九太郎がいく・・・1
母の乳にしがみ付き温温と育っていたところお嬢さんに籠に入れられ今の主のところへ連れて行かれた。主を見たとき目を丸くして驚いた。頭の髪はもう何年も散髪屋のドアを開けたことがなく、髭は白く頬を覆い、目はトラのように大きく、鼻は小鼻の張った団子鼻、体躯は背丈の割には横に大きく・・・。そんな主と対面して俺は尻尾を立てて臨戦態勢に入った。
「二ヤーンゴロゴロ」と主は猫語で言った。
発音に少し訛りがあるが良く来たなと言っているらしい。目が穏やかに笑っている。主は何匹か猫を飼った経験があるらし。その猫に訛りがあったのだろうと思った。猫語に堪能であるように見えるが、日本人が英語を喋っているようでたどたどしい。
「二ヤーン」と、俺は小さく鳴き出方を見た。そして、科を作って見上げてやった。これは人間の心揺さぶる動作である。
「ニヤンニヤン」と主が鳴いた。
今日からお前の飼い主は我輩であると言っている。分かったと言う証拠に尻尾を三回振ってやった。
「オスなの、盛りがついたら大変だわ・・・去勢をしなくては」
主の隣でおとなしそうにしていたおばさんがきつい言葉を発した。
俺は腰を引いて飛び掛る体制に入った。
「ニャニャーン」
主が心配するなと言った。
「二ヤーン二ヤーン」と、俺は鳴いて態勢を解いた。
出会いはこんな具合だったが・・・。この主の奇行気まぐれにはほとほと手を焼く羽目になるのだが・・・。出会いの縁に戸惑う日々を経験するのだが・・・。
まずはご挨拶で・・・。
「ニヤヤヤン・・・」
九太郎がいく・・・2
真新しいトイレ、トイレの砂、餌の器、草の鉢、飲み水、が玄関に置かれていた。これは俺のものだと言う証拠に小便をした。
主は先に飼っていた茶子兵衛と三太郎との死別に傷心し猫は二度と飼わないと言っていたのだが、心を入れなおして飼う気になったらしい。どうも一本筋の入っていない性質らしい。悲しんで「茶子兵衛は何処へ」と「三太郎の記紀」と言う小説を書いて哀悼したらしい、そこが主の甘っちょろいヒューマニズムらしい。
前の飼い主は俺を不憫に思い、劇団の主宰の主に、
「可愛い猫がいます、監督はこの猫の運命を握っています、生かすも殺すも監督次第です」と半分脅迫したらしい。
情に脆い、女性の言葉に弱い、動物の不幸を見捨てておけぬ主は飼う気になったのだ。元々口では何のかんのと言っているが猫好きの甘ちゃんであるらしい。
主は早速俺を風呂に入れた。
「ニャー二ヤーン」と、主は鳴いた。今までの世間の垢を綺麗さっぱり落として、我が家の垢にまみれよと言った。この家の仕来りに馴れよと言うことかと思った。
体中ボディーシャンプをぬられごしごしと洗われた。猫の俺は水も湯も大の苦手であるので暴れてやった。俺は今まで風呂に入ったことがなかったらだ。
「ニヤヤヤンゴロゴロ」と主が俺の頭に一撃喰らわせて鳴いた。
主はこのような湯を怖がっていてはこれからの生存競争に勝てないぞ、メスの争奪戦には勝つことが出来ないぞと言ったのだった。俺は半分納得した。
主の家人、詰まりママさんが俺の体を丁寧に拭いてくれた。体から化粧品の臭いが立ち込めていた。
この家で同居するとなると色々と知らなくてはならないと探索をする事にした。別棟に長男夫婦がいる、別所帯か。主の住いの階段を上がって二階の二十畳には次男が一人住んでいる。が元は主の書斎だったらしく本がぎっしり並べられ詰まれていて使えるところは六畳か。主とママさんは六畳を二間使って生活しているがここも本とテレビが五台で六畳もない程である。
俺のベッドは主の椅子の下であるらしい。箱の中に座布団が敷いてあった。
初めての風呂の疲れですっかりと寝入った。
どれほど寝たのか大きな音がして俺は飛び起きた。
寝室から雷のような鼾が聞こえてきていた。その寸簡をぬって寝言で「九太郎、そこはトイレではない」と叫んでいた。俺はまんじりともせず一夜を明かさなくてはならなかった。
次の日は欠伸ばかりしていた。
九太郎が行く・・・3
眠たくて眠たくて主を起こすのをやめた。猫の習性として夜が明けたら同居する人間をなめて起こすというものがあるが・・・。いびきの大きさにびっくりしてそのことを実行する気力も失っていた。
ママさんがおきても主はなかなか起きなかった。主が寝ているときは眠られないのでママさんの後をついて歩くことにした。
「まあ、なんと早く起きるのかしら」
ママさんはそう言って俺の頭を撫でた。
「二ヤーン」
俺はかわいい声で鳴いて見せた。
「わかるのね、可愛いこと、餌が欲しいの」
と言って器いっぱいの餌をくれた。ははーん、腹が減ったらじっと見上げて「二ヤーン」と鳴くだけでいいのだとひとつ勉強になった。
たらふく食べて横になったが主のいびきは潮が打ち寄せるように続いていた。
こうなれば少し散歩へ行ってこようとしたが、どこも開いてなかった。どこか開いていないかと探したがどこもない。これは困ったと・・・。窓に体当たりをしてみた。その音にママさんが顔を洗って飛んできた。
「何をしているの」と俺を見た。
「外が見たいのね」
と言って窓を開けてくれた。出ようとしたら網がかかっていた窓を開けてもらうには体当たりをすれば言いということを覚えた。
人間は猫の学習本能を知らないらしい。何回か同じことをすれば体が自然に覚えるのだ。猫の額が狭いから脳の働きが悪いように言われているようだが、なかなかである。人間にそう信じさせておくほうが楽に生きられるというものだ。人間が何かを喋るきの顔でおおよそ何がいいたいかの検討はつくのだ。
外をじっと見ていたら、
「よく寝た、今日も一日いい日であればめでたい」
と主が起きてきた。
九太郎が行く…4
うとうとしていると、
「よく見るとこやつはどことなく品があるではないか…我が家にふさわしい…」
「氏より育ち…大切に育ててあげましょう」
「茶子兵衛も三太郎も自分の分まで可愛がってやってくれと言っているだろう」
「此の九太郎を茶子兵衛と三太郎の生まれ代わりと思って飼いましょう」
「たくさん食べて大きくなって明るく陽気に暮らすと良い…病気はするな自動車と仲良くするな」
「茶子兵衛は自動車に撥ねられて、三太郎は白血病で…」
「のんびりやろう気楽にやろう、東向いても西見ても、何と切ない世の中か、どうせはかない浮世なら、
自由に過ごせ気の向くままに、互いに虱の湧くまでと、仲良くやろう何時までも、よろしく頼むと、手を取り合って…」
主とママさんがそんな会話をしていたのだった。
俺は二人を二人を見上げて、
「ニヤンニヤーン」と鳴いてやった。
そして、あたりの足へ体をぶつけたのだった。
「わかるのか、それは賢い」
主が俺の頭をなでた。そのとき下半身がもぞもぞして、急いでトイレに行った。感激をするとトイレが近くなるのだということを知った。
餌の隣に飲み水を用意してくれているが、飲みにくくて風呂桶の水を飲むようにしていた。少し石鹸のにおいがするが俺のにおいと思えばよかった。
ここは俺の領分とばかり小便をして歩いたが、主にこっぴどく頭を叩かれてそこはするべきでないということを知った。
ここで云っておくが、賢いとは言え間違っていることはそのように注意をしてくれないとわからないのだ。猫が可愛がりは良くないのだ。躾は心を鬼にしてやっていただきたいものだ。叱られて一つ一つ覚えていくものなのだから…。
昨夜、主のいびきで眠られなかったが、そのとき主の机の上に詰まれたたくさんの本のなかから一冊つまみ出しぺらぺらとめくってみた。
「猫の飼い方愛仕方」という本だった。この本を読んで俺との友情を深めようとしたのかと思うと涙が浮かんできた。
人は風貌でその人格を決めては成らない、判断してはならない、人には添ってみろという猫のことわざがあることを思い出したものだ。
九太郎がいく…5
俺は主がパソコンをしていないときは主の椅子を自分のものとして使っていた。これは俺のもだという証拠ににおいをしっかりつけた。主のにおいを消そうとしたのだった。
「ニヤヤーン」と主が鳴いて見下ろしていた。九太郎、ちっとそこをどいてくれといっているのだ。俺は主をちらり見て知らん顔を決め込んだ。こんなやり取りは何回かあった。言うことを聞かない俺に業を煮やした主は俺の首玉を掴んでそこに座るのである…。
主はパソコンを開いてぶつぶつ言い、笑い泣くのである。
主はいったい何をやっているのかと…。俗に言う遊び人らしい。それでは世間体が悪いで劇団の主宰で座付き作家で演出家ということにしておこう。還暦を迎えて書かなくなったらしい。物書きに定年はないらしいが、定年を自分で決めたのだった。書き物をやめて何をするのかといえば終日ぼんやりとしている。
「今は少し休養して…先のことはゆっくりと考えるか」
と独り言を言っているのを聞いたことがある。だが、毎日パソコンに向かってなにやら書いているところを見ると書き物は止められないらしい。
玄関のところには先輩の茶子兵衛さんの写真を飾り言葉が書いてある。無論三太郎さんのも、愛犬の五右衛門さんのものもある。すべて亡くなっていて、哀悼の念を表しているらしい。このように写真を飾り文章を書くのだったら生きているときにもっと可愛がってやればよかったのにと俺は思うのだが…。主なりに可愛がったのだろうが…。俺はそんな言葉は要らない、俺の自由を認めてくれと叫んだ。その写真と言葉は俺が餌を食べる上に飾られてあって、食べるときに自然に目に入るのだった。
主はそのことで何を俺に言わんとしているのだろうか…。
九太郎がいく…6
俺が主のところへ来たのは2005年1月4日であった。人間は正月に浮かれ飲み食いをして自堕落な生活をしていた。が、仕事始めという日であった。
主は俺に九太郎と名づけた。三太郎さんの三倍は生きろという単純な発想らしかった。
あっという間に一週間は過ぎ、相変わらず主の波頭のような鼾に毎夜毎夜悩まされ不眠症が続いていたが、その分昼寝るからたいして困らなかったが…。
主の鼾の嵐のなか、俺は窓から暗闇をじっと凝視して物思いにふけり、瞑想を繰り返していた。
大変なところに来たという思いと、その解決方法を考えていたのだった。暗闇を見つめていると心が安らかになり、頭が冴え冴えとしてきた。闇は心の平安に必要不可欠であると悟った。じっと瞑想していると過去が未来が雪見障子を開け月を見ているように見えたのだった。
これはきっと、昔々、ヒマラヤの頂で人の道をとくために瞑想した人たちと同じではないかと思ったほどだった。その悟りはブッタを生みキリストの根幹を成し、マホメットの教義になったものだが、そこまではいくらなんでも行かなかった。猫の宗教は今も昔もないのだった。
それでも俺は悟ったのだった。人間のなすままには成らないと、人間を為すままにすると…。
つまり人間を従わすために此の瞑想は有意義であるということを感じたのであった。人間はそんな短時間に悟れるものではないというだろうが、無垢のマリアがキリストを生む奇跡に似ていると考えてほしい。
主を従わせるいい方法はないかと…。
何も大層に考えることはない、俺たちの習性を覚えてもらうことなのだと思った。
主は大きな鼾の中で安らかに眠っていた。
空がだんだん白み始めたころ主を起す事にした。
枕元で、「二ヤーン」と鳴いてやった。そんなことでは起きる主ではないことはとっくに承知していた。
頬の辺りを掻いてやった。だが、これもだめだった。
最後の手段で、小便しかなとその体勢に入った。
「そこはトイレではない」
主の雷が落ちた。が、それは寝言であった。
よく見ると主が寝ている頭の上に本がうずたかく積まれているではないか、それを崩して直撃を食らわすことにした。
俺は飛び掛るために体を低くした。
九太郎がいく…7
主は人間ではないのだろうか…。
テレビのニュースを見ていて叫ぶ怒る泣くのだ…。心の赴くままに喜怒哀楽を繰り返すのだ…。
最近の人間は喜怒哀楽に乏しいというが、そうすると主は人間ではないということになる。風貌からして人間より野獣なのであるから。だがそれでは野獣に失礼になるのか…。
心地よく眠っていてその都度起こされるのだ。俺は主のひざに飛び乗り主を哀れを含んだ瞳で見上げてやる。そんな時、主はすまんすまんというような顔で見下しているが…。 本当に言葉どうりなのか疑問である。俺は勝手気ままな人間になりたいと思っていたが、今ではならなくてもいいと思うようになった。人間にもいろいろと大変な事があり、苦労が絶えないらしい。主が叫んで怒るのは人間の貧しい性にたいしてであることが多いらしい。そんな人間を猫の下に置き従わせる方法を瞑想で悟ったのだった、。
餌がなくなったら皿を鳴らし、ウンチをしたら泣いて早く片付けろという風に…。その猫の習慣にならすのにそんなに時間がかからなかった。
「まあ、こんなにたくさんしたの」
と言ってニコニコとママさんは片付けてくれる。
「わかったわかった…よく食べるものだ」
と言って笑いながら皿に継ぎ足す主…。
此の夫婦はどうも優しすぎるように思えるが…。こんな人間と生活していたら俺も軟になるのではないかと思うが…。まあ、此の生活環境に甘えておこう。
九太郎が行く…8
雨が降っている日は主に近寄らないようにしている。
雨が降っている日にじゃれてひどい目にあった経験があった。まあ、俺が悪いのだが…。鉢巻をしてパソコンに向かっている主のパソコンに乗ったのだった。 頭を叩かれ首を掴んで投げられたのだった。雨が降らないときはそんなことをする主ではなかったのに…。
「雨が降る日はどうも頭が重くていらいらしてかなわん」
という言葉を聴いていたのに邪魔をしたのだから自業自得というものなのか…。
きょうの主もねじり鉢巻でパソコンに向かってなにやらキーボードをたたいている。こんな日はおとなしく転寝を決め込むに限るのだ。
主は毛三十年も前に交通事故に会い、何年か後に鬱が出て、それ以来欝と道連れの生活をしているらしいのだ。雨の日の前日は頭が痛くなり雨の予報を的中させる事ができるらしい。
俺は主の背中をじっと見つめて可愛そうにと思うのだ。そして遊んでくれない原因の雨を恨めしく眺めるのだ。
俺は何もすることがなかったら、主のベッドの上にある書物の中から三太郎さんのことを書いたものを引っ張り出して読むことにしていた。
俺は名前を三太郎という。
父の名も母の名も、産まれた在所も解らない。
どうか誤解しないで頂きたい。俺は雄猫である。猫にこのような名前を付けた主人を紹介しなくても、大方の検討がつこうと言うものだ。更に付け加えるならば、今、飼っている柴の雄犬の名前を五右衛門と言う。俺の前に飼われていた雌の三毛猫を茶子兵衛と言ったそうだ。
言っておくが、俺は何も好んでこの家に来たのではない。母親の乳房にぶら下っているところを、無情な前の飼い主によって引き矧がされ、スーパーへ持って行かれたのだった。何でもそのスーパーは、子猫とか小犬を一匹千円とか二千円とかで預かり、飼い主を見付けてくれるという、いらない犬猫センターの様な事をしていた。そのスーパーには英国動物保護団体の愛犬家協会から感謝状が来てもいいのではないだろうか。まあ、とにかく命を大切にしょうと言う事は良い事で上等な話だった。店の入り口には金網の檻が置かれ、その中で飼い主が現われるのを待つ。まるで昭和三十三年三月三十一日売春禁止法が施行される前の、遊廓の格子戸の中で客を惹いた女郎と同じではないか。だが、捨てられることを思えば、なにがしかの金を添えて、誰か奇特な人に引き取られ可愛がって貰えと言う母親のような温情なのだと感謝しなくてはならないのだろうか。無情と言う表現を使ったことを誤りだと訂正しなくてはならないだろうか。
俺は前を行く人達に、
「拾い得、貰い得、飼得、鼠はみんなやっつけます。アンカの代わりになります。お年寄りの退屈紛れになります。お子さんの玩具にもなります」
と猫なで声で遣手婆のように喋りまくり、売り込むのだった。が、悲しいかな人間には猫語は通用しなかった。
人間の子供という奴は、どうしてか動物好きが多い。目も呉れない奴もいるが、大方は「可愛い」と言って近寄ってくる。
俺はなるべく子供には媚を売らないことにしている。子供の我儘を聞き飼うような親を信用してはいないからだ。実に子供は飽きっぽい。そして、気分気紛で残酷だ。
「飼ってもいいでしょう」
一応は子供は親に声をかけるが、
「駄目です」
と言うのが実に百パーセントである。その度に俺はホットする。
「この前は、世話をするからと言うから貰って上げたのに、一週間もしない内にダンボールの中に入れて川へ投げ込んだでしょう」
と大きな声で諭している母親。こんな家庭を見ると人間の家庭教育は一体どうなっているんだと、頭を傾げたくなる。俺は背筋が寒くなって、知らん顔して、死んだ振りを決めこむ事にしている。
だから、おれは檻の中を覗き込む大人しか相手にしない。
「あの、そこの汚れた醜い猫を頂けへんやろか」
と少しハスキーな声が頭の上に落ちてきた。俺はやおら頭を上げた。白いエプロンをした、まるでスピッツようなおばさんだった。突然に首を掴まれたとき、汚れた醜いというのは俺のことかと思った。何だか世間が暗くなった。おばさんに抱えられた時、犬の匂いが俺の鼻孔を擽った。それも、なんと五種類の匂いだった。エプロンのポケットの中に入れられた時、俺はもうなるようになれと開き直っていた。動物好きな人間に悪人はいないという、人間の諺をその時ほど信じようと思ったことはなかった。だが人間はさて置き、五匹の犬の中でどのように生きればいいのか思案に暮れた。人間に愛想をし、五匹の犬には遠慮をしながら生きていかなくてはならない、俺は俺の運命を呪った。
「買物から帰りがけに、そこに団地があるやろ。出入口の大きな木に登ってからに泣いていたのや。うちが手を出したら下りてきょってからに・・・」
とスビッツのような顔を狐顔にしておばさんは嘘を付いたのだった。どうしてか俺には解らなかったが。
「どこかの飼猫ではないの」
と鈴を鳴らしたような声がした。
「木に登って何を見ていたんだろう。過去か未来か・・・それともUHOか」
とガラガラ声が降ってきた。俺はその声の方に目線を投げた。そこには、マントヒヒがいた。俺は髪を立て背を丸くして戦闘態勢に入った。
「なかなか良い面構えをしているではないか。元気そうでいい。こやつはシャムが少し掛かっているな」
マントヒヒが俺の頭を撫でようとしたので、俺はその指先を軽く噛んでやった。
「お父さん、もう生き物は懲り懲りですからね。私、茶子兵衛を亡くしたときに、今飼っている五右衛門が亡くなったら金輪際動物は飼わないと誓ったんですからね」
「私は犬も猫も好きではないのだ。茶子兵衛の時も唯偶然だった。書斎で書き物をしていたら、車の停まる音がし、発車するエンジンのけたたましく泣く声がして、静寂が訪れた。その時か弱い子猫の泣く声が聞こえてきたのだった。前の道は夜と言えども車の通りは激しい。轢かれでもしたら大変だ。その死骸を片付け土に穴を掘り埋めてやるのは何時の場合でも私と決まっている。ならば事前のその事を防がなくてはならないという防御の本能が働いた。理性の呼び掛けがあった。まるで夢遊病者のように子猫の前に立っていた。子猫の奴、私の足元によたよたと近寄り足の指を噛みよった。私の足がステーキに見える程空腹なのかと思い、夕食の残りのすき焼きを少しやった。三毛猫で実に可愛い奴であった」
その声の主は、よく見るとマントヒヒではなく、頭の毛はなんと密林のようだったし、顔の顎と頬は束子のように見える人間だった。俺は足先をざらざらした舌でしゃぶってやった。先輩の茶子兵衛に対する優しい思いが堪らなく俺の心を熱くしたからだった。
「武ちゃん、この猫を此処に連れてくるという事は、何かを暗示しているのかね」
と髭の中にある団栗のような目をしばつかせながら髭の中の口が言った。
「ほんの残り物で良いのでんがな、苦にならへんやろ。何かの縁や、あんなに懐いてからに。健気に一生懸命に生きようとしているやないの。人間もこの猫も命の重さは違わへんし飼ってやりいな」
とスビッツのおばさんはまるで神か仏のような事を言った。
「猫も犬も大嫌いなんでしょう」
と鈴が鳴った。
俺はその方を向いて精一杯に哀れを誘う泣き声で同情を誘った。
「茶子兵衛かと思ったが・・・」
と言って、少年を少し大きくした、と言う事は、まだ幼さを残した青年が現われた。ズボンから犬の匂いをプンプンとさせていた。この青年は動物好きに違いない。俺は親愛の情を込めて擦り寄ってみせた。
「茶子兵衛も此処え来た時にはこれくらいだった」
「道真、茶子兵衛の話は止めて」
と鈴の音が叫んだ。思い出して悲しんでいるのだろうか。
「まあ、どうにかなるだろう。餌は道真の残りをやればいいし・・・その心算で武ちゃんは拾って来たんだろうから」
「人間の雄には好かれんでも、犬や猫にばかり袖や裾を引かれるちゅうのもどうかと思うのやけど・・・」
と武ちゃんと呼ばれるスピッツのおばさんがしみじみと言った。
「好かれるということはいい事だよ。例えそれが動物だとしても・・・。余裕のない人間を動物は好きにはならんだろうからな。選ばれたことに感謝しなくてはならんぞ」
「そんなものですやろかね」
スビッツが澄ました様に言った。
と言うような訳があってこの家の一員になったのだった。家の中には、先輩の茶子兵衛の匂いが染み込んでいた。雌猫の匂いが俺の下半身を震わせた。
三太郎さんの書き出しはこのように書かれてあった。
母の乳にしがみ付き温温と育っていたところお嬢さんに籠に入れられ今の主のところへ連れて行かれた。主を見たとき目を丸くして驚いた。頭の髪はもう何年も散髪屋のドアを開けたことがなく、髭は白く頬を覆い、目はトラのように大きく、鼻は小鼻の張った団子鼻、体躯は背丈の割には横に大きく・・・。そんな主と対面して俺は尻尾を立てて臨戦態勢に入った。
「二ヤーンゴロゴロ」と主は猫語で言った。
発音に少し訛りがあるが良く来たなと言っているらしい。目が穏やかに笑っている。主は何匹か猫を飼った経験があるらし。その猫に訛りがあったのだろうと思った。猫語に堪能であるように見えるが、日本人が英語を喋っているようでたどたどしい。
「二ヤーン」と、俺は小さく鳴き出方を見た。そして、科を作って見上げてやった。これは人間の心揺さぶる動作である。
「ニヤンニヤン」と主が鳴いた。
今日からお前の飼い主は我輩であると言っている。分かったと言う証拠に尻尾を三回振ってやった。
「オスなの、盛りがついたら大変だわ・・・去勢をしなくては」
主の隣でおとなしそうにしていたおばさんがきつい言葉を発した。
俺は腰を引いて飛び掛る体制に入った。
「ニャニャーン」
主が心配するなと言った。
「二ヤーン二ヤーン」と、俺は鳴いて態勢を解いた。
出会いはこんな具合だったが・・・。この主の奇行気まぐれにはほとほと手を焼く羽目になるのだが・・・。出会いの縁に戸惑う日々を経験するのだが・・・。
まずはご挨拶で・・・。
「ニヤヤヤン・・・」
九太郎がいく・・・2
真新しいトイレ、トイレの砂、餌の器、草の鉢、飲み水、が玄関に置かれていた。これは俺のものだと言う証拠に小便をした。
主は先に飼っていた茶子兵衛と三太郎との死別に傷心し猫は二度と飼わないと言っていたのだが、心を入れなおして飼う気になったらしい。どうも一本筋の入っていない性質らしい。悲しんで「茶子兵衛は何処へ」と「三太郎の記紀」と言う小説を書いて哀悼したらしい、そこが主の甘っちょろいヒューマニズムらしい。
前の飼い主は俺を不憫に思い、劇団の主宰の主に、
「可愛い猫がいます、監督はこの猫の運命を握っています、生かすも殺すも監督次第です」と半分脅迫したらしい。
情に脆い、女性の言葉に弱い、動物の不幸を見捨てておけぬ主は飼う気になったのだ。元々口では何のかんのと言っているが猫好きの甘ちゃんであるらしい。
主は早速俺を風呂に入れた。
「ニャー二ヤーン」と、主は鳴いた。今までの世間の垢を綺麗さっぱり落として、我が家の垢にまみれよと言った。この家の仕来りに馴れよと言うことかと思った。
体中ボディーシャンプをぬられごしごしと洗われた。猫の俺は水も湯も大の苦手であるので暴れてやった。俺は今まで風呂に入ったことがなかったらだ。
「ニヤヤヤンゴロゴロ」と主が俺の頭に一撃喰らわせて鳴いた。
主はこのような湯を怖がっていてはこれからの生存競争に勝てないぞ、メスの争奪戦には勝つことが出来ないぞと言ったのだった。俺は半分納得した。
主の家人、詰まりママさんが俺の体を丁寧に拭いてくれた。体から化粧品の臭いが立ち込めていた。
この家で同居するとなると色々と知らなくてはならないと探索をする事にした。別棟に長男夫婦がいる、別所帯か。主の住いの階段を上がって二階の二十畳には次男が一人住んでいる。が元は主の書斎だったらしく本がぎっしり並べられ詰まれていて使えるところは六畳か。主とママさんは六畳を二間使って生活しているがここも本とテレビが五台で六畳もない程である。
俺のベッドは主の椅子の下であるらしい。箱の中に座布団が敷いてあった。
初めての風呂の疲れですっかりと寝入った。
どれほど寝たのか大きな音がして俺は飛び起きた。
寝室から雷のような鼾が聞こえてきていた。その寸簡をぬって寝言で「九太郎、そこはトイレではない」と叫んでいた。俺はまんじりともせず一夜を明かさなくてはならなかった。
次の日は欠伸ばかりしていた。
九太郎が行く・・・3
眠たくて眠たくて主を起こすのをやめた。猫の習性として夜が明けたら同居する人間をなめて起こすというものがあるが・・・。いびきの大きさにびっくりしてそのことを実行する気力も失っていた。
ママさんがおきても主はなかなか起きなかった。主が寝ているときは眠られないのでママさんの後をついて歩くことにした。
「まあ、なんと早く起きるのかしら」
ママさんはそう言って俺の頭を撫でた。
「二ヤーン」
俺はかわいい声で鳴いて見せた。
「わかるのね、可愛いこと、餌が欲しいの」
と言って器いっぱいの餌をくれた。ははーん、腹が減ったらじっと見上げて「二ヤーン」と鳴くだけでいいのだとひとつ勉強になった。
たらふく食べて横になったが主のいびきは潮が打ち寄せるように続いていた。
こうなれば少し散歩へ行ってこようとしたが、どこも開いてなかった。どこか開いていないかと探したがどこもない。これは困ったと・・・。窓に体当たりをしてみた。その音にママさんが顔を洗って飛んできた。
「何をしているの」と俺を見た。
「外が見たいのね」
と言って窓を開けてくれた。出ようとしたら網がかかっていた窓を開けてもらうには体当たりをすれば言いということを覚えた。
人間は猫の学習本能を知らないらしい。何回か同じことをすれば体が自然に覚えるのだ。猫の額が狭いから脳の働きが悪いように言われているようだが、なかなかである。人間にそう信じさせておくほうが楽に生きられるというものだ。人間が何かを喋るきの顔でおおよそ何がいいたいかの検討はつくのだ。
外をじっと見ていたら、
「よく寝た、今日も一日いい日であればめでたい」
と主が起きてきた。
九太郎が行く…4
うとうとしていると、
「よく見るとこやつはどことなく品があるではないか…我が家にふさわしい…」
「氏より育ち…大切に育ててあげましょう」
「茶子兵衛も三太郎も自分の分まで可愛がってやってくれと言っているだろう」
「此の九太郎を茶子兵衛と三太郎の生まれ代わりと思って飼いましょう」
「たくさん食べて大きくなって明るく陽気に暮らすと良い…病気はするな自動車と仲良くするな」
「茶子兵衛は自動車に撥ねられて、三太郎は白血病で…」
「のんびりやろう気楽にやろう、東向いても西見ても、何と切ない世の中か、どうせはかない浮世なら、
自由に過ごせ気の向くままに、互いに虱の湧くまでと、仲良くやろう何時までも、よろしく頼むと、手を取り合って…」
主とママさんがそんな会話をしていたのだった。
俺は二人を二人を見上げて、
「ニヤンニヤーン」と鳴いてやった。
そして、あたりの足へ体をぶつけたのだった。
「わかるのか、それは賢い」
主が俺の頭をなでた。そのとき下半身がもぞもぞして、急いでトイレに行った。感激をするとトイレが近くなるのだということを知った。
餌の隣に飲み水を用意してくれているが、飲みにくくて風呂桶の水を飲むようにしていた。少し石鹸のにおいがするが俺のにおいと思えばよかった。
ここは俺の領分とばかり小便をして歩いたが、主にこっぴどく頭を叩かれてそこはするべきでないということを知った。
ここで云っておくが、賢いとは言え間違っていることはそのように注意をしてくれないとわからないのだ。猫が可愛がりは良くないのだ。躾は心を鬼にしてやっていただきたいものだ。叱られて一つ一つ覚えていくものなのだから…。
昨夜、主のいびきで眠られなかったが、そのとき主の机の上に詰まれたたくさんの本のなかから一冊つまみ出しぺらぺらとめくってみた。
「猫の飼い方愛仕方」という本だった。この本を読んで俺との友情を深めようとしたのかと思うと涙が浮かんできた。
人は風貌でその人格を決めては成らない、判断してはならない、人には添ってみろという猫のことわざがあることを思い出したものだ。
九太郎がいく…5
俺は主がパソコンをしていないときは主の椅子を自分のものとして使っていた。これは俺のもだという証拠ににおいをしっかりつけた。主のにおいを消そうとしたのだった。
「ニヤヤーン」と主が鳴いて見下ろしていた。九太郎、ちっとそこをどいてくれといっているのだ。俺は主をちらり見て知らん顔を決め込んだ。こんなやり取りは何回かあった。言うことを聞かない俺に業を煮やした主は俺の首玉を掴んでそこに座るのである…。
主はパソコンを開いてぶつぶつ言い、笑い泣くのである。
主はいったい何をやっているのかと…。俗に言う遊び人らしい。それでは世間体が悪いで劇団の主宰で座付き作家で演出家ということにしておこう。還暦を迎えて書かなくなったらしい。物書きに定年はないらしいが、定年を自分で決めたのだった。書き物をやめて何をするのかといえば終日ぼんやりとしている。
「今は少し休養して…先のことはゆっくりと考えるか」
と独り言を言っているのを聞いたことがある。だが、毎日パソコンに向かってなにやら書いているところを見ると書き物は止められないらしい。
玄関のところには先輩の茶子兵衛さんの写真を飾り言葉が書いてある。無論三太郎さんのも、愛犬の五右衛門さんのものもある。すべて亡くなっていて、哀悼の念を表しているらしい。このように写真を飾り文章を書くのだったら生きているときにもっと可愛がってやればよかったのにと俺は思うのだが…。主なりに可愛がったのだろうが…。俺はそんな言葉は要らない、俺の自由を認めてくれと叫んだ。その写真と言葉は俺が餌を食べる上に飾られてあって、食べるときに自然に目に入るのだった。
主はそのことで何を俺に言わんとしているのだろうか…。
九太郎がいく…6
俺が主のところへ来たのは2005年1月4日であった。人間は正月に浮かれ飲み食いをして自堕落な生活をしていた。が、仕事始めという日であった。
主は俺に九太郎と名づけた。三太郎さんの三倍は生きろという単純な発想らしかった。
あっという間に一週間は過ぎ、相変わらず主の波頭のような鼾に毎夜毎夜悩まされ不眠症が続いていたが、その分昼寝るからたいして困らなかったが…。
主の鼾の嵐のなか、俺は窓から暗闇をじっと凝視して物思いにふけり、瞑想を繰り返していた。
大変なところに来たという思いと、その解決方法を考えていたのだった。暗闇を見つめていると心が安らかになり、頭が冴え冴えとしてきた。闇は心の平安に必要不可欠であると悟った。じっと瞑想していると過去が未来が雪見障子を開け月を見ているように見えたのだった。
これはきっと、昔々、ヒマラヤの頂で人の道をとくために瞑想した人たちと同じではないかと思ったほどだった。その悟りはブッタを生みキリストの根幹を成し、マホメットの教義になったものだが、そこまではいくらなんでも行かなかった。猫の宗教は今も昔もないのだった。
それでも俺は悟ったのだった。人間のなすままには成らないと、人間を為すままにすると…。
つまり人間を従わすために此の瞑想は有意義であるということを感じたのであった。人間はそんな短時間に悟れるものではないというだろうが、無垢のマリアがキリストを生む奇跡に似ていると考えてほしい。
主を従わせるいい方法はないかと…。
何も大層に考えることはない、俺たちの習性を覚えてもらうことなのだと思った。
主は大きな鼾の中で安らかに眠っていた。
空がだんだん白み始めたころ主を起す事にした。
枕元で、「二ヤーン」と鳴いてやった。そんなことでは起きる主ではないことはとっくに承知していた。
頬の辺りを掻いてやった。だが、これもだめだった。
最後の手段で、小便しかなとその体勢に入った。
「そこはトイレではない」
主の雷が落ちた。が、それは寝言であった。
よく見ると主が寝ている頭の上に本がうずたかく積まれているではないか、それを崩して直撃を食らわすことにした。
俺は飛び掛るために体を低くした。
九太郎がいく…7
主は人間ではないのだろうか…。
テレビのニュースを見ていて叫ぶ怒る泣くのだ…。心の赴くままに喜怒哀楽を繰り返すのだ…。
最近の人間は喜怒哀楽に乏しいというが、そうすると主は人間ではないということになる。風貌からして人間より野獣なのであるから。だがそれでは野獣に失礼になるのか…。
心地よく眠っていてその都度起こされるのだ。俺は主のひざに飛び乗り主を哀れを含んだ瞳で見上げてやる。そんな時、主はすまんすまんというような顔で見下しているが…。 本当に言葉どうりなのか疑問である。俺は勝手気ままな人間になりたいと思っていたが、今ではならなくてもいいと思うようになった。人間にもいろいろと大変な事があり、苦労が絶えないらしい。主が叫んで怒るのは人間の貧しい性にたいしてであることが多いらしい。そんな人間を猫の下に置き従わせる方法を瞑想で悟ったのだった、。
餌がなくなったら皿を鳴らし、ウンチをしたら泣いて早く片付けろという風に…。その猫の習慣にならすのにそんなに時間がかからなかった。
「まあ、こんなにたくさんしたの」
と言ってニコニコとママさんは片付けてくれる。
「わかったわかった…よく食べるものだ」
と言って笑いながら皿に継ぎ足す主…。
此の夫婦はどうも優しすぎるように思えるが…。こんな人間と生活していたら俺も軟になるのではないかと思うが…。まあ、此の生活環境に甘えておこう。
九太郎が行く…8
雨が降っている日は主に近寄らないようにしている。
雨が降っている日にじゃれてひどい目にあった経験があった。まあ、俺が悪いのだが…。鉢巻をしてパソコンに向かっている主のパソコンに乗ったのだった。 頭を叩かれ首を掴んで投げられたのだった。雨が降らないときはそんなことをする主ではなかったのに…。
「雨が降る日はどうも頭が重くていらいらしてかなわん」
という言葉を聴いていたのに邪魔をしたのだから自業自得というものなのか…。
きょうの主もねじり鉢巻でパソコンに向かってなにやらキーボードをたたいている。こんな日はおとなしく転寝を決め込むに限るのだ。
主は毛三十年も前に交通事故に会い、何年か後に鬱が出て、それ以来欝と道連れの生活をしているらしいのだ。雨の日の前日は頭が痛くなり雨の予報を的中させる事ができるらしい。
俺は主の背中をじっと見つめて可愛そうにと思うのだ。そして遊んでくれない原因の雨を恨めしく眺めるのだ。
俺は何もすることがなかったら、主のベッドの上にある書物の中から三太郎さんのことを書いたものを引っ張り出して読むことにしていた。
俺は名前を三太郎という。
父の名も母の名も、産まれた在所も解らない。
どうか誤解しないで頂きたい。俺は雄猫である。猫にこのような名前を付けた主人を紹介しなくても、大方の検討がつこうと言うものだ。更に付け加えるならば、今、飼っている柴の雄犬の名前を五右衛門と言う。俺の前に飼われていた雌の三毛猫を茶子兵衛と言ったそうだ。
言っておくが、俺は何も好んでこの家に来たのではない。母親の乳房にぶら下っているところを、無情な前の飼い主によって引き矧がされ、スーパーへ持って行かれたのだった。何でもそのスーパーは、子猫とか小犬を一匹千円とか二千円とかで預かり、飼い主を見付けてくれるという、いらない犬猫センターの様な事をしていた。そのスーパーには英国動物保護団体の愛犬家協会から感謝状が来てもいいのではないだろうか。まあ、とにかく命を大切にしょうと言う事は良い事で上等な話だった。店の入り口には金網の檻が置かれ、その中で飼い主が現われるのを待つ。まるで昭和三十三年三月三十一日売春禁止法が施行される前の、遊廓の格子戸の中で客を惹いた女郎と同じではないか。だが、捨てられることを思えば、なにがしかの金を添えて、誰か奇特な人に引き取られ可愛がって貰えと言う母親のような温情なのだと感謝しなくてはならないのだろうか。無情と言う表現を使ったことを誤りだと訂正しなくてはならないだろうか。
俺は前を行く人達に、
「拾い得、貰い得、飼得、鼠はみんなやっつけます。アンカの代わりになります。お年寄りの退屈紛れになります。お子さんの玩具にもなります」
と猫なで声で遣手婆のように喋りまくり、売り込むのだった。が、悲しいかな人間には猫語は通用しなかった。
人間の子供という奴は、どうしてか動物好きが多い。目も呉れない奴もいるが、大方は「可愛い」と言って近寄ってくる。
俺はなるべく子供には媚を売らないことにしている。子供の我儘を聞き飼うような親を信用してはいないからだ。実に子供は飽きっぽい。そして、気分気紛で残酷だ。
「飼ってもいいでしょう」
一応は子供は親に声をかけるが、
「駄目です」
と言うのが実に百パーセントである。その度に俺はホットする。
「この前は、世話をするからと言うから貰って上げたのに、一週間もしない内にダンボールの中に入れて川へ投げ込んだでしょう」
と大きな声で諭している母親。こんな家庭を見ると人間の家庭教育は一体どうなっているんだと、頭を傾げたくなる。俺は背筋が寒くなって、知らん顔して、死んだ振りを決めこむ事にしている。
だから、おれは檻の中を覗き込む大人しか相手にしない。
「あの、そこの汚れた醜い猫を頂けへんやろか」
と少しハスキーな声が頭の上に落ちてきた。俺はやおら頭を上げた。白いエプロンをした、まるでスピッツようなおばさんだった。突然に首を掴まれたとき、汚れた醜いというのは俺のことかと思った。何だか世間が暗くなった。おばさんに抱えられた時、犬の匂いが俺の鼻孔を擽った。それも、なんと五種類の匂いだった。エプロンのポケットの中に入れられた時、俺はもうなるようになれと開き直っていた。動物好きな人間に悪人はいないという、人間の諺をその時ほど信じようと思ったことはなかった。だが人間はさて置き、五匹の犬の中でどのように生きればいいのか思案に暮れた。人間に愛想をし、五匹の犬には遠慮をしながら生きていかなくてはならない、俺は俺の運命を呪った。
「買物から帰りがけに、そこに団地があるやろ。出入口の大きな木に登ってからに泣いていたのや。うちが手を出したら下りてきょってからに・・・」
とスビッツのような顔を狐顔にしておばさんは嘘を付いたのだった。どうしてか俺には解らなかったが。
「どこかの飼猫ではないの」
と鈴を鳴らしたような声がした。
「木に登って何を見ていたんだろう。過去か未来か・・・それともUHOか」
とガラガラ声が降ってきた。俺はその声の方に目線を投げた。そこには、マントヒヒがいた。俺は髪を立て背を丸くして戦闘態勢に入った。
「なかなか良い面構えをしているではないか。元気そうでいい。こやつはシャムが少し掛かっているな」
マントヒヒが俺の頭を撫でようとしたので、俺はその指先を軽く噛んでやった。
「お父さん、もう生き物は懲り懲りですからね。私、茶子兵衛を亡くしたときに、今飼っている五右衛門が亡くなったら金輪際動物は飼わないと誓ったんですからね」
「私は犬も猫も好きではないのだ。茶子兵衛の時も唯偶然だった。書斎で書き物をしていたら、車の停まる音がし、発車するエンジンのけたたましく泣く声がして、静寂が訪れた。その時か弱い子猫の泣く声が聞こえてきたのだった。前の道は夜と言えども車の通りは激しい。轢かれでもしたら大変だ。その死骸を片付け土に穴を掘り埋めてやるのは何時の場合でも私と決まっている。ならば事前のその事を防がなくてはならないという防御の本能が働いた。理性の呼び掛けがあった。まるで夢遊病者のように子猫の前に立っていた。子猫の奴、私の足元によたよたと近寄り足の指を噛みよった。私の足がステーキに見える程空腹なのかと思い、夕食の残りのすき焼きを少しやった。三毛猫で実に可愛い奴であった」
その声の主は、よく見るとマントヒヒではなく、頭の毛はなんと密林のようだったし、顔の顎と頬は束子のように見える人間だった。俺は足先をざらざらした舌でしゃぶってやった。先輩の茶子兵衛に対する優しい思いが堪らなく俺の心を熱くしたからだった。
「武ちゃん、この猫を此処に連れてくるという事は、何かを暗示しているのかね」
と髭の中にある団栗のような目をしばつかせながら髭の中の口が言った。
「ほんの残り物で良いのでんがな、苦にならへんやろ。何かの縁や、あんなに懐いてからに。健気に一生懸命に生きようとしているやないの。人間もこの猫も命の重さは違わへんし飼ってやりいな」
とスビッツのおばさんはまるで神か仏のような事を言った。
「猫も犬も大嫌いなんでしょう」
と鈴が鳴った。
俺はその方を向いて精一杯に哀れを誘う泣き声で同情を誘った。
「茶子兵衛かと思ったが・・・」
と言って、少年を少し大きくした、と言う事は、まだ幼さを残した青年が現われた。ズボンから犬の匂いをプンプンとさせていた。この青年は動物好きに違いない。俺は親愛の情を込めて擦り寄ってみせた。
「茶子兵衛も此処え来た時にはこれくらいだった」
「道真、茶子兵衛の話は止めて」
と鈴の音が叫んだ。思い出して悲しんでいるのだろうか。
「まあ、どうにかなるだろう。餌は道真の残りをやればいいし・・・その心算で武ちゃんは拾って来たんだろうから」
「人間の雄には好かれんでも、犬や猫にばかり袖や裾を引かれるちゅうのもどうかと思うのやけど・・・」
と武ちゃんと呼ばれるスピッツのおばさんがしみじみと言った。
「好かれるということはいい事だよ。例えそれが動物だとしても・・・。余裕のない人間を動物は好きにはならんだろうからな。選ばれたことに感謝しなくてはならんぞ」
「そんなものですやろかね」
スビッツが澄ました様に言った。
と言うような訳があってこの家の一員になったのだった。家の中には、先輩の茶子兵衛の匂いが染み込んでいた。雌猫の匂いが俺の下半身を震わせた。
三太郎さんの書き出しはこのように書かれてあった。