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誰かが、瀕死のこの赤ちゃんを謂わば人身御供として祭壇の上にお供えして神様のみ心に委ねたらと言った。・・・(全托のやり方その3)

2020-08-23 10:49:08 | 日記
私は今日の引用文を見て、
少しも人間的執着なく完全に執着の把みを放って神委せの解脱心境になるこのやり方が、
本当の全托と理解した。
善なる愛なる神のみ心に
結果を考えず、
お任せするのが全托である。
(奇蹟の時は今 アディントン著・谷口雅春著)
【この赤ちゃんは科学的見地からは妊娠しない筈の両親が真に奇蹟的に妊娠して生まれたところの謂わば神からの授かりものであったから、親のルーイズ・エグレストンさん始め、教会の牧師たちは皆、神が癒し給うにちがいないと感じていた。皆の者はこの幼い女の子が、癒されるために絶えず祈りつづけた。到頭、これ以上この幼児は生きることは不可能だと見える状態にまでなったとき、誰かが、あのアブラハムがイサークを悦んで神に献げたと同じように、この赤ちゃんを謂わば人身御供として祭壇の上にお供えして神様に差し上げてしまったらと言った。若いこの子の両親はこの子を生かして置きたくて仕方がないものであるから、その子を神さまに差し上げてしまうということは真に神に対する全托の信仰を必要とするのであった。それは神に無条件降伏して夫婦の全ての希望と願いとを神にゆだねるという象徴的行事であった。それゆえにこの象徴的行事はこの教会に集まっている信者にとっては非常に意義ある行為であったのである。それで彼らは実際にこの瀕死の赤ちゃんを祭壇に奉安した。そして、彼女の父なる神の御心におまかせして、皆寄って「御心の如くならしめ給え」と祈ったのであった。奇蹟がその時起ったのだ。その瞬間からこの赤ちゃんは健康を快復し始めたのであった。エグレストン夫人の報告によると、彼女がリッチモンドからウエスト・コーストに来る直前、彼女は当時の赤ちゃんだった此の娘の顔を見て別れを告げて来たのであったが、今や彼女は健康で活発な、どこから見ても完全な9歳の少女になっているのだということであった。】





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