げたのに、一週間もしない内にダンボールの中に入れて川へ投げ込んだでしょう」
 と大きな声で諭している母親。こんな家庭を見ると人間の家庭教育は一体どうなっているんだと、頭を傾げたくなる。俺は背筋が寒くなって、知らん顔して、死んだ振りを決めこむ事にしている。
 だから、おれは檻の中を覗き込む大人しか相手にしない。
「あの、そこの汚れた醜い猫を頂けへんやろか」
 と少しハスキーな声が頭の上に落ちてきた。俺はやおら頭を上げた。白いエプロンをした、まるでスピッツようなおばさんだった。突然に首を掴まれたとき、汚れた醜いというのは俺のことかと思った。何だか世間が暗くなった。おばさんに抱えられた時、犬の匂いが俺の鼻孔を擽った。それも、なんと五種類の匂いだった。エプロンのポケットの中に入れられた時、俺はもうなるようになれと開き直っていた。動物好きな人間に悪人はいないという、人間の諺をその時ほど信じようと思ったことはなかった。だが人間はさて置き、五匹の犬の中でどのように生きればいいのか思案に暮れた。人間に愛想をし、五匹の犬には遠慮をしながら生きていかなくてはならない、俺は俺の運命を呪った。
「買物から帰りがけに、そこに団地があるやろ。出入口の大きな木に登ってからに泣いていたのや。うちが手を出したら下りてきょってからに・・・」
 とスビッツのような顔を狐顔にしておばさんは嘘を付いたのだった。どうしてか俺には解らなかったが。
「どこかの飼猫ではないの」
 と鈴を鳴らしたような声がした。
「木に登って何を見ていたんだろう。過去か未来か・・・それともUHOか」
 とガラガラ声が降ってきた。俺はその声の方に目線を投げた。そこには、マントヒヒがいた。俺は髪を立て背を丸くして戦闘態勢に入った。
「なかなか良い面構えをしているではないか。元気そうでいい。こやつはシャムが少し掛かっているな」
 マントヒヒが俺の頭を撫でようとしたので、俺はその指先を軽く噛んでやった。
「お父さん、もう生き物は懲り懲りですからね。私、茶子兵衛を亡くしたときに、今飼っている五右衛門が亡くなったら金輪際動物は飼わないと誓ったんですからね」
「私は犬も猫も好きではないのだ。茶子兵衛の時も唯偶然だった。書斎で書き物をしていたら、車の停まる音がし、発車するエンジンのけたたましく泣く声がして、静寂が訪れた。その時か弱い子猫の泣く声が聞こえてきたのだった。前の道は夜と言えども車の通りは激しい。轢かれでもしたら大変だ。その死骸を片付け土に穴を掘り埋めてやるのは何時の場合でも私と決まっている。ならば事前のその事を防がなくてはならないという防御の本能が働いた。理性の呼び掛けがあった。まるで夢遊病者のように子猫の前に立っていた。子猫の奴、私の足元によたよたと近寄り足の指を噛みよった。私の足がステーキに見える程空腹なのかと思い、夕食の残りのすき焼きを少しやった。三毛猫で実に可愛い奴であった」
 その声の主は、よく見るとマントヒヒではなく、頭の毛はなんと密林のようだったし、顔の顎と頬は束子のように見える人間だった。俺は足先をざらざらした舌でしゃぶってやった。先輩の茶子兵衛に対する優しい思いが堪らなく俺の心を熱くしたからだった。
 「武ちゃん、この猫を此処に連れてくるという事は、何かを暗示しているのかね」
 と髭の中にある団栗のような目をしばつかせながら髭の中の口が言った。
「ほんの残り物で良いのでんがな、苦にならへんやろ。何かの縁や、あんなに懐いてからに。健気に一生懸命に生きようとしているやないの。人間もこの猫も命の重さは違わへんし飼ってやりいな」
 とスビッツのおばさんはまるで神か仏のような事を言った。
「猫も犬も大嫌いなんでしょう」
 と鈴が鳴った。
 俺はその方を向いて精一杯に哀れを誘う泣き声で同情を誘った。
「茶子兵衛かと思ったが・・・」
 と言って、少年を少し大きくした、と言う事は、まだ幼さを残した青年が現われた。ズボンから犬の匂いをプンプンとさせていた。この青年は動物好きに違いない。俺は親愛の情を込めて擦り寄ってみせた。
「茶子兵衛も此処え来た時にはこれくらいだった」
「道真、茶子兵衛の話は止めて」
 と鈴の音が叫んだ。思い出して悲しんでいるのだろうか。
「まあ、どうにかなるだろう。餌は道真の残りをやればいいし・・・その心算で武ちゃんは拾って来たんだろうから」
「人間の雄には好かれんでも、犬や猫にばかり袖や裾を引かれるちゅうのもどうかと思うのやけど・・・」
 と武ちゃんと呼ばれるスピッツのおばさんがしみじみと言った。
「好かれるということはいい事だよ。例えそれが動物だとしても・・・。余裕のない人間を動物は好きにはならんだろうからな。選ばれたことに感謝しなくてはならんぞ」
「そんなものですやろかね」
 スビッツが澄ました様に言った。
 と言うような訳があってこの家の一員になったのだった。家の中には、先輩の茶子兵衛の匂いが染み込んでいた。雌猫の匂いが俺の下半身を震わせた。

三太郎さんの書き出しはこのように書かれてあった。



小説 九太郎がいく2

2006-03-26 22:59:49 | 小説 九太郎がいく
九太郎がいく2

九太郎がいく・・・9

012
今日は主は忙しいらしく、昨日に引き続き三太郎さんの物語を俺が読むということでここに列記しようと思うが…。
主は今度の日曜日の演劇公演のリハーサルを見るのだという。主のことだから、なんだかんだと言って演技者を悩ますのではないかと思うと、演技者が可哀想になった。できのよし悪し主が俺の顔を見たときにわかるので、そのときを待つことにしょう。
さて、そんなことで九太郎がいくが書けそうにないので…。
三太郎
この家は、茶店を鈴のような声を出すママがしていて、マントヒヒのような顔の人はママの亭主で、客はマスターと呼んでいた。稚い青年は次男で三歳上に長男がいた。
 主人の名前を柿本源内と言い、ママを静と言い、長男を貫之、次男を道真と言った。何だか聞いたことがある名前だなぁと思ったが、深く考えなかった。世間を上手く渡ろうと思えば、多少は理性を殺さなくてはならないのだ。まして、人間の知能が後退している今、特にその事は考えの中に入れておかなくはならないだろう。人間の嫉妬心、猜疑心、は際限というものがないからだ。愚かになる事に限るということは、愚かを装った大愚良寛を引合いに出すまでもなかろう。その事は、主人源内さんの生き様を見れば納得が行くというものだ。とにかく、源内と名付けられただけに、やることなすこと破天荒なのだった。一応、物書きという事になっているが、書いた物が売れたためしがないという作家であった。
「書いた物を売るということは、なんと言う傲慢か。万一、書いた物を読んで、それが真実だと思い込んだら大変な事になる。真理真実というものは、そう簡単に手に入るものではないのだ。そんなに簡単に求めている事が手に入ると人間の傲岸を助長することになるではないか。また、作家という者はありもしない嘘八百をさも本当のように、真実の様に書き、読む者をしてその登場人物たらしめ、人生の真実を探求せねばならぬと言う大事業の邪魔をしている。言ってみれば、時間泥棒で、詐欺師で、幇間なのだ。それなのに、なんとかと言う賞を貰うと文化人面をしてテレビに出て、先生と呼ばれて鼻の下を長くしている者がいることは泣くに泣けぬ実に嘆かわしい。同じ物書きとして如何ともしがたいのだ。書くということは爾来人に読んで貰う為に書くのではなく、仏法者が自らを戒せんが為に毎朝勤行をし、思い上がった鼻を折り、腰を折り、膝を折り、五欲に満ちた心を折り、五義に伏す為に自らが自らを折伏をする事と同じで、自分の為に書く、日々の生活においてややもすると忘れがちな人間としての営み生き様をこれでいいのかと問い糾す事でなくてはならんのだ。と言う事は、言ってみれば、自らの裸を衆目に曝すということと同じなのだからして、常人ならば恥かしくて書斎に閉じこもるしかないのが当たり前なのだ。そして、読んでくれた人に申し訳ないと穴を掘り隠れるか、得度して剃髪をし庵を結んで世間に詫びを入れなくてはならぬと言うものだ。まあ、今では、物書きというものはそのような常識も節度も持ち合わせていないのだ多いいのだが。世間を狭くして、精神を売り払って、プライバシィを小出しに見せて、読者に媚び諂い、金という字がだーい好きな者が多くなったと言うことだよ。昔は、自分の思想哲学を語り、人間のユートピァを予言し、冒険を、広大な夢を、自らの為に書いたものだが。だがそれが偶偶、世間に出て人様に読まれると言う偶然があっても、まるでおぼこが着物の裾を風に弄ばれ、大根のような白い太股を晒し慌てて前を合わせて頬を赤らめた時のように、または、お年寄りが布団に地図を描いた時のように照れ隠しの笑いを浮かべ、はたまた、トイレに鍵をしなくて入り用を足していた時にドアをいきよいよく開けられ、怒ろうにも怒れず、自らのそそっかしさを笑いで誤魔化す弄らしさにも通じ、どことなく人間としての哀れさを持っていたものであったのだ。だからして、私は売れないことに誇りと自信を持っているのである」
 とまあ、くどくどと御託を並べたものであった。それは、売れないが故に余計に言い訳とも取れ、僻み、やっかみとも取れ、哀れにさえ映ったものであった。これだけの屁の付く理屈を等々と喋りまくるのだから、容貌に似にて中々の偏屈とお分かり頂いた事と思う。 
 奥様の静様は、それはいい方ですが、
「あなた、三太郎を去勢しましょうよ。さかりがつくと喧しいし、おしつこが臭くて堪らなくなるわょ。やたら匂いを撒き散らして、雌を誘き寄せるんですもの」
 と恐いことを言うのであった。げに、どこの世界も雌と言う生き物は恐いものである。 だが、静様はマントヒヒの言うことは絶対に聞くという、近ごろに珍しい性癖を持っていた。意見は言うが、マントヒヒがこうだと言えば、従うという夫唱婦随の女人であった。この事はなにか裏があるらしいと俺は睨んでいる。例えば、マントヒヒの髭がお気にいりなのか、醜い出尻出腹をこよなく愛しているのか。又は、弱みを握られているのか。人間としての能天気な所に多大なる魅力を感じているのか。はたまた、ペット飼う気分で世話をしていて多少のわがままは許せるという寛大な精神を含有している偉人なのだろうか。とにかくじっくりと観察しなくてはならない。女人のヒステリーにはくれぐれも気を付けなくてはならない。月が満ちた時は尚更であろう。心すべし、女人と餓鬼には要注意である。
 長男の貫之さんは今年成人式を済ませた、きりりとした美男子であった。その顔は、女人からの電話でいとも容易く破顔になるのであった。その顔は助けべえのそれであった。鼻の下が見る見る長くなり、線を引いたように締まった唇はへの字に崩れ涎を流す始末であった。俺が昼寝をしている時に、テレビを見ていた貫之さんの大きな馬鹿笑いで何度も心地よい眠りから醒まされた経験があった。どうも、建築士の貫之さんは建築工学とか、多塔多寺時代に建築された日本の建造物には興味がないのだろうか。日本の風土にもっとも適した木の文化遺産を知らずして、未来の人間の住居空間が想像構築出来ると言うのだろうか。聖徳太子が仏教のお寺を生前に六寺も建造したというのに対して、紀貫之は歌と女と旅に明け暮れ、その時代の勉強はしていなかったと言う事と共通するのでろうか。それでは歌が読めても人間の心なんか読めようわけがないではないか。中国、朝鮮の文化の影響をひしひしと感じながら生きた紀貫之の歌を、朝鮮古語による解読をせずに、現代の日本語で解釈をするならば、美しい自然をこよなく愛し、懸想を恰も純愛に読み、時代の矛盾を、國民の生活をどうして読まなかったのだろうか。 
 それは、真っすぐに線も引けず、コンパスで書いたような丸も描けない、詰まり、具象のデッサンも出来ずに抽象画を描く愚かで勇気がある画家と同じではないか。観察していると、貫之さんはテレビとの友情関係を深く保っているようだ。だが、特に感心をするのは毎日毎日日記を書くということである。漫画文字でせっせと何やらにゃにゃしながら日記帳のページを埋めているのだ。そう言えば「・・日記」と言う古典を思い出した。また、そして造形が好きなと言うだけに、女人の裸体が特に好きなようであった。これは、たぶんに主人源内さんの多大なる影響かと思う。このことはおいおい披瀝する事にしたい。 道真さんは、幼い頃、小児喘息を持っていて発作に苦しみ少し猫背がある。それに、主人源内似にて無類の本好きであるせいか、だから中々猫背はよくならないということだ。先天的に藤原と言う姓が好きでないというのは、菅原道真が藤原時平によって九州太宰府に流された事と関係があるのだろうか。春を忘するなと詩った道真との因果関係が・・・。考え過ぎ、ただの偶然と言うものでしょう。だけど、幼い頃から、「記紀」を読み嘘だぁーと叫んで階段を転げ落ちたという話は語りぐさになっていると言う。また、歴史の時間に大化の改新を習っていた時に「聖徳太子はいなかった」と、ほざき先生から校庭を十周走らされたということも、良くない風聞だった。そして、女嫌いであった。タワシを見ても、貝を見ても、げろを吐いた。小学生で、司馬遷の「史記」を読破し、マルクスの「資本論」と同じくらい難解という「記紀」を読み砕いたのだから、失礼ながら、最近の出来の良くない学校の先生の頭脳では付いていけなかったのも当たり前であったろう。だから、学校の成績は小中高では一番尾りであったという。

九太郎が行く・・・10

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主は今日も舞台で忙しく俺のことを書く時間がないらしい。今日はFM放送が取材に来て主は早く起きたので、機嫌が悪いので近寄りがたいが・・・。こんな日は近寄らないに限る。ということなので三太郎の物語の続きを・・・。
三月某日
初春の陽射しはまだ冬のように弱々しく底冷えのする日だった。それでも、貫之さんの西に面したその部屋には、大きな硝子の一枚戸があってぽかぽか暖かくて眠りがおいでおいでと手招きをしくれるような日だった。
 俺が日溜りの中で両手両足を伸ばして寝ていると、主人が来て何やら捜し始めた。まあ、こんな事は良くある事なので別に気にする事もなく、転寝を装って目線を張り付けていた。ベッドの下から写真集を取り出してペラペラと捲っていたが、気に入ったのがないのか元の位置に返した。
「ろくな女子がいない。子奴の女性に対する審美眼はどうなっているのだろうか」
 主人はブツブツと独り言を言いながら、両の手をダラリと下げて歩き回っていた。その姿はマントヒヒのそれであった。静さんに内緒でよくヌードの写真集を見にくるのだが、写真集ではないとすると一体なにを捜しているというのだろうか。 
 どうも物書きの端くれのなす行動は理解の範疇を越えていることが多いのだ。詰まり、懈怠な行動が俺の正常な頭を混乱させることが多いいのには参るのだ。此処に来て頭が悪くなったのはどうやら付き合う人間のレベルが低いということなのだろうか。常識とか道徳とかと言う考えがこの一家にはないのだった。だが、一面では賢くなっている。屁理屈や、ジョークや、比喩、暗喩などには長けたし、政治経済、国際問題などは、茶店でお客と意気軒高に興奮して遣り合っているので、普通の人間や動物には負けていないと自負している。この前など、貫之さんと道真さんを前にして、
「雄であれ、徹底して雄であれ」
 と言っていた。男は雄ではないのだろうかと考えたものであった。そして、
「人間と言う奴は愚かで、間抜けで、大馬鹿で、自分勝手で、欲張りで、吝嗇で、どこを取っても良い所は有りゃしない。便利さを金で買い、本能を文明と引き替えにする。何時の間にか人間は動物ではなくなったのだろうか。犬や猫ですら、お互いの性器の匂いを嗅ぎ相手を選別しているというのに、人間はどうか、鼻が利かなくなってその判断力もなくしてしまっている。コンピーターがどうの占いがどうしたと、生きる道とか定めまでそれらに頼っている。なんという情けなさ、愚かしさ、動物としての感、本能で生きなくてはならんのに、化学科学に頼り過ぎている。だから、人間の男を捨てて、動物の雄になれ」 その話を聞いて、人間を哀れに思ってしまった。また、主人の考えが何だか解るようにも思われたのだった。人間と言う奴は己れで生きていく道を狭くし、生きていく未来まで短くしょうとしているのか。その道ずれに他の生物まで引き込まては堪ったものではないない。いい加減にして欲しいものだ。そう言えば、俺なんかも人間に飼われて本能をなくしていることに気ずかなくてはならないのだ。三食昼寝付、まあ、俺の場合は二食昼寝付だが、鼠とかゴキブリが目の前をうろついてもやっつけてやろう、食ってやろうと言う本能がなくなっているのだ。これは恐い事である。例えば、喉に支えた自分の毛を草を食んで吐き出して、綺麗にするという事まで忘れると自分の毛が元で窒息死ということになる。これは猫として大変に恥かしいことである。 
 と言うようなことを主人は言っているのだろう。二人の息子に、動物としての雄であれ、人間としての男でなく、動物として生きる事、即ち本能を大切にして生きよ。詰まる所主人の言いたいのは、自然の中に生きよ、本能の中にある理性で生きよと言っているのだった。
 俺は、益々主人が好きになり、雄の身でありながら胸が熱くなり、心がときめくのを覚えたのだった。猫族は、人間と違い同姓で愛するということはしない。だからこの場合、主人に対して、尊敬と友情と畏敬の念が湧いたということにしておこう。
「これであったか。最近、電話料金が上がったと思ったら。また例の病気が出たのだろうか」
 と主人は心配顔で言った。手には一枚の紙切れを持っていた。
「小野小真智。ふーふん、まるで、深草の少将を袖にした、オノノコマチと読めるではないか。ひょつとしたら、百日間一日も欠かさず電話をしたら、あなたの想いのたけを認めて上げても良いわよ。とかなんとか言われてせっせとダイヤルを回しているのではなかろうか。一体何を話すというのだろうか。一週間位ならどうにか話題もあろうが、だんだんと話す事がなくなって・・・。これは、大変な女子に懸想をしたものであるな。生半可な頭では振り向かせる事など出来りゃしないぞ。振り向かせる事が出来なかったとき、得度して坊さんになると言うようなことを言うのではあるまいな。庵を結んで世を捨てるというような事を言うのではあるまいな。自棄くそになって遊興に明け暮れ、馬に船に自転車、ファツションヘルスにソープランド、挙げ句の果てに自動車で海にドボンと言う様な事にならねば良いが。だが、考えてみれば、これほどの女子なら我が家に是非嫁に来て貰いたいものだ」
 主人は、何やら途轍もない空想に捉われたようだった。「十を知りて一を知らざる如くせよ」とは、菊池寛の言であるが、どうも主人は一を知りて十を知ったような想いになるらしい。子供に対する親心とは言い難い。自らがどうも登場人物として加わりたいという、出歯亀の根性で、遊びの感覚であるように思われる。
 五右衛門君が雌犬を求めて遠吠えをしているのが聞こえてきた。
「雌よ来い。雌よ来い。こっちは血統書付きの柴犬で、セックス上手で、話が巧い。人間社会のいざこざは、環境問題、国際関係、何でもござれの知識犬。損はない、損はさせない、飽きさせない、退屈はさせない、雌よ来い。雌よーこーい」
 と言うような誘いを叫んでいるのだろう。猫語と犬語は人間に飼われ始めて以外と近くなったが、まだまだ理解に苦しむ語彙があるのだ。五右衛門君には俺の肛股を匂われたことがある。柴犬らしく多少のことでは慌てずに、悠然としている。そんな所は是非にも見習いたいものである。
「五右衛門の奴、発情して自分を過大に評価して売り込んでいるわい。誇大広告は良くない。それは詐欺犬のやることで、わが家の愛犬としては相応しくないのだ」
 主人は、独り言を言って部屋を出て行った。その後ろ姿を見て、犬語が解る主人に人間の動物的感を見たのだった。

九太郎がいく・・・11

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今日も主はかけそうにないので・・・。昨日の続きを読むことにする・・・。

三月二十某日
 桜の話が、話題になり始めていた。だが、主人一家にとっては無縁であるらしかった。「桜の花ビラがどんな形をしていたか、どんな匂いがしていたか、何処に咲くのか、桜とどう書くのか、あなたと一緒になってから忘れました」
 静さんが主人にむかって言っているのを聴いたからであった。主人には桜の花はにわわないと思う。未到のジャングルに分け入る方がピッタリとすると思った。
「日頃から、こよなく自然を愛していれば桜の前に堂々と出れようが、蔑ろにしておいてよくもまあ桜の前に出られるものであるな。排気ガスを撒き散らかして樹木を虐めておいて、ゴルフ場に農薬を散布して地水を汚しておいて、酸性雨で散々叩き打ちのめしておいて、自然の美しさを愛でたいなどとどうして言えようか。咲くのが早いとか遅いとか文句など言える筈がないではないか。まして、その下で遊興に耽るなどもっての外である。そんな同胞と一緒かと思うと恥かしくてどの面を下げて桜に合えようか。私はそんな厚顔無恥な男ではない」 
 主人は唾を飛ばしながら言った。それは一理も二理もあると俺は思った。主人は時たま草に小便を引っ掛けるくらいだった。
「貴方ばかりではないわ。私だって、貴方と一緒になったお陰で、神道無念流の抜刀も草木が可哀相だという事で辞めたわ。草木流の生け花も無闇に花や木を切ってはならんと言う事で止めているわ。だから、免許皆伝の腕も錆びついてしまっているわ。僅かの庭にある木だって伸び放題だし、草も生えっ放し・・・。枝は切らさないし、草は抜かさないのですもの。・・・それに協力しているのだから、女ではないと入れて」
 静さんは、そう言って多少むくれて見せた。似た者夫婦と言う言葉があるらしいが、夫唱婦随と言う言葉があるらしいが、静さんはそんなにマントヒヒに惚れているのだろうか。まあ、人間と言う動物は猫の感性では図り知れないという事が段々分かったのだった。自然に任す、その勇気を高く買わなくてはならんのかもしれない。
「桜にだって、見られたくない奴だっているはずだ。こんちくしょうと思う人間だっているはずだ。だけど、鈍感な人間にはその桜の心なんか解らないのだ。日頃から、愛でる心を持っていて始めて意気投合し、友情関係が生じるというものだ。それなのに、ああそれなのにそれなのに・・・」
 最後の方はしゃがれ声で唄ってみせたのだった。
「処で、貫之に女の人から電話がかかってこなかったかい、歳の頃なら十七八の可憐な声で、奥床しい鈴虫のような声で・・・」
「いいえ、架かって参りませんわよ」
「なにか、気に障るような事を言ったかな」
「いいえ。ですけど、電話は何時も何時も、誰に架けているのか解りませんが此方で架けようとしても通じませんわよ」
「矢張りそうであったか。声を聞きたい、吐息を感じたい、スタンダールの「恋愛論」で言うところの結晶作用と言う段階であるのだな。電話代がなんぼうかかろうが、心の美人を獲得するためなら安いものだ」
「貴方は何を根拠にその人が心の美人かどうか解るのですか」
「カンだよカン。おまえさんと巡り逢い選んだ時のような感が閃くのだよ。今」
「まあ・・・」
 静さんは、そこで少し頬を弛めたのだった。
「男にしても、女にしても一目惚れというのが一番正しいのだよ。付き合って見なくては解らない、それは言ってみれば打算で、それだけ感性がなく、愚かであるという証拠のようなものだ。出会った時に、体に電流が走り、雷に射たれたような衝撃がなくてはならんのだ。それが、自らが放つ恋人への電波の周波であり、その周波が一致したもの同士が長くて短い人生を一緒に暮らすことになる。そうでのうては余りにも貧しいではないか。三高とかと言って伴侶の選択の基準を設ける等もっての外であって、そこには、人間の本来持っていた尊敬する、愛する、と言う心が存在していないではないか。金で幸福が購えると言う考えは、本能を掠奪してしまったのだよ。今の人間に必要なのは動物としての本能なのだょ。動物としてのカンなのだよ。例えば、雲の動きでその日の天候を予感したように、風の湿度で明日の天気を予知したように、月を見て潮の満干の時刻を知ったように・・・」
 マントヒヒは自らの言に酔ったように喋っていたのを、静さんが横からひょいと取り上げて、
「何が一体言いたいのですか」
 とその酔いを止めたのだった。
「それはつまり、一目惚れと言う動物としてのカンの大切さを言っているのであって・・・」
「それでは、女の気持ちはどうなるのかしら」
「出会いというのは、互いが引き合うものだった。周波が同じでなくては引き合わぬものなのだった。だが・・・」
「今はそのようなものではないでしょう」
「それが残念でたまらん。今の様に出鱈目な出会いをしているときっと別れか忍従か諦めか惰性か自棄糞か・・・その果に人生を振り回されると言う事になるのだよ」 
「その事と、貫之の事とどのように関連があるのでしょうか」
「言って見ればそうあって欲しいと言う願望かな」
「現実と願望は、男のロマンと女のリヤル的な考えほど隔たっていますわよ。今の娘は過ちを恐がりません。何度も出逢い、何度も恋をして、何度も結婚して、何度も離婚して、何度も人生を遣り直す。その逞しさを持っていますのよ。それも動物としてのカンなのではありませんか」
「・・・」
 静さんに、マントヒヒは一本取られたのでした。
「それで女は幸福になったというのか」
「さあ・・・。それはどうでしょうか。其々の考えではありませんか。良かったと思えばいいのではありませんか。後悔しなければ、自分に正直でありさえすれば。お父さんの考えは貝原益軒の「女大学」のそれですわよ。そして、ルソーの「エミール」・・・」
「私の考えが古いと言うのか。黴の生えた饅頭とでも言いたいのか。黴の生えた素麺ほど美味しい物はないと言う現実を忘却しているのではなるまいな。黴の生えた乾麺を捨てる愚かな女が多いいが、それも選択の自由だと言うのか。哲学がない、知恵がない、打算と知識はあっても良否を選択する洗濯機が壊れている」
「お父さんの選択機も古くなっているのですわ」
 どうも今日のマントヒヒの論旨には脈絡がなさすぎた。紀子さんの勝ちのようであった。マントヒヒは数年前に合った交通事故の後遺症の為に頭痛がしているのだろうか。
 明日はどうやら雨のようである。

小説 九太郎がいく3

2006-03-26 22:57:32 | 小説 九太郎がいく
九太郎がいく3

九太郎がいく・・・12


今日も主はお疲れ気味らしい・・・。風がまだ治らないのか。鼻を噛み、咳をしている・・・。花粉症か・・・。
ということなので、今日も三太郎さんの物語を読むことにする・・・。

四月某日
 桜の花びらが散って、主人の家の裏の川にピンク色の帯が出来た。
「このような眺めの方が風情があっていいものだ。人間の汚れた心が自然の生業の中で一瞬でも隠され、花弁はやがて朽ちて水を浄化させる役目をすることになる。自然とは偉大ではないか」
 主人は、川に面した書斎で久しぶりにペンを握りながら言った。俺は主人に尻尾を寄せてじっと川面を眺めていた。百メートルほど川上に科学工場の社員団地があり、そのぐるりに桜が百本位植えられていて、風に弄ばれた花弁が川に落ちて流れたのだろう。何せ、俺はそこの団地の入口の大きな木に登っていた時にスピッツのおばさんに拾われた事になっているのだから、その辺は詳しいと言うことにしておこう。
「この前なんか、そこ社宅の奴がコーヒーを啜りながらこうほざきおった。花弁が車にへばり付いて洗車をするのに大変なんですと。ちばけるではない。逆上せるではない。花が降り注いでくれることをどうして喜ばないのか、桜の開花によって春の訪れを確認できたことをどうして喜ばないのか。桜が咲かなかったら、それこそ大変ではないか、その事の重大さを認識しないのか。洗うのが嫌なら、そのまま乗り回し、雨が洗い落としてくれるのを待てばよいではないか。桜の花弁は正に天からの献花のようなものだ、と言う広い心で受け止めて悠然と自然と共に戯れたらどうなんだ」
 主人は興奮して矢鱈と唾を飛ばしながら煙を吐きながら喋りまくったのだった。
 自然を冒涜する人間には極端に、眼光を鋭く磨ぎすまし、唇を突き出して、攻撃的になるという性癖があるのだ。それは、主人が動物に極めて近い存在にあるという証拠なのだろうか。なにせ、容貌はマントヒヒそのものであるのだから。
「嗚呼、日本の繁栄も此処に極まれり」
 何を思ったか主人は涙混じりに言った。感情の起伏の激しいのも最も動物に近い。人間には理性とかと言う感情を抑制する機能が働くという事を聞いた事があるが、どうも、主人にはそのような高等精密なものは働かないらしい。
「なんだ、この匂いは。この川はまるで糖尿病患者の病棟のトイレと同じ匂いではないか。公衆便所と同じ臭気ではないか。桜の花弁が実に可哀相だ」
 と川面を睨み付け一辺の花弁に涙したのだった。
 主人は裏の川の匂いを今まで嗅いだ事がなかったのだろうか。俺なんかその臭気に反吐が何度も出たものだ。鼻水は垂れ、目は眼病患者のように涙の洪水だったのだ。川魚は川沿いを歩くアベックに恨み言を言いつつ集団で上流へ疎開したのを知らないらしい。ザリガニも鋏を怒りの刃に換えて、呆れ果てて川魚の後を追ったのだ。
「お前も、人間に愛想をし、へり下り、のうのうとしてないで、早く山へ帰れよ」
 と言う言葉を残してだった。
 だが、俺なんか人間に飼われ養われていると少しも思っていないから、
「どこに行っても同じ事だょー。いざとなりゃー化けて出ると言う手もあるしねー。それに、人間より俺の方が利口だもんねー。飼われたような恰好をして人間を飼ってるものねー。人間より逃げるのは早いものねー。気を付けて行くのだぞー」
 と尻尾を振りながら見送ってやったのだった。
「日本民族は皆糖尿病になってしまうぞ。三Kを嫌がり、楽して生きようとする処に原因がありそうだ。汗を流す仕事をする事によって運動不足が解消され、辛い仕事に携わる事により食することが出来る有り難さが解り、危ない仕事に従事する事が世の為人の為と言う充実感が芽生えてストレスが生じないのだと言う事が解っていない。実に情けない。今の人間は表面をチャラチャラさせていて一見風景はいいが、心の、精神の景色は廃棄物処理場のようなものだ。ゴミ処理場にはなんとゴミと一緒に人間の良心まで捨てている。どうも、人間という奴は際限のない阿呆か馬鹿であるらしい。ゴミと自分の良心の選別も出来ないらしい。いや、汚れて腐った良心はやはりゴミなのかもしれない。粗大ゴミの肉体もついでに一緒に捨てればいいのに・・・。自分だけよければと言う考えがやがては自分を殺し全体を葬るという方程式が解っていないのだ。
 今の日本の情勢を、世界の趨勢を四十数年前に看破した偉大な政治家がいた。そして、そのような状況になったらどような手を打ち、どう打開して行くかという事をグローバルな考えで著作にしている総理大臣がいたのだ。今の政治家どもはその先輩の本を読んでないらしい。また、その名も知らぬのではないだろうか。後にも先にもこれほど考えの確りした、無欲無私で、人間を愛し、人間を自然のなかに融和させようと考えた御仁はいなかった。嗚呼、カンバックツーウミー・・」
 主人は正に精神病患者のように一点を凝視して、己れの考えを言葉に換えて放流した。 この俺が理屈っぽくなったのは、こうした主人の独り言のせいであった。ガラガラ声で喋りまくり、自分の言葉に怒り泣き嗤い喜ぶと言う何だかよく解らない主人の性癖の齎らす結果が今の俺だった。そんな主人と何時も付き合う俺はこれから一体どうなるのだろうか、と心配になる時がある。主人は独り言で世間が変わるとでも思っているのだろうか。一日中何もせず、いや、静さんの店が忙しい時にはコーヒーカップを洗いよく割っているだけなのに、それだけで、社会が許すとでも思っているのだろうか。紐でありロープである身を世間に曝していて、正論をのたくっていてもその通りだと頷いてはくれまいに。人は、主人のことを”奇人変人横着者”と婀娜なしているのを知らぬのだろうか。俺には、知っていてやっているように見えるのだが。それだったら尚質が悪い様に思う。役者の演技なのだ。
 先程、人間属の中でましな御仁を挙げていたが、俺にはすぐ主人の言いたい事は解ったのだった。
 「石橋湛山」その人のことを言いたかったのだろう。山がつけば富士山を連想するが、湛山はその富士より日本が世界に誇らなくてはならない山だろう。
 俺が知っている事にどうか嫉妬しないで頂きたい。先だっての夜、主人が障子を鳴らすような鼾をかきながら寝込んでいた時に、
「いしばしたんざん、イシバシタンザン、石橋湛山、あなたは実に偉大だ。偉い賢い、あなたが今の世に生きていなさったら、嗚呼、ああ、アア・・・」
 と布団を抱き締め悶えながら寝言を言ったからなのだった。
「この地球上の資源を、僅か一億二千万人の日本人が食い潰そうとしている。飢えに苦しみ、寒空に着る物とてなく暮らしいる同胞がいることを忘れているのではないのだろうか。先進国病、繁栄病、豊かさのツケ病、と言われても仕方がないが・・・、日本人は皆糖尿病になり、その報いを受けなければならないとは、なんと言う馬鹿げた事だろう。形容しがたい哀れさだろう。合併症として、腎臓機能障害、眼底出血、神経障害、と様々な復讐が待っているというのに、それに気ずかずにのうのうとして美食を食らい、天然資源の浪費をしている。食べる物がなくなったら、可愛がっている犬や猫でも平気で胃袋の中に入れるだろう・・・」
 主人の言葉が途切れたのは、犬や猫でも食らうという事に対する俺の怒りの引く掻きがあったからだ。そして、俺は恨めしげに見上げてやった。
「いたた、痛い・・・。この感覚を忘れている人間が実に多いいのだ。痛みを忘れているから他人の痛みが分からない。そんな人間に心の痛みなど分かるはずがないのだ。・・・三太郎くんは大丈夫だからして心配をすることはない。そんな時には私達が死んでもお前と五右衛門くんは生かしてやる。心配するでないぞ」
 と主人は俺の頭を撫でながら言った。その顔は実に淋しそうだった。人間全体の愚かしい事を皆自分の物として背負い込んでいるような表情だった。
 俺は主人が愛しくなって全身をぶつけてやった。
 その時、五右衛門君が、
「僕は、旦那と一緒に行動する」
 と吠えていた。
 俺だって、マントヒヒとかと言ってるけれど、主人が好きだ。だから、ご一緒させて貰うつもりだと、大きな泣き声で応えてやった。何も犬だけが忠義心を持っている訳ではないのだ。忠犬ハチコウと言う犬が持て囃されているが、俺は忠猫三太郎である、と言いたいのだ。
「おとうさん!」
 と呼ぶ静さんの声が聞こえてきた。主人は、
「少し夜食を控えなくてはならんな。大好きなビフテキをやめて、鮪の刺身か、鰤の照り焼きにしょうか。そして、夜食の中華料理をフランス料理に換えた方がいいかもしれない。でも、どちらも捨てがたいなあー」
 と言いながらお腹を摩り声の方へ歩き出した。

九太郎がいく・・・13


主は睡眠不足らしい。なかなか眠られなかったらしい。
俺の所為か? ・・・。
ということで、今日も三太郎兄さんの物語を読むことにする・・・。

五月某日
 一ヵ月振りに日記を書くことになった。
 その間に色々とあったが、書ける状態ではなかったのだ。主人の事、静さんのこと、貫之さんのこと、道真さんのこと、まるでどこかの国に起こったクーデターのように収拾の付かない問題も起こったのだった。が、先ずは俺のことから記すことにする。
 四月だと言うのに底冷えのする日だった。が、無性に喉の渇きを覚えて、俺の為にこしらえてくれた食卓の水を飲みに行こうとした時、先程食べたキャツツフードが胃の中で暴れはじめ、食道を上がってきて口腔に溢れた。ドット絨毯の上に吐き出してしまったのだ。その二三日前からどうも小便の出が悪いという異常を感知はしていたのだった。けれど、俺はそんなに気にしていなかった。食欲は主人に似て旺盛な方だが、段々とフードの匂いが鼻を突き嘔吐を催すようになった。俺は一瞬妊娠したのではないか、その兆候として悪阻が始まったのではないかと思ったほどだった。だが、理性まで壊れていなかったので直ぐ馬鹿げた考えは捨てた。小便は膀胱に溢れ、腎臓まで一杯になった事を、腹を地に着けへたり込んで訴えたが中々解って貰えなかった。
「三太郎がおかしいぞ」
 と道真さんが言ってくれた時には、地獄に仏とはこの事かと感謝したい気持ちで一杯だった。その頃は泣く元気もなくじっとしていたのだ。
「茶子兵衛の時もこんな状態だった。親父さん、これは病院に連れて行べきだ」
 と貫之さんが助け船を出してくれたのだった。
 どうも、先輩の茶子兵衛くんも俺のように苦しんで、腹を引きずりながら外に出て、車に轢かれたらしい。その事を言っているのだろう。
 玄関を入ったところの壁に、主人が茶子兵衛くんに寄せた鎮魂歌が書かれてあり、写真が飾られてあった。
 その鎮魂歌を此処に紹介しておこう。
 茶子兵衛への愛惜の詩
「突然に我が家の一員になった君よ、あの時、そう午前三時ごろ、君は我が家の前に捨てられていた、私を見て人なっこい目と小さな声で泣いていた君よ、来るかと言うとよたよたと付いてきた君よ、ミルクを旨そうに飲み、私が夕食の残り物を与えるとぱくついた君よ、その日ダンボールの中で眠った君よ、次の日から家族の一員になった、風呂に入れると必死に逃げようとし爪を立てて抵抗した君よ、日に日に成長していく君を我が子のように愛でた日々、空オケを聞きながら育った君よ、君は我が家の一人一人に生き物の可愛さと命の尊さを教えてくれた、君の事は我が家の者の心に何時までも何時までも残ることだろう、沢山の思い出をくれた君よ、惜別堪え難く、此処に冥福を祈りながらありがとうと・・・」                         柿本源内とその一族
 この詩を読んだときに、この家に来て良かったと思ったものだった。
「気が付かなかったが、何故早くその事を訴えなかったのか、他人ではあるまいに」
 主人が俺の腹を摩りながら言った。
「早く病院に連れて行ってあげて」
 静さんが心配そうに言葉を添えてくれた。
 それからが大変だった。
 主人は俺を車に乗せ動物病院に連れて行ってくれた。
「ほう、これは珍しい。オラウータンが猫を診察に連れて来るとはな、世の中も変わったものですぞい・・・」
 小柄で痩せていて、お目目真丸の先生がちょぼ髭の下の唇を開いて言った。
「この猫は三太郎と言いまして・・・」
 主人は少し頬を膨らせながら言った。
「ほほ、FUS{猫の泌尿器症候群}ですな。どうしてこんなになる前に連れて来なかったこなかったのですかな」
 猿のような先生が、俺を一瞥しただけで言った。
 主人は、
「何分にも学がありませんで、猫語を勉強していませんので・・・」
 と恐縮して言った。
「それは、まあ仕方がありませんがな・・・。チンチンが詰まって、膀胱炎から腎臓炎を併発していると考えられますな。つまりですな、膀胱も腎臓も小便で一杯だと言う事ですな。それも爛れていて真っ赤な小便が詰まっているという事ですな。この様な病気は、贅沢病とでも言いますかな、過食と運動不足から来ることが多いいのですな。近頃のフードと言う奴が曲者でしてな・・・」
 猿の様な先生が俺の苦痛を無視して長々と病状の説明にかかった。俺が猫だから許せたが、犬だったらどうしただろうと考えた。犬猿の仲と言う言葉が人間属の中にあるのだから。早くどうにかしてくれと言わんばかりに、か弱い泣き声をあげた。
「まあ、ここ迄来たら心配いらないから。オラウータンさんにしっかりと君の病状を説明しておかないと、またこの病気を繰り返す事になるからして・・・。いいですか、オラウータンさん・・・」
「私には、父母が付けて下さった源内と言う列記とした名前があります。柿本源内と言えば知る人ぞ知る・・・」
 主人はむっとして言った。余程オラウータンと言う呼び方が気に入らないらしい。
「知りませんな。まあ、そんな事はいいではないですか、たいした違いはありますまい。私など、紅猿、チビ猿、髭猿、と呼ばれても平気の平座ですぞい。寧ろそれを喜んでいるのですわい。私は人間を診るのが阿保らしくなり、人間を相手するのが馬鹿らしくなったから、獣医になったのですからな。人間も、オラウータンも、猿も、親類同士ですぞい。人間が今は進化して我が者顔で歩いていますが、まだ三分の一しか進化をしてはいないのですからな。まあ、今度はオラウータンか、猿が人間より大きく進化するとも限らないわけですからな・・・ううううあ」
 俺は髭猿に噛み付いてやった。
「よしよし、分かったぞい。チンチンに注射して腎臓に、膀胱に溜まった真っ赤な小便を抜き取ってやるわいな」
 髭猿に後足をひょいと掴まれ、尻を抱えられて、流しに連れて行かれた。そこで、チンチンの尿路に注射器を差し込まれた。雌猫が初めて交尾をした時にはこの様に痛いのだろうかと一瞬思った。
「うーん、中々入らんわい。尿路に無機質の結晶、結石、栓がつくられていましてな・・・、これは手強いわい、なかなか・・・」
 髭猿はそう言いながら注射器で何度も何度もチンチンから尿路に針を射れてまさぐった。そのたんびに俺は飛び上がるほどの激痛を味わった。
「何をぼさーと見ているのですかな。三太郎くんの頭を抑えていてくれませんかな。そうそう、そのように」             
 主人は俺の頭を抱えた。
「ほうれ、真っ赤な小便が、出て来たでしょうが。小豆の様な結石が出て来る時もありますからな」
 髭猿にお腹を力一杯に押さえられた。耐えられない痛みが全身を駆け巡った。
「こら、三太郎、これほどの痛さがなんだというのだ。お前を産んだ母の痛さに比べたら、屁のようなものだ。おとなしくしなさい。これくらいの痛さを我慢できんようでは、所詮人間には勝てはしないぞ」
 主人が、主人らしい事を言った。
「ほほ、中々味な励ましを言の葉に乗せましたわな。その通りですぞい。なかなかオラウータンも馬鹿には出来ませんな」
 髭猿は俺の腹を絞りながら、主人と交感遇い照らしていた。
「この胡麻のような物が一杯に詰まっていたのですぞい。こうした病気は、餌の中のマグネシームの含有率、肉体的活動の低下、肥満、水の消費量の減少、及び、尿量や排尿の回数の減小で起きるのです。つまりですな、簡単に言えばですな、餌のバランスと運動のバランスの崩れから起きるのですな。餌の中の灰分含有率とマクネシームの含有率のバランスがFUSの原因になると言う事ですわな」
「人間の糖尿病による合併症状の様なものと考えて言い訳ですか」
「まあ、少し違いますが、その様な物でしょうわい」
 主人と髭猿が俺の病状の事で話しているのを聞いていたのだが、だんだん腹が軽くなり痛さが潮が引くように消えて行った。俺は陣痛を終えた様な安堵感を覚えた。主人の手を感謝の気持ちで撫で言ってやった。
「これで大丈夫だわ。ダイエット食を出しておきますから、それだけしか食べさせないようにしてくださいな」
 そう言って、髭猿は俺の尻をポンと叩いた。
「中々の奴だ。獣医等にしておくのは真実に勿体ない。サファリーパークに離してやらねばならんな。そこでのびのび猿の進化論でも研究させたい位だ。今日は実に快い日だった」と帰りの車を運転しながら独り言を呟いた。
 伊藤博文が何枚か主人のポケットから消えたのだった。それについては、
「国家も、動物愛護の為に、ペット健康保険を考えなくてはならん。ペットによって安らぎを与えられ、親子愛を教えられ、人間が動物であることの認識を新たにしてくれている事を考えれば、国家予算に組み込んでもいいではないか。ペットによって暴動が起らないという事も考えられる。また、ペットを愛しむと言う美しい友情が生まれ、ひょつとしたらこの地球を救うかもしれないのだから」
 主人は自分の言葉に酔っていた。俺は車に酔っていた。
 なんと回復するのに二十日もかかったのだった。
 毎日毎日、俺は主人の下手な運転の車に乗せられ、髭猿の所へ点滴注射に通ったのだった。俺が点滴をしている間、主人と髭猿は動物の進化論を蕩々と議論していた。主人は俺のお陰で退屈が紛れて良かったらしい。なにせ、マントヒヒと髭猿の親類同士の付き合いが俺の病気が縁で始まったのだから。類は類を持って集まる、似た者同士。俺は二人を見ていて、親子か兄弟を連想したものだった

小説 九太郎がいく・・・14

2006-03-22 16:36:20 | 小説 九太郎がいく
九太郎がいく・・・14


主は雨が降っているときは頭の回転が正常でなくなる・・・。交通事故の後遺症で鬱の状態になるらしい。
今日も一人で三太郎兄さんの物語を読むことにするか・・・。

五月十某日
 曇り後雨時々晴れ。猫の額ほどの庭には、サツキが赤と白の花びらを開き重く湿りがちな気分を和らげてくれていた。何故、土地が狭いと猫の額と言う表現を使うのか、これは偏見と言うものではないか。まあいいか・・・。
 主人は朝から忙しげに貫之さんの部屋を掃除していた。俺が擦り寄って行っても、相手にしてくれなかった。何時もなら、
「三太郎は元気かな。ご機嫌は如何かな。ストレスは蓄めるでないぞ。雌猫にもてるといいがなぁー。美醜に拘るでないぞ、最近は整形美人に性格ブスと言ってな、ややこしい人間が増えて、人間社会は混乱しておる。どこを見ても、どちらを見ても同じような女性でな、個性なんかないのだ。判断に困ってしまうのだ。化粧の下の顔を見なくては人相学は成り立たなくなる。そう人相見が言っておった。昔から、顔は心を映すとか、心の鏡とかと言う言葉があるが、今ではその言葉は死語になりつつあるのだ。実に嘆かわしい、愚かしい。父に母に貰った顔で、堂々とどうして生きられないのかと言いたい。心を研けば自ずと顔は美しくなり、その自信が姿形を輝くものにするのだという、嘗ての格言諺が今では通用しなくなった。おまえの世界ではそう言うことがあるまいが、決して整形美人と性格ブスに子種をやるではないぞ」
 と言うようなことを、言って遊んでくれ、教授してくれるのだが、今日はどうもその心の余裕はありそうになかった。
「あなた、なにをそんなに興奮しているのですか。貫之の部屋はさっき私が掃除をしておきました」
 静さんが部屋を覗いてそう声をかけた。
「分かっておる、念には念を入れてと言うではないか。万一、掃除が行き届いてなくて貫之が振られるというような状況になったら、可哀相ではないか」
「それは日頃の貫之の生活に問題があるのですから仕方がない事でしょう。自業自得というのでしょう」
 静さんも何時になく言葉を荒げて、主人に口返事をしている。何時もなら、主人の言う事に逆らった事がないのだが。
「お前さんは知らないだろうが、貫之が此処まで漕ぎ着けるには大変な努力と忍耐がいったのだぞ。だいぶ前にお前さんに言ったと思うが・・・」
 主人も今日は否に下手に出ているのだ。
「知りません、忘れました。少々のゴミがなんですか。万一そんな人と貫之が一緒になると言うようなことになった方が大変です。人間はゴミから生まれたと言うのはあなたの口癖ではありませんか。貫之はゴミの中で生活をしていても、心は何時も綺麗で純粋ですよ。何だかんだと言ってもまだ子供ですから」
「それは、まあ、そうだが。だが、それだから余計に心配なんだ。万一、失恋がもとで世を果なんで命を絶つとか、得度して、坊さんになるとか・・・」
「そうなったらそれでいいではありませんか。そうなることが貫之の運命なら・・・」
「否に今日は逆らうではないか。さては、貫之の心がお前から離れて、その娘に移ったのを嫉妬しているのだろう」
「あなたと一緒にしないでください。私は、貫之より、あなたの方が心配なんですから」「それはどう言う事だろうか」
「あなたの頭の中には、貫之と今日来る娘とのドラマが進行していて、結末まで進んでいるのでしょう。何時結婚して、どこへ新婚旅行に行って、何人子供を産んで、その孫を背負い、どこを散歩させ、どんな玩具を与え、いつ頃最初の夫婦喧嘩をして・・・と」
「どうしてそれを・・・」
「分かりますわよ。結果においてそうならなかった時の事を考えると・・・。その時には怒る泣く・・・。そんなあなたをどう扱えばいいかを考えると今日の来る日とても恐かったのですよ」
「だが・・・」
「現代の女性は、お父さんが考えている程・・・」
「つまり、お前さんのようではないと言いたいのかね。大和撫子ではないといいたいのかね」
「先だって、三太郎くんに言葉を投げていたではありませんか。整形美人と性格ブスがどうのこうのと・・・」
「だから、この私が、曇りない眼でそれを判別しょうとしているのではないか」
「それが、貫之にとってはいらぬお節介になると言っているのですわ。貫之が選んだ娘を、信用してあげようではありませんか」
「うーん。だが・・・」
「それより早く、五右衛門を連れて散歩に行ってらっしたら・・・」
 軍配はどうやら静さんに上がったようだった。
 俺は主人が五右衛門君を連れて川沿いを歩いて行くのをじっと見詰めていた。マントヒヒが背を丸めて五右衛門君に連行されているように思えた。
 散歩から帰って、主人は書斎に閉じ籠もり、何やら懸命に書いていた。余程静さんに言われた事が堪えたのだろうか。だが、そんな和な主人ではない事は、俺は百も承知二百もがってんだったのだ。
「病み上がりで少し痩せたなぁー。まだ本調子ではないのか」
 と五右衛門君が、貫之さんの部屋の網戸越しに声を掛けた。
「うん、まだ腰がふらつくのよ。兄さんは近頃どうなんですか。足の具合は」
 俺は網戸に近寄ってそう応え、そして問った。
 五右衛門君は産まれもって少し足が悪いのだ。人間で言えば正座が出来ないという具合に。五右衛門君を俺は、先に此処に住んだことに敬意を評して、兄さんと呼んでいた。
「うん、生れつきだから。聞くけど今日はなにかあるのかい」
「うん、貫之さんの彼女が来るということなんだ。それで何かと忙しそうなんだ」
「でも、主人は何だか淋しそうだったぜ」
「チョツトあってな。なあにちぃとやそこらでへこたれるようなお人じゃあないよ。世間の冷たい荒波を掻潜り、泳いで来たお人だから。伊達に、あんな風貌はしていないよ」
「君は何を観察しているのかね。あの怠け者の様な懈怠の中には、蚤のような心臓がひ弱に打っているんだぜ。細心な感性があるからこそ、静さんも惚れているんだぜ。静さんは足が少し悪いだろう。交通事故で二年近く入院をしていたんだそうだ。その間、一日も欠かすことなく見舞いに行ったそうだ。余程惚れ合ってなくては出来ることではないぜ」
「それは初耳だよ。そんな事があったのか・・・。うーん・・・」
「それに、主人の芝居はなんとか賞を貰っているし・・・。まだ、芝居が忘れられなくて、よく独り言を言っているのだよ」
「うん、家の中でものべつまくなしに喋り続けているよ」
「本当はとても淋しがりやなんだ。淋しいとついつい泣きたくなり吠えたくなるだろう」「うん、それには一理も二理もあるな。貫之さんが今日来る彼女に取られるのが堪らなくて・・・」
「それは、ママさんの方だろうよ。パパさんは嬉しいんだよ、だから感情を押さえられなくてじっとしておられない。だけど、その仕草をどう表現していいか分からない」
 五右衛門君は、主人をパパさんと呼び、静さんをママさんと言った。
「なにぶんにも不器用なお人だから・・・」
「君にはまだ分からないと思うが、父親に取っては息子の彼女、つまり、嫁は言ってみれば第二の夫人の様なものなんだょ。息子を通して嫁と睦み合うと言うことになるらしいんだょ」
「じゃあ、分身の分身が、主人のチンチンだとでも言うのかい」
「そう言うことになるかな。巧く言えないが、息子の嫁は父親に取って可愛くて仕方がないと言うことになるらしいのだよ」
「よく分かるのですね」
「ああ、君よりは少しパパさんとの付き合いが長いものでね。散歩の途中で、洗濯物をしまっている若いお嫁さんを見ると、うちの倅にどのような嫁が来るのか実にドキドキするな。可愛くて素直であって欲しいな。いいや、健康で、倅を心から愛してくれたら何も言わんのだが・・・と言いながら涎を垂らしていた事があったよ」
「そんなものですかね。あの主人にしても平凡な父親だって事ですか」
「人間てそれ位な者よ。感激屋の泣き上戸・・・」
「そんな主人が好きだょ」
「僕だって・・・」
 とまあ、兄さんとこの様な会話を交わしたのだった。
「今日は、五右衛門と三太郎がいやに騒がしいわね。どちらも発情期を迎えたのかしら」 静さんがそう言いながら入って来た。そして、網戸越しに、例えば人間の世界で言い換えるならば、刑務所の面会室にある穴の開いたガラス越しにと言うことになろうか、兄さんと俺が何やら額を寄せ合って話している姿を見て、
「なんと仲の良いことでしょうかしら。何時もこうあって欲しいわね」
 と笑窪の出ない頬を歪めて言った。
 それからは、なにがどうなったか、主人が書きかけている原稿用紙の束の上で寝込んだので分からない。川面を叩く雨の音がまるで子守歌のように聞こえたのを覚えているだけだ。


九太郎がいく・・・15

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主が転寝をしているので・・・。ママさんに言って外へ出してもらう。風は少し寒いが心地いい。
今日も三太郎さんの続きを・・・。今日で終わりか・・・。
明日から振る字がかまってくれなかったら何をしょうか・・・。

目覚めて俺はまだ朦朧としている頭を振り振り、両手を伸ばして前身を屈め背を高々と持ち上げ尻を突き出して欠伸をしていたところに、
「まあ、可愛い猫がいるわ。君の名は・・・確か三太郎くんだったわね。貫之さんに百日間毎日毎日電話を掛けることが出来たらデートをしてあげましょうと言ったものだから、貫之さんは最初の内は仕事や遊び、映画にテレビ、ビリーヤードにボーリング、お父さまとお母さまのこと、道真ちゃんのこと、車に読書に・・・。段々話が尽きたのでしょうか、まあ、普通の方だったらこの辺りでリタイヤをする方が多いいのですけれど、切羽詰まると底力が出ると言うし、知恵も働くという事かしら。貫之さんは丁度五十日目から、五右衛門君がどうした、三太郎君がこうしたと言いだしたのよ。最初はなんの事か分からなかったのょ。犬とか猫とか言ってくれればいいのに・・・その日から、電話が楽しみで楽しみで、トイレに発つのを忘れて何回が失敗りましたのよ。だって、私は犬も猫も大好きなんですもの。その話だったら、一生していてもいいくらいなの。だって、動物を可愛がるって事は愛ですもの。そぅよ、友情もいるしと言うことは生き物として互いに励まし合うことだし助け合うと言う事だしー、尊敬が不可欠だしだと言う事は互いに偉大さといたらなさを知ることだしー、親子の情愛もなかったら困るということは育てる責任と躾ける忍耐と勇気がいることだしー・・・。その事は結婚生活には重大で大切な事なんですもの。子供の頃から、私は結婚するのだったら、絶対に動物大好き人間でなくてはやーだーと決めていたの。良かった、お義父さんと言う人は、まるで、ゴリラの様な方だしー、お義母さんは山羊のように大人しい方だしー、道真さんは・・・そう、盲導犬の様な方だしー。今日お邪魔をして本当に良かったと思うのよー」
 前髪を少しだけ額に散らし、あとはワンレーンにして背に垂らした、うら若い乙女は俺に密かにそう言ったのだった。
 やったぜ、貫之さん。目出度い目出度いぜ、百日間、俺も陰ながら応援し声援し見守って来た甲斐があったというものだ。そのために、話の材料の提供には協力したつもりだ。五右衛門君の兄さんと語らってプロレスショウのような八百長を仕組んだり、便所のスリッパの片方を隠したり、猫撫で声で擦り寄ってみせたり、尻尾をわざと踏まれてみたり、カーテンを駈け上がって落ちてみたり、欲しくもない餌を欲しがってみたり、まあー俺が考えられることは総てやったのだから。
「小野小真智と言うの、仲良くしましょうね」
 と言って俺は小真智さんに抱き上げられたのだった。ふくよかな弾力のある二つの隆起が俺の首筋の辺りにあった。そして、静さんにはない甘い匂いが俺の鼻腔を擽った。俺の心臓はなぜか激しく打ち股間に全身の血が集まるのを覚えた。
 「ここでしたかな、トイレと言われて発たれたが中々帰られないので道に迷われたのかと心配いたしました。何分古くてだだっ広い家でして、この前なんか帰り道が分からなくて困った方がおられましてな・・・」
 主人はサービス精神を精一杯に発揮して言った。まあ、慣れぬ事とは言えユーモアとしては上等なものではなかった。主人が本領を発揮するのは五右衛門くん宜しく月に向かって吠える時だ。つまり、権力に立ち向かう時は本能丸出しで立ち向かうのだが、どうも、若くて綺麗な女性には言葉が萎縮するらしい。
「ご心配をお掛けいたしまして誠に申し訳ございません。猫の匂いがしていたものですから、ついつい足先が・・・。私は暗がりでも、どうなにややこしい露地でも道に迷ったことは御座いませんの。だって、私は夜目遠目ですもの。そして、迷いそうな所に私の匂いをそーと置いておきますから・・・」
 小真智さんは零れそうな白い歯を見せた。
「それではまるで五右衛門か三太郎と一緒ということになりますぞ」
「はい。幼い頃から、自然と共に生活をし学び、人間が動物としての本能を取り戻すことを習得しましたもの。犬に負けない臭覚、食物を穴を掘り貯える技術、どんな物でも咀嚼する鋭い頑丈な歯と顎、誰の足音かを選別の出来る耳、猫の俊敏性、トイレをきちんと後方付けする几帳面さ、甘える娼婦性、どの草が薬草かを選り分けることの出来る鑑識眼、等などを治めて参りましたのです。これは、私の先祖が家訓として残したものです」
「うーん。それは参りましたな。常日頃から、その大切さは心に銘じておりましたが、その実践迄は中々出来ませんでした。・・・それ程の家柄の才女が我が家のような貧乏と友情関係にある家柄とは釣り合わないのではありますまいか」
 主人はへりくだり、腰を砕けて言った。
「何を申されます。百日間一日も欠かさずに電話をしてくださった愛情はどんな高価なものにも勝ります。それに、柿本家はあの柿本人麻呂様に繋がるお家柄と言うことはよく存じております。何を隠しましょう、私の先祖は・・・」
「小野小町、クレオパトラ、楊貴妃と並び称せられた世界三大美人のお一人、でしょう。深草少将との事でつとに有名な・・・」
「あの逸話は間違っておりますの。あんな約束をしたことを小町はどんなに悔やんだことでしょう。だけど、百日間と言うのは代々小野家の女子が嫁す時に出す条件だったのです。小町も心ならずも・・・。そして、この私も・・・」
「有り難い、それでこそ、情があると言うものです。我が家に嫁いで戴けますかな」
「はい喜んで。それについて・・・」
「それについて、なにか・・・」
「はい、私は子供が好きですから・・・」
「この私も子供が好きなのは人後に・・・」
「私は、人間の出産に疑問を持っておりますの・・・」
「ほほ、どのような事ですかな」
「私は、最低三人から五人一辺に産みとう御座います」
「それは・・・」
 主人は何がどうなったのか呆気に取られていた。
「はい、犬や猫のように・・・」
「と言う事は・・・」
「はい。その方が経済的ですし・・・、今後の日本の人口問題を考えますと一挙に一・五三から二ー三に出生率が・・・」
「そこまで・・・」
「はい、種の保存。これからの人間は段々弱くなります。弱い動物ほど多産でなくてはならないという本能の原則があります。これは自然界の法則にのっとっておりまして・・・」
「どんな夢を見ていたのか知らないが、心地好く眠っていたな。お前は何も考えなくていいな」
 主人は胡坐をかき原稿を書いていた。その胡坐の中ですっかりいい気分で眠っていたらしい。さーて、今度はどんな夢を運んで来てくれるか・・・。

一年間ともに暮らしたが主のことは理解しがたいことばかりだ。これから観察を繰り返し人間を解剖していきたいと思うが・・・。
 ひとまずここで俺の物語は未完としておこう。