yuuの夢物語

夢の数々をここに語り綴りたい

滑子壁

2007-10-26 00:18:07 | 創作の小部屋
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倉子城物語

     滑子壁

 孫六は左官で東中島屋の蔵の壁を押さえた。

 東中島屋は大橋武右衛門の中島屋の分家とし児島屋は大原与平のとなりに建てられた。児島屋に負けないくらいの威容であった。蔵は汐入川に面して六棟建てられていた。
主人は大橋敬之助といい、子供のなかった武右衛門の養子で、先年養女としてもうけたおけいと夫婦とにさせ、東中島屋として分家独立させた。
分家したとき敬之助は二十八と言う説があるがもっと若かったという説を採りたい。おけいは十数才であったろう。
仲睦まじい夫婦だった。仕事熱心で村人の面倒をよく見るから信望も厚かった。剣もなかなかの腕であった。それというのも津山から井汲唯一を招いて習っていたし、播磨の大庄屋大谷家の嫡子として生まれた敬之助こと敬吉は幼いころから剣を習っていた。永代名字帯刀の家に生まれた敬吉はそれが当たり前のように習い、学問も修めた。
播磨の大谷家に生まれた敬吉がどうして倉子城の大橋家へ・・・それは長い話になるがここに書いておかなくてはならないだろう。
大谷家の嫡子として大庄屋の後を継ぐべく大きくなつた敬吉が十六歳のとき
、小作と代官の中で争いが起こりそれを仲裁したばっかりに庄屋見習いを取り上げられ、作州の大庄屋立石家へ身を寄せなくてはならなくなった。立石は母の出所であった。そこで二十二迄過ごした。そして、備中は倉子城の大橋家へ養子として迎えられることになる。人の行く道は奇である。
敬之助とおけいは仲睦まじい夫婦だった。
三人の子をなした。

孫六は嫁をなくしていた。子供をなさずに呆気なく逝った。

今 滑子壁は現存していて倉敷の観光に一役買っている。


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皆様御元気で・・・ご自愛を・・・ありがとうございました・・・

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