gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ナアマンのように一切のプライドを捨て(一切の我を捨て)赤子のように素直になれるか否かである。・・・(全托のやり方その2)

2020-08-23 10:08:48 | 日記
今日の引用文では
聖書から例をとり、
ナアマンがヨルダン河に全托の沐浴をして
癩病から神癒したということについて
書かれている
「それは、実相界の大生命の流れの中に完全に全心身を浸して融合することだったのである」
という部分については
祈りの中で「実相に全心身を委ねること」と
置き換えることができる。
ヨルダン川を実相の海と
考えるのである。
「神の子円満完全」「実相円満完全」と念じつつ、
自分の本体“神の子”を実相の海(神)に全托する。
「神にすべてをあずけてしまう」ことが全托である。
ただナアマンの全托の話に隠れている教訓は、
“我の慢心”をどこまで落とせるか否かが、
ポイントなのである。
一切のプライドを捨て(一切の我を捨て)赤子のように素直になれるか否かである。
【明らかに、ナアマンは、今までこの預言者の言葉をそのようには考えていなかったのだった。彼は周囲を見廻して、プライドを脱ぎ捨てて、自分の体をヨルダン河に七度浸して沐浴した。すると聖書の報ずるところによると、「その肉もとにかえり、嬰児(おさなご)の肉の如くになりて清くなりぬ」とある。ナアマンはエリシャの許に戻って来て、その癒されて清くなった体を見せたのであった。神癒を受けるには忍耐と宗教行事を忠実に励行することが必要なのである。ナアマンは預言者の示した修行~七たびヨルダン河に身を浸して体を洗え~を忠実に実行した。それは、実相界の大生命の流れの中に完全に全心身を浸して融合することだったのである。かくして彼は浄められたのであった。ここに大なる教訓があるのである。自己の、しっかり握っているプライドを棄て、両股(ふたまた)信仰の偽善を棄て、完全に実相大生命の大河に身を浸すために、私心を去り、悦んで教えのままに、無我随順に奉行する者が我々のうちに、どれほどの人数あるだろうか?】


コメントを投稿