como siempre 遊人庵的日常

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坂の上の雲 第2-2話「子規、逝く」

2010-12-12 23:13:58 | 「坂の上の雲」メモリーズ
 今週は、いままでが戦争に向かう国際情勢とか、戦争場面とか、軍艦とか騎兵隊とか、いわばマクロな話が中心だったのが、急にミクロな話中心の90分になります。
 わたしは、壮大な戦争物語っていうよりも、この、ミクロ視点の部分があってはじめて「坂の上の雲」の世界だと思ってるので、子規の病床周辺のミクロ世界の描写をスルーせず、ものすごく丁寧につくっているのに、なかとっても胸打たれました。だから、今週の子規の死も、なんか、ふつーの闘病ものとかと全く違う泣け方をしたんですよね。
 なんていうんですかね、ものすごく、生々しいんですよね。病床の辛さ苦しさ、病人の執着っぷりだとか。そういう、見るのが辛いようなものを、こまやかな日々の暮らしのいとなみや、四季折々の季節感で中和して、なんていうのかな、すごく濃密な生命感っていうんですか?ホントに、この人が生きている感じが、手で触れそうに生き生きしてるの。
 だから今週泣けちゃったのは、そういう、ささやかながら確かな人の営みが、まさに今そこで終わっていくのを見ているような、なんともいえない、切なくも生々しい実感だったりしました。
 というわけで、坂の上の雲、第2部第2話は、物語の主人公の一人、正岡子規のサヨナラ公演です。

 今週は、秋山真之少佐が、海軍大学校の戦術講座の初代教官になるところから始まります。生徒は現役の海軍士官ばっかりで、中には階級が上の鶴ちゃん@八代大佐なんかもいたりします。真之は、ジオラマなどを用いたオリジナルな授業で、教科書を使わず、学生が頭で考えて、臨機応変の戦術を立てる能力をつけるよう導くのですが…あの、好古あにさんのときもそうだけど、この明治日本の軍隊って、ホントに風通しがいいっていうか…。つくづく、良い時代だったんですね。若い士官に外国で最先端の戦術研究を積ませ、レポートを書かせ、その出来で、まだ30代で特に実績も無いいち少佐を、ポンッと海軍大学の戦術担当に抜擢する。めちゃくちゃフレキシブル
 まだ、あんまり変な派閥の根っこが入り組んでいない明治30年代だからできたことなんでしょうけど。とにかく、なりふり構わず向上することだけに必死だったんでしょう。(ところでこの海軍大学校の講堂もすごくきれい! ロケ地どこなんだろう)
 鶴ちゃんの思惑は、戦術講座だけじゃなくって、実は、淳さんをお見合いさせるって下心もあったんですね。海軍大学から、きれいどころの集まる華族女学校のパーティーに真之を連れ出した、是清先生と鶴ちゃんは、花も恥じらう麗しいお嬢様・稲生季子さまに淳さんをひきあわせます(石原さとみちゃん可愛いなあ)。
 季子お嬢様は、前もって聞かされてたみたいで、淳さんを目を合わせて「まあ…」とかいって、すごく初々しくはにかむのですが、なにも聞いてない淳さんは目が点状態。めちゃくちゃブッキラボーな態度をとって、お嬢様を引かせてしまいます。…って、まあベタなw。こういうのは、まちがっても原作にはなかったと思うけど、先週の「オルフェウスの窓」も、今週の「はいからさんが通る」も(爆)こーゆー少女漫画もまたよしです。たまにはホッとする、甘いお菓子のひとつまみも必要よ、ってことで。
 でも、家に帰ると淳さんは、お母さんと、兄嫁の多美さんと同居をしてて、内風呂がないんでお母さんをおぶって銭湯に行ったりしてるわけです。海軍大学校の若き教官とか、華族のお嬢様とのお見合いとか、そういう華麗な属性を取ったとこで、やっぱり淳さんは素朴な松山の淳さんのままなんですよね。そういう素顔が折に触れて見えるのも、いい演出。
 
 好古あにさんはなにをしているかというと、まだ大陸に出向中。北清事変が片付いても、居留民保護と称して列強は中国に居座り、治外法権の租界を建設しています。日本も張り合って、南京に日本租界を作っていて、その総司令官に任命されてたんですね。
 で、自慢の半裸を惜しげもなく披露して、租界の道普請のためにツルハシをふるうあにさんのとこに、あの袁世凱がセガレといっしょに訪ねてきます。李鴻章の死後、存在感を見せ付ける袁世凱は、日本を舐めて、中国から出て行け、租界をあけわたせとあにさんに迫るんですが、あにさんはガハハハ~と笑って、「明け渡したいところですが、列強の中では下っ端なので、残念ですがそーゆーことはできません」と明るくぶちまけて、袁世凱と酒の飲みっくらをおっぱじめます。さらにべろんべろんに酔っ払った状態で馬の駆け比べをして、思いっきり意気投合してしまうんですね。
 好古の、ごく自然な東洋豪傑ふうなところが、外国人に安心され、懐かれた…そうですが、これってようするに天然…(笑)。まあ、この天然すぎる性格に、中国のアバウトで大味な気風はめちゃくちゃ水が合ったってことなんでしょうけど。でも、これ事実なんですよね。すげーなー。昔はこんなすごい日本人がホントにいたんだよねえ。

 真之は、根岸の子規庵にお見舞いにいきます。子規は先週よりさらに痩せてしまって、声も力なく(ホントに香川さんってすごいよね…)、それでも、「あしはこのままでは死んでも死にきれんぞな」というわけです。
 痛くて痛くて、畳をのた打ち回っても、それでもリアルないい句がどんどん浮かんでくるんだ、だから死ねない、俳人正岡子規は発展途上でまだ完成されてない、完成した正岡子規はこんなものじゃないんだ、と切々訴える子規なのですが、その強烈な生命力…。ほとんど妄執にちかいような、ものすごい貪欲さ。これに言葉を失って、思わず「あしももっとデッカイ人間になって、ノボさんを追い抜いてやるぞね」という淳さんなのでした。
 なんかグッときちゃうわ、こういうとこに。淳さんは、海外を飛び回って、大学校で戦術の講義をするような人になっても、素朴に、ノボさんの後背を見ているつもりでいるんですよね。
 なんだろう、それ。生きる力の強さとか、生きる目的のまっすぐさ、高さ…、たぶん生き方すべてにおいて、淳さんは、ノボさんにくらべて自分はずっと後ろを歩いてる思っていたんでしょうね。
 こういうふたりの関係って、ホントにいいなあ…と思うんだけど。でも、結局これが最後のふたりの時間になってしまったんですね(涙)。
 で、淳さんが帰るときに律さんが送っていきます。ときどき、あにさんもう死んでええよ…と思ってしまう、といって淳さんの胸でさめざめ泣く律さんなのですが、これが切なかったな。なんか、少し前の、初々しい可愛らしい律さんを思い出してしまってねえ…。
 んー、なんか、このふたり、どうして結婚できなかったんだろうって、いまさら思ってしまうけど。どうしようもなく切なくて、抱き合うふたりを、神社で遊んでる子供が固まって見ているのが、なんかいい味出していたりして(笑)

 そして、月のきれいな9月の夜に、子規は亡くなってしまうんですけど、これはもうなんともいえなかったね。誰にも見取られずに、未明、ふと息を止めてしまったと。あにさん戻ってきてください…といって号泣する律さんがなんともいえなかったけど…。なんだろう、生き切った安らかさ、みたいなのが無い…かといって無念を残しているのでもない…なんかふしぎな味のある、子規の死でした。
 このあとのナレーションで、子規は明治というオプティミズムの時代に一番合致した性格だった、というんだけど、この人の死に、なにか「中断した」ような心残りがあるのは、そこじゃないかと思います。高揚していく、上って行く、時代の気分から、不自然に切断させてしまった…というんでしょうか? 
 真之は子規の死を、横須賀出張から帰る電車のなかで、乗り合わせた客の世間話を通して知るんですね。お葬式に、軍服ではなくて普段着の着物と袴で駆けつける淳さん。それって、昔の松山時代とか、大学予備門の下宿時代を彷彿させて、これもちょっと、グッときてしまった。

 で、ここで視点はミクロから、マクロのほうに振られます。
 日清戦争後の三国干渉で、せっかく手にした遼東半島を返還することになってしまい、国民は落胆していました。さらに、朝鮮という緩衝地帯にロシアが迫ってくることで、恐怖心が膨らんでくる。そこで、臥薪甞肝というのが流行語になってました。つらい貧困や窮乏に耐え、いつかロシアに報復する、欲しがりません勝つまでは、とその妄想は予想以上に国民に浸透してしまい、国としては、もうロシアと会戦しないと、和解なんかでは国民感情をコントロールできないところに来てしまってたんですね。
 そこで、内務大臣になった児玉源太郎が、那須で百姓をしている陸軍中将乃木稀典をたずねます。児玉は、すぐに乃木の復帰を切り出したりはしないんですが、四方山話をしてるうち、児玉が来ているときいた村長が、応召で入営するという村の若者をつれて訪ねて来て、激励のお言葉をたまわりたい、というわけです。
 軍トップのふたりのことを、神のようにあがめる村の人。その貧困っぷりと、臥薪甞肝がどんなに末端まで浸透してしまったかを実感してしまった乃木は、児玉の訪問の意図を無言で了解し、静子夫人に「もう百姓ごっこは終わりのようだな」と告げるわけですね。

 真之は、戦術のこととか考えすぎて胃をやんでしまい、入院してました。入院中の淳さんを、あの季子お嬢様が、桃をもってお見舞いにやってきます。
 可憐なお嬢様がお見舞いに来ても、応対があいかわらず無骨な淳さんなのですが、このお嬢様の微妙な天然っぷりがなにか琴線にふれ、そのうち心がほぐれてきて、会話が弾むようになります。っつっても、淳さんが一方的に、伊予水軍の戦術のこととか話しているだけなんですが
 で、こんなかみ合わない会話でも、傍からはイイカンジにみえるわけで、まあベタですが、ここに、やっぱり桃をもった律さんがお見舞いにやってくるんです。淳さんが花のようなお嬢さんとイイ感じでいるのを垣間見た律さんは、そっと黙って桃を置いて立ち去ります。
 後日、「あたしはこれから自分のために生きようと思います」と淳さんに宣言する律さんは、女子職業学校に通い、兄さんの束縛からも、この時代の女性への負担からも自由になって、のびのびと生きていこうというのでした。明治の女性が、自分のために生きる…ってこれは、決心するだけでも、かなり覚悟のいることだと思うけど。これはほんとに、彼女のために、よかったね…と思う。
 たぶん淳さんと安易にくっつくより、律さんの人生としては幸せだったんだろうな…。

 で、だいたい恋バナやなにかが一段落したところで、次週はいよいよ日露開戦。明治天皇も出てきます。御前会議も出てきます。
 といったところで、だんだん戦争モード一色になっていくけど、気分を盛り上げつつ、見ていきましょう。
 また来週! 


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