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「フィクション翻訳への道――仕事師に学ぶプロの条件」リポート

2015年10月13日 20時23分41秒 | 魔女のジュリー

第15回 翻訳者のためのウィークエンドスキルアップ講座
講師/田口俊樹氏(翻訳家)
演題/フィクション翻訳への道――仕事師に学ぶプロの条件
日時/2015年8月29日午後3時~5時

8月29日、ウィークエンドスキルアップ講座「フィクション翻訳への道――仕事師に学ぶプロの条件」が開催されました。講師はミステリー翻訳などで活躍する田口俊樹さん。翻訳のテクニックから誤訳の実例まで、実用的かつ楽しいお話がもりだくさんで、2時間があっというまに過ぎてしまいました。以下に、講義の内容を簡単にまとめました。
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■直訳と意訳

学校で教わった英文和訳の経験からか、翻訳とは直訳から意訳へ移行するものだと考える人が多いのですが、実際はその逆。田口さんによれば、翻訳とは本来、最初に意訳があり、そこから直訳をめざすものなのだそうです。とはいえ、完全な直訳は不可能です。では、意訳はどこまで許されるのでしょうか? 英語を日本語に翻訳をすると、どうしても原文の意味が削げ落ちてしまうもの。その点をしっかり自覚していれば、意訳の程度はおのずと決まります。意訳でかまわないけれど、直訳をめざす気持ちを忘れずに、とのことでした。

■視点

フィクション翻訳で避けて通れないのが、視点の問題です。いわゆる「神の視点」がよく使われる英米文学は、日本文学よりも視点がゆるい傾向にあり、文によって視点が変わることもめずらしくありません。たとえば、Aの視点で話が進んでいるときに、「B was sick」のように、「seem」を使わずに断定した書き方になっているケースもあります。そんなときは、日本語にする際に「~そうだ」「~ようだ」などを補う必要があります。そのほか、登場人物の主観が地の文にそのまま書かれる「描出話法」のようなケースでも、「と~は思った」などと補うほうが、自然な日本語になるそうです。

■著者の意図

原文がちょっとわかりにくかったりすると、なんとなく意味を補って訳したくなることがありますが、そんなときは、「なぜこの表現なのか」「なぜこの単語が使われているのか」を考え、著者の意図をくむことが大切です。たとえば、淡々とした文章で書かれているなら、余分な説明は補わず、同じように淡々とした文章で訳したほうがいい、という具合です。ただ、著者の意図と文章が乖離しているケースもあるので、何がなんでも原文に忠実に訳さなければならない、というわけでもないようです。

■「は」と「が」

主語につく「は」と「が」の使いわけは、翻訳者の悩みどころではないでしょうか。この点について、井上ひさし氏は「『は』はやさしく、『が』は鋭く」と定義していますが、田口さんはそれに加えて、「未知」と「既知」という考え方で説明してくださいました。たとえば、AとBふたりの会話文で「A said」と出てきた場合、最初の話者Aはふたりのうちのどちらかわからない未知の人物なので、「A『が』言った」と鋭く提示する。それに答えるのは、当然もうひとりのB(つまり既知の人物)ですから、次に「B said」と出てきたら「B『は』言った」とやさしく提示すればいい、という具合です。

■正しい言葉づかい

翻訳をするうえで正しい言葉づかいは大切ですが、言葉はつねに変化し、乱れていくものです。また、乱れたまま定着することもあります。この言葉づかいはOKなのかNGなのか、その見極めをつけるには、どうしたらいいのでしょうか? 田口さんいわく、「おかしいのでは?」と指摘されて「なるほど」と思ったのなら正しいほうに直せばいい、思わなかったら直す必要はない、ということでした。正しさを意識する必要はあるけれど、自分の感性を信じることも大切なのだと感じました。

■誤訳について

今回のセミナーでは、田口さんご自身の誤訳の実例も紹介していただきました。なかには、誤訳がそのままタイトルになってしまったものまで。田口さんほどのベテランでも、我ながらびっくりしてしまうような誤訳があるそうなので、翻訳をしているかぎり、誤訳からは逃れられないのかもしれません……。

■接続詞

接続詞のおもな役割は論旨を明確にすることですが、もうひとつ、次の内容を読者に予測させるという役割もあります。文章は音楽と一緒で、次の動きを予測できると心地いいもの。読者が心地のいいと感じる文章をめざすなら、接続詞をうまく使うことが大切なのだとか。ただし、度が過ぎると鼻につくので要注意とのこと。

■想像訳

「想像訳」とは、原文からだけではわからない内容を想像で補って訳すこと。その例として紹介されたのが、「…we cut for the beach. They gave her a yellow suit and a red cap…」という文章。これは『The Postman Always Rings Twice』に出てくる文章ですが、「They gave」が何を意味するのか判然としないため、訳者によって「借りた」や「買った」としたり、うまく逃げていたりと、訳し方が違います。この例に関しては、後日調べた結果、「借りる」が正解だったことがわかったそうです。ただ、いつでもこの例のように裏づけができるわけではありません。想像でなんとなく訳すのはもちろん問題ですが、すべてを調べつくすのは難しく、「想像訳」がどうしても必要になってしまうこともあるそうです。

■これからの翻訳とは?

最近は新訳がブームになっていますが、新しい訳は古い訳よりも完璧な訳に近づいているのでしょうか? 田口さんいわく、翻訳とは「生木のようにくすぶる」もので、「完璧な翻訳などない」とのこと。では、どのような訳を目ざせばいいのでしょうか? その問いに対する田口さんの答えは、「ウケればいい」というシンプルなもの。翻訳は結局のところサービス業なのだから、読者の役に立つことを心がけながら訳せばいい、という田口さんの言葉には、たくさんの小説で読者を楽しませてきたベテラン翻訳家ならではの説得力がありました。

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「翻訳にルールはない。ひとりひとりが好きなように、自由に訳せばいい」とおっしゃる田口さん。とはいえ、今回のお話のなかには、今後、自分が翻訳するときに役立ちそうなヒントがたくさんありました。直訳をめざしながら自然な日本語にして、著者の意図をくみつつ、ときに誤訳をしてもくじけずに、読者のためになる訳文をつくる――なかなか簡単なことではありませんが、そんな理想の訳に少しずつでも近づいていけたらいいな、と思ったセミナーでした。

(洋書の森会員・梅田智世)