ごぜさの子守歌
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お菊の父は時折ごぜ屋敷に来て、玄関戸の隙き間から様子を伺つていました。お菊の事が心配だったのでしょう。ですが、母は、辛い修業の様子を見る事の出来るほど強い人ではありませんでした。家で一日も早く一人前になってくれと祈っていました。
「お菊は三味も唄も上手になるのが早いわの」
「お菊は、色白で、べっぴんで大きゆう成ったら男がほっとかんじゃろうて」
「お菊は、明るうて、素直でええ子じゃのう」
と、ごぜの仲間から言われるのでした。
歳月が過ぎました。お菊が初旅にでたのは十一歳の時でした。少し目の見えるごぜを先頭にして、饅頭笠を被り、背荷物を負い、左手に三味抱え、右手を前の人の荷物にかけて、一行四人が連なって旅をするのです。
「ごぜんぼ!ごぜんぼ!」
そう呼ぶ者達はごぜを蔑んだ者達でした。ごぜさと呼ぶ人達は、ごぜを暖かく見守ってくれる人達でした。
ごぜ達一行は、家の前に並んで三味を弾き短い歌を唄って、門付けをして回りました。家の人が、お金か、米か、家にある物を、ごぜの首に掛けた袋に志として入れてくれるのでした。そして、次の家へと移って行くのでした。
陽が暮れると、名主とか庄屋の家に泊まりました。そこがごぜ宿となり、村の人達がみんな集まり、楽しい一夜になるのでした。何一つ楽しみのない村の人達は、ごぜの三味と唄、語りを聞きに来るのでした。ごぜ達は三味を弾き、唄い、語り披露するのです。村の人達は三味の音に酔い、唄に笑い、語りに泣きました。そうした旅を続けながら、修業を積んでいくのでした。
「ご飯は一杯だけ。おかわりをしてはいかん。魚や汁が付いても決して手をつけては行かん。漬物だけ頂くこと、どんなにすすめられても断るんだよ」
親方にそう言われていました。目が見えないからと言って同情されたり、哀れみをうけてはいけない。ごぜは芸を売って生きるのだと言う規律でした。
「男を好きになったらいかん。愛したら地獄に落ちる。ごぜの規律を破るものは、腕を切り落とし、ごぜ屋敷から追放するからね。離れごぜは地獄への道ぞ」
男を好きになつてはいけないというのも、ごぜの規律でした。親方から男を好きになり、離れごぜになつた人達の悲惨な運命を聞かされて、お菊は育ちました。
ごぜは旅をしていても、春と夏の祭りと盆と正月にはごぜ屋敷に帰ります。ごぜが親元に帰る事が許されるのは、藪入りと言う日で決まっていました。親元に帰って、旅の疲れ、修業の厳しさを癒すのです。
お菊にとっては初めての里帰りでした。心が浮き立ち、足も軽く里へと向かいました。旅の疲れなどありませんでした。心の中にはお父やお母に、兄ちゃんや、姉ちゃんに会えるという嬉しさで一杯でした。
「辛かったろう。淋しかったろう。うちはお菊のなんの力にもなってやれなんだが・・・こんなに立派になって、大きゅうなつて・・・」
母は両手で顔を覆い泣きました。お菊も母の胸に飛び込んで思い切り泣きました。お父やお母に会うたら、あれも言おう、これも言おうと思っていた事が、どこかえ消えてしまい、出るのは涙だけでした。
「お菊、よう頑張ってくれた。ほんに大きゅうなつて。親方さんはおまえのこと褒めとったぞ。辛抱強い頭のええ子じゃとな。三味も上手じゃし、唄もうまいと」
父の声は涙に濡れていました。
「お菊、よう頑張ったの」
「お菊ちゃん」
兄も姉も目をうるませていました。
「お父、お母、兄ちゃん、姉ちゃん、うちは定めと諦めとるんよ。その中で力一杯に生きようと・・・。この三味も唄も、お父やお母にほんとうは一番に聞かせたかったんよ。そのために一生懸命に習うたんじゃもんね」
お菊はそう言って、三味を出して弾き始めました。お菊の両眼からは新しい涙が溢れ、頬を伝っていました。
皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・
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作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
恵 香乙さん
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環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~
別の角度から環境問題を・・・。
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