スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

Spotify(スポティファイ)のCEOによる公開書簡について

2016-05-07 21:07:48 | スウェーデン・その他の経済
スウェーデンに関して誤解を招きそうなタイトルを掲げた日本語記事があったので、指摘しておきたい。

Spotifyが本社移転か スウェーデンの「高すぎる税金」から避難

という見出しの記事であるが、この手の見出しは、一般的に世間に持たれているステレオタイプを利用して人目を引き、読者を分かった気にさせてくれるものの、実際の事実はきちんと理解されないままで終わってしまう、という事態を招きやすいので注意が必要だ。このタイトルだけ見て、スウェーデン → 税金が高い国 → だから企業が国外に逃げていく という単純なストーリーを想定する人は少なからずいるだろう。

しかし、この日本語記事の元となっている英語の記事のタイトルは「Spotify May Soon Leave Sweden, According To Its CEO」であり、税金という言葉は使われていない。「高すぎる税金」と一言でまとめられるほど単純な話ではないからである。

「高すぎる税金」というけれど、何の税金を問題にしているだろうか?消費税だろうか? 給与所得に掛かる所得税のことだろうか? 資本所得にかかる所得税のことだろうか? それとも、法人税のことだろうか?法人税に関しては、前回の記事でも触れたようにスウェーデンは1990年代以降、他の先進国に先駆けて法定税率を下げてきた国であり、国際的に見ても高いわけでは全く無い。税率は2013年から22%という水準である。これに対し、日本は法人所得に対して法人税のほか住民税や事業税が課せられるため法定実効税率は35%ほどであり、アメリカは40%前後だ。

実は、この記事(日本語およびその元となっている英語の記事)がネタにしているのは、4月11日にSpotifyのCEOであるダニエル・エーク(Daniel Ek)マッティン・ローレンツォン(Martin Lorentzon)がスウェーデンの政治家に宛てた公開書簡である。二人はこの書簡の中で、スウェーデンにおいて今後もスタートアップ企業が盛んに成長し、世界中から才能のある人材が集まる場であり続けるうえでの懸念を3つ掲げ、自身の会社が本社を国外に移すかもしれないことを示唆しながら、政治家に改革に向けた行動を起こすよう促している。その懸念の一つがストックオプションに対する課税のあり方である。

ストックオプションとは、企業の従業員がその企業の株式をあらかじめ決められた価格で購入できる権利のことである。一定期間が過ぎないと行使できなかったり、いつまでに行使しなければならない、などの制限が付いている場合が多いようだ。行使時に、あらかじめ決められた行使価格を株価が上回っていた場合、その差額がオプション行使者のものとなる。企業の業績が上がるにつれ株価も上昇していくだろうから、従業員に努力するインセンティブを与えるボーナス制度の一つである。しかも、企業が報酬を払うわけではないので、企業が直接の財務的負担を負う必要がない

スウェーデンではこのような制度はこれまであまり一般的でなかったが、Spotifyのような新興のIT企業の中には従業員にストックオプションを提供しているところもある。しかし、スウェーデンの税制はその流れに追いついておらず、いまだにストックオプションという言葉が税法上できちんと定義されていない。また、課税のあり方が従業員や企業にとって非常に不利なものであることも、ストックオプションの普及を阻害する大きな要因となっている

では、不利な課税のあり方とはどういうことかというと、現行制度のもとでは、ストックオプションの行使によって得たキャピタルゲイン資本所得ではなく、給与所得として見なされ課税されているのである。より詳しく言えば、行使したその日における時価と購入価格との差額が給与所得として見なされるのである(購入した株式をすぐに売却するか、しばらく保持するかは関係ない)。そして、その後、実際にその株式を売却する際に行使時よりも株価が上昇して、さらにキャピタルゲインが発生した場合は、その部分が資本所得として見なされ課税される。

今回のSpotifyのCEOの公開書簡も、オプション行使時の時価と購入価格との差額が給与所得として見なされ課税されるあり方を批判しているのである。企業からの給与所得としてみなされるため、企業はその給与所得に応じた社会保険料を支払わなければならない。そもそもストックオプションは企業が財務的負担を負うことなく、努力した従業員に報酬を支払う制度であるのだが、これでは従業員がオプション行使で得たキャピタルゲインの31.42%に相当する社会保険料を支払わなければならなくなる。また、他の給与所得と合わせた形で所得税が決まるため、すでに高い給与を得ている従業員であれば限界税率が60%ほどになってしまう可能性がある。

(公開書簡の中では「限界税率は最大で70%にもなる」とSpotifyのCEOは書いているが、それは社会保険料を加えれば限界税率が最大でそのくらいの水準になるスウェーデン経営者連盟が以前から言っているのをそのまま使っているだけだと思われる。オプション行使に掛かる所得税の場合、行使者が社会保険料を負担することは無いであろうから、70%という数字はこの文脈では適当ではない)

SpotifyのCEOは、アメリカではストックオプションの行使によって得られた利益が資本所得としてみなされ15~20%の税率が課せられ、社会保険料の負担も発生しないという。ドイツでも資本所得としてみなされ、税率は25%だという。だから、彼らはスウェーデンでもストックオプションの行使による利益が資本所得として扱われ、課税されるのであれば文句は無いと言っているようである。スウェーデンでは資本所得税の税率は30%であるが、この水準で彼らが満足なのかどうかは公開書簡からは明らかではない。(日本について私が簡単に調べたところ、日本でも給与所得として見なされるようであり、ということは、それに応じて所得税や住民税が課せられるのであろう)

であるから、CEOの彼らが問題としているのは、税金の高い・低いということよりも、むしろストックオプションに対する課税のあり方が時代の流れに即したものではなく、ストックオプションという制度が本来狙いとしていた目的を損なう形になっていることなのである。Forbesの英語の元記事では「the taxes unfairly punish those at the company with stock options」と書かれているが、これは彼らの主張と合致しており正しい。しかし、日本語に訳した編集者は「過大な税金が課されている」と、余計な意訳を施しているため、ニュアンスが異なってしまっている。

ちなみに、ストックオプションに対する課税のあり方については、スウェーデン政府も改革の必要を感じているため、改革に向けた調査をすでに実施し、その調査委員会が政府に対して答申を提出している。しかし、この調査は「中小企業の起業を促進するためにはどのような税制改革が必要か」という問題意識に焦点を置いていたため、提出された答申では、税制の改革が必要なのは、従業員数が50人以下の企業、および、創業から7年以内の企業に限られる、とされている。そのため、今や大きく成長したSpotifyのような企業には適用されない。このこともSpotifyのCEOの怒りに拍車をかけているのである。

SpotifyのCEOの指摘が妥当なものであるかどうかの判断は、私はとりあえず保留としておきたい。一方、彼らが現在のスウェーデン経済における問題点だと指摘する他の2点に関しては、私はその通りだと思う。

まずは、賃貸住宅の不足。これについては私も2年前にこのブログでまとめたが、特に都市部において賃貸住宅が不足しているため、Spotifyのような成長企業がストックホルムの事務所に世界中から従業員を雇ったり、他の事務所からストックホルムの事務所に優秀な人材を送ろうとしても、彼らの住居が容易には確保できないのである。スウェーデン経済の景気は良好なのであるが、この住宅不足がその成長のボトルネックとなっている

もう一つの点は、プログラミング教育である。IT企業が成長していくためには優秀なプログラマーの確保が欠かせないため、SpotifyのCEOらは基礎教育からすでにプログラマー教育を実施すべきだと訴えている。この点も私は全くそのとおりだと思う。プログラミングに必要なシステマティックな論理的思考や数学的な能力は、大人になってから一夜にして身につくものではない。私が小さい時にそんな教育は小学校ではほとんどなかったけれど、興味があったので独学で学んだ経験がある。その時の経験が後々にたいへん役立った。しかし、独学だったので自分で理解できず、大人になってからやっと「そういうことだったのか」と気がついた部分もいくつかある。小さい時に基礎教育でそういう手ほどきが受けられていれば、理解ももっと早く深まったのにと思う。

【 過去の関連記事 】
2014-07-14: ますます深刻化する賃貸住宅不足の問題 (その1)
2014-07-18: ますます深刻化する賃貸住宅不足の問題 (その2)
2014-07-30: ますます深刻化する賃貸住宅不足の問題 (その3)
2014-08-06: ますます深刻化する賃貸住宅不足の問題 (その4)

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