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我を無にはできません

2018-06-28 21:39:33 | 日記
我を無にするなんて
私にはとてもできません。
私にできるのは
全能の神を信頼し「隠れ家」とすることくらいです。
神は善であり愛でありますから
「実相はすなわちわれ」と言って
神様と一体化することぐらいです。
申し訳ないとは思いますが・・・。

実相が解るのは“我”(われ)が無に帰した時

2018-06-28 19:23:29 | 日記
私の強かった我(が)も
少しずつ除(と)れてきて
やれやれと思っておりますが、
これはすっかり除かれる必要が
あるみたいです。
(参考 生命の実相24巻)
【「我(われ)は無い」―これが釈迦のお説きになった「無我」の教えなのであります。「君がいろいろ理屈を述べて反駁しているその“君”というものは無いんだぞ」と釈迦は教えられたのであります。「あなたは、理屈で解ろう、解ろうと考えていられますが、理屈では解りません。「理屈を捏ね廻そうという我」は“本来無いもの”なのです。“その本来無い我”を突っ張らして、その似而非存在(えせそんざい)を主張しようとしているかぎりは、決して実相は解るものではありません。実相が解るのは、「本来無い我」で解ろうとしないで、「本来無い我」では解りようがないと、その「本来無い我」が自己主張の似而非(えせ)なる権利を放棄してしまった時なのです。「本来無い我」が自懐し自滅して“本来の無”に帰した時なのです。】

因縁の世界を超えること

2018-06-28 10:07:04 | 日記
もうずっと昔の話になりますが、
幹部会にメンバーとして参加していた仲間の一人が
用賀のK・I講師に
自分の体調の昔から良くないことを
訴えたことがありました。
用賀のk・Ⅰ先生は
請われれば夜でも診療することを信念とする
内科のお医者さんでありました。
「魂の町医者であること」が
信念であり誇りでした。
普段は「病気になったら
お医者さんを神様と思って全托しなさい」と
いつも言っておられました。
現象世界の存在を信じている人に
「病気ナシ」は通じません。
しかしこの日は同志の会ですから
先生は
「実相の世界には病気はないんですから
因縁のない世界に入ってしまえばいいんですよ」
とお答えになったのです。
私は若かったので、
愛も乏しく、
その訴えた人の苦しみも分らない状態でしたが、
何故かk・Ⅰ先生のそのお答えの言葉だけは、
記憶に残ったのでありました。
聖経『甘露の法雨』に
【神があらわるれば乃ち
善となり、
義となり、
慈悲となり、
調和おのずから備わり、
一切の生物処を得て争うものなく、
相食むものなく、
病むものなく、苦しみものなく、
乏しきものなし。】
とあります。
また聖経『続々甘露の法雨』には
【生命は物質の法則を利用しつつも
物質の法則には縛られざるなり。
物質の法則を乗り越えて、
みずからの欲する相に肉体を構成するもの
これ生命なり、“いのち”なり。
されば
吾々は生ける肉体に関する限り
物質の法則は生命の法則の従位にあり。】
とあります。
私自身についてですが
生命の法則(自分が“神の子”である悟り)によって
物質の法則を乗り超えるという「テスト」に取り組み、
さらにそれが真実であることを人に伝えなさいと、
神様の試練(というより自己神性の赴くところとみるべき)を
受けている最中であり、
神の子の自覚により
ほぼ達成しつつあります。
人間が神の法則を使ってこの現象世界を生きるということこそ
谷口雅春先生の目的でありました。
人間は神の子なんだから
神の子であることを覚ってしまえばいいのです。