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月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

「夜の太陽?」と思えた奇跡の月

2025-02-16 23:08:38 | 惑星・天体ニュース

    今朝は、月などみえそうにない曇り空。そして、月はとうとう姿を見せてくれませんでした。ということで、”Wお月見”は3日連続でお終いとなりました。まだ、でも明日には連続とはなりませんが見るチャンスはありますので、明日もチャレンジは続きます。

    さて、残念な結果となりましたが、それでも夜には20:55に出てきた月を10時過ぎに見に出てみました。でも、まったく姿は見られず・・・。

    それでも、それからやや経って、何だか月に呼ばれている気がして外を覗いてみると、月がいる場所が分かりました。

    

     先ほどは、どこにいるかさえ分からなかったのに、少し月が出かかっているようにみえました。カメラのモードを夜の暗い場所でも捉えてくれるモードに切り替えて撮ってみると、月の輪郭が見えてきました。

      

      ちゃんと、出て切れくれそうなので、待ったみました。すると、みるみると姿を現したお月様の姿は雲に光を放って、まるでライオンか「夜の太陽」のように、みえました。

      

     真っ暗な夜の空に、月だけが燃えているような姿で浮かんで見えました。

      

      でも、雲は暗闇の中ですぐに月を覆い隠していきました。

      

      この後も、何回か外を覗いてみましたが、月はもう姿をみせてはくれませんでした。

      朝の月には逢えませんでしたが、無理かなと思えた後で、今日も奇跡のように月に逢うことができました。明日は、ちょっと忙しい1日になりそうですが、きっと月が見守ってくれそうです。 今日も無事に1日を終えられたことに感謝します。

      そういえば、今日は昨日図書館で借りてきた児童書「キュリー夫人」(山本藤枝:著 偕成社)を読んで涙がでそうになりました。古い1958年初版の本を1987年に出した改訂版の第37刷の本でした。この本がいかに愛されたかの証しのようですが、内容が本当に素晴らしく、キュリー夫人が2回もノーベル賞を受賞したことの素晴らしさが心から理解できる内容でした。彼女の生い立ち、家族愛、母や夫を失ったこと、ロシアに支配され、ポーランド語で授業を禁じられた中でいかに愛国心を逆に持ち続けて生きたか。放射線や放射能、ポロニウム、ラジウムの発見に至る驚異的な献身もそうですが、私欲を超えて研究が人々の役に立つように~と、夫とともに特許を取って儲ける道を選ばずにラジウムのつくり方を発表したこと。第一次大戦の時、X線の専門家ではないものの、放射線を知る者として、戦場の病人や怪我をして兵士のためにフランス政府に働きかけてX線治療車をたくさんつくらせ、自分自身もその1台にのりこんで戦場を駆け回ったとのこと。戦争が終わり、祖国ポーランドが独立したこと・・・ああ、知らなかったけれど、このような貢献があて、今の私たちの当たり前にしている医療に続いているのだと心から思えました。今の子供達にも、ぜひ、この古い本でキュリーのことを知ってほしいと思いました。そして、1958年にこのような本を書いた女性がいたことにも、心から感動しました。      

*X線はレントゲンが1895年に発見