como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

「独眼竜政宗」を見る!(1)

2009-02-11 23:48:05 | 往年の名作を見る夕べ
 さて、これからしばらく、昭和の大河ドラマの名作「独眼竜政宗」を見る企画を催したいとおもいます。
 1987年の作品で、今から22年前。歴代大河ドラマの最高視聴率をたたき出し、今もって記録は破られない、この大河史上の傑作は、今年の大河「天地人」と同時代で、リンクするところも多いのはご存知のとおりです。。
 そんなわけで、大河ドラマとは本来どうあるべきか、わたしたちはどのような大河ドラマを求めているのか?ということも、考察するよすがになればと思います。
…なーんて大げさですが(笑)。ようは、大河ドラマらしい大河ドラマを見たい!という欲求不満に耐えられなかっただけです。
 ご覧になった方は、若かりしあのころをを思い出しながら、お付き合いいただければ幸いでございます。

独眼竜政宗 (全50回)
1987(昭和62)年NHK大河ドラマ 
原作/山岡荘八『伊達政宗』
脚本/ ジェームス三木
音楽/ 池辺晋一郎
語り/ 葛西聖司アナウンサー


第1話「誕生」

 主人公の伊達政宗が誕生する前からのお話。米沢城主・伊達輝宗(北大路欣也)のもとに、隣国の山形城主・最上家のむすめ義姫(岩下志麻)が嫁いでくるところから話が始まります。
 昔の大河ドラマは、いちいち名前がクレジットされませんので、名前を覚えるのがちょっと厄介です。20年前はこれが当たり前だったんですよね~。なんだか偏差値が高い感じがします。いまじゃ毎回毎回名前のクレジットが出るのが当たり前。いつのまにか日本人は知的に退行したんだな…。
 さて、義姫さまはたいへんな男勝りの姫君で、花嫁行列に乱入して暴れまわるイノシシを、「華麗なる一族」みたいに(笑)、女だてらに弓をひいて退治してしまったりするわけです(「暴れ馬」ネタとの違いを見よ)。そんな彼女も戦国の世の常で、最上家と伊達家の「安全保障」として嫁いできたのですが、あまりヘンな悲壮感はもってません。姫をむかえる伊達輝宗も豪快な若殿であり、「伊達の女になるつもりで来たのか、人質として来たのか」と真正面から訪ねるわけです。人質になるつもりなら殿のみしるしを頂いてしまう、伊達の女になったら実家の最上を敵に回すのも厭いません、と言い切る義姫を輝宗さまはいたく気に入りました。
 北大路さんも若々しくてかっこいいですが、岩下さんがとてもキレイ。花嫁さんのシーンは、白塗りのビジュアルにキビしいものがありましたが…(笑)。とにかく、ヘンな作り声や大げさな芝居をしなくても自然に気品や迫力がにじみ出る。すてきです。
 そんなふたりは似合いの仲むつまじい夫婦になり、義姫は「お東の方」と改名して、いよいよ待望の世継ぎが生まれるのです…が、これが去年の篤姫みたいに(笑)、お東の方の夢枕に謎の僧が立って、「そなたの腹を借りてこの世に生まれ出たい」とか言うわけですね。そうして生まれた男の子は「梵天丸」と名づけられます。
 この梵天丸が、伝説の子役・藤間遼太君なのですが、いわゆる美少年じゃないんですけど、垂れ目とポカン口で全体的にポヤ~ンとしてて、えもいわれないいい味をだしている子です(笑)。
 義姫の実家・最上家では、嫡男で義姫の兄の最上義光(原田芳雄)が乱暴者で、父親や弟とうまくいかず、家臣も分裂してお家騒動になりかけてます。それを仲裁するべく、お東の方が里帰りしている間に、梵天丸は疱瘡にかかり、生死のさかいをさまよいます。
 これで輝宗とお東の方の夫婦に亀裂がはいります。なんとか命をとりとめた梵天丸も、病気のために左目を失明という不幸に見舞われてしまい、両親の仲も修復不可能に。そこへ、梵天丸の守役として、喜多という若い美人(竹下景子)が採用されて、ますます陰険な雲行きに…。
…ザッとこんな感じですが、いや~、むかしの大河ドラマの第1回って、実にシンプルですよねえ。渡辺謙もぜんぜん登場しないし、サービス顔見せ小芝居みたいなのもない。これで第1回、シッカリ見せるんですから。今みたいにやたらてんこ盛りのサービスにするのも、はたしていいのか悪いのか。
 あと、セリフの言葉遣いがあきらかに今より偏差値が高いです。うまくいえないですけど…日本語として高度。脚本家の教養も違うのでしょうが、役者さんの演技術(演技力じゃなくて技術。呼吸法、肺活量、滑舌など)も今とは格段の違いなんですよね。このあたりも、20年でジワジワ退行してきてんだなと、危機感をあらたにするところですね。


第2話 「不動明王」

 第1話で左目を失明してしまった梵天丸(藤間遼太)ですが、加持祈祷の最中に、担当の山伏が、やはり隻眼だった伝説の高僧が護摩の炎の中に現れるのを見たといい、高僧の生まれ替わりで有難い子とのウワサが広まります。お父ちゃんの輝宗様(北大路欣也)は喜んで、熱血教育パパと化し、梵天丸のためならお金に糸目をつけず、天下一の高僧を家庭教師として招聘する!ということになます。で、えらばれたのは、虎哉和尚(大滝修治)という名僧でしたが、この和尚さんは、武将を育てるのは基本的に仏道と相容れないと思っていて、申し出をすげなく拒絶します。
 梵天丸は自分の顔に深いコンプレックスを持っていて、ときどき意味なくニワトリなどを苛めたり、屈折した子になってるのですが、その屈折ぐあいをあのポカーン顔の子役がなんともいえず上手く演じてて、実にもう味があるのです。で、ある日喜多につれられてお寺におまいりした梵天丸は、不動明王の像にむかって、「仏様なのに何故こんなに醜いのか」と素朴な疑問を口にします。それに答えて、「不動明王は悪を懲らし衆生を救うために醜い顔をしている、本当はやさしいのだ!」と教えてくれたのが、虎哉和尚でした。
 そこで、不動明王をジーッとみつめた梵天丸から、あの伝説の名セリフが飛び出します。「梵天丸も、かく、ありたい」。
 この名セリフに感動した和尚様が梵天丸の家庭教師を引き受けることになりました。やでうでしや、これで梵天丸の未来は安泰ぢゃ!ということで、ご学友も選抜されます。そのあたりは、ことしの大河ドラマと似た展開ですね。
 ご学友に選ばれたのは、喜多の弟の片倉小十郎、守役の鬼庭佐月(いかりや長介)の息子と、輝宗の甥っ子の時宗丸などで、さっそく寺にいれられ、親睦をふかめるため合宿の日々となります。で、今年の大河と似てるけど、このときの和尚さんもやっぱりラフな人で、合宿といってもお小姓達を教育するのが主で、肝心の梵天丸様はそこらへんの屋外に解き放って好きなように遊ばせてるわけです。
 そういう教育方針に疑問をもったお東の方(岩下志麻)は、梵天丸は手元において自分の思うように育てたいと輝宗に申し出ますが、相手にされません。ぎゃくに輝宗さまは、跡継ぎが梵天丸だけだと家臣が不安がり、叔父やいとこを担いで謀反を企む者が出ないとも限らないとか言い出します。お東の方は気分を害し、「側室でも愛人でもご存分になさればよいではないですか」とソッポを向きますが、輝宗さまは、そうではない、子供の10人でも20人でも、お前一人に産ませたいのだと。ムチャなことを言うもんですが、お東の方はこれでメロメロになり、当時でいう不妊治療、子宝祈願の加持祈祷にあけくれます。
 いっぽう梵天丸のほうは、だんだん、潰れたほうの目がケロイド状になったかなんかして、見た目が悪くなってきます。ある日遊んでいた拍子に時宗丸がそれを見てしまい、ダーッと引いて逃げ出してしまった…という出来事にショックをうけて、しばらく欝っぽくなっていた梵天丸は、ある雪の日、意を決して、じぶんで左目を突いて抉り出そうとするんですね。
 で、その目を梵天丸にかわって摘出(!!)してあげたのが、小姓の小十郎で、そこで無二の主従の絆ができるというわけなんですが、いやー、このへんの描写、なんつうか凄い。雪の日に家出とか、おんぶして家に帰るとか、北斗七星のなんたらどころの話じゃないですね。(笑)。
 しかも、そんなすごい流血沙汰を見守りながら「あの梵天丸が、自分で自分の道を切り開こうとしたのだ!」とか言って感慨無量のお父様。つくづく、イマドキの大河ドラマのヘナチョコなお父上たちとは器量がちがうわと思っちゃいますねえ。
 
(つづきます)


11 コメント

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こんにちはです (ikasama4)
2009-02-12 12:37:17
奇遇ですねぇ

実は今度、この政宗とかを描いてみようと
先日ヤフオクで大河ドラマストーリー2冊を購入したとこなんです。

22年前の大河ドラマストーリーも今のと比べると
古風でなかなかに味わいがあります。

近いうちに政宗&成実&重綱の三人は確実に描いてみる予定です。
今年の大河の登場人物を描いてみる気力がなくなったってのもあるんですけど(爆)

もう今年の大河の流行語は気分的に
「わしはこんなドラマ、見とうはなかった」
みたいな感じなので(苦笑)

そんでもって渡瀬&草刈さんが出てた
「真田太平記」も探してるとこなんですがこちらは全く見つかりません(汗)


今日の大河のセリフの言葉遣いについては
おそらく視聴者にも分かりやすいように迎合していった結果なんでしょう。


たしか、この頃の渡辺謙さんは無名に近い状態で
脇を固める役者さんが有名だったというのもあって

主人公の登場を結構後にして
政宗の幼少時代をしっかり描く事で、彼の境遇と
そんな彼を周囲はどう見ていたのかという事を見せていこうと

今みたいにカッコいい役者さんを軸にして
幼少時代をはしょるようにしてその役者さんの登場シーンを
出来る限り増やすような作りではなかったって事でしょうかね。
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私も一から見直したいです! (ちィ)
2009-02-12 17:54:19
うわぁ!ホントに『独眼竜政宗』再視聴始めたんですか!?庵主様の行動力には頭が下がります。
私は年齢的なこともあってか『独眼竜』以前の大河の記憶がないくらいで、初めて意識して見た大河が『独眼竜政宗』であり、あれがキョーレツに面白かったために自分の大河の基本&最高峰は常に『政宗』です(昔のことなので記憶の中で美化されている感は否めないですが)。なので、常々『独眼竜政宗』を再視聴したいと思ってましたし、数年前に年末かなんだかに総集編を放送した時にはとりあえず保存しとけ!ってことでビデオにしっかり収めました。
確か、最近になってようやく完全版のDVDが出たんですよね?今更…と思いつつ、いつも心のどかで「欲しいなぁ…」と思ってたりします。

渡辺謙さんはアレ以来大好きな俳優さんですし、北大路欣也さんと岩下志麻さんの両親もすごーく印象に残ってますね。お志麻さん、子供心に怖かったな~(笑)。
あの頃の渡辺謙さんが27、8歳だったようですが、自分が子供だったせいもあるでしょうが、昔はもっと年上の大人って感じがして見ていましたね。しかも、今の妻夫木君とほぼ同じですよね。…とても同じ年とは思えない、風格や存在感を感じるなぁ。まぁ、妻夫木君も演技は上手いと思ってますが。
梵天丸の子も顔も名前も覚えてないですが、「梵天丸もかくありたい」の台詞だけは、今でも耳に残ってる気がします。

知的退行と言えなくもないかもしれませんが、でも役名表示は便利ですよね。今更この人の役名表示しなくても…ってのも多々ありますが(汗)。
でも、台詞の言葉遣いや役者さんの演技術のレベルは、よく分かる気がします。以前、『利家とまつ』での松平健(柴田勝家)を見ながら、時代劇役者らしいどっしりとした声(腹式呼吸が出来ていてお腹から声が発せられている)や台詞回し、また立ち居振る舞いや着物を着た姿などにもハッキリとした違いを感じ、役者としてのレベルを再認識しました(松平健は決して好きだった訳ではないのですが)。『功名が辻』の時の三津五郎さん@明智光秀も立ち居振る舞い(特に着座の時の姿勢など)に美しさがあって、伝統芸能の方は素晴らしいなぁ…と思ったものです。こーいうのって別に演技とかに詳しくなくても視聴者に伝わるものですよね。大河に出る若い役者さんはこーいう方達から是非、色々と学んで欲しいものです。
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子役篇 (庵主)
2009-02-12 22:12:36
ikasama4さん

「真田太平記」のビデオは、上田市の池波正太郎・真田太平記館で販売されているのをみたので、出ていることは出てるおもうのですが、DVDは無かったかもしれません。でも、あのドラマ名作なので、是非DVD化してほしいですよね!

>「わしはこんなドラマ、見とうはなかった」

それは全国の大河ドラマウォッチャーのココロのさけびだと思います(笑)。

>今日の大河のセリフの言葉遣いについては
おそらく視聴者にも分かりやすいように迎合していった結果

ですよね、それとイマ時の若い役者さんのほうも、22年前のような大河のせりふを、噛まずによどみなく、息継ぎも余裕を持ってこなすのは無理かもしれないと、情けないことを考えてしまいます。
退化…とは考えたくないですが。

「政宗」のころはたっぷり2か月分くらい子役篇なので、周辺諸国の状況とかもよくわかります。本役が活躍するようになってからがむしろ解りやすいように出来ている思いました。
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同い年…。 (庵主)
2009-02-12 22:19:20
ちィさん

最初にかじりついてみた大河って、強烈に印象に残るもんですね。わたしの場合は昭和53年の「獅子の時代」。最高でした。

>しかも、今の妻夫木君とほぼ同じですよね

そこなんです…。
どのあたりがどう違うのか、これからじっくり検証してみたいとおもうけど、妻夫木君にも悪いような気がするし(笑)。

>大河に出る若い役者さんはこーいう方達から是非、色々と学んで欲しい

それをわたしも切望してますし、そうでないと大河ドラマはダメになってしまうと思うんですよ。
大河ドラマって、役者さんが「出させていただく」って表現する、珍しいドラマだとおもうので、そのステータスというか、良い意味でのとっつき難さはぜひ維持してほしいし、若い人のレベルに安易に引き下げて欲しくないですね。

…と、ことしの大河を見てると切実な危機感を感じるのは私だけかしら…?

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藤間勘十郎さんの若き日♪ (はなはな)
2009-02-13 09:42:48
はじめて書き込ませていただきます。
昨年から爆笑に次ぐ爆笑と、放送を見なくても十分堪能できるということで♪愛読させていただいておりますです。
今後ともよろしくお願いいたします。

さて、なつかしの独眼竜政宗ですが、あの梵天ちゃんは、いまや藤間流のお家元・藤間勘十郎さんでございます。能楽師・梅若玄祥(六郎)の息子さんでもありまする。血は争えないですね~♪
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チェックしちゃった。 (庵主)
2009-02-13 21:48:13
はなはなさん

ようこそいらっしゃいました。コメントありがとうございます。
かねてご愛読いただいていたとのこと、感謝でございます。

>あの梵天ちゃんは、いまや藤間流のお家元・藤間勘十郎さん

おおーー!
知らなかった、そうだったのですか!! いや、名前からきっとそちら方面の血筋のお子だろうなとは思ってましたが…そうですかそうですか。思わず藤間流のHPをチェックしてしまいましたが(笑)、おお、ホント、お顔には今に至るもあの梵天丸のおもかげがアリアリと。

梵天ちゃんは、イマドキの達者な子役みたいじゃなく、こどもが大声で作文読んでいるみたいな天然の演技がものすごく絶妙でした(笑)。かわいかった~。

こちらこそ、これからもよろしくお願いしますです。
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いたみいりまする (はなはな)
2009-02-14 02:58:32
いえいえこちらこそ、突然唐突な話題を書き込んじゃって失礼致しました。ご挨拶、いたみ入ります。
「政宗」確かに迫力がありました。
細かいところはほとんど覚えていませんが、時代劇の流儀というものをきちんとわきまえつつ、新しい試みをいたるところにちりばめていて、新鮮に感じながら見ていた記憶があります。

私の大河初体験は、「元禄太平記」でございます(たぶん庵主さまと同い年なのですが、なぜか大河だけは早かった…)
石坂浩二の柳沢吉保、江守徹の大石内蔵助にはかなりヤラレました。「風と雲と虹と」「草燃える」「黄金の日々」ときて、最高傑作は庵主さまも感銘を受けられた「花神」だと思っております。すさまじい作品でしたね。昨年の井伊直弼を見ながら、「パパそっくりだね♪キミもいい役者だ」としみじみ思いつつ、「おそれオソレ恐れ入り奉りまするぅ」では大爆笑でしたが。
当時のNHKの時代劇はほとんど見ていたと思うのですが、作り手の教養とか覚悟とか意気込みとか、そういうものが全然違うように思われます。NHKアーカイブスのサイトで当時の作り手のインタビューを時々読んでいますが、かなりの入れ込みようです。
役者さんたちも映画や舞台出身の方々が多くて、その点もすばらしかったのでしょう。殺陣も美しかったですね。

「天地人」はもう録画もやめちゃって(仕事が土日なもので)たまに休みでも見ていません。庵主さまだけが頼り(笑)今年も最後までついて行きますので、どうぞへこたれないで(笑)たまには、過去の大河でリフレッシュしつつ、どうぞよろしくお願いいたします。
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名作ぞろいでしたね。 (庵主)
2009-02-14 22:35:47
はなはなさん

>時代劇の流儀というものをきちんとわきまえつつ、新しい試みをいたるところにちりばめて

そう、そうだったんですよね。
わたしもあらためて見ながら、そうだ、これって当時けっこう斬新で、いろいろビックリしてたんだわと楽しく思い出してました。

わたしも「花神」は凄い作品だと思います…が、リアルタイムでみたことはあんまり覚えてなくて…(汗)。以下、「黄金の日日」「草燃える」あたりもボンヤリしてて、ほんとに覚醒したのは「獅子の時代」からでした。「おんな太閤記」はイマイチでしたが、「峠の群像」「徳川家康」…と、かなりマジに見ました。
「山河燃ゆ」も真剣に見ましたが、そのあとの「いのち」がダメで、「春の波濤」もイマイチで…と、自分的にも世間的も大河ドラマが低迷したときに、救世主のようにあらわれて一世を風靡したのが「政宗」だったと記憶してます。

ことしのは早くもメゲそうになっている方が多いやにお見受けしますが…まあ、それもツッコミどころと思って(笑)。楽しくレビュー続けていきたいとおもってます。
悪い意味で歴史にのこる大河ドラマかもしれないし…(笑)。
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第1話見ましたッ (レビュ丸)
2009-02-14 23:56:31
庵主様こんばんは。早く追いつかなくては!!と思っているのですが、取り急ぎツタヤでDVDをレンタルし、第1話を見終わりましたので、遅ればせながらコメントさせて頂きます。

今から22年前の大河ドラマということもあり、北大路さん、岩下さん、さすがに今よりもだいぶ若い!!という印象でしたが、非常にキビキビとしており、かつテンポも良く、拡大版ということを忘れさせるくらい楽しめました。レビュ丸は当時中3でしたが、確か初回だけは見たような記憶があったのですが、今こうして見ると全く覚えておりませんでした(笑)。
それにしても、22年後に改めて見た初回、思えばずっと背筋を伸ばし、緊張しながら見ておりました。アグビでもしようものなら、若き北大路さん、原田芳雄さんらに一喝されそうなほど、強烈な緊張感が画面から伝わってきました。セリフまわしも、庵主さんが言われるように今よりも偏差値が高い!! 変に「現代チック」にアレンジされていないところが、逆に「緊張感」や「厳しさ」というものを見る者に印象づけるのではないかと思いました。また、米沢と山形の関係、あるいは米沢と相馬の関係など、時代的・地理的に“小難しい”部分があるものの、特別な解説なしでバンバン飛ばしてゆくあたり、「ついて来れるものならついて来い!!」と言わんばかりの勢いで、妙に冗長になったり、視聴者に媚びようとしたりしない(ように感じた)姿勢も、好感が持てました。

初回を見て最も感じたことは、主人公をめぐる両親の愛情表現が現在の大河ドラマよりも格段に直接的で、かつ厳しい―――ということでした。疱瘡を患って苦しむ梵天丸を前に、「わたくしが添い寝をしておれば、このようなことにはなりませぬ」と母が言えば、「しからば己の命を梵天に与えよ!」と父・輝宗。今ではこんなセリフを吐く親はいないと思いますが、要はこれってひと昔前の理想の両親像を反映しているのではないか・・・と感じました。だからこそ、ドラマを見ていて緊張もし、そして感情移入もしやすいのかも知れません。優しいだけが取り柄の今どきの親の姿を反映してか、最近の大河に登場する親は、皆一様に優しく、そして弱くなっているようにも感じました。

・・・というわけで庵主様、長文失礼しました。第2話の感想も追っかけ書き込ませて頂きますので、災難に遭ったと思い、お許し下さいませ。

追伸:NHKの『真田太平記』は全話DVD化されており、Amazonなどでも手に入りますヨ。実は以前レビュ丸も大枚をはたいて揃えたのですが、最近ツタヤでレンタルされているのを見かけてガックリ・・・(涙)。
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第2話見ましたッ (レビュ丸)
2009-02-15 15:37:54
庵主様こんにちは。初回に引き続き書き込ませて頂きます。

当時流行語となった「梵天丸も、かくありたい」の回でしたね。確かあのあと、渡辺謙さんが大画面テレビのCMに出演され、「テレビは、でっかくありたい」(確かこんなだった)とのキャッチコピーを宣伝されていたのを思い出しました。その“もと”となった場面、実は今回が初見だったのですが、ポカーン顔の子役の言葉とともに流れる、池辺晋一郎さん独特のシンプルかつ重厚な音楽が非常に印象的でした。片目を失ったということ、「自分は醜い」というコンプレックスを抱いたということ、5歳の少年にしてはあまりにも過酷でドラマチックだからこそ、容易に感情移入することが出来るのでしょうか。ハンデに目をそむけずに描き出そうという作り手の姿勢も、非常に真摯であるような印象を受けました。不動明王にじっと手を合わせる梵天丸を見守る、慈愛に満ちた虎哉和尚の表情も良かったです。

この虎哉宗乙という人物、ドラマによれば甲斐・恵林寺の住持で、「心頭滅却すれば・・・」で有名な快川紹喜門下の逸材ということだったのですね。以前恵林寺へ行ったことがあるので、「こんなところにも繋がりがあった!」と、親近感が湧きました。

いかりや長介さんの鬼庭左月もいい味出してる!! 虎哉和尚に一喝されてずっこける場面、さも“ずっこけ慣れ”している演技を見せてくれて、「さすがだ・・・」と思わず唸ってしまいました(笑)。
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