上発地村から

標高934mぐらい日記

昔のとうちゃん

2010年12月28日 | Weblog


今日は午後から出勤のため、朝は子供達を送り出す側になった。
かみさんが仕事に行く車で、保育園と小学校にそれぞれ子供達を送っている。

ストーブの前で長女を膝に乗っけて座っていると、5年生の息子が後ろに抱き付いて絡んできた。
「しつこいなぁー あっち行ってろよ!」 と思わず・・

そしたら息子が
「昔のとうちゃんのほうがよかった・・」とボソッと呟いた。
俺もなんか言わなくてはと思い
「とうちゃんも小さい時のマサのがよかった」
と何気に言ってしまった。

言ってしまった後、すぐ後悔した。絶対そんなこと言ってはいけなかった・・・

最近怒鳴ってしまう事が多い。多分家族全員のちょっとしたストレスが束ねられて、上手く
消化できずに、家族同士でぶつけてしまっている。

じゃあそれぞれのストレスの原因は何か? 解消法は?

    とりあえず息子に謝ろう・・

   昔のとうちゃんってどんなだったっけな・・・

   
    今日の一曲 チャイコフスキー 花のワルツ
   http://www.youtube.com/watch?v=Cg1dMpu4v7M&feature=related

めぐりあわせ

2010年12月21日 | Weblog


昨日は代行が1時半上がりで、早く帰宅できた。
遅い時は2時までやって、帰宅が3時ごろになるので、結構朝が辛くなる。

昨日はメルセデスの代行が2件あったのだが、まだ慣れていないので
エンジンをかけるのにまごまごしてしまっている。

今日はスキー場が休みなので、日頃の寝不足を解消するべくお昼近くまで寝ていた。

その後洗い物や、洗濯物を片づけ、パンをかじりながらラジオを聞いてのんびりする。

再就職の件だが、なんとか見通しがついてきた。
うまくいけば農協が雇ってくれるかもしれない。
農協の子会社の下で露地野菜の生産組織を立ち上げ、そこに参加するというものだ。

まだ細かい点は決まっていないが、道筋がついたので、俺はなんとか
これにつかまっていこうと考えている。捨てる神あれば拾う神もいる。ありがたい。

生産量が落ち込んでいる軽井沢の出荷量を、遊休農地や雇用(新規就農を目指す人等)
の活用によって維持、もしくは上げていこうと目的としている。
組織が既存農家に対して、作業受託などでサポートしていくこともあるだろう。
今回の計画は農協K技術員を中心として、課長、職員、軽井沢の理事さん達など
沢山の人が協力して動いてくださった。

そんな大きな役割があるなら、それに関わっていく事には未来がある。

昨日の夜はユースファーマーズのO代表からメールがあった。
共同でやっている春の群馬レタス栽培の件である。
俺なりにその文面を解釈すると 「また一緒にやろうよ!」ということかな・・(違ってたらスイマセン) 
なんか嬉しかった。ありがたかった。捨てる神あれば拾う”友人”あり といった感じだ。


   これから農協青年部の忘年会。 O代表を迎えに行くことになっています・・・


(出かける時いつも娘二人が「お酒飲まないでね×2」と言ってきます。代行の仕事に
 出かける時も言われるので閉口しています・・)

  
  今日の一曲 山下達郎  時よ
  http://www.youtube.com/watch?v=WJUDQjc9h1c&feature=related


塗る 板壁を 明るい色に。  

2010年12月17日 | Weblog
本日午後に農協野菜部会の反省会があるためスキー場に休みをいただく。
午前中暖かい時間に、先日貼った赤松材の板壁に防腐材を塗ることにした。
家の東側なので11時を過ぎると陽が当たらなくなってしまうので、少し急ぐ。

ほとんど赤松材なのだが、檜(ひのき)材もいくらかあった。檜はなかなか
防腐材のキシラデコール(色はピ二ー)を吸わない。やはり材そのものの
耐久性や耐水性があるんだなと感じた。

なんとかお昼ちょっと過ぎには全部を塗り終え、乾いてからもう一回塗れば
仕上がりそうだ。

実弟は「黒に塗ったほうがいいよ、和風建築なんだから」と言っていたが
やっぱピ二ー(薄キャラメル色とでも言おうか)にしてよかった。
明るい色の方が気分も晴れ晴れする。
西側の板壁はスプルース(ウコン色?・・ウンコ色じゃないですよ)に塗ってあって
実弟に言わせればドイツ風なのだそうだ。(ドイツ風?それはそれでいいじゃない

今塗っている壁の横は昔汲み取り式トイレがあったところで、まだ少し窪んでいる。
春になったら、梅の木と葦(よし)を取ってきて埋め戻す時に一緒に入れてやろうと
思っている。梅と葦で「埋めて良し」といった具合だ。(真剣です)

トイレを掘った時には、ここから室町時代の古銭がザクザク出てきて、今でも
町の資料館に寄付したのが展示してある。

穴掘ったらなんか出てくるなんて話、あるんだねぇ・・・

今日の一曲 ピチカートファイブ  スウィートソウルレビュー
http://www.youtube.com/watch?v=ACiWi3w13uQ&feature=related

ガタゴト道を行く

2010年12月16日 | Weblog
昨日初めての代行運転を無事終了した。
久しぶりに緊張感のある仕事をし、終わって家に帰ってホッとする。

今日は今シーズン初のスキー場勤務、まだ営業していないゲレンデの
ネットやマットの設営が主な仕事となった。
久しぶりに冬の仲間達に会い、一緒に仕事をしたのだが、なんか年をとるにつれ
一年があっという間に過ぎていくので、先シーズンがついこないだの事のように感じらた。

新人の青年ディガー(スノーボードパークなどのメンテナンスクルー)と仕事しながら
話をした。彼はいい給料をもらっていた自動車会社の工場を退職し、今しかできない
スノーボードに懸けているのだという。

こんな厳しい時代にも、夢を原動力にして生きている人は沢山いる。特に若い人はそうだ。
「夢(希望)さえあれば生きていける」なんて青臭く思うかもしれないが
やっぱその通りなんだと思う。そうじゃないと社会はダイナミックになっていかない。

ん・・どうもオジサン目線になっている。いかんな・・・

話は急に変わるが、先日東京からお客さんが来て、その時に鯉の旨煮をお出しした。
前の日からじっくり煮込み、初めての割には上手くできあがり、好評だった。
海の無い我が長野の東信地方は昔から鯉を食べる習慣があり、冠婚葬祭などの特別
な時などは「鯉こく」という鯉の甘味噌汁が必ず出た。(最近は少なくなったが)
その時、これまた初めて自分で打ったうどんを使った「ほうとう」も振る舞った。
麺がうまく出来過ぎたと思い、長い麺をわざと短く切ってしまったのが蛇足だったが
味はおおむね好評だった。

新しいものにチャレンジする時はおもしろい。これをなんとかエネルギーに
していきたいのだが、いいトルクコンバータが今の自分には備わっていないようだ。

エンジンが強力な人、燃料が沢山必要な人、タイヤとエンジンがダイレクトに
つながっている人、ブレーキが効かない人・・・

俺は少々古い1969年製、荷台に家族を乗せて、悪路をゆっくり走っています。

  今日の一曲 ザ・ブルーハーツ  少年の詩
 http://www.youtube.com/watch?v=4e_GSCHRDK0&feature=related



景色

2010年12月14日 | Weblog
おとといの夜は運転代行の初仕事だった。
まだ見習いのためお客さんの車は運転していないが、明日の夜からは
ぶっつけ本番の予定になっている。二種が活かせる仕事がみつかった。

仕事を紹介してくれた人も同じキャベツ農家で、就農の時から何かとお世話に
なっている先輩だ。春先も農作業をしながら副業で代行をやっている。
みんないろんな事情がありガンバッテいるのだ。 俺も事情のある一人だが・・

明後日から例年通りスキー場に勤務させてもらえることになり、今冬は昼夜忙しいが
なんとか凌いでいけそうだ。

仕事が始まる前に家の仕上げをしとかないといけないので、本日は壁を塗ることにした。
石膏ボードの継ぎ目にメッシュテープで補強し、上から珪藻土を塗る。
珪藻土は家にあったのを使った。バケツにお湯を入れ、そこに少しずつ粉状の珪藻土の
壁材を入れていき、ドリルに付けた撹拌プロペラで混ぜていく。
大体の混合比はわかってるのだが、最後は感覚が大事、パンやうどんを捏ねる作業に
似ているので、そういう職業の人は向いているかもしれない。

最初にマスキング(周りの部分を汚さないようにカバーすること)をしておいたので
早速塗り始める。鏝板(こていた)に練った珪藻土を乗せ、鏝(こて)で壁に塗りつける
なんか左官屋になった気分だ。

あんまり深く考えてもよくないので、遊び気分でやってみたのだが、なかなか面白い。
水加減もよかったので塗りやすく、綺麗にできた。プロのように仕上げると、スジが
ついたところが逆に気になるので、少しいい加減にラフに仕上げる。

パティシエが向いている仕事かもしれない。

二ヵ所塗ったが、材料もピッタリ、とりあえず上手くいった。乾いてからどうなるかは
まだわからないが・・・

塗ってしばらくの間、自分が作った壁の景色を眺めていた。

「なるほどねぇ・・そういうことか・・・」

陶芸する人、油絵を書く人、茶道を嗜む人 エトセトラ・・・ 
何となくどういうことかわかったような気がした。

ヤバイ 次はどこ塗ろうかなんて無意識に探してしまっているぞ・・・

今日の一曲  平井 堅  エレジー
http://www.youtube.com/watch?v=PSQ461SQwUs&feature=related


もらったジャンバーが暖かい

2010年12月09日 | 独言

かみさんはいつも子供達を保育園に送りだしてから近くのホームセンターの
アルバイトに行くのだが、今朝は娘達がうだうだしていて時間が無くなってしまい
俺が保育園に送ることになった。
最近双子の娘達が反抗期なのだろうか、スムーズな送り迎えができない。
かみさんが仕事を始めたため、今までみたいにガッツリ接してあげれてないのも
原因の一つだと思うが、本人たちの性格的な特徴も大いに関係している。(すごいです)

なんとか送り出し、その後、最後の小作料を支払いに地主さんのところに行ったのだが
留守だったため、そのまま税理士さんのところに領収書や書類等を提出しに行く。

続いて、町役場に行き「認定農業者」の再認定書類を提出。
今日がタイムリミットだと昨日電話があり、ギリギリ提出した。廃業を決めた農家なので
どうかとも思ったが、農業者年金の絡み等もあるため、とりあえず提出だけはしておいた。

家に帰り、これも提出をしてくれと催促のあった「戸別所得補償モデル対策加入申請書」
なるものにとりかかろうとしていたところ、突然玄関のチャイムが鳴る。
最初は見たことのないおばさんだったので戸惑ったが、亡くなった母の小学校の同級生だった。

お線香をあげにきていただいた。 

母が一年生の頃一緒で、その後引っ越してしまったのだが、生前何度か会って話したり
したとのことだった。

ありがたかった。小学校の頃の話は母ちゃんらしいなと思って、思わず笑ってしまったが
そのあと泣けてきた。忘れていた感情がこみあげてきた。

帰り際 「今日来れてよかった」とおばさんは言った。 
俺も「来ていただいてよかったです」と言う。心の整理なんて多分ずっとつかないと
思うけど、話すことで救われることは沢山ある。

問題山積みだけど、一つ一つときほぐしていけばなんとかなるだろう。 

焦らず、一歩一歩・・・

おれの軍手は・・・

2010年12月04日 | Weblog
風が強かったが、天気は朝から良好だった。
午前中は来月14日に予定されている「どんど焼き」の用意をする。

どんど焼きに使われる木は”もみの木”と昔から相場が決まっていて、雑木ではダメらしい。
藁(わら)を燃やすところもあるらしいが、稲作がほとんど行われていない我が村では
藁を調達するのはかなり難しい。

係のおじさんに一言声をかけ、コンパネでサイドを高くした軽トラにもみの木を積み込む。
端の方にはクリスマスツリー用にわざわざしてくれたのか、もみの木の先っぽが綺麗に
カットされて並べられており、無料で持ってっていいと言われた。
そういうのは別荘客に取っておけばいいので、俺は黙々と枝打ちした木を積んでいく。
隣は綺麗な小さな木を選んで袋に入れているおばさん、クリスマスリースに使うのだろうか・?

それにしても夏に別荘に来ているらしき人々はすごい。
高級セダンのトランク、もしくはステーションワゴンのバゲッジスペースにブルーシートを敷き
チェーンソーで切ったばかりの薪を何のためらいも無くガシガシ積み込んでいた。豪気だ・・・

とりあえず俺も軽トラ山盛り4台運び、なんとか格好がついた。
後で村の長老らにどんなもんか、確認しなければならないだろう。
とはいえ、あんまり木が多すぎると夜中まで火の番をしていなければならないはめになるので
なかなか見極めが難しいところだ。

午後はハウスに行き、冬で野菜が無い時期の貴重な青物であるほうれん草を播いた。
ちょっと遅いような気がするが、春先には食べられるだろう。その頃は冬囲いしておいた
白菜も食べ飽きてくるので、ちょうどいいかもしれない。

季節は一歩一歩進んでいる  しかし俺の軍手はヤニ臭い・・・嗚呼

今日の一曲  KAN  ”君が好き胸が痛い”
http://www.youtube.com/watch?v=IXsixh_onAs&feature=related

北海道の旅

2010年12月03日 | 行事
30日の朝軽井沢を出発羽田に向かった。羽田は新しくなっていて綺麗だったが
連れてこられたので、どこがどこだかわからない、「おのぼりさん」状態だ。

千歳空港行きのANAに乗り込んだのだが、席はガラガラ、シートベルトサインが消えると
みんな好き好きに窓際の席に移動していった。

今回は農協の野菜部会役員旅行ということで、総勢12名+添乗員さんというユニット。
夏の間忙しく働いて、やっと時間にゆとりができたところでの旅行とあって
みんなリラックスして旅を満喫している様子だった。

空から見ると東北地方は雪景色に。北海道上空では逆に雪が少ないように見えたが
それでも飛行機を降り、千歳から登別温泉に向かうにしたがって道は白く”しばれて”いた。

途中、白老(しらおい)ポロトコタンに立ち寄り、アイヌの歴史にふれる。
狩猟で殺したヒグマなどの動物の魂である「カムイ」を神々の世界に送る儀式「イヨマンテ」
を見たが、なかなか力強い旋律だった。民族楽器の「ムックリ」は残響音が心地よくて
トリップしそうになる。(興味ある方はyoutubeで見てください)

自然の中に身を置き神様と対話しながら生きていくってどんな感じなんだろう・・・
想像もつかない俺は登別の乳白色の温泉につかってふやけ、北の誉を味わいながら脳味噌を
麻痺させて一日目を終えました。

二日目は洞爺湖、昭和新山をめぐり札幌市内へ。旧北海道庁舎では蝦夷開拓の歴史に触れた
のだが、考えてみればずっと前からアイヌはこの地で神々と共に暮らしていたんだよな・・・
区画整理された広大な北海道の美しい農地も、後から作り上げられていったものなんだと
思うと、ちょっと複雑である。
ポロトコタンのアイヌの民族衣装をきたおじさんが言ってました
「普段こんな服は着てませんからね、家に帰ったら普通の服に着替えます」
「5時過ぎにこれを着ていることもありますが、それは”残業”の時だけです」 だって


夜はチャンチャン焼きの旨い店での宴会だった。
ソイやトドの刺身、ホッケの煮付け、海鮮鍋やメインの甘辛味噌の
チャンチャン焼きをいただく。海の無い長野県人には贅沢な料理ばかりだった。

その後勢い余って、半数名で札幌で有名なニューハーフのショーパブに行く。
俺達が座った席の前は普通の主婦のおばさん達が多数陣取っていた。
舞台で踊っている人達、みんな綺麗な女性・・? ばかりでびっくり。
倒錯の世界、ここでもトリップしそうになった。

三日目はまず小樽に向った。しかし北海道は広い、移動時間が結構長い。
大学3年の夏、バイクで道内を一周したが、燃料タンクが8リットルしかない
2ストだったため、ガソリンスタンドを見つけると、端から立ち寄っていた気がする。

小樽では娘達へのお土産に小さいガラスのサンタとツリーを購入した。小樽のガラスの歴史は
明治34年の石油ランプ製造からで、明治43年には漁業用浮球なんかも作ったりして発展した。
小樽は以前も来たが、建物は落ち着いた造りで、ただ歩いているだけでも気分がいい。

小樽でそのまま昼食、タラバ蟹を2脚いただく。ほんと、家族やいろんな人に申し訳ない・・・
その後新千歳空港に戻り、北海道を後にして羽田→軽井沢→自宅となった。

北海道は近い。本当は遠いはずなのに近くに感じた。気候的にも軽井沢にも似ているし
マックやセブンイレブン、吉野家もあった。
朝札幌で地震を感じながら目覚めたのだが、その日の夜(昨日)には自宅の布団で寝ていた。

今ブログを書きながらもう一度北海道を楽しんでいる。
旅の思い出を書き記すってのもまんざらではない。

今日の一曲 Pink floyd   "One of These days"
http://www.youtube.com/watch?v=YgvAwBDbuIo&feature=related

               ↑
   出だしのベースラインがムックリの音色に似ています