賢く楽しく逞しく

晴耕雨読の日々を、面白く楽しく、
綴って行きたいと思っております。

大実金柑の甘煮

2018年11月28日 | 家庭菜園

植えっぱなしの大実金柑が、昨年の半分ほど実を付けました。

完熟したものすからもぎ取っているので、この三倍ほど獲れます。

ただ、粒が不揃いで、大きな顔して人には上げられません。

 

砂糖は、買い置きのザラメが有ったので、使いました。

金柑が完全完熟がだったので、佐藤は5%で様子を見ました。

脳には糖分が必要と言われますが、摂りすぎも良くないので、

砂糖は少しづつ足していこうと考えましたが、私には丁度良いところです。

来月の中旬には、残りの金柑を、完熟の状態で、収穫する予定です。

 

 

もう十一月も終わりです。

紅葉の画像を二枚upします。

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ヒマラヤトキワサンザシの実

2018年11月23日 | 家庭菜園

数年前、菜園の通路との境界線に、挿し木した苗か゛三年ほど前から白い花を咲かせ、

実を付け出しました。

今、びっしりと実を付けた姿は、当初想像すらしませんでした。

この実が食べられるならと思い、調べてみましたが、レシピも出て居るから・・・

しかし中には「毒がある」との記事も・・・

 

昨年冬の最中、鳥がこの実を突いているのを確認しました。

[鳥が食べるのに、人間に毒になるのは変だ」→しかし鳥は噛まずに

丸呑みするからなあ・・・

小粒の木の実は、周りの肉を取りに食べてもらって、種を糞と一緒に

遠くにばらまいてもらばおうと考えている。

若し哺乳動物に、奥歯でかみ砕かれたら、に種の保存は出来ない事になる。

だから種に毒があるものが多い。

鳥が食べても安心できない。

「もう一寸調べてみよう」それにしても、垣根にしては大きく成り過ぎた。

と言うことで、全部の木を丈も幅も、バッサリ切りました。

棘がすごくて、後始末に苦慮しています。

 

 

 

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遅れ馳せながら、野菜が育って来ました。

2018年11月14日 | 家庭菜園

11月も半ばともなると、街はすっかり秋色ですね。

 

昨日13日、菜園の様子を写真に収めてきました。

京水菜です。

 

小松菜と京水菜は、この中では種まきが早い方だったので、

そろそろ収穫出来そうです。

 

 

白菜がやっと巻きだしました。

大根は、収穫時の1/3程度の太さです。

左側の植物は、抜き忘れた雑草です。

 

ブロッコリーに花芽が着いていました。

これは、孫娘が好きだと言っていたので、急遽植えました。

 

 一番早いほうれん草が、やっとここまで育ちました。

後半月ですかねえ。

 

 九条ネギを植え替えが終わり、ピンと立って来ました。

 

ニンニク群です。

群と言うのは、今年はジャンボや無臭ニンニクも植えてみたから・・・

藁が足りなくなったので、落ち葉で補っています。

車で帰省していたころは、藁が足りないなんてことはなかったのに・・・

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私のブログに、初めてコメントくれた人

2018年11月03日 | ブログ

 

彼女は、一年前か二年前か、肺腺癌で多分なくなっていると思います。

山登りが好きで、よくご主人と出かけていました。

私の故郷信州の山に登っていて、ご主人がリタイヤしたら、信州に住んで、

山を眺めて暮らしたいと、主人と話し合っているんだとも・・・

 

 

彼女は、私がブロクを始めて、最初に訪問してくれて、

心細い時に、励ましのコメントを入れてくれた方で、

とても嬉しかった事を,よく覚えています。

本人は、入院した時から、もう助からないと察したのか、

「ブログを閉じます」と言いました。

彼女のフアンや友人達は、もし返事が書けない程辛い時は、

返事は書かなくてもいい、読むのも辛い時は読まなくてもいいから、

閉じないで欲しいでと・・・


そんな時、免疫療法で、肺腺癌などに特別の効果が出たと、

京都大学と山口大学()のだったと思います)の記事を読み、

早速、面識はないけれど、ご主人に手紙を書きました。

彼女に手紙を見せたのでしょう、お礼の記事が記事掲載されました。

しかし特段の動きもなく、だんだんと反応が鈍くなり、

みんなで励ましのコメントを、送り続けましたが、

最悪の予想をせざるを得なくなりました。


私の記憶では、この京都の三枚の写真が、最後の旅だったと思われ、

この写真を掲載して、命日は解らないまま、ご冥福をお祈りします。

大阪方向に向かって、合掌。


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