10月11日、小鷹信光さんのセミナー「翻訳という仕事PartⅢ――新マーロウ物語『黒い瞳のブロンド』を訳して」が開催されました。今回はタイトルのとおり、刊行されたばかりの『黒い瞳のブロンド』の翻訳時の体験談を中心に、原稿や自作の用語集など、さまざまな資料を書画カメラで披露しながら、貴重なエピソードをたっぷり語ってくださいました。
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『黒い瞳のブロンド』は、レイモンド・チャンドラーの名作『長いお別れ(ロング・グッドバイ)』の続編として書かれた作品です。今回のお話でまず驚いたのは、作者のベンジャミン・ブラックがブッカー賞作家のジョン・バンヴィルだということ。アイルランドの作家がアメリカの小説の続編を書くという挑戦をしたわけですが、『黒い瞳のブロンド』の翻訳では、小鷹さんも同じような挑戦をしたのだとか。
ご存じのように、『ロング・グッドバイ』は村上春樹さんの翻訳したものがベストセラーになりました。それを踏まえて(あやかって?)、今回の翻訳では、村上さんの訳文を真似てみることにしたそうです。訳文を真似るといっても、これまでの自身の翻訳スタイルを崩すわけですから、そう簡単にできるものではありません。今作を訳すにあたっては、『ロング・グッドバイ』で使われている特徴的な訳語をリストアップし、いつもなら絶対に使わない言葉も採用したのだとか。書画カメラで披露されたリストの実物を見ると、「キュート」「タフぶる」など、たしかに独特の訳語が。それを反映させながらの翻訳作業は、想像するだけでも気が遠くなりそうです。
もうひとつ、具体的な例として挙がったのが、会話のクォーテーションのあとの「I said」「she said」などの処理。この手の文については、意味が通じるかぎりは省略するケースが多いのですが、村上訳ではいっさい省略されておらず、今作の訳文でもそれが踏襲されています。さぞかししつこくなるだろうと思いきや、実際にやってみると、意外な効果があることが明らかに。「~と私は言った」「~と彼女は言った」が頻出すると、逆にそれが符牒のようになり、ほとんど気にせず読み飛ばせるというのです。もちろん、どんな作品にも使える手ではないとは思いますが、「省略すればいいというものではない」というのは新たな発見でした。
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これまでアメリカの作品を中心に翻訳してきた小鷹さん。そこで今回の翻訳では、イギリス英語に詳しい方にチェックをお願いしたそうです。チェッカーの方からの指摘をずらりと書き出した資料が書画カメラで紹介されましたが、小鷹さんほどの方でもあれほどのチェックを受けるのかと驚くいっぽうで(あそこまで指摘を入れられるチェッカーさんの力量もすごい……)、「大ベテランでもやっぱり苦労したり落ちこんだりするんだな」と少しだけほっとしてしまったのは内緒です。
この容赦のないチェックで「英語がいかにできないかを再確認した」という小鷹さんが強調していたのが、英語力の大切さです。とくに、よく知っている単語は要注意。具体例として出たのが「odd」の訳しかたです。真っ先に思いつくのは、「変な」「妙な」といった意味。「odd fish」「odd bird」とあったら、ついつい「奇妙な魚」「風変わりな鳥」などと訳したくなります。ところが、それが落とし穴。この作品では、「odd」は「ときたまの」という意味で使われることが多く、前述の「odd fish」も「ときどき魚が(手にふれる)」と訳すのが正解だったのだとか。この手の思いこみから生じるミスは身に覚えがあるだけに、よくよく気をつけなければいけないと肝に銘じました。
慣用表現や比喩の訳しかたも話題にのぼりました。たとえば、課題文にもなっていた「I was able to take off my thinking cap」という表現。これは「put on one’s thinking cap(熟考する)」という慣用表現に手を加えたもので、小鷹訳では「私は物思い用の帽子をやっと脱ぐことができた」となっています。この訳文を読んで、すぐに何を意味するのか理解するのはなかなか難しいと思うのですが、小鷹さんいわく、「英語独特の言い回しが裏にあると読者に感じさせる訳」にしたとのこと。表現のおもしろさをどこまで残すのか、読みやすさとのかねあいをどうとるのか。その点は翻訳につねについてまわる問題ですが、「こなれていればいいというものではない」という小鷹さんの言葉には、多くの作品を訳してきた方ならではの説得力がありました。
同じく課題文となっていた「I shut the door behind me」のバリエーションをめぐる解説もありました。これは「後ろ手でドアを閉める」と訳されることの多い文章ですが、では「I shut the door behind me, turned, and leaned my back against it.」とあった場合は、どうすればいいのでしょうか? 「後ろ手でドアを閉め」てしまったら、「turned」してドアに背をもたせかけるのは不可能です。この場合、閉めた時点では、ドアに正対していたと考えるしかありません。小鷹さんの解説によれば、「behind」は「shut」ではなく「door」にかかっていると考えればいいのだとか。つまり、「自分の背後でドアを閉める」のではなく、「自分が通りすぎた(あとにした)ドアを閉める」と考えればいいというわけです。その説明に、目からウロコが落ちる思いでした。
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『黒い瞳のブロンド』は、50年代の小説の続編として書かれた作品です。今回のセミナーでは、その時代独特の表現についても解説がありました。例として挙がったのが、「You tell me where to go and what I can do with myself」という一文です。この文の「where to go」「what I can do with myself」は、実は「go to hell」「fuck yourself」の婉曲表現。時代的に「hell」や「fuck」は文章では使えないけれど、実際の会話では使われていたはず。それを考慮した結果、このような形になったというわけです。時代物を書く(訳す)たいへんさがしのばれます。
最後に「go to hell」つながりで紹介されたのが、マーロウ・シリーズ1作目の『大いなる眠り』に出てくる「gugugoterell」という意味不明の単語です。村上訳では、発音をそのままカタカナ表記した「ググゴテレル」という訳になっていますが、『The Big Sleep』(Penguin authentic texts版)収録の用語集によれば、これは実は「you go to hell」なのだとか。たしかに、もごもごと発話すれば、そんなふうに聞こえないこともないような……(ちなみに、村上訳の文庫版では、小鷹さんの指摘を受けて訳注が加えられたそうです)。
ここまで来ると、翻訳というよりは解読の感がありますが、原文の意味を読みとろうとあれこれ頭を悩ませるのも、翻訳の醍醐味のひとつ。最後を締めくくった「文字を読むことは、謎解きと似ている」という小鷹さんの言葉は、まさにそれを集約しているのではないでしょうか。翻訳の難しさと楽しさをあらためて認識したセミナーでした。