4月11日、ウィークエンドスキルアップ講座「児童書・YA翻訳の現場から」が開催されました。スキルアップ講座で児童書分野を扱うのははじめてということもあり、たくさんの受講生が集まりました。講師はYAを中心に活躍する原田勝さん。現役ばりばりの翻訳者の目線で、児童書を訳す意義や翻訳のポイント、さらにはかなりつっこんだお金のあれこれまで、実用的でためになるお話をしていただきました。
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まず、児童書という分野についての解説がありました。この分野の大きな特徴は、おとな向けの本と比べてはやりすたりが少なく、長く読み継がれる作品が多いということ。子どものころに読んだ本をおとなになってから読み返したり、次の世代の子どもたちに伝えたりすることもあります。長く残る本だからこそ、時間をかけて丁寧につくる必要があり、それがやりがいにもなるそうです。
そのあたりの事情はYAでも同じですが、YAには児童書やおとな向けの本にはない独自のおもしろさがあります。YAの対象読者は、子どもでもおとなでもない年代。差別や戦争など、複雑で微妙な問題も理解できるようになる年ごろです。そうした社会性、時代性のあるテーマを扱ういっぽうで、おとな向けの作品よりもストレートに心に響くものが多いのが、YAの特徴であり、魅力でもあると原田さんは言います。
では、外国の作品を日本で出す意義はどこにあるのでしょうか? その例として挙がったのが、人種問題です。昨今では、日本の社会でも人種が多様化しつつあります。ところが、日本の児童文学やYAには、まだその現実はほとんど反映されていません。いっぽう、昔から人種的に多様だった英米などの児童文学には、そうしたテーマを扱った良書がたくさんあります。日本文学がまだ追いついていない現代性を提示できるという点に、外国作品を訳す意義があるというわけです。
ただ、やはりティーンがいちばん関心を持つのは、学校や恋愛といった身近なテーマ。ですが、日本ではそのあたりのテーマをコミックやライトノベルが扱っているため、同じような内容のYAを外国から持ってきて出版しようと思っても、なかなか難しいのだとか。原書選びのときには、このあたりの事情を考える必要があるようです。
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児童書の翻訳を実際に仕事に結びつけるには、どうしたらいいのでしょうか?
原田さんいわく、翻訳の技術が必要なのは当然ですが、大切なのは、「おもしろい」「人にすすめたい」と思える本を見つけることなのだとか。実際、原田さんご自身も、これまでずっと好きな作品を訳してきたそうです。
自分好みの本を見つけるのに必要となるのが、情報収集です。今回の講座では、その効果的なツールとして、書評誌が紹介されました。「Books for Keeps」(英)、「Horn Book Magazine」(米)などの代表的な書評誌では、それぞれの作品のあらすじがまとめられ、評価の星までついています。「自分のためにリーディングしてくれているようなものだから、使わない手はない」と原田さん。最新訳書『ハーレムの闘う本屋』も、この書評誌に掲載されていたそうです。
訳したい本が見つかったら、次は出版社への売りこみです。実績のない翻訳者にとって、持ちこみは精神的にも物理的にもハードルが高いものですが、社会的な常識さえ守っていれば、たいていはだいじょうぶとのこと。ただ、やみくもに持ちこむのではなく、児童書を扱っている出版社の傾向は知っておいたほうがよさそうです。さらに、「訳したいという熱意だけではダメ」という、耳の痛い編集者の言葉も紹介されました。出版までこぎつけるためには、やはり原書を見極める目と児童書の知識が必要だということです。
児童書翻訳を仕事にするとなると、気になるのがお金の話です。今回の講座では、印税や初版部数などの具体的な数字も教えていただきました。金銭面の条件は、なかなかこちらからは確認しにくいもの。ですが、仕事である以上、最初に確認するべきだと原田さんは言います。編集者もたいていは訊けば教えてくれるそうなので、機会があったらちょっと勇気を出してみようかな、という気になりました(簡単ではありませんが……)。
とはいえ、やはり現実は厳しいようで、専業で食べていくのは難しいというお話もありました。この分野の翻訳者をめざすなら、仕事のしかたを考える必要があるのかもしれません。そして、なによりも大切なのは、丁寧な仕事をすること。「そうでなければ、次の仕事にはつながらない」という原田さんの言葉を、肝に銘じたいと思います。
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セミナー後半は、実際の作品を使った演習形式の講義でした。児童書を訳す際のポイントは、「視点」と「位置関係・動き」のふたつ。子どもが読んで、情景をイメージできるような訳文にすることが大切です。その具体的な例として挙げられたのが、ひとつめの課題の冒頭です。ここは、主人公たちが斜面をすべって穴の底に落ちる場面ですが、まずは訳す側がどんな場所なのかを思い浮かべなければ、読者に伝わる訳はできません。ここで登場したのが、原田画伯のイラスト。斜面と穴の断面を図解したものですが、たしかに絵で見ると、ぐっとイメージしやすくなります。この位置関係をきちんと頭に入れておけば、「情景の浮かぶ」訳文はおのずと出てくるとのこと。たとえば、「A sudden wail came up from the ground.」の一文。「from the ground」は文字どおり訳せば「地面から」ですが、そのままではなかなかイメージがわきません。穴に落ちたことを念頭に置いたうえで、ここを「穴の底から」とすれば、情景が浮かびやすくなるというわけです。
視点の例として挙がったのが、「falling all the way to the bottom before disappearing into the darkness.」の部分。ここは主人公のひとり、トムが穴の底にすべり落ちて行く場面で、終始トムの視点で話が進んでいます。「disappearing into the darkness」は「闇のなかに消えた」としたいところですが、そうすると「誰が見ていたの?」ということになります。視点がぶれないようにするためには、「気がつくとあたりはまっ暗闇だった」のように、あくまでもトムの視点から訳文をつくる必要があります。
ふたつめの課題のテーマは、訳注のつけかた。どの言葉に、どの程度まで訳注をつけるればいいのか。翻訳をするときにいつも悩まされる問題ですが、原田さんいわく、訳注はあまりつけないほうがいいのだとか。物語である以上、解説のしすぎはよくありません。翻訳で大切なのは、その作品の言いたいことをきちんと伝えること。それが伝わるのなら、訳注はなくてもいいと原田さんは言います。たとえば課題作品の冒頭では、ちょっと(かなり?)斜に構えた主人公の男の子が、神様やクリスマスをこきおろす文章が続きます。そうした主人公のキャラクターや考え方が伝わるのなら、過剰な訳注は不要。誤解が生まれそうなところに限って訳注をつけるという説明には、すとんと胸に落ちるものがありました。
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児童書の翻訳はたいへんだけれど、やりがいのある仕事だということがひしひしと伝わってきた今回のセミナー。本を読んだ子どものなかで何かが変わったり、何かのきっかけになったりすることが、子ども向けの作品を訳す喜びだと言う原田さんの言葉に、子どものころ、胸をときめかせたりハラハラしたりしながら外国の物語を読んでいたことを思い出しました。「本を読む楽しさ」という初心を忘れてはいけないな、なんてことも考えさせられたセミナーでした。(洋書の森会員・梅田智世)