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毒麦の譬(解説を含む)

2016-05-23 17:02:33 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第13章>
(13・24―30)毒麦の譬
(24)また、ほかの譬を彼らに示して言われた。「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
(25)人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
(26)芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
(27)僕たちが来て、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』、
(28)主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った、『では行って、それを抜き集めましょうか』。
(29)彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
(30)収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつたえよう』」。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・本章の天国の譬のその二。悪の存在の理由と、その処置の方法について教えられたものであるかもしれない。本書だけにある記事。前項の種まきの譬は天国の現在に関し、ここはその未来図とも言える。
・24 天国の神の言を《自分の畑》神のものであるこの世界に、《まいておいた》収穫は未来のことであるが、天国はすでに現在している。
・25 世界の人が《眠っている間に》、人間の注意のとどかないところで、夜間眠っている時に。《敵が来て》13・39参照。《毒麦》小麦によく似ているがまるで違う有毒な雑草。苗のころは区別がつかないが成育すると小麦との違いが識別しやすくなる。降雨の多い時に繁茂するため、パレスチナの農民の間に降雨のため小麦が毒麦に変ずるという迷信があったという。
・26 《あらわれてきた》区別がつくようになってきた。
・28 僕が主人に、《それを抜き集めましょうか》と問うたのは、パレスチナの農民の小作人は主人の畑のものは毒麦一本も主人のゆるしなしに抜くことはできなかったからである。「僕」は、不信仰な会員のいる教会を浄化することを考えている、イエスの弟子たちのことである。
・29 地下で小麦と毒麦の根が交互にからみ合っている。
・30 《収穫まで》《収穫の時》すなわち最後の審判まで悪人を放任しておけというのはイエスの言葉たしくないと考えて、この節を後代の加筆とみる者もあるが、さばきは神にゆだねて、敵をさえ愛することを教えたイエスの教えに矛盾しない。またそこにひとりの罪人もいないほど完全な教会を地上に考えようとしなかった使徒たちの考えとも一致している。

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