como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

「太平記」を見る。その16

2012-09-09 00:43:55 | 往年の名作を見る夕べ
第31話「尊氏叛く」

 関東に起こった北条残党の反乱「中先代の乱」の膨張に、足利軍は苦戦し、劣勢になり、ついに鎌倉を落とされてしまいます。
 もう一刻の猶予もならじと、尊氏(真田広之)は強行参内。後醍醐帝(片岡孝夫)にうったえたのは、反乱鎮圧のため自分に征夷大将軍の地位を与えてくれ、それで、武士に号令できる権限を持たせてほしいと、こういうことでした。
 後醍醐帝は、尊氏の苦境に深く同情します。鎌倉にはそちの子もいる妻もいる、身内の者も数多いる、すぐにでも駆けつけ助けたいだろう。その気持ちはよくわかるぞよ。…でもダメ。征夷大将軍も、京都を動くのも、どっちもダメ。
 この帝は、征夷大将軍の位を自分の息子のオモチャ代わりにホイホイくれてやるくせに、それがのどから手が出るほど欲しい武家の棟梁にはダメだという。ひどい話ですね。というのは、尊氏を征夷大将軍にして武家に自由に号令できる立場にしたら、あっというまに自前の幕府を作って第二の北条化してしまうから。
 しかも、「朕が治める国は六十余州、関東はそのうちのたった八州。たいした規模ではない」みたいなむちゃくちゃなことを言います。いざとなったら朕が自分で打って出て戦うから大丈夫だ!なんてヲイ…。
 これには高氏も呆れます。いえ、呆れは顔には出さないんだけど、おねがいですから戦みたいな3Kしごとは私ら武家にやらせてください。帝はこの世の誰よりも美しいお方ですから、御手をお汚しになりませぬよう…、と必死な尊氏に、帝はカッカッと笑って「尊氏は愚かよのう…」、朕は生身の人間じゃ!…と(この発言ちょっと当時物議をかもしたかもしれないね)。
 そして、心配しなくても、奥州の北畠に命じてあるから鎌倉の背後はバッチリだよ!などと、余計不安になるようなことを言うのでした。

 御所から脱力して帰ってきた尊氏は、すぐにも出陣といきり立つ師直(柄本明)たち家来にも、出陣はできないと告げます。
 しかもその夜のうちに、千種忠顕(本木雅弘)から、足利が挙兵したらすぐにも追討をだす、協力したものは同罪だからな!みたいな、脅しの回覧板が各武家に回っていたんですね。これを読んで楠木正成(武田鉄矢)なんかは、深く尊氏の苦境に同情するんだけど、同時に、このままで済むわけない、とも思うわけです。尊氏が立ったらまた大きな戦がおこる…と。
 尊氏はもう半分やけを起こして、家に引きこもってしまい、夏なので庭に水撒きしたりとか。くそ暑いぜ~やってられねーよもう、みたいな。
 そしたらその家の中では、師直以下の家来たちが、白拍子を引き入れ、キャバクラ状態で宴会をやってるわけです。なんなんだ、アタマおかしくなったんじゃないかお前ら?!と怒鳴り込んできた尊氏に、師直は、「弔いでございます」と。
 関東の戦では、足利家の名だたる武将たち、自分たちの身内や友人などを失い、こうしている間にもどんどん死に続けている。「方々の最期を看取ることもできず、野辺のおくりもできず、我らは都の片隅で、せめてお弔い仕るしか。酒でも飲んで南無阿弥陀仏と歌うておらねばやり切れませぬ」
 尊氏が言葉を失っているところに、さらに凶報が舞い込みます。相模で、足利軍が北条勢とぶつかり、大敗して、また有力な家臣がまとめて討死したというのですね。
 そこへ、諜報部長の一色右馬介(大地康雄)がもどってきます。直義(高嶋政伸)率いる足利軍は、登子(沢口靖子)と千寿王をとりあえず三河にむけて逃がしたけど、三河でもそんなに大軍がいるわけではなく、幾日も持たないだろう、と戦況を報告した右馬介は、帝が約束した奥州の援軍は期待できない、なぜなら、「北畠親房卿は、足利亡きあとの関東を、結城親光殿に任せてはどうかと、都の公家方に書状を出しておられる由…」と、衝撃的な報告をします。
 ようは公家が結託して、足利を孤立させ、滅ぼそうという動きもあるということですね。そういうことなら、帝の命令なんか無視してでも、自分の家を守らなきゃしょうがありません。
 尊氏はついに決意します。「明日、三河へ発つ。出陣じゃ!」
 その言葉を待っていた師直たち家来に、凛々しく号令を出すんですが、その前にお前ら顔を洗って来い、と。白拍子につけられたおしろいや口紅がベタベタついていたんですね(笑)。

 そんなところへ、佐々木道誉(陣内孝則)が突然訪ねてきます。なんと、バッチリ甲冑に身を固めたフル出陣支度。「足利殿がそろそろお立ちになるころかと思って」と。
 意外や道誉は、帝の命令なんかどうでもいい、どうせ乱を鎮めてしまえば事後承諾でどーにでもなるんだ、と楽観的なことをいい、近江佐々木勢を率いて尊氏に合力すると胸を叩きます。
「この判官はのう、足利殿に天下を取らせ、足利殿が疲れ果てたころ、隙を見てその天下を頂こうと思うておる。鎌倉を倒したときから、ずっと思うてきたのじゃ。それゆえ助けるほかにない」
 と、冗談か本心かわかんない大胆なことをいう道誉に、尊氏は苦笑して、
「御辺は…ばさらじゃのう」
 そして、しばらくぶりに声を出して、爽快に大笑いするのでした。

 こうして、尊氏は帝の命令を無視し、見切り発車で兵を挙げて出発します。しかも、足利に同情し公家に反感を持つたくさんの武家を引きつれて。
 なんてこった、すぐ追討だと騒ぐ千種忠顕とかを、帝は「捨て置け」と。朕は尊氏になんの権限も与えない。だから戦に勝っても恩賞が無い。尊氏について行った者にもなにもやるものがない。それでいいなら、すきなよーにすればいい…と。
 帝としては、これはこれで折衷案だったんだろうけど、意外とこれがあとになってきいてくるんですよね。尊氏叛く、というより、その助走という感じなんですが、この回は。

 尊氏の反乱は、またまた、末端にいる石(柳葉敏郎)のところに飛び火します。まあ、そーゆー運命の人なんだなこの人は(笑)。
 石が代官をやってる村にも、尊氏追討の戦のための特別税の徴収が回ってきて、しかも村の農夫を適当に、兵隊として出征させるといいます。ついにブチ切れた石は、抜刀し、「税を取るならオレの首を挿げ替えてからやれ!」と都の役人を脅し上げると、徴発された農民を解き放って、自らも逃亡を図るのでした…がっ!  
間の悪いことに、そこに、状況をわからない藤夜叉が飛び込んできて。石の背後に迫る抜刀した武者に、「石、あぶない!」と警告を発してしまいます。えっ?!と石が反射的に身をかわしたら、その刀はまっすぐに藤夜叉のとこに飛び込んできちゃって、バッサリ!と…
 なんつう酷いタイミングでしょうか。運が悪すぎるよね。追ってきた武者をブチ殺して、必死で藤夜叉をまもる石でしたが…

第32話「藤夜叉死す」

 これまで、何度も「宮沢りえちゃんがすばらしい」と言ってきましたが、この回でりえちゃんも退場です。
 思えば、アイドル女優として見え見えの人寄せキャストで登場したりえちゃんでしたけど、こんなに演技ができるとは、本人もまわりも思ってなかったのと違うかな。すなおな、でも情感のある、ひたむきさを感じるすばらしい演技だったと思います。
 ところでりえちゃんは、これが大河デビューだと思ってたけど、その2年前に「春日局」に出ていたんだね。「於初の少女時代」役で。これ、「江」のときに多少話題になったのかしら。春日局は初回しか見なかったし、江はあまりのバカバカしさに早々に退散したので、よく知らないのですが。
 まあその「少女時代」のことはわかんないけど、この「太平記」のときは18才か19才かですよね。調べたら、一世を風靡した「Santa Fe」が同じ年のことでした。なんか、人生的に転機むかえる年回りだったんでしょうか。
 さて、無駄話が長引きましたが、その藤夜叉は、前回公家の家来に斬られて重体に。手当てをした村の爺様は、「華陀の術」を持った名医でもないと命を助けられそうもない、といいます。華陀の術とは、宋国渡の医術みたいですね。そして、いま近くに足利軍が進軍中なので、もしかしたら軍医も帯同しているかもしれない…と。
 言われた石は、足利軍と聞いてちょっとひるむのですが、重体の藤夜叉が、「石、いままでありがとう…。兄妹のつもりでいたけど、ほんとは石とずっと一緒にいたかったの」とかいうので、もう男心にもググッときてしまい、藤夜叉のためなら!と奮い立ちます。
 そして自慢の俊足で、足利軍の野営地に走る石。不審者として拘束されますが、タイミングのよいことに、石が「足利尊氏に会わせろ」とか騒いでいるところに、居合わせたのが一色右馬介だったのですね。
 藤夜叉をずっと見守ってきた右馬介は、その知らせに衝撃を受け、すぐに尊氏に知らせます。

 ほんとなら大将がフラフラ出かけてる場合ではないのですが、こういう非常時なので、尊氏は覚悟を決めて、右馬介を供に陣営を出て、藤夜叉のもとに向かいます。
 そして藤夜叉と尊氏の最期の邂逅。というか、いままでも2回くらいあっているんですけど、いずれの場合も「他人のふり」でした。ですが、このときばかりは、鎌倉での別れいらいはじめて、「藤夜叉」「お殿様」と呼び合います。
 自分の目がとどかなかった、こんなことになって申し訳ないと詫びる尊氏に、藤夜叉は、「お殿様は良い田畑をくださいました。お陰様でうまれてはじめて、ゆっくり暮らすことができました」と感謝します。そして、「良い世を作ってください。田畑を耕して、ゆっくり暮らせる世の中を…」といって、あーずーまーよーりーー…、という、尊氏との出会いだった白拍子の歌を歌いながら昏睡に落ちます。
 ここで、ずっと好きでしたとか、お会いしたかったとか、藤夜叉はひとことも言わないところが、なんというか、いいですよね。藤夜叉にとって尊氏とのことは、ほんとに「終わったこと」になってたんだな。むしろそのあと、不知哉丸を育てて、石と一緒に暮らした生活のほうが、ずっと実感あったんだろうね。
 そして尊氏は、瀕死の藤夜叉を残し、陣営に戻っていくのですが、去り際、不知哉丸に、「母上の側を離れるな、大将の命じゃ」といい、これを守りに、と、手のひらサイズの仏像を手渡します。それは、母の清子さん(藤村志保)が、鎌倉から謀叛覚悟の出陣をする尊氏に、「せめて闇夜に灯りが欲しいときに」と呉れたものでした。

 そして尊氏は足利軍と進軍をつづけ、三河の矢矧で、直義と登子(沢口靖子)に再会します。5才になった千寿王に、「千寿王どの、父の留守中、よう足利軍をお守りくだされた。礼を申し上げる」と、きちんと武将としての礼をつくす尊氏。登子には、「苦労を掛けた…」といい、藤夜叉のことで思うところもあるので、登子が訝るくらい、じっと、せつない目で妻を見つめたりします。
 直義は、面目次第もないと低頭するのですが、とにかく一日もはやく鎌倉を奪還するため、軍議を開くと、戦モードに切り替える尊氏。ですが、尊氏を、佐々木道誉が呼び止めて、人払いし、こう言うのですね。
「噂を耳にした。大塔宮護良親王を、鎌倉が落ちるどさくさにご舎弟が害し奉ったと」。それが本当なら、自分たちもこの戦は相応の覚悟をしなくてはならない、と。尊氏は、衝撃を受け、すぐに直義を呼んで「護良親王はいずこにおわす」と問いただします。
「宮は、鎌倉を捨てる折、害し奉りました」と、苦しげに、でもはっきり答える直義。鎌倉陥落の混乱のなか、連れて出てくる余裕がなかった。でも置き去りにすれば、北条に担がれて敵の旗印になるのは必定で、やむを得なかった、と。帝も見捨て給うた皇子様ではあり…という直義を、尊氏は「なんということを!」と平手打ち。「帝にとってはどこまでもわが子ぞ!帝のお嘆きを思うてみよ!」…って、いや、そのリアクション、ちょっとズレてる感じがするけど…尊氏……。
 この期に及んで、都へ帰って帝にどう申し開きをすればよいのじゃ!とかいう尊氏に、直義はブチ切れ、
「都へお帰りにならねばよろしいのです!!」
 もう帝の政は終わっている。領地を奪われた諸国の武士の不満、重税を課された農民の不満も限界だ。そんなものは見限って、都と縁を切り、源氏の棟梁たる兄上が幕府を開いて新しい政をはじめればよい。「判官殿もそのおつもりで我らに参陣なされたはずじゃ」
 と、言い放って直義が出て行ったあと、尊氏はがっくり腰をおとし、道誉は、脱力して、ハハハハハハ……と自嘲的にわらいます。「都がどんどん遠くなる…おのれが選んだ道じゃがのう。縁が切れるとなると、都も妙に恋しゅうなる
「わしがおなじ立場なら、直義どのとおなじことをしたやもしれん。みな、思うておることはおなじじゃ。それゆえ、これだけの大軍が御辺についてきた」
 もう、さっさと鎌倉を取り返して幕府でもなんでも開いて、新しいよい世をつくるのじゃ、とふざけ半分にカカカと笑う道誉でしたが、尊氏は、がく然と、もう退路のない道に踏み込んだことを悟るのでした…。

…いや、がく然と悟るのはいいんだけど、前にも書きましたように、この、尊氏の「本人の意思に反し」的な展開が、やっぱりたまに「んっ?」と思っちゃうんだよね。主役を綺麗にしすぎじゃないだろうか。
 でも、まあ、これも前に書いたけど、足利尊氏本人の「日本史上のヒール」としての役割と相殺すれば、まあぎりぎりの線でオッケーかもしれない。これ以上だと鼻についてしまいますけどね。むしろここでは、開き直って極道に自ら落ちる直義とか、巧妙に尊氏を操作してそっちの道に誘導しながら、いよいよ謀叛となって微妙に武者震いする道誉の心境とか、そっちのほうが魅力的です。
 ともあれ、開き直った足利軍は、破竹の勢いで連戦連勝、旧北条軍の砦を各個撃破しつつ、またたくまに鎌倉に迫ります。
 そんな連戦の旅の野営の夜。仮眠している尊氏のところに、右馬介がもどってきて、急報を告げます。
「藤夜叉どの、手当のかいなく……」
 といって、嗚咽する右馬介。そう、右馬介にも、藤夜叉が、好きってわけじゃないでしょうが、ずっと見守ってきた親心っていうか、思いがあったのでしょうね。
 そして尊氏の脳裏に、宮沢りえちゃんの思い出回想プレイバック。頭リボンの美少女白拍子で登場した時からみると、たしかに、目を見張るような成長ぶりですよね。すごいなあ短期間に。やっぱり、なにか開花したとしか思えませんよね。


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