como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

新選組血風録 第1話「虎徹」

2011-04-10 21:03:16 | 過去作倉庫11~14
 大河ドラマ「江」が、あまりにもどうしようもなく、先の期待も持てないので、「こういう時こそ裏大河を!」と提唱したのが、早くも形になりました。
 いやー、危機感をもってないわけじゃなかったんですね、NHK。従来の大河ドラマ・時代ドラマ好きが、「江」をみて、とりあえず1年間あれで満足できるかっていうと、そんなはずはない…遅かれ早かれ、受信料不払いなどの具体的な形をとって反響が押し寄せるに違いない。といってもこれが企画されたころには江の放送始まってなかったはず…ってことは、あるていど「江」の先行きに放映前から見切りをつけてはいたんだよな、NHK。
とりあえず、企画GJ!!

 ってなことで始まりました、「新選組血風録」
 先週、江レビューで涙ながらに申しましたように、第一回の録画失敗し、1週遅れでレビューしています。土曜日に再放送してくれるという心遣いがまた、憎いではないか~。
 っつか、これ完全に表大河の「江」にぶつけてね? 放送時間も、45分という尺も、どう考えても裏大河扱いだよね?
 いや、もう、そのように決めます。「新選組血風録」および継続の、日曜BS時代劇を、当庵では「2011裏大河」と見做し、力いっぱい応援していきたいと思います。

 さて、新選組血風録なんですが、表大河に比べてOPなどの趣向が格段に地味…というか予算かかってねえ…ってな涙ぐましい感じも、また裏大河の味なんですね。第一回のOPのショボイ地味な絵づくりに、宮本武蔵・真田太平記・武蔵坊弁慶を懐かしく思い出されたかたも多いのではないでしょうか。
 そして演出は、お待ちしてました清水一彦Dです!これは、絶対来るわなと思ったとおりです。一部のマニアックなファンは狂喜したことと思います。
 ただ、清水Dが新選組ものを演出するとなると…どうしても免れないのが、2004年の大河「新選組!」との相似ですね。じっさい、EDクレジットの、町屋の格子のむこうをコラージュ風の新選組隊員が走ってゆく、みたいな絵なんか、もろ「新選組!」のまんまで、うはっと吹いたのはわたしだけじゃないと思います。
 そんなわけで、これはもう「新選組!」とは別物だと無理やり言い聞かせたり、似ている点に目くじらたてたり一切しないで、ほぼ地続きの作品である、と考えて見たほうが楽しめるのではないでしょうか。

 第1話「虎徹」

 第一話ということで、お話は、明治二年の五稜郭、今まさに死の突撃に出ようとしている土方歳三の回想…という設定で始まります。
 この土方歳三(永井大)が、衣装・髪型・喋り方や雰囲気、もろ「新選組!」の山本耕史をコピーしてて、なんかこう、五稜郭祭の土方歳三コンテストに出た人みたいでした。
 いや、いっそ潔いよ。むりして違うことせんでも、わりきって、思い切り良くコピーする。で、以後どのように土方のキャラ展開をしていくかは、役者当人の創意にかかっているわけですからね。
 なので、この冒頭の土方歳三コンテストから、独自の血肉をつけて土方歳三にしていくからな!とゆー、一種の熱い決意表明のようなものが…まあ…見ようと思えば見えました。すごく希望的観測しれませんが。

 この第1話(拡大版)は、司馬遼太郎作・新選組血風録の原作では「虎徹」と、「芹沢鴨の暗殺」の一部を底本にしているようです。
 原作の血風録はオムニバス方式の短編集ですが、そこを時系列でならべると「虎徹」「芹沢鴨…」がトップにくることになります。大昔のドラマ「新選組血風録」の第一話サブタイも「虎徹という名の剣」でした(わたしは生まれてないので見てません)。
「芹沢鴨…」のほうは、第1話では、土方歳三の芹沢への殺意の芽生え、お梅事件、くらいを拾っただけですが、「虎徹」のほうはまるっととりあげてますね。そのあたり、原作とつきあわせて見てみると、今回のドラマ「血風録」が目指すところがなんとなく見えてくる気がするので、今週はあえて原作を一緒に読んでみます。
 原作と違うから悪いとか、そういう意味ではないので、そこらへんご理解のほどよろしく。

 反り浅く、肉厚く、刃紋が大みだれにみだれ、いかにも朴強な感じがするなかに、骨を噛みそうな凄みがある。というより、その凄みを、外見の朴訥さで必死に押しつつんでいる景色は、どこか近藤という男に似通っている。
「気に入った」
 近藤は鞘におさめ、伊助の要求する二十両をあたえた。


 この辺ですが、けっこう、この描写に近い感じの近藤勇が出てきましたですね。そこはうれしかったです。
 ドラマでは、近藤はこの虎徹を最初から贋物だとわかっていて、だけど俺が気に入ったから虎徹なんだ、俺がこの刀を虎徹するんだ、という、一種の決意表明みたいなことで語られます。そのあたりは、「新選組!」もそうでした。
 
 原作だと、この虎徹の真贋をめぐる悶着が、わりと喜劇的に描かれてて、近藤という男の凄みとか迫力と同時に、若干俗物なとこも描かれてます。
 
「斎藤君も、そう心得てくれ。すでに隊中でわしの虎徹はひろまっている。おそらく、不日、今日の童にも知られるようになるだろう。この刀は虎徹ではないかもしれぬが、虎徹として、諸人のなかに生きはじめている。洛中取締りに任ずるおれとしては、これは新選組の宝刀のようなものだ。刀は、銘の如何ではない。生かし方だ」

…ってなこと言いながら、後日、鴻池から本物の虎徹を献上されると、露骨にホッと安心して、もとの虎徹のかわりに帯びて歩くようになるわけです。ただ、この真の虎徹が、いざ斬りあいに及んだときに、まったく使い物にならない。

 このあたりは原作どおりの展開をドラマもしてました。ただし、はっきりちがうのは、近藤に、原作で書かれている俗物っけやコミカル味がかけらもないことですね。もう最初から、おれの刀は虎徹なんだ、虎徹と信じれば虎徹になるんだ、と信念がまったく揺らがない。鴻池の主人も、その稀な清らかさに感動して、自らパトロンを申し出たりします。
 で、その近藤の清い心を支えるものが何かといったら、「武士らしい武士になるのだ!」という一念なわけですね。武士はこうあるべきという、確たる理想像が彼のなかにあって、その像に同化するべく努力をしている。常にその努力の途上にある、という設定のようです。
 ただし、武士らしい武士になりたいという立脚点じたいが、そもそも武士のそれではないわけですよね。武士であろうと強く思えば思うほど、武士ではないという矛盾。それは、新選組の根本的な矛盾に直結するのですけども。
 この、武士:非武士という対立軸を、真虎徹:贋虎徹に置き換えて見せているのは原作と同じなんですけど、ドラマの近藤には、武士であろうと努力することから発生するトホホ味とか、本人大真面目なんだけどどこか笑えるような、妙に抜けたとこがありません。
 なぜなら、自分の信念の先にあるものを、めいっぱい信じ抜いて、初志を貫く…という行動を、このドラマでは、とりあえず、100パーセント全肯定しているからです。

 それが悪い、というつもりはないですが、やっぱりなんとなくフラットだし、そういう切り方をする限り、幕末劇というのは誰がつくってもだいたい同じような感じになる、とはいえると思います。
 新選組ものである以上、この先、組織をつくっていくことの高揚感と、その後急速な転落など、イキモノとしての組織の運命も、ドラマチックにみせてくれればいいなあ、と思ってますが。

 そういう、フラットに高潔な近藤のあり方に対置するのが芹沢鴨であり、芹沢鴨を排除して近藤をひとかどの人物に仕上げていくという、プロデューサーの役割に目覚めていくのが土方歳三です。
 このドラマの切り方の、今の時点で面白いところとしては、ある意味黒幕である、プロデューサーとしての土方歳三を主人公にしていることかもしれませんね。(原作はとくに土方が主役ではない) 

「おれはね、近藤さん」
 と話しかけたことがある。(中略)
「新選組はいずれ、あんたものにしたいと考えている」
 そのためにはどういうことをしなければならないか、歳三はすでに考えていた。
(中略)近藤にはそなわった将器がある、と歳三は見ている。この男に天下をとらせることが、介添え役の歳三にとって他人にわからない楽しみであった。
(中略)むかし、三多摩の農村を歩いて剣術好きの若者を勧誘してきては近藤の道場に入れ、田舎剣法ながら天然理心流をその地方ではやらせたのも、かれの功績であった。このおなじ情熱が、こんどは新選組という強靭な作品をつくることにかれのすべてを賭けさせていたのかもしれない。
 それをはばむものがいた。筆頭局長芹沢鴨である。


 ようするに、原作の土方歳三は、近藤勇と新選組をプロデュースしていくことに無上の喜びと、生きがいを感じているわけです。志とか武士の魂とかは二の次三の次、というか、この人のベクトルはそっち方向には無い。
 だから、彼の作品のじゃまをするもの、不要のもの、美観を損ねるものは、迷わず排除していくし、そのためにはどんどん手段を講じるんですね。近藤と土方とではは、実は目指す方向がかなり違うので、ときどき齟齬をきたしたりするんですが…。

 ドラマ上は、あまりそういう、土方の冷酷なプロデューサー体質は、初回の時点ではあまり感じられなかったのですけど…。
実は虎徹問題に関しても、原作では、近藤の差料が真・虎徹であるか否かというのは、土方が近藤を演出していく上でも無視できない問題になって、近藤以上にこだわったりするんですが、ドラマでは、そのへんはわりとあっさりスルーされてました。
 俺が信じた、これは虎徹だ、俺がこれを虎徹にするんだ! そうかそういうアンタに、惚れたぜ近藤さん!俺がアンタを男にするぜ!!
…まあ、これで一応文脈としてはいいんですが、やっぱり、それだけではちょっともの足りないかな~と思ったりもして。
 近藤の過剰な清潔感は、まあ許すとしても、土方の「組織運営の天才」としての冷酷さとか、容赦なさみたいなのは、司馬新選組モノの外せないところなので、もうちょっとあったほうが良いかなあ。
 
 それと、芹沢鴨(豊原功補)ですが、ちょっと頽廃した崩れた感じが原作によく沿っていて、芹沢の頽廃=武士という身分の象徴、という感じで、土方の憎しみが屈折していくあたりも、なかなか核心をついてて引き込まれるものがありました。
 あと、沖田総司ですが、まあ…「いやだなあ土方さん」「ちゃあんと…してますよっ」みたいな喋り方が、あれはむかしの「燃えよ剣」「血風録」とかモデルにしたのか?いいけど…若いのにえらく昔ながらの感じで、ちょっと面食らったです。まあ、この手のポジションのキャラであまり独自の工夫をされても、それはそれで困るわけだが。

 それとそれと…あまりにも無名感ただようキャスト陣の中で、フッと現れた近藤正臣の強烈なオーラに、おもわずクラクラッと倒れそうになったこととか。
 他にも気づいた点はあるんですが、まあ、それはおいおい、キャラが立って来るのを追いかけて、としましょうか。これからの展開考えると、楽しみなエピソードいろいろあります。「沖田総司の恋」とか「池田屋異聞」「鴨川銭取橋」なんかぜひ見たいなあ。
 では、また次回!


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。