12月6日に軽井沢を出発し放浪開始、同28日旅を終えて帰ってきた
22泊23日のロング放浪、僕の人生の中で最も長い放浪になった。放浪に深い意味もなく、ただ単に家を離れさまよい歩きたくなったっていうのが動機で、自分を見つめ直すとか、死に場所を探すとかそういったことでは一切無い。
旅しながら思ったことや、撮った写真なんかはトラックの荷台でFacebookにアップしてきたのでほとんど詳細はそこに記してある。
なぜトラックの荷台かっていうのは、今回の旅はトラックの荷台に畳を敷き、そこに必要な生活道具を詰め込んで寝泊りしていたので、そこで毎日夕飯を食べ、酒を飲みながら旅の詳細を日記のように書き込んでいたからということだ。
放浪しながら風景を見たり、人に会ったりして感じたことや、道中で聞いていたラジオによって考えさせられたことなんかを音声メモやメモにプロットしておき、酒を飲みながら書いていたのだが、頭に思い浮かんだことっていうのは思い浮かんでは消え、飯を食っては消えトイレで用を足しては消えるので、メモしておかないとその時どう感じていたかなんてすぐに脳から消え去っていく。
後でメモを見返せば自分の心はどこに向かっているのか、何をしたいと思っていたのか思い出すことができる。文章を書きながら頭の中を整理するために書いていたのだ。
自分自身の小学生の頃書いた作文は、なんも思うこと無いのに書かされていたり、先生におもねった文になっていたりするのであんまりいいのがないんだけど、長崎、雲仙普賢岳の噴火で被災した小学生の作文は読んで涙が止まらなくなった…
広島では雪に見舞われ、思うように動けなくなった。この旅で一番難儀した場所になった。
日本の物流は地方の端っこの方にまでしっかり張り巡らされた高規格の道路や、しっかり組まれた運送業のロジスティクスによって支えられている。
コンビニやスーパー、ホームセンターほとんど欠品なく様々な商品が並べられていることに驚きを感じるし、それを支えている人々に感謝してやまないのだが、そういう機能を地方にまで張り巡らすと、どこか他の部分に窮屈さや無理、歪みをもたらしているのではないのかと心配になってしまう。
目の前で雪によって渋滞しているトラックを見ていると、システムがダウンした場合、最後の砦は人の力で何とかせにゃならんのだけど、雪が消えればまた日常が戻り、何もなかったように商品棚に品物が並ぶ。
そんな偉そうなことを言いながら、俺のトラックの中の食生活はほとんど旅先のスーパーに支えられていた。ただ消費するだけの旅であり、何も生み出していない。
燃料を消費し、食糧を消費し、それでも放浪をする意味があるかどうかはわからなかったが、帰ってきたら俺の気持ちはいくらか落ち付いた。
放浪記を書いてみたが脚色はほぼ無い。脚色したら後で読み返したときに違和感が残って読んでられないと思ったので、その日の旅の記録はその日に書き記すようにしていた。だから面白くない事実ばかりだけれど、それはそれで致し方ない。
松尾芭蕉は「奥の細道」でところどころ文学的な脚色や構成をしている。それは一緒に旅した門人の河合曾良の「曾良旅日記」との比較でわかる。
新潟県の「市振」の章は全くの虚構だけれど、それはそれとしておかないと奥の細道っていう紀行文が成り立たなくなる。紀行文とはそういうもの。
だからアポなし、ロケハンなしのテレビの旅番組なんて当然存在しない…
もう一点考えさせられたのは、城や神社仏閣をめぐってのこと。
要するに人間の歴史はマウントの取り合いの歴史だってこと。いろいろ曲解したり、議論をこねくりまわしてもその点に集約する。
マウントの取り合いに、いろんな動機があったり大義があったりするんだろうけど、最後はマウントを取ることによって一件落着(一見落着)したような状態にするということ。歴史を考察し暴力革命じゃないとマウント取れないって思ってる人が一定数いるっていうのもわからなくはないし、
壊れないと再生できないって思ってる人も一定数いるだろう。僕はそこはよくわからない…
もう一点は消費に関してだけど、人は雰囲気で商品を買っているってこと。
これはメモしておいたのだけど、言いたいことの核を忘れてしまったのでまた何かの機会で思い出し書きしたいと思います。
22泊23日のロング放浪、僕の人生の中で最も長い放浪になった。放浪に深い意味もなく、ただ単に家を離れさまよい歩きたくなったっていうのが動機で、自分を見つめ直すとか、死に場所を探すとかそういったことでは一切無い。
旅しながら思ったことや、撮った写真なんかはトラックの荷台でFacebookにアップしてきたのでほとんど詳細はそこに記してある。
なぜトラックの荷台かっていうのは、今回の旅はトラックの荷台に畳を敷き、そこに必要な生活道具を詰め込んで寝泊りしていたので、そこで毎日夕飯を食べ、酒を飲みながら旅の詳細を日記のように書き込んでいたからということだ。
放浪しながら風景を見たり、人に会ったりして感じたことや、道中で聞いていたラジオによって考えさせられたことなんかを音声メモやメモにプロットしておき、酒を飲みながら書いていたのだが、頭に思い浮かんだことっていうのは思い浮かんでは消え、飯を食っては消えトイレで用を足しては消えるので、メモしておかないとその時どう感じていたかなんてすぐに脳から消え去っていく。
後でメモを見返せば自分の心はどこに向かっているのか、何をしたいと思っていたのか思い出すことができる。文章を書きながら頭の中を整理するために書いていたのだ。
自分自身の小学生の頃書いた作文は、なんも思うこと無いのに書かされていたり、先生におもねった文になっていたりするのであんまりいいのがないんだけど、長崎、雲仙普賢岳の噴火で被災した小学生の作文は読んで涙が止まらなくなった…
広島では雪に見舞われ、思うように動けなくなった。この旅で一番難儀した場所になった。
日本の物流は地方の端っこの方にまでしっかり張り巡らされた高規格の道路や、しっかり組まれた運送業のロジスティクスによって支えられている。
コンビニやスーパー、ホームセンターほとんど欠品なく様々な商品が並べられていることに驚きを感じるし、それを支えている人々に感謝してやまないのだが、そういう機能を地方にまで張り巡らすと、どこか他の部分に窮屈さや無理、歪みをもたらしているのではないのかと心配になってしまう。
目の前で雪によって渋滞しているトラックを見ていると、システムがダウンした場合、最後の砦は人の力で何とかせにゃならんのだけど、雪が消えればまた日常が戻り、何もなかったように商品棚に品物が並ぶ。
そんな偉そうなことを言いながら、俺のトラックの中の食生活はほとんど旅先のスーパーに支えられていた。ただ消費するだけの旅であり、何も生み出していない。
燃料を消費し、食糧を消費し、それでも放浪をする意味があるかどうかはわからなかったが、帰ってきたら俺の気持ちはいくらか落ち付いた。
放浪記を書いてみたが脚色はほぼ無い。脚色したら後で読み返したときに違和感が残って読んでられないと思ったので、その日の旅の記録はその日に書き記すようにしていた。だから面白くない事実ばかりだけれど、それはそれで致し方ない。
松尾芭蕉は「奥の細道」でところどころ文学的な脚色や構成をしている。それは一緒に旅した門人の河合曾良の「曾良旅日記」との比較でわかる。
新潟県の「市振」の章は全くの虚構だけれど、それはそれとしておかないと奥の細道っていう紀行文が成り立たなくなる。紀行文とはそういうもの。
だからアポなし、ロケハンなしのテレビの旅番組なんて当然存在しない…
もう一点考えさせられたのは、城や神社仏閣をめぐってのこと。
要するに人間の歴史はマウントの取り合いの歴史だってこと。いろいろ曲解したり、議論をこねくりまわしてもその点に集約する。
マウントの取り合いに、いろんな動機があったり大義があったりするんだろうけど、最後はマウントを取ることによって一件落着(一見落着)したような状態にするということ。歴史を考察し暴力革命じゃないとマウント取れないって思ってる人が一定数いるっていうのもわからなくはないし、
壊れないと再生できないって思ってる人も一定数いるだろう。僕はそこはよくわからない…
もう一点は消費に関してだけど、人は雰囲気で商品を買っているってこと。
これはメモしておいたのだけど、言いたいことの核を忘れてしまったのでまた何かの機会で思い出し書きしたいと思います。