上発地村から

標高934mぐらい日記

タイ ベトナム旅行記 4日目 最終日帰国編

2016年04月20日 | Weblog
水餃子とピータン豆腐を食べた後、タクシーで宿に戻った。名残惜しいが俺は間もなくベトナムを去らねばならないしS氏はもう二日間ホーチミンに残ってビジネスを続けなければならない。俺は帰り支度をしてゆっくり宿を後にした。S氏は疲れているのにもかかわらず最後まで添乗員の責務を果たしてやると言ってタンソニャット空港まで一緒にタクシーに乗って見送りについてきてくれた。ありがたい限りだ。
俺はここにきて緊張の糸が切れたのか肛門の緊張が解けたのか腹痛に見舞われた。タクシーの運ちゃんにトイレを探してもらうようお願いしたのだが、S氏に来てもらっていて本当に助かった、言葉が俺では通じない。奇跡的にすぐに公衆トイレを見つけダッシュで男子便所の入り口へ向かったのだが生憎シャッターは閉まっていた。ギリギリアウトかと諦めそうになった俺に、S氏が「向かいのホテルに行ってトイレを貸してもらえ!」と咄嗟のアドバイス、俺は萎えかけた気持ちをもう一度奮い立たせホテルに方向を変え、ベルの兄さんに場所を訊いてロビーのトイレに駆け込んだ。ギリギリセーフ… 今回も最後までS氏に助けられた。
S氏と空港ロビーで別れ、午前2時頃ベトナムを飛び立ち経由地の上海へむかう。またもや窓際、四回のフライトで四回目の窓際ってのも珍しい、横は空席だった。午前7時頃上海の浦東国際空港に到着、ネットリした暑さから解放され、薄曇りの朝の上海はTシャツでちょうどいいぐらいの気候になっていた。この後東京に向かう便に乗り換えがあるのだが、その便が出るのが午後2時、それまで6時間もあるので一旦出国してプチ上海旅をすることにした。出国してそのまままっすぐ上海トランスラピッド、いわゆる上海リニアモーターカー乗り場を目指す。リニアの終点、約30キロ先の龍陽路駅に特に用事は無いのだが、とりあえず中国のリニアを体験してみようと思ったのだ。というかこれもS添乗員の旅行プランをそのままやってみようということだったのだが…
片道50元(850円)の切符を購入、ホームに向かうともうすでにリニアは到着していた。乗客は少なく貸し切り状態、広い客席にゆったり席を倒して座った。ほどなく静かに滑り出したリニアは徐々にスピードをあげ、10分後ぐらいには時速300kmに達していた。北陸新幹線の最高速度が260kmだからそれより早いことになる。確かに新幹線よりはスピードがあった気がするが、とりたててビックリするような体感速度ではなかった。けっこう音がうるさいのと車窓の風景がとりたてて面白くも無いのではやくも飽きはじめる。途中通路を挟んで座っていた黒スーツを着たチャラそうな自営業風兄さんが俺に近寄ってきて何やらベラベラと中国語で話しかけてきた。ひと通り話終わってから俺が「ソーリー、アイムジャパニーズ」とだけ言うと彼は苦笑いしながら元の席に戻っていってしまった。とにかく中国ではほとんど中国人と間違われた。この事態は日本に戻ってから再度そのファッションから体型に至るまで考えなおさないといけないな…
その後リニアは徐々にスピードダウン、出発から15分後には終点の龍陽路駅に到着、あっという間の旅だった。到着したこの街はただのリニア終点の街ということだけで何にもおもしろそうなところが無い。しかたなく駅のバーガーキングに入り朝食を食べることにしたのだが、ここで今回の旅で二回目の日本人との遭遇、一回目は現地に住んでる子供連れのお母さん、ここでは中国出張サラリーマンの2人組だった。俺はとくに彼らに対して親近感もわかず、多分むこうも俺を中国人だと思っていたに違いない。
バーガーキングはコーラこそ同じ味だったが、ハンバーガーは四川風に味付けがしてありイマイチ、こんなとこでオリジナリティー出されてもなぁ~と少し残念な気持ちになり、長居無用の判断を下して空港に戻ることにした。帰りは地下鉄でのんびり行こうと思い、6元(100円)の切符を購入、まだ新しい感じの地下鉄に上海郊外の新興住宅地に住む人や、大きなスーツケースを転がす中国人旅行客なんかと一緒に乗り込んだ。途中折り返し運転に気付かず一回戻ったり、ツアー客が一斉に降りたのにつられて一緒に下車してしまったりしてスムーズに空港までたどり着けずまごまごしていた。五日間一人旅だったらと思うとゾッとする。今回も彼と一緒の旅でよかったと再認識してしまった。
空港では結構待ったが、お土産を買ったりして時間を調整、月餅を代行仲間や農業仲間にと買ったのだが、後で聞いたらどのお菓子も歯磨き粉の香りがする代物とのことで不評だった。旅行中ずっと警戒していたのだが最後に日本語の上手な中国人の女性店員にやられてしまった、やっぱりお菓子は日本にかなう国は無い。その後時間どうり午後2時頃上海を出発、あろうことか5回目の窓際だった。それも毎回そうだったが左側A席だった。俺は日本では右寄りの政治スタンスなんだがな…
まずい機内食を食べ青島ビールを飲み、途中だった東野圭吾の小説を読み終わるぐらいになった午後6時頃無事に羽田に到着した。ベトナムを出た時のTシャツだったので東京は寒かったがそのままモノレールに乗り、新幹線に乗って軽井沢を目指した。さすがにカッコ悪いので新幹線の車内でワイシャツを1枚着こんだけれど、午後9時駅に着いた時、気温は7度、到底しのげるような気候ではなかった。用事があってすぐ来れないかみさんを待合室で寒さをこらえて待ち続けながら今回の旅はフィナーレをむかえたのである。

俺は次の日からの日本での生活がどうなっていくのか楽しみだった。いろんなものを見聞きし体験したことが、明日からの自分にどう影響していくのか興味があったのだ。便利グッズをお土産に買ったわけではないが、心に便利グッズや栄養サプリメントを補充してきたそんな気になっていたのである。

今回の旅行で一番うまくなった事は、車とバイクがビュンビュン走っている道路をさらりとすり抜け横断する事だった。しかし日本での生活ではこれから必要ない気がする。

帰ってきてから、今までほとんど使わなかったウォシュレットを使うようになったのはいまだにいいのか悪いのか結論がでないままでいるのだが、正露丸でコテコテになった俺の腹が今後どうなっていくのかが今一番気にかかっているところである……



タイ ベトナム旅行記 3日目 自由行動編

2016年04月16日 | Weblog
ベンタン市場では俺も雑貨を購入した。朝からいただいていたベトナムコーヒーを入れる茶こしとポット。ちょっとふっかけられたがそこは御愛嬌、値引き交渉もせずに購入した。っていうかドンが全くピンときてないので言われるがまま支払っただけ、やはり根っからのファーマー、マーチャントには向いていないようだ。その後仕事の終わったS氏と合流、買い付けた雑貨を見せてもらったら、彼の普段の感じからは想像できないほどのかわいい雑貨を仕入れていた。こういうのを見るとあらためてプロってのはすごいなと感心させられる。その後買い付けた商品を置きに一旦タクシーで宿に戻った。
そのまま宿で一時間程休憩、S氏はハードな仕事の疲れもあって、がっつりベットに横たわっていた。(毎回うつぶせで寝ているのだが苦しくないのだろうかね?) 充電したあとは先ず昼飯を食べにS氏一押しの定食屋へ、日本でもはやりの定食屋スタイル、惣菜が入口に陳列してあり、食べたい惣菜を自分で選んで店員さんにお願いしてから席に行って待ってるといった感じ。席はニ階のオープン席の通り沿い側、街の風景が見えるいい席だ。揚げだし豆腐の肉詰め、豚肉の香辛料焼き、魚の甘露煮ぽいのと野菜炒め。スープとライスをつけて豪勢な昼飯を食べたが、満腹だったのに一人五百円にも満たなかった。最後に食べたスイカも美味くてよかったが、手を拭く為にうっかり袋を破いたウエットティッシュが有料だったってのに悔いが残る。
はちきれそうな腹を抱えて僕らは再びベンタン市場に向かう。S氏の買い付けがもう少し残っていたのだ。残りはバックを中心とした夫人用品、小物関係。俺もリュック的なものを探してみたがなかなかいいものがみつからない。ノ―スフェイスと刺繍してあったリュックを手ににとってみたがいわゆるそれはコピー商品だった。どうやらベトナムも垢ぬけしすぎてしまっているようで、ベトナムチックな雰囲気の商品が少なくなってきているようだった。変に垢ぬけてダサかわいいみたいなのがなくなってしまったのだ。そういうことになってくると、社会主義イデオロギーの息のかかったダサさっていうのは貴重かもしれない。ちょっと前の中国人民服とか人民帽みたいに…(あんなの日本じゃYMOしか着てなかったけど)
S氏の買い付け時間中、旅行前のS氏の提案を実行して自由行動してみようと思った。市内見学しながら戦争証跡博物館に一人で行ってみることにしたのだ。最初は歩いていこうと地図を片手に出発したが、行く先行く先でシクロ(人力車)のおっさんやセオム(バイクタクシー)のおっさんに乗ってかないかと声をかけられたが無視(ボッたくられる可能性があるので)とにかく道を聴きながら歩いて向かった。どうやら地図を見間違えていたようで、後で気付いたことだったが宿のすぐ近くまで歩いてきていたようだった。その証拠に朝宝くじを売っていた兄さんに道で偶然バッタリでくわしたのだ。最後はギブアップして優良タクシーに乗ってなんとか無事到着、最初からこれに乗ってればよかったな…
15000ドン(80円)を払って入館、建物の外にはベトナム戦争で使われていた戦車やヘリコプタ―や戦闘機が展示されてあった。館内は涼しく気持ちがよかったが、展示されている写真は決して気持ちのいいものではなかった。ベトナム戦争のしんどい写真、どれもなかなか胸を詰まされるものばかりだった。なかには日本でのベトナム反戦運動を展示してあるブ―スもあった。いわゆるベ平連の写真だ。まあベ平連は後にKGBの援助を受けてたなんて言われているのだが…
ほとんど九割がたと言っていいだろう、白人の観光客で館内は埋め尽くされていた。ここでもタトゥーをいれたお気楽バッパーが多かったが、彼等は一様に神妙な面持ちで展示されているパネルに見入っていた。「正直うちらの国やっちまったなぁ~」って思ってたのかもしれない。アメリカ人だけではなく、西洋人が感じているアジア人への感情はこのパネルをみれば考え直すところが多少なりともあるだろう、俺がもしアメリカ人だったら反省しまくってる。今も俺は西洋人にはコンプレックスはあるし、彼らは彼らでアジア人に対して一目おいてはいるものの、絶対的な優越感をもっていることは明らかだ。でも俺はこの短い足だからこそ無理なく毎日農作業がやれる、ありがたく思わないといけないな…
その後S氏の待つ市場に戻ろうかとも思ったのだが、歩き疲れたのと戦争証跡博物館での重い雰囲気にやられ、先に宿に帰ることにした。途中ウンコを踏んだ事も更に宿への帰巣意欲をかきたてたのだったが…
宿で休んでいるとS氏が帰ってきた、手には大量に買い付けた商品の袋が吊るされていた。その後一休みしてから今度は自分達のお土産を買うためにチョロンの市場へ再度出向いた。そこではベトナムコーヒー豆や蓮茶、ついでにベトナムレタスの野菜種なんかも買って日本に戻る旅支度を整えた。バスに乗って宿への帰り道、途中下車してベトナムマッサージの店に寄る。ベトナムの疲れはベトナムで落とさなければいけない、勝手にそう考えたのだ。サウナではベトナムのハーブが焚かれ汗もしっかりかいた。日中太陽の下でかくべったりした汗とはちがうさわやかな汗だった。その後たっぷり1時間きつめのマッサージをうけた。気持ち良くて途中何度も眠ってしまったようだ。
その後は夕飯に近くの中国料理店で水餃子を食べる、ピータン豆腐もよかったが、豆腐自体はいまいちだった。多分ベトナム人はあんまり豆腐食べないんだろうな。
S氏とはこれが最後の食事なった。中国料理店を出た俺達はタクシーに乗って最後のベトナムの夜を眺めながら宿に到着したのだった。


タイ ベトナム旅行記 3日目 ホーチミン市場編

2016年04月15日 | Weblog
最初にも書いたとうり旅行記はナマ物だ。そろそろ賞味期限が切れてくるところだが、どうやら体験したことが強烈だったらしくかなりの塩が効いているのか、まだ生なのか…書いていても記憶がすぐ戻ってくるのでまだまだいけそうだ。

ベトナムの朝、目覚まし時計なんかセットしてなかったけど6時には目が覚めた。起きがけに昨晩買って食べたサンドイッチの残りをかじる。スペシャルサンドイッチだと言ってお姉さんは作ってくれてたけど、材料ケースにはハムもソーセージも残っていなかったからこれは残りものイッチという事だろうな、よくよく見ると具材が焼き鳥だった。そんなサンドイッチいままで食べたこと無い…
パンツ一丁から服を着て朝の街に飛び出した。細い住宅街の路地に入りホーチミンの人達の朝を見学、そこここで野菜や魚、肉、果物なんかを広げて露店で売っている。食べることが1日の始まりなんだということがここでは実感できた。並べられた食材を見てるだけですぐに食欲が刺激される。商売をやっている人は女性がほとんどなのだが、その服装やいでたちは実にシックで美しい。タイのような奔放な色使いではないが、社会主義とフランス文化と東南アジアの熱気が入り混じった独特のファッションだ。あんまり愛想がいいっていうことはないんだけど真面目に堅実にやってます感があってすごくいい。アオザイを着た女性やベトナム三度笠(ノンラー)をかぶってる人なんかもベトナムらしくってすごくよかった。
ぼくらはそこの場外市場で目覚めのコーヒーをいただくべく街角オープンベトナムコーヒー店へ。店というか道端で座ってコーヒーをいただくだけのだが、これも昨晩と同じで街の風景を観察するにはこの上無いロケーションだ。これから学校に行こうかという女学生が横を通りすぎて行った、なかなかかわいい、日本では思ったことも無い感覚だ。しばらくすると冷たい蓮茶といっしょにタイ製でない本物のベトナムコーヒーが運ばれてきた、もちろんホットだ。S氏と僕はおもむろにそれをいただく、甘くてほろ苦いそれは朝の寝ぼけた胃袋をシャキッと目覚めさせてくれてとても美味しい。
コーヒーを飲みほした後、刺激された腹を満たすべく住宅街のフォーの露店へ。まだ店は開店したてでおかあさんは用意をはじめたばかりだった。急ぐわけではなかったのでプラスチックの椅子に座って、出勤する小学生を眺めながら朝フォーがでてくるのを待っていた。細い住宅街の路地だったが出勤時間だったらしく日本でいう原付バイクが時折目の前を通り過ぎる。それに混じって宝くじ売りのおっちゃんなんかもいた。わかってるらしく僕ら観光客に異国のくじは勧めてこない。
そうこうしているうちにフォーが運ばれてきた。具材はエビと鶏肉と茹で卵、日本人だと思っておかあさんもスペシャルなトッピングにしてくれたみたいだ、味も抜群!さっきの宝くじ兄ちゃんもここで朝飯をうまそうに食べていた。
その後もう一回食後のコーヒーをいただくべく路地裏ベトナムコーヒーの露店へ、どんだけコーヒー好きなんだと思うがS氏はベトナムコーヒーだったら何杯でも飲めるって豪語していた。そこでは英語が話せるおじいちゃんと仲良くなってしばらく話し込む。俺もカタコトの英語で応戦した。S氏もベトナム語はカタコトで得意じゃないってって言ってたが俺にしてみれば十分喋ってるっての…
その後宿に戻り、体勢を整えてから、今日の仕入れに行くためタクシーに乗った。向かう先はホーチミンの問屋街ビンタン市場だ。優良タクシーはあっという間に市場に到着、まずは必用分だけ日本円をベトナムドンに交換するため両替商にむかった。1円が200ドン 100円が2万ドン 結局最後までドンの金銭感覚に馴染めないままだったが、まあ元々数字に弱いタイプなのでしかたない、俺はとりあえず1万円分を両替、200万ドンという意味不明の桁数になり思考回路はすでに破たんしていた。
S氏はここで馴染みの履物問屋に行き商材を吟味し、そのあいだ俺はまたもや市場をぶらぶら、めずらしい商材にいちいち目を奪われ面白がっていた。S氏のここでの買い付けが終わった後は次のベンタン市場まで路線バスで移動。一回乗るのに5千ドン 単位だけみると高そうだけど日本円では25円、メチャ安なのだ。そんなこんなでベンタン市場へ、お昼前の市場は熱気にあふれ、およそ社会主義国の市場には見えなかった。早速天秤棒にのっかっている生春巻きに目が行ったがそこは我慢我慢、まだまだ先は長い。ここでもS氏は買付の仕事が目的、俺はとにかくなんの役にも立たないので集合場所と集合時間を決めてから、一人ふらっと市場散策にでた。
人間の営みの基本は衣食住、売っている物も服に食材に雑貨。すべてが目を引くものばかりだったが、日本の生活には溶け込みにくいものだなと思った。そんな商品の中で日本に合うものを探し出すのがS氏の仕事、そこの目利きがプロの仕事なんだと思った。めずらしいものは使えない、そういうのは見て楽しむだけなのだ。ただベトナム料理は全然日本でも食べれそうだ。野菜の摂り方が俺の体にあってるような気がする。昨今の熱帯チックな日本の気候はベトナムの食材を欲しているのかもしれないな。そうめんばっか食ってたらダメ、薬味の野菜をもっと豊富にとらないといけないのだ。日本食材はやはり常夏の国に比べれば貧相なのかもしれない。野菜も野菜の格好してるだけで中身に力や本当の意味での栄養が無い気がする。
ただお菓子類はベトナムで食べる気がまったく起こらなかった。日本のスウィーツ、お菓子は世界一のような気がするけど、言い過ぎだろうか?素材をダイレクトに体に取り込む料理とお菓子のような技巧をこらした食べ物とではそれぞれ意味とフィールドが違うのだ。

買付はまだまだ続く

タイ ベトナム旅行記 3日目 ベトナムホーチミン夜編

2016年04月15日 | Weblog
夜九時半頃にベトナムのタンソンニャット空港に到着した。空港の明かりはどこかさびしげな感じがしたのだが、それは俺がベトナムに対して先入観を持っていたからかもしれない。飛行機では同じツアーポロシャツと同じツアー帽、同じツアーリュックを持った団体ベトナム人おのぼり客4、50人と一緒だった。この光景が社会主義国に着いたんだなっていう実感をさらに強めていた。同じリュックじゃ絶対取り違えちゃうし、ある程度の個性は認めてやらないと逆に社会が混乱してしまうってものだ。それよりも本来であれば出国カードを事前に書いて出国審査を受けるはずなのだが、事務手続きの簡略ということでそれが無かった。そっちのがよっぽど重要だと思うのだがここらへんがこの国のヌけてる感じがあって面白い。
空港を出てすぐタクシーをつかまえようと思ったのだが、そのまえに出迎えの人の多いこと多いこと。ベトナム人にとって海外旅行はまだめずらしいのかもしれない、一昔前の成田の出迎えのような風景がそにはあった。タクシーは乗り場に一列になって並んでいたのだが僕が先頭に停まっているタクシーに向かうとS氏がそれをやんわり制止した。「あれはダメだ、ハッピータクシーはボッたくるのであっちに乗ろう」と後ろの方に停まってた緑色のタクシーに向かったのだ。それでもハッピーは僕らに向けて「こっちこっちっ!」と手招きしている。後からきた客もハッピーを無視して違うタクシーに乗り込んでいた。そんなに嫌われるんだったら改心してカタギの世界に戻ればいいのにと思ったが、ヤクザな性分なんだからいたしかたない…
我々の乗ったマイリンタクシーは今晩泊まる宿に向かってのんびりホーチミンの夜の街を走っていった。聞いていたとおりバイクがこんな時間でも多く走っている。街の明かりはタイとは違い落ち着いた雰囲気の控えめな感じ、ギラギラした熱帯都市のイメージではまったくなかった。40分程で宿のあるファングーラオ通りに到着、料金はカタギ料金、運転手も真面目で紳士なお兄さんでとてもよかった。そこから少し歩き、程なく今日の宿ナックハムホテルに到着した。入口にはバイクがおいてあり手狭な感じがしたが、受付にいた兄さんは愛想がよくウェルカムな雰囲気で僕らを迎えてくれた。なんとか日本語を話そうとして僕らにしゃべりかけてくるところがなんともかわいい。部屋は外国人バックパッカーを多少意識してか、ベトナム風の家具があったり、生花が飾ってあったりしてなかなかいい。ベットは大小2つあったのだが、一泊しかできない僕が大きいほうを譲ってもらうことにした。清潔感があるその感じは日本のビジネスホテルの無機質なそれよりもはるかに宿泊客をもてなそうとする気持ちがあらわれている。やはりそういうことなのだ、もてなしの気持ちが大事。滝川クリステルも言ってたじゃないか…
軽くシャワーを浴び遅い夕飯食べに外に出て近くのフォーが食べれる食堂に入った。タトゥーの入った白人の姉さん達と相席になったが彼女達はまったく僕ら日本人に興味をしめさない。そりゃそうだろう、日本人でさえ見向きもされない僕ら(S氏はどうかわからんが)が白人女性に興味をもたれるわけないのだ。(どうもコンプレックスが付きまとうんだよな…)
そんなことはさておいて僕はビーフフォー、S氏はチキンフォーを注文した。最初につけあわせのハーブが運ばれてきたのだが、どれもこれも見たことのないような葉っぱ、後で調べてみたのだがたぶんベトナムバジル、ノコギリコリアンダー、チャイニーズセロリとキンゾイみたいのだったと思う。それにライムの山積みが一緒に出された。フォーは美味かった、さすが本場だけはある。ベトナム人からするとあそこはイマイチなんだよなってこともあったかもしれないが、日本人の僕らにとっては十分美味しいフォーだった。軽井沢で評判のたいして良くない蕎麦屋に外国人観光客が入って、「日本の蕎麦って素晴らしい」っていってるようなものかもしれないが、まあカツオの出汁にふれてれば良しととういことで、僕らのフォー体験は間違ってなかったと思う。最初の味がわかった後はちょっと冒険、さっき出されたハーブとライムを徐々に増やしてフォーの中に投入してみた。思ったほど強烈な香りではなく、逆にさわやかなハーブの香りになって、最後まで美味しくいただくことができた。隣の姉さん達はちょっと苦戦してるようだったが…
食後S氏は疲れたと言って宿に戻って爆睡。俺はもう少しだけホーチミンの夜をブラつくことにした。S氏はもう二日ここに滞在だが俺は明日の夜中には帰国しなければいけない、寝てる暇なんてないのだ。宿のすぐ近くのオープン居酒屋でサイゴンビールを注文、居酒屋というよりは、酒屋の前に簡易テーブルと椅子がいくつか置いてあって、買った酒をそこで飲んでくれっていうようなスタイルだった。だから値段も中瓶一本100円と激安、座ってビールを飲みながら通りを行く人達をぼんやり眺めていた。スルメ売りやバイクに乗ったベトナムの若いカップル、中年バックパッカー本国帰りそびれやトウモロコシ売り、ミネラルウォ―タ―をつるった白人姉さんなんかが次々と目の前を通りすぎる。街の様子が次々と変わっているようで一時間以上座っていたのだが全く一人で飽きずにいられた。それでも時間は午前0時を回っていたのでそろそろ帰らねば明日も頑張れない。ベトナム名物のフランスパンサンドウィッチとコーラを買って宿に戻った。S氏はパンツ一枚でうつぶせになって爆睡している。俺もグワングワンとうるさかったクーラーを切って扇風機だけつけてベットに横になった。明日もまだ見ぬベトナムが沢山あるなとそんなことを少しだけ考えかけていたのだがそれも束の間、思ってたよりも疲れていたようであっという間に眠りに落ちていった。

ベトナム2日目へつづく

タイ ベトナム旅行記 3日目 敏腕バイヤーS氏奮闘編

2016年04月13日 | Weblog
アムパワーの朝は早かった。
6時前に起きるとそのままロビーに向かい「サワディーカップ」とあいさつしてからお布施用の黄色い花と飲み物を受け取る。
昨日のチェックインの時に、「明朝お坊さんが船に乗って托鉢に来るんだけど、お布施されますか?」とおじさんに訊かれたので、S氏が是非お願いしますと頼んでおいたのだ。僕らはお坊さんが来るまで涼しげなアムパワー川をゆっくり眺め、深呼吸をして朝の空気を思う存分吸い込んだ。じつに気持ちが良い、気持ち良すぎてS氏はそのまま川に足をつけてしまっている。
間もなく一人用の船に乗った黄土色の「糞掃衣」着たお坊さんが櫂を漕いででやってきた、人力なのでスピードはゆっくり。ここで船にいすゞ製のエンジンがついていて爆音をあげながら坊さんがやって来たらお布施はなかっただろうな。俺とS氏は鉢にお供えを入れ静かに手を合わせる。お坊さんはありがたいことに僕らにむけお経をあげてくださった。その後おもむろに上流へむかってゆっくり舟を漕ぎだした。あとには舟の残した引き波と櫂が水に刺さる音と鳥の鳴き声だけ。この三つが逆に静寂さをきわだだせている。人間と動物と自然が程良く調和している世界がここにはあった。舟が去った後、S氏は日本で見せたことのないような表情になっていた。それは安堵というか呆けてしまったというか、至極穏やかな顔になり「今日一日は悪い事できないな…」とポツリのたまう。
禊された後はバイキングで朝食。目玉焼きにサラダとトーストがあってなんかちょっとうれしかった。器も紺色模様の西洋チックな食器でかわいい。足元には白い子猫がまとわりついてきてこれまたなんともはや… 
名残惜しいが今日はバンコクでの買い付け仕事が残っている。僕らは素敵なおかまおじさんオーナーと素敵なオープンホテル「バーンラックゲストハウス」に別れを告げ、ソンテクに乗りアムパワーを後にした。バイクのサイドカーに乗ってるちっちゃい姉弟を横目にバンコク行きの長距離乗り合いハイエースタクシー乗り場に向かう。サイドカーに卵が山積みなんてのも走ってたが、朝の納品に向かうおばちゃんなんだろう、こういった個人マーチャントが未だに多いってのは、合理化された日本の流通に無いおおらかな配達風景がそこここに残っててなんとも素晴らしい。
そうこうしながらソンテク(貨物車改造タクシー)は長距離タクシー乗り場へ到着。ちょうど目の前のバンコク便が出るところでそれに乗ろうとするが、金を渡した兄ちゃんが次の便に乗ってくれと言ってきた。そこは百戦練磨のS氏、旅慣れている。兄ちゃんにわざと渋い顔を見せ、なんとか乗らせてくれるよう強く要求した。彼は大きめのスーツケースを持っているため料金割増になったが、なんとか直前の便に乗らせてもらえた。これでずいぶん時間短縮できたのでバンコクでは時間に余裕ができそうだ。
それにしても横浜銀蠅の翔に似た長距離タクシーの運ちゃんはかなりの強者だった。空いてそうなレーンを見つけてはジグザグに走行し、その判断がことごとく当たっている。だんだん昼に近付いてくるにつれバンコク市内の道は混んでんできたのだが、銀蠅の翔は俺はプロだぞ任せとけと言いたげな運転で時間通りにタクシーターミナルに到着した。
到着地ビクトリーモニュメントから買付け場所であるプラトゥーナム市場へはバスで行こうと話していたのだが、目的のバスがなかなか見つからない。しかたなくタクシーをつかまえ大きな荷物と一緒に乗り込む。ここにきてタクシーの冷房は非常にありがたい、昼時のバンコクは東京並みのネットリする暑さ、このままずっと乗っていてもいいぐらい涼しい車内だったが、タクシーはあっという間にプラトゥーナムのパラディアムワールドショッピングモールへ到着。そのまままた涼しい店内に入り、S氏の得意先の仕入れ商店に顔を出した。馴染み客が来たので女店主もうれしそうに出迎えてくれた。ここでは主に衣料品の仕入れをする予定なのだが、商品を眺め出したS氏はお気楽タイバッパ―から敏腕バイヤーへと顔つきが急変、俺はもはや邪魔ものでしかない。小休止していた椅子から立ち上がり、店内をぶらついてくるとS氏に告げその場から立ち去った。
モール内はけっこうシャッターが閉まっていてあんまり繁盛している店がないようにみえる。真珠やアクセサリー、衣料品、靴やバックなど様々、問屋のような小売り店のような店が並んでいたが、日本同様マッサージ店も多かった。タイ人も疲れていて癒しが必要なんだろうな。
一時間ちょっとぶらぶらしてからさっきの店に戻るとS氏は買付が終わっていた。昼すぎていたのでまず僕らは腹ごしらえのためS氏お気に入りのチキンライス屋へ、チキンライスといってもケチャップ味ではない。カオマンガイという料理で、ソースはナンプラーにニンニクとお酢を混ぜた感じの味付け。おススメというだけあって美味かった。ここの気候にはここの料理がマッチする。昼食後は支払いのため両替所に向かった。相変わらず外はネットリ暑いが店舗の中はちょうどよくクーラーが効いている。タイに来る前は店ん中もどうせ暑いんだろうなと思っていたが、いいほうに期待を裏切られた。その後衣料品問屋に戻って支払いを済ませ、仕入れ商品をバックパッキングし、次の訪問国ベトナムに向かうためドンムアン空港を目指す。しかし今このタイミングでなければタイ式マッサージは受けられない。もう足もクタクタ、荷物も重い。S氏と話し合い通りがけのマッサージ店に入ろうということで一致、重い荷物をひきずりながら店を見つけ入った。
S氏はタイ古式マッサージ、俺はオイルマッサージをやってもらうことに。一時間程だったが足のむくみが和らぐ。もう少し強めにやってほしかったがS氏がいないとタイ語が話せない、やはり彼の存在は大きかった。その後カレー店で小腹を満たしたのだが、リサーチせずに入った店だったのでたいして美味くなかった。こういうのもたまにはしょうがないだろう。日本の店でもよくある事だ。カレー店を出てからタクシーをつかまえ、今度こそドンムアン空港へ、S氏がコミュニケーションをとったところタクシーの運ちゃんは普段タイ軍隊に勤務しているらしい。休みの日はタクシーに乗って稼いでるということだったが日本じゃそんなのありえない。しばらくS氏は運ちゃんと会話してたのだが、彼の様子を見て「この運ちゃんなんか薬やってんじゃないか?目がおかしいぞ?!」とか言ってひとりでうけていた。確かに「ニューハーフ大好き!最高!」と脈絡も無く何度も叫んでいたし、俺の事をヤクザとかマフィアとか言って終始上機嫌だった。軍隊生活が長いと趣味志向がそっちに傾くのだろうか。こわいこわい…
99万キロも走っているトヨタを運転するニューハーフ好き軍人タクシーは上機嫌のままドンムアン空港に到着。タイの自由奔放さに後ろ髪引かれつつ、夜8時時発のエアーアジアに乗ってベトナムへと旅立った。飛行機の窓から眺めるバンコクの街の明かりが遠ざかり、1時間半もするとホーチミンの街の明かりが見えてきた。明かりは似てるようでも全然違う国なんだよな。何事もディープに入り込んでいかないとその国のほんとうの姿は見えてこない。タイからベトナムに、思いはすでに切り替わっていた。

怒涛の東南アジア旅はまだまだ続く…

タイ ベトナム旅行記 2日目 メークロン川クルーズ編

2016年04月12日 | Weblog
宿前のアムパワー川からあっという間に大河に出た、メークロン川だ。川幅は荒川下流といったところか、いやもっと広いかな。さあぶっ飛ばして暴走クルーズといこうぜ!なんて思っていたらすぐにスピードダウン、青シャツ船頭は川岸に船を停泊させはじめた。岸辺の奥にに見えるのはお寺、これはもしやはめられたか?お布施ぼったくられツアーに連れてこられたんじゃないか?と、一瞬暗い気分になってしまった。ちょっと警戒しながらお寺へ、ナントカ菩薩の前に行ってお花をお供えしたがとくにお金が沢山とられるって事はなかった。
その後お坊さんのいるお堂へ、そこでは木の棒で水をかけられたのだが、あれはお清めの意味だったんだろうな。とりあえずお坊さんの前に入れ物があったのでお布施をお入れしといた。それにしてもタイの寺院はどこも金色を使っていて華やかなんだけど、そのなかに静けさを感じられるような落ち着きがあるのがなんとも不思議だ。それと寺院には犬が多い。お寺が身寄りのない野犬を大事にしてるらしく、なんともやさしい国なんだなと感心しながら、あらためてウチで飼ってるバカ犬のキャンキャン鳴く声を思い出してしまった。飼う人間の本性がが犬にも反映されるのだろう。タイに来てから一回も犬にほえらられなかったので、俺はついには犬好きになってしまったのである。
川岸を出航した青シャツ船はその後もお寺巡りのクルーズツアーになった。アムパワーみたいな支流の川にも入っていったのだが、川べりには高級別荘なんかもあって、やっぱりタイは川とともにある国なんだと実感、護岸工事なんてほとんどやってない大小様々な美しい川を羨ましく眺めていた。お寺巡りで終始するのかと思っていたクルーズだったが、一度だけヘンテコなテーマパーク立ち寄った。まず入り口にプロペラの古い戦闘機が無造作に置かれ、奥に進むと馬やイノシシ、ラクダなんかが動物園のように飼われていた。顔を見合せながら「これはないな~」と長クルーズにも疲れてきた46歳俺と48歳S氏、落胆のセリフを連発するようになってきた。もうそろそろ寺院巡りも終わりにして引き上げるのかなぁなんて考えていたのだが、それからもう二回ぐらいダメ押し巡礼、S氏は「苦行僧のようだな」となかば諦めかけていたのだが、これは最後の最後に青シャツ船頭がしかけた心憎い演出の伏線だったのだ。船がメークロン川のほとりに出た時、夕日は川岸の地平線すれすれのところにあって黄金の光で大河を照らしていた。このクルーズで一番美しい風景、タイの大河の夕暮れを乗客に見せるため、ジャストタイムで船を操っていたのだ。やるな青シャツ…

思いがけないツアーを楽しんだ後、我々は宿に到着。シャワーを浴び、足りなくなったパンツとシャツを洗濯してから夕食をとりにロビーへ。川べりに板の間が接してあって、そこにじかに座れる安楽クッションが置いてある。対岸の明かりはぼんやり燈っていて喧騒など微塵もない。川の水が流れていく音が聞こえるような聞こえないような、とにかく素晴らしいロケーションと静けさと時間の流れ。こんなのがうちの近所にあったらさぞかしいいだろうと本気で思ってしまった。
S氏と二人 まずはハイネケンで乾杯。野菜炒めのあんかけとトムヤムサラダ、タイチャーハンで〆たが美味しかった。このままここで朝まで寝っ転がっていたいような気分だったが、夜がもったいないので夕食後街に繰り出した。アムパワーの街は旧正月ソンクランの前夜祭だったようで、お寺からは大きなスピーカーでお経を読んでるお坊さんの声を流していたり、どさまわりのダンスグループのステージ公演があったり、射的やアイスパン売りなんかもいて祭りの雰囲気を盛り上げていた。13日から始まる本祭では水をたっぷりかけられ、服がびしゃびしゃという状況になってたかもしれないのでその前の旅だったのは正解だった気がする。
せっかく街に出たのでなんか食べなければ祭りを味わえないだろうということで、そのアイスパンとS氏絶賛の卵ともやしの炒め物、最後に何のウジだか分らなかったが、白くて細いウジを炒めて塩を軽くふってあるスナックをいただいた。S氏でさえ最後まで食べるのを拒んでいた代物だったが無茶苦茶美味しかった。若い綺麗なおねえさんが売ってるんだから間違いないと思うのだがな…
しかし体は正直で、あれほど正露丸を飲んで頑張っていた腸も、ここにきてタイ料理の洗礼を受けることになった。急に腹が痛くなったと思ったら、猛烈な便意、慌てて公衆便所を見つけ駆け込んだ。なんとか間に合ったがケツを拭くのは聞いていたとおり手桶に汲んだ水、どうやら川の水らしくちょっと濁っている。宿ではトイレットペーパーを使うことができたがここはやはり手桶の水をケツの穴にかけてきれいにしなければいけない状況だ。意を決してやってみたがあんまり上手にできなかった。人力ウォシュレットはなかなか難易度が高い。残りは宿でなんとかするしかないだろう。だから中学生の修学旅行はタイではダメなのだ。

というわけで二日目がやっとここで終わる。長くて濃い二日目だった。

このあと旅行記続けられるか不安になってきましたが…
 

タイ ベトナム旅行記 2日目 メークロン鉄道 後編

2016年04月12日 | Weblog
満腹になり、いよいよバーンレーム駅を出発、最終目的地のメークロン駅までは34km 川を挟んでまた同じ距離の鉄路の旅だ。前半と同じような風景が続くが、電車に乗っている客は少ない。相変わらず天気は良く、車窓から入り込んでくる風は心地よい。そろそろ鉄路の旅にも飽きてきたかなというころ、終点のメークロン駅が近づいてきた。この駅なんせ線路と市場の商店が近すぎる。
早速車窓ギリギリのところに店の庇が通りすぎた。顔を出していたら完全にもっていかれるやつだ。真正面は良く見えなかったが、運ちゃんはこれでもかというぐらいに警笛を鳴らしていた。スピードは歩くぐらいゆっくりで、直前に横切ってもなんとかなる速度だ。やがて電車は木が敷いてあるホームに到着。タイ人とおぼしき観光客がカメラを撮ったりして僕らを出迎えてくれた。というか眺められてた。マハ―チャイよりももう少し賑やかな市場という感じのメークロン駅だったが、昼を過ぎた市場は朝とはまた違うマッタリとした空気が流れていた。ただすごいのは線路上に食材を置いて商売してる事。魚、肉、野菜といったあらゆるものがゴザやコンテナの上に載せたトレーなんかに乗せて売られている。S氏と相談、荷物をおいて自分達が乗って来た電車が折り返すときに店をたたむ様子を見てみようという事になった。
間もなく電車が出発、大きく警笛が鳴った。線路際の商店主は張りだしていたタ―フみたいなのをゆっくりとたたみ始め、陳列してあった食材を手際よくひっこめ始めた。相変わらず警笛はデカイ音で僕らに注意をうながす。ゆっくり僕らに近づいてきた電車は目の前に来ると思っていたより早いスピードで通過していった。つまづいて前に出たらひとたまりもない。中学生の修学旅行に来てはいけない観光スポットかもしれない。やつらはすぐふざける… 
電車が行った後もう一度市場を散策。S氏はよっぽど好きなんだろう、マンゴーを大量に購入、ホテルで大人食いするといって喜んでいた。驚いたのは荷物を置かせてもらっていた御主人の息子さんは、日本の近畿大学に留学してるとのことだった。カノム・ピヤァ(小豆饅頭)というタイの饅頭を売って日本の私立大に留学させるのはさぞかし大変なんじゃないかと思ったが、俺も頑張らねばなと反省…
空港に到着してからすでに12時間経過、そろそろ我々にも疲労が顔をのぞかせてきた。足を思いっきり伸ばして横になれることを想像しながら、今日宿泊するアムパワーの宿を目指し、メークロン駅をまずは徒歩で出発した。「ソンテウ」というトラックを改造したタクシーに乗って宿の近くまで移動。涼しくて快適なのだがシートベルトは無い。乗り込むときには最後尾の立ち乗り席(席じゃないけど)しか空いてなった。10分ぐらい乗ったかな、90円(30B)を支払い、宿の近くだという所で降ろされた。こっからはまた徒歩。S氏はベトナムで縫製してもらう材料なんかが入った大きめのスーツケースを転がしていかなければいけないのでかなりしんどい。俺もS氏の荷物を少し分担してしょっているので40Lのリュックはかなり重めだった。途中ここに住んでいる日本のご婦人を発見。見た瞬間に日本人だとわかった。一言二言会話、久しぶりにS氏以外の日本語をきいた。
そうこうするうちアムパワー川を渡る橋に到着、目指す宿はこの川のほとり。歩いているだけで気持ちが落ち着くアムパワーの古民家長屋をゆっくり時間をかけながら進むと目指す宿に到着した。緑にかこまれた素敵な宿だ。ロビーの向こうには川があり、なんの仕切りも無くオープンスタイルロビーになっている。一目惚れで気に入ってしまった。実際こんなリラックスできる宿に泊まったことが今まで一度も無い。銀コップででてきたウェルカムドリンク茶も涼しげだった。チェックインの受付はこの宿のオーナーらしき人がしてくれた。蓮の花の髪飾りにピンクのタンクトップ、黒メガネをかけて口紅をうっすらした素敵なおじさんだった。中学生の修学旅行だったら大騒ぎになる。だからあいつらを連れて来てはいけないのだ。とりあえず部屋に行き小豆色のサテンのシーツのベットに横になってしばしゆっくり。市場で買ったマンゴーを大人食いした後、シャワーを浴びてから川沿いのアムパワーの街に繰り出した。
川の水はそんなにきれいとはいえなさそうだが地元の子供達が水浴びして楽しんでいるし、繁殖力の強いウォータ―ヒヤシンスも結構浮いていた。この川のゆったり感は水質どうこうの問題では全くない。
休日には水上マーケットで賑わうらしいのだが、この日は船の店はちらほらしか来てなかった。っていうかどっからこの叔母ちゃん達はやってくるのだろうか?それは今もなぞですが…
僕らはいつものようにタイのベトナムコーヒー(ややこしや)を船に乗ったおばちゃんに注文し、コップ片手に約一時間のアムパワー川の下流につながるメークロン川ツアーに旅立った。40歳ぐらいの青シャツ船頭さんはなかなか男前でかっこいい。むき出しのいすゞエンジンを操作し、そこから長く伸びたスクリューが総勢25名のツアー客を乗せ、ウォーターヒヤシンスをかきわけながら滑りだしたのだ。

つづく

タイ ベトナム旅行記 2日目 メークロン鉄道 前編

2016年04月11日 | Weblog
マハ―チャイ駅をめざした電車は最初こそ静かに滑り出したがそれもつかの間だった。住宅街から郊外へ出ると、電車はスピードを徐々に上げ、ガタゴト田舎電車へと変身した。バンピーな線路にかろうじて台車が乗っかっている感じ。こんな電車は日本じゃ絶対国土交通省が許しちゃおかんだろう。途中の踏切ではおじさんがバリケードを引っ張り出して人力遮断機してるし、とりあえず人身事故を避けるために運ちゃん(そんな風貌の電車運転士だった)はクラクションを鳴らしまくっていた。ところが驚く事なかれ、この電車れっきとしたメイドインジャパンなのである… 
明るくなるにしたがいタイがだんだんその姿をあらわしてきた。電車の旅は日本でもいいが、異国で乗るのもなかなか素晴らしい。約2時間程だったが車窓からの風景は飽きることが無かったし、暑い風も心地よかった。そして電車は終点マハ―チャイ駅へ。ホームはすでに活気にあふれ、街の朝は人と車とバイクとリヤカーでごった返していた。線路脇はすぐに店が立ち並んでいて、肉や魚、野菜が山積みになっている。花売りやハンガーを持って立って売っている無店舗アロハシャツ売り、焼き鳥や焼きいも、タイお菓子の露天商なんかもあった。生カエルや串に刺した干しガエル、豚の頭が丸々売ってたりするのははじめて見たのでちょっと驚いた。ここでとりあえず朝飯を食べようということになり、駅前のおばちゃんがやっている屋台で臓モツスープとライスを食べることにした。代金はおばちゃんの旦那らしきおっさんにボられ、40バーツだったのを50バーツにされたようだ。30円損した… まあ臭みも全くなく美味しかったのでよしとしよう。
食後は再度市場の中を見学、中にあった喫茶店でベトナムコーヒーを飲む事にした。タイでもベトナムコーヒーは人気らしい、深めに煎った豆から抽出し練乳と混ぜて作るコーヒーで、S氏もこのコーヒーが大のお気に入りなのだ。僕もS氏も冬はスキー場のパトロール隊員をしているのだが、山頂待機の時はレギュラーコーヒーを飲んだりする。僕はほとんどブラックなのだがS氏は必ずミルクと砂糖を入れてしまうのだ。コーヒー本来の味が台無しになるじゃないかと時には口に出して、時には心の中で言っていたのだが、この状況を見て得心が行った。俺も一口飲んでその虜に。昔々軽井沢の喫茶店で飲んだような気がするが味はよく覚えていなかった。涼しい軽井沢にマッチしていなかったんだろう。だから多分日本に帰ったらまたブラックを飲むと思う、ベトナムコーヒーは東南アジアの気候にマッチしているのだ。
時刻はちょうど9時になっていて喫茶店(とはいえドアもなにもない良く言えばオープンカフェ)のテレビではタイ国王の朝番組が放送されている。店主らしき年配のおじさんはテレビに向かっておじぎをしていて、両足にはさんでいる孫らしき女の子にもそうするように諭していたのだが、それを見たS氏も一緒におじぎ。店主はタイ国王に敬意を表す日本人にいたく感動したらしく、コーヒー代金を払おうとしたら、それを断固拒否するのだ。それでは申し訳ないと再度突き返すが店主の意思は固かった。我々はとにかく半額料金を渡し逃げするように置いてきてなんとか事なきを得た。ただでさえ安い代金を無銭飲食するわけにはいかないのだ。
マハ―チャイ駅を後に我々旅行隊は次の目的地バーンレーム駅を目指した。本来メークローン鉄道はマハ―チャイ駅通過後、川を鉄橋かなんかで渡りバーンレーム駅に行く予定だったらしいのだが、何らかの理由(予算不足とか)で鉄橋が架からなかった。しかたないので乗客は川を船で渡ってバーンレーム駅に行き、そこから後半戦のメークローン鉄道に乗りついで終点メークローンに向かうというわけなのだ。というわけで我々は渡し場に向かい到着、緑色の平らな船に乗り込んだ。徒歩の乗客は我々のみ、あとはバイクに乗ったまま乗船してくる地元の人達ばかりだった。そしてあっという間に対岸へ、船頭は船と同じ色のポロシャツを着たいかしたおっさんだった。バーンレーム駅へ歩いている途中、iPhoneのプリペイドsimカードが売っていたので買おうとしたのだが、売ってるおっちゃんがセッティングできないというので断念、結局タイではフリーWiFiのあるところでしかスマホを使うことができなかった。まあいい、日本での俺は四六時中スマホをいじっているから、これを機にスマ中を克服したほうがいい。事実旅行中の俺のiPhoneはただのカメラに堕していたのだが…
バーンレーム駅は絵にかいたようなのどかさ、さっきのマハ―チャイの喧騒が嘘のようだ。犬は線路を枕に寝ているし、お坊さんは木の下で涼んでいる。ホームには駅近くの住人のであろうブラジャーが何枚も干してあった。ホームの屋台では青いニット帽をかぶった土木作業員の兄さんが昼飯をガッツリ食べている、それがうまそうだったので我々もそこで電車が来るまでのんびり昼飯を食べることにした。まずはタイビールを注文、喉を潤してからタイの麺(クティオ)とタイ風鶏そぼろ飯(ガッパオ)をいただく。朝食に引き続き昼食も当たりだった。とにかく旅と食は切り離せない、旅とはそこの土地の食にふれることなのである。

まだまだ食べまくるぞと期待を膨らませ、日本から持ってきた正露丸をビールといっしょに胃袋に流し込んだのだった。


タイ ベトナム旅行記 2日目 浦東 スワンナブーム編

2016年04月11日 | Weblog
上海行きの中国東方航空は穏やかに飛び続けていた。
本来であればタイ直行便で行きたいような気がするが、そこは旅の達人S氏に任せるしかない。なぜなのか羽田で説明された頭が悪く理解できなかったので省略する。
機内では夕食がでた。牛肉と野菜のオイスターソース炒めみたいなのにライス、串団子に卵焼きとたくあん巻き寿司。小倉あんパイとヤマザキのパンのバター添えだった。バランスが悪いのは東方航空社員の選択だからなのかもしれないが、日本製なので味はいい。S氏にも感想を求めようと思ったがこのフライトでは唯一席がはなれていた。S氏と会話できないことと、まだ日本にいるようなテンションだったのでイヤホンで自分のいつもの音楽を聴いたり、空港で買った東野圭吾の小説を読んだりして時間を過ごす。
そんなふうにしてる間に上海の浦東国際空港に到着。時刻はまだ夜の10時半、時差1時間分伸びたが一日目はまだ終わっていなかった。予定通りそのまま中国に出国することなく空港内で乗り継ぎの便を待つことになる、いわゆるトランジットというやつだ。
小腹がすいたのでファミリーマートで日本に無いタイプの日清カップヌードルを食べ次のフライトに備えた。
タイ スワンナブーム空港へは上海航空で。タラップで乗り込むのは首相の外遊みたいでなかなかいい。今回も窓際席だった。そういえば西武バスも窓際、東方航空も窓際、上海航空も窓際、今回は嬉しいが俺がもし会社員だったら辛くて逃げ出したに違いない。こういう席をとってくれたS氏にはほんとうに感謝している。
機内ではまたもや食べ物が給されたが、S氏は不味いと言って全く手をつけなかった。俺はいやしいので九割がた食べたが、中国製であろうその丸パンはヤマザキの丸パンとは似て非なる味付け、余計な物を食べてる暇は無いぞとあらためて自分に言い聞かせる。
その後タイの入国カードが配られ、必要事項を記入していく。職業欄があったのだが、その時「百姓」をなんて英語に訳すのかド忘れしていた。今考えれば「Farmer」でよかったと思うのだが、S氏が「アグリカルチャーナントカじゃないのか」とか言ってたので咄嗟に出てこなくなってしまったのだ。仕方なく「Taxi driver」と書き込んだ。S氏はその後も「プロスキーヤーとかにしとけ」とかふざけたことを言ってひとりでウケまくっていた…
タイに到着したのは3時頃だった。タクシーで市内の花市場を見学する案と、空港で雑魚寝して次の目的地行きの始発電車まで時間調整するか案を協議した結果、雑魚寝案に決定。早速便所で歯を磨いたりしてからエスカレーターの下空間で新聞紙を敷いて仮眠する。横には空港職員も雑魚寝していて、なんの遠慮もいらない感じだった。5時半頃には起床、タクシーをつかまえ一路メークローン鉄道の始発駅、ウォンウィエンヤイ駅を目指す。タクシーの運ちゃんはかなりのご高齢、胃が悪いのか、癖なのか終始げっぷをしていた。それはまだいいが運転もずいぶん怪しくて、ふらふらしながらスピードも上げたり下げたり…ただぼったくらないでくれたので結果的にはいい運ちゃんと言っていいだろう。
朝の6時に到着、駅はもうすでに目覚めていてホームでは露天食堂がパンを揚げたり野菜を刻んだりしていた。とりあえず先に切符を購入せねばと窓口へ、30キロ先の終点マハ―チャイ駅まで買ったのだが料金は30バーツ、90円だった。後から来たタイ人にはどうみてもタダで切符を配っていた風だったがあれはなんだったのか?またどうしてこの鉄道に乗って旅するのかはS氏だけが知っている。僕は深く考える事はせず、初めて見る目の前のタイにただ心躍らせていればいい。
やがて前照燈を光らせた電車が大きなホーンを鳴らしながら到着した。僕らは低いホームからよじ登るように客車へと乗り込む。
恋人達やおじさん、おかーさん、そんなに乗客は多くはなかった。6時半の始発電車だったこともあるだろう。

明け方の暗いバンコクからまだ見ぬタイへと電車は滑りだした。まだ僕らはタイの入り口に立ったばかり

タイ ベトナム旅行記 1日目

2016年04月10日 | Weblog
朝方雨が降っていた。東京にしては少し肌寒い。
妹が作ってくれたおにぎりを食べマンションを後にした。夕方の出発まで時間はたっぷりある、のんびり皇居の桜でもぶらぶら眺めてから行こうと思ったのだが生憎天気が悪かった。桜は晴天で眺めなければあかんだろ、という何となく感から皇居の選択肢はなくなった。
それに桜はもうすでに東京に着いてからあちこちで見ている。四ツ木のマンションに行く途中にも美しい桜並木で心のほぐれは十分だった。
てなわけでそのまま京成に乗り続け新橋へ。なぜ新橋なのかはよくわからないがなんとなく新橋がおもしろそうだったのだ。そこらへん椎名誠の「新橋烏森口青春篇」を過去に読んでしまって影響されているのかもしれない。今考えれば角筈でもよかったかもしれないが京成から外れるのは面倒だった。
この際昼間から酒でも飲もうと思ったのだが、午前中に空いてる店は少なかったし、ちょっと気が引けるのもあったのでラーメンを食べることに。
ぶらっと歩いているとサラリーマン数人が店の前で待っていたラーメン屋があったのでそこに入ることにした。お昼時にガラガラのラーメン屋に入る勇気は無い…

狭い店内のカウンター席、なんとか40Lのリュックを足元に置き、鶏白湯ラーメンとささみユッけ丼を待つ。
新橋は鶏を使った料理店が多いような気がしたが、まあそんなことを詳しく調べたって農業技術が磨かれるわけではないので省略。出されたラーメンは美味かったし、ユッケ丼も美味かった。不味いラーメン屋は長続きしないので不味いラーメンに出くわす事は滅多に無いと言っていい。

その後新橋をふらふら散策、背広を着たサラリーマンに羨望と尊敬と感謝と哀憫と疚しさのごった煮のような感情をいだきながら東京を感じていた。筋金入りのバックパッカー(略称バッパー)ではないが、昼間の新橋に豆絞りの手ぬぐいとTシャツに半ズボン、サンダル履きの40Lリュックはかなり不釣り合いだった。

居心地の悪さも手伝って早々に京成に乗り込み時間稼ぎしながら羽田へと向かった。前回来たのは福岡への農業視察の時、新しいターミナルになってからはこれで二回目のような気がする。
大分早く着いてしまったのでまずはのんびり展望台へ、離発着の飛行機を眺めたり写真を撮ったり。風があって出発した時の軽井沢よりずっと寒かった。
その後チェックインカウンター近くの椅子に腰かけ旅行日程表を眺めたりスマホをいじったり、空港の本屋で新たに買ってきた文庫(合計6冊)を読んだりしていると今回の旅の相棒であるS氏が「いやぁ~すまんすまん」と言いながら不意にあらわれた。すまんことなんかひとつもないのだがやましい事でもしてきたのだろうか。
彼とは以前も一緒に上海旅行に行っている。S氏は軽井沢でアジアン雑貨店を経営している敏腕オーナー、冬はスキー場でゲレンデパトロールをしている。
そこで同僚だった俺と今回の旅を計画したのだ。前回同様彼の旅の主たる目的は自身の店の商品の買い付けなのだが、俺はそれについて行くといったところ。
旅のそもそものきっかけはネットで格安ベトナムツアー五日間ってのを見つけ、一人旅しようと思ってるんだがとS氏に話すと
「ベトナムだったら俺と一緒に行ったらイイじゃないか」
と、どんどん話が進んでいったのだ。
本来だったら三月中の予定だったが彼の申し出もありがたかったので四月のその旅に乗っかった。一人でまごつきながらの旅もいいがアジアを旅慣れた友人との二人旅のほうがもっと楽しいだろうと。前回の上海も彼のおかげで120%楽しめたし命も救われた。(詳細はこちら↓)

http://blog.goo.ne.jp/ysmb35ht/e/373e9101524ba011ec6702615d4508a0

正直空港でツアーの添乗員と合流したような気分になり、そのままチェックインカウンターへ。S氏は東京に別れを告げるかのようにピンクのパーカーとワイシャツを脱ぎ、空港のユニクロで買ったばかりの忍者のイラストがプリントされているヘンテコなTシャツに着替えて気分を盛り上げていた。

遅れるだろうという予想に反し、オンタイムで中国東方航空はフライト時間になり俺達は夜の空へ上海へ向けて飛び立った。
ここまで書いたがまだ一日目は終わっていないし国内にいたままだ。しかし区切りがいいので今回はここまでにしておきます。

   再見!


タイ ベトナム旅行記 0日目

2016年04月10日 | Weblog
旅行記は生モノだ。なるべく早いうちに書かないと鮮度が落ちてしまう。というわけで書いてみるのだが
なんせ言葉を駆使するスキルが低いのでどうなることやら…

4月5日お昼前、西武バスを72ゴルフ場前の停留所で一人待っていた。軽井沢はこの時期にしては暖かい
これから始まるタイ、ベトナム旅行に期待を膨らませるというよりは、旅行後の畑のスケジュールの遅れが気にかかっていた。
農家はこの時期のスタートダッシュが大事、そこで四泊五日は明らかにやりすぎている。
そんなことをぼんやり考えていたところにバスが到着した。古びて色の変わったチケットを運転手に渡したのだが即座に
「あぁ~これもう使えないんですよねぇ~」とバッサリ切り捨てられた。粘ってもしょうがないのですぐに新しい切符を購入、出だしから不安な旅の幕開けとなってしまった感じだ…
五年間使わずにとっておいた回数券は期限切れで使えなくなっていた。
「車内にかなり前から払い戻し期限の張り紙がしてあったと思うんですが…」
ここんところ利用してなかったので知らなかったし、回数券にもそんなアナウンスは全く記されてなかった。
一ヶ月前に気付いていればニ千円払い戻ってきたのだが…
気を取り直す間もなくバスの座席のA1へ。なぜこの席をとってくれたのか電話予約係のお姉さん(声だけでは年齢判断不能)にきいてみたいのだが。多分空いていたんだろう、予約は二日前までと書いてあるのに前日予約できたぐらいだから。
文庫本を四冊もってきたのだが車内で手をつけることはなかった。普段公共交通機関に乗る機会がないので、自分以外の人が運転する乗り物に体を預けノンビリ車窓を眺めていた。天気は相変わらずよかった。

バスは池袋に到着、トイレットペーパー2巻をしのばせた40Lの登山リュックを背負ってそのまま山の手線へ
日暮里で京成に乗り換えて妹家族の四ツ木のマンションに向かった。一泊させてもらい次の日に羽田から飛び立つのだ。
四ツ木は海外旅行の経由地としては絶好のロケーション。羽田に行くにも成田に行くにも一本電車だ。一泊させてもらうのでビールと卵とアイスを途中買ってお土産にもっていった。
妹家族はいつ訪ねて行っても歓迎してくれる。この日もさっそくビールを出してくれた、一家の主が仕事から戻ってきてなかったのだが…
明日は夕方出発なのでスケジュールはゆったり、夜更かしして飲もうと思ったが47歳の体がいうことをきかなかった。
軽井沢の自宅とは比べ物にならない暖かい部屋であっという間に眠りに吸い込まれていった。

明日からのことを思いめぐらす間も無く……