第22回 翻訳者のためのウィークエンドスキルアップ講座
講師/夏目大氏(翻訳家)
演題/私の三人の先生――技術はプロ、心は素人
日時/2016年6月18日午後3時~5時
6月18日、ウィークエンドスキルアップ講座「私の三人の先生――技術はプロ、心は素人」が開催されました。講師はノンフィクション作品の翻訳を数多く手がける夏目大さん。セミナー冒頭、夏目さんからこれから話す内容について、無理に結論を導いたりオチをつけたりしないでほしい、「目からウロコを落とさないでほしい」とのお願いがありました。というのも、「目からウロコを落とした人は、たいていすぐ拾ってつけなおす」から。ですので、このレポートも、極力オチをつけないように、できるだけ記録に徹してまとめてみたいと思います。
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セミナーの前半は、「私にとっての三人の先生」というテーマで、夏目さんの翻訳人生を変えたきっかけをお話していただきました。
1人目の「先生」は、最初に就職したソフトウェア会社のO課長です。当時、夏目さんは日誌書きを担当していましたが、文章力にはちょっとした自信を持っていました。ところがある日、O課長に「夏目の書いた日誌は、何が書いてあるのかわからない」と指摘されてしまいました。その言葉に、「はたと気づいた」と言う夏目さん。技巧をこらしたきれいな文章を書こうという意識はあっても、何が言いたいのかわかるように書くという発想がなかったのです。以降、「読み手」を意識して文章を書くようになったそうです。
2人目は、同じ会社の同じ部署にいたA先輩。夏目さんは、英語がからっきしダメなA先輩のために、翻訳や通訳をしていました。A先輩はソフトウェアに関してはベテランで、当然あつかう文章の内容も専門性の高いもの。その翻訳をしていた夏目さんは、「ヨコのものをタテにしただけでは全然つうじない」ことに気づきました。この文章は何を言っているのか、それを自分で理解しなければ伝わる翻訳にならないのです。それに気づいてからは、たとえば専門性の高い日本語を英訳するときには、まず自分のわかる日本語に直してから翻訳する、というように、理解するための努力をするようになったのだとか。
A先輩をめぐっては、もうひとつ、はっとさせられるできごとがあったそうです。アメリカから来た技術者とA先輩との会話を通訳していたときのこと。最初は夏目さんが通訳していたのですが、言葉がわからないはずの2人なのに、いつのまにか通訳なしで会話が成立していたのです。コンピュータ用語の多くは、英語でも日本語でもだいたい同じ。キーワードになるコンピュータ用語が理解できるから、なんとなく話がつうじてしまう、というわけです。この経験から、細かいニュアンスよりも、だいたい何を言いたいのかという大筋を理解することが大切だと気づいた、と夏目さんは振り返っています。
3人(?)目の「先生」は、人間ではなく、ソフトウェアシステムです。あるシステムのマニュアルの翻訳をすることになった夏目さんですが、文章を読んでみても、何が書いてあるのかさっぱりわかりません。そこで、実際にシステムを使ってみてから読みなおしたところ、わからなかった文章がおもしろいように理解できたのだそうです。この経験から気づいたのは、文章を読んでその内容を理解しようとするのではなく、まず書かれている内容を理解してから文章を読めばするすると訳せる、ということ。それはコンピュータのマニュアルにかぎらず、ほかの分野でも同じです。まず「この文章を書いた人は何を見ていたのか」を考え、著者と同じものを見て、同じことを考えるようにすれば、それにふさわしい訳語が自然に出てくる、と夏目さんは言います。
夏目さんの3人の「先生」がすべて翻訳とは関係のない人(とモノ)だったというのは、興味ぶかいところです。また、そのときは特に気にかけていなかったのに、あとになって振り返ってみて、「あれがターニングポイントだった」と気づくパターンが多いとも語っていました。そのあたりは、セミナー冒頭の「無理に結論を引き出さない」という言葉にもつながるものがあるな、と感じました。
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セミナー後半では、3人の受講生の訳文を例に、課題文の解説をしていただきました。解説のなかから、印象に残ったポイントをいくつかピックアップしてまとめています。
まず、2段落目「one of the noblest military victories in human history」の訳しかた。これは第二次大戦のアメリカの勝利をさしているのですが、この「noblest」をきちんと訳すには、この戦争に対するアメリカ人の一般的な心情を知っておく必要があります。アメリカ人にとって、第二次大戦は自由と正義のために戦って勝利した「理想の戦争」。特に90年代には、その勝利を持ち上げる風潮がありました。そうした背景を踏まえると、単なる「偉大」や「圧勝」では、「noblest」の訳語としてはやや言葉たらず。「正義」のニュアンスを感じられる訳語がほしいところです。
もうひとつ、印象に残ったのは、「道すがら」「当代きって」といった、一見ぴったりはまる「うまい」訳語には要注意、という指摘です。日本語の文章としてはこなれていてきれいでも、この手の訳語を使うときには、本当に前後の雰囲気にあっているのか、よくよく気をつける必要があるようです。夏目さんいわく、「ぴったりはまる日本語を探さない、見つかってもできるだけ使わない」。「言葉を言葉に置き換える」という意識で訳していると、どこかにひずみが出てしまう、ということでした。
2段落目「some of the era’s biggest celebrities」の訳しかたについても解説がありました。この「some (one) of + 最上級」という形は、よく出てくるわりに訳しにくいフレーズで、頭を悩ませた経験のある方も多いのではないでしょうか。自然な日本語にするためには工夫がいりますが、だからといって「うまく訳そう」と思うのではなく、まずは原点に立ち返って「そもそも何を意味しているのか」を考えてみる、というのが夏目さんのアドバイス。この例でいえば、「当時の人がみんな知っているような、すごく有名な人たち」というのが、だいたいの意味するところです。それを踏まえて訳語を考えれば、ふさわしい表現を見つけやすくなるはずです。
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今回のセミナーでは、質疑応答の時間がいつもよりも長くとられましたが、それでも時間がたりないと感じるくらい、とても刺激的で充実した内容になりました。ここでは、そのうちのいくつかを紹介します。
まず、課題文2段落目の「its tone of self-effacement and humility」の訳例について。この文の「its」は文法的には「ラジオ番組」をさしますが、夏目さんの訳例では「彼ら(出演者)の誰もが」となっています。文法に沿った訳にしなくてもいいのでしょうか、という質問が出ました。それに対する夏目さんの回答は、文法はあくまでも英文の理解に必要なもので、かならずしも訳しかたを定義するものではない、というもの。文法にしばられずに、読み手に違和感をもたせない形の訳文を考えるほうがいい、と話していました。ちなみに、ここで番組ではなく出演者を主格としたのにはいくつか理由があるのですが、ひとつには「謙虚な番組」という表現を不自然に感じたから、とのことでした。
日本語を磨くにはどうしたらいいのでしょうか、という質問もありました。夏目さんいわく、日本語を磨こうと思うより、何を伝えたいかを理解するほうが大切、とのこと。美しい文章だからといって内容が伝わるとはかぎらないし、ヘンテコな言葉のほうがかえって伝わることもあります。翻訳で難しいのは、他人の言葉を理解して伝えなければならないという点。それをどこまで理解できるかが、日本語力よりも大切だと夏目さんは言います。そのための第一歩は、書かれている内容について、自分のなかの情報量を増やすこと。それができればおのずと伝わる訳文になる、ということでした。
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ユーモアをまじえて、ときに脱線しながら進むお話に、2時間があっというまにすぎてしまいました。その後の交流会も大盛況。今回好評だった質疑応答を受けて、「全編質疑応答セミナー」という要望もちらほら出ていましたので、また夏目さんの自由で楽しいお話を聞けることを期待しています。 (洋書の森会員・梅田智世)