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コリント人への第一の手紙

2018-06-11 19:44:16 | 日記
コリント人への第一の手紙
<第14章>
愛の賛歌(14・1-40)
20 兄弟たちよ。物の考え方では、子供となってはいけない。悪事については幼な子となるのはよいが、考えかたでは、おとなとなりなさい。
21 律法にこう書いてある、「わたしは、異国の舌と異国のくちびるとで、この民に語るが、それでも、彼らはわたしに耳を傾けない、と主が仰せになる」。

人間なるものは完全でなければならないという強い思い

2018-06-11 16:53:46 | 日記
谷口雅春先生は
人間というものは
「絶対の自由」をもつ存在でなければ
とても嫌だ、耐えられないという
強烈な願いを
「聖道へ」をお書きになっていたころ
お持ちであったようだ。
私も同様で
この強い願望は
人間にとって
特に実相の探究者にとって
きわめて大事な要素であると思う。
これは人間存在そのものへの愛であるからだ。
(参考 生命の実相20巻 谷口雅春)
【続いてわたしはこう書いている―
「人間は自己が最高の真理を体する時、大円覚を成就する時、“自己の外”に何物をも求めないでも、それ自身でいっさい円満に具われるごとき究竟地に到達するであろう。この境涯に到って人は外に求めざるをえないような自己の内面的欠陥は、実は積極的なる存在には非ずして、覚りの欠乏に伴う“消極的幻影”にすぎないことを知るであろう。」】
このお悟り以前の雅春先生の強烈な魂の願望こそが、
生命の実相の大真理の源にあるのである。
人間がこんなに惨めな存在であってたまるかという、
この人間愛、
これがキリストにあり
釈迦にもあったに違いない。

個人における思想の体験はとても大事

2018-06-11 16:29:30 | 日記
私は青年時代から
思索癖のある人間で
大学時代には演劇もやったし、
学生運動も少しだがやった。
仏文学を目ざす途中で
神経症になり
仏文学研究者への道を断たれ、
小学校の教師になった。
教師として苦労し、
坐禅から仏教の勉強、
坂東三十三札所めぐり、
秩父札所めぐりも高野山まいりもしたあげく、
谷口雅春先生の
『生命の実相』という本にめぐりあった。
でも実相というものが理解できず、
『正法眼蔵を読む』の徹底勉強、
新約聖書ヨハネ伝の勉強等、
実相というものの探求を
納得いくまで多角的に求道し続けた。
このような
生活の中で、
生涯かけて
「生命の実相」の本格追及に
結果的に向かうことになった。
谷口雅春先生の「生命の実相」の発見も
実は
雅春先生自身の生活と思想の追及、
宗教的哲学的求道の果てに
行き着いたものであることが
書かれている箇所があった。
(参考 生命の実相20巻 谷口雅春)
【生長の家は一朝にして、ただの霊感だけで迷信的にヒョッコリと生まれ出たものではなく、わたしの長い間の生活体験を通しての思想体系がクライマックスに達せる時、百尺竿頭、霊的飛躍が忽然花開いたものだと言うことができるのである。】