この小説は 海の華の続編である。彷徨する省三の青春譚である。
ここに草稿として書き上げます。書き直し推敲は脱稿の後しばらく置いて行いますことをここに書き記します。
冬の華 (省三の青春譚)
冬の華は鮮やかに凍てつく中に咲く。だが、それはあまりにも短く脆い・・・。
1
省三は学生運動を他人事のように眺めていた。
実際、彼はそれどころではなかった。学校へ足を運ぶより、アルバイトに明け暮れていたのだ。
省三の父重太は彼が小学校三年の夏、事業に失敗して出奔していた。連帯保証の判子を押したのがその原因で、五軒あった家も五町歩の土地も総てを失った。母のときは重太の知り合いがやっている製材所に手伝いに出だした。ときは今まで何処にも勤めたことがなかったから、よくよくの決心だったのだ。兄の久は高校を中退して船のプロペラを製造している会社に勤めた。 戦後二十六年、日本は復興に躍起だったが、世の中はまだGHQが全権を握っていて民主主義を浸透させようとしていた時期であった。
「憲兵ですらやらなかった親書の検閲をして何が民主主義か」
そう叫ぶ人が多かったが・・・。
初老の男 日本は破れた。これでいい・・・。今日から国民が一つになれる。鎌倉、室 町、安土桃山、徳川、と続いた武士の政治、明治大正昭和の朝廷と長州の政治が終わっ た。今日から本当の国民の手にこの国が委ねられるのだ。人はロシアを仲介にしてこの 戦争をもっと早く終決させていればと言ったが、ここまで叩かれた方が復興はやりやす い。今までが傲慢な猿であったからだ。人ではなかった、ただ人の真似の上手な猿であ ったのだ。明治より諸外国の真似をしてやたら西洋気触れをしよつて、日本独自の文化 遺産を継承することを忘れ、伝統の和の精神も川に流し、わびさびの雅性もほったらか して・・・、日本人はなんと愚かしいのだろうか・・・。だから総てがなくなればいい と言ったのだ。なにもかもなくなれば心の餓えに嘗てあった精神の種から芽が出ょう・ ・・・。だが、敗戦したとは言え、あまりにも酷すぎる。これでいいのだろうか。私は 思う。今はなんと言う時代だ、新憲法は制定され、国民の自由は保障されたが、だがね 、現実はどうであろう。言論の自由、思想の自由、集会結社の自由、総ての自由はGH Qに握られている。今のGHQは戦時中の憲兵でさえもやらなかった親書の検閲まで関 わっている。新聞も政府もそんなGHQにお伺いを経なければ何も出来ない。これでは 國ではない。日本人は格子なき牢獄に入るようなものだ。
どれほどの力があるかわからんが、果なき望みだが、老骨に鞭打ち私はもう一度この
国の為に命を張ろう・・・。
日本の為。いや、これからつづく國の為、誤りを償い糾し、もう一度総理大臣になっ てGHQと戦い、講和条約を結び、誠の日本国の独立を勝ち取ってみせる。(後年、省三は吉田茂の台詞として書いた)
戯曲「ふたたび瞳の輝きは」宜しかったら(ク
リック)をどうぞ
国鉄の人員整理に伴い、下山、三鷹、松川事件が起こり、レッドパージによって共産党員の追放が行われた。朝鮮戦争の軍需景気が始まろうとしていた時期であった。
そんな世相の中ではあったが、省三は元気で活発に生きていた。学校から帰ると広場に集まって日が暮れるまで野球をして遊んだ。子供はみんな野球少年だった。
西空に雲をオレンジ色に焼きながら太陽が沈んでいた。大きな太陽だった。
その夕陽を背負うようにときは自転車を押しながら帰ってきた。荷台には木っ端が括り付けられてあった。木っ端は台所の燃料だった。そんな母を出迎えるのが省三の日課になっていた。どんなに野球に興じていても時間が来れば帰った。
「帰るんか、省三はええ子じゃのう。おかんのオッパイをまだ飲んどんか」
友達は一人減ると困るのでそうかにかって言った。
「腹が減って、もう立っておれん」
省三はそう言ってみんなから抜けるのが常になっていた。
「省三、今日はどうだったの」
ときは穏やかに言った。手ぬぐいを被っていたが髪の毛に大鋸屑がこびり付いていた。
サドルを握るときの手はささくれ立っていて、母の手ではないように思った。
鋸が回る中に材木を差し込んで板に製材するのが仕事だった。省三は何度かときの仕事場に迎えに行ったことがあった。大鋸屑が飛散し、音が激しく体を震わせるものであった。
その製材所は饂飩を入れる木箱を作っていた。茹で上げた饂飩をお椀にとって玉を作りそれを取り出し並べて店頭に置く陳列台を兼ねた物だった。饂飩はその当時庶民がたくさん食べたものであった。干し海老で出汁をつくりざる饂飩として食べた。生醤油を掛けたり、酢醤油で食べたりしていた。
かたパンの配給がなくなったのは・・・まだまだ食料が十分に行き渡っていない時期だった。米、麦は米穀通帳を持って食料配給所に行き家族の人数分だけ買った。俗に言うマル公であった。そうして買える人はまだ幸せな人たちであった。
ときの賃金では饂飩を買うのが精一杯だったのかもしれなかった。
兄の久が僅かな給料の中から省三にグローブを買ってくれた。今まで母が縫ってくれた手袋の親方のようなグローブで野球をしていたのだった。
「ほんとに、ホントにくれるんか、もろうてもええんか」
「これからは何でもでける日本になるから、勉強もせいよ」
久はそう言って省三の頭を撫でた。学業半ばで辞めなくてはならなかった無念を省三が理解するには幼すぎた。
「うん」と省三は大きく頷いた。
省三は下落合に下宿をして、新宿のラーメン屋で皿を洗った。
皿洗いからそばの飾り方に変わり、そばの麺の茹で上げ、スープを作りと役割を変えていった。
大学へ入って一年が過ぎていた。学業よりはそれが面白くなっていた。
学生運動が続き休校状態だったので、省三は後ろめたさもなくラーメン業に専念できていた。
梅雨の雨が長く続いていた。
日米安全保障条約破棄のデモは続いていた。審議可決の日・・・。
学生たちは新宿の駅舎から線路に下りて敷石をリュックにつめ、ポケットに詰め込んで国会議事堂を目指しデモ行進していた。
全国で五百八十万人がデモに参加していた。左翼、右翼が入り乱れ、文化人が先頭に立ち、学生、労働者が続いていた。雨は湯気となって立ち上っていた。ヘルメットを被った隊列が蛇行しながら進んでいった。デモは国会議事堂を取り囲んだ。怒号が起こり、投石が始まり、鉄パイプが振り下ろされ、拡声器が悲鳴を上げた。一斉に国会議事堂に雪崩れ込もうとした。
機動隊との衝突で東京大学の樺美智子が亡くなった。
テレビはそれを報じていたが、省三は茹で上げるそばの麺に目を注いでいた。耳には「誰よりも君を愛す」が流れこんでいた。
省三は新しいグローブを付けて張り切っていた。打ったり取ったり走ったり、何の悩みもなく遊んでいた。ときのことも、久のことも頭にはなかった。
重太からはなにの連絡もなかった。大阪にいると言う噂を聞いたとときが言った。その時は現実に返ったが、直ぐに忘れた。
省三は毎日寝る前にグローブにオイルを塗りこんで磨きボールを挟んで寝た。宝だった。自慢の種だった。皮のグローブを持っている子供は少なかった。殆どが布のものだった。みんな平等に貧しかったのだ。だが、みんなの継接ぎだらけのズボンのポケットには友情が一杯詰まっていた。夕陽が雲を赤く染めていくように、子供たちのこころは赤く燃えていたのだ。夢と希望が目の前に広がっていた。
「省三、わし孤児院へ行くかも知れん」
野球の帰り道夫がぽつりと言った。二人はグローブの網にバットを差し込んでそれを肩に担いでいた。夕焼けが二人の影を道路に長く作っていた。
「道夫、なんで・・・」
省三は道夫を見上げて問った。道夫は省三と同じ歳だったが背が高く六年生に見えた。道夫の直球は速く、みんな打てなかった。将来はプロ野球の選手になると言うのが口癖だった。
「岡山の空襲でみんな死んで・・・おじいと二人・・・。おじいは近頃調子が悪いけえ・・・療養所に入ったら・・・わしは孤児院へ行く事になるんじゃ」
道夫は空を見上げた。
「孤児院てどんな所なんじゃろう」
「分らんが・・・行った事ねえし・・・」
「ほんと、ほんとにいくんか」
「ああ」
「寂しゅうなるな・・・それでええんか・・・」
「仕方がねえ・・・それが浮世と言うものじゃ」
「野球がでけん様になる・・・」
「壁がありゃ、キャッチボールはでける」
「浮世か・・・」
「綺麗じゃな」
道夫は夕陽を見て言った。オレンジに燃えた太陽が駅舎の向こうに沈もうとしていた。
「綺麗じゃ・・・あの夕陽、忘れんで」
道夫の瞳に映る夕陽が滲んでいた。
「うん」
省三は大きく頷き「僕も、忘れん」と言った。
「省三、夕焼けに向って立ちションせんか」
「うん、するする」
道夫と省三は太陽に向って並んだ。
「発射」
道夫が大きな声で叫んだ。だが、二人は立ち尽くすだけで発射しなかった。出来なかったのだった。
「どうしたんじゃろう、壊れてしもうたんじゃろうか」
省三が情けなさそうに言った。
「バカ・・・これが壊れたら大変じゃ。これは男の勲章じゃけえ」
道夫が笑いながら言った。笑いが段々と涙声に変わっていた。
ふたりは夕陽を浴びて何時までもいつまでも立ち尽くしていた。逢う魔が時が忍び寄っていた。
省三はラーメン屋が休みの日にはよく浅草に出かけた。新宿よりなぜか親しみを感じた。
浅草寺の境内には屋台が並び、一杯30円の丼を売っていた。省三はその丼に故郷へ残してきた母を思っていたのだった。
学生運動に夢中になる青春もあり、浅草の軽演劇に魅せられる青春もあって良いと省三は自らを納得させていた。
省三はストリップ劇場に入るのではなく、客寄せの呼び込みを聞きに行くのだった。
「そこを行く好きもののあなた、明美嬢が肩から着物を・・・帯を解いて・・・ああ、白い肌が・・・」このトークは延々と続くのだ。客は自然に吸い込まれていくのだ。
「ここは浅草・・・別名浅草大学とも言う・・・ここを卒業すればあなたは立派なご性人・・・今日の講義は男と女の垣根を払う・・・」
踊り子と仲良くなり、役者に可愛がられたことが、出入り自由の特権を与えられる元になっていた。
踊り子の裸を見て省三はキャサリンの事に思いを馳せることがあった。キャサリンはどうしているだろう。ガラス戸越しに海を眺める全裸のシルエットが鮮明に蘇っていた。
「省三、コノ夕日、省三ノ夕日・・・。ソシテ、ミーノ夕日・・・ホント二綺麗・・・忘レマセン」
夕陽が浅草を包み込もうとしていた。東京駅の方が赤く色づいていた。
スターの名前を書いた幟が風を受けてパタパタ鳴っていた。冬はそこまで来ていた。
省三はジャンパーの襟を立てて永井荷風がよく覗いていたと言うレストランへ足を急がせたのだった。坂本九の歌う「上を向いて歩こう」が巷に溢れていた。
道夫のことがあって省三は少し落ち込んだが、それは一時のことで相変わらず野球に興じていた。記憶は忘却の彼方へいつの間にか消えていった。
人間とは辛い苦しい橋を渡るがそれはひと時のことで、新しい出会いがあることを省三は学んだ。記憶は薄れ思い出の倉庫に自然に入り、時ににじみ出て懐かしさを呼び起こした。
ここに草稿として書き上げます。書き直し推敲は脱稿の後しばらく置いて行いますことをここに書き記します。
冬の華 (省三の青春譚)
冬の華は鮮やかに凍てつく中に咲く。だが、それはあまりにも短く脆い・・・。
1
省三は学生運動を他人事のように眺めていた。
実際、彼はそれどころではなかった。学校へ足を運ぶより、アルバイトに明け暮れていたのだ。
省三の父重太は彼が小学校三年の夏、事業に失敗して出奔していた。連帯保証の判子を押したのがその原因で、五軒あった家も五町歩の土地も総てを失った。母のときは重太の知り合いがやっている製材所に手伝いに出だした。ときは今まで何処にも勤めたことがなかったから、よくよくの決心だったのだ。兄の久は高校を中退して船のプロペラを製造している会社に勤めた。 戦後二十六年、日本は復興に躍起だったが、世の中はまだGHQが全権を握っていて民主主義を浸透させようとしていた時期であった。
「憲兵ですらやらなかった親書の検閲をして何が民主主義か」
そう叫ぶ人が多かったが・・・。
初老の男 日本は破れた。これでいい・・・。今日から国民が一つになれる。鎌倉、室 町、安土桃山、徳川、と続いた武士の政治、明治大正昭和の朝廷と長州の政治が終わっ た。今日から本当の国民の手にこの国が委ねられるのだ。人はロシアを仲介にしてこの 戦争をもっと早く終決させていればと言ったが、ここまで叩かれた方が復興はやりやす い。今までが傲慢な猿であったからだ。人ではなかった、ただ人の真似の上手な猿であ ったのだ。明治より諸外国の真似をしてやたら西洋気触れをしよつて、日本独自の文化 遺産を継承することを忘れ、伝統の和の精神も川に流し、わびさびの雅性もほったらか して・・・、日本人はなんと愚かしいのだろうか・・・。だから総てがなくなればいい と言ったのだ。なにもかもなくなれば心の餓えに嘗てあった精神の種から芽が出ょう・ ・・・。だが、敗戦したとは言え、あまりにも酷すぎる。これでいいのだろうか。私は 思う。今はなんと言う時代だ、新憲法は制定され、国民の自由は保障されたが、だがね 、現実はどうであろう。言論の自由、思想の自由、集会結社の自由、総ての自由はGH Qに握られている。今のGHQは戦時中の憲兵でさえもやらなかった親書の検閲まで関 わっている。新聞も政府もそんなGHQにお伺いを経なければ何も出来ない。これでは 國ではない。日本人は格子なき牢獄に入るようなものだ。
どれほどの力があるかわからんが、果なき望みだが、老骨に鞭打ち私はもう一度この
国の為に命を張ろう・・・。
日本の為。いや、これからつづく國の為、誤りを償い糾し、もう一度総理大臣になっ てGHQと戦い、講和条約を結び、誠の日本国の独立を勝ち取ってみせる。(後年、省三は吉田茂の台詞として書いた)
戯曲「ふたたび瞳の輝きは」宜しかったら(ク
リック)をどうぞ
国鉄の人員整理に伴い、下山、三鷹、松川事件が起こり、レッドパージによって共産党員の追放が行われた。朝鮮戦争の軍需景気が始まろうとしていた時期であった。
そんな世相の中ではあったが、省三は元気で活発に生きていた。学校から帰ると広場に集まって日が暮れるまで野球をして遊んだ。子供はみんな野球少年だった。
西空に雲をオレンジ色に焼きながら太陽が沈んでいた。大きな太陽だった。
その夕陽を背負うようにときは自転車を押しながら帰ってきた。荷台には木っ端が括り付けられてあった。木っ端は台所の燃料だった。そんな母を出迎えるのが省三の日課になっていた。どんなに野球に興じていても時間が来れば帰った。
「帰るんか、省三はええ子じゃのう。おかんのオッパイをまだ飲んどんか」
友達は一人減ると困るのでそうかにかって言った。
「腹が減って、もう立っておれん」
省三はそう言ってみんなから抜けるのが常になっていた。
「省三、今日はどうだったの」
ときは穏やかに言った。手ぬぐいを被っていたが髪の毛に大鋸屑がこびり付いていた。
サドルを握るときの手はささくれ立っていて、母の手ではないように思った。
鋸が回る中に材木を差し込んで板に製材するのが仕事だった。省三は何度かときの仕事場に迎えに行ったことがあった。大鋸屑が飛散し、音が激しく体を震わせるものであった。
その製材所は饂飩を入れる木箱を作っていた。茹で上げた饂飩をお椀にとって玉を作りそれを取り出し並べて店頭に置く陳列台を兼ねた物だった。饂飩はその当時庶民がたくさん食べたものであった。干し海老で出汁をつくりざる饂飩として食べた。生醤油を掛けたり、酢醤油で食べたりしていた。
かたパンの配給がなくなったのは・・・まだまだ食料が十分に行き渡っていない時期だった。米、麦は米穀通帳を持って食料配給所に行き家族の人数分だけ買った。俗に言うマル公であった。そうして買える人はまだ幸せな人たちであった。
ときの賃金では饂飩を買うのが精一杯だったのかもしれなかった。
兄の久が僅かな給料の中から省三にグローブを買ってくれた。今まで母が縫ってくれた手袋の親方のようなグローブで野球をしていたのだった。
「ほんとに、ホントにくれるんか、もろうてもええんか」
「これからは何でもでける日本になるから、勉強もせいよ」
久はそう言って省三の頭を撫でた。学業半ばで辞めなくてはならなかった無念を省三が理解するには幼すぎた。
「うん」と省三は大きく頷いた。
省三は下落合に下宿をして、新宿のラーメン屋で皿を洗った。
皿洗いからそばの飾り方に変わり、そばの麺の茹で上げ、スープを作りと役割を変えていった。
大学へ入って一年が過ぎていた。学業よりはそれが面白くなっていた。
学生運動が続き休校状態だったので、省三は後ろめたさもなくラーメン業に専念できていた。
梅雨の雨が長く続いていた。
日米安全保障条約破棄のデモは続いていた。審議可決の日・・・。
学生たちは新宿の駅舎から線路に下りて敷石をリュックにつめ、ポケットに詰め込んで国会議事堂を目指しデモ行進していた。
全国で五百八十万人がデモに参加していた。左翼、右翼が入り乱れ、文化人が先頭に立ち、学生、労働者が続いていた。雨は湯気となって立ち上っていた。ヘルメットを被った隊列が蛇行しながら進んでいった。デモは国会議事堂を取り囲んだ。怒号が起こり、投石が始まり、鉄パイプが振り下ろされ、拡声器が悲鳴を上げた。一斉に国会議事堂に雪崩れ込もうとした。
機動隊との衝突で東京大学の樺美智子が亡くなった。
テレビはそれを報じていたが、省三は茹で上げるそばの麺に目を注いでいた。耳には「誰よりも君を愛す」が流れこんでいた。
省三は新しいグローブを付けて張り切っていた。打ったり取ったり走ったり、何の悩みもなく遊んでいた。ときのことも、久のことも頭にはなかった。
重太からはなにの連絡もなかった。大阪にいると言う噂を聞いたとときが言った。その時は現実に返ったが、直ぐに忘れた。
省三は毎日寝る前にグローブにオイルを塗りこんで磨きボールを挟んで寝た。宝だった。自慢の種だった。皮のグローブを持っている子供は少なかった。殆どが布のものだった。みんな平等に貧しかったのだ。だが、みんなの継接ぎだらけのズボンのポケットには友情が一杯詰まっていた。夕陽が雲を赤く染めていくように、子供たちのこころは赤く燃えていたのだ。夢と希望が目の前に広がっていた。
「省三、わし孤児院へ行くかも知れん」
野球の帰り道夫がぽつりと言った。二人はグローブの網にバットを差し込んでそれを肩に担いでいた。夕焼けが二人の影を道路に長く作っていた。
「道夫、なんで・・・」
省三は道夫を見上げて問った。道夫は省三と同じ歳だったが背が高く六年生に見えた。道夫の直球は速く、みんな打てなかった。将来はプロ野球の選手になると言うのが口癖だった。
「岡山の空襲でみんな死んで・・・おじいと二人・・・。おじいは近頃調子が悪いけえ・・・療養所に入ったら・・・わしは孤児院へ行く事になるんじゃ」
道夫は空を見上げた。
「孤児院てどんな所なんじゃろう」
「分らんが・・・行った事ねえし・・・」
「ほんと、ほんとにいくんか」
「ああ」
「寂しゅうなるな・・・それでええんか・・・」
「仕方がねえ・・・それが浮世と言うものじゃ」
「野球がでけん様になる・・・」
「壁がありゃ、キャッチボールはでける」
「浮世か・・・」
「綺麗じゃな」
道夫は夕陽を見て言った。オレンジに燃えた太陽が駅舎の向こうに沈もうとしていた。
「綺麗じゃ・・・あの夕陽、忘れんで」
道夫の瞳に映る夕陽が滲んでいた。
「うん」
省三は大きく頷き「僕も、忘れん」と言った。
「省三、夕焼けに向って立ちションせんか」
「うん、するする」
道夫と省三は太陽に向って並んだ。
「発射」
道夫が大きな声で叫んだ。だが、二人は立ち尽くすだけで発射しなかった。出来なかったのだった。
「どうしたんじゃろう、壊れてしもうたんじゃろうか」
省三が情けなさそうに言った。
「バカ・・・これが壊れたら大変じゃ。これは男の勲章じゃけえ」
道夫が笑いながら言った。笑いが段々と涙声に変わっていた。
ふたりは夕陽を浴びて何時までもいつまでも立ち尽くしていた。逢う魔が時が忍び寄っていた。
省三はラーメン屋が休みの日にはよく浅草に出かけた。新宿よりなぜか親しみを感じた。
浅草寺の境内には屋台が並び、一杯30円の丼を売っていた。省三はその丼に故郷へ残してきた母を思っていたのだった。
学生運動に夢中になる青春もあり、浅草の軽演劇に魅せられる青春もあって良いと省三は自らを納得させていた。
省三はストリップ劇場に入るのではなく、客寄せの呼び込みを聞きに行くのだった。
「そこを行く好きもののあなた、明美嬢が肩から着物を・・・帯を解いて・・・ああ、白い肌が・・・」このトークは延々と続くのだ。客は自然に吸い込まれていくのだ。
「ここは浅草・・・別名浅草大学とも言う・・・ここを卒業すればあなたは立派なご性人・・・今日の講義は男と女の垣根を払う・・・」
踊り子と仲良くなり、役者に可愛がられたことが、出入り自由の特権を与えられる元になっていた。
踊り子の裸を見て省三はキャサリンの事に思いを馳せることがあった。キャサリンはどうしているだろう。ガラス戸越しに海を眺める全裸のシルエットが鮮明に蘇っていた。
「省三、コノ夕日、省三ノ夕日・・・。ソシテ、ミーノ夕日・・・ホント二綺麗・・・忘レマセン」
夕陽が浅草を包み込もうとしていた。東京駅の方が赤く色づいていた。
スターの名前を書いた幟が風を受けてパタパタ鳴っていた。冬はそこまで来ていた。
省三はジャンパーの襟を立てて永井荷風がよく覗いていたと言うレストランへ足を急がせたのだった。坂本九の歌う「上を向いて歩こう」が巷に溢れていた。
道夫のことがあって省三は少し落ち込んだが、それは一時のことで相変わらず野球に興じていた。記憶は忘却の彼方へいつの間にか消えていった。
人間とは辛い苦しい橋を渡るがそれはひと時のことで、新しい出会いがあることを省三は学んだ。記憶は薄れ思い出の倉庫に自然に入り、時ににじみ出て懐かしさを呼び起こした。