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日本近代文学の森へ (52) 田山花袋『田舎教師』 7

2018-10-17 09:39:05 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (52) 田山花袋『田舎教師』 7

2018.10.17


 

 現実に失望した清三は、次第に、すべてに消極的になっていく自分をどうすることもできないが、ある日、それまで、老訓導(「訓導」というのは、今でいう「小学校教諭」の意味で、小学校の正教員である、)から話には聞いていた、遊郭に行ってみようと思う。もちろん、そんなことが知れたら代用教員だってクビになるかもしれないのだが、なんとか気分の打開をはかりたかったということだろう。

 この小説は、実在したモデルがいて、その日記などを元に花袋がフィクションとして書いているのだが、この遊郭へいくというくだりは、もとの日記にはないことで、花袋自身の経験をもとにしているといわれている。

 風景描写がいちだんと美しい一節でもあるので、長いが引用しておきたい。



 秋季皇霊祭の翌日は日曜で、休暇が二日続いた。大祭の日は朝から天気がよかった。清三はその日大越の老訓導の家に遊びに行って、ビールのご馳走になった。帰途についたのはもう四時を過ぎておった。
 古い汚ない廂の低い弥勒ともいくらも違わぬような町並みの前には、羽生通いの乗合馬車が夕日を帯びて今着いたばかりの客をおろしていた。ラムネを並べた汚ない休み茶屋の隣には馬具や鋤などを売る古い大きな家があった。野に出ると赤蜻蛉が群れをなして飛んでいた。
 利根川の土手はここからもうすぐである。二三町ぐらいしか離れていない。清三はふとあることを思いついて、細い道を右に折れて、土手のほうに向かった。明日は日曜である。行田に行く用事がないでもないが、行かなくってはならないというほどのこともない。老訓導にも校長にも今日と明日は留守になるということを言っておいた。懐には昨日おりたばかりの半月の月給がはいっている。いい機会だ! と思った心は、ある新しい希望に向かってそぞろにふるえた。
 土手にのぼると、利根川は美しく夕日にはえていた。その心がある希望のために動いているためであろう。なんだかその波の閃めきも色の調子も空気のこい影もすべて自分のおどりがちな心としっくり相合っているように感じられた。なかばはらんだ帆が夕日を受けてゆるやかにゆるやかに下って行くと、ようようとした大河の趣をなした川の上には初秋でなければ見られぬような白い大きな雲が浮かんで、川向こうの人家や白壁の土蔵や森や土手がこい空気の中に浮くように見える。土手の草むらの中にはキリギリスが鳴いていた。
 土手にはところどころ松原があったり渡船小屋があったり楢林があったり藁葺の百姓家が見えたりした。渡し船にはここらによく見る機回りの車が二台、自転車が一個(ひとつ)、蝙蝠傘が二個、商人らしい四十ぐらいの男はまぶしそうに夕日に手をかざしていた。船の通る少し下流に一ところ浅瀬があって、キラキラと美しくきらめきわたった。
 路は長かった。川の上にむらがる雲の姿の変わるたびに、水脈のゆるやかに曲がるたびに、川の感じがつねに変わった。夕日はしだいに低く、水の色はだんだん納戸色になり、空気は身にしみわたるようにこい深い影を帯びてきた。清三は自己の影の長く草の上にひくのを見ながら時々みずからかえりみたり、みずからののしったりした。立ちどまって堕落した心の状態を叱してもみた。行田の家のこと、東京の友のことを考えた。そうかと思うと、懐から汗によごれた財布を出して、半月分の月給がはいっているのを確かめてにっこりした。二円あればたくさんだということはかねてから小耳にはさんで聞いている。青陽楼というのが中田では一番大きな家だ。そこにはきれいな女がいるということも知っていた。足をとどめさせる力も大きかったが、それよりも足を進めさせる力のほうがいっそう強かった。心と心とが戦い、情と意とが争い、理想と欲望とがからみ合う間にも、体はある大きな力に引きずられるように先へ先へと進んだ。
 渡良瀬川の利根川に合するあたりは、ひろびろとしてまことに阪東太郎の名にそむかぬほど大河のおもむきをなしていた。夕日はもうまったく沈んで、対岸の土手にかすかにその余光が残っているばかり、先ほどの雲の名残りと見えるちぎれ雲は縁を赤く染めてその上におぼつかなく浮いていた。白帆がものうそうに深い碧の上を滑って行く。
 透綾の羽織に白地の絣を着て、安い麦稈の帽子をかぶった清三の姿は、キリギリスが鳴いたり鈴虫がいい声をたてたり阜斯(ばった)が飛び立ったりする土手の草路を急いで歩いて行った。人通りのない夕暮れ近い空気に、広いようようとした大河を前景にして、そのやせぎすな姿は浮き出すように見える。土手と川との間のいつも水をかぶる平地には小豆や豆やもろこしが豊かに繁った。ふとある一種の響きが川にとどろきわたって聞こえたと思うと、前の長い長い栗橋の鉄橋を汽車が白い煙を立てて通って行くのが見えた。
 土手を下りて旗井という村落にはいったころには、もうとっぷりと日が暮れて、灯がついていた。ある百姓家では、垣のところに行水盥(ぎょうずいだらい)を持ち出して、「今日は久しぶりでまた夏になったような気がした」などと言いながら若いかみさんが肥えた白い乳を夕闇の中に見せてボチャボチャやっていた。鉄道の踏切を通る時、番人が白い旗を出していたが、それを通ってしまうと、上り汽車がゴーと音を立てて過ぎて行った。かれは二三度路で中田への渡し場のありかをたずねた。夜が来てからかれは大胆になった。もう後悔の念などはなくなってしまった。ふと路傍に汚ない飲食店があるのを発見して、ビールを一本傾けて、饂飩(うどん)の盛りを三杯食った。ここではかみさんがわざわざ通りに出て渡船場に行く路を教えてくれた。
 十日ばかりの月が向こう岸の森の上に出て、渡船場の船縁にキラキラと美しく砕けていた。肌に冷やかな風がおりおり吹いて通って、やわらかな櫓の音がギーギー聞こえる。岸に並べた二階家の屋根がくっきりと黒く月の光の中に出ている。
 水を越して響いて来る絃歌の音が清三の胸をそぞろに波だたせた。
 乗り合いの人の顔はみな月に白く見えた。船頭はくわえ煙管の火をぽっつり紅く見せながら、小腰(こごし)に櫓を押した。
 十分のちには、清三の姿は張り見世にごてごてと白粉をつけて、赤いものずくめの衣服で飾りたてた女の格子の前に立っていた。こちらの軒からあちらの軒に歩いて行った。細い格子の中にはいって、あやうく羽織の袖を破られようとした。こうして夜ごとに客を迎うる不幸福(ふしあわせ)な女に引きくらべて、こうして心の餓え、肉の渇きをいやしに来た自分のあさましさを思って肩をそびやかした。廓の通りをぞろぞろとひやかしの人々が通る。なじみ客を見かけて、「ちょいと貴郎(あなた)!」なぞという声がする。格子に寄り合うて何かなんなんと話しているものもある。威勢よくはいってトントン階段を上がって行くものもある。二階からは三絃(しゃみせん)や鼓の音がにぎやかに聞こえた。
 五六軒しかない貸座敷はやがてつきた。一番最後の少し奥に引っ込んだ石菖(せきしょう)の鉢の格子のそばに置いてある家には、いかにも土百姓の娘らしい丸く肥った女が白粉をごてごてと不器用にぬりつけて二三人並んでいた。その家から五六軒藁葺の庇の低い人家が続いて、やがて暗い畠になる。清三はそこまで行って引き返した。見て通ったいろいろな女が眼に浮かんで、上がるならあの女かあの女だと思う。けれど一方ではどうしても上がられるような気がしない。初心なかれにはいくたび決心しても、いくたび自分の臆病なのをののしってみてもどうも思いきって上がられない。で、今度は通りのまん中を自分はひやかしに来た客ではないというようにわざと大跨に歩いて通った。そのくせ、気にいった女のいる張り見世の前は注意した。
 河岸の渡し場のところに来て、かれはしばらく立っていた。月が美しく埠頭にくだけて、今着いた船からぞろぞろと人が上がった。いっそ渡しを渡って帰ろうかとも思ってみた。けれどこのまま帰るのは——目的をはたさずに帰るのは腑甲斐ないようにも思われる。せっかくあの長い暑い二里の土手を歩いて来て、無意味に帰って行くのもばかばかしい。それにただ帰るのも惜しいような気がする。渡し船の行って帰って来る間、かれはそこに立ったりしゃがんだりしていた。
 思いきって立ち上がった。その家には店に妓夫(ぎふ)が二人出ていた。大きい洋燈(らんぷ)がまぶしくかれの姿を照らした。張り見世の女郎の眼がみんなこっちに注がれた。内から迎える声も何もかもかれには夢中であった。やがてがらんとした室に通されて、「お名ざし」を聞かれる。右から二番目とかろうじてかれは言った。
 右から二番目の女は静枝と呼ばれた。どちらかといえば小づくりで、色の白い、髪の房々した、この家でも売れる女(こ)であった。眉と眉との遠いのが、どことなく美穂子をしのばせるようなところがある。
 清三にはこうした社会のすべてがみな新らしくめずらしく見えた。引き付けということもおもしろいし、女がずっとはいって来て客のすぐ隣にすわるということも不思議だし、台の物とかいって大きな皿に少しばかり鮨を入れて持って来るのも異様に感じられた。かれは自分の初心なことを女に見破られまいとして、心にもない洒落を言ったり、こうしたところには通人だというふうを見せたりしたが、二階回しの中年の女には、初心な人ということがすぐ知られた。かれはただ酒を飲んだ。
 厠は階段を下りたところにあった。やはり石菖の鉢が置いてあったり、釣り荵(しのぶ)が掛けてあったりした。硝子の箱の中に五分心の洋燈が明るくついて、鼻緒の赤い草履がぬれているのではないがなんとなくしめっていた。便所には大きなりっぱな青い模様の出た瀬戸焼きの便器が据えてある。アルボースの臭に交って臭い臭気が鼻と目とをうった。
 女の室は六畳で、裏二階の奥にある。古い箪笥が置いてあった。長火鉢の落としはブリキで、近在でできたやすい鉄瓶がかかっている。そばに一冊女学世界が置いてあるのを清三が手に取って見ると、去年の六月に発行したものであった。「こんなものを読むのかえ、感心だねえ」と言うと、女はにッと笑ってみせた。その笑顔を美しいと清三は思った。室の裏は物干しになっていて、そこには月がやや傾きかげんとなってさしていた。隣では太鼓と三絃の音がにぎやかに聞こえた。



 遊郭のある「中田」というのは、栗橋から利根川を渡ってしばらく行ったところにある。栗橋というと、円朝の落語「牡丹灯籠」の「栗橋宿」が思い起こされる。こうした地名から喚起されるイメージは、とても大事で、滅多なことでは「地名変更」はしてほしくないものだ。

 夕暮れの利根川はやがて暮れていき、渡し船は、月がキラキラひかる川面を滑っていく。まるで夢のような風景だ。今ではまったく失われた風景が、ここには、見事に残っている。文学の貴重さを思い知るのは、こういう文章を読んだときだ。

 清三の弱々しいこころのあり方には、イライラもするし、しっかりせよと叱咤もしたくなるけれど、こうした風景の中を遊郭へといそぐ清三の気持ちに寄り添って、しばしその感傷をともにしたい。






 

 


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