上発地村から

標高934mぐらい日記

私とスキー 続き

2021年04月29日 | Weblog
もう題材が季節とマッチしないけど書かないと終わらないので…

お店のこうちゃんの家は村で日用雑貨店をやっていた。僕が子供の頃は自動車の免許をもっていないご婦人も多かったので、こうちゃんちで食材を買ったりして食事を賄っていたりした。こうちゃんちはそのほかにも駄菓子屋みたいな商品も売っていて、当時流行っていた「スーパーボール」っていうものすごく跳ねるゴムボールのおもちゃなんかのくじ引きなんかもやってた。昔は畑仕事で遅くまで働いていた家も多くて、なかなか食材や日用品の買い出しも大変だったんだろうなって今になるとしみじみ思う。そんな村の貴重な商店をこうちゃんちはやってたのだ。
ある日こうちゃんと外で遊んでいた時、彼は自分ちのお店から売り物のアイスクリームを持ってきて僕の前でおいしそうに食べていた。とにかくこうちゃんちには駄菓子やコーラ、ちょっとしたおもちゃなんかがあって、それを好き勝手自由にしているように見えたのだ(実際は商品なんだけど)
こうちゃんに対してはちょっといつも羨ましいな~って思ってたんだけど、その時は何を思ったのかこうちゃんに「俺にもアイスクリームくれよ!」って言った。たぶん今まではそれは商品だから買わないといけないって事はわかってたんだろうけど、くやしいというか、うらやましいというか、何か不平等感を感じてちょっと強めに要求したのを覚えている。ちょっとした「カツアゲ」の要素が含まれていたかもしれない。
こうちゃんとは言い合いになり一悶着あったけど結局こうちゃんはアイスをもってきてしぶしぶ僕にくれた。あの時は完全に悪いことをしている感があってアイスがおいしいとかそういう事ではなく、ただなんとか手に入れたっていうような感じしかなかった(ような気がする)
その直後だったか後日だったか忘れたけど、こうちゃんのおふくろさんにえらい怒られた。そりゃそうだ。仲のいい友達とはいえそれをやってしまったら商売が成り立たなくなる。俺も反省をしてアイスクリーム強要事件はそれ一回きりだった。
こうちゃんちはその後何年かはお店をやっていた。こうちゃんが言うには店をやめるまでの最後の頃はこうちゃん自身が仕入れをしてたって夏祭りの時本人が言ってた。夏にジュースが売れるのでそれをよく仕入れてて、特にポカリスエットが売れたって敏腕バイヤー気取りで自慢してた。
とにかくこうちゃんちは楽しそうに見えたし実際そうだった。コンピューターゲームも持ってたし、最終的には自分でインベーダーゲームをパソコンで自作してた。最先端だったし、俺はその才能に嫉妬していたんだな…

なんの話だったっけかな…

そこで本題にやっと入るのだけど、こうちゃんの親父さんが軽井沢プリンスホテルスキー場で働いていたので、親父さんがナイターの勤務の時にこうちゃんと僕をまとめてスキー場に連れて行ってくれてたのだ。(ただ単にこれだけの話です)
その時もこうちゃんがグラスファイバーのスキー板だったのに僕は木のスキー板。こうちゃんがストッパー付きのバインディングだったのに対して僕のはリーシュコード… なにかにつけ先越されてたな。

中学校でもこうちゃんの親父さんに連れられてスキーしてた。妙高行ったり、黒姫行ったり。
その頃はスキーっていうスポーツが楽しくて楽しくてしかたなかった。
そんなこんなで今もスキーになんとなくかかわりながらこの歳まで生きてきた次第です。

とりあえずおしまい…