裏ユキヒロック

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腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

2007年08月18日 | ひとりごと・日記
もともと持ってる性格と言いますか、
素性と言いますか、癖と言いますか、
灰汁と言いますか・・・

そういうモノの良い部分よりも、
何故か弱い部分、悪い部分ってのが、
歳をとると一層強く出てきてしまうような気がする。

時にそれを他人から「我侭」と言われたり、
「傲慢」と言われたり、「自分勝手」とも言われるでしょう。
しかし、そうでない人って本当にいるのかな?

「我侭でない人」なんて絶対にいないと思う。

よく言われますが所詮、
「自分の知っていること以外は知らない」
と同じで、主観でしかモノを計れない。

「歳をとると強く出る」ってのは、
ある意味、反動?・・覚醒?・・濃縮?
いずれにせよ、あまり良い形では現れてくれない。
時には体調の不良にまで及び、
日常生活に支障をきたすこともある。

いや、良いとか悪いとかでなく、
逆に言えば、それが「個性」なのではないでしょうか?

誰しも青春時代って時期に、
学校や仕事や社会や家庭生活のの中で、
その事に気づかされ、打ちのめされ、
悩み、苦しみ、多かれ少なかれ、
それを無理に矯正して、なるべく
無個性でいることが、一番、楽チンなことを
学んで孤独になったりするが、
やはり、何処かでその歪を清算せねば
いけない時期も来るのだろう。

それが、中年という時期に、矯正してたものが、
何かの拍子で、身体の衰えと
一緒に迎えると、少し厄介な事になるのかもしれない。

そしてそれは、
もともと「持っているもの」なので、
簡単に切り捨てる訳にはいかない。
切り捨てて良いものでも無いような気がする。

自分と上手に付き合っていくしかない。

一種の超能力みたいなものだから、
上手くその力の使い方をコントロールしてゆくしかないのでは?

ただ、そこにひとりでも理解してくれる人がいてくれるか?
くれないか?って大きい。

「客観」が無くなった時が本当に辛いと思う。

時にそれは苦言に聞こえたとしても・・その人を大切にすべき。
失ってから気づいても遅い。

「誰かの為に・・何かの為に・・」

全てに於いて、そういう原動力って大事だと思う。

人は結局、ひとりだけど、決してひとりでは生きられない。

「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ 」


タイトルの引用は、
映画にもなったようですが、
本谷 有希子さんの小説です。

実はまだ読んでないけど、
TRに出演してたのを見てて、
ずっと、このタイトルにグッと痺れてます。

帰りにでも買って読もうっと。
読書の秋ももうすぐですな~。