日本には、昔から労使交渉、或いは賃上げ闘争といった、
交渉や闘争は、定例では一年に一回しかなかったのか。
実際のところ、春と秋有りました。
春は、ベースアップ中心で夏のボーナス。秋は労働条件と、
暮れのボーナス中心でした。
この長い習慣を、春一回にするという提案は、
鉄鋼業界の八幡製鉄所でした。
会社は、一年の利益計画を策定するのに、
総材購入費、外注費、総人件費、土地設備費、
消耗水道電気ガスなど、研究開発費などを
算出しなければなりませんが、総人件費だけは、
暮れにならないと判らない。
そこで、労働組合に、「暮れのボーナスも、
春一度に決めてしまおう」と提案のですが、
結果的に、秋定例となっ大行事が行事が、
無くなりました。
労組の,後で気が付いたのでですが、春秋の
二大イベントが一つ無くなってしまった。
組合員から、「一年の半分は遊んでいる
と文句を言われるかもしれない」
まあそんな文句も無く、ただ労使間に、
イレギュラーとして、【春闘】だけの名が
残ったわけですね。
賃上げの不合理については、次回検証します。
今まで、それで給料が上がってたの?
労組が無いと駄目だし、女性ではどうなんだろう。
次回を待ちます。
体調は如何でしょうか?
勉強になりました✨
これは、説明すると大変難しいことなのです。
どうぞ次回に期待してください。
体調の方は、まだ顕著な変化は見られず、今日は、四月最後の通院日でした。
痛いことや辛いことは無いのに、やはり苦痛でして、やっとホットしています。
教えてほしいことは、近々まとめて、メールさせて頂きますので宜しく!
八幡製鉄所は、今回の記事の前に、日本の労使関係を、
大きく改善することになった、改革がおこなわれたのですよ。
賃上げ要求を会社に提出した後、最終的に労使が妥結するまでには、
何回かの団体交渉や、時にはストライキを交えたり、会社からの回答も数度に及び、
最後は、僅かの妥結金を、上乗せして妥結、がお決まりのパターンでした。
八幡製鉄所は、伝家の宝刀【一発回答】を宣言したのです。
そして最後まで譲らず、これが日本の春闘の形になったのですね。
では、なぜ八幡製所は、こんな大事が成功したのか・・・
この会社は、日清戦争で今の中国から賠償金を取り、この製鉄所を作った、
所謂半官半民の会社だったからだと、考えています。
ワー長くなってしまいました。お疲れ様