「実相円満完全」
「神の子円満完全」
「実相は即ちわれ、われ即ち実相」
と念じる実相観が主体の神想観になってきたら
現象的に
ずっと安心感、安全感、安定感が
出てきました。
そのように実相を観ようと
模索している間は
ちょっと自懐作用があるかも知れませんが、
それは大丈夫だから無視して
少しずつ少しずつ実相を観る時間を
増やしていくとよいのです。
いっぺんに行かなくても
あきらめないで続けていれば、
そのうち
実相をしかと観じることが可能となります。
そうすると
自懐作用もおしまいになり、
安心で安定した観になって
現象にも
それが現われてまいります。
「神の子円満完全」
「実相は即ちわれ、われ即ち実相」
と念じる実相観が主体の神想観になってきたら
現象的に
ずっと安心感、安全感、安定感が
出てきました。
そのように実相を観ようと
模索している間は
ちょっと自懐作用があるかも知れませんが、
それは大丈夫だから無視して
少しずつ少しずつ実相を観る時間を
増やしていくとよいのです。
いっぺんに行かなくても
あきらめないで続けていれば、
そのうち
実相をしかと観じることが可能となります。
そうすると
自懐作用もおしまいになり、
安心で安定した観になって
現象にも
それが現われてまいります。