良寛ゆかりの倉敷で生誕250年を記念しての公演台本を・・・。
一人芝居
蓮の露「はちすのつゆ」は・・・
3
破
閻魔堂
貞心尼が一人。
貞心 冬芽が弾けて・・・
雪解け水がせせらぎの音に変わります。その音はまるで良寛さまの心の音、いいえ、浮き立つ私のときめきの鼓動・・・。春、はると何度、何十、何百、何千と書いたことでしょう。朝焼けをひとつ、ふたつ、みつつ、と数えながら迎えたでしょうか。そして、沈み行くお日様に幾度となく手を合わせたことでしょう。
あの塩入峠の雪が私と良寛さまの仲を裂きより遠くへと引き放す。もっともっと私の懐いを熱くして、 燃えなければ・・・。そうすれば雪が溶けて・・・。一時でも早くと・・・。仏に仕えるものの懐いでは御座 いません。
「女子の命の髪を切ることは、俗世の女子の色欲、好いた好かれたを断ち切ること。黒い法衣を着けるのは色に迷わぬ断りぞ」
「自然で良いのじゃ、そのままで、そのままで、仏の慈悲は五欲、煩悩の苦しみまで充分知っておられるのじゃ。それ故の苦しみだけで仏はお許しくださろう。そのままで、なすがままで・・・」
その声についつい・・・。苦しみが多いいほど仏に縋り行くことでいいのだと良寛さまは申されおいでなのでしょうか。
真っ白な雪、そこに私の懐いの色が落ちて・・・。
私が初めて良寛さまの下をお尋ねいたしたのは、良寛さまが六十九、私は二十九・・・男と女と言う垣根を越えた人と人との出合い・・・。
頭の中で・・・。
何度もお会いして語り合い、幾夜明けた事でしょう。囲炉裏に向かって閻魔様と地蔵菩薩が一緒、万葉集はどうの、森羅万象の一つ一つが仏の姿、紙に筆を撫で一気に走らせる踊り文字の歌、吐息と心の臓の響きが見える空間。私が前に静座をしてじっと見詰めると、はにかんだような幼子が見せる仕草。ほんにこころは色々な良寛さまを見せてくださいました故に。その思いは仏様の申された極楽なのでしょうか。
そのような年月を経て、つらい関長温との五年、剃髪をするまでの一年、閻王寺での修業の二年。それから閻魔堂での二年、常に良寛さまのことが私の生き方の道標として・・・。
春から夏にかけて懐いを重ねて・・・。
お会いするために、良寛さまに着けて頂こうと肌着を心をこめて縫い上げました。私が縫った物をせめて良寛さまのお側へ・・・。肌着は私・・・。
私は、お会いしたいとの懐いに負けて・・・。柏崎の岩場から荒い波の砕ける日本海へ飛び降りる気 持ちで・・・
「ように来なさったな」良寛さまのお口からと・・・。そのお言葉が頂けると思い・・・そう言うて下さったのは、能登屋のお内儀。
「良寛さまも、貞心さんのことを気にしておられましたょ」
歳のことはどこかえほおり投げてまるで子供のように無邪気に囃したてました。
「良寛さまが手毬が好きじゃというので、薇の綿毛を芯にして絹の糸で綺麗なかがりをしていますのよ」
私の懐いを弄びまるで楽しんでいるように・・・。
そう言われると私が困るので余計にからかうように・・・。でも、決して悪い気がいたしませんでした。
良寛さまは寺泊へお出掛けになっておられ・・・。
お会い出来なくて・・・。
懐いに負けぬ綺麗な手毬を置いてその日は帰りました。それに、私の身代わりの肌着を添えました。
そして・・・
これぞこの仏の道に遊びつつ
つくやつきせぬみちのりなるらむ
皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・
恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。
山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。
山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。
作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
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環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~
別の角度から環境問題を・・・。
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