賢く楽しく逞しく

晴耕雨読の日々を、面白く楽しく、
綴って行きたいと思っております。

広州まで来た!文化大革命(1)

2016年01月31日 | 海外の旅

その年の夏、広州の街が騒々しくなってきました。

私の仕事相手は、公司(公営企業)の経理(社長)以下、

大学を出て経験もあるインテリ技師たちでした。

ある日、何か変だなと思い、彼らを良く観ると、髭は剃らず

髪に油をも付けず、櫛も入れていません。

今朝顔を洗ってきたのかな?と感じました。

着ているものは、洗濯はしてあるが、アイロンは掛かっていません。

手には赤い小冊(毛沢東語録)を持っています。

 

昼休みは合唱が始まりました。

毛沢東の賛歌や革命歌、毛沢東賛歌・・・

通訳が私の耳元で、「日本の流行歌より楽しいでしょう」

食事の後、直ぐこんな歌を歌っていたら、消化不良を起こす、

そう思いながら、何回かおつき合いで歌っているうちに、

お付き合いで、少し歌えるようになっていて、吃驚。

 

 

また、大きな丸テーブルを囲む、宴会が有りました。

会場の周りの窓は、全てカーテンが引かれ、

外からは見えないようにしています。

食べたり飲んだりだべったりし、「そろそろ終わるな」と

思ったら、進行係が「余興に無をしましょう」

どんなことをやるのかな・・・

誰が当たるか全く分からないが、指名された人は、

「毛沢東語録を一節暗誦するか、歌を歌ってください」

的な、二つの要素を含んだ題を出されます。

「毛沢東語録を暗誦します」と言う人は、

間違いなく一人もいません。

間違えた時のリスクが大き過ぎます。

では、何故こんなゲームをやるのか・・・

宴会だけやって、もしそれが知られると、「贅沢をして

革命思想を忘れた」とか、走資派(資本主義に靡いた敵)

のレッテルを張られてはまずい。

毛沢東語録の一節を入れておくと、 「やむを得ない接待の

席でも、毛沢東思想の学習心は、忘れてはいません」

となり、言い訳が立つのですね。  頭良い!  

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甘利大臣殿 画像はボケの実ですが

2016年01月28日 | 日々の出来事

甘利大臣 この画像はボケの実ですが、貴方も最近

呆けてきたのですか?

50万円と言えば、恥ずかしながら、私が現役のころの

1か月の手取りですよ。

相手は、手渡したと言っているのに、

「それを受け取ったかどうか、時間をかけて記憶を

辿って確認しなければ、返答できない。」

のですか?

 

そう言う呆け老人に、TPP交渉という、日本の生命線

のような重要な交渉を、任せていて大丈夫ですかね。

更に、2月初旬にはTPPの調印式に出席させると、

安倍総理は考えているようですが、甘利大臣自身

外国の要人に会うのが、恥ずかしくないですか?

まあ、行かなければ行かないで、

「彼はなぜ来ないの?」 「大臣降ろされたのか」

等と陰口叩かれるしね。

どっちにしても、良いこと無いですよね。

 

 

ボケ老人と言えば、貴方の大先輩で、

橋○総理という大物がいましたね。

料亭で一億円受け取ったと追及され、

「受け取った記憶は無い」の一点張り・・・

最後の最後「私は受け取った記憶は無いが、

皆が受け取ったと言うなら、受け取ったのだろう」

とぼけた話ですね。

これで通用する世界だから、腹が立つより

笑っちゃうよね。

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広州ぶらり散歩

2016年01月26日 | 日々の出来事

広州滞在一カ月を過ぎると、朝ホテルを出て夕方ホテルに帰るまで、

政治局員の方と通訳の方が、フルアテンドされていましたが、

平日公用の場合、通訳の方とのみ行動するようになりました。

休日出かけたい時は、不安もあるので、暫くはこちらからアテンドを

お願いしました。

 

 

以下街で拾ったエピソードを

 

~の場合、作業の手を休めてもよい・・・

農村部の道路を走っていると、あちこちで三三五五集まって

話し合いをやっています。

「仕事の手を止めて、なにをはなしあっているのですか?」

「社会主義建設について話し合っています、

この事で話し合う場合は、労働を中止しても良いのです」

こんなに阿智父子地で話し合いばかりしていると、

理想的な社会主義社会が建設出来たとしても、

中国人民は、皆飢え死にしてしまいそうですね。

 

この子等は乞食ではない・・・

小学校の傍に、偶々車を止めた時、四五歳の子供が、

数人遊んでいました。

私を見て二コッとしました。

子供は国境は無く可愛いですね。

日本から持って行った、お菓子や飴を一掴み、

その子供たちに上げようとした時、

小学校の校庭で遊んでいた小学校低学年と思しき

女の子が三人、猛烈にかけて来ました。

以下通訳の言です。

「この子たちは、貴方から物を頂いても、

お返しが出来ません、物を貰ってお返ししないのは、

乞食と同じです、ですからこの子達に

物を上げないで下さい」

小学校低学年ですよ、恐れ入りました。

 

女性の本当の美しさは・・・

昼食に、一寸小奇麗なレストランに入りました。

そのレストランの入り口に、ご飯の上におかずを載せた丼にを

立って食べている、若くて可愛い娘を見かけました。

紺の上下に紺の帽子、ビニールのサンダル、これが平均的な

中国人民の服装です。

このころは、0私も25歳、若かったから・・・

「君、綺麗だね」  「私の何が綺麗ですか?」

「顔は綺麗だし、すたいるはいいし・・・」

「顔や姿は、見かけの美しさです、女性の本当の美しさは、

如何に社会主義の建設に、貢献しているかで決まります」

どういう教育を、受けているのかねえ、恐れ入りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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お国事情

2016年01月24日 | 日々の出来事

 

コント

日本と北〇鮮の記者が、言い合っていました。

「日本は民主国家だから、自由が有るが、

北〇鮮には、自由は無いではないか」

「じゃあ日本にあって、北〇鮮に無い自由とは、

どんな自由なんだ」

「先ず、言論の自由だ、日本国民は、

日本政府の批判だって自由だ、現政府を、

支持しない比率は、半数を超えているんだ」

「そんな事か、だったらわが国の人民は、

もっと言論の自由を与えられている、

なぜなら、わが国の全ての人民が、

日本政府を批判している」


何時頃だったか、何処での話だったか・・・

 

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文革時代でも感心なエチケット

2016年01月23日 | 日々の出来事

もう少し、文革時代の広州での体験を、レポートしたいと思います。

写真は、宴会用丸テーブルですが、何時もはこの倍くらい大きな

テーブルでした。

近代では、いちゲストの左右にNo1・2ホストが着くようですが、

記憶も定かではありませんが、一番奥にNo1ゲスト、

その両サイドに通訳とNo2ホストが着き、No1ホストはトイメンに、

居たような気がします。

 

席に着くとNo1ホストが歓迎の挨拶し、続いてゲスト側が答礼の

挨拶をします。

さて乾杯ですが、テーブルが大きいから、自分の近場はコップを

カチンと出来ますが、No1ホスト等届きません。

 

この時どうする

コップだけ掲げて、目で合図してそれに変えるか。

いいえ、コップをプルに軽く二三回打ち付け、、カチンに変える

のです。

 

 

もう一つ、良いなあと思ったことが有ります。

宴会が酣になると、自分が話を中断するのは、まずいですね。

でもそんな時、誰かが料理を取ってくれたり、

ホステスがお酌をしてくれたりしてくれたら、話の腰を折らずに、

「ありがとう」を伝えたいですね。

有るんですよその方法が・・・

テーブルの端のクロスの上に、人差し指と中指と薬指の指先を乗せ、

軽くコツコツコツと打ち鳴らします。

それが、雑音にならず、話の腰もおらず、お礼の意思だけを、

そっと伝える。

どちらかと言うと、後者に感銘を受けましたね。

 

 

広州の話もだいぶ長くなってしまいましたが、

後、小学校の女の子と年頃の娘さんとのやり取り、

高衛兵と焦点主との武闘、私が高衛兵に囲まれた話等で、

占めたいと思っております。

 

 

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