yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

太鼓橋 2

2007-10-04 15:57:28 | 創作の小部屋
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倉子城物語
太鼓橋(たいこばし)



 倉子城村の真ん中を流れる汐入川は高梁川から枝分かれして児島湾に流れこんでいた。倉子城に集まる荷は汐入川から児島湾の小串で大船に積み替え大坂へ運んでいた。また、高梁川の船着き場四十瀬の渡しで荷積みをして高梁川を下って連島の沖の亀島から大坂へと言う二つの海路があった。
 嘉平は暇なときは店をおたねに任せて遠くまで出歩くことが多かった。川西町や連島の角浜の遊郭へ行くのではなく自分なりに道程や人家の模様を頭に叩き込むのが目的だった。
 高梁川には高瀬舟が荷を積んで松山(高梁)から下津井へ上り下りをしていた。四十瀬の渡しには村が出来ていた。四十瀬は荷が集まりそれを積み降ろす人足達の長屋や船大工、鍛冶屋、茶店、めし屋、が一つの集落を作っていた。
 遠くからでも見える銀杏の木が聳えていた。その中で雀が群がって遊んでいた。子供達は銀杏に群がる雀に石を投げて獲ろうとしていた。倉子城からは一本道だがみんな銀杏を目指して歩を運んだ。その銀杏の下にお鹿の茶店があった。秋になって銀杏の落葉をはき集めるのは一苦労だがお鹿はいとおしそうに掃き集めていた。四十瀬の渡しあたりには綿が植えられていた。川向こうの中島や西阿知や水江にも綿の畑が広がっていた。米より綿の方が値が良かったからだった。中州の土地が米に適していなかったと言うこともあったのだろう。その頃は高梁川とは言わず松山川と言っていた。中島、西阿知、水江は松山川が流し出した土砂で作られた広大な中洲であった。それを挟んで川は東西に分かれて流れていた。東松山川と西松山川と呼んでいた。山陽道は倉子城の北の山沿いを通っていた。山手、清音、川辺の渡し、真備、矢掛、井原、福山へと続いていた。



皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・

恵 香乙著 「奏でる時に」
あいつは加奈子を抱いた。この日から加奈子は自分で作った水槽の中で孤独な魚と化した。

山口小夜著 「ワンダフル ワールド」文庫本化決定します・・・。
1982年、まだ美しかった横浜―風変わりなおんぼろ塾で、あたしたちは出会った。ロケット花火で不良どもに戦いを挑み、路地裏を全力疾走で駆け抜ける!それぞれが悩みや秘密を抱えながらも、あの頃、世界は輝いていた。大人へと押しあげられてしまったすべての人へ捧げる、あなたも知っている“あの頃”の物語。

山口小夜著「青木学院物語」「ワンダフル ワールド」の文庫本・・・。

作者のブログです・・・出版したあとも精力的に書き進めています・・・一度覗いてみてはと・・・。
恵 香乙さん

山口小夜子さん

環境問題・環境保護を考えよう~このサイトについて~
別の角度から環境問題を・・・。
らくちんランプ
K.t1579の雑記帳さん
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太鼓橋 1

2007-10-04 03:48:17 | 創作の小部屋
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倉子城物語
太鼓橋(たいこばし)

  1
 
床屋の嘉平が暖簾を分けて顔をのぞかせ、「今日も暑くなるぜ」と空を見上げて呟き通りに打ち水を柄杓で撒いた。真っ青な空のなかに白い雲がぽっかりぽっかりと泳いでいた。嘉平は丸顔の福耳で二重の俗に言う縄文顔の中肉中背の男であった。髷には白いものが僅かに散っていた。前掛けを少し下腹の出た腰に巻き手ぬぐいを首に掛けていた。ここまで汐入川で積み荷を上げ下ろしする川人足の声がきこえてきていた。これから綿の積荷で賑わうはずであった。
梅雨が明けた頃のことであった。蝉時雨が盛んに空気を振るわし下りてきていた。
 嘉平の店は大店と蔵屋敷が並ぶ汐入り川と中腹に観竜寺のある鶴形山の間を東西に走る本町通りにあった。後ろにはなだらかな坂道を上ると阿智神社の社が見えた。倉子城村ではこの通りが一番賑わった。酒屋、提灯屋、呉服屋、下駄屋、傘屋、鍛冶屋、旅籠、めし屋、八百屋、魚屋、米屋、油屋、紙屋、ここに来ればひと通りの入り用のものは調った。
 この倉子城では床屋が火消しを兼ねていた。村の事情に精通していたからだった。客は髪を結って貰っている間に噂を落としていった。それを拾っては頭に記憶していた。だが決して人には言わなかった。それは客商売の不文律であった。
「これから嫌な季節になるわね」
 嘉平の女房のおたねが出てきて頭にかぶった手ぬぐいで膝の塵を払いながら言った。嘉平より一回り近く若い様に見えた。
「瀬戸の夕凪、夕方にばたっと風が止み蒸し風呂・・・。これがなけりぁ水も食べ物も美味しいし・・・言うことはないのだが」
 嘉平がおたねにかえした。
 嘉平とおたねはこの地の者ではなかった。
「ここに来て早二十年になるわね」
「そんなにか、早いものだ」
 そう言って嘉平は遠くへ眼差しを投げた。
 この村人のなかで嘉平の昔を知る人はいなかった。言葉の端々から関東からの流れものだと言うことは想像できたがそれ以上は詮索しなかった。生活ぶりと人柄から昔のことなどどうでもいいという思いにさせていたのだ。この二十年、嘉平とおたねは真面目に暮らし人に恨みを買うようなことは無かった。店も繁盛し信頼を得て火消しの頭になっていたのだった。


皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・

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