なかなか本当の神想観ができるまでに
時間がかかるのである。
現象的なもののつかみを放すことが容易でないということと、
神想観の‟実相の正観”までに、
観法の進歩が必要であるからだ。
でもやがて
正しい神想観のやり方に近づいてゆく。
それは間断なく祈る人のみが
体験できるのである。
(如意自在の生活365章 谷口雅春)
【あなたは、今日こそ、ゆっくり落ち着いて神想観を実修するのである。問題をつかまえて、「この問題を、神さま、このようにして下さい」と祈るのではないのである。問題の‟ない”世界に超入するのが神想観なのである。天国には問題は‟ない”のである。その問題のない天国に超入するのが神想観なのである。「われ今、五官の世界を去って、実相の世界(天国)に入る・・・」、「入る」と「居る」と同時即入である。すでに今、天国浄土にいるのである。その自覚を獲得したとき、それが原因となって、結果として現象世界の天国化があらわれるのである。天国といい、浄土といい、エデンの楽園といい、竜宮海といい、いずれも同じく‟実相世界”のことである。「五官の世界を去って・・・」とは、あらゆる外部的、現象的、物質的、肉体的な問題と悩みとを心から放ち去ることである。そして心を自己の存在の中核たる‟実相”に想念を集中して、‟自己が神である”実相を悟るのである。】
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