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薫 風 ~KUNPOO~

初夏に薫る爽やかな風に思いをよせ、YukirinとKaorinが日々の出来事などを綴るページです。

みちのく一人旅

2005-11-13 | 旅  行
■ とあるイベントに参加するため、岩手県は遠野市へ行ってまいりました。

■ 最初に聞いたとき、「えっ、遠野って、どこ?」と思いましたが(遠野市の皆さんゴメンナサイ)、東北新幹線を北上し、花巻から釜石線(単線で寂しい・・・)で1時間ほど東へ行ったところにあります。民俗学者、柳田國男の『遠野物語』の舞台になったところなのだとか・・・。

■ 調べれば調べるほど、交通の不便なところにあります。長野新幹線、東北新幹線を乗り継いで、松本から6~7時間かかります。10日の午後1時までに着かなければならないとすると・・・、え~っ、6時20分松本発???

■ 遠野市は人口約30,000人の街。第一印象としては、木曽谷の山を低くしたような感じ・・・?。寒い、暗い、何もない・・・。私が訪れた前日は霙が降ったというし、夜になってバスで移動すると、道路の脇には街頭すらもほとんどなく、バスの外は真っ暗闇でした(星が出ていたなら、さぞかし綺麗だったろうなぁ)。さすが、ザシキワラシが出てくるだけの事はある!?

■ あまり観光する時間もなかったけれど、小雨の降りしきる中、「河童淵」なるところを見てきました。その昔、悪さをした河童を村人が捕まえ、お仕置きして逃がしたところ、この淵へ消えていったのだと・・・。それほど深くはないけどなぁ。

■ そういえば、松本市上高地にも「河童橋」なるものがありましたね。

<photo:とおの昔話村>

スコットランドの想い出~その3

2005-10-19 | 旅  行
■ 英語学校はフラットから歩いて15分程度の距離。駅を抜けRoyal Mileと呼ばれるOld Townの目抜き通りに面していました。エジンバラ大学に付属する学校だったのかな?

■ 初日は、例によってクラス分けのテスト。前回の教訓を生かし、今度は手を抜いて楽をしようという魂胆。またしても授業のあるのは午前中だけだから、午後は思い切り観光・・・いや研修しなくては。

■ クラスに入ってみると、思いのほか日本人がいました(よくまぁ、こんな最果ての地に・・・)。イタリア6人、スペイン1人、そして日本6人という構成。その後、台湾人が4人ほど入るなど、入れ替わりもありますけれどもね。

■ 担当の先生はBenという、今で言うところのイケメンの若くてとてもカッコイイお兄さんでした。彼は、「英語の詩は韻を踏むのがルールだ」という説明で、つねに“My name is Ben. I have a pen.”と例をあげていたのが、なんだか印象的に残っています。

■ 授業の進め方などはアメリカとさほど違いはなかったけど(あるいは日本とも?)アメリカ英語と異なるのは、スペルなど徹底してイギリス英語を用いること。発音も、アメリカのように崩したりはしないから、私としてはどちらかといえば聞き取りやすかったかな。

■ スコットランドは、とても自分たちの歴史や文化を大切にしている国。いまだにケルト語のラジオ放送も続いているというし、有名なネス湖もlakeとは言わずにLoch Nessなどと言います。あるとき、旅行の話をしていてBenに「今まで旅行した中で、どこが一番よかったか」と聞かれたので、なかば社交辞令のつもりで「イングランドが好きだ」と答えたら、「あんな国のどこがいいんだ」と切り替えされてしまった。過去の因縁って、恐ろしい・・・

■ 内容的には、文法が中心となる楽勝のクラス。でもいざとなると“話すこと”と“聞き取ること”は難しい。半分くらいは勘で答えちゃうもんな~。それがいけないのか。もともと人と話すのが好きなほうではない(得意ではない)しね・・・仕方がないか。

■ 今回は周りの学生たちと積極的に打ち解けるようにして、一緒に旅行に行ったりボウリングをしたりして楽しんでみました。

<photo:Calton Hillにて談笑の図>

スコットランドの想い出~その2

2005-10-18 | 旅  行
■ フライト希望日はKLMが満席だというので、今回初めて英国航空British Airwaysを利用。またもや成田でのTake Offが30分ほど送れたけど、「この程度の遅れならリカバーできます」という頼もしい機内アナウンス。そうしたら、ほんとうに定刻どおりにロンドンのヒースロー空港に到着しました。エライ!!

■ ここで飛行機を乗り換え、エジンバラへとさらにフライとする予定。乗り継ぎの便まで1時間ほど余裕があったのですが、またまたアクシデント発生!! 英国では、まずロンドンで入国審査をしなければなりません。それが、学生の列は長蛇の列でちっとも前へ進みません。ど~も、アジア系の学生が引っかかっている。なんでも学生として入国して、そのまま居座ってしまうケースが多いので、とくにアジアからの学生の入国審査は厳しいのだとか(日本人はスルーパスだったのに・・・)。結局乗り遅れてしまいました。

■ カウンターのお兄さんに泣きついて、なんとか次の便に乗せてもらい、無事エジンバラに到着。空港からバスでウェイバリー駅まで行くと、ホームステイ先のMr.Gibsonが出迎えてくれました。まず学校への行き方を一緒に案内してくれたあと、彼のフラット(アパート)へと連れて行ってくれました。飛行機に乗り遅れてしまったため、スーツケースは明日でないと到着しないとか・・・トホホ。

■ アメリカでは郊外の住宅地にある大きな一軒家だったけど、今回はflatの一室。そして、アメリカではホームステイをなかばボランティアとして受け入れるけど、英国では家庭の貴重な収入源と見ている傾向が強いようです。

■ 学校からの紹介状では、Mrs. Gibson works part-time as an administrator while Mr. Gibson is a full time student.ということでしたが、結局何をしている人たちなのか最後までよくわからなかった。でも、ホストファミリーは遠方からの学生を夫婦で温かく迎えてくれました。

■ 日本を出てきたときはとても暑かったのに、スコットランドは寒いよ~。とりあえずあるもの全部着て、布団に丸く包まって眠りました。

<photo:Waverley St.周辺>

スコットランドの想い出

2005-10-16 | 旅  行
■ 今週は、スコットランドはエジンバラの思い出を綴ります。

■ 米国プチ留学の経験に懲りず、“今度はヨーロッパの生活を見てやろう”と思い、2週間ほどイギリスでホームステイしてきました。どうせ行くなら日本人があまりいないところがいいなと思って、ステイ先はロンドンからさらに北に離れたエジンバラに決めました。本当はアイルランドのダブリンに行ってみたかったのですが、当初予定していたKLM便は飛んでいないと言われたもので・・・

■ スコットランドは、イングランド、ウェールズ、北アイルランドからなるUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irelandの一地方。とはいえ、1707年にイングランドに合併されるまでは立派な独立国としての歴史を持っています。サーカーのワールドカップには、いまだに別々にエントリーしていますよね。

■ エジンバラへは、ロンドンのヒースロー空港から飛行機で約1時間半。人口44万人を抱えるスコットランドの中心都市です。町の中心にある公園を境として、南側は中世の街並みを今に伝えるOld Town、北側は都市計画に基づいて気づかれたNew Townとに二分される。“New”とはいっても18世紀末に建設されたのだから、どのくらいの歴史があるのか、わかろうというもの。

■ 日本を発ったのは9月の上旬。日本ではまだ残暑が厳しかったのですが・・・

SAIPAN~エピローグ~

2005-07-20 | 旅  行
■ 最終日に二人で体調を崩したものの(あのタクシーの運転手にもらった生水がいけなかったか…はたまた空港で食べたチップスターが…)、都合4泊5日のバカンスは楽しいものでした。

■ 雨季の前ということで、天気は連日快晴。時折スコールがあるものの、日本のように土砂降りということはなく、まさにシャワーを浴びるよう。少しの間、雨宿りをしていればすぐに止んでしまいます。太陽が顔を見せると日差しは強く、日焼け止めを塗っていたにもかかわらず、二人ともこんがり小麦色に焼けてしまいました。

■ リゾート地ということで、ホテルやレストラン、各種オプショナルツアーの料金は高め。キャッシュも100$ほど用意していきましたが、ホテルにチャージしたり、クレジットカードが利用できるので、ほとんど使う機会はなし。あぁ、カードの請求が恐ろしい(円も安くなってきたし…)。

■ 夏休み前のためか、就学前の子どもをつれた家族連れが目立ちました。それに妊婦さんもちらほら…。こんどは家族連れで訪れてみたいと思います。

SAIPAN~バード・アイランド~

2005-07-19 | 旅  行
■ バンザイ・クリフからさらに丘陵地帯を越えてバード・アイランドに行く。その名のとおり、夕暮れになると、鳥たちが羽を休みにこの島へ戻ってくるのだという。見ると浅瀬に白い小島がぽつんとたたずんでいる。島へ行く道はなく、まさに空を飛ばなくてはたどり着くことのできない神秘的な島でした(泳いでもいけるか…ナ)。

■ 展望台から美しい海岸線にしばし見とれる。運がいいと、下の海面に大きな海ガメが泳いでいるのが見られるという。残念ながら、この日は海ガメの姿は見えなかったけど、鳥たちは何度も水面すれすれに飛び、盛んに魚を捕っていました。

■ あまりの絶景に気をよくして、有名なダイビングスポットであるグロットやスーサイド・クリフも廻ってもらうことに…。追加料金は20$なり。やっぱり、レンタカーを借りてもコスト的には変わらなかった。

■ 一旦、宿泊先のアクア・リゾートに戻り、プールでちゃぷちゃぷしてお腹を空かせてから、再びニッコー・サイパンへ食事に行く。早めにお店へ行ったので、窓際の夕日の見える席をキープ。なかなか、水平線に沈むまで夕日がはっきりとは見えないのだけれど、暮れゆく景色を眺めながらの食事はおつなもの。目の前の鉄板でシーフードやステーキを焼くシェフの手さばきも見事で、とても満足したディナーでした。

SAIPAN~バンザイ・クリフ~

2005-07-18 | 旅  行
■ 午前中、ホテル・ニッコー・サイパンへ探検に出かけることに…。こちらは、プールに2本ものウォータースライダーを備えるという、15階建ての近代的なリゾートホテル。先月、天皇陛下もこちらに泊まられたそうな。サイパンのホテル間は、3ドルで1日乗り放題のバスが30分間隔で運行しているので、これを利用することにしました。

■ 15偕からの眺めは、また格別に素晴らしい。高い場所から見ると、海底の様子や深度によって海の色が微妙に変化していて面白い。いままではビーチから青い海を眺めていただけだったので、新鮮な感動がありました。ここの鉄板焼きレストランで夕食をとることにして、午後からはバンザイクリフに行ってみることにしました。

■ バンザイ・クリフ周辺は1時間程度でまわることができるというので、タクシーを借り切ることにする。1時間60$なり。レンタカーを借りても、あまり変わらなかったか…。車に乗ること数分で、バンザイ・クリフに到着。いくつもの慰霊碑が立ち並び、入れ替わり立ち代り、日本人が訪れていました。

■ くしくも、1944年7月7日は日本軍最後の玉砕突撃が決行された日。その翌日には、追い詰められた民間人が米兵の制止の声を背に、次々とこの断崖から身を投げたといいます。この日も天気がよく、果てしない群青色の海。こんな美しい場所で、そのような悲劇が起きたなんて…。断崖に向かって、しばし二人で手を合わせ、戦争で犠牲になった方々のご冥福をお祈りしました。

SAIPAN~マニャガハ島~

2005-07-17 | 旅  行
■ マニャガハ島は、サイパン本島から船で15分程度のところにある小さな島。まわりの珊瑚礁がとても美しいというので、ツアーで参加して行ってみることにしました。午前9時発の船に乗って出かけてゆく人の数は、まだまばら。

■ 島に着くと、しばしオリエンテーション。参加者はすべて日本人なのか、こういうところが何ともお国柄。ここから、スキュ-バダイビングやシュノーケリングなど、みんな様々なアクティビティに参加する様子。私たちはシュノケーリング・セットだけレンタルし、近場で楽しむことにしました。

■ ブイで囲んであるところ以外は遊泳禁止というので、その中でプカプカ泳いで見ることに。島のツアーデスクのお姉さんは“サインパン当局の指導だ”とかナントカ言っていたが、そんなことを守っているのは日本人だけ。他の国の観光客はみな好き勝手なところで泳いだりして、楽しんでいた。これは“各種のツアーに参加させるための戦略?”とおもわず勘ぐりたくなってしまう。もっとも、確かにほかの場所は波が高かったり、風が強かったりしていたけど…。

■ でも、指定された遊泳場所内でも、結果的には十分満足できました。あちこちに珊瑚礁が続き、大小さまざまな色とりどりのきれいな熱帯魚が、優雅に泳ぎまわっていました。ポケットに忍ばせた朝食の残りのパンを取り出すと、いくらでも魚が集まってきました。やはり、エサの力はすごい。指まで齧られてしまいそう。南の島のお魚さんたちも、きっとお腹が空いていたんだねぇ。ご馳走してくれる人は、いい人だからね~(それは基本的に人間界でも同じ…)。

■ 当日は比較的雲が多く、あまり陽が差さなかったので、12時半発の船ではやめに帰ってきてしまいました。それでも、休憩をはさみながら、3回ほど魚との遊泳を楽しむことができました。久しぶりに口にした海の水は、果てしなく塩辛かった…

SAIPAN~ビーチBBQ~

2005-07-16 | 旅  行
■ 到着2日目は、午後から海底潜望船に乗り込む。午前中のほうが、海水が澄んでいて見やすいとのことだが、ゴロゴロしていて時を過ごしてしまった。船底の両側に窓がついていて、海中の熱帯魚などを観賞できるというもの。1時間足らずのクルージングで一人49$なんて、日本だったら絶対乗らないと思うけど、派手なアクティビティはできないので、まぁ今回は仕方ないか。

■ 港を出港すること十数分。船がマニャガハ島に近づくにつれ、徐々に珊瑚礁が増え、色とりどりの熱帯魚も見えるようになってきた。途中、戦時中に海底に沈められた零戦やB29の残骸が見えるところを通過。かつての悲劇も、現在では魚たちの絶好の隠れ家となっている。はたまた、このような観光スポット(ダイビングスポット)になっていることに少し違和感を覚える。後の調査で、両方ともゼロ戦でもB29でもないことが判明したそうで、何をかいわんや。

■ 3時ころにホテルに帰り、プールでちゃぷちゃぷ遊ぶ。日差しは強いが、ビーチ板に横たわっっていると、ときおり風が吹いてきて気持ちがいい。

■ 夕方からは、ホテルのサンセット・バーベキューで夕食をとることにする。ほんとうにビーチサイドにテントをたてただけのものだけど、大海原に沈み行く夕日を見ながらバーベキューを楽しめる。いわば、このホテルのウリでもあって、わざわざ他のホテルから食べに来ている人たちもいた。

■ 席に着くと、椰子の実のジュースでお出迎え。あとはロブスターをはじめとするシーフードやサーロインステーキなどを係りの人が焼いてくれた。挙句の果て、焼きおにぎりまでがついてきた(焼きマシュマロだけは甘くていただけなかった…)。水平線に沈み行く夕日を眺めつつ、まわりは徐々にトワイライトへと暮れてゆく。流しのギター弾きまで現れて、楽しい夜を過ごすことができました。

SAIPAN~海辺を散歩~

2005-07-15 | 旅  行
■ SAIPANにつくと、枝いっぱいに真っ赤な花をつけたフレームツリーが私たちを出迎えてくれました。島のいたるところに咲いており、まさに燃え上がるよう。最初はオレンジ色をしているけれど、やがて真っ赤な色に移り変わっていくのだという。

■ ホテルにチェックインし、とりあえずビーチに出てみる。オーシャン・フロントと銘打っているだけあって、窓からは青い海が見え、部屋からすぐにビーチに出ることができました。ホテルのプライベートビーチに珊瑚礁は見られなかったけど、遠浅の砂浜がどこまでも続いている。水の中に入ってみると、海水がお湯のように温かい。時折、私たちの目の前を何匹もの小魚たちが横切ってゆく。

■ なにより驚いたのはナマコが多いこと。あちらこちらにいて、気をつけていないとすぐに踏んづけてしまう。ナマコは珊瑚の中にいる微生物を食べ、分解しきれいにして吐き出すため、ナマコのたくさんいる海はとても海水が綺麗なのだという。そう言われても、ねぇ…見た目は限りなくグロテスク。ナマコさんには申し訳ないけど、どう贔屓目に見ても、とうてい人気者になるとは思えない。

■ 足元の巻貝を拾ってみると、なんと中にはヤドカリさんが…。むこうさんも、急に持ち上げられてどうしてよいかわからず、あたふたしている様子。自然いっぱいのサイパンなのでした。